【完結】深紅の協奏曲 ~ディアボロが幻想入り~【IF投稿中】   作:みりん@はーめるん

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―独奏、王に届くこと願い 1―

 足を引きずりながら、橋から都へとディアボロは戻っていく。

 悲鳴の一つもなく、まるで環境音のようにただただ家屋の破壊音が響いていた道程は人々の喧騒が少しずつ戻ってきている。

 

「担架組めー! ケガ人は一まとめに集めろ!」

「どこだ、ボーンナム! 生きているなら返事しやがれ!!」

「火を消すついでに周りのもんまでぶっ飛ばすんじゃねーぞ!!」

「さあさあ活気出して活気! 食べれるのたくさん作ってきたよ! こんな時だからお腹に入れておきな! ちょっとの悪用で元気になれるさ!」

「え、いや私は地上に戻らないとそろそろやばいし……あーもうわかったわかった! やるから服引っ張んないで!」

 

 大惨事の直後だというのに、すぐに復興へ向かっている。来てすぐに鬼の首魁とのやり取りで、先程の惨事が起こると大々的に知られている。そのための準備をしていたのか。

 だが、少ないとは言い切れないほどの被害もあったはずだ。それらを容易に受け入れられる土壌があるのか、それとも忘れようと、見つめないようにしているのか。関わり合いになろうとしないディアボロにはわからない。

 身を隠すように、物陰に隠れながら一歩、一歩。自分に全く非がないと主張はできるが、感情はそれを容易く理解させない。何の因縁をつけられるかわかったものじゃない現状、誰にも見つからないように進もうと考えていた。幸いにも遮蔽は多い。……皮肉なことだ。

 地霊殿へ向けてゆっくりと、ゆっくりと身体を引きずっていく。ただ、首謀の姉に問うために。災禍の中心、そのよく似た姿に問うために。

 しかし、意志に反して身体は徐々に動きを鈍くし、次第に立ち上がること、維持し続けることすら困難となる。

 恐怖に捕らわれ、限界を忘れて酷使した身体。負傷はなくとも脚も腕も体幹も、平時なら早急に休息を必要とする状態。

 そして、折れかかった心。

 幾度も、何もできなかった無力な自分、恐怖という渦に溺れてただ流されただけだった自分。その事実がじくじくと胸を蝕む。

 一方的、調子の良い下らぬ期待だったが、それは確かに自分に向けられていた。やり方には難を示すが、それでも住人たちは早期の解決のために名も知らぬ自分に期待を寄せていた。ただの贄として終わるのではなく、解決し、そしてお前も生きろと。

 それがどうだ。ただ逃げまどい、たどり着いた先。結局あの橋姫と呼ばれていた女が一人で解決した。あっさりと。全てわかっていたように。全く解法を得られなかった自分を嗤う様に、ただ自然に身を任せるように。何てことの無いように。

 外部とのコミュニケートを遮断していたように見えるあの女が実際に言いふらすことはないだろう。自身が生きていたことを知れば、あの男は生き延びて終わらせたと認識されるかもしれない。それでも、事実は違う。立役者は結局あの女だ。……何もできなかった。

 その二つがディアボロの足を鈍らせ、ついには膝折り、崩れさせる。

 

「……はぁ、……はぁ」

 

 長い溜息が思わず漏れる。早く行かなければ、という焦燥感が頭を支配するが、休息に浸かってしまった身体を動かす為の信号が、首から下へ届かない。

 横たわりそうになるのを抑え、何とか崩れた家屋にもたれかかる。そのまま溶けて眠りそうになることを何とか耐える。……こんなところで眠ってしまえば、そのまま目覚めないかもしれない。

 休んでいる暇はない。休まなければ持たない。その二つがせめぎ合い、それでも現実は動くことすらできなかった。

 

「はぁ……、…………」

 

 なぜ自分はここにいるのだろう。

 地に堕ちた自分が垂れた糸につかまり、這い上がり、再起を望むために立ち上がり……しかし、その先を見据えようとしたがために、今躓いている。

 こんな様では、もし当初の通りに進んでも立ち上がることもままならず、きっと吸血鬼にも相対することができないだろう。……命を拾えたともいえる。

 そう思い、ディアボロは首を振る。こんなことを考えてしまうほど落ちているのか、自分が嫌になる。とてもではないが、帝王と再起するために立ち上がった男の思考ではない。目の前の僅かな生に心を奪われている程度では。

