エクスタシーモード。
瞳が緋色に染まっている今の状態のことを沙耶はこのように口にした。
沙耶の瞳の色が変わっている状態を見るのは理樹にはこれで二度目になる。
一度目はイ・ウー
もっともあの時は、沙耶が今の状態になった後すぐにあの狐の仮面の人物は撤収したため、理樹は今だに沙耶がどんな能力を有しているのか知りはしない。
(元々発動条件が厳しくて当てにはできないものだからないものと思っていてくれって朱鷺戸さんは言っていたけど、一体どんな能力なんだろう。それに、たとえどんな能力であったにしても……)
元々沙耶は本調子とは程遠い。
イ・ウー
「
「ヘルメス。アンタはあたしたち
「知りませんね。確かに
「そう。じゃあ教えてあげる」
沙耶は彼女自身の魔術によって動きを止められているキマイラへと近づき手を当てて、
「神への抑止力。それが『機関』においての認識よ」
一瞬でキマイラを粉砕した。筋力に物を言わせて殴りつけたわけでもなく、添えるように触れただけで、キマイラは元の砂へと戻ってしまった。コンバット・コマンダーによる銃撃ではビクともしなかったキマイラに効果的なものは、現状理樹の超能力のみのはず。沙耶も魔術という奥の手があるものの、それは使った瞬間に血を吐いてしまうという致命的なまでのデメリットを持っている。ならばキマイラを粉砕したものの正体は沙耶の
(え、でもそれって僕の超能力と同じってことでしょ?それなら魔術なんて使えるはずはないのに)
確かに理樹が右手で触れただけでも、今沙耶がやったように一撃の名のもとに砂へと還すことができるだろうけど、キマイラを粉砕した能力が理樹と同じものだというのなら沙耶が魔術を使えた理由の説明ができなくなる。ヘルメスは理樹の能力のことを
「どんな種類の超能力であったとしても
「それは役に立つのですか?
「汎用性なんてい必要ない。あたしたちはあくまで抑止力として生まれたのだから、自身が兵器となることはあってはならない。言いたいことは分かるか?つまり
沙耶は緋色に染まった瞳で部屋全体へを見渡した後で、再びヘルメスへと視界を戻す。
「今のあたしは魔力に敏感な存在だ。アンタの
「本体?何を言っているのですか?僕は本物ですよ」
「いいや、アンタは偽物よ。厳密にいえば、本物そっくりに作られた
沙耶はスカートのポケットから折り紙の鶴を三羽取り出し、右手で挟み込んだ後に放り投げた。
無造作に投げられたはずの折り紙は三方向に分かれ、炎をまとった鳥と化す。それはまるで大きな不死鳥が現れたようにも思われる光景であった。沙耶が生み出した不死鳥はヘルメス頭上を通過して、彼の背後の壁を粉砕した。
「……何をした?お前一体何をした!?」
今沙耶が行ったことは、近くにあった壁を粉砕しただけだ。それだけではヘルメスには何の関係もないはずなのに、実際にヘルメスに変化が出ていた。彼は自分自身の魔力がなくなって言っているのを肌で感じたのだ。実際のところは違った。結果としてヘルメスの表情は一変し、沙耶を忌々しげに睨み付けている。
「この地下迷宮はどんなに強大な魔術師であったにしても一人で作り出せるようなものじゃない。人間一人に許容魔力量はそれほど大きなものではない。だから、この地下迷宮を作り出すのに地脈を利用していることにはすぐに気がついた。だから魔術を使って地脈の流れを止めさせてもらったわ。忘れたの?あたしは元々風水を専門としている陰陽術師であり、パトラさんに風水の概念を教えたのはこのあたしよ。だったら、この地下迷宮の核ぐらいはどこにあるのかは超能力なんて一切使わずとも判断できる」
地脈の流れを止めることなんて、本来は爆弾でも使って地形そのものを変える必要がある。
けど、それは物理的な破壊の話。風水という概念は、流れを物の位置で制御する技術。
沙耶の魔術によってはヘルメスへと流れている力をずらしていればいいだけの話だ。
地脈からのバックアップを受けられなくなったヘルメスの身体は少しずつ砂へと変わり、水滴のように地面に落ちていく。
