【完結】深紅の協奏曲 ~ディアボロが幻想入り~【IF投稿中】   作:みりん@はーめるん

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―Ⅱと二と7で奏でる輪舞曲 4―

 自らの体が宙に浮かび、自然落下する感覚。

 今までに何度も、何度も味わった光景だが、その感覚は初めてである。

 それが『ゴールドエクスペリエンス・レクイエム』。死ぬという真実に到達することは決してない。

 死を体験した時、それは精神の記憶に残るが肉体の記憶には残らない。

 それは味わった苦痛は覚えているが、その後の繰り返しでは肉体は『初めてそれを受けた』様に体感する。

 一度死んだ後には、その時の苦痛も苦しみも無くなっている。ただ『確かに苦痛を受けたという記憶』のみが存在する。

 

 ……ゆえに精神は破綻せずに今まで保たれている。それこそが究極の苦痛であるのだが。

 

 

「ごがっ」

 

 背面に強い衝撃を受け、全身に痛みが走る。口から体の中全ての空気が吐き出される。

 同時に体が跳ね上がり再び、ほんのわずかな浮遊の感覚。

 重力を無視したかのように、頭が地面に、両脚が空の方へ向かう。

 それも一瞬、頭から石段に体を打ち付けられ、転がり落ちていく。

 

「(嫌だ 死にたくない 誰か)」

 

 もう 死ぬのは    。

 

 無意識に体を守ろうと腕で頭を覆う。膝を折り曲げ、胴体を守る。

 今までに何度も行い、それでも守りきれなかった。だから、いつしか忘れた本能的な防御反応。

 『取って当然』だった行動を、それでもすることができず何度も命を失った過去。

 それを払拭するかのごとく、ディアボロは生きようとしていた。

 

 それでも、落下を体験していく中。終わりがわからぬその状態。

 生き延びるとも思っていた意志も一瞬で冷えていく。

 そもそもそう思っていたのは時間にしてどれだけだったのか。石段を転がり落ち、頭が揺さぶられるその状況ではとても考えられない。

 

 

 一瞬、何かに体を引っ張られる感覚。

 それが何かわかることもなく、体を引っ張られて勢いよく転がる力に勝つことも適わず、ディアボロは闇に消えていった。

 意識も、その姿も。

 

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 ……

 …………

 ………………

 

「………ぅ、むぅ……」

 

 どれほど経ったのか。それとも、『次の』時間なのか。いや、生き延びたのか。

 辺りは暗く、僅かに星の明りが周辺を照らすのみ。

 体を、頭部を打ち付けた衝撃でまだはっきりとしていない意識の中、何とか状況の確認を行う。

 

 一寸先ほどしか見えぬ暗闇。それでも、どうやら転がり落ちてきた石段が近場に見える。

 自分の体。全身に痛みを感じる。想定内。だが、動けなくなるほどではない。

 

「……何……だと」

 

 動ける。それはつまり、怪我の度合いは少ないということになる。そして、死んだという事実はない。

 石段の上に目をやる。その先は暗闇で登頂までは見えない。

 体を起き上がらせる。ゆっくり、起こそうとするがどうやらそこまでの力はないようだ。

 地面に手を着き、体を起こそうとする。とにもかくにも、動かなければどうしようもない。

 ぐにぃ、と何か柔らかいものに手を着いた。それが何か、と考える前に、

 

「あうっ!」

 

 甲高い、この場に不似合いな少女の悲鳴が上がる。

 思わず地面を見ると、まさしく自分の下には声を上げたであろう少女がいた。

 

「……へへ、ねえ。こういう状況でも、そこ触られるのはさすがに恥ずかしいかな……」

 

 仰向けに転がっている少女の胸にディアボロは手を着いた形になっている。

 それより、少女を下敷きにしたことに対して驚き、その場を下がる。

 少し離れて少女の様を見る。

 薄い水色の衣装はボロボロになっており、随所に血が滲んでいる。

 右眼は衣装と同じ薄い水色をしているが、左眼は充血したかのように赤い。そして、頭部からの出血からか、血液で汚れ顔色も蒼白。

 四肢もあらぬ方向に曲がっており、ただ下敷きにしただけではない、それ以外の要因で怪我していることを簡単に理解させる。

 傍らには、紫色の傘。

 

