「そろそろ会えると思ってたよ峰くん。いや、『武偵殺し』って呼んだ方がいいか?」
来ヶ谷唯湖と峰理子。
まずは来ヶ谷が口を開いた。
彼女の前に立つ理子にはAクラスの明るくおバカな人気者としての姿はない。
むしろ、自分から話し掛けておきながら来ヶ谷を警戒しているかのように冷たく鋭い視線を彼女は宿している。一方で、Fクラスの引きこもりの少女(決して出番とか活躍だとかいう意味ではない)には武偵殺しに対する敵意や殺意は感じられない。
それでも、理子は来ヶ谷を脅威のない相手だとは思わなかった。
殺気がない人間と殺気を完全に隠せる人間では、表に見せる仕種は同じだとしても本質は全く違うものである。来ヶ谷唯湖は昔イギリス王室の関係者として外交を担当していた少女だ。
世間様のことを何も知らないガキが出てきたと見くびっている相手をカモにして交渉相手にトラウマを植え付けてきた人間でもある。政治が分かる人間特有の腹芸ができる以上、殺気を完全に隠し通すことができたところで不思議なことはなにもない。
それに、来ヶ谷は理子のことを『武偵殺し』と呼んだ。
本来そのことを知るはずはないのだ。
武偵少年法により犯罪を犯した未成年の武偵の情報は公開が禁止とされていて、そのプロフィールをやり取りすることは仲間の武偵同士でも禁忌とされ、知ることができるのは被害者と限られた司法関係者しかいないのだ。
キンジもアリアも、彼女のチームメイトの直枝理樹だって誰にも教えていないはずなのだ。
「おいおい。そんな顔するなよ。誰から聞いたなんて分かりきっていることだろう? かわいらしい顔が台なしじゃないか。第一、君の方から声をかけてきたんだ。失礼だとは思わないのか?」
「一般論を語る前にお前は自分の過去を見つめ直せ。前にローマ正教とイギリス清教の総長同士の正式な会談の際に、書記をしていたローマの武装シスターを何十人も失神させたそうじゃないか」
「え、あれ私が悪いのか?。向こうが陰謀論を信じているみたいに勝手に私を警戒して緊張して、なんか向こうが緊張の許容量超えたみたいに失神しただけなんだが……。私は今君に何もするつもりはないからとりあえず安心しておけ。……働きたくないし」
おそらく、彼女は敵意を表に出さないように隠しているのではなく、ホントに敵意がないのだろう。
理子とこうして遭遇したことなんて、道端で知り合いと偶然出くわした程度のことだと言わんばかりだった。
「とりあえず礼をのべておこうか。うちのバカを殺さないでくれてありがとう。死亡による欠員が出たチームに入れ代わりで加入というのは、さすがの私だって後味の悪いものを感じるからな」
「別にお前に感謝されることじゃない。理樹があの飛行機に乗り込むことは直前に連絡を受けてたし、今後も
「……。誰のことだか知らんが、じゃあそいつに感謝しておくとするよ」
来ヶ谷はかばんを広げ、何かの書類一式が封入されているであろうA4サイズの大きな封筒を取り出す。紐とボタンで封がなされたタイプのものだ。
「君に渡すように頼まれていたものだ。渡す前に聞いておきたいことがあるがいいか?」
「聞くだけならすきにすればいいさ」
「『バルダ』って何者だ?」
「お前みたいなめんどくさい連中の行動を制限するためにジャンヌが作った架空の仮面だろ?それが分からないお前ではないだろう」
「……そうか」
「どうかしたか?」
「アドシアードでバルダと名乗った魔術師が現れた。
「……お前は、東京武偵高に実際に魔術師が潜んでいると思うのか?私がちょっと前まで通っていた中で」
「灯台下暗しって言葉がある。私はいると思ってる。場所が東京武偵高という外部からの介入がしにくい環境であるから、アドシアードの時のようにイギリス清教の魔術師みたいな外部戦力も呼ぶことなんかできない」
