【完結】深紅の協奏曲 ~ディアボロが幻想入り~【IF投稿中】 作:みりん@はーめるん
だけど、それでもその言葉を使いたがるなら……そうね、重力っていえば、分かりがいいかしら。
スカーレットは自負している。己の強さも、弱さも。一芸に秀でていない、その凡庸さも。
私たちには鬼の様な力強さもない。天狗の様な俊敏さもない。魔法使いの様な知識もない。蓬莱人の様な不死でもない。人間の様な多様性もない。
一極、尖ったものがあればそれを人が見て羨望と嫉妬、恐怖の目を向けるだろう。力を持つ者とは、知性を持つ者とは。生きる者、比べたがるものとはそういうものだ。
吸血鬼とは、なんとも凡庸で目の無い種族だろうと。
そんなわけあるか!
鬼に俊敏さも知識も不死性も多様性もあるか?
天狗に力も知識も不死性も多様性もないだろう?
魔法使いが力も不死性も多様性も持たないだろう?
蓬莱人に身体能力と知識で負けるか?
人間に、どこか一つとして劣るところがあるか?
そんなはずないだろう!
己に誇りを持て。その血も、その種も、その命を。
持ちうるすべてを傲慢に振るえ。歩けば、自ずと道になる。それは、彼の者達にはできぬ業。進めば自ずと臣下は歩く。それが、私たちに許された業。
あいつらにできて、自分にはできないことなど何もない。
……だからこそ、だからこそ。
「くくっ、ははははは!」
戦いの最中、自然と笑みがこぼれる。目の前の、この世界で一番矮小であるはずの人間と立ち向かうたびに。
近づかずに攻めるのはやめた。僅かな思考を与える程度の弾幕では、悉く避けられる。通常のスペルカードルールでは使用しない、逃げ場のない密度でさえも、気づけば彼はそれを抜け、こちらに刃を向けるのだ。
以前に立ち会った天狗の写真機とは違い、弾幕を無視して『すり抜けて』いる様な。咲夜のように時を止めて抜けることとは、少し違う。どれほどの厚い幕にも、僅かな隙間を瞬時に把握し、そこから漏れ出てくる。
弾幕の防御は行うが、反撃を行わずに詰め寄ってくる以上、おそらく相手は遠距離に対応できるような技術はない。相手の心が折れるまで、いつまでもいつまでも追い払うのは簡単だが、血肉はそれでは湧き立たない。
「ふっ!」
愚かな弱者を踏み躙るため、蹂躙するためならばそのような手を汚さない方法が大多数の精神に打撃を与えられるために有効だが、勇敢な単騎を落とすには自らで手掛けた方がいい。ただ殺すためではなく、互いに相手を認め合い、真っ向から称賛を浴びせあう。
何もいらない、ただそれだけで。煩わしい全てを削ぎ落した、最もシンプルな解答方法。
彼の答えの一つ一つを、自分の問いの一つ一つを。境を経て、それは逆転してぶつかり合う。
今もまた、速度を乗せた重打を『何か』で逸らして受け流された。並の盾なら、例えば美鈴の気塊ならそのまま砕き爆ぜる程度には力はこめていたというのに。
眼前にナイフが迫り来る。咲夜が使う、銀製の投げナイフ。彼女が扱うものとして、直接使用することもあるためむしろ普通のナイフのような重さと大きさ。元々女性用であり、相手が使う分には少々小さい。
だがそのバランスにもすぐに適応し、余計に振り回すことなく的確に急所を狙う。
本体として、能力は並の人間、もしくはそれを上回るが少なくとも自分の様な、妖怪を相手取る力はないのだろう。並の妖怪にすら歯が立つかどうかもわからない。
補うかのように彼の身体を中心に取り巻いている人型の『何か』。美鈴相手時に感じていた違和感。相対してみればそれの存在は明らかだ。自分自身には隠す余裕がないのかもしれない。頼りになる部下だが、それでも力の差は圧倒的だから。
自分の攻撃を受けた時の肉打つ感触。自分に攻撃をする拳、脚。全く見えてはいないが、物理的干渉は行えるのだろう。それの挙動に関連して、音や風圧は隠されていない。
そんな『何か』こそが彼をここまでの高みにあげる存在。それこそが彼の懐刀。
「ハァッ!!」
