「――――――ン?ここは……謙吾の部屋?」
直枝理樹が目を覚ましたのは
「真人……」
「よう、起きたか」
真人はすぐに気付いてこちらを向いた。
「何ともねえよな? すげえキャッチだったんだぜ、だが誰もいやしねえ。ったく、みんなに見せてやりたかったぜ」
「ありがとう真人。信じてたよ」
「へへへ……ったく。なんで目撃したやつがいねえんだ。すげえアンラッキーだったんじゃねえか。幸い中の不幸をいうか」
「僕はラッキーだったよ」
「そっか。じゃあいいや。とりあえず助かって何よりだ。それにしても危なっかしいったらありゃしねえ、フェンスが緩くなっていたみてえだな」
そうみたいだねと返事を言いつつも、あれが偶然なんかじゃないことぐらい想像はついていた。
『ゲームスタート』
そう告げた彼女の姿を思い出す。理樹が朱鷲戸沙耶の殺意を思い出す。どうしてそんなものをもたれたのだろう? 屋上にて彼女は『夜の校舎』がどうのこうの言っていた。理樹としては夜の校舎においては銃声が聞こえたと思ったら、いつの間にか取り押さえられていたという認識でしかない。しかし彼女にとっては違うのだ。直枝理樹にとってなんでもないことであったとしても、朱鷺戸沙耶にとっては致命的は出来事だったのだろう。
「とりあえず助かって何よりだ。危機一髪だったな」
「うん、真人と真人の筋肉にはどれだけ感謝の言葉を並べてもたりないよ」
「はっ、よせよ。筋肉が恐縮してるぜ」
真人がいなければ死ぬところだった。これは紛れもない事実である。けど、困ったことに今の理樹には情報が少なすぎる。朱鷺戸沙耶が自分を事故に見せかけて殺そうとした理由がわからない。今回は偶然通りかかった真人に運よく救われた。けど、偶然なんてそうそう続くもんじゃない。こういう時に頼りになる味方は今はいないのも痛い。恭介はまたどこにいったか分からないし、こういう場合連絡すら取れないこともある。来ヶ谷さんだって今はアメリカに仕事で行っている。謙吾は先日のアドシアードでのケガがまだ治っていない。ならば、直枝理樹のとれる選択肢は一つだけ。
(……僕がもう一度あの朱鷺戸沙耶とかいう女の子と相対するしかないか)
生憎、この東京武偵高校において殺人未遂だなんて日常茶飯事のことでしかない。アリアと白雪が本気の殺し合いをしている光景を自分の部屋で見てしまっているし、殺人未遂程度のことで
(不自然なほど静かだ……誰もいない)
異質な気配を感じて振り向いたら砂がいた。もちろん砂が廊下にあること自体はおかしくもなんともない。問題は砂が人の顔の形を形成していることである。顔面しかないという気持ち悪さで頭がくらくらしてくる。おそらく魔術による代物なのだろうと頭では分かっているのだ。そして、理樹には魔術に対しては絶対的な能力があることも。けど、あまりに不気味な光景は、まるで異世界に迷い込んだようにすら感じられた。
『2年Fクラス出席番号22番、直枝理樹』
そいつがしゃべった。
『2年Fクラス出席番号22番、直枝理樹』
繰り替えした。理樹が何の反応もしめさなかったからか。
『TK-010がお前と接触した。心当たりがあるだろう。それは誰だ』
(なんだ? 何を聞かれているんだ?)
