じゃあ、また会えたら会いましょう。
遠山キンジがその一言を聞いた瞬間、理子は空へと飛び出した。
「――理子!」
理子の制服はフルフリがついた可愛らしい特別仕様。
だが、武偵が単に可愛いだけの装備を着るはずがない。
理子の制服はパラシュートに変形し、理子はそのまま飛び去って行った。
(逃げられたか)
逃がしてしまった。それだけならまだよかったのだ。
「…………!?」
逃げた理子と入れ違いになるようにして、雲間から飛来するものをキンジは見た。
飛来する、というのも表現として正しいか分からない。何しろ光がやってくるみたいだったから。
(あれは……)
だが、今のキンジはヒストリアモード。
飛来する謎の物体の招待を単純な動体視力で捉えた。
あれは…………ミサイル!?
●
次の瞬間。
AN600便を乗る乗客は、激しい揺れを感じた。
●
「……何か破壊されたかな?」
「ア、アンタ、よく落ち着いてられるわね」
操縦席にて、理樹とアリアの二名は操縦捍を握っていた。
「確か……こう」
理樹は大胆に操縦捍を引き、機体が水平となる。
経験はほとんどないとはいえ、一操縦できていた。
「あなた、飛行機どれだけ操縦できる?」
「現実維持が限界。アリアさんは?」
「私も似たようなものよ」
二人は、暗にこう言っていた。着陸はできない、と。
『――31――で応答を。繰り返す。こちら羽田コントロール。AN600便、応答せよ』
すると、声が聞こえてきた。応えるように、
「こちら600便。当機はハイジャックされたが、コントロール権は取り戻した。今は乗り合わせた武偵が操縦してる。機長と副機長は負傷した。僕は、直枝理樹。あと神崎・H・アリア、そして遠山キンジ」
遠山くんは今いないけど、と理樹は思いながらも会話を進める。
とりあえずは羽田との通信はつながったのだ。
後は羽田の指示にしたがっていくしかない。
何かが破壊されたような音が聞こえてきたし、羽田に引き返すのが理想だ。
『……600便。操縦はどうしてる?自動操縦は切らないように』
「とっくに破壊されて、他にも何か破壊された可能性が高い。危険を考慮した結果、羽田に戻ることが最善手であるから、その準備をお願いします」
分かった、と羽田から返事があった。
とりあえずは待つしかないかな、と考える理樹は、キンジがやってくるのを見た。
「やった!これで着陸も問題なさそうだ」
「直枝、無事だったのか」
友人の安全を確認するが、安心するにはまだ早い。
「直枝、衛星電話持ってるよな?」
「使うの?」
「あぁ」
キンジは電話をかける。その相手は………
●
武偵、武藤剛気は携帯が鳴るのを見て、誰だ?と思った。知らない番号からかかってきたからだ。
『武藤、変な番号からでスマナイ』
「キンジか!? いまどこだ!? お前の彼女が大変なことになってるぞ!」
『カノジョじゃないが、アリアならここにいる。直枝も一緒だ』
●
「か……かの、かの!?」
「アリアさん止めて!錯乱して銃を取り出すのは止めて!」
●
武藤は、キンジとの会話で向こうの状況を把握する。根暗で女嫌いというあだ名のキンジに乗り物オタクと言われる男だ。オタクの名は伊達ではない。状況は手にとるように分かる。
(AN600便は最新技術の結晶だ。たとえエンジンが二基でも問題なく飛べる)
だとしたら、心配すべきことは、
(――――燃料計の数値か)
聞く。
ある場所についているメモリはどうなっているか。
『数字は今、540になった。少しずつ減っているみたいだ』
「!」
分かる。何が起きてるかが想像できる。
「燃料が漏れてるぞ!」
『燃料漏れ!?止める方法を教えなさいよ!』
「止める方法はない。B737‐350の機体のエンジンは燃料系の門も兼ねているんだ。だから、壊された以上どこを閉じても漏出を防げはしない」
『あとどれくらいもつの』
言いたくはない。けど、言わないわけにはいかない。
「…………15分。飛べて15分だ」
キンジは直枝が羽田にすでに引き返すように行動した、と言った。
それなら時間的にギリギリだろう。だが、
(――着陸はどうする?)
