【完結】深紅の協奏曲 ~ディアボロが幻想入り~【IF投稿中】   作:みりん@はーめるん

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―深紅の協奏曲 4―

「始まりあれば終わりもあり。終わりもまたはじまふっ」

 

 口上を述べ、垂れた頭を上げたその瞬間、紫の前面から膨大な質量を伴った妖魔の槍が炸裂する。

 それは戦いの最中何度も使ってきたレミリアの一撃。彼女の気勢を表す激を伴っている。

 一瞬の後、背後の壁に大きな穴を作って霧散した。もっとも、そこから射す光は暗幕によって遮られている。良くできた従者だ。

 

「……いきなり何をするの」

「いや、さっきバカにされた分だけど」

 

 投げた本人も投げて当然という顔をし、受けた本人も投げられて当然といった顔のまま。紫の上半身はスキマを境に消え去り、少し前から新たなスキマを作りそこから出されている。

 随所で話に上がっていたが、いともたやすく不可解な現象を引き起こせる。噂に聞いた者だとディアボロは思う。そして、彼女が現れてから身の毛のよだつ空気も感じられる。産毛が逆撫でされ、肌が粟立つような空気が、この緩やかな空気の中でも感じられる。

 

「相変わらず、いろいろ足りていないわね」

「羨ましいか。若さは武器だ」

「子どもの背伸びほど見苦しいものはないわね」

「わざわざ腰を曲げる必要をまだ感じないなぁー」

 

 言いあう二人も微笑ましいが、冷えた空気は変わらない。それは、まだ自分が人間であることを示しているのか。

 

「……と、貴女と話をしに来たわけじゃあないの。もっとも、楽しい時間は過ごせたみたいね」

「ああ、おかげさまでな。まあしばらくはおとなしくしておいてあげるよ」

 

 少し忌々しげに言い放つレミリア、それを受け微笑を浮かべ、紫はディアボロの方へ向く。

 

「……賢者、彼に何の用だ?」

 

 一歩、ナズーリンが前に出て彼女を窺う。少なからず、何も知らぬであろう彼を守ってやろうという気持ちが少しはあるだろうか。

 

「……ユカリ、私もお前に言いたいことがある。大丈夫だ……ナズーリン」

「……」

 

 しかし何も知らない彼女を退け、紫に向き合う。今まで、自分の事を測ってきた者達、その頂点。

 目と目が合い、わざとらしい笑顔を形作る少女は、確かに夢の少女と変わりない。

 

「……お前が姿を現したということは、『全ては終わった』……ということか?」

「…………ご明察。希望ならば、席を外させますが?」

「ちょっと、あんたたちに何があったかは知らない。けど吸血鬼の城の中でそんなこと言われる筋合いはないよ」

 

 一番に噛みつくのはレミリア。言葉の中に潜む移動ではなく排除を選ぶセンスに主として怒りを隠さない。傍らにはいつもの通り、咲夜が待機している。いつもの通りの赤い瞳で。

 

「やめろ。わざわざ争いを起こす必要はない。スカーレット達も私に関わった以上、聞きたければ聞けばいい。今の私に傍聴を止める権利はないし、どこまで行っても、関係の無いものには関係の無い話なのだからな」

 

 一触即発の空気の中を割り入る。ディアボロはすでに受け取っていた。彼女の決意と熱意を。

 

「お兄さん……どういうこと?」

「私の能力には……スタンド能力には先がある。その力を用いた者が、幻想郷を巻き込む宇宙の事変を巻き起こした。私はその能力のテストケースとしてこの幻想郷に連れてこられた」

 

 彼女の目的をためらうことなくその場に居る全員に向かって話す。事実は、その場に居る数人に少なからずの衝撃を与えていた。

 

「あら、勝手に話されてしまっては困りますわね。何のための実証でしょう」

「……紫が泣いて請うたあの事変の、原因ですか?」

「泣いてません」

「あ、失礼しました。弄るつもりではなかったのですがつい」

 

 ついうっかり、と完璧に偽った表情を浮かべる咲夜。先ほどの主へのための意趣返しだろうか。

 

「……とにかく。そのためのテストケース。妖怪を恐れる人間たちが、人間を恐れる様になってはいけないの。あの事変が人間同士の争いの結果だとわかってしまえば、この幻想は崩壊する。レミリア、貴女がここに来た理由もそうだったでしょう?」

