【完結】深紅の協奏曲 ~ディアボロが幻想入り~【IF投稿中】 作:みりん@はーめるん
地底の全体は薄暗い。元々光の射さない空間に人工の灯りだけが頼りだから。地霊殿の下には核熱の灯りが恒常的に照らし続け、一線を画すものだった。
だから、先の騒動で破壊され、誰も手をかけていない入口から都市部までの道のりは夜の闇が降りたように暗く、僅かな光を頼りに進むしかない。その先にある、既に喧騒を取り戻しつつある眠らない都まで。
どうしてもすぐに行く気にはなれなかった。上から見下すようなあの傲慢な笑みをすぐにでもすり潰してやりたい気持ちは十二分にある、だが敵の胃の中、それに相手のを知ることも少なく、決定づける理由に足る読心の能力。
機会の見極めは重要だ。感情だけに任せてしまえば後悔を呼び込むこともあるかもしれない。……まさしく、それはあの敗北を指しているが。
もぞもぞとポケットに突っ込まれた片割れが主張をする。ディアボロの行動に何を思っているか……彼は敢えて確認をしなかった。それは、いくらか残されていた、彼自信の呵責の一つ。
「ケガ人は一か所に集めろ! 生きそうなやつから助けていけ!!」
「ボーンナム、どこだー!! 返事しやがれッ!」
「もう私は上戻らないとまずい……から……わかったわかった! これ以上引っ張ったら脱げちゃう!」
「水、食いもの、酒、もっともっと持ってきたよーっ! 食える奴は食っておくんだよーっ!」
地霊殿から離れ、都市部に近づく度に威勢の良い声が耳に入ってくる。あらかじめ知ることのできた災害だからか、既にそのための準備をしていたのだろうか。一度の往路から考えればその喧騒はいくらか早すぎる。住人たちの生命力もまた、地底を支える力の一つだろうか。
あの空間の中に入るつもりはない。入ろうも、何をされるかわからない。彼らはディアボロを騒動を治めた英雄とみるだろうか? 引き起こした悪魔とみるだろうか? もちろんその前提に、地底の鬼、その頭領であるあの女のプライドを傷つけている。そんな自分に、都合の良い言葉を押し付けたりするだろうか。
……さとりにたいして何かを聞くのであれば、少なくも関係のあるのは橋姫だろうか。いや、そもそもはあの二人が最初から動いていれば起こらなかった騒動。妹のためと塗り固められた姉のエゴに自分は宛てられ、押し付けられた、簡潔にしてしまえばそれだけの事。
それでもあの橋姫はそれに組み込まれ、敢えての憎まれ役、汚れ仕事を引き受けている。それを良しとするまでの間柄、それとも。
一度離れた所にまた足を向けるのは癪ではあるが、それでも唯一の情報源に変わりはない。不確かを携えながら都市部を歩き回るよりかはいいだろう。
「……おや?」
陰に隠れつつ再び歩を進めようとしたとき、間の抜けた声が喧噪の中からこちらに向けられる。直接ディアボロを認識したわけではないだろう、隠れる者に向けた疑問の声だ。
「怪我人かー? 今弱ってるやつを食おうとしているわけじゃあないからこっちに御出で、あんたも大変だろう?」
特に警戒する様子もなく、ガタガタと瓦礫を踏み越えながら近づいてくる。
その他大勢の一人に関わる気はない。今は負傷者と思い近づいてきているが、それがディアボロだと、災禍の中心に近しい人物だとわかればどう出るかわかったものではない。
隠れ離れよう、と意を決し動いた時、
「……あん? ……なんで逃げる?」
姿を見せていないにも関わらず、その声は猜疑の念を含む。
物音は僅かだが立ってしまうだろう。しかしそれは喧噪に巻き込まれ消えていくはず、かつまだ実際に離れたと称することのできるほどに動いてたわけでもない。小さな足摺りを、それから離れようとする心を読み取っている。
浮かぶのは、僅かな笑みを浮かべた醜悪の体現。先刻出会った屋敷の主の顔。しかし、あれに類する力を持つ者がそれほど頻繁にいるとは考えにくい。
予知に目を通す。……そこには動かず、佇んでいる自分の姿。
