アドシアード最終日の三日目。
誰かが失踪したり、正体不明の魔術師が現れたり、平和なはずの喫茶店に混沌が訪れたりすることなどなくこの日は何事もなく進行した。こうして言ってみると平和そのもののように思えるが、それが当然のことであることを考えたら素直に喜んではいられない。
何かトラブルがある方が稀なはずであるが、ここ数日のトラブルとのエンカウント率を考えたら平和な方が珍しい。
『――――――――以上を持ちまして、アドシアードの競技はすべて終了となります。本日の実況解説は、委員会連合所属、放送委員長来ヶ谷唯湖と、』
『アシスタントの三枝葉留佳でお送りしましたっ!』
『それではこれより、東京武偵高校の女性陣によるチアが始まります。邪魔な野郎どもはいませんので、どうか眼の保養にでも』
『あ、姉御!オンエアなんだから邪魔とか言わないほうが……』
『それではお楽しみ下さい』
イメージアップ戦術のチア、アル=カタ。
ステージに立つのは見栄えする女の子たちで、野郎たちの姿は排除されている。
『
野郎どもは舞台裏に隠れ、ギターを弾いたりして音だけ送っているのだ。
『
曲が急にアップテンポになると同時、左右からポンポンを持ったチアガール姿の女性陣が笑顔で舞台に立つ。そして、チアガール姿の女性陣の花形、つまり中央に立っていたのは、
(……私、なんでこんなところにいるんだろう?)
東京武偵高校が誇る秘蔵っ子である生粋の箱入り娘、星伽白雪だった。
思い出す。白雪がこんな場所に立っている理由はなんだったか。確か失踪した白雪の代わりにアドシアード運営をやらされていた棗先輩のいたずら心で出場メンバーの所に名前を書き換えられたからというものだったはず。棗先輩曰く、面白そうだから。
『な、棗先輩!私はチアなんてできません!』
『いいじゃないか、チアくらい。ふりつけ考えたのは星伽だって聞いてるぞ。別に踊り方を知らないわけでじゃないんだろ?』
『それはそうですけど……』
『星伽神社のことならそう気にするな。お前は神社にとって大事な人間だ。そうそう無下に扱われたりしないって。いざとなったら、うちの謙吾でもつれて説得にいかせるからさ。それに……やってみたいんだろ?遠山だって見てるぞ』
勝手に失踪した負い目もあるせいで白雪は恭介に強く出れないでいた。
それに、本当はやってみたいと思っていることを指摘されて即座に否定できないことが、彼女の本心を物語っていた。
一応アドシアードの運営は委員会連合と東京武偵高校生徒会の共同で行われているため、監督者の許可が必要だと反論してみたものの来ヶ谷さんに笑顔でGO!サインを出された。
東京武偵高校在籍の三人の委員長のうち、風紀委員長である二木さんはジャンヌ逮捕に伴いやることができたため運営などに構ってられず、整備委員長の
消去法により事実上の代表は来ヶ谷さんだった。
チアの練習なんてしていないと反論したら二日目に練習すればいいとアリアに一蹴され、生徒会の仕事に逃げようにも棗先輩にすべて持って行かれた。
しまいに、やらなければ先日の花火大会にキンジと二人で出向いたことを星伽神社にばらすと謙吾くんに脅され、ものの見事に外房を埋められた。見事なまでに手際がよかった。
(……やるしかない、ね)
こうなったらもう、白雪は覚悟を決めるしかとれる選択肢がない。
『
』
だから白雪は笑顔を作り――――
●
「……うわぁ。珍しいものを見た気がする」
先程までアドシアードの実況解説者のアシスタントをしていた少女、三枝葉留佳は驚きの声を上げていた。視線の先は東京武偵高校生粋の優等生、星伽白雪。葉留佳と白雪は格段仲良しというわけでもないが、同じ学科に所属するものとして面識があるだけ予想外であったのだ。葉留佳の中に、白雪がこうした表舞台に出てくるイメージがないのだ。
「どうした葉留佳くん。ひょっとして君もチアに混ざりたかったのか?衣装ならあるぞ。なんなら今から参加するか?」
「い、いやそれは遠慮しておきたいかなーって。それにしても、一昨日は白雪姫が失踪したって聞きましたけど案外元気そうデスナ」
「そりゃ元気だろうさ。何せ、失踪というより誘拐に近かったんだ。問題の本質が白雪姫本人にもあったとはいえ、外部から何の接触がなければ何もなかった以上、彼女本人が戻ってきたら完全に元の鞘に戻ることが出来る。失踪してから時間もあまりたってないから時間の溝という大きな壁ができることもないしな」
