Scarlet Busters!   作:Sepia

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Mission73 Episode Aya①

 母親はいなかった。

 父の行動についていけなかったのか、それとも亡くなったのか。

 本当のところはあたしは知らない。

 

 父親は医者だった。

 それも、荒れ果てた他国で治療に当たる理想に燃えた医者だった。

 そして、父はその理想を叶えるにたる力を持っている人物だった。

 

 貧しくても使うことができる、科学と対になる技術を父は持っていた。

 その名は魔術。父は魔術師だったのだ。厳密には陰陽術師というらしい。

 東洋術式の一大流派である陰陽術は大陸から渡ってきた陰陽五行説や道教から派生し、平安時代に隆盛を極めた技術でもある。平安時代の大陰陽師安倍清明(あべのせいめい)の名前は歴史物語の『大鏡』、説話集の『今昔物語』や『宇治拾遺物語』とかいうのにも語り継がれているらしい。あたしは読んだことはないからよくわからないけど。

 

 昔とは違い、今の時代に生き残っている陰陽術師はほとんどいないらしい。

 いや、現代に限ったことではないのか。平安時代以降陰陽術師たちは歴史の表舞台から姿を消したと聞いた。

 

 父がその技術を受け継ぐ数少ない生き残りだった。それがあたしにとって結局いいことであったのかはわからない。そんなことすら考えたこともなかった。どのみち父親以外に身寄りのないわたしには、父親の白衣の裾を握るしかなかったのだ。

 

 これは、物心がついたばかりの頃の古い記憶。

 飛行機の窓から見えるのは抜けるような青空。眼下に広がるのは白い雲。

 その先についた場所は、灼熱の太陽と壮大な砂漠しか存在していない国。

 

 屋根だけしかない粗末な小屋が診療所。覚えていることといえばこんな漠然としたイメージくらいのものである。まだ四歳だったあたしにできることなんてなにもなく、ただ父の仕事が終わるのをその部屋の片隅でおとなしく座っていることだけである。あたしにはやることもできることもなく、いつも独りだった。

 

 毎日赤子が、子供が、母親が。

 どんな立場の人間であったとしても、銃撃戦や飢餓による栄養失調と感染病で毎日誰かが死んでいく。そんなどうしようもない現実を父はなんとかしようとしていたのだ。

 

 こればっかりはお金の力では解決できるとは思えない。例えば、募金を募らせて貧しくて日々の国民の食費すら満足にそろえることのできない政府に支援金を送ってみたとする。その結果国民の生活が改善されるようなことはまずあり得ないだろう。名目上のお金がそのまま使われるとは限らない。戦闘のための軍事資金として使われるのが悲しい現実だろう。そんな状況では、鉛筆をはじめとする勉強道具一式を寄付したところで勉強道具よりも今日の食糧がほしいという人間だって存在しているのだ。

 

 風水、占術、錬丹、呪術、祈祷、暦術、漏刻などのさまざまな分野がある陰陽術の中において、父が専門としていたのは風水は、地脈や龍脈の位置から土地の良し悪しを判断したり、大地に根付くエネルギーである地脈や龍脈を呼び込んで魔術を発動するタイプのもの。つまり個人でなく周囲の魔力を利用するタイプの魔術。だから父は環境そのものから改変するということを知っていた。

 

 乏しい国にて医療に応用できる薬草の知識を伝えて死亡率を軽減させたり。

 飢えに苦しむ地域ではその地方では使われていなかった食べ物の調理方法を教えたり。

 日照りに苦しむ地域では、実際に効果のある雨乞いのための儀式を教えてみたり。

 

 これは現実の戦争を理解しなければできることではない。

 とりあえず大部隊を送ったり、とりあえず現金を寄付したり、という方法では解決できないのだ。

 実際の戦場の空気を肌で感じ、そこにいる人々が何を必要としているのかを読み解き、その上で『彼らにもできること』を示すとこで生活の質を向上させる。

 

 父はそうして一定の成果を収めると、次の土地へと移っていく。

 言葉一つまともに通じない他国において、あたしは誰とも打ち解けることができなかった。

 

『ねえ、一緒に遊びましょう』

 

 勇気を出せば子供たちを遊ぶことはできる。でも、別れはすぐにやってくる。その上治安は最悪だ。いつだって誘拐の可能性は潜んでいた。深入りすると悲しくなるから、あたしは自然と立ち寄らなくなっていた。申し訳程度に存在している医療器具に囲まれながら、いっと部屋の片隅で大人しく座り父親の仕事が終わるのをじっと待っていることがあたしの仕事だった。時々は父親以外の医者が父を助けに来てくれて、自然と周囲の医者、看護師があたしにさまざまなことを教えてくれることもある。その時のことを思い出すと今でも笑ってしまう。

 