『そうか……なら今回のことは誰にも話すな。話したら――――』
理樹は怖くなって逃げ出した。直枝理樹の持つ超能力に、魔術だろうが超能力だろうが問答無用で粉砕するという一種の
「……ハぁはぁ……はぁ……」
理樹が隠れる場所として選んだのは、近くにあった男子更衣室。グラウンドのそばにあるこの更衣室は誰でも利用できるものだ。更衣室に駆け込んだ理樹は立ち止まってようやく汗をびっしりと書いていることに気が付いた。息切れも激しいのが、単に全力で走ったからだけではなく恐怖から生じた不安も交じっている。あれがイ・ウーからの刺客なのか。峰理子。ジャンヌ・ダルク。イ・ウーという言葉を口にした彼女たちが可愛らしくすら感じる。なんとか心を落ち着かせようとした理樹であったが、どうやら現実というのは薄情らしい。
「――――――ッ!!」
この更衣室はグランドで運動する人たちのためのものゆえ、意外に砂が更衣室内部に存在しているのだ。この砂が一か所に集まって再び顔を形成した。悲鳴を挙げて慌てて出ていこうとした理樹であったが、彼が更衣室から出ようとしてドアを開けた瞬間に彼の首に何かが巻き付いた。引っ張り出されて空中へと浮かんだときになってようやく縄のロープだと気が付いた。罠だと思うだけの心の余裕すらない。今の理樹はロープで首を絞められる苦しみの前に意識が遠のいていく。
「はっ!」
気合とともに一閃。理樹の首に蛇のように巻き付いていたロープが切断され、理樹の体が地面にたたきつけられる。そのままへたり込む。解放されてからもしばらく息を整えるのに時間がかかったが、謙吾が助けてくれたんだということすらわからなくなるほど動揺してはいなかった。
「大丈夫か? イタヅラにしてはたちが悪いようだが」
「大丈夫、ありがとう」
「――――――ん?」
「どうしたの?」
「今更衣室の後ろを誰かが走って行ったな」
「それって砂? それとも女の子!?」
「砂?また妙な質問だな。しいていうなれば……影だ。人影で、俺の目に狂いがなければおそらく女生徒だろう」
謙吾の目に狂いなんてあるはずがない。なら、女生徒というのは一人しかいない。朱鷲戸沙耶。
彼女の可能性が高い。自殺に見せかけてまた殺そうとしたのだろう。
●
(……どこだ。どこだ?)
直枝理樹は夜の校舎を歩いていた。二度失敗したからと言って、朱鷺戸沙耶が理樹の暗殺を諦めてくれたなんていう保証なんてどこにもない。この一件にはきれいさっぱりとした決着をつけない限り、理樹の精神は疲弊していくことは明白だ。だから先に動くことにした。朱鷺戸沙耶にしろ、あの砂の顔面にしろ。何か手がかりをつかまない限りは現状を打破することはできないだろう。
角を曲がるときは、まず先をのぞき見る。常に精神を消費する行動は常に感覚を研ぎ澄ます。頭が痛くなってくる。昨日は油断していたんだだなんて言い訳は実戦では通用しない。気を抜けば一発アウト。即死だってありうる。
『あなたは今夜にでも拉致されるでしょう』
そう言っていた彼女の言葉がいよいよ現実味を帯びてきた。焦っては相手の思うつぼだと自分に言い聞かせた心臓の鼓動を無理やりにでも抑え込む。夜の校舎をうろついてみるが何の手がかりもつかめないままじりじりと時間だけが過ぎていく。朱鷺戸沙耶がすぐにでも襲撃してくるような気配はない。仕方ないので目標を砂の顔面に切り替えて、砂が多いグラウンドの方に向かうことにした。グラウンドの近くに位置する体育館の傍を通りかかったとき、理樹はビリリッ!という電気音を聞いた。
「ええ!?」
反射的に振り向くと、ゆっくりと電柱が倒れてくるところだった。倒れて地鳴りのような倒壊音が鳴り響く。聞いた電気音の正体はショートした電線だった。どういう操作をしているのかは分からなかったが、電気を帯びた電線が束になって理樹を襲う。最初の一本目はかろうじてかわすが、バウンドした電線はさらに絡まり、次第に全く予測できない動きになっていく。辺りを見ればそこかしこに切れた電線が蛇のようにとぐろを巻いている。
「うわぁああああああ!!!」
理樹は電線の鞭をくらってしまったが、彼に命中したのは幸いにも電気の部分ではなくて、感電しないようにと設置されているゴムの保護カバーの部分。なんとか感電による即死だけは免れることができた。