失踪には大きくわけて二つある。
一つは、誘拐という形で連れ去られた場合。
もう一つは、自分から姿をくらました場合。
前者は他人に、後者は自身に本質的な問題がある。
どちらが解決が難しいかといえば、明らかに後者だろう。
誘拐なら犯人を見つけだして奪い返せば万事解決といくが、自分の意思で姿をくらましたなら見つけたところでどうしようもない。見つけたところで当の本人の意思が変わらなければ何の意味もないのだ。
今回は誘拐の類だったため、何事もなく元の鞘に戻ることが出来た。
白雪をわざわざ説得するまでもなく、彼女はもともとの居場所に残ることを望んでいたのだから。
「……失踪した人が戻ってきてくれたら、また以前のように暮らるものですかネ?」
「喧嘩したみたいな明白は理由が分かっているならまだしも、理由不明の突然の失踪なら難しいだろうな。謝って万事解決にしようにも、それ以前にどうしてという戸惑いが邪魔をする。今回の白雪姫のことだって、地下迷宮で見つけられなかったらお蔵入りになっていたんだろうな」
「……やっぱりそうなるですカ」
「君は失踪と聞いて何か思うところでもあるのか?」
「……へ?あっ、いや!、なんでもないですよ!」
そうか、と言って来ヶ谷は追求はしなかった。
葉留佳は一人、チアをやっている白雪を見てやはり何か思うところでもあるのだろうか、誰に言うでもなく心の中で呟いた。
(……また、あんな風に笑ってくれないかなぁ)
葉留佳は一人、切なげな表情で
葉留佳自身白雪とは話をしてみたい、とは何度か思ったことがある。
星伽神社という場所に生まれ落ちて、超能力というものを受け継ぐ一族に生まれ落ちて幸せだったのか聞いてみたいと思っていたのだ。
その答えは、あの笑顔を見ていれば分かってしまう。
別にうらやましいとは思わなかったが、なぜだか悲しい気持ちになるのはどうしてだろう。葉留佳は白雪のことを考えているはずなのに、彼女の視線はいつの間にか笑顔でチアをやっている白雪ではなく、本日空席となっている風紀と書かれている来賓席を見つめていた。そして、そのことに葉留佳本心は気が付いていなかった。
●
「おいこの大バカ野郎」
「……ん?」
生徒会長星伽白雪に代わり、生徒会長代理としてアドシアード運営をやっていた少年、棗恭介は呼ばれて振り返った。バカと呼ばれて自然と振り返るとか、悲しくはないのだろうか。のんきに振り返った瞬間、恭介は顔面をわしづかみにされた。
「いたたたたたっ!痛い痛いっ!」
「よくもまぁ気軽に呼び付けてくれたなぁ」
「おいやめろ!なんか頭蓋骨がミシミシ軋む音が聞こえる!『OverDrive』も割とキチガイじみてるんだから勘弁してくれっ!」
「今のあたしはオカルト系は一切使ってないぞ」
「……え?お前こんなパワーキャラだっ悪い悪い!パワーキャラ呼ばわりしたのは悪かったから握力強めないでくれ!」
頭蓋骨を人質に取られた恭介は降伏するしかなかく、頭蓋骨が解放されるまでしばらく時間が必要だった。
「――――ったく。今日はこの辺で許してやる」
「……怒ってる?」
「いや別に。久々に会えたんだしよしとしとくさ」
恭介は目の前に立つ人物を見つめる。
岩沢まさみ。
アドシアードの際の有事のためにわざわざ恭介が呼んでおいた人物だ。
「まず礼を言っておく。お前がいてくれて助かった」
「あぁ、初日のこと?なんだかよく分からん連中だったなぁ」
「謙吾は怪我したみたいだが、生きていてくれたならそれでいい」
「そういってもらえたら時間がなかったから壁ぶっこわして進んだかいもあったよ」
岩沢まさみはアドシアード初日、
「2000万だっけ?ぶっとんだが、まぁ許してくれ」
「いくらか残ったみたいだけど、来ヶ谷が寮会に金いらないから別のものよこせと交渉したらしい」
「あいつ何したんだ?」
「一つは謙吾の単位と治療費に200万ぶんどって終わりにした。あいつは金もらうより恩売った方が特だと思ったんだろうな」
「……あいつも相変わらずみたいだな。リスクリターン計算がえげつない。会計なんてやってたらそんな人間になるか。そういや、レキは元気?」
「変わりないさ。あいつの場合、それがいいことなのか悪いことなのかよくは分からないがな。なあ、この後時間あるならご飯でも一緒に食べに行かないか?」
「そう。せっかくだけど、戦妹(アミカ)連れて来てるからまた今度でいいや」