「お前、まさか、上で私を突き落した……」

「違うよー……私は驚かしただけで、勝手に落ちたのはあなただよ……」

 

 声を交わせばわかる、その少女は確かに落とされる前に聞いた声。

 理由はわからない。だが、結果だけを見ればその過程は推察できる。

 自分も怪我をしているが、それよりも大きな怪我をしている少女。あの場にいて、自分に対して対応した行動を取れる者。

 

「……お前が」

「?」

「お前が、私を助けたのか? ……自分の身をも、犠牲にして」

「うん」

 

 動かぬ体で、それでも笑みを浮かべながら少女―多々良小傘―は返答する。

 その返事は肯定。自分で危害を加え、その身で相手を助けたこと。

 

「……何故だ」

「え? 助けたこと?」

「そうだ。何故私を助けた。自分で驚かして、自分で助けた。それも、そこまで自分の体を負傷させて……理解できない」

「えー、じゃあ死んでもよかったの?」

「そういうわけじゃあないが……見ろ」

 

 ふらつきながらもディアボロは一度立ち上がり、改めて小傘の近くで屈みこむ。

 そして、小傘の細い腕をおもむろに掴む。

 

「いっ!? いだだだっ!!」

 

 痛いと言いつつも、それを振り払うことはしない。否、できない。

 掴まれた腕も、その逆腕も同じように折れ曲がっており常人であれば苦痛で動かすことすらできないだろう。それは妖怪でも同じようだ。

 

「ちょ、何するのさー!」

「自分の体を捨ててまで、私を助けたんだ。お前は。お前のおかげで私は軽傷で済んだが……わかるだろう、自分が満身創痍なことを」

「そうだけどさー。……人間よりかは、丈夫だよ?」

 

 相手が自分の心配をしてくれている。そう取ったのであろうか。にこやかな笑みは消えず、明るい声で返ってくる。

 だが、それが不可解であり、差し向けられるその感情は理解できない。それは同時に不愉快にも感じる。

 

「それを、私は何故だと聞いているんだ。自分で危害を加えた人間を、相手以上に被害を被る方法でしか助けられないとわかっていて……」

「……どうしてそんなことに固執するのかわからないけどさ。ただ、何ていうのかな」

 

「助けたかったから、じゃあダメなのかな?」

 

「……何だと?」

「だからさ、つい思わず助けたくなっちゃったんだよ。もちろん理由はあるんだよ」

 

 責め立てるディアボロに対して、やはり笑みは残したまま小傘は話す。

 

「私はさ、驚かすことくらいしかできない妖怪でさ。でも、それすらもあんまり上手じゃなくって、いつも失敗してばっかり。

 今日もだーれも驚かせずに過ごしてて、ひもじいままだったの。

 それでね、ここにふらってやってきたところにさ。あなたがぽつんって居たじゃない。

 だから驚かそうとして後ろに降りたの。その時にどしゃって、大きな音立てちゃったじゃない?

 ああ、また失敗しちゃったな、って思ったんだけど、あなたそれですっごく驚いてるんだもん!」

 

 本当にうれしそうに、本当に楽しそうに。自分の体の事なんて忘れているかのように胸の内を話す小傘。

 饒舌に話すその姿を、ディアボロはただ黙って見下ろしていた。

 

「きっと、あなたその時に『死ぬほど』驚いたでしょ? 私分かるの、そういうの。

 あ、言ってなかったけど、私人を驚かすのが生きがいで、生きるためにも必要なの。

 でも、さっき言った通りあんまり上手じゃないからさ……そういう反応をもらえたのが嬉しくって、楽しくなっちゃって。

 だからまた、後ろから大きな声で驚かしちゃった!」

 

 そこまで話すと、その時を思い出したか、一際の笑顔を浮かべる。

 屈みこんでいたディアボロは、気づけばそこに腰を下ろして彼女の話に集中していた。

 

「でさでさ、そうしたらあなたさ、またまた驚かされちゃったでしょ?

