過去のことだから客観的に思い出せる。昔の、ずっと昔の話だ。客観的に判断して、宮沢謙吾いう少年は星伽白雪という少女ののとを心の底から軽蔑していたのだ。かごのとり呼ばわりされている星伽巫女たちを哀れんで、現状から脱却しようともしない彼女たちを軽蔑したわけでない。
「……あのね、この間キンちゃんがね」
白雪の頭には一人の友達のことしか頭になかったことに対して軽蔑していた。
そんなことをばかり考えていたことに何してるんだと思っていた。
かごのとり? 言わせておけばいいじゃないか。
だって、自分たちは普通とは違う存在なのだから。
特別な存在なのだから。
魔術というものを受け継ぐ家系に生まれて、世界のために戦うという運命があった。
それはまさに、選ばれた限られた人間にしか与えられないものではないか。
かごのとり呼ばわりする連中の戯れ事なんて気にしなくていい。
所詮は守られるだけしか能がない役立たずなのだろう。
俺達みたいな選ばれた人間には、世界という大きなものを守ることだけを考えていればいいだろうに。
今振り返ると嫌な子供だったなと思う。
そんなことを平然と主張できる謙吾に変化が訪れたのは、一つの出会いからだった。
そいつは、どういうわけか道場の敷地内に勝手に入ってきたやつだった。
なんでも勝手に山篭もりなんて始めた身内《バカ》の回収に来たらしい。
一つだけ年上の少年だった。遊ぼうぜ!と言ってきたそいつに俺はなんて返したんだっけか?
「俺には世界を守るといい選ばれた者が持つ使命がある。くだらない遊びに付き合っているヒマなどない」
たしかこんなだったか?
そしたらそいつは俺のことを面白い奴だ、と笑った。
何がおかしい、と問い詰めたら奴はこう言ったのだ。
『お前さ、世界がどんなものか知ってんのか?』
予想外の答えであった。
どこかささくれ立っていた何かに刺激を与える程度には。
背筋が凍ってしまうような衝撃を一瞬で体験してしまう程度には。
●
『わたしは、だぁれ?』
蛇に見込まれた蛙は恐ろしさのあまり身がすくんで動けないという。
ジャンヌと平然と超能力を併用した戦いを繰り広げれられる謙吾が感じたのは純粋なる恐怖。
得体の知れないものは、何より1番怖い。
突然の状況に恐怖する。
まるで毒蛇にかまれそうになっている状況を知覚したようだった。
(……なっ!?)
反射的に距離を取ろうにも背中を向けた状態で真後ろを取られている。
何かされても回避はしきれない。すぐにでも殺される可能性も否定できない。
「!?」
反応はほぼ反射的だった。蜂が皮膚に触れているなら迷わず振り払おうとするかのように、考える時間など存在しなかった。謙吾は急いで水を背中付近に割って入るように生成し、爆発の要領で弾けさせる。理樹の魔術爆弾を制作しているのは謙吾だから、どうやれば水を爆発させられるかも分かっている。
「がぁあっ!!」
元々爆弾は中距離兵器。近接戦闘で使うものではない。自身の近くで使用した場合、巻き込まれてしまうことが多いからだ。理樹とコンビを組む場合でしか使用しない魔術だが、この際そんなことを言っていられなかった。この不気味な存在と、無理矢理にでも距離をとらなければ殺される。そんな直感があった。爆発により10メートルは軽く飛ばされた謙吾は、
地下倉庫は爆薬の倉庫だが、謙吾たちがいる広間は無数のコンピュータが立ち並ぶHPCサーバー。いわゆるスーパーコンピュータ室。床を抜くレベルの爆発物でない限り、引火はない。
(……痛ッ!!左腕が逝ったか)
いた仕方なかったとはいえ爆風で距離を取るなんて元々無理がある。死にはしない出力だとはいえ、爆風を生身で受けてコンピュータに身体を変な姿勢でたたき付けられて左腕一本ですんでマシだと判断すべきか。
(後ろを向いていた以上剣では間に合わなかったとは言え……及第点だとはとても言えないな)
いや、問題は、
(……背後を取られても話し掛けられるまで存在に気づかなかった? この俺が?)
感知できなかったことだ。そういえば、来ヶ谷も話し掛けられるまで気づかなかったとか言っていた。
あの女がボケっとしていて気がつかなかったなんてずいぶんとマヌケな話だとは思っていたが、そんなわけがない。なにかある。警戒を解かず、必死に情報を集めようとして、彼は思考がとまる事実を聞くことになる。
「……お前、誰だ?」
(……!ジャンヌも知らないのか!?)