(やっぱりこいつの身体は人間のものではなかったから地脈の莫大な魔力に耐えられたわけか。パトラさんのように魔力容量が桁外れでなければそもそも魔力に耐えられないはず。あたしのように反動で死にかけることになる)
そもそも沙耶が魔術を使ったら反動として血を吐くほどに身体がズタボロになってしまうのは、『観測の魔女』が言うには
「アンタを表舞台へと引きずりおろしてやるって言ったはずよ。今すぐにそっちにいってやる」
「おのれ……おのれぇえええええええ!!!」
ヘルメスは拍手するように両手を合わせたと同時、地面が地震が起きたかのように揺れ始める。
「僕が、僕が作られた存在だと!?そんなの認めてなるものかッ!!僕が消えるのなら、お前らも道ずだッ!!」
そしてヘルメスを中心にして地面が浮かび上がり、いくつもの直径3メートル大の塊になって沙耶と理樹の方へと飛んでいく。理樹の超能力でも打ち消せるだろうが、大きさから考えて力負けすると判断した沙耶は回避することに決めた。
「しっかりつかまってなさい」
「え?ギャアアーーー!!??」
そして、理樹の左手を自身の右手でしかりと掴んだ沙耶は、理樹を引きずって移動を開始する。
ただし、移動というには何かが違うような気もする光景だった。
まず、沙耶は地面を走っているわけではない。
投擲物のような曲線軌道を描きながら、彼女は空中を移動していた。その姿はまるで流れ星のよう。
沙耶に引きずられて悲鳴を挙げている理樹の足も、地面についてなどいないかった。
「か、肩がちぎれるッ!!と、朱鷺戸さん!!こんなに魔術乱発して大丈夫なの!?」
「今の状態ならいけるッ!!あたしのことは気にしなくていいから準備しときなさいッ!!」
ヘルメスは何個も地面を浮かび上がらせて球を作り、二人を叩き落そうとしているが、何度やっても当たらなかった。球が来る前に、すべて沙耶は安全圏へと銃弾のごとくスピードで移動をする。
(……無駄よ、ヘルメス。そんなものでエクスタシーモードのあたしを捕まえることなんてできない)
沙耶のエクスタシーモードで得られる能力は理樹の右手のような常時発動系の能力。
理樹のように魔術でできた炎を打ち消したり岩を粉砕したりはできないものの、呪いや負荷といったも魔術的なダメージを無効化して自分自身の魔力へと変換することができる。ただし、一定以上のダメージを連続して受けなければならないというやたら厳しい発動条件を持つが。
『お前、実はMなんじゃないか?』
『Mって何よMって。失礼なこと言わないでちょうだい』
『だって、ダメージ受け続けることで身体が魔力に対して敏感になっていくんだろ?そして一定量を超えると覚醒して魔術的なダメージが全部魔力に変換する性質なんて、もう痛みが喜びに変わる境地に達したかのよ――――――おい待て。ナイフを持ってこっちにくんな』
『科学者だからって好き勝手言っていいと思うなよこのポンコツ科学者』
『だからちょっと待てくれ。冗談だよね?ね!?す、鈴羽姉さん助けてくれッ!!』
『今のは失言だったかな。大人しく報いを受けたらどう?』
『フ、フフ。だ、だがしかし!この特製防弾白衣の前にはナイフなど――――――剥き出しの顔面を狙うのはやめてくださいホントお願いしますごめんなさいでしたーーーーーッ!!!』
『機関』の仲間には好き放題言われてしまったが、エクスタシーモードとなった沙耶にはあらゆる魔術的なダメージを気にする必要がない。だから、沙耶が学んできた陰陽術の魔術も反動を気にすることなく使用できる。流星の魔法使いとしての力を発揮することができる。そして、魔力に対して敏感になっている今の沙耶にはヘルメスの魔術の動きなど身体全体で感じ取ることができる。相手が魔術や超能力といいた異能の力を全く使わない相手なら何の役にも立たない。その場合は反射神経を何十倍へと引き上げるキンジのヒステリアモードの方が優れているだろうが、こと魔術師相手だというのなら、
(感知能力であたしのエクスタシーモードに右に出るものはいないッ!!そして、これでお終いよッ!)