 自分の手のひらを見つめる。……必死の中に拾った命を喜ぶように震えている、その手は見慣れていたはずなのにとてもとても小さく見える。ディアボロには、不甲斐ない自分を見つめているようでたまらなく悔しかった。

 

 そうして目を落としてはじめて気づく。……自分の様子を窺っている存在に。

 

 何もなければただのネズミと気に留めることはなかったろう。路傍の石ころのように、どうでもいい存在だ。この廃屋の陰に存在していてもおかしくはない。

 けれども、そのネズミはまるでこちらの顔色を窺うように、身を隠しながら、それでもしっかりとこちらを見つめている。ただの獣とは違う、意志をしっかりと持っているように。

 自分より大きい存在を恐れている、というわけではなさそうだ。そして、その存在が自身を気づいたことを知るとそろりそろりと身体を表す。

 小さな体躯を表に晒すと、そのまま器用に後ろ足で立ち上がり、前足でどこかを指す。まるで人間のような動作をして、知性ある獣のように。

 必死に全身を使い、自分の辿ってきた道を指し示す。戻れ戻れという様に。言葉の全く介さないボディランゲージ。

 全くその意図を理解できなかった。この地底で、このタイミングで、なぜこのネズミはこんなことをしているのだろう。

 動作の気概から、自分に何かを伝えようとしているのはわかる。今まで身体を引きずって歩いてきた道程を戻れと、橋の元、地底の入り口まで戻れと言っているのもわかる。それが、何故なのか。

 ネズミといえば、頭に浮かぶのは勝手に付いて来ていたナズーリンだ。そして、彼女もまた災禍に巻き込まれ、何もなければ地霊殿の一室で眠っているだろう。終わってすぐに動けるのならば、その場で待っているか、自分を探しているか。

 彼女は探し物が得意な様子だった。であるならば、自分を見つけることに苦はないだろう。なのに、何故このネズミだけが。

 簡単だ。『何かあった』から。それ以外の何物でもないだろう。

 ……問題は、その『何か』だ。

 良いことがあり、それを共有させるために自分を探す。それは確かに理がないわけではない。だが、このような状況で、その理があるはずもない。

 彼女が危機に瀕している。だから助けに来てほしい。……それでは、居るべきであろう場所から離れろと伝えようとしている理由が繋がらない。

 あるいは、別所に移動したからそこへ来いと。まだ理に適うが、ならば何故移動したのか、新たな疑問が浮かんでしまう。

 

「……お前は、何を伝えようとしているんだ……?」

 

 脳で吟味する前に、単純な疑問が口から出る。無意識なその動きはネズミにも伝わったのか、一度目線を落とすと、改めてディアボロに近づき、ズボンの端を咥えてその身体を引っ張ろうとする。当然動くはずもなくただたわみが伸びるだけだが、それの導こうとする先は確かに先程までの道だった。

 そうまでしての必死さには、確かな理由があるのだろう。他でもない、自分自身に伝えるべき事柄なのだろう。

 ……彼女に明確に恩があるわけではない。少なくとも、自分では感じていない。

 だが、彼女は打算なく自分を心配した。相手から全く信用されていないとわかっているにも関わらず、それでもディアボロという存在を気に掛けた。

 外、元々の世界では稀有な例であり、幻想郷に来てからは珍しくはなかったが、始まりは疑いから入っていた彼女が、ただ自分に気に掛けていた。

 

「……すまないな」

 

 理解はできないかもしれない。だが、ただのネズミではない、妖怪ネズミが存在する世界。本来持ち得ない知恵を十分に持っているネズミかもしれない。だから言葉にして表す。

 

「今の私では……お前の主人がもし危機にあるのなら、救えないだろう。……だが、約束しよう。陥れられたのならば、報復はすると」

 

 重たい腰を、膝を杖に立ち上がる。筋肉は未だ悲鳴を上げ、筋は休息を訴え、骨は軋みを上げる。

 しかし、立ち上がる理由ができた。自分だけでない、という理由が。

 ……思えば、あれも救いを求めていただけなのかもしれない。……最も、同情こそ、救いとは対極のものだが。

 歩き出す身体に、懸命に対抗するも当然敵う訳もなく、ネズミは体ごと引きずられる。僅かな抵抗はすぐ終わり、トボトボと、それでもディアボロの後ろについて歩く。

 そのまま歩みを続けようとして……振り返り、手を地面に下ろす。

 ネズミは最初は戸惑いを見せ、意を理解して消沈しながらもその手に体を委ねた。

 