ジャンヌが名前を聞いた。
ならば、ジャンヌの仲間が駆け付けた、ということではないのだろう。
第一こんな不気味な奴が不意打ちの爆発程度で倒せるとは思わない。
距離を稼ぐ目的ゆえにそこまで強く使えなかったということもある。
疲れでなく冷や汗をかく謙吾が聞くのは丁寧な言葉遣いの言葉だった。
「私の名前ですか。そうですねぇ。何ならバルダでいいですよ。ジャンヌ・ダルクさん」
「ふざけるな。バルダは委員会連合を欺くために私がつくった架空の存在だ」
「では、名前をお借りします。はじめまして、バルダといいます」
貴族らしい丁寧な言葉使い。
この場においては不気味さを強調する部品にしかならない。
爆風による煙が消えて現れたのは無傷の男だった。
一本足りとも移動していない。
(……不意打ちのあの距離で無傷?バリアでも張っているのか?)
理樹のようなふざけた能力は考える必要はないだろう。あんなのが世界に何人もいたら星伽神社の権威なんて当の昔に失墜している。吹き飛ばされた謙吾は感覚から判断して、おそらく左腕腕の骨にひびが入った。左腕に力が全く入らない。左腕に水を薄く纏い、痛みを鎮火する。あくまでその場凌ぎ。根本的にはなんの解決にならない。右手で『雨』を持ち、謙吾はバルダに向かい合う。怖じけたら負けだ。
「宮沢謙吾さん。そういえばあなたには花火大会の夜に邪魔してくださった借りもありましたね」
「その時の復讐か? お前の狙いは来ヶ谷だろ」
「本来の目的は違いますよ」
やつは狙いをあっさりと口にする。
「私の組織のことを裏でコソコソと探っているスパイのような奴がいます。私達は目障りな犬を消したいのです」
「スパイだと?」
「私の見立てによると、犬はエリザベス様の手の者だと思っていたんですけどね。……警告のつもりで実際にエリザベス様と接触し、部下について言及してみても手応えがありませんでした。また、あの後彼女の周りについて調べてみても特に何も出てこない。私個人の意見としまして、エリザベス様の来日はイ・ウーを探るようにとのイギリスからの命令かとでも考えていたのです違ったようです」
「……なぜ?」
「元々ジャンヌ・ダルクの計画に対する対応を見て判断するつもりでした。委員会連合へと放ったこちらのスパイからはエリザベス様は白だという報告を受けていますが、私としては正直疑わしい所でしたので。自分で調べてみるのが1番手っ取り早いですからね」
待て、と一息入れたのはジャンヌだった。
「……私の計画を詳しく知っているのは峰・理子・リュパン四世と夾竹桃、そしてあの女だけだ。一人はしくじって刑務所だから、お前の理論だと理子かあいつがスパイということになる。あの女がスパイははずがないだろう」
「えぇ。でも、何が原因で心変わりするかわからないものですよ。私は彼女が多重スパイかと疑ったのですが、違ったみたいです。スパイは内部の人間でないことが分かりました」
気になることを言われた。
「委員会連合に……スパイがいる?」
どいつもこいつも一癖も二癖もある連中の中に、イ・ウーに精通するスパイがいるということなのだろうか? あんなキチガイじみた連中の中にいて正体がバレていないとしたら、よほど危険な奴だろう。
(だからジャンヌ・ダルクはこんな状況を作り上げることが出来たのか?)
ジャンヌはバルダという架空の存在を作り上げた。
目の前にいる男はバルダと名乗っているが、ただ架空の存在の襲名をしているだけ。別人だ。
ジャンヌの協力者たるスパイがバルダという存在がいることを委員会連中に流し、事件への対応者に制限をかけたのだろうか?
そのスパイの手腕により恭介は白雪の代理運営に回され、風紀の長の資格を取れる実力者はいもしない存在を警戒する護衛役として釘付けにされ、そして、バルダがテロリストみたいなことを始める場合のためにもある程度の人数は残しておかなければならない状況下におかれたということだろうか?
