遊作の活躍も今から楽しみです。
書店『ナンバーズ・アーカイブ』を出た後の理樹たちは、一旦休息を取ることとした。
理樹たちが美魚の護衛のために気を張り続けて疲れたというわけではなく、単純に美魚が少し何か口にしたいと言い出したからである。美魚自身の記憶が混乱しているために、彼女が最後に何かを口にしたのはいつなのかもはっきりとしていないのだ。
「棗さん、直枝さん。私のわがままですいません」
「全然いいよ。西園さんは朝食べたかもよく分かっていなかった状況だったんだし、お腹がすくのは当然だしね」
美魚とは名古屋駅周辺に存在していた公園で遭遇した。
その時に理樹たちはお昼ということでサンドイッチなり各々弁当を食べていたために、美魚がまだ何も食べていなかったことが頭から抜けていたのだ。美魚自身、お昼どころの話ではなかったということもあって忘れていたのだろう。
「サンドイッチを買ってきたけど、何か要望でもある?卵とかカツサンドとか、欲しいものをどうぞ」
「私はもともとそんなに昼は食べるタイプではないですし、少しだけで大丈夫ですよ」
「そう?食べきれなかったら、後で僕や真人で食べるから残しても全然大丈夫だよ。このカツサンドとか後で真人たちと食べようと思って勝ったのもあるから、好きなだけ食べてね」
「ありがとうございます」
今美魚の側にいるのは理樹と鈴の二人だけだ。
真人と謙吾は変わらずに、理樹たちとは少し距離を置いたところから不審点がないものかと見守ってくれている。理樹や鈴は合図を送ると、すぐにでも駆けつけてくれるだろう。
「ところで直枝さんは一体何を持っているのですか」
「見ての通り、パンの耳だよ。安く売ってたんだ。真人なんか質より量を重視することもあるし、真人も喜ぶかなって。西園さんもパンの耳を食べる?」
「では少しだけ」
「え?」
「なに驚いてるのさ。パンの耳おいしいじゃない!鈴も食べなよおいしいよ」
「いらない」
「私も別に自分で食べようとおもったわけではないのですが……」
「へ?」
美魚は理樹から受け取ったパンの耳を小さくちぎったかと思えば、ちょうど鳩が美魚の近くまで歩いてきた。鳩が一口で食べられるように小さくしたのだろう。もともと鳩に餌をあげるためにパンを受け取ったのだろう。鳩でも鯉でも、見かければ餌をあげたくなるのは人間の性なのだろうか。
「西園さんは鳥が好きなの?鳥はいいよね。鳥は誰にも邪魔されず、自由に空を飛んでさ」
「私は鳥が嫌いです。私のもとから勝手に飛んで行ってしまいます。ですが、餌を食べている間は空を飛びません。私は鳥を地面に縛り付けておくために鳥に餌をやっているんです」
美魚は餌を食べている鳥に手を伸ばす。
すると、鳥はすぐに飛び立ってしまう。
「薄情なものだとは思いませんか。翼のあるものを縛り付けることなんてできません。私がしていることは、全く無駄なことなのです。それでも、しないよりはマシであるとは思いませんか」
「それ、普通に好きってことじゃないのか?」
美魚は鳥が嫌いだという。
だが、本心から嫌っているわけではないと鈴は思った。
鈴自身恭介や理樹に隠れて東京武偵高校にこっそりとやってきたりもする野良猫の世話だってしているのだ。
それでも一度に面倒は見切れないから、鈴は新入りの猫だけ面倒を見ている。
レキのハイマキのように連れてきてはいないが、ちゃんと鈴は自分の猫だと思っている。
今の猫の名前はレノンだ。
ヒュードルとかアインシュタインとか、鈴の猫は名前だけ壮大なものがそろっている。
今はレノンの面倒ばかり見ているが、姿を見れば名前はすぐにでてくる。
それだけ熱心に世話をしておきながら、鈴は理樹や恭介には猫が好きなわけではないと口にしている。
理由は単純に、恥ずかしいから。
だから鈴は、美魚もそうなのではないかと思ったのだ。
「……そうかもしれませんね。私は東京武偵高校のお昼休みの時は、サンドイッチを作ってきた時には結構鳥たちにパンをあげていることがあるのですよ。それも好きでやっているからなのかもしれせんね。棗さんがいつも猫にご飯をあげていることと同じことなのかもしれません。もっとも、私は棗さんとは違い、飼い主だといえるような存在ではありませんがね」
「……」
「つまらないこと言いました。忘れてください」
人の好みなんて人それぞれだ。それについて何かをいうつもりはない。
ただ、少しだけだが美魚のことを知ることができた気がした。
そういえばと思い返してみても、理樹は美魚のことをろくに知らない。
それゆえに、クラスメイトとなったのは二年生の時が初めてであるが、専門学科の授業では合同で授業が行われることもあったため面識は一年生のことからあるのだ。