 もう、この幻想郷でそんなに驚く人なんていないと思っていたのに。2回よ、2回。

 ……で、その驚きと共にあなたは落ちた。私は、驚かすのが目的であって、その後の事なんて本当にどうでもよかったんだけどさ」

「…………」

「でも……なんでだろうね? こんなに驚いてくれたことへの感謝の気持ちがあったのか。

 私自身悪戯心で人を襲うことはあっても怪我させたことはほとんどないのに、結果的に怪我させてしまうことによる後ろめたさなのか。

 よくわからないけれど……体が勝手に動いてたんだ。あは、やっぱり理由なんてないのかな」

 

 自分にとってとても楽しい体験を話して、満足したかのような表情を小傘はディアボロに返す。

 その姿は、いいことをした、楽しかったことがあった。その経験を共有しようと話す子供のような。

 そんな無邪気さを感じられた。

 

「……その程度で、ほんのその程度でお前は動けるんだな」

「えっ?」

 

 ディアボロは小傘に語るわけでもなく呟く。

 

「今、お前に再び驚かされているよ。この世界の価値観なのか、それとも自分が狂っているのか……そんな理由で、自身の命をかける行動を取れる存在がいることにな」

 

 今までただ感情なく、理解に努めようとしていた温かみの無い視線から、感情のこもった、語りかけるような表情で話しかける。

 

「えっ、どういうこと? さっきも言ったけど、別に私にとっては死ぬようなことじゃないし」

 

 小傘は戸惑い、先に話した同じことを繰り返す。

 

「それでもだ。自身の身体を張るということは相当に難しいことなんだよ、私達の『常識』、特に我々ではな……」

「……どうしたの、急に」

「……さあな、何故だろうな」

 

 感傷なのか。精神と肉体が傷ついているから。

 感謝なのか。死にかけていた命が救われたことから。

 ほんの少しのこととはいえ、ほんの些細なこととはいえ、自らの想いを他人に話すことなど。

 他者に自分を知られることを恐れた。それは、自分が絶頂の地位にいるための最低条件。自らを知るのは自らのみで良い。

 それでいいと思っていた。それがいいと思っていた。はずなのに。

 

「くくく……はははははっ」

「ほんとにどうしたの? 頭でも打ってた?」

 

 何故だか澄んだ気持ちになってゆく。幻想の気風に触れたことによって、今までの固まっていた何かが解きほぐされていくような。

 それは完全にほぐれたわけではないこともわかっているが、それでも快感には変わりなかった。

 それに気づけない小傘は不思議そうな表情を浮かべるが、ふと、何かに気付いたように石段の上を見る。

 

「あ……なんか来る。ばれたかな」

「何? ……そうか、あんなに大きな音を出してしまえば気づかない方がおかしいだろうな」

 

 もちろんディアボロには何も見えてはいないし聞こえていない。だが、想像でならこの状況でただ一人近づいてくることを想定できる人間がいる。

 小傘もそれを考えたのか。離れに転がっている紫色の傘を見つめると、それがひとりでに浮かび上がり小傘の元へ来る。

 

「よいしょっと……いででで」

 

 痛みが残っているであろう体でその傘を持つ。小傘の傷ついた体にと違い、傘は無傷であった。

 無傷の傘が開き、小傘の体はそれにぶら下がるような形で浮かび上がる。

 その様は打ち捨てられた遺体が意思なく宙を浮かんでいるようであった。

 

「傍から見れば、その姿は存外に恐怖を感じる。お前が普段驚かせない者どもも驚くかもしれないな」

「おお、それは名案だわ。まさしく怪我の功名。でも、こんな夜中に人間とあってるのがわかったら退治されちゃうからね。

 今のままじゃあ本当に封印されちゃう」

 

 くわばらくわばら、と唱えながら小傘は虚空へ飛び、消えていく。

 見た目愛らしい少女の分、全身見てわかるほどの骨折と傷による流血、打ち身などによる損傷。そしてくわばらくわばらと唱えて宙を漂う姿。

 自分が味わい、見事に引っかかったとはいえ逆に自分以外ではそうそうかからないようなやり方を自慢げに話していた姿と、自分の惨状を人に言われるまで省みぬ姿。

 なるほど、驚かすことが下手と自分で称するほどの事はあるな。ディアボロはそう感じた。

 

 