「体格、足音、重量……人間かい? もしかして、勇儀たちとやりあった」
それが示すのは対話。互いに顔を合わせる訳でもなく、しかし情報のやり取りは行う。確かに相手はこちらに気づき、その詳細に手を伸ばそうとしている。
だが、そこまで行き着いたことは認めるが、そこまでなら誰でも行きつける。決して相手だけが特別なものではない。
僅かな期待が湧いてくる。脚を止め息を殺し、動かないことで相手の二の次を待つ。
「……動かないね。図星かな? まあちょうどいい。さとりから殺すな、逃がすな、とお達しが来てる。あんた一人でそこらをうろつくよりは私の所に来たほうがいいんじゃあないかい」
待ちに徹した結果は、想定の一つではあるが面倒な側面を持つ内容。自身との対話を求めていたさとりだが、縛り付ける楔は緩やかだが確実にディアボロの周りを取り囲んでいた。
生け捕りとまで行かないところに疑問が浮かぶ。従属を望まず、あくまでの対等を望んでいるつもりなのだろうか。
そして、殺すなというのに、身を案じる言葉。相手も何を考えているか伺い知れない。
「…………」
「返事がないねぇ。まあいいや、私は今からそっちに行く、会うのが嫌ならそのままどこかへ消えな。でもさっきの話を詳しく聞きたいのならそのまま止まりな。酒でも飲みながら軽くお話ししようよ」
こちらの心境とは裏腹に明るい声色でのこのこと近づいてくる音がする。相手が何者かの仮定を自分の中で決定し、疑うこともせず。
近づく相手の様子を伺い見る。黒い下衣から茶色い上衣を身に着けた薄闇の中では溶け込みそうな姿と裏腹に蓄えられた明るい金の髪が特徴的だ。それは、闇から迫り害なす虫や獣、相手を狙う無感情の瞳を想像させる。
「止まれ」
「おぉ? 意外と恥ずかしがり屋さんかな?」
静止の声かけに、相手は素直に応じた。その場で腰を下ろすと懐から何かを取り出そうとする。
「……待て、何を取り出そうとしている?」
「えぇ? 何って、一服やろうとしていたんだけど」
「やめろ、不用意なことはするな」
「……それは脅しのつもりかい? まぁ、やらかしてるんだからあんたが慎重になる気持ちはわからなくもないがねぇ。……けどさ、あんたは妖怪を見くびってないか」
懐を探る手は動いたまま、休めるつもりもない。直接に視認はしないが、その様子はこちらを歯牙にもかけていない、という自信の表れだ。
気には食わない。拳から足裏まで、ゆっくりと力が走る。だが、それでも頭までは熱を通さず、そのままディアボロは語り続ける。
「いいや。恐ろしさは身に染みている。自らの領分を超えぬ、踏み入られぬようにするのは当然だろう」
「そこが甘い、って言ってるんだ。姿が見えようが見えまいが、あんたが私を認識できる範囲にいるならあんたを害することなんて造作もないって言ってんの。あんただけの領分で考えている程度じゃあ、それを容易に踏み越えてくる奴なんてここには大量にいるってんだ。……たく、教えを請おうっていう態度じゃないね」
手のひらに収まるほどの小さな箱から、一本の煙草と打ち金を取り出し、かつかつと打合せ音を立てる。咥えたまま顔を落とし、僅かな目線だけがこちらを窺っている。
「……それで? お前が話さないのならば他の者にでも尋ねればいい。領分の中で御せるものを見極めればよいのだからな」
「くくっ、まあその通りだ。それに、どうやらあんたに一番最初に話しかけているのは私のようだからねぇ、それなら都合がいいってもんさ。……私はヤマメ、黒谷ヤマメていうんだ。本当は酒の一杯くらいは出したいが、まあ煙草の一つくらい、許してくれないかな?」
髪に隠れた二つの眼から線を交わしつつ、その妖怪――黒谷ヤマメ――は打ち金を鳴らし続ける。打つたびに飛ぶ火花が小さく小さく彼女の顔を照らす。
敢えて含ませるような言動を続けるのは、会話による拘束を続ける気だからか。それは、こちらを篭絡するためか単純に会話をしたいだけか。
「……」