「……そう、だけどねぇ。私には咲夜がいる以上驚きはしなかったが」

「だからこそ、貸してくれたのでしょう? 本当、痛み入ったわ」

「気持ち悪っ」

「レミィ、突っ込みいれてたらいちいち進まないよ」

 

 他と違い、ほとんど興味なさげなパチュリーの声が間を刺す。

 

「まったく。……話を戻すわ。貴方を観察し、外に起きた因子を探り。……結論を言うわ。貴方に、いえ、その他の者にあそこまでの事象を起こしうる力は存在しない。100年の歳月とそれにまつわる数奇な運命、そして周到に用意された贄と土地。……そこまでを用意することは二度と、起こらないでしょう」

 

 そういって紫は一冊の本を取り出す。本、というよりは少し厚い、使い古された黒いノート。それを取り出すや否や、ノートは紫の炎に包まれ消失する。

 

「あ、何なのよそれ」

「とある男と、その因縁との長い長い結末。届かないが故に手を伸ばし、果てには天国を掴んだ男の話。……今は、それも過去の話。終わった話を不用意に紐を解く必要はない」

「……天国? それが、何の関係が、……むぅ」

 

 口を挟むナズーリンに対して、何も言わずに紫は睨みつける。同じことを二度繰り返す必要はない、と言いたげに。まさしくその通りなのだろう、意図を読んだ彼女は諸手を上げて押し黙る。

 

「いずれにせよ、あのことについて皆が考えることはない。皆が悩むことはない。巡り巡って大団円、です。彼が、受け入れるのならば……ね」

 

 眼の先が、ナズーリンからディアボロに移り、自然とその場の者の視線も彼に向けられる。

 

「幻想郷から貴方を束縛する理由はなくなった。いくらか貴方が歩む道を敢えて与え、道より先も、貴方は自分の力で歩みを進めた。……結局あの事変でさえ、人の歩む道の先だったのだから。貴方は歩き切り、そして次へ行くのなら」

「…………」

「けれど、一つ付け加えるのなら。幻想郷の外へは……元の世界へ戻るのであるならば、貴方の枷は全て再び嵌められる。幻想の中だけでだけ紡げるものを外へ持ち出すことはできない。万に一つ、良成る可能性を信じることもできますが、期待しない方がいいでしょう」

「…………」

「もし次へ進まず、ここを終点とするならば。外への未練を断ち切るのならば愛した我が子と共に永住するのもいいでしょう。別の形になりますが、貴方に平穏は訪れる。貴方が手にすることのできなかったものが、幻想郷なら手に入る」

「……」

「岐路は訪れた。以後選択はないと心得よ。遷ろう時を澱ませることなど、本来できはしないのだから」

「できますが」

「お静かに」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」

 

 唐突に突きつけられた選択に、再びナズーリンが声を上げて制止を求める。

 

「彼が幻想郷に来た理由も、彼が過去に何をしたかも私はよくわかっていない! だが、それほど事を急かす必要ないだろう! 何故、そこまで急に選択を迫るんだ!」

「黙りなさい。貴女が割り入る事ではありません」

「黙ってられるか!!」

 

 顔色を興奮の赤で染め、体躯に会わぬ大きな声を辺りに響かせる。彼女を知っている者ならわかる、面倒事に積極的に関わろうとはしない姿勢とは異なる姿。

 

「彼がここに来てからは短い、だけど彼に関わった者も多いはずだ。なのに誰にもさよならも言わせずに追い出すつもりか! 少しでも、考える時間くらい与えてもいいだろう!!」

「ネズミの癖によく吠えるわね。彼を最初から信用もせず怪しんでいたのは、貴女ではなくって?」

「それはっ、そうだけど! だけど、彼の帰りを待っている人がいる。彼に心配る人がいる! 彼はもう、一人じゃ」

「やめろ」

 

 喚きたてる彼女を制止する声。しかしそれはいつもの無理矢理にも押し黙らせるような重みのある声ではなく、どこか温かみのある声。

 後ろから話しかけられて顔を向ける間もなく、その頭に手が置かれる。優しく、感謝の込められたごわつきを感じられた。

 

「考える時間を与えてやれ、それができぬならせめて別れの挨拶でもさせてやれ。……よく言うじゃあないか。あの寅柄の女はお前の主人だったな。奴を立てるため、か」

「違っ、そんなんじゃ……」

「それがお前という人間なのか……私にとってはどちらでもいい。だが、嬉しいよ」

 

