老人ホーム。
かつては養老院だなんて呼び名もあった老人ホームには目的で分類すると大きく分けて二種類存在する。
一つは生活サービスを提供するもの。共に同じ生活空間で過ごすことにより、人肌恋しくなったおじいちゃんおばあちゃんの孤独を解消することができる。誰だって一日中だれとも会話しない生活なんてむなしく感じるものだろう。
もう一つは老人福祉を行うためのもの。
今入浴、食事の提供、機能訓練、介護方法の指導及びその他の便宜を提供するだけでなく、その老人ホーム自体が一種の病院として機能しているもの。
今直枝理樹がいる老人ホームは規模こそは小さいものの病院としての機能を有するためこちらに該当する。この老人ホームでアドシアードで負ったケガの診察をしてもらうという約束もしていたくらいだ。
理樹は喫茶店トロピカルレモネードにて脱臼を、謙吾はアドシアード初日に骨にひびを入れている。
小毬の時間が空いたため、診察をしてもらうために理樹は裏庭へと謙吾を呼びに行っていた。
この老人ホームは都会の中心部から離れ、すぐ近くに森林があり、綺麗な山が見える自然に恵まれた場所である。森林に囲まれたグリーンセラピーを体験できるとでもいえばいいのだろうか。
小毬さんから聞くとことによると謙吾は今、薪を斧で割っている最中のようだ。
いくらボランティアと言っても包帯で腕をぶら下げている人間に介護してもらいたくはないだろうということで、謙吾は一人で黙々と薪を割ることにしたらしい。
片手で大丈夫かと聞いてみたら問題ないと言っていたけど本当だろうか?
「謙吾。小毬さんが呼んでるから一緒に……謙吾?」
「ああ、理樹か」
「どうかした?なんか考え事しているように見えるけど」
謙吾の近くには割られた……というよりバッサリと切られた薪が山積みにされている。仕事の方ははかどっているようだけど、なにやら考え事をしているようだ。長い付き合いだ。何も言わなかったとしてもそれくらいは分かる。
「さすがに片手で斧で割っていくのは流石に疲れると思ったから、『雨』で魔術を用いて切っていったんだが……ここ、魔術の調子がちいつもとはちょっと変わっていてな」
「調子悪いってこと?」
科学の力とは違い、魔術の力はその日その日によって力が変動することがある。
科学の兵器の典型例たる銃の場合、いつ引き金を引こうが威力に違いは出てこない。
理樹の超能力みたいに相対的だが不変の能力も存在することは事実であるが、魔術や超能力といった異能の力の場合は場所や時間によって威力が異なることがある。そのため超偵は全力で戦うことができる時間が限られているため、自分のコンディションをいちいちテェックしているらしい。理樹は謙吾が魔術をうまく扱えなくなっているのかとも思ったけれど事実はどうやら違うようである。
「いや、逆だ。むしろ調子はいい。……良すぎるんだ」
「なら問題ないんじゃない?何も実害は出てないんだしさ」
「それはそうなんだが、この感触は似ていると思ってな。ちょっと気になったんだ」
「似ている?どこと?」
実家が魔術を受け継いでいるから
「星伽神社だよ」
消去法的に自然と謙吾の実家たる宮澤道場に関係のあるところとなる。
星伽神社。イギリス清教さえも新参者と断言するような伝統と格式のある男子禁制の神社。
「星伽神社と似てるって……つまりどういうこと?」
「青森の恐山なんかは霊を呼びやすい場所して有名だ。それと同じように魔術の恩恵を受けられる場所というものがある。この老人ホームもひょっとしたら地脈でも通っているのかもしれないな」
「それって問題あるの?例えばおじいちゃんおばあちゃんの健康を害している要因になりうるとかさ」
「むしろラッキーな方だろう。魔力を使うのに体力が必要ということは、逆にいえば魔力をもらえれば気休め程度でも体力を取り戻すことができるということなんだ。この老人ホームを設計した人間はラッキーだったな」
ちょっと見て回っただけであるが、ここで生活しているご老人たちはみんな元気がある。
謙吾の言うように地脈による恩恵を受けることができるというもの理由の一つであるだろうが、病院と言っても差支えのないほどの医療設備のおかげだと思う。でも、そもそもの疑問は一つ。病院と言っていいほどの設備を、なぜ一介の老人ホームにあるのだろうか?
