地球のどこであろうとも、昼が通り過ぎれば夜が来る。
冬彦が降り立ったこの地においては、人をうだらせる湿気と熱波がその威を減衰させ、わずかなりとも涼やかな風をもって快適さを得ることが出来る時間。
日のある内は頭の内が湯立ちろくに脳が働かなかった者達も、この時ならばようやっと、冷えて思考が巡り始める。
やたらめったら評判が悪く、またその実体も劣悪なテントの中ではなく、地上に降りるときに使ったコムサイの格納庫の一部を間切りして。
冬彦の他、数名が雁首揃えて話すのは、隊の深刻な問題についてである。
この場においては最も階級が高く、招集をかけた張本人である冬彦はしばらく口を開くこともなく腕を組んで瞑目していた。
誰も彼もむっつり黙り込んでいるのを見て、やがて一口茶を含んで舌を湿らせてから、面白くなさそうに言った。
「どうしても無理かな」
「無理だと思います。陳情書も相当数が上がってきています」
冬彦の問いかけに、フランシェスカが手に持つ書類に眼を落としつつ答えた。
彼女もまた暑さには参っているのか、顔には薄く疲労の色が浮いている。それでも挙動においてはいささかも精彩を欠くことが無いのは、彼女がMSパイロットであるからこそだ。
一方で、大丈夫では無さそうな者もいる。アヤメである。軍服の襟元を開けてはいるが、上着を着ているせいで暑いのだろう。少し頬が上気しているように冬彦には見て取れた。
「この件に関しては僕も同感だよ。むしろ一刻も早く手を打つべきだ」
言う彼女の眼差しは何時になく真剣である。
それは周りも同様で、特に階級が上にある者ほど、その傾向が強いようだ。
部隊の首脳部が集まって、額を付き合わして話し合う問題。
それは――
「はっきり言うよ、中佐。このままでは僕らは、この酷暑の前に敗北する」
はっはっは、と快活に笑い飛ばせればどれだけ良かったことだろう。残念なことに冬彦自身が半ばグロッキーである。
湿気で無線機の調子が悪くなるような、簡易サウナのようなテントの中で半日過ごすと言う苦行を毎日強いられる今の冬彦には、笑うどころか頬をつり上げることさえできやしないのだ。
そう。問題とは。
他ならぬ、人を容易くうだらせる高温多湿の気候にどう対処するか、であった。
たかが暑さ、気合いでどうにか……と言う者もいるだろう。実際にそれで通す者もいるだろう。冬彦も、それを言いそうな人間を何人か思い当たるだけに、最初はそれで通そうかとも考えた。
しかし、それができない理由が大きく二つあった。
一つは、士気の問題である。
元々冬彦以下、独立戦隊の人員はこれまで宇宙空間での戦闘ばかりで、地上に降下した経験などあるはずも無かった。
宇宙から地上という、激しい環境の変化に、多くの者がまだ順応できていなかったのだ。ましてや、アジアの高温多湿という戦場。
既に体調を崩しかけている者も出ているのが現状であるし、季節的に見てこれから更に暑くなる。
降下地点が前線から離れていたから今はまだ良いが、このまま戦闘に突入していけば、はっきり言って部隊の何割かは戦闘を繰り返す内に“潰れて”しまうだろう。
もう一つの問題は、フランシェスカとアヤメの存在である。
彼女らのような女性士官に、暑いなら脱げば良いじゃない、とは言えないのである。
ジオンは連邦以上に、軍部に在籍する女性士官の地位が高い傾向がある。例を挙げれば、総帥府のセシリア・アイリーン辺りが筆頭で、総帥ギレンの右腕であり、そこらの将官よりも偉かったりする。佐官程度なら“あご”で使うことだってできるだろう。
本人達が気にしないなら良いような気もする(そういう部隊もある)が、仮にそうだったとしてもフランシェスカなどにそんな格好をされては今度は男性士官の精神衛生上よくないし、アヤメも良いところの出で、本国の実家に情報が漏れるとよろしくない。何がとは言わない。ただ、どちらも日の照る昼間はそのシルエットがややはっきりするとだけ。
それに、本人達もまた別の解決策を求めている。
「どうする。先に言っておくが、無い袖は振れないぞ」
「一日辺りの水の配給量を増やしては?」
「それよりも扇風機の方が良い。あれを兵が詰めている場所事に設置して、風通しを改善すればかなり違うはずだ」
前者がフランシェスカで、後者がアヤメだ。
だがどちらの意見も、とうの昔に没案になっている。
時は、夜。肌に張り付いた汗はとうに冷え切り、彼女らの頭も大いに働いているが、大した案は出はしない。
単純であればあるほど事物事象を切り崩すのは酷く難しい。それを体現するような状況である。