 置いた手をそのまま軽く動かす。不器用な自分が、それでも精一杯の労わりを表そうと。

 

「うわ、な……?!」

「短い間だった。けれどもそれは私という人物を見直すには十分すぎる時間だった。その間に様々な人間と関わった。私の姿でも、ドッピオの姿でも。……レクイエムに囚われるべくして囚われた自分を矯正するかの如しに、出会い、別れ。そしてまた出会い、別れていった」

 

 

 流れ着いたのは何時かわからない。閻魔の言葉を用いるならば、目を覚ましてからの四日間だけではない。

 彼女らに見つけられてから、一週間と経たずも、その全てが自身を生まれ変わらせるための邂逅だった。

 

 

「なんだかんだ言いながらも、結局は恐れていたのではないか? 私のようなものが幻想郷を犯すことを。悪の心を持った『人間』の行動で、この世界の人間の心に悪意を芽生えさせることを。……人間を一番殺しているのは、他ならぬ人間たちだ。幻想郷で人間同士の争いが起きれば。……妖怪よりも人間を恐れれば、この世界は崩壊する」

 

 

 どこもかしこも作為的だった。何か筋道を与えられているようだった。その事実は先ほど目の前の本人によって伝えられた。

 前から知らされていた。全てを知らされていない、それでも智慧溢れる獣から。

 

 

「……だからこそだろうか。最も、と言えばいいのか。ヤクモユカリ、お前の与えた道筋に乗って、私はここまで来た。もし乗らなくても、結論は同じ地点だろう。私は、奪われ、囚われたのだから」

 

 名指した彼女の瞳が自分を定める様に舐めつける。

 

「金も、地位も、名誉も。何もかもを奪われた。奪う者と奪われる者の関係、今まで自分の存在を確立するために奪ってきた私を、奪うことを完了させた男が出てきたという話。……だからといって、それを行ったものが本当に奪うだけの者だったのかはわからない。私が奪ってきたものを、元に戻しただけなのかもしれない」

「な、何を言っている! 君がどんなやつだって、今はここで過ごした人間であることに変わりはっ」

「だから言っているだろう、どちらでもいいと。私の中で、答えは既に決まっている」

 

 紫の瞳は、全てをわかっているかのように。

 

「この世界で過ごすことも魅力的だ。全てを忘れ、安寧を求めて。スカーレットにも言われた時、僅かに心が揺らめくほどに。だが、私には」

 

「「「諦めきれぬ野望(ゆめ)がある」」」

 

「……だろう?」

 

 自分の言葉に被さる二つの声。片一方は紫から、もう片方は先ほど名の出たレミリアから。

 

「さっきの戦いからのお前の固執、滲み出る執念は並々ならないものだった。百の言葉よりも濃密に語り合ったから、もしあの場に居たら誰でもわかるよ。最初に語った時から、既にお前の心は外に向いていた」

「……かの閻魔から聞いているでしょうが、貴方を取り巻く呪いに対する感情、貴方自身の思い。それからは普通に過ごしているだけでは感じられないほどの執着。ふふ、筋道は決まっていたようなものでした。男の人って、不器用ね」

 

 互いが、示し合わせたようにディアボロの未来を肯定する。

 

「……ふたり、とも……」

「その通りだ。私の心は既に決まっているのだから、今更に何を言われようとも揺るがない。……こうも、引き留めることに心動かされることも、無かったかもしれないがな、以前の私には」

「…………はは、何だ、私が馬鹿みたいじゃないか。心決めた相手に、がなり立てて。急なことで熱に浮かれていたのは私だけじゃないか」

 

 目を伏せるナズーリンの小さな頭を、再びくしゃりと撫でまわす。

 

「だから言っただろう、嬉しい、と」

「……ふん」

 

 そのまま顔を逸らしたまま、その場を動かず。

 

 

「終わったかしら?」

「ああ。私からは、もう何もない」

 

 二人のやり取りを終えた後、再び紫は語りかける。終わりへの一歩を。

 

「私たちからも何もないよ、既に言葉は不要。そうだろう?」

「……少し名残惜しいけど、思い出には留めておく。だから、お兄さんも忘れないでね?」

「見たこともない時空間能力でしたが、世界の一つとして心得ておきます」

「ノーコメント」

「えーっと。まぁ、幻想の境がもし無くなったらまた会いましょう」

 