一瞬に身を潜め、自身にも見切れない速さでナイフを振るわれる。顔面に振るわれたそれを右腕で防御するが、衝撃。
左側頭部に頭蓋を直接砕き中を覗きみるための一撃が響く。骨にヒビが入るその音が、中から軋んで鼓膜を揺らす。
「っ、ぐぅぅういぃぃっ!」
右手には深い裂傷があるが、そんなものは気にならない。頭に受けた腕を残した左腕で振り払う。
後手で先も取れないが、直接に触れて払うことができるという確かなこと。
受けた負傷を持ちながらも、全身をバネに後ろに飛び跳ね、距離を離す。彼の追撃はなく、一旦の膠着になる。
「ははは、今のは危なかったかな? いかなものでも、頭を砕けば続行は危ういからね。死にはしないけど」
不思議に思うことは一つ。徹底して彼は追撃を嫌う。機会の後続を狙おうとしない。……もっとも、今の一撃でもそんなことをしようものならとっくに彼の首は永遠に治らない傷痕を負うことになっていただろうけど。
深くはない右腕の傷、その他衣服と共に僅かに切り裂いた小さな肌から滲む赤は塞がっていない。だが、その他殴打した痕は僅かな時間を置いた後には再生している。
不死身の吸血鬼。話にならないほどに優れた存在をまざまざと見せつけられているよう。
均整のとれた幼顔を崩すことは神が許しはしないというかの如くに頭の傷は塞がり、ずれたキャップに噴き出た血が染み着くのみとなる。
目星は付いていたので調達の予定は完了しており、回収ができた吸血鬼ハンターの武器が無ければ、館の紅の一部になっていたかもしれない。あっけなく。
あまりにも無謀で、あまりにもお粗末で。……そんな滑稽さに、酔っているのかもしれない。
「『それ』」
未来の様を垣間見ようとしたときに、まさしくその行動を咎めるように、レミリアから声が発せられる。
「何かに付けてちらちらと『何か』見てるね。お前には一体何が見えているんだ? いやいや、純粋な興味だよ。けれども、命を懸けたやりとりに相手から目を逸らす瞬間がある方がおかしいだろう? それも一度や二度ではない」
気付かれたところでそれを上回る力を自分が持っているとわかっていれば、そのまま何も知らずにいたことを幸せに思えるようにするのだが。彼女相手に、こと幻想郷にてそれは通らない。
早くに気付かれる、どうしても外せないエピタフの『予知』。それを見ることで得られるものは大きいが、そこを見切るレミリアの才覚。
「お前に取り巻く、人型を見ているのか? 私の周りにまだ何かいないか、探しているのか? ……んー、違うな。お前」
もったいぶった、大仰な様子で悩み、考え、わざとらしくたどり着いた結論。
「運命や未来が、見えているんじゃあなくて?」
発せられるのは、僅かに自分の鼓動を速め冷えた汗を伝わらせる現実。
「大方はそれで納得ができる。不可能弾幕も、人間の目には捕らえきれない私の動きも、全て『視えて』いたのなら。結末がわかっていたのなら。視えているのは残酷な運命か? それともそれを回避した未来か? 『絶頂』に固執していたが……。なるほど、そんな眼を持っているならいかに矮小なものでも野望は持つだろう。感覚ではなく、視覚として展開しているのがやや不便そうだが……」
小さな締め括りを持って自分への疑問の答え合わせを求める。浮かべている笑みは、彼女自身の推察への確信。
短い時間ではあったが、その濃密さゆえに嗅ぎ取られたことへ、僅かながらに称賛の気が湧き出る。
自分と対峙し、生き残ることができればその能力への強大さと全貌に気付くことは容易だろう。故に、今まで知っている者を逃しはしなかった。
だが、ここでは知られてからが本番だろう。知らぬ者は恐れるが、端から土俵の違う生物に対して、その溝を埋めるだけだったのだから。
「操れると聞いているが、お前には視えないのか? 自分の運命が」
「滅多なことで視るものじゃないんだよ。お前も百を超えれば理解できるさ、そんなものに振り回される自分の醜さが」
ディアボロへの返答を共する行動で返す。彼女の言の末尾は既に後ろから聞こえていた。