 日本語、英語、フランス語。

 各国の現地の言葉が入り乱れているため、あたしはどの言語を話しているのかを理解できていなかった。思い返せば滑稽な光景だったようにも思う。

 英語とフランス語が入り乱れる中で教えてもらったことを、さらに日本語を加えて父に報告するだなんてこともしていた。結局は、父が丁寧に教えてくれた日本語が母語になったけれど、一つだけどうしても理解できない言葉があった。

 

 最初は現地の言葉だった。

 

 誰かに訳してもらったけれど、それでも理解できなかった言葉があったとする。言葉は実物に置き換えて覚えることが多かったから、知らないものを探す旅に出かけるような感覚だったのだろう。言葉さがしはやることのないあたしにできる数少ない遊びであり、最大の暇つぶしでもあったのだ。

 

「ねぇ、『Friend』ってどういう意味?どこにあるの?」

 

 何気なく聞いてみた一つの疑問。自分で考えても皆目見当すらつかなかった疑問。

 あたしが質問をすれば、なんでも笑顔で教えてくれた大人の顔が曇ったことは今でもまだ忘れない。

 いつの間にか、熊みたいに大柄で髭の生えた同僚に抱きしめられていた。

 わたしを強く抱きしめるおじさんの力はとても強く、痛いとすら感じてしまう。

 素直に痛いと言えなかったのは、おじさんが泣いていることに気が付いたからだろうか。

 

Here's your friend,sweetheart!(ここに友達がいるよ)

Why do you cry(どうして泣いてるの)? Do you stomach ache(おなかが痛いの)?」

 

 おじさんが泣いている理由がわからず、あたしは戸惑うことしかできなかった。

 おじさんに友達というものの思い出話を聞いたら、学校という単語が出てきた。

 また一つ新しい単語を覚えることとなる。詳細を聞いてみると、どうやら行く場所のようだ。

 同い年の子供たちが集まって先生に勉強を教わり遊ぶ場所だと教えられた。

 同い年の子供たちがいっぱいいる。それだけで夢が膨らむが、あくまでも夢の話でしかない。

 

 そもそも政情不安定の国では、学校自体がないことが多い。

 あたしが今暮らしている地域にも学校はあることはあるみたいだけど、あたしはほとんど通わなかった。

 父はどうやら通わなくてもいいと考えているようでもある。

 勉強は誰かが教えてくれる。

 知識は本を読めば手に入れられる。

 

 わざわざ命の危険を冒してまで学校に通うことはない。

 

 反政府ゲリラが正規軍を襲撃したり、その逆もあったりなんかして闇夜の向こうから軽い爆発音が響いたとする。爆発音が割と近くから聞こえてきたとしても、恐怖と緊張よりも大半はまたかとうんざりすることが多くなっているような生活なのだ。

 

 危険が迫った時の対応は父に言い聞かされていた。

 決められた通り、まず靴を履き、バックリュックを背負う。

 もはや決まりきったルーティンワークでしかなくなってきている。

 

 怖がっていたら何もできない。銃は誰が撃っても当たれば死ぬ。

 役に立たないと思ったら、足手まといにならなけらばいい。

 自由になりたければ戦うしかない。すべて、その土地の人々が教えてくれたことだ。

 その夜は散発的に続き、明け方には終わった。

 

 繋いだ父の手が震えていた。

 問うと、なんでもないよと答えが返ってくる。

 思い返すに、父はおそらく悔しかったのだろう。

 命を使い捨てる現実と、治療しても戦場へと戻っていく人々に対して。

 

 そして、何もなしえていない自分に対して。

 

 そんな折、一度帰ろうと父は言い出した。帰るといわれても今いちぴんと来ない。

 あたしにとって変えるべき家は父の診療所であり、故郷は広大な砂漠であった。

 

 どこに帰るのと聞くと父は生まれ育った国を毎日のように教えてくれた。

 数えきれないほどの車と天井を突き刺すような高層ビル。

 歩いていける距離に店がありなんでも売っている。電気がかならず通っている。

 誰でも飲める水道がどこにでもある。そこではその日の飲み水の心配もする必要がないのだ。

 騒乱に巻き込まれる心配もない。夢のような国だと、あたしは思ったものだ。

 

 穏やか、という言葉が本当にあるのだと知った。

 戦争を知らない人間と、平和を知らない人間の価値観は違うという。

 あたしには父から聞いた故郷の話が現実に存在する光景だとは思えなかった。

 でも、ちょっとだけ期待していることがある。

 

 もしも日本というところがこの場所よりも暮らしやすい場所なのだとしたら、あたしも学校というところに通うことができるのだろうか。結局『Friend』意味は理解できなかったけれど、学校という場所に行っているうちにわかるようになるのだろうか。

 