「ありがと、まあ一本で十分だからさ。……ふう」
様子見、無言の返事を肯定と受け取ったのか、打ち続けた金はようやく火を彼女の咥えた紙巻の先に点す。そこから生じる煙を彼女は胸一杯にため込むと先程の苦労を憂う様に虚空へ吐き出す。
いつか、嗅いだことのある香りが辺り一帯を包み込んだ。
「先程、さとりがどうのと言っていたな。何が触れ回られたんだ?」
「あぁ、先の人間を殺すなってこと、地底から出すなということ。この2点だよ。あの性悪、どうしてもあんたをここに留めておきたいみたいだねぇ」
蒔いた種に興じた事に心を良くしたのかヤマメは先ほどまでどこか探るような言葉の色があったが、返事を皮切りに笑みを浮かべながら話しだす。
仮にも治める立場の者に対しての言葉とは思えないが、さとりに対する心証として、それを擁護する感情も浮かばない。それが、この地底に住む者の総意でもあるのだろう。
「アレが何を考えているか私にはわからんが……自分でも手に余っていた妹をどうにかした人間なんだ、きっと飼い馴らしたいんじゃないかなぁ。覚が惹かれる人間なんてこれっぽっちもいないんだから」
煙草を時に吸いながら、時に片手で弄びながら、一人友人に語り掛けるように話しかける。その視線の先、向ける煙草の火の先には明確にディアボロを捕らえている。確かに陰に隠れ、姿は見えていない、はずなのだが確実に。
視覚だけでなく体温や呼気など、別の方法で相手の存在を感知できる妖怪なのだろう。そういった存在は、往々にして厄介な存在だ。
「しかし捕らえてこちらに持ってこいとは言っていない。これは私の予想だけど、きっと地底というところを教えたいんだと思うよぉ?」
一見すれば壁に向かって語り掛けているような状態のまま。
「人間の心の闇、妖怪。人を襲い喰らうための存在、身内同士のはずの妖怪からも爪弾きにされた腐れども。それが私たち地底の民。人間が一人、既に手を出して後に引けない状態。そんな奴らの中に放り込まれて揉まれてさ、かき回されてさ」
それでも語り口は止まらない。
「『心が読まれるだけ』な奴がなんて楽なんだろうって思わせたいんじゃあないかね、アレはさ!」
その様は、見えぬ虚空に語り掛けるその姿は、辺りに漂う香りも相まって狂人のようにも感じられた。
だが、それは確かにディアボロ自身に、その内に潜む心に語り掛けていた。人間だから、という疎んじた感情、不意に現れた獲物に向ける喜の感情。計り知れぬところでもがく弱者を嗤う感情。様々なものを入り混ぜてぶつけていた。
ひとしきりに彼女は笑い続ける。小さく、それでも抑えきれず。
……次第に、それは収まっていく。ふくらみ続けた風船がゆっくりとしぼんでいくように。
「…………それは、お前たち全員が、あのさとりと同じだ、と言っているのではないか」
「くくく、くくっ、そうさ私だって同じさ、同じ穴の狢さ。自身では存外善良だとは思っているがねぇ? ……それで、なんだけどさ」
治まった笑みを、新たに煙草の煙で隠してから、やや身を乗り出すようにしてこちらに尋ねてくる。
その好奇に満ちた眼は、かつて、そしてこの幻想郷に来てから何度か向けられた光。その全ては、自分の中と、その身を、
「おまえさん、私に喰われてはみないかい?」
我が身に委ねろという命令だった。いつも形は提案であったが、その実、こちらの意を介さないという強い意志がいつもあった。それは、今回も。
「……妖怪というのは、どいつもこいつも行きがけの人間を喰らおうとするのか」
唐突な言葉も、放たれた内容も、全てにうんざりする。別に自分でなくてもいいだろうに、何故こうも輩はにじり寄ってくるのか。
「まあ怒らないで聞きなって。さっきも言った通りあんたの事は殺すなって通達がある。だが傷つけるなとは言われてないね」
先の発言に対してこうなるだろうとわかっていたか、笑みは崩さないままにフォローをするヤマメ。