いきなりの素人がやれるものではない。だが、悪友はとんでもないことを言う。
『武藤、それに羽田の操縦士。手分けして一度に言ってくれ』
「お前……聖徳太子じゃあるまいし……」
『今の俺ならできる。すぐにやってくれ。時間がない』
キンジが何を考えているかを考えるのをやめにしよう。今はただ、友を信じるしかない。
●
直枝理樹は、なんとかなったと一安心していた。友人たる遠山キンジはヒステリアモード。
キンジは11人からなる言葉から着陸の方法を理解していた。
「さすがだね、遠山君」
『あぁ、いつものマヌケはキンジとは思えないぜ』
理樹は衛星電話にて乗り物オタクと会話していたが、
『……』
「武藤くん?」
急に声が届かなくなった。電波が悪くなったかな、と思う。しかしこの電話は衛星電話。
電波が悪くなった程度で使えなくなる代物ではない。
「……」
嫌な予感がする。それを証明するように、
『ANA600便。こちら防衛省、航空管理局だ』
衛星電話から、オタクの代わりに図太い声が聞こえてきた。
三人は顔を見合わせる。
(……防衛省?)
『羽田空港の使用は許可しない。羽田空港は今自衛隊により封鎖している』
「何言ってんの!?」
理樹は反射的に叫んでいた。
「燃料が漏れている以上、飛べたとしてあと10分!羽田空港しかないはずでしょ!」
『私に怒鳴っても無駄だ。これは防衛大臣の決定だ』
直枝、というキンジの呼びかけで理樹はようやく気づく。隣のアリアも息を呑んでいる。
(あれは確か……F‐15Jイーグル?)
専門が強襲科ではないからあやふやな知識だけど、あれは確か自衛隊の戦闘機。
戦闘機がピッタリと後をつけてきていた。
「あれは……」
「おい防衛省。あんたのお友達が見えるんだが」
『それは誘導機だ。誘導に従って千葉方面に向かえ。私たちで安全な着地点まで誘導する』
(…………)
アリアはさっそく指示に従おうとしたが、
「……」
理樹は無言で衛星電話を切った。
「何してるの!」
このバカァ!と理樹に突っ掛かろうとしたアリアの手を、キンジは黙って握りしめ、
「俺も直枝と同意見だ」
「キンジ?」
「防衛省は俺達が無事に着陸できるとは思っちゃいない。海にでたら撃墜される」
「そ、そんな……!この飛行機には一般市民も乗ってるのよ!?」
「公には『武偵殺し』に爆破されたとかになるんじゃない?」
さて、と理樹は操縦捍を握る手が汗ばむのを感じた。
汗ばんだ手で、理樹は横浜方向へ舵をとり、彼等は方針を決める。
「向こうがその気なら、こっちだって人質をとるぞ。直枝、アリア、地上を飛ぶぞ」
●
ANA600便はついに東京都に入った。
アリアは燃料のゲージを見る。あと七分だ。
(……すぐにでもこれからどうするべきか決めないと)
焦る。だが、焦れば焦るだけ一秒、また一秒と時間が過ぎていくのを感じられる。
アリアの才能は遺伝性のもの。
しかも、受け継いたのは戦闘に関するものだけだ。
作戦みたいに頭を使うタイプは正直苦手。事実、これからどうしたらいいか皆目検討もつかない。
(曾お祖父様なら解決策が思い付いたのかしら)
きっと、そうだろう。
私は理子と戦って、パートナーの必要性を思いしらされた。
そして、今はパートナーがいる。
けどキンジもどうするか決めかねているようだ。
対して、理子も救おうとしたバカは逆に落ち着いていた。
まるで自分がこれからなにをするべきか悟ったかのような達観した印象を受ける。
(……ひょっとして、こいつには何か秘策があるの?)