 一人で遊びに出かけるのも初めてのことだった。あたしがいままでいたところでは遊びといえばサッカーだったので、サッカーボール片手に近くの公園に行ってみる。今住んでいる場所が父が働いている病院の宿舎から、歩いて五分くらいの公園だ。病院近くという立地条件のせいなのか、近所に住む子供たちの遊び場としての公園というよりは、入院しているの患者さんたちが散歩がてらによる公園という感じである。その証拠に、今しがた公園に入ってきている二人のうちの片方は、病院の入院服をきている。

 

「おにいちゃん、はやくはやく!」

「待てよ小毬。もうちょっとゆっくりいこう。そこの自販機でなにか飲み物でも買って休憩しないか」

「わーい!わたしオレンジジュース!!」

「はいはい」

 

 兄妹なのだろうか。仲がよさそうでなによりだ。

 妹に連れまわされながらも優しい視線を向けている兄と、無邪気に微笑んでいる妹。

 彼女は熱帯の砂漠で日焼けしているあたしと比べるとずいぶんと女の子らしく思えたものだ。

 

「小毬。俺はここでしばらく休んでいるから、ちょっと遊んできたらどうだい?ほら、向こうにサッカーボール片手にこっちみてる女の子がいるよ」

「うん!」

 

 一緒に遊ぶなんて何をしたらいいのだろう。

 たぶんあたしは公園という場所には場違いなほど悲しい顔をしていたのだろう。

 

「ねえ、一緒にあそばない?」

「……うん」

 

 自分に声がかけられているということに気づくまで時間がかかり、返事も小さく消えてしまいそうなものしか出てこなかった。不器用なあたしはうまくなかったけれど、それでも楽しかった。

 

 

 そんな日々がいつまでも続くと思っていた。

 家に帰ると父がテレビのニュースを食いつくように見ていた。

 数千キロと離れた別のどこか遠いどこかで爆弾の雨が降っているという話であった。

 父の目を見てどこか納得した自分がいた。

 半島の内陸にある国は、想像していたよりはずっと穏やかな気候であった。

 ただし、国中を鼻を刺すような火薬と焦げたにおいが辺りを包んではいるけれど。

 

 入国は困難を極め、あたしたちは他国から陸路で行くしかなかった。

 それからのことはあまり覚えていない。

 押しつぶされそうな不安、恐怖心と戦っていたのだろう。

 理由は分かっている。

 日本で過ごした日々がわたしを弱くしてしまったのだ。

 

 どうしてこんなことするの?

 父に訪ねると、困っている人々がいるからだという。

 そういわれてしまうと、もう何も言い返せない。

 眼前に広がるこの光景を前にして、自分の希望をいうのは卑怯なことのように思えたのだ。

 

 家を焼き出され、家族を失った人も多い。

 日々の食事にも困り、今後の生きるすべすらない。

 そんな中で、自分一人が恵まれた日本での暮らしを求めるのは心に罪悪感を感じた。

 こんな目にあわせてくれた父に反抗したいとも思った。

 

 友達が欲しい。

 普通に学校に通いたい。

 一緒に遊びたい。

 湧き出てくる欲求を抑えることなどできやしない。

 

 見知らぬ誰かと娘であるあたしはどちらが大切なのか。

 

 そんな風に何度も訴えようと思ったけれど、結局口に出すことはなかった。

 理由は一体何だろう。

 

 一本の抗生物質で元気になった子供を涙ながらに喜んでいる母親の姿だろうか?

 少人数の力では救えない人々がいることに嘆く大人たちの姿だろうか?

 

 手に届く範囲の小さな幸せ。

 その中に確かに、笑顔が、感謝が、確かに存在した。

 

 見方をかえればあたしの父は娘を自分勝手な理念に巻きこんだ人間である。

 学校にすら満足に通わせない、社会の枠から外れた人間だ。

 

 それでも憎む気にはなれなかった。むしろどこかで尊敬さえしていた。

 

 自分のことを何一つ省みず、献身だけで働いているのが幼女のあたしにすら理解できたことだった。

 ただ、どうしても苦しかったことがある。

 治療した父とあたしに、涙を流しながら感謝してくれること。

 

 やめて。

 

 あたしはそんな、いい子じゃない。

 お礼を言われるようなことなんて何もしていない。

 お願いだからそんな素敵な笑顔をあたしに向けないで。

 あたしはあなたたちの幸せなんて、これっぽちも考えずに自分のことを優先させようとした。

 今すぐにでもあの平和な国でのんびりと過ごしていたいだなんてことを考えているの。

 

 

 広大な砂漠の中で父の仕事を手伝って何年かしたときに、父を訪ねてきた青年とあたしは出会うことになる。

 その青年は、かつて父によってどうしようもなかった病気を治してもらい、命を繋ぎとめたのだという。

 彼との出会いが、あたしにとって大きな起点となるものであった。

 その青年の名前は、神北拓也と言った。

 

 


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