確かに彼女の発言を信じるならば、その2点に無事は問われていない。死ななければ何をしていても大丈夫、という意味は含まれているだろう。……想定内だ。かつて、そのような指令を下したことはゼロではない。
「それに通達は全てに行き渡っているとは思わない。思えない。……それに、事故の可能性はゼロじゃないし」
さとりの影響力、行動力。それは確かに治めるもの、過去の自分と同じなのだ。下に並ぶ者は別としても、下した命令に対しては全て合点がいく。
「結局妖怪は人間ありきで成り立っている。あんたは強く逞しく、狂っておらず。……何より、ウマそうじゃあないか。……あぁ、話がずれたね。もしあんたが死に、その身体が出てこなくなっても、皆が知らぬ存ぜぬで通せばさすがのあいつも何もできない。でも誰かの庇護に既に入っているのなら、その状況では諍いが生じる。さとりに限らず、ここは、案外そういう不和を嫌うから……結局、あんたを欲しがっているのはさとりだけじゃあないってことさ。おそらく勇儀も、あんときゃ頭に血が上って堂々と宣言しちゃったけれど、今あんたに会えたらきっと篭絡する。永遠に鬼に目を付けられることと引き換えに、一番安全な位置につけるかもねぇ?」
そして、改めて自分の立場を理解した。好奇心は猫を殺す、という言葉もある。闇の中に身を浸そうとだけ思っていたが、地獄の釜の底は、愚かな人間を容易には登らせないこと、ゆるゆると下るにつれてそれを察し、底で改めて理解した。
甘く見ていたのは確かに自分だ。だが、まだ。
「ふふふ……まぁ安心しなよ。私だって若造じゃない。普通の人間ではできないようなこと、たぁっくさん、愉しませてあげるよぉ……?」
肺を満たした空気を換えがえ、その度に煙草の煙と、付随する香りが辺りを占める。その独特な甘くも感じられる香り。
地底の入り口、橋で出迎えたあの香りとよく似た、そしてそれはかつてイタリアでも、いやどこの世界でも表舞台に上がらないだけでいつもどこかで蔓延していた匂い。
「……お前の色事情には興味はない。だが……度々この地底に来てから気にかかる。橋姫とやらも吸っていたな」
「あぁ、これが気になるのかい? 私が使ってんのは大したものじゃあないけど……これでも、キメれば底なしだよ? 上とは違ってね。ここには太陽がないから、いろいろと外れてるものが多いさね。……それでも、いやだからこそ、結局はこういうものに頼っちまうってこと」
吸うかい、と小さく灰を飛ばしながらこちらに向ける。元々こんな場所で、それらが栽培、製造されているとは思えない。聞いた知識、外の忘れられたものが流れ着くと言われても、それらは永遠に流れ着くことはないだろう。正確な定義は以降だが、有史以前からそれは人間たちと共にあったはずなのだから。
幻想郷は、あって当たり前と言われそうなものはあるものだ。国柄故に島国のそれに依るが、例えば食物などは全く見慣れないものではなく、草木もいずこでも見られるものだった。
それは、最初から幻想の中にも存在していたのだろう。
「知りたいってぇなら……あんたの種を受けてからだねぇ。それが嫌なら探してみなよ」
これ以上話に付き合っていたら、彼女の領分に飲まれるかもしれない。それに、問いたいことより興味のあるものが出た。
あれを下すための物に繋がるかどうか、と言われれば関係ないのかもしれない。しかし、それは上で見なかった、確かな闇の一つだ。
心を読む者に対する、心の暗幕。
何も言わず、その場を立ち去る。痕跡を残さず、何もいなかったように。
秘匿されているのは当然だろう。だが、暗部を治めたという自負がある。その道にしかわからない匂いを感じ取れる嗅覚がある。
信じるは己だ。
「て、あぁ、あらまあ。……あんた、いつでも見てるよ」
蜘蛛っていうのは足が敏感なもので、僅かな振動からどこに何がどんな奴がいるかわかるそうです。
決してヤマメちゃんが覚化したとかそういうのではないです。
求聞口授にはたてがいない理由と同じで説明する理由がなかっただけです。