「妖怪とは人喰いらしいな……もしお前が拠り所を失ったなら、私の身を捧げよう」

 

 傍からは独り言に見えるそれを伝え、乱暴にポケットに押し込む。

 もぞもぞと腿をくすぐられる感覚を味わい、未だ重く遅い足を地霊殿に引きずり込む。

 

 

 

 

 

 

 地霊殿も都と同じように、先の惨事により、最初に訪れた時とは別所のように崩壊が目に見え、それは一見打ち捨てられた廃屋のようにも思えてくる。

 だが少なからず建物の住人……動物たちが被害にあっていたように見えたが、その骸はどこにも見当たらない。先に片づけられたのだろうか。それとも……

 過ぎた事であり、ディアボロには関係はないことだ。辺りにまだ残る血腥さにこみ上げてくる不快感を抑えながら、崩れた門扉、その奥へと向かう。

 自分が抜け出た時と何も変わりはない。ただ、生きているものがいないだけ。たったそれだけ、だがそれだけで先程通った都との温度の違いを感じ取れる。

 本来これほど大きな建物であるならば、地底の統する者の建造物ならば。誰かしらが第一に来るものだが、その姿は一つも見えない。

 どのようなコミュニティにも、自分が害されてもその身を捨てて奉仕に尽くす者がいる。統べる、ということの単純な解の一つはそうした者たちの集まりなのだから。

 そういった姿がないのは、かつて一つのコミュニティを統率していたディアボロには不可解だった。その疑問を、今は全て飲みこむ。

 荒れ果てたエントランスホールを通り抜けて、かつての足取りを元に客室へと向かってみる。

 ホールを抜けてある程度足を進めれば、そこまで暴徒は来なかったか、急に元の姿と変わらぬ、荘厳だが人の気配の無い不気味な屋城が現れる。

 立ち尽くしていた烏羽の女もおらず、開け放たれていたはずの二つの扉は閉まっていて、倒れていた二尾の黒猫もとっくに姿を消している。

 扉を開け、中を見る。……誰もいない。それどころか、使われていた形跡もない。誰も使わなかったかのように。

 ズボンのポケットからわずかに鳴き声が漏れる。これが、彼の伝えたかった真実なのだろう。

 中に入り、軽く物色をする。机、衣装棚、ベッド。簡素に整えられた部屋には何も残っていない。

 ……唯一、残っている形跡。ベッドに掛けられた整ったシーツに僅かに残るシワ、一度使ったものをそのまま整えて使った、証拠を消そうとした痕跡。

 何も問われなければ、相応の嘘をもって答えることを明かしている。無血ではあるが、他者に容易に明かすべきでないやり方で『何か』が起きたのだろう。

 それを知ったか、あるいは伝えられて、彼は伝令の役目を果たした。投げ打ったのは、自分だが。

 願わくば、無事であるように。それを祈って足を戻す。相手がどこにいるかはわからないが、かつての邂逅、客間へ向かうしかない。

 

 

 

「お帰りなさい、戻られたんですね。……そして、生還おめでとうございます」

 

 ゆっくりと歩き、ホールへ差し掛かろうというところで、ぱちぱちと手を叩く音が静かな地霊殿に響き渡る。

 地熱で常に足元を照らされているこの館には影はなく、故にその姿を隠すものはない。正面から歩いてくるのは惨事の元凶、古明地こいしのその姉。

 記憶の中の彼女と変わらず薄らと開いた眼に僅かな笑みを浮かべ、胸の瞳は先ほどまでディアボロを追っていた瞳と違い明確に開いている。

 

「あなたが生き残るかそれとも死ぬか、あまり生きられると思っていなかったのですが。どちらにしても早期解決できたことには感謝申し上げます」

 

 姿勢を整え、丁寧に頭を下げる。その所作は、神経を敢えて逆撫でするかのような慇懃さだ。

 

「どの面下げて、ですか。そう思うのもわかりますが家族として、地底を治めている者として。私はあなたに感謝しています。不出来な妹ですが、それでも私の掛け替えのない家族でもあります。だから私には手が出せませんでした。それは他の者も同様」

 