 まさか、こんなところでこんな奴らに逢うとは思っていなかった。

 無償、と厳密にいうわけではないが自分に見返りがないのに自らの体を捨てて行動をできる者。

 そういう意味では命蓮寺の者たちも大した奴らではあった。昔から続く、他人の教えでしか道を決められず、他者を辿ることでしかできぬ者たち。

 宗教という自ら思考をすることを放棄した者たち。それらの教えに従ったからか、それとも単純な善意からか。

 功徳を積むことによるための行為であるならまだ理解できる。もし後者であるのなら……そのような甘い考えに吐き気を催すかもしれない。

 それで助かっている自分がいるのだが。

 そしてまた、同じような者に出会った。その者は同じく、無償で自らの体を捨てることのできる者。

 まだ精神が幼いから。そういう言葉で片付けることもできるであろう様子ではあったが妖怪の類だ、実際に存在した年月とが意見が一致するとは思えない。

 年齢と同じく、人間の尺度で考えているから自分では想定できない予想外の行動を取るのであろうか?

 それとも、単純に国民性の問題から、周りの環境から。そういった要素からだろうか?

 

 ここは自分がいた世界ではない。

 違う世界を見せるために、鎮魂歌はここへ自分を連れてきたのか。

 違う世界を見せつけ、今までの自分の行為を悔い改めろと言いたいのか。

 ……永劫の死の輪廻の果てに、その罪を認めれば、免罪をするとでもいうのか。

 

 

「……よもや、そんな理由ではないだろうがな」

 

 考えていても、分からないことが多い。

 確かなことは、それでも今はまだ生きている。

 

「……これは、『試練』か」

 

 かつて自分によく言い聞かせていたことだ。

 

「まだ驕り、その器に到達していなかったのに、帝王を自負し始めたこと。

 誇りに執着し、引き際を見誤ったこと。

 その場の結果に満足し、矢の先の力を見抜けず放置し、吐き気を催すような『正義』の上っ面に敗北したこと。

 ……全ては、過去の未熟たる自分の行い」

 

 もちろんそうだと確信できるものはない。この考えすら、次の瞬間には否定されるかもしれない。

 それでも、掴んだ一縷の希望。

 手放すわけには、いかない。

 

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「ちょっとちょっと……夜中に叫び声がしたかと思えば、いったいどういうこと?」

 

 乱れた寝巻のまま、申し訳程度に御幣と陰陽玉を携え、石段の上から霊夢が舞い降りてくる。

 先ほどまで小傘と会話していた場所には、寝室に上着を脱ぎ捨ていなくなっていた、ドッピオがその場で眠っている。

 

「ねぇ、ドッピオ。大丈夫? ちょっと、起きてよ」

「……うぅーん、ん……」

 

 霊夢の呼びかけに対し、寝ぼけた声でしか反応できない。

 怪我で気絶しているわけでもなく、起きない眠りについたわけでもない。その点は確認できた。

 そうとわかれば。

 

「ちょっと! 起きなさい!! ドッピオ、ねぇ! ねぇったら!!」

 

 寝ている体を引き起こし、ひたすらに体をゆする。

 ぐらぐらと揺すられ、穏やかに眠っていたドッピオもさすがに目を覚ました。

 

「んぁ……あれ、霊夢? もう朝……じゃないね」

「何寝ぼけてるの、というかなんであんたこんなところまで来てんのよ。寝相が悪いんだったら先に言ってよね」

「ぇ……え、ここどこ?」

「神社の下の方」

「……は?」

 

 言われてから辺りを見回し、改めて自分の異常に気付く。

 眠っていたはずの布団もない、部屋もない。ついでに上着も来ていない。

 さすがに夜中、風が吹けば肌寒さも感じる。

 

「へくしっ! え、どうなってんだこれ」

「私が聞きたいわよそんなの。わかんないの? あと、誰か大きな声あげてたけどそういうのも見てないの?」

「いや、何も聞いてないけど……何か聞こえたの?」

「叫び声が聞こえたのよ、聞き覚えのある声で。誰だったかは思い出せないけどさ。何事かと思って見てみたらいなくなってるし……ん?」

 

 そういうと、霊夢は少しドッピオを見つめ、さらに目を細めて顔を近づける。

 今更霊夢に見つめられても特に思うこともないが、突然の変調に不思議に思い、何か尋ねようとした時、

 

「あんた、何か憑かれてる?」

「えっ?」

 

 そう言うや否や、ドッピオの額に向かって、御幣を叩き込む。

 ガッ、と小気味良い音を立て額に炸裂した。

 突然頭を殴られ、理解が追いつかない。声を上げるのも、怒るのもせず、ただ痛み始める額を擦ることくらいしかできない。

 