 紅の者達が、不要と言いつつも言葉を投げかける。

 

「…………君は、なんて言うんだ」

 

 床に落ちたままの顔が、僅かに聞こえる程度に声を出す。

 

「何がだ?」

「……名前。あの少年はドッピオだ。なら、今の君はなんと呼べばいい」

 

 自分の名前、と言われてふと思い出す。そういえば、誰にも名乗っていない。ドッピオの時はともかく、誰も彼にも。既に自分を知っている者は名を呼んでいたから片隅にも置いていなかったが、それらを除けば自分の姿を知る者はいても名を知る者はいない。

 顔を出すことすら禁忌とし、知る者全てを消してきた自分にとってそれが普通であった。だから、改めて聞かれる事に戸惑いを覚える。

 

「私はお前たちに二度と会うことはない。名を覚えることなど、無用だろう」

「違う。憶えることは……別れる者の責務だ。君が私の事を知っているのなら、私も君の事を知らなくてはいけない」

 

 顔は上がらないが、言葉はそれでも強い。自分の中の常識には当てはまらないが、おそらく、彼女にとっての意志であり義務なのだろう。

 ……自分がこれから帰ることができる以上、自分を知る者が外の世界、元の世界に来る可能性もゼロじゃない。それなら、話すべきではない。

 

「……ディアボロだ」

 

 けれども、ディアボロは名乗った。今までに寄せられていなかった、自分もしていなかった。部下の一人は組織に必要なものだと強く謳っていた、信頼。それに任せ、名を口にする。

 

「ディア、ボロ……確か、……悪魔、だったか」

「ああ。私を産んだ者からもらった唯一の贈り物。……名は体を表すと言ったか。それに違わぬ者となったな」

 

 少々自嘲気味に付け加え、彼女に名を告げる。……凡そ振り返って、それは初めての行為だった。身を隠すようになってから、こと幻想に至るまで。

 

「そう、か。……ドッピオは見つからなかった。そう、伝えておくよ。不意に来る外来人が不意に帰ることも、珍しくはないからね」

 

 小さな縁者が、ちうとそのまた小さい縁者と共に小さくつぶやく。

 

 

 

「…………それでは、私の手を取ってください。夢と現の境界へと、導いてさしあげます」

 

 差し出された小さな手は、禍々しさをも感じられるほど、決断すべき岐路。それほどの重みがあるとは見ただけでは想像できないが、街角のどこにでもいるような、強く握れば容易く砕けてしまいそうな幼子の手は、確かに自分の運命を決定するもの。

 だからこそ躊躇なく。だからこそ力強く。存在を確かめる様にその手を握りしめる。

 その瞬間、両脚は確かに地面についているが、それでも落下するような浮遊感が襲う。同時に、視界は紅魔の館から無数の何かに睨まれている、暗色に包まれた空間に変わっている。

 確固たるのは自分と、目の前の少女だけ。辺りを振り返ろうとする心が僅かに芽吹くも、それを意志で押しとどめる。それをすれば、心が揺らいでしまうから。

 

「その通り。人生の分かれ道に『もしも』は存在致しません。この場で貴方が振り返ったのなら、私はこの手を放し永遠にこの空間の放浪者にしていたでしょう」

「……何も言わないで、人の悪い女だな」

「ふふ、ヒトではないので。貴方なら、そうするでしょうと思っていましたから」

 

 笑顔を向ける紫の顔は、どこか狂気じみた、この世ならざる人外の眼をしていた。殺しに快楽を置く者、脳を汚してでも悦楽に浸る者、他者を歪めて愉悦に浸る者。そういった者達とはまるで違う瞳。

 

「……妖怪。悪魔か、化物か」

「もう、神秘的な邂逅は終わり。……ありがとう、さようなら」

 

 徐々に声が遠くなり、繋いでいる手の確かさ以外の全てが曖昧になっていく。薄れ、今まで取り巻いていた幻想の空気が元の世界と同じ空気を漂わせていく。今までにどこか当たり前になっていた、それが違うということを感じさせる。

 

「……本当。貴方の言うとおり、藍の言うとおり。あんなことを言いながらも貴方という人間を危惧していた。自分で幻想に招いた者が幻葬へ導いてしまうことへ。自らの責を自らで拭うことに。……無責任なの、嫌いですから」