この時点で分かったことは相手はここでわかりやすく銃で狙ってきてはいないということだ。ここは仮にも武偵高であるので、直枝理樹が銃で撃たれて死ぬようなことがあっては問題なのだ。第一に犯人は逃げられないし、事件があったことが公に公表されてしまう。ひそかに行動したい者たちには問題があり、事故に見せかけようとしている。
理樹を殺すだけなら狙撃手でも雇えばいいのだ。理樹の観察能力は注目できるレベルであるが、遠くまでは見きれない。なにより、直枝理樹がまだ生きていることがなによりの証拠だ。
けど、だからと言って安心する要素にはならない。今が夜ということで視界も悪かったことが作用したのか、理樹は頭上からの飛来物に気が付かなかった。謎の飛来物は理樹に当たった瞬間にはじけ飛び、中身が理樹の全身にふりかかる。自分の頭にぶつかったものを確認すると、破けた風船とその中に入っていた液体。
「――――――しょっぱい!! これ、もしかしなくても塩水!?」
しかも、体にかかった水からは若干の塩辛さまで感じていた。
水。この物体に恐怖を覚えた。宮沢謙吾の扱う魔術は水だ。
だからこそ理樹は水について詳しく勉強したことがある。
そして、一般常識としては水は電気をよく通すことなんか今更でもある。
水に濡れれば感電しやすくなる上に、塩水なら効果倍増だ。
風船が次々に割れ、周囲に塩水による水たまりができる。
このままでは水たまりを通して理樹の関電は確実だ。
(落ち着け、冷静になれ。この状況を打破するには……あれだ!!)
理樹の異能の力は魔力にたいしては最強の力を誇る一方で、科学の力に対しては何もできない。やってくるものが魔術による電流ならば立ったままでも受け流せるが、今のままでは黒焦げが確定だ。しかも本人には電流から逃げ切れるだけの運動能力はないときている。
なら。
狙うのは、電気をかわすことではなく電気自体をとめること。
狙いはただ一つ。倒れた電柱の先にある変圧器から伸びるケーブル。
筋肉での破壊は真人ならともかく理樹にはできないが、理樹には己の銃コンバットマグナムがある。この銃は『歴代最強の大泥棒』とされたパーティーの一員の次元大輔という男が愛用したことでも知られる銃だ。破壊力にも定評のあるマグマムにおいてこれくらいの破壊は造作もない。
「――――――!!!」
理樹が急に振り向いた理由は本人にもわからない。気配を感じたとか、殺気を感じたとか、第六感に基づくような事前の予兆はなかったはずだ。でも振り向いた。どうしてだが理屈での説明は他人どころか自分ですら納得できるものを用意することはできないけれど、後ろにいることが分かってしまった。実際、サーカスの玉乗りで使われるほどの大きさ砂の顔面像が、大きく口を開けて理樹の首をもぎ取ろうとしているところだった。
「ヤバいマミるッ!!!」
これに対処できたのはほぼ偶然に等しい。理樹がとった行動は何とか距離を取ろうとして砂の顔面像を両手で押しのけただけだ。一応は理樹の右手にはオカルト粉砕超能力が宿っているから、右手で触れただけで砂の顔面像は粉砕はできる。……できるのだが、不意打ちに対処できるかといえば微妙なところだ。理樹本人としては最初から右手の超能力で乗り切ろうとしたわけではなく、たまたま
「理樹君。あなたおもしろいわ」
ビクビクしていた理樹に声がかけられる。正面を向くと朱鷲戸沙耶が目の前にいた。
彼女は理樹を威嚇するでもなく、自然体で彼の正面に立っている。
「あたしはもう、あなたを殺さないことにしたわ」
「……本当かな?」
「あなたは三度、あたしの罠を掻い潜って生き抜いて見せた」
「内二回は友達に助けられたんだけど」
「偶然であったとしても現にあなたは今生きている。『聖人』なんかは露骨に表れるんだけど、運にうまれつき恵まれている人間は現に存在しているわ。あなたはもそういう星のもとに生まれてきた強運の持ち主なのよ。……それに、今見せてくれた超能力。あたしに必要なものを持っているんだわ」
何が言いたいのか、と理樹は直接聞いてみた。
今まで暗殺しようとしてきた人間が態度と一変させる理由は何なのだ?