 変わらず僅かな笑みを、どこか相手より優位に立っていることに優越を覚えていることを隠せていないような笑みを浮かべながら。さとりはそれでも言葉を続ける。

 

「きっと、他の者は感謝の程度はあれど、あなたに表立って頭を下げることはないでしょう。星熊童子に対してのあの行為、そして追随する彼女の仲間たち、以下の者たち……あの状態で幻想郷ではない人間が行う術では最善だと私も思いますが、だからこそ。私だけでも、あなたの行いを正当に評価する必要がある」

 

 あるいは、彼女なりの誠意の表れなのかもしれない。ただ、絶望的にその作りが苦手なだけで。

 ただ、そんなものはどうでもよかった。

 問うことがある、と口に出す前に、僅かながら身体を一歩踏み出す。……同時に、僅かにさとりは後ずさる。

 

「そうですね。何も知らず巻き込まれたのですから、結果だけを押し付けられたのだから。知りたいのは当然です。なんでも、答えましょう。たくさんあるようですし、ゆっくり一つずつ選んでください。全てに、答えましょう。……ここではなんですし、部屋にでも、いいですか、そうですか」

 

 眼を閉じ、笑みが消える。此方の行動を待っているのだろう。聞きたいことが、それが全て既に読み取られているはず。けれど、本人の整理のために口を開かせようとする。

 ここでも手のひらの上で転がされているような気分に侵され、気持ちのいい物ではない。誰からも好意的に取られないと言われる所以だろうか。

 その心を読み取られたのか、くつくつと声を抑えた笑いが、さとりから湧き出ている。

 

「古明地さとり……お前はすでにアレの明確な解放の仕方を準備し、だが敢えて何も伝えなかった」

「既にお燐から聞いているようでしたので、私から伝えることは何もありませんでした。パルスィとは既知でしてね、もしもの時にはお願いしていたのです。彼女……友達いないので」

 

 眼は閉じたまま、けれどそれが来ることは当然といったように。

 

「ならば何故初めからあの女を使い止めなかった? 奴ならば、被害を出すこともなく食い止めることができただろうに」

「くく、言ったじゃあないですか。こいしを縛ることなど、あの子も私も望んじゃいない。私はあの子の幸せを願っていると。選んだ結果は受け入れるべきですが、選ぶための道筋を縛ることはこいしに限らず誰もが望まないことです」

 

 決してこちらを見ようとはせずに笑みを浮かべる。だが、変わらず胸の瞳はこちらを睨み続けている。

 

「…………アレは事あるごとにお前を引き合いに出していた。過去に、アレに何をした」

 

 第二の疑問を口にする。こいしの暴走の発端、彼女の能力を知っていることを告白した時から付きまとっていた違和感。

 それまではいつも姉を第一に置くような物言いが見られてたが、あの最中では、事あるごとにさとりに対して、姉としての尊敬より、何か別の薄ら暗い感情を抱いていたように見える。

 

「そんなこと、たいして重要ではないと思いますが……? そうですね、命が懸かっていましたもの、疑問は当然です。端的に言ってしまえば、私の愛があの子には重かった、という事でしょうか。だから、今は手をかけていない。妖怪だって学びます」

 

 引き出された答えは、あまりにもあっけない肯定。それが答えだというのならば、こいしの現状を作り出したのは、なんてことなく答えた目の前の存在。そしてその者がとった次の策は放任というあまりに無責任な解答。

 

「あぁ、怒らないでください。結果としてあの子は私に愛憎両方を抱くようになってしまいましたが、あの子の本質は知っての通り。望むは皆の笑顔。私だけがそこからはみ出ている、それでいいのです。……覚とは元来そういうものなのですから……」

 

 一度、閉じた目を開いてこちらの顔を直に伺い、そしてすぐにまた自嘲を秘めた笑みを浮かべながら目を閉じる。

 誰からも好かれない、と周りから評価を置かれている。そして、それを他者から知れてしまう。

 そうであることが妖怪として、覚の矜持というものなのだろう。最初に会ったときにこいしの事を話しているとき、その矜持を踏み躙ったとこいしの事を誹っていた。

 互いの想いに、過去に、二人の間に何があったのか、どのようにすれ違ったのか。……ディアボロに興味が全くないわけではない。だが、今はそれに付き合えるほどではなかった。

 