理樹は医療関連にさほど詳しいわけではないものの、個人経営の病院よりも豪華な機材がそろっている。後で小毬にそれとなく聞いてみようかと考えていた理樹は、謙吾と一緒に診察室に入ると
「ゴホッ……ッ!!」
苦しそうに肩を上下させながら激しく咳をしてむせてしまった。
その理由は、
「初めまして、朱鷺戸です」
小毬にこれから診察すると言われて案内された診察室に入室した理樹を、隠れて見守っていると言っていた朱鷺戸沙耶が白衣を上に着て出迎えたのだ。予想だにしていなかった展開に息が詰まる理樹を謙吾は心配そうにのぞいていた。
「風邪かしら? 専門ではないけれど、そっちの方も見ておこうかしら。じゃあ直枝君。診察するからこっちの椅子に座って」
「あ……はい」
「じゃあ沙耶ちゃん、理樹君お願いね。私はこれから謙吾君とレントゲン取りに行くから。それじゃ、行こうか謙吾くん」
「分かった。じゃあまたな、理樹」
謙吾と小毬が出ていった後、理樹はジト目で沙耶を見つめた。
「……何やってるの朱鷺戸さん」
「あたしは
「そうじゃなくてさ、朱鷺戸さんは隠れて僕を見張っているのだとばかり思っていたからさ」
「別にそれでもよかったんだけど、こうした方がいろいろやりやすいかと思ってね。ほら、医師と患者という組み合わせなら話していても疑問はないでしょ?」
直枝理樹と朱鷺戸沙耶が東京武偵高校において会話してはならない理由は、急な接近によって錬金術師に沙耶の正体が露見することを避けるためである。でも、そこに理由があったなら?病院で医師と話すことには疑問はない。朱鷺戸沙耶は自然な形で理樹と接近してきたのだ。
「小毬さんと知り合いだったの?」
先ほど小毬さんに案内されたとき、小毬さんは朱鷺戸さんのことを沙耶ちゃんと呼んでいた。小毬さんは人懐っこいから二人が友達であるかはまだわからないところだけれど、面識があるのは確かだろう。
「この老人ホームは『機関』が経営しているのよ。もしも何かあったときのために一般の病院だと政府の手がかかってしまうから、万が一の時の隠れ家としてこういった個人経営の場所が必要だったのよね。他にもなん箇所かあるわよ」
「だからこんなに設備が充実しているのか……。ん?ってことは小毬さんって朱鷺戸さんと同じ『機関』の人間?」
「この老人ホームを拠点に活動しているから完全に無関係だとはいいがたいけど、小毬ちゃんは『機関』のことは何も知らないわよ。『機関』が裏組織であることは否定できない事実だけど、犯罪組織ではないから安心なさい。……まあ、全くの白とはいいがたいけど。第一、あの子がエージェントって感じがする?」
「それもそうか」
朱鷺戸さんが言っていることが本当ならば、これほど心強いことはない。
錬金術師オルメスが襲撃してくるとしても、こちらは自分のホームで戦うことができるのだ。
しかも、仮に負傷してしまったとしても医療関連の道具に困ることもない。
「ねえ朱鷺戸さん」
「何?」
沙耶によって左腕を物は試しと動かされている最中に、理樹は尋ねてみる。
「イ・ウーの魔術師。本当に来ると思う?」
「さぁね。来るとしても本人ではなくてあの砂の人形かなんかだと思うわ。理樹君の話によるとあれは会話できるみたいだしね」
「その場合でも大丈夫なの? 返り討ちって言っても倒すだけじゃ意味ないでしょ?」
魔術師にとって式神は使い捨ての道具に過ぎない。犬やカラスなど動物をもとにしている場合は別だとしても紙や砂の場合は失っても何も痛くない。現に理樹だっていったい錬金術師の式神を右手で粉砕している。人間相手ならともかくとして、砂なんていう具体性のない流動的なものを捕まえることはできるのだろうか。しかも、理樹の場合は右手で触れただけで粉砕しかねないときている。仮に捕まえることができたとして、拷問しても意味がない気がする。それでは目的である錬金術師の居場所を突き止めることができない。
「そこは任せておきなさい。あたしに策があるわ」
「どんな?」
「教えないわ。これは私一人で実行できるものだし、変に感づかれたくはないからね」
「無茶だけはしないでよ」
「あら、あたしの心配をしてくれるの?」
現在進行形で命の危険性があるとしたら沙耶ではなく理樹である。自分の心配だけをしていればいいのに他人に気を配るなんて変わって奴だと沙耶は率直に思った。そして、そんな余裕があるのだとしたら別の人間に向けてほしいとも思う。
「あたしのことはいいから、理樹君は友達の心配をしてなさい。『機関』は犯罪組織ではないとはいえ、『機関』やイ・ウーになんかは小毬ちゃんを絶対にかかわらせたくはないからね」
「うん、気を付ける。でも、なんだかんだで朱鷺戸さんも気を配っているんだね」
現時点でも朱鷺戸沙耶ン対する理樹の評価は出会ったころとは一転している。最初の出会いは最悪だった。なにしろ命を狙う
でも違ったのだ。
もう理樹は沙耶に対してそこまでの悪印象は抱いていない。
「朱鷺戸さんも今日の流れ星を一緒に見ない?」
鈴の付き添いという形での参加だとはいえ、小毬さんと一緒にみることになっていた流れ星。
この老人ホームの屋上で見るということになっている。そんなことをして小毬や鈴に巻き添えによる危険があるのではないかと危惧して専門家の意見を聞いてみたら大丈夫と判断されたので流れ星を見ることになっている。真人や謙吾は興味なさそうな反応だったけど、朱鷺戸さんはどうだろう?