理樹を引きずりながら空中を飛び回っていた沙耶の軌道上に魔法陣が浮かび上がった。
数は六つ。それぞれの魔法陣が六芒星を描くように線で結ばれている。
「逃げながら書いていたのか!?」
「気づいたことろでもう遅い。くらいなさい。『六芒星の呪縛』ッ!!」
ヘルメスを囲むようにして存在している六つの星が彼の動きを阻害している。
もう二人に迫りくる岩石など存在しない。ゆえにもう攻撃をかわす必要はないのだと、沙耶は動きを止めて緋色に染まった二つの眼をヘルメスに向けた。今の沙耶はキマイラを止めた時のように魔術の反動で血を迫ことはない。
「こんなもので、この僕をッ!?」
「いや、もう終わりだよ。やりなさい理樹君ッ!!」
沙耶の魔術によって動きを妨害され、意識を沙耶に向けすぎたのは失策だった。もう一人、動きを気にしなければならない能力を持った人間のことを錬金術師はすっかりと忘れていた。
「そらッ!!」
直枝理樹。魔術ならすべてを打ちけすことができる超能力者。
彼はヘルメスが沙耶へと意識が集中している隙をついて、拳の射程圏内へと接近していた。
彼の右手の打撃はヘルメスへとヒットして、そのまま錬金術師は砂へと還っていった。
沙耶の魔術がヘルメスへと還元していた地脈への恩恵を断ち切った以上、もう理樹の超能力で破壊されてしまったらもう復元することなんてできない。
「なんだこれ?」
砂へと還った錬金術師の身体の中に手のひらサイズの小さな石がでてきた。理樹には何の心あたりもない石であるが、沙耶には見覚えがある石だった。かつてエジプトで発見され、稀代の発見として博物館に特別展示されていた石。空色の輝石と呼ばれている石だった。
「理樹君。その石をあたしに渡してちょうだい」
「あ、うん」
沙耶はふらつく足を倒れまいと押さえながら、理樹が持っていた石を受け取った。
ヘルメスがとっくの昔にこの地下迷宮から逃げ出しているとは考えていない。
あの日、パトラさんに腕をつぶされながらも事態を最後まで見届けようとした奴だ。
錬金術師としての行動を最優先させているだろう。
(『エクスタシーモード』の状態なら行ける。わざわざ逆探知の魔術を使う必要だってない)
空色の輝石を握りしめ、目をつむり気配を追う。
「ちょうどこの下あたりにいるのね。理樹君、巻き込まれないように下がってなさい」
「何をするの?」
「床をぶち抜いてやる」
「え」
見つけ出した場所はちょうどこの部屋の真下。
といっても階段は見当たらなかったが、沙耶はわざわざ階段を探しに行こうとは思わなかった。
床ぐらいぶち抜いてやる。
アドシアードで岩沢まさみが似たようなことをやった時のことを思い出して真っ青になった理樹を放置して、沙耶は鶴の折り紙を放り投げた。折り紙は炎をまとった不死鳥となり、地面に突撃する。
ドッカーンッ!!
大砲が着弾したかのような轟音が鳴り響いた。見れば理樹たちの前に地下へと続く大穴ができていたが、床を粉砕すると同時、沙耶はとうとう身体を地面へと倒してしまう。
「朱鷺戸さん!?」
「……さすがに限界が近いか」
確かに沙耶のエクスタシーモードはあらゆる魔術ダメージを自分の魔力へと変換することができる。
だが、エクスタシーモードになる前のダメージを打ち消せるわけではないのだ。
言ってしまえば今の沙耶は、魔術の反動で血を吐いた直後の状態となんら変わらない。
むしろ流れ星のごとく動き回った分悪化している。
「朱鷺戸さんはもう限界だよ。ケガだってひどいし、この下には僕だけで行くよ。任せて」
「限界がきているなんてことあたしが一番分かってる。けど、あたしも行かせてもらう。まだこの手で殴り足りないし、あいつにはまだまだ聞かせてもらわなきゃならないことがあるのよ」
理樹の制止を振り切ってでも行くためにフラフラの身体を引きずってでも立ち上がろうとした沙耶は、理樹とも違う第三者の声を聞くことになる。
「朱鷺戸さん、あなたは大人しくここで寝ていなさい。いくら
聞こえてきた方向に理樹と沙耶の二人は瞬時に顔を向けた。
声に聞き覚えがあったのだ。二人の身体に警戒しろとアラームが鳴り響く。
なにしろそれは地下迷宮に一緒に来たアリアやキンジのものでも、ましてジャンヌや佳奈多のものでもなかっが、理樹はあのハイジャック以前には何回も聞いていた声だったし、沙耶も一度だけ聞いていた声だった。
「……なんで、なんで君がここにいるんだッ!!」
そう。聞こえてきたのは理子の声。だが峰理子本人ではないだろう。
だって、姿を現した声の主は、声こそ理子のものであったが狐の仮面をしていたのだから。
「……そうか。そういうことか。だからアドシアード以降でも問題視されなかったのか!!よくもまああたしたちの目の前で白々しい演技をしてくれたもんだッ!!」