「そいつも一緒に連れて来いよ」
「あたしの意図分かってる? ちょっと前から来ヶ谷が私の
「ちょっとまて!」
「久々に顔見れてうれしかったよ。じゃ」
「おい、待てまさみ。待ってくれ。いや、待ってくださいっ!そして話し合おうじゃないか、な!?」
先程とは違う意味での悲鳴が恭介から響いた。
●
白雪も参加させられたアル=カタ。
このチアを見ている人物の中には謙吾もいた。
左肩にヒビが入ったと自己分析する容態であった謙吾は、小毬に包帯を巻いてもらっただけでチアを見にるためにこの場に来た。
レントゲンを撮った方がいいと言われたものの、後でと言ってワガママで行動しているようなものだ。
『
謙吾はチアを見てはしゃくでもなく、ただ静かに眺めているだけだった。けど、
「……謙吾?」
謙吾には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「どうかしたの?」
「……なんでもないさ、理樹」
なんでもない。それは理樹に言ったことでもあると同時、自分に言い聞かせたかのような言葉だった。
(……そうだ。これくらいはなんでもないことだ。この程度のことで一々感傷的になってどうする)
星伽巫女として白雪に与えられている使命は知っている。かつては謙吾自身だって、星伽神社の使命に準ずることこそが生まれた意味であり、幸せなのだと考えていたことがある。
世間的には人権を無視されているような扱いだったとしても、世界という大きな物を守るという偉大な使命を貫くことこそ、特別な自分に相応しいとさえ考えた。けど、違ったんだ。もう自分はそんな風には思えない。
(……世の中にとって特別な人間なんて存在しない)
世界にとってはだ。
けど、個人は違う。
謙吾はリトルバスターズが大切だし、白雪はキンジが大切だ。
今はこう思う。
星伽巫女には世界なんてものは絶対に守れない。
世界を守る宿命があったとしても、白雪には無理だ。
昔、山篭もりとか始めたバカを回収しにやってきた恭介と初めて会った時に聞かれたことだ。
『お前、世界なんてものがどういうものか知ってるのか?』
俺はなにも知らなかった。
知って、初めて守りたいと本気で考えるようになった。
自分は友達と思える人たちと出会い、弱くなった。もう世界のためになんて理由で戦えない。
同時に自分は昔よりもずっと強くなった。大切なものがなにか分かっているから。
『よし謙吾。今日から俺達は友達だ。一緒に世界を見に行こう』
くだらないことから大切なことまで、いろいろ学んだ。
それは星伽神社なんかに引きこもっていたら絶対に手に入らないもの。
いくら優れた魔術を受け継いていたって、そんなものはたかだか魔術程度にすぎないのだ。
(……俺がもっとしっかりしていたら、あいつにもしてやれることがあったんだろうな)
謙吾は星伽神社の一員として殉職した奴も知っている。
それが幸せだったのかどうかなんて分からないけれど、違う未来もあったんじゃないかと思うと後悔が止まらない。
「……あれ?」
気がついたら、謙吾の瞳から涙が溢れていた。
悲しくて泣いているのか、嬉しくて泣いているのか。
本人ですらそれは分からない。
『
アル=カタをやっている女子達がポンポンを天高く投げ捨て、ポンポンの中に隠し持った拳銃にと空砲をバンバン撃っていた。
『
舞台にセットされていた銀紙の紙吹雪が、チアの女子達の回りに巻き上がる。
(……
アル=カタのチアをやっているのも、
昔、謙吾が恭介に連れられて遊びに出かけたのもそう。
昔、白雪がキンジに連れ出されて花火大会に行ったのもそうだ。
結局は、自分のやりたいことをやっただけの話なのだ。
まだまだ問題は残っていて、白雪は星伽神社の抱えていることに立ち向かっていかなければならないだろう。それでも今だけは、ちょっとでも前に向かって進みだしたということを祝福しよう。
「……よかったな」
アル=カタのチアで息を切らし、今はもう屈託なき笑顔を会場に向けている白雪を見て謙吾は呟いた。
その呟きは会場の歓声に掻き消され誰の耳には届かなかったが、白雪には届いたかのように紙吹雪が舞う。アル=カタな演出のための紙吹雪。それは今、謙吾にとっては白雪が踏み出す新たな人生への祝福を示しているかのようだった。
これにてアドシアード編は終了です。
次回から新章に入ります。