 

 もはや残された確かな感触もあやふやになってきたその時の、少女の独白。世界を守るために、危険因子を持ち込むことの矛盾。

 伝え聞く彼女の力が言葉通りであれば一人の人間などたやすいはずなのに、それは彼女の操れない唯一の境界だろうか。

 

 

 

「……だ ら、ありが  」

 

 消えゆく、声。自分というものも曖昧になり、意識だけが柔らかい水の中で揺蕩っているかのような感覚。上下も前後もすべて不覚、ただひたすらに深く沈んでいく。

 

 

 

 

 本当にこれで良かったのだろうか。

 死の輪廻の果て、再び得た命をまた死の輪廻へ持ち込もうとしている。

 

 おそらく、いやきっと、勝てないだろう。ジョルノ・ジョバァーナに。

 自分の背負っているもの、奴の背負っているもの。どこまでも自分のため、どこまでも他人のため。それは、幻想郷で知り得た。人間の強さ、その限界値はそこにある。

 それに気づいたといえ、ならばそこに付け入る隙はあるか? 自分が並べるほど他人に心を回せるか? ……どちらもノーだ。

 生まれてから積み上げてきた使命が違う。出生を呪い、環境を呪い、全てを自分色に塗り替えるための奪い続けた自分。奴のそれはわからないが、あの時の虫唾が走る様などこまでも気高い瞳は受け継ぎ守るものの意志の表れ。

 5日に満たない程度の滞在、それでどこまで人間が変わるか。自分は理解しただけ、何も変わりはしないだろう。その程度で変われば、聖人など、自分のような存在などあるはずがない。

 

 

 

 何故、自分はそれだというのに深みにまた堕ちようというのか――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「  がぼっ、が、ごぼぶっ」

 

 思考の波が、急に現実の身体へと引き戻される。酷く苦しくもがく要因は、周りに不快にまとわりつき頭の先まで満たす水。温かくもなく冷たくもない適当な水温は、関係なく自分の身体を苛んでいた。

 どこか掴まるところは、とにかく呼吸を、上へ、上へ。胃も肺も水で満ちそうな中、ひたすらにもがき続ける。

 めちゃくちゃに動きまわしていた腕に肌を斬る衝撃、それを頼りにひたすらそれを上る。

 

「がぼぼ、ごほっ、はぁ、はぁっ」

 

 突然の水中と動転に相当の体力の消耗を感じつつも、何とか水面へ上がる。足りない酸素が、まだ水に浸かる身体を重く引きずる。

 それを持ち上げようとするも、全く動こうとしない。両腕に力を込めても、燃料の切れた車をいくら叩いても動かないのと同じ、浮力という車があったから進めた道も、もう進めそうにない。

 

「……おいっ! 大丈夫か!? 誰か、手を貸してくれ!」

 

 崩れ落ちそうな自分の身体を、不意に誰かが掴みあげる。

 

「しっかりしろよ! 一人じゃ上げらんねぇけどすぐに他の手が来る! ……おーい、こっちだこっち! 行くぞっ!」

「「「せーのっ!!」」」

 

 誰だかわからない、なのに男たちは無償で手を差し伸べた。自分を救おうと必死になっている。

 ……何だっていい。残りの力を振り絞って自分も上がろうとする。いくら何でも、こんなところで死にたくはない。

 

「……がっ、はっ! げほっ、ごふぉっ!!」

「大丈夫か? 水吐け、水、おーい、拭く物! 後、ゆすぐ水となんか簡単に食えそうなもん持って来い! 息は大丈夫そうだ!」

 

 介抱され、徐々に周りを見る余裕が生まれてくる。言っていることはわかる、ということはここは祖国だろう。まさかここにまで言語の壁を取り払う計らいをしているとは思えない。

 周りの様式も、幻想郷とはかけ離れている。よく見た、石造りの整備された下水脇。集まってたむろうとも表だって集まれない者達がここに集う、そんな場所。

 介抱した男たちが来ている者はみすぼらしい、というよりは汚れても問題ない古びた作業着のようだ。自分の身体を拭いたタオルも身体を拭くための大きい物ではなく、作業中にかいた汗など拭くための小さなもの。自分に暖を与えた上着も先ほどのそれだろう。

 集まっている者達は男性、という点以外に共通点はない。作業着も制服というわけではない、誰も彼も適当に着こなしている。

 

「……なッ」

 

 そこまでして、ドキリとした。自分を介抱した男の顔。いくらか年嵩は増えているものの間違いはない。

 

「……ん? 俺っちの顔に何かついてるか? あ、冷えてるだろ、俺っちの上着かけろや」

 

 上着を差し出す彼の顔は、確かにあのとき、レクイエムの攻撃を喰らった後、かろうじて這い上がった先に自分を刺したごろつきの顔。レクイエムを認識させた、全ての始まり。

 何故その男がここに、中毒症状はどこへ? 何故こんな活動をしている? 他の男たちは?