そうかい、と理子は封筒を受けとる。
そして、ふと思い付いたかのように一人の少年の名前を口にした。
「なぁ、理樹くんは元気か?」
「君に振られた程度で落ち込んで何もできなくなるような少年ではないさ。気になるならさっさと東京に戻ってきてくれ。敵の敵は味方の概念より、君も東京武偵高校にいてくれた方が都合がいいしな」
「私が言うのも変かもしれないけどさ、やっぱり狂ってるよオマエ。いやオマエラか?佳奈多とモミジと合わせて『
今理子の前に立っている来ヶ谷にしても、この対応は異常なことのはず。
峰理子とは、自身の昔馴染みの母親に冤罪の罪をなすりつけた相手だ。
峰理子とは、自身の昔馴染みを殺そうとした敵だ。
峰理子とは、自身の仲間の理樹がハイジャック以来ずっと気にかけている相手だ。
峰理子とは、バスジャックにより多くの武偵高校の生徒を傷つけた相手だ。
それでいて、理子のことをよく分かっている友達だと思っているわけでもないのに彼女への敵意がないとはどういうことだろう。それに敵の敵は味方だとしても、共通の敵に立ち向かうためにあっさりと仲良く手をつなげる人間は良くも悪くもそうはいない。きっとまともな人間の思考ではないのだろう。
「じゃあな」
しかも、書類を渡したら要件は済んだというように来ヶ谷はあっさりと理子に別れの挨拶を口にして去ろうとする。理子はそんなマイペースな少女に声をかける。
「ちょっと待てエリザベス。私と取引しないか?」
「嫌だめんどくさい。本来ヨーロッパ人特有の
「じゃ、言い方を変える」
「……」
「エリズベス、お前を楽しませてやるから私を助けてくれ」
「――――――ふむ。して、何をする?」
●
ボストンはニューイングランドの中心都市だ。
イングランドという名前がついているけどイギリスではなくアメリカの地名である。
アメリカ独立運動の拠点となった場所でもあるからニューイングランドは歴史的に見ても史跡や博物館も多い観光の名所でもあるのだ。
(……姉御はイギリス清教の人間だから、わりとゆかりがある場所なんだろうけどさ、)
そして。とあるボストンの博物館の前で。
「……英語わかんないから観光案内見ても全然わかんないんだよねぇ」
三枝葉留佳は一人、地図を片手に途方に暮れていた。
葉留佳は来ヶ谷の持つ委員会のメンバーであるため、助手ということでアメリカまでついてきたのはいいものの、来ヶ谷が大学で講演している間はすることがない。
わりと数学が好きではあるが講演が英語で行われる以上、講演を聞くという選択は論外だ。
ゆえに、せっかくだし観光の名所をとりあえず回っていたわけではあるが、
「……まいったなー。完全に迷子だ」
葉留佳は現在地が分からなくなっていた。
見渡せども見渡せども見えるのは高層ビル。
英語ができない以上は道行く人に助けを求めることができない。
一応地図には宿泊先のホテルに丸をつけているから最終手段タクシーというのがあるが、わざわざタクシーを使うような距離ではない。
ヒマだしちょっと外を出歩いてみようとか考えてしまった結果がこれだ。
後でため息をつかれるかもしれないけど、最悪姉御に迎えに来てもらおう。
「……やるしかないか」
葉留佳はバッグから本を取り出した。
アメリカ行きの航空機のビジネスクラスに乗っている際、熟睡する姉御の真横で目を充血させて読んでいた本である。タイトルにはこう書かれていた。
『今日から始める英会話。〜中学レベル〜』
入国審査の英語ですらカンニングペーパーを用意した葉留佳では不安要素だらけなのが現実である。
「プリーズ、テール、ミーザ……」
ヒドイ棒読みカタカナ英語を復唱しながらなんとか地図で現在地だけは認識して置くことにして、
「……あれ?」
ふと。
どこかで見覚えがある服を見た。
というか、
(……あれって東京武偵高の制服?)