「委員長連合にいるイ・ウーのメンバーが、ジャンヌの協力者。そんなこと口にして大丈夫なのか?」
「えぇ。所詮私の言葉です。どうせ誰だかわかりませんし、嘘なら嘘で勝手に疑心暗鬼に陥るのも私的にアリです」
「で、来ヶ谷にはどう思ったんだ?」
「なんとも言えませんねぇ。ジャンヌ・ダルクの計画を知っていた場合、こんな状況にはならなかったはすです。事実、今回来たのはあなただけだった」
「……」
「しかも、星伽白雪さんの捜索に人海戦術という手段を使いました。勿論、あれだけの人数を動かせる能力があるのは見事なものです」
いや、動いたのがうちな残念なクラスメイトたちならレキが賞賛されるべきだろう。いや、勇者村上か。
「しかし、人海戦術を取るということは無知だと示していることになります」
「じゃあ知らなかったんだろ。知ってる方がおかしい」
「私には
「考えすぎじゃないか?」
「エリザベス様なら腹芸なんか普通にやるでしょう。ですが、総合的に考えた結果杞憂に終わりそうです」
「なぜ?」
「花火大会の夜、実際に見てみて思ったことは、エリザベス様に関して聞いていた事前情報と実物がどうしても噛み合わない。類い稀なる才能ゆえに誰とも付き合えない一人ぼっち。見かけたときは驚きました」
謙吾が見てきた来ヶ谷唯湖という少女は確かに一人ぼっちだった。授業には出ない、そのくせテストはいつも1番。一年生の時、クラスの女子に嫌がらせされていても何一つ動揺せずに降り懸かる火の粉を消し飛ばしていた。確かに来ヶ谷にはぼっちの素質があるとは思う。
(……でも、あいつは)
『来ヶ谷さーん!こっちのタコ焼きも食べる?来ヶ谷さんのなくなっちゃったでしょ』
『有り難くいただこう。ほら鈴君!おねーさんが直々にあーんしてやるから膝に座るといい!』
『絶対嫌じゃーっ!』
『ゆいちゃん、変なことをしたらダメだよー』
『だからゆいちゃんは勘弁してくれっ小毬君!!』
楽しそうだった。
ぼっちを経験している人間は友達なんて数少ないが、その分だけ出来た友達を大事にする。
ソースは俺。
「エリザベス様が白となると、こちらの動きを探っているのは誰だ? いや、どこの組織だ?」
「……お前は、」
「はい?」
「スパイなんて探って何をしたいんだ」
「不安材料を消し飛ばす。エリザベス様が関わっていないななら、それならそれでいい。けど、誰が私を嗅ぎまわっているか確定はさせます」
「ヤバい計画持ちか」
「私は魔術師です。目的のためならなんでもやります。魔術師に自分の目的を捨てろとでも? それは無理な相談ですよ」
魔術師。
魔術なんて極端な奇跡に望みを求めてしまう人たちだ。
ただ家の都合で魔術を受け継いだひとたちとも、ただ生まれ持っている超能力があるだけの
彼らは彼らの、執念がある。
「……俺の仲間に、何かするつもりか」
「場合によっては。あなたたちが脅威となりうるのなら」
「……なら、今ここでお前は潰す」
「それは私にも言えること。脅威にならないならそれでよし。あなたはスパイへの牽制に生かしてあげます。脅威になるならここで死んで下さい」
●
謙吾は『雨』を右手に構えた。
左手が使えない以上は片手で持つしかない。
ジャンヌとの戦いから連戦になるため疲れはあるが、そんな泣き言は言っていられない。
勝たなければならない場面で負けるのはただの負け犬だ。
(勝負は短気決戦が望ましい)
謙吾はバルダまでの十メートル近い距離をゆっくりと詰め、三メートル近くなった瞬間、一気に踏み込んだ。水を纏う謙吾の剣はバルダの胴体に当たるが、手応えがない。
「……魔術を使ってこんなものですか?」
「……」
別に謙吾は驚きはしなかった。
手応えが逃げていく間隔がしたという仲間からの前情報もある。
(……手応えはない。けど
謙吾は水を操る能力者というより特殊な水を作る能力者。
麻痺系統の毒のような効果を持つ水を触れさせた。
(……俺の剣に触れるだけでバルダの力は自然と抜けていく)
あとは、隙という綻びができるまで続けるだけ。
イマイチ効いているとは思えない剣劇を繰り返し、その時が来た。
バルダの足が一瞬ふらついたのだ。
「……おや?」
今がチャンス!
謙吾は一歩踏み込む!!
(……攻式、一の型)
謙吾が求めるのは一瞬の勝負。ゆえに使う剣は最速の居合切り。則ち、
「――――燕返し!!」
鞘を捨てた剣による居合切り。空気抵抗を最小限にすることにより生み出される最速の剣。
バルダを殺さないために峰を使用したため威力はわずかながらに下がっているとは言え、人間を吹き飛ばすにはお釣りがくる。
「おっと」
「!?」
バルダがとった対応は回避だった。謙吾の剣を紙一重で回避した。
それも、危ないじゃないかと子供の遊びを微笑むかのように気楽な動作で。
(……どういうことだ!? ふらついたのが演技だったとして、『水』を受けたなら回避するだけの力なんてないらないはずだっ!!)
呆然としてはならなかった。そんな暇はない。
剣を振りきった今、謙吾とバルダの攻守は完全に逆転した。
バルダは拳で今にも謙吾の顔面を殴り付けようとする。
どちらかというと素人じみた拳。ただし、触れたらヤバい。ただの拳とは限らない。
その時だった。
バンバンバン!と
「悪い宮沢。遅くなった」
人が変わったような雰囲気を醸し出す少年だった。
情けない様子はなく、頼もしさを見せる少年だった。
彼は、星伽白雪の大切な人白雪が命に換えても守りたかった人。
「……遅かったな」」
遠山キンジ。
彼はもう、自分の無力を嘆くだけの存在ではない。
彼はもう、立派な白雪を広い世界へと連れ出してくれる、広い世界への案内人だ 。
さて、次回はキンジ回の予定です。
それはそうと、スパイという単語が出てきましたね!!
この時点でわかっているのは、委員会連合にジャンヌの協力者たるスパイが一人いるということ。
イ・ウー関連のことを嗅ぎ回っているスパイがいるということ。
バルダは同一人物だと思ったようですが、スパイが一人なのか二人なのか、楽しみにしていてくださいね!!