 

「……ここは、何処だ? 今、いつだ?」

「へ? ティベレ川脇の排水溝だよ。いつって……頭でも打ったか?今は2012年の5月だよ。……食えるか?」

 

 差し出された携行食を受け取り、ゆっくりと噛み締める。共に、伝えられた状況も。確か、月日は山の上の神社で聞いた通り。まさかここで嘘を言われることはないだろう。

 

「……お前たちは、何故ここに……? 助けてもらって言うのも何だが、こんなところに……おかしいだろう」

「おかしくなんかねえよ、俺っちみたいなやつらはまだこれくらいしか仕事割り振られねぇからなぁ、へへへ」

 

 みたいな、やつら。歳を重ねても下水漁り程度の仕事しかできず、けれどそれを不満に思わず遂行している。

 

「……更生、か? 薬物中毒の、社会復帰」

 

 本来なら後ろめたい事。それを指摘しても、全くそんなことを感じさせず、変わらず浮ついた笑みを浮かべたまま男は話す。

 

「あぁ、そうだよそうだよ。俺っちも以前は使ってたんだけどよぉ、今のパッショーネ、ボスがジョジョってわかってから正反対にそういうの抱えなくなってさ……へへへ、最初は反発もしたけど今じゃあ元ヤク中達が集まって綺麗に奉仕活動よ。へへ、俺っち達も真面目に戻れたもんだなぁ」

 

 悪意の無い、紹介。自分に与えられた施し。それらを受けられた要因は、かつて自分を粛清した者。

 確かに、疑似麻薬による快感は純度の高いそれと変わらず高い昂揚感をもたらし、脳の汚染も変わらない。だが、奴の能力を持ってすれば。失ったものを作り出せるジョルノのスタンドならそれを取り払うこともできるだろう。

 10年以上も経っている。もはや自分の築いたルートも、麻薬を生み出していたマッシモも存在しないだろう。仮に生きていたとしても、再起不能かジョルノ側に移っているだろう。そのどちらかの可能性があるのなら、中毒者の再起も十分に考えられる。

 自分が、自分の為に汚したこの街を、この国を、奴は再起させている。

 

「……ふ、ふ」

 

 なんということだろうか。それほどの男に、再び立ち向かおうとしている事。彼によって生かされたようなものなのに、それでも向かおう考えていたこと。

 普通に考えれば、なんて馬鹿なことを考えているのだと思ってしまう。支配者を争っていた時代は、すでに終わっているようだ。裏社会を浄化し、表社会に復帰させようと考えている。そんな相手に、一人過去に負けた男が再び立ち向かえるか。

 

「お? 、お、おい!」

 

 そんなもの、関係ない。失ったものを取り戻すことに、理由はない。落とし穴に落ちた。マイナスになった。落とし穴から上がる。ゼロに戻る。それだけ。誰しもが求めることだ。

 被せられた上着を、拭ったタオルを投げ返す。一歩、また一歩と踏みしめる。

 自分の傍に立つ者、キングクリムゾンはあのころと変わらずに立ち続ける。

 ……だが、あそこと違い、足りないものがある。

 最後にユカリは言っていた。幻想で紡げるものは幻想の中でだけ。始まりの時、意識を取り戻し再び恐怖に落ちたその際に再び生み出したドッピオは、こちらには来れなかったのだろう。あそこで得られたものはあっても、持ち帰れるものは何もないということか。

 

 どうでもいい。それでも、ドッピオは見ているだろう。私という存在が消え、幻想でも消え去っていたとしても。自分の思いが消えておらず、ならばそこに彼は存在する。

 鎮魂歌は未だ耳に響いている。ならば、それを上書きしよう。我が子と奏でる、最初で最後の協奏曲。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帝王はディアボロだ……依然、変わらずに」

 




to be continued...

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