「あ、え? いった、何するんだよ、疲れてるって一体……」

「んー、何となく何か起きてると思って。本当に何か起きてたんだったらもう大丈夫だと思うけど」

「……それなら、先に何か言ってからやってくれよ。いてて、これコブになりそうだぁ」

「言ったじゃない、憑かれてるって。それ冷やしてからまた寝なおしましょ。夜に活動する人間は取って食べたりしてもいいって妖怪に言ったことあるから」

 

 そういうとドッピオに向かい手を差し出す。

 

「全く……なんなんだよ一体。いてて、頭痛が……」

「変な時間にこんなところに転がってるから、頭でも打った? どっちにしろ安静が必要そうね」

 

 ドッピオも手を取り立ち上がる。足取りもおぼつかないわけではない、むしろしっかり歩けるようだ。

 裸足だから少々気持ちが悪いが……石段を上がっていく。

 

 

 

「飛ばないの?」

「え? ああ、そうだね。えーっと、『見抜け』」

 

 横をスッと飛んでいく霊夢が声をかける。

 それを見てから、思い出したかのように雲山の一部を起動する。

 合言葉と共に、そこに人一人乗れる分、博麗神社にたどり着いた時と変わらないサイズで展開される。

 

「何それ? 柔らかくて寝心地よさそうね」

「簡易ベッドじゃないんだけど。あと、僕はこれ使わないと飛べないから」

「あ、飛べるようになったから神社に来たのかと思ったけどやっぱり飛べないのか」

「道具使用だね」

 

 雲に乗り、軽い会話を交わす。

 その内に石段は登り切り、再び神社にたどり着いた。

 

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 同時刻。

 広い空間。四方は障子で閉めきられており薄い紙からさす月明かりのみが照らし出している。

 床一面は畳が敷かれており、それ以外には何一つ存在しない。

 その空間の中心で一人、結跏趺坐の姿勢で瞑想をする者がいる。

 

「……切られたか。さすがは巫女というべきか」

 

 眉をひそめ、大層不快そうな声をあげる。その様は、隠しきれない怒りがにじみ出ているようだった。

 

「……何が『試練』だ、思い上がりも甚だしい。全てはこちらの慈悲でしかないものを」

 

 そこまで口走り、はっとした表情で思いとどまる。

 自らの口を擦り、先ほど口走った言葉を思い返す。

 一瞬の間の逡巡、彼女―八雲藍―は自らの左手の小指をつかみ、

 

 ごきり

 

 反対の方向へと折り曲げる。

 

「(何を知った気になっているのだ、私は。僅かな概要しか知らされておらず、ただ式として忠実に仕事をすればいいだけこと。

  自らの考えを混同しながら仕事に当たるなど愚の骨頂。橙でさえもやりはしないだろう)」

 

 自戒の意を込め、指から走る痛みを確認する。そして再びその指をつかみ、

 

 ぐぎき

 

 元の形へと戻す。 

 骨は一度壊れ、またそれを動かしたときにこそ一番の痛みが走る。部位は僅かでも、それは壮絶である。

 顔を歪めながらも反省の意を込め、再び瞑想の型を取り集中する。

 

「(……そもそも私は最初から反対だったのだ。いかに斯様な状態であれど素性を知ればこの幻想郷とは相容れぬ者。

  いくら全てを受け入れるとはいえ、調律をする、長である立場ならば―――)」

 

 一度の雑念が、二重三重と彼女の思考を取り囲む。

 始まった思考の塊は、実力ある彼女でも容易には取り去れない。

 

「(今は命令として奴を見張ってはいたが……少年の方はともかく、主人格は命蓮寺の僧にもあっさりと見破られている。

  この世界、小賢しい悪程度なら可愛いものだが純粋なる邪悪は必要ない。今までも刈り取ってこられたのではないか)」

 

 慣れた手つきで同調の儀式を行い、それでも頭の中は思考は止まらない。

 完成した、と思って発動しようともどこか間違えたのか、正しくは起動しない。

 

「藍、どうしたのかしら? そんな簡単な数式を間違えるだなんて」

 