「遠慮しておくわ」
「屋上には砂なんて存在しないから襲ってくることは杞憂だと思うけど、監視のために来ることは充分に考えられるからね。あたしは一応理樹を遠くから見張っていることにするわ。うまく見つけられたら御の字だしね」
「なんかゴメンね」
「目立つ形で一緒にはいられないけどあたしも流れ星くらいなら見ることができるかもしれないから、気にせず楽しんできなさい。――――――うん、腕の方はもう何ともないみたい」
沙耶は動かしていた理樹の腕を離す。それと同時に小毬が謙吾を連れて帰ってきた。
「ほら、身体の方での障害もでてないみたいだしもう行きなさい」
「うん、またね」
何を話していたの?と聞いてきた小毬に対して何でもないよと答えた理樹は、仕事のボランティア活動を再開することにした。
●
夜になる。小毬と鈴の二人は老人ホームの屋上に出た。理樹は一歩下がって二人の後をついてきている。野郎二人が流れ星なんか興味はないとかいうことで来ていない。さっさと寝るらしい。
「知ってる?流れ星が流れたら、三回お願いすれば叶うのです」
「願いごとか……」
「まだ見えないけどね」
朱鷺戸沙耶曰く理樹は稀にしか見られないようなラッキーボーイとのことであるが、理樹自身は運がない方だと認識している。流れ星が見られるかどうかは小毬と鈴の運にかけることにした。
「流れ星が流れるようにって、何にお願いすればいいのかな」
小毬の発言の思わず吹き出してしまう。
ちょうと理樹も同じことを考えていたのだ。そのことを正直に話すと小毬さんのおかしそうに微笑んだ。
「流れ星なんて見るのは生まれてだよ。鈴は?恭介と見に行ったりした?」
「なんであんなバカ兄貴と一緒に見にゃならん」
「ないんだね……」
理樹が恭介と出会ってからの出来事はすべて幼なじみ全員で行ってきたものだ。だから理樹が体験していないことは自然と鈴も体験していないことが多い。流れ星を見ることだってそうだ。いつも恭介がやろうと唐突に言い出して、彼らはそれに飲み込まれていく。流される口なのかもしれないけど、それで後悔したことはない。もしも恭介が流れ星を見に行こうとか幼いころに言っていたら、全員で見ることもあったのかもしれないなとか理樹は考えていた。今まで理樹は流れ星なんて微塵も興味もなかったし、恭介との遊びだってやってみるまで興味のないことが多かった。
「恭介といい小毬さんといい、見つけることがうまいんだね」
「何を?」
「素敵なこと。小毬さんの瞳は、普通に人よりもいろんなことが見えるみたいだね」
心からそう思った。
けど、小毬さんはちょっぴり困ったような微笑みを返してきた。
「私は普通だよ。理樹君だって鈴ちゃんだって、今よりももっといろんなことが見えるようになる。それに気が付いていないだけなんだ」
そうだ、思いついた。小毬さんはそう言った。
彼女は祈るように両手を組み、目を閉じて願い事を流れ星にささげようとする。
ちょうどその時だった。
理樹と鈴は、小毬の願い事に呼応するかのように流れ星が流れたのを見た。
「あなたの目が、もう少し、ほんのちょっとだけ。見えるようになりますように」
二つ目の流れ星が流れる。
小毬さんが願ってくれたおかげなのかとも思ってしまう。
「どうしたの?」
「思い出したの。マッチ売りの少女のお話」
「マッチ売りの少女?」
「大晦日の夜、マッチ売りの少女は天国へと行くの。最後の流れ星と一緒に、少女の命も燃え尽きちゃうの。……目が覚めて、おにいちゃんの夢が消えていくときと同じように」
小毬さんは心のどこかでお兄さんのことを感じ取っているのかもしれない。
理樹は祈る。
小毬さんの兄。実在の可能性だって捨てきれない優しい兄。
もしも勘違いとかなんかではなく、隠された秘密が存在しているのだとしたら。
その秘密が、悲しいものではありませんように。
そう思ったのに。