アリアも、そしてキンジも落ち着き払っている理樹に期待の視線を向け、彼等はバカの一言を聞いた。
バカは衛星電話で誰かに連絡を入れて、
「誰かぁあああぁぁ――――――――――助けて下さぁぁあああぁぁい!!!」
助けてと叫んだ。
●
理樹は、アリアからもらったタンコブをイタタとさすりながら、信じていた言葉を聞いた。
『そうだ。それでいい』
それは、理樹が最も信頼している人の声で。
『自分の力でどうしようもなくなったら助けてと叫ぶ。これは当たり前のようでなかなかできないことだ』
それは、理樹が今1番聞きたかった声だった。
「恭介!」
●
武偵、武藤剛気は当然切れた電話を前に戸惑っていた。
「武藤分かったぞ! この電波パターンどこかで見たことあると思ったら……防衛省が関与してやがる!」
通信科の仲間が言う。
防衛省。
武藤はキンジたちの状況を理解しながら何も出来ることはないことを悟り、絶望しかかっていた。
「クソ!俺達はまた何も出来ないのか!」
また、というのは以前のバスジャックで何も出来なかったから。
制限時間は分かってる。
でも今からお役所仕事に対し文句を突き付けてもゲームオーバー。
キンジたちを救うべく集まった仲間たちが集う教室全体が俯く中、変化があった。
パソコンの画面が変わる。テレビ電話だ。
そして、映し出されたのは一人の女学生の顔。来ヶ谷唯湖だ。
(……委員会連合の女が何を言いにきたっ!)
来ヶ谷唯湖は放送委員会の一員。つまり、国の一員だ。なら、国の命令で武藤たちを止めにきたのだと思ったが、彼等は予想を反する言葉を聞く。
『彼等を助けたかったら今すぐ行動しろ! 助かる方法が一つだけあり、成否は君達にかかっている!』
●
キンジとアリアの二人は、恭介の提案に対し言葉が出せなかった。
「……しょ、正気ですか棗先輩」
『やらなきゃ死ぬだけだ』
本気で言っているのかと戸惑うキンジに対し、恭介が示すのは単純だが確実な事実。
お前ならできる、なんていう励ましの言葉ではなかったが、それゆえに腹をくくるしかなくなった。
『エンジン2期のB737‐350なら着陸に2450mは必要だが、レキからの報告によると風速は南南東で41,02m。だったら着陸距離は2050mでいい』
「……ぎりぎりだね、恭介」
アリアは今だに言われたことに硬直しているが、理樹はというとすぐに準備を始めていた。こういう無理や無茶なら、場慣れしているもんである。
「な、直枝!マジでやるつもり!?」
「『学園島』に突っ込むわけじゃないでしょ?」
「そうだけど……」
棗先輩はこう言った。
人口浮島たる『空き地島』へ突っ込めと。
「しかし棗先輩。あそこは本当にただの浮島ですよ。誘導装置も誘導灯も何もないはずです」
『それなこっちで何とかする』
「無茶よ!実現できない理想論にすぎないわ!」
だがアリアは無茶を無茶と言いきった。
だから、
「なら、俺達と一緒に心中するか」
「死んでもお断りよ」
「初めてアリアと意見があったな」
「なにそれ」
「俺も――アリアを死なせたくない」
真っ赤な顔の女の子を見ながら、キンジは改めて決意する。
アリアを死なせはしない。俺とアリアと直枝、三人とも無事に帰るんだ。
飛行残り時間が三分を切ったあたりで、東京湾が見えてきた。
ゆうに、ヒステリアモードは結論をだす。
(こんなん……どうしろってんだ)
東京湾は暗闇に包まれている。
当然、誘導灯も誘導装置もない。着陸のための角度や高度、一切分からない。
直枝から受け継いたメインの操縦捍を握りながら、絶望感がキンジを襲う。
そこに、
「大丈夫よ。キンジ、アンタならできる。武偵を止めたいなら武偵のまま死んだら負けよ。それに私だって――――まだママを助けてない!」
そして、
「心配ないよ」
自分の仕事は終わったとばかりになぜかRELAXしている直枝は言った。
「僕は基本的に何もできない。けど、皆は僕と違って何かできる」
皆。皆とは誰かと聞こうとしたら、その皆が話し掛けて来る。
『キンジ!見てるかバカ!』
「武藤!?」
友人は叫んでいた。
『お前が死ぬと泣く人がいるんだ!だから俺、車輌科で一番デカイモーターボートパクってきちまったんだぞ!