西園美魚というのは、二年Fクラスでこそ目立たない存在であれどその実力は有名な人物であるのだ。
正統な評価をしたら、彼女は実力と知名度がかみ合っていない存在ともいえた。
各学科での成績トップの人間はそれだけで話題になりやすいものの、美魚の噂話もロクに聞いたことがない。
成績がすべてではないとはいえ、実力の評価の指標の一つであることは揺るがない一つの事実。
各学科の主席というのは、すぐに誰なのかといことが分かるほど有名である。
イギリス公安局での活躍もあり、ある年には最優秀武偵として表彰されたことだってある。同じチームに所属する人間としては勝手すぎるという評価を受けて
彼女は中学から高校へと進学する際に学科が変わったため厳密には現主席とはいえないのだろうが、東京武偵高校に在籍するものは彼女こそが諜報科の事実上の成績最優秀者であると認識している。今は
理樹自身は牧瀬との面識はない。ただ、話は聞いたことがある。
なんでもとても残念な性格をしているとか。
実力は確かで、何度もサイエンス誌に論文だって掲載されたこともあるらしい。
ただ普段授業に顔も出さないため、科学論文の雑誌を読んだこともない理樹では彼がどんな顔をしているのかも知らない。
装備科には平賀文という少女がいる。
実力ではSランクの力がありながら、仕事の代金として相場よりもずっと吹っかけたような高額を出すことからAランクとなってしまった人物だ。
彼女は実力上はSランクであり、実力は社会に出ても即戦力と言える人物のはずなのだが、彼女は牧瀬のことを目の敵にしていることもあり、ろくに牧瀬紅葉がどういう人物か知られていないにも関わらず成績トップの人間だと言われている。牧瀬に負けてばかりは嫌だ。今度こそぎゃふんと言わせてやると、鬼気迫る表情で開発を進めている姿は
委員会をまるまる自分自身の手足として使えるという組織としての力があることも大きいのだが、彼女の話をして分かるのは、彼女がとても頭がいいということだ。少しの対話でも察しの良さや推理力はまさに天性のもの。これで真面目な性格さえあれば、せめて自分の力を社会のために役に建てようという心意気かやる気さえあれば、学校としての最優秀生徒と認定できたとさえ
他の学科の主席たちの顔ぶれを見ても、やはり知名度としては飛びぬけていると思う。
武偵の花形である
他の学科の連中を見ても分かるように、Sランクの称号だけでは主席の座は奪えない。
ただそれだけの称号でだけで、主席の座を取れるというのなら、平賀文はなりふり構わずSランクの座についているだろう。
平賀文の問題点は、高額の料金をふっかけていること。正直それくらいしかない。
社交性も、普段の授業に対する態度も、牧瀬紅葉よりもずっと優れている。
多くの人がより親しみやすい金額プランを用意すれば、誰もが一番優秀な装備科の生徒は平賀さんであると口をそろえるだろう。それだけで評価自体は変なものなかり作っている牧瀬より上になる。
それでもそうしないのは、彼女が根っからの技術者だから。
単に他人からの評価で牧瀬に勝つことなら簡単なのだ。そうしないのは技術で勝負したいから。
世間の評価ではなく、自身の持ちうる最高技術で牧瀬に勝ちたいから。
二、三人の名前が挙がるような単なる成績が優秀な優等生ではなく、主席ときいて一人しか名前が挙がらない人物とはそのようなものだ。
そして、西園美魚だってその主席の一人。
知名度こそ他の主席連中と比べて大したことはないが、胸を張って彼らと並べる存在ではあるのだ。
「そういえば西園さん。狙われる心当たりがないって言ってたけど、恨みじゃないって可能性ってどれだけあると思う?」
「恨みじゃない?どういうことだ?」
「ようやく思い出したんだけどさ、西園さんって考古学の分野で確か表彰されていたよね」
武偵は報復を受けることがある。それ自体珍しいことでもなんでもない。
クラスメイトであり同じ武偵としての仕事をしていることから、武偵としての美魚が狙われたのだという意識が先行していたが、美魚のプライベートでのことで狙われたということも十分にありうるのだ。
「確か何かの言語を解読したとか言われてなかったっけ」
「……ヴェルズ語のことですか?」
「ヴェ……ヴェ?」
「ヴェルズ語は、ある古代文明で使われていたとされている言語の一つですよ、棗さん」
「にわかで悪いんだけど、確かヴェルズ語って英語と日本語のように文字で互換ができないんだったっけ。そのせいで、解読自体が難解だと言われてたと思うんだけど、どうなの?」
「確かにヴェルズ語は言語とはされていますが、あれはどちらかというと言語というよりは暗号に近いものがあると私は思っています。だから暗号の解読を中心とする