「駄目だ。水は生命線だぞ。今は余裕があるが、備蓄が過剰なわけじゃない。あと扇風機は私物だからあれ一機しかない。やらん」
「あの骨董品、君の私物だったのか……」
宇宙においては、基本的に空調は完璧であるため、扇風機の出番などまず無い。よって骨董品扱いである。
とにかく、二人からそれぞれの意見を聞き、いずれも却下した以上、また別の意見が求められる。
普段なら、苛立ち紛れにがりがりと頭を掻くところ。気まぐれに米神に中指を押し当てれば、しゃり、と懐かしい音がする。
「あのー」
手を挙げつつ、軽い口調で切り出したのはピートである。MSパイロットで、アクイラ所属だった男だ。
「軍服、いじれませんかね。半袖にして袖口広くするだけでもかなり違うと思うんですが……」
その問に対する答えは、沈黙だった。
おまけに、冬彦とアヤメの表情は渋い。
何か気に障ったかと、ピートもまた慌て始める。
「あ、あれ? 結構良い案だと思ったんですけど……」
二人が顔を見合わせるのにも、理由がある。
軍服の改造というのは、一定以上の士官に許される特権の一つであり、大規模にやるとなるとカテゴリがいわゆるカスタム品から制式品に変わってくる。
それを裁量が大きいとは言え、勝手にやって良いものか、少々難しい判断になるのだ。
ソーイングセットで一人二人のを弄るのとは話がまるで違ってくる。一部隊とはいえ、MS十機を擁し、規模はおよそ中隊から大隊に匹敵する。
それだけの人数の軍服を一挙に弄るとなれば、動く“金”も、それ相応の物になる。
「どうかな?」
「正直、微妙な所だな……」
しかし、躊躇ったところで他に案がないことはどちらもわかっている。
もはや暑さにはそう長いこと耐えられない。そして、他に道は無い。
どうせやるなら、ちょっと良いものにしようとか、通気性の良い生地を使おうとか、既に二人の頭の中ではそういった事が動き始めている。
「士官があまり砕けた格好をするのはまずいんだがなぁ……しょうがないか」
「いや、士官の方は問題無いだろう。中尉以上なら前例がある。問題は下士官以下のほうだね。どうする」
「オデッサに連絡して、向こうの地上用軍装の型紙のコピーだけ送ってもらってこっちで造ろう。それなら早い」
「わかった。そっちは僕が手配しよう。何、いざとなれば僕が型紙を書くさ」
「できるのか?」
「できないことはない」
レンズ越しに行き交う視線が、その活動の度合いを早めていく。他の面々は話は済んだ、方がついたと言わんばかりに、上官である二人に一言二言断って敬礼一つ、コムサイを後にする。言い出しっぺのピートなども、足早に去って行く。
残されたのはフランシェスカで、副官としての義務感か、手持ちぶさたになりつつあるが、それでも動くことなく発言の機会を、もしくは用件を言いつけられるのを待っている。
「製作は……というか、発注をどうする」
「本国やソロモンでも遠すぎる。近隣のどこか適当な所に発注しよう。支払いは金と物資、半々で」
「その辺が妥当か……フランシェスカ」
「はっ」
先ほどまでは他の者と同じく着席していたのだが、冬彦の言に合わせて勢いよく立つ様は、今すぐにでも外へ駆け出せますと身体で表しているようだ。
月での一件以来、精彩も戻ってきている。この暑さでまた隠れつつあるが。
その静かだが活力のある気勢に、冬彦の方が半ば気圧されたようになり、僅かながらに言葉がどもる。
「近隣都市のデータをまとめておいてくれ。大まかな物で良い」
「了解しました!」
敬礼一つを残し、今度こそフランシェスカもコムサイを後にした。
コムサイの一角に、冬彦とアヤメ。二人きりだ。
立ち去る機を逸し、しかしこの場で始めるような新しい話題も特に無く。
「……ああ、そうだ」
「うん?」
どちらか口を開くことも無く、時間だけが過ぎていくのかと思いきや、アヤメが早々に口火を切った。
まだ何かこの場で話すことがあったろうかと疑問に思う暇も無く、アヤメは席を立ち、冬彦の横に立つ。
「向こうとこちらで季候が違うから、少し手を加えたいんだが、良いかな」
「……いいんじゃないか?」
「そう。ありがと」
「…………?」
敬礼の代わりに軽く手を振り、背を向けて去るアヤメの姿に、一瞬何か引っかかるような物を感じたが、何せこの日も暑かった。特に呼び止めることもせず、冬彦もまた己のテントへと引っ込むべく立ち上がった。
ぐっと背を伸ばすと、昼間の汗で張り付いていたシャツがぺりぺりと肌から剥がれるのが心地よく、今日も終わりだと歩みを進めた。
お気に入り4,000件突破ありがとうございます!!(言うの結構ながいこと忘れててすいません)