●
キンジ達を助けようとしたのは武藤だけではなかった。
『――――キンジ!』
『機体が見えてきたぞ!』
『後少しだ!がんばれ!』
かつてバスジャックに巻き込まれ、彼等に助けられた人達だった。しかも、それだけではない。
「お、来たな」
「お前まで来ることなかったんじゃないか?」
「そういうな、恭介氏」
来ヶ谷に恭介まで見に来ていた。
見に来ているだけで、来ヶ谷は今何かをしているわけではない。ただ見てるだけだった。
でも、それだけでよかったのだ。もう彼女がすることはこの場にはなかったから。
(……見事に光ってるな)
武藤たちは学園島から空き地島に渡り、装備科の懐中電灯で誘導灯を作っていた。
これなら誘導に乗り、理樹くんたちも帰ってこれるだろう。
(……非常識だな)
目の前の光景を見て、みんな真剣なところ悪いとは思うがおかしくなってしまう。
「恭介氏」
「ん?」
「いつもこんなバカな真似をしてるのか?」
「なんだかお前……楽しそうだな」
楽しそう?
なら、私は今笑ってるのかな?
「そうか?」
「ああ、そうだ。あのおてんば姫が意識を失ってから、お前はしばらくの間自分を責め続けていた。イギリスにいたお前を日本に来ないかと誘ったのは俺だったが、お前、少しだけだが昔のように戻っているぞ」
「……せっかくさそってもらったのに、入学早々東京武偵高校から一年近く離れていたとことは悪いことをしたと思っている」
「別にいいさ。気にもしていない。それがお前にとって必要なことだったんだからな。実際に無条件でというのもどうかと思っていた。お前にとって気に入らないようなら、好き勝手にお前はお前でやるべきだと思っていたからな」
そうか。なら、
「こんな最高にバカな真似ができるのはそうはいない。そして、バカは見るよりする方がいい」
だから、
「返事が遅くなったが、楽しませてくれよ」
ザシャアアアアアア!と強行着陸をした非常識な航空便を見ながら、来ヶ谷唯湖は言った。
「さて、私の入るチームの仲間を回収しに行くか」
風力発電所の柱に翼を当てて、グルリと機体を回すように滑らした航空便を確認してから、来ヶ谷はある人を見つけ、声をかける。
「二木女史。君も来ていたのか」
「……無茶な真似をしますね」
「これからは私もそんなバカの一員だから何も言えないな。ところで、佳奈多くんは何しにここへ?」
「予想ついてることを聞くのは趣味がいいとは思えませんよ、来ヶ谷さん」
「風紀委員としての取り締まりなら一斉検挙だ、大手柄だぞ」
そうですね、と風紀の長は賛同しつつ着陸に無事成功した仲間の名前を呼ぶ武偵たちを見てから、
「……私が来たのは国からの命令ですが、後で始末書書かせればいいでしょう。あなたの方で校則違反者をリストアップしておいて下さい」
「了解した」
二人の委員長はやれやれと、しかし優しげな笑みを浮かべていた。