「――――――待って。マッチ売りの少女?流れ星?」
小毬は急に頭をおさえ、何かを考え込んでしまった。
どうしたのかと顔を覗き込んでいると、小毬の表情が徐々に真っ青になっていったことに気が付いた。
「大丈夫か、小毬ちゅん!」
「ッ!!」
急な変化に対して心配になったせいか、鈴が初めて小毬のことを名前で呼んだ。
小毬は以前からあれだけ鈴に名前で呼ばれたがったのに、うれしく思うような輝かしい笑顔は帰ってこない。それどころか瞳から光が失われつつある。
『小毬、流れ星を見に行こう』
『俺がお話を聞かせてあげる。流れ星に込められてた願い事を叶えてくれる優しい魔法使いのお話。タイトルは――――――』
『小毬ちゃん、あなたが全て忘れてしまうとしても、あたしは何一つとして忘れずにいるわ。あなたのことも、拓也さんのことも。だって、あたしは―――――――――』
小毬の口から言葉にならない悲鳴が上がる。理樹と鈴の二人で支えるが、小毬の身体からは力が抜け言っている。小毬は二人によりかかるようにして気を失ってしまうが、その前に一言つぶやいた。
「――――――――――――思い、出した」
●
「………やっと見つけた」
理樹と別行動する形になっていた朱鷺戸沙耶は老人ホームの屋上ではなく裏口近くにやってきていた。
今、彼女の右手には砂が力強く握りしめられている。
(いくらイ・ウーの関係者だとはいえ、この場所が『機関』の拠点だとは思ってなかったでしょ)
謙吾が魔術を使ってみての感覚に違和感を感じたのは理由がある。
この老人ホームにはある種の結界が貼られているのだ。結界と言っても防御や妨害の目的で作られたものではない。むしろ逆だ。地脈と龍脈の恩恵を受けられてようにしてあるため本来以上の力がだせるようなになっている。そのため、ちょっとした魔術でも大きな痕跡を残す。沙耶は夜という暗闇が支配する環境の中で砂の化身をすぐに見つけられたのはそのためだ。
(……東京武偵高校の時に残った砂には理樹君の超能力で痕跡が跡形も残っていなかったけど、この砂があれば問題なく逆探知の魔術が使える)
相手が魔術なんてインチキを使うのなら、こちらも魔術を持って対抗するまでのこと。
理樹の周辺を監視している最中に見つけた砂の化身をナイフを投擲して倒し、その残った砂を触媒にして逆探知を開始する。
(……この場所なら反動も少ない。あたし自身のケガも軽症で済む。手当だってすぐにできる)
沙耶は足で地面に円を描き、円の中心部から同距離の位置するようにあらかじめ用意しておいた折り紙の鶴を四か所に配置した。
(……あたしの逆探知の魔術は魔力の持ち主の居場所を今の居場所を原点とした座標データとして認識する。つまり、これでアンタのアジトを突き止めてやるッ!!)
沙耶は魔術を使ったと同時、彼女はゴホゴホッ!!と痰が詰まったような息を吐き出して口を押えた。咳が止まると、口を押えていた右手に吐き出された彼女の血が付着している。沙耶は今にも倒れそうになりながらも、それでも結果を出した。ふらつく頭を押さえながら、携帯電話のGPSを立ち上げる。得られたのは座標データだけであり、地図がなければ具体的にどこを示しているのかわからない。GPSにて確認すると、
「……え?」
どういうこと?という疑問が漏れる。
沙耶の魔術の結果出てきた居場所は―――――――――――東京武偵高校、
潜伏先は教務科でした。みなさん予測できましたか?
バルダとジュノンがアドシアード期間においても探すことのできなかった場所という条件には当てはまる場所なんですよね。
沙耶についてですが、魔術を使ってみたり小毬の老人ホームが『機関』との関わりを持っていたりと謎が出てきたことだと思います。近いうちに明らかになるので楽しみにしていてくださいね。
では、次回は教務科に忍び込むお話です。
デュエルスタンバイ!!