「……ならば、もういい。人間の私にはこの地の底は暗すぎる。お前たちの歪んだ関係に付き合わされた事は大いに不服だが……解決した今、何も言わない。地上に、戻ることにしようと思っている」

「そうですか、それは残念です」

 

 口調は確かに遺憾は籠っていた。だが、片目を開けてこちらを見据える彼女からは、敵意とも、悪意とも取れるねばついた空気が湧き出ている。

 

「…………ですが……どうやって?」

「……だからお前に質問しよう。あのネズミを……ナズーリンを、どうした?」

 

 だから、ディアボロの語気にも伝播する。

 

「……どう、と言われましても。あの方は帰られましたよ。この事を巫女に伝えるとかで。……まさしく後の祭り、もう終わったことですし、何もないので歓待の用意くらいは考えておきますが」

「……目撃者が、居る」

「そのポケットのネズミですか? 確かに彼女の使役でしょうが、あなたに彼の声が聞こえているのですか? 言葉を介さない者と、人間とで」

 

 誰の目にとってもわかる、明らかな嘘。もし前提を知らぬとしても、表情、所作、全てが物語っている。わざと言っているように。

 明確な優位に悦を感じている、徹頭徹尾変わらぬさとりの表情。心を読めるから言葉を発せない動物の意志を理解し、そして目の前の相手の怒りの理由を知っている。向けられた侮蔑の感情も、また覚にとっては賜物なのだ。

 

「……」

「信用できない、ですか。そうですね。私に対しては否定しません、特に信用に値することをしていないのでそれでいいでしょう。……ところで、どうやって地上へ戻られるのでしょう?」

「……あの縦穴以外に、エレベーターがあるようだが……どうやら、使用させる気は無いようだな」

「くく、決してそういうわけではないのですが。いえ、こちらとしては迷惑をかけた身、もてなしもせずにお帰りいただくのは忍びなくて。何も急いで帰られなくとも、ナズーリンさんが帰られるまでゆっくりして行ってもらおうと思っていまして」

「そこに、私の意志が組み込まれていないようだが?」

「いえいえ、使いたければ使って帰られても結構です。……ああ、その選択はやめておいたほうがいいです。力づくなど、誰も願ってはいない。……それどころか、あなたは私に勝ち目はない。いえ、私もあなたに勝ち目はありませんが」

 

 ふわりと、重力を無視した挙動。僅かに中空へ浮かびながら、ゆっくりと距離を離す。ただでさえ小さな声と姿が、より小さくディアボロの網膜と鼓膜を刺激する。

 

「私はあなたの心が読める。故にあなたの攻撃は通用しない。あなたは私の未来が見える。故に私の攻撃はあなたに通用しない。……比類のない、素晴らしい能力です。だからこそ永遠に続く、追いかけっこが始まってしまう。最も、空を飛べず弾幕も打てやしないあなたがどうなるかは、自明の理です」

 

 離れた距離のまま、ゆっくりとその身を地に下ろす。遠くなった姿でも、変わらずあの表情は浮かんでいた。

 

 

「……ならば、何を望む? これ以上、私に何を躍らせる気だ?」

「一番最初に会ったときに言いましたが……私はあなたに興味がある。あなたの話を聞かせていただきたい。私は覚。前に生きる者の心の内に隠れた本質、恐れを喰らうもの。私はさとり。個としての趣味として、あなたの言葉を聞いていたい。……迎えが来るまで、ゆっくり語らおうじゃあないですか。あなたの事、私の事。こいしの事、ナズーリンさんの事。あなたが私と心からの会話に付き合ってくれたのならば、私は喜んであなたを送り出します。この古明地さとり、相手の虚を暴くもの。故に、嘘は吐かぬと誓いましょう」

「……断る、といったならば」

「私はこいしのように強制は致しません。あなたの心がこちらに向いた時でいい。……時間は有限ですが、限度まで無為に過ごすであるならば、それでも良いでしょう。その間に何が起ころうが、私の、知る由ではありませんので……」

 

 さとりは振り返り、無防備な背中を曝け出しながら廊下を行く。懐から小さな金属を取り出すと、こちらを見ずに放り投げる。

 全く狙いの定められていないそれはディアボロの遥か手前でかちゃんと音を立てた。

 

「私室のカギです。意が固まりましたらいつでも御出でください」

 

 

 うっすらと、彼女の押し殺した笑い声だけが残された。

 


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