「……さすが
「朱鷺戸さん?」
沙耶の緋色に染まった両目に浮かぶのは困惑しかない。
「――――――待って。ということは、アンタまさか」
「さすが、察しもいい。同じ『機関』のエージェントでも、マヌケなところがあるどこぞのなんちゃってマッドサイエンティストとは大違いね」
「どういうこと?こいつの正体が分かったの!?」
「簡単な話よ。こいつの正体は――――――」
沙耶が狐の仮面の人物の正体を口にすることなどなかった。
それより先に、
●
錬金術師ヘルメスにとって、空色の輝石を失ったことは痛いことだ。なにせあれはエジプトで苦労して手に入れたものなのだ。そう簡単に代用品が見つかることはない。空色の輝石を核として、誰にも命令されなくても自立する式神を試しに作ってみたが、実験結果は取れたのでよしとしておくことにする。沙耶の魔術によって地脈の状態も以前とは別物にされたみたいだし、もう地下迷宮の利用価値は大きなものでもなくなってしまったが、潮時と考えれば別にいいかとも思う。誰かがここにたどり着くよりも先に、東京湾へと続いている抜け道から抜け出されてもらうことにした。次の研究室をどこに作って実験しようかと考えていたら、一つの問題ができてしまった。
「――――――これはなんだ?」
抜け道へと続いているはずの通路が、氷の壁により閉ざされていたのだ。
氷なんて自然発生するわけがなく、ヘルメスの中に危険信号が飛び交った。
そしてすぐに、それを現実のものと突きつける声が響いてくる。
「
気づいたときにはヘルメスの右肩にナイフが突き刺さっていた。
ヘルメスは痛みに悲鳴を挙げ、絶叫する。
苦痛を訴える声を聞いてもなお、ナイフを突き刺した本人はヘルメスから十メートルは離れている距離から何かを感じるでもなく冷めた眼を向けていた。
「なぜ……なぜお前がこんなところまで来れている!?」
「こんなところ?別に、私にとっては距離や障害物なんて大した問題ではないのよ」
「だとしても!お前は大量の砂の化身の相手で忙しかったはずだ。仲間を見捨てたのか?」
「ああ、そういうことね。じゃあ教えてあげる。確かに私の超能力はあの日、弱体化したわ。今じゃ霊装なんていう分かりやすい武器にも頼っている。でもね、あの程度の砂人形くらい、超能力使わなかったとしても私の相手には時間稼ぎにもならないのよ。ありがとうヘルメス。あなたのおかげで、不手際で一緒に連れてくるはめになってしまった神崎さんたちと自然な形で別れることができたわ」
そういえば。
彼女はバスジャック事件の後、東京武偵高校の他の生徒たちのように武偵殺しに対する怒りを現していたか?
バスジャック犯の手がかりが何もつかめない状況に、仲間がやられたのに何もできないことへの無力を味わっていたか?
そういえば。
アドシアードの時、『バルダ』とかいう謎の魔術師の存在をリトルバスターズへと持ち掛けてきたのは誰だったか?そもそも『バルダ』というのは何のための名前だったっけ?確かアドシアードの時、来ヶ谷唯湖のようなめんどくさそうな人間がジャンヌの計画の邪魔をさせないようにするものではなかったか?
そういえば。
今回の地下迷宮攻略のためだとして、イ・ウーのジャンヌを仲間として連れてきたのは誰だったか?
星伽神社の白雪よりも優先して、ジャンヌを選んだのはどうしてだ?
本来、魔術的なトラブルが起きたのなら星伽神社の人間に声をかけるのがいいのではないのか。そうしなかったのは、なぜ?
そう。
彼女こそ。
イ・ウー
「二木佳奈多ァァァァ!!イ・ウーに入るための条件として自分の一族を売り飛ばした魔女がァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
二木佳奈多。
そして、知るものぞ知る極東エリア最強の魔女。
「あなたが自分にどれだけの存在価値を見出しているのかなんて知らないけど、私にとってあなたの価値なんて大したことなんてない。関わりあいのないその他大勢の中の一人でしかない」
佳奈多は冷たい目をヘルメスに向けたまま、錬金術師に別れの言葉を告げた。
「さようなら」
???『ジャンジャジャ~~ン!!今明かされる衝撃の真実ゥ!』
はい、作者が決闘者だから言ってみたかっただけです。
なんか後味が悪い終わり方をしましたが、これで『流星の魔法使い』編は終わりです。
アメリカ編から最後まで『機関』メンバーズが大暴れした章でした。
さて、次回からは新章に突入します。やっとブラド編に入ります。
理子が帰ってきて、すぐ近くにはイ・ウーの人間が潜んでいて。
アリア的には、トラブルしか起こりそうにありませんね。