葉留佳の視界に映ったのは、見慣れた東京武偵高校の制服を着ている少年だった。
正確には、制服の上から一回り程大きいサイズの白衣を着ている少年だ。
白衣、ということは
白衣が邪魔して制服をよく確認できないけど、肌の色は有色系。アジア人だろう。
確認してみる価値はある。もし仮に東京武偵高の生徒でなかったとしても、日本語が伝わるならば、ノープロブレムだ。
残念な迷子という立場から無事に脱却できる。
これで相手が後輩だったとかなら格好悪い姿を見せることになってしまうが背に腹は代えられない。
「あ、あのっ!」
呼びかけてみたが、振り向いてすらくれなかった。
「あのっ!そこのお方っ!」
平然と無視される。
白衣の人物は何事もなかったかのように自分の足を緩たりはしなかった。
「白衣を上に着ている東京武偵高の制服のお方っ!」
ひょっとしたら薄情な人なのかもしれないが、こちらには人を選り好みできるだけの余裕はない。
けど、どうやらそんな心配は杞憂だったようだ。特徴を示して呼びかけたら振り向いてくれた。
「ん?」
「やっと返事してくれた……。いじわるで無視されているのかと思った」
「いや、違う人のことだと思って。俺に話し掛けてくるやつなんてそうそういないからな」
日本語で返事をしてくれたことに葉留佳は安堵の表情を浮かべ、顔を確認する。
(……それにしてもこの人、どこかで見たことあるような、ないような)
身長は170センチくらい。赤茶髪の髪の色をした人物だった。
武偵高校の制服の上に白衣を着ているなんてファッションセンスがおかしいのではないだろうか?
格好からして独創的なので、学校では目立つはずだ。
にもかかわらず葉留佳は普段学校でこんな人物は見たことがない。
ひょっとしたら武偵病院勤務のお医者さんなのかもしれない。
もしそうなら普段見かけないのも納得できる話だ。
でも、どこかで見たことはあるような気がする。
直接見たのは初めてのような気がするなら、写真か何かだろうか?
葉留佳の思考を遮るように、白衣の少年は話しかけてくる。
「それで、俺に何か用か?」
「……実は道に迷いまして」
「なんだ、迷子か。マヌケな奴だな」
「なんだって何ですカ!私、英語できないから相当心細かったんですよ!今だって、日本語が通じる相手でどれだけ安心したと……
「お、おいおい。分かったから涙目になるなよ。何かおごってやるから元気だせ、な?な?」
20分後。
ベンチに座ってカリフォルニアオレンジと紙コップにアルファベットで書かれているオレンジジュース(定価7ドル)を笑顔で飲んでいる少女の姿があった。
近くの屋台で売っていた高級オレンジジュースだ。
機嫌が治った葉留佳を見て、一緒にベンチに腰掛けながら自販機の安物ミルクティー(定価1ドル)を飲んでいる白衣の少年は呆れた様な声を挙げる。
「……金を出した俺に何か一言あってもいいと思うのだがな」
「うん!ありがと」
「一言かよ。にしても、おいしそうに飲むな。食べ物で機嫌とろうとした俺が言うことではないけど小さい子供みたいだぞ」
「アハハ。でも、オレンジジュース好きなんだよ。なんか、飲んだら身体の疲れが治るどころか、体力も戻るし」
「……お前、
「え?い、いや!? 違うけどどうして?」
「お前たしか
「そうだけど、私の場合はちょっと特別なんだ。来ヶ谷の姉御がイギリス清教として
「……まぁ、あそこは魔術を学ぶ場所というよりは
ふと。
今の言葉に葉留佳は疑問を感じた。
今、この少年はさらりと魔術やら
いや、それ以前に魔術や超能力という技術さえも一般には知れ渡ってすらいないのだ。
なのに、この人物は料理人が料理の際に隠し味のワインをどのタイミングで入れるかを語るみたいな実際に慣れ親しんだ者の口調で言った。
ひょっとしたらこの人は
医療系の超能力を持つ
「えっと……」
そのことを聞こうとしたが、名前すら聞いてないことに気づく。
向こうは私のことを知ってるみたいだけど、私は知らないから聞くのを忘れていた。
「どうしんだ?」
「名前、聞いていい?私のことは知ってるみたいだけど、私は
ああ、と言ってから白衣の人物は名乗った。
「俺は
姉御が理子のことを誰から聞いたかわかりますか?
理樹でもアリアでもないですよ。
よかったら考えてみてくださいね。
……まあ、すぐにわかるような気もしますけど。