「それってさ、読み方を公開しても未知のものがあるってことだから、実質西園さんしか分からないってことじゃないの?それだったら狙われることだって合点がいくよ。だって、一つ一つが暗号の言語だったら互換表なんてつくれないでしょ?」
それだったら、美魚が誘拐された理由にも少しだけ説明できる。
もしも恨みによる誘拐だったとしたら、何らかの危害が加えられているはずなのだ。
だが美魚には暴行の類が加えられた様子は一切ない。
それは美魚を誘拐した目的は復讐ではなく、何かやってもらいたいと考えていたからではないだろうか。
「でも、そんなことをしなくても依頼さえ出してくれれば私はやると思いますよ?ヴェルズ語の性質上、完全に読み切れるとは断言できませんが、できないならできないで仕事自体を引き受けないことはないはずです」
「そもそもヴェルズ語が書かれているもの自体はそれが真っ当なものじゃなかったとしたら、ありうる話なんじゃないかな」
もっとも、仮にそうだとしても疑問はまだまだ残る。
どうして美魚は、ここ一ヶ月近くの記憶がないのだろうか。
そのことを説明することができないでいる。
それに理樹には気になることがもう一つある。
「私にそっくりな人影を見た……ですか?」
「うん。僕の勘違いだとは思うんだけど、一応聞いておこうと思って。西園さんに心当たりはない?」
理樹が書店『ナンバーズ・アーカイブ』の外に見たという美魚の人影について心当たりがないかと、当の本人にダメもとでもいいかと聞いてみたら、美魚は当然のことだが心当たりはないと言った。真人がずっと少し離れた位置から鈴一緒にいる美魚の姿を確認している以上は、理樹が見た人影が西園美魚本人で、今ここにいる美魚が偽物であるという可能性もない。
言ってしまえば理樹の勘違いという可能性しかないはずなのに、不安を煽るようなことまでわざわざ本人に確認までしてするのは、それだけそっくりだったからと言える。
(三枝さんと二木さんも、似てるといえば似てるんだけど、さすがに見間違えたりはしないしなぁ)
もしどちらかが本気で変装して相手のマネをしているのならまだしも、自然体でいる二人を見間違うことはないだろう。
「一応聞いておくけど、西園さんに姉妹とかいたりする?」
「……いいえ、私は一人っ子ですよ。親戚といえる人も、私と同年代の方はおられないはずです」
「うーん。どういうことなんだろう」
たとえ双子の姉妹だとしても、外見を間違うほど似ているということはない。
三枝葉留佳と二木佳奈多も双子の姉妹であるらしいのだが、東京武偵高校にいる人間がそのことを知っているのはリトルバスターズのメンバーと、つい先日の紅鳴館の作戦に参加したメンバーくらいのものだろう。
方や、どうして武偵という道を目指したのか分からないほど能天気な笑顔を浮かべることがあるお気楽な少女。
方や、つねにしかめっ面をして不愛想な表情を隠そうともしない風紀委員長の少女。
外見が似ていることから、おそらくは遠縁だろうとは予測されていても、双子の姉妹であるとは思われていなかった。誰も、パッと見の外見で二人を間違えるようなことはない。それだけ育ちの背景や本人に気質というものは表に出てくるものなのだ。
だからこそ、護衛対象の美魚を一瞬でも本人と見間違うということは、理樹にとって衝撃的なことだった。これを勘違いですましていいものかと不安になる。
「理樹が見たって言うなら、あたしは信じるが……あたしは『ナンバーズ・アーカイブ』の中ではずっと一緒だったぞ」
「うーん、それもそうか。レキさんがうまく『SSS』の人達との協力を取り付けてくれたているならまだしも、今の現状ではただででさえ僕の勘違いかも判断できない相手に人手を割くわけにもいかないしね」
もし仮に、理樹が見た人影が幻の存在でもなんでもなく実在していたとする。
その場合何が困るかというと、人違いによる問題が起きかねないということだ。
美魚が何者かに狙われているとされている現状において、ハンドも教室で会っているはずのクラスメイトですら勘違いをするのだ。美魚を狙っている何者かが、勘違いで赤の他人を美魚だと勘違いして狙うかもしれない。
なにせ、理樹が先ほど見た美魚の姿は、
(……今着ているものと同じ服装を着ていたんだよね)
今理樹たちと一緒にいる美魚の姿と、外見上の違いは見られなかったのだ。
いくら顔がそっくりだとしても、着ている服が違えば人違いなどしない。
服装の特徴というのは人が考えるよりも残るもので、追跡を受けていたら服を変えただけでも簡単に振りきれることだってあるくらいだ。それゆえに、探偵科インケスタの授業では変装術という分野もあったりする。