「あたしと手を組みなさい」
「君に殺されかけた、僕と?」
「ちょうどパートナーが欲しかったところなのよ。生憎と今、『機関』の仲間が外に出ているしね」
「なんて都合のいい……」
「あなたは仮にも武偵でしょ?武偵は過去のことを禍根に思っているようではやっていけないわよ。第一、あなたには選択肢なんて最初からないはず。イ・ウーにマークされたのなら、あなた一人でどうこうできる相手ではない。どうするの?あなた一人では逃げ切れないと思うけどね」
朱鷺戸沙耶が行っていることは交渉ではなく強迫だろう。理樹に要求を呑む以外の選択肢が現時点では与えられていない。沙耶の言っていることを要約すればこうなるのだ。
『協力しなかったらあなた、近いうちにイ・ウーに殺されるけどそれでいいの?』
そうだ。根本的な話からいうと、直枝理樹にはイ・ウーだなんてアリアですら対抗できるかわからない組織を相手にできるはずがない。沙耶の要求を呑むにしても、イ・ウーと戦う未来になることは間違いないことだ。直枝理樹の生存確率を上げるためには朱鷺戸沙耶の要求を飲んで彼女に協力するよりも、棗恭介や来ヶ谷唯湖にでも泣きついて戦わずして逃げ切る道を模索する方が確実性がある。理樹だって自分の命を簡単にどぶに捨てられるような人間ではない以上、本来なら即答で逃げるという選択をするのが当然だ。きっと責められるようなことではない。
ただ、彼はその選択をしないのは気にかけていることがあるからに過ぎない。
峰理子。
ハイジャックの時に相対したイ・ウーに所属する少女。
彼女のことがずっと気がかりになっている。友達になって力になりたいと本気で思っている。
自分の命の安全性をとるか、それとも危険を冒してイ・ウーというものに近づいてみるか。
あの謙吾ですら不覚を取るような相手だ。下手を打って仲間を巻き込むわけにもいかない。
天秤が微妙に揺れ動く中、朱鷺戸沙耶はもう一つのメリットを提示した。
「……あなたの超能力の正体、知りたくない?」
沙耶は爆弾発言をする。
魔術を代々受け継ぐ星伽神社の関係者たる宮沢謙吾がさじをなげた意味不明超能力の正体。
彼女はそのことに言及した。
「君は……この能力のことを知っているの?」
「全容を知っているわけではないわ。けど、少なくともあなたが知らないことは確実に知っているはずよ。どう?働きによっては教えてあげてもいいわよ」
「僕は恭介の『リトルバスターズ』の一員だよ?」
「別に公式なパートナーになれっていうことじゃない。私の協力者になってほしいだけよ」
理樹はリトルバスターズの人間として生きる。これだけは命を懸けたって譲れない。チームの一員を引きぬくのは難しくても、協力、いわば同盟見たいのを組んでいる組織なら実は多く存在している。
(……悪い条件ではない。彼女が僕を狙ったのは彼女の障害になるというだけで、それがなければ問題はあの砂を操っている者だけだ)
自分が安全であるための理屈を考えているが、心のどこかで思っていた。
この人は別に悪い人じゃない、と。
探偵科の人間としては、先入観を持って行動するのは悪いことだけど。
理樹の直感では信じてもいいと思う。
「わかったよ」
「じゃ、よろしく」
彼らは握手を交わし、先行き不安なコンビが誕生した。