 この部屋に入った気配はない。近寄る足音も聞こえない。衣服の衣擦れすらも聞こえない。

 最初から存在していたかのように、いや、最初はそこにいたが物質として存在しておらず、徐々にその存在を露わにしたかのように。

 唐突と呼ぶには幼稚すぎるほどの自然さで、その少女は現れた。

 

「!! 紫様、まだ起きて……いえ、お恥ずかしいところをお見せしました」

 

 その少女―八雲紫―を認識した藍は、すぐさまそちらに向き直し、跪いて頭を垂れる。

 

「いいのよ、気取らなくて。それよりもどう、『彼』は」

「……現在は霊夢によって接続が切れ、改めて繋ぎ直すところです。さすがに霊夢が近くにいる状態での遠隔操作で繋ぎ直すのは厳しいかと」

「違う、そうじゃないわ。言ったでしょ? 気取らなくてよいと」

 

 全てを見透かすような瞳。

 困惑する藍の表情を見ることを楽しんでいるかのようにも見える無垢さをも感じる。

 発言は期待されている。でも、二度同じことを聞きたくはない。

 長い主従関係から見出した結論。

 

「……私は何度だって言いますが、彼をこの世界に存在させることは反対です。この世界の雰囲気には合いません」

「ふふ、そうはいうけどちゃんとお願いを聞いて、情報を逐一私に伝えてるじゃない」

「私は紫様の全てを受け入れます。そこに自身の意思は関係ありません。嫌でもやりますよ」

「まあ藍ったら、それじゃあ私があなたを嫌々働かせているみたいじゃない。そんな風にとられるだなんて、私悲しい……よよよ」

「……それ、幽々子様の真似ですか? 失礼ながら、似合いません」

「部下にすごいはっきり似合わないって言われた、上司やめたい」

 

 先までの雰囲気と違い、小芝居のようなやり取りを続ける。

 

「あら、その指はどうしたの?」

 

 紫がそれに気が付くと、す、と一歩踏み出す。

 一歩では近づけない距離ではあったが、空間を滑るかのように近づき、屈んでいる藍に合わせて自らも屈む。

 

「お許しください紫様。私の自分勝手な邪念であなた様の命を行うことに僅かでも疑問を抱いてしまったことを。これは、その罰です」

「まったく……あなたも頭が固いわね。そういう遊びの部分をわざと取ってあるっていうのに、その容量を全部橙に注ぎ込んでるんだから」

「あなた様の世界のためなら何でもする。それが大本ですからそれに反するようなことは私自身が許せません。橙はいいんです、私の世界なので」

 

 藍の左手を取り、そっと折れた指をなでる。

 特に何かしたわけでもないはずなのに、痛みは消え、元の姿に戻っていた。

 

「クレイジーダイアモンドッ!!!」

「あ、……申し訳、ございません」

「突っ込みナシ?」

「いつもの事かなと」

 

 紫は小声で「やれやれですわ」と呟いた後、藍の前に立ちあがる。屈みこんだときは合っていた視線も、紫が立ち上がれば藍は見上げることはしない。

 そんな頭に、小さな手をぽ、と置く。

 

「いい? あなたはあなたのやり方でやりなさい。気に食わないことも百の承知。それでもあなたに託したいのです。

 指示は再び送ります。その後、私の右腕としての、あなたの意見を聞かせなさい」

「はっ」

「分かった? よろしい。では、私はこれで」

 

 そこまで言うと、紫は後ろに一歩下がる。それと同時に紫の足もとにスキマが広がり、するりと彼女の体を飲み込む。

 瞬間、そこには先ほどまでと同じ、藍一人しかいない空間に戻った。

 

「(……紫様の言うとおりだ。私は頭が固すぎるのかもしれない)」

 

 自らの眉間に手をやり、すこし緊張を解きほぐす。

 

「(その結果、主の考えを疑うことになるとは……やれやれ、まったく私も未熟者だな。奴を笑ってられん)」

 

 三度、瞑想の姿勢に入る。先も紫に告げたとおり、今監視の目をつけても霊夢に気付かれる可能性は高い。

 少々見えづらくはなるが、狐や鳥ではないものに式を取り付けた方がよいかもしれない。

 

「(さて……何なら気づかれずに済むか)」

 

 再び儀式に入る。今度は、間違えることがおかしいと思えるほどスムーズに取り仕切ることができた。




ゆかりんはおおまじめ。

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