今の美魚の格好と、先ほど理樹は『ナンバーズ・アーカイブ』から外に見かけた美魚らしき人物の服装が少しでも違っていたら、他人の空似だとして気にしなかっただろう。
いくら考えたところでどうにもならず、考え事ばかりでは美魚を不安にさせるだけだと、理樹は話を打ち切ろうとしたが、美魚の方から疑問が出てくる。
「直枝さん。その子は、どこか、私と違っているところはありませんでしたか?」
「……違っていたところ?」
「はい。私の外見ではなく、持ち物とか、服装とか、雰囲気とか。なんでもいいから違いはありませんでしたか?」
「そうはいっても……あ」
「何かありました?」
「そういえば、日傘を持っていなかったなって……でも、それっていつもの西園さんとの違いであって、今の西園さんとの違いじゃないね」
普段の印象というものは大切なものだ。
真人といえば筋肉というように、人を象徴するものがある場合はどれもそれに関連付けたものを連想する。美魚の場合はそれは日傘。
西園美魚はいつも日傘をさしている。
穏やかな春の日も、うだるような夏の日も、涼やかな秋の日も、震えるような冬の日も。
肌が弱いのか、どうして彼女がいつも日傘を持ち歩いていたのか詳しいことは知らない。
おそらく知っている人はクラスメイトにもいないと思う。
そういえば、西園さんは普段どんなことをしているのだろう。
思い返せば返すほど、自分は西園さんのことを何も知らないのだと分かってくる。
普段会話をしない相手ならそんなものなのだが、それはそれでなんだか悲しい気がするのはなぜだろう。
「日傘を持っていなかった、ですか?」
「うん。いつも西園さんは日傘をしているから真っ先に思いついたのはそれだったよ。そもそも今西園さんが日傘なんて持っているわけがないのにね」
美魚は本人の記憶すら混乱している。
人格から錯乱して正気を失っているわけではないのだが、手荷物一つとして持っていないのだ。
だからこそ偶然見かけたクラスメイトに助けてを求める結果となった。
今理樹たちが美魚と一緒に行動しているのは正規の手続きを踏んだ依頼を受けているわけではないのだ。
「……そういえば、今私は日傘を持っていませんでしたね?」
「西園さんは日差しに弱かったりする?今は天気がそこまで悪くないけど、今すぐに欲しいなら買いに行く?防弾日傘でもなんでもなく、観光のお土産として売ってそうなものならすぐに手に入りそうだけど」
「今手持ちがないのですが、よろしければお願いします。いつも持っているものだったのでなんだか落ち着かないのです」
「分かったよ。じゃあ行こうか」
普段手にしているものがないというのは、思いのほか気になるものである。
幸いにもここハートランドは観光地。
ちょっと値段が相場よりも高つくだろうが、日傘くらいは探せばすぐに売っている場所も見つかるだろう。
ハートランドの案内書で手に入れていた地図を広げ、取りあえずまずは土産売り場にでも行って探してみようかと足を運んでいる最中に、理樹は自分たちに視線を向けてくる存在がいることに気が付いた。
(……ん?つれた?)
元々、美魚をどこかに匿い人目に触れることを避けていないのは、手がかり一つとしてない現状を打開するために囮とするためである。つけられているというのなら、理樹としては望むところである。少し離れたところにいる真人と謙吾にジェスチャーを送り、理樹は真人とともに監視者の排除に向かうこととした。
「あ、ごめん。ちょっとのどが渇いたし、僕のお茶がなくなったからちょっと自販機にでも行って買ってくるよ。先にお土産売り場に行っていてくれる?
「かまいませんよ。むしろ、私の願いを聞いていただいてありがとうございます。私も行った方がいいならそうしますが……」
「そんな遠くまで行かないから大丈夫だよ。僕はちょっと席を外すけど、謙吾もずっといてくれるから安心してもいいよ。それじゃ先に行っててね」
理樹は地図を財布を取り座すための自然な動作としてズボンのポケットに手を入れる。もし相手が理樹を見ていたとして、自分はまだ何も気づいていないのだとアピールするためである。美魚には不安を与えないようにと説明しなかったが、美魚がこちらの視界から消えるほど移動したことを確認した途端に理樹はダッシュで駆けだした。
そして、
「くたばれぇええええええええええええええええええ!!!」
先ほどからずっと視線を向けてきたであろう相手に、顔を見る前に先制攻撃として飛びかかった。
「―――――――――ッ!!」
「―――――――――へ?」
ドスッ!!
そして、自分が飛びかかった相手を見て一瞬動揺した理樹は、反撃をくらいそのまま地面に倒れ込んだ。
当たり所が悪かったせいか、理樹はしばらく起き上がることができなかった。