やり取りで確認の遅れた未来は、全身を走る衝撃と打撃音で現実となる。
「ぐうぅっ!?」
吹き飛び、もんどり打って倒れてしまう。
そんな吹き飛ぶ自分とは別、かすかに聞こえる空を切る音。
「……ふむ、やはり時を止めるだけではない。なにがしか、世界を歪めているな」
一瞬の答えは、飛ばされた自分に追い討ちをかける、レミリアの強襲の後。持ち前の神速でディアボロの真上の天井まで移動するとその尋常ならざる身体能力を用いて急降下。
時を飛ばしていなかったのなら。天井の崩落に巻き込まれるか、砕けた床の一部に混ざるか。
「私の身体は記憶している。が、その『過程』はなく『結果』だけが残っている。お前が回避したという結果だけが。もし時を止めて回避しているのなら。攻撃を回避しているのなら私がそれを認識できるはず。……にもかかわらず、その認識は欠けている」
その場から翻り、足音もなく地に着く。その優雅な姿勢は吹き飛ばされよろよろと立ち上がる自分とは正反対。戦闘不能のほどではないが、それでも負った傷は大きい。
だが、この程度の負傷は幾度もあった。いつしか、その程度と称せる様に。薄々と気づいていた、精神の成長と共にどこか現実離れていく自らに。
「未来を視る能力、世界を歪め認識を曖昧にする能力、見えぬ人型を操る能力。それらを一つにまとめ操る精神力。……外の人間にしては多彩だ。そして肉体も十分に洗練されている。…………」
言葉の途中で、しばし何やら考える顔になる。もし怪我が無ければ、その場で攻め入ることを選択していたかもしれない。
「……あー、それらは何ていうんだ?」
「…………何?」
「名前だよ、名前。いつまでもそれとかあれとかだとこっちも言いづらいじゃないか」
怪訝な表情が浮かんでしまう。今までに気にしたこともないし、そも命を懸けて戦っていた一瞬だというのに。
「……呆れた。名付けは重要な儀式だ。名付けるそれに対して生命として、役割として生み出した者から初めての与える物、全ての始まり。それらを行い始めて生まれたものは意味を持つ。……いいだろう。外因にして好敵手、お前を表してこのレミリアが名付け親になってやろう!」
「……何を言っているんだ?」
「そうだな……お前の意気や信念、野望の為に自ら困難に立ち向かう精神ッ! それに基づくそばに立ち寄る者! 『スタンド』というのはどうかなッ!!」
会心の出来と言わんばかりに、得意げな笑みをディアボロに向けてくる。それは、その見た目相応の、親に成功を褒めてもらいたい子どもの顔。
何も言い返せない。急に言い出す突拍子もないことも、すでにその名前、というか種として呼ばれているという事実も。
「ふふふ……自分のセンスに高さが怖い…………あぁ、言っておくが使っても使わなくても構わない。けれど、名を持つことで『それ』は存在する意味を持つ。敵に塩を送ったつもりはない。長く生きるほどに好敵手を求めるものだ、贄の流れる血の質を求めることはお前に言われなくても同じなのさ」
そのままに空で手と足を組み、今か今かとこちらの返事を待つ。
結果としては確かに既についている名前を再び呼ばれただけだが、その意味を省みることは今までは確かになかった。通称として呼ばれていることを風に知って、そのままにそれを使っていた。
いや、名付けが怖かった。その意味を、そのやり取りを自分に重ねてしまって。自分の、
「……それは敵に送る余裕ではあるが、軽視や侮蔑の意味で送っているわけではないことは認めよう。『スタンド』……立ち向かうもの、か。おもしろい」
「そしてオレにこれ以上近づくな。フランドール・スカーレット」
この場にいない少女の名前。
それを聞くにレミリアの顔は苦々しく曇る。その者が現れることを好ましく思わない表情。
「……へぇ、お兄さんどこかおかしいの? それとも、感がいいだけなのかな?」
全てを受け入れる門が開く。その先に居たのは、姉と同じ吸血鬼。レミリアの髪を月と称すなら、彼女は太陽を称するほどの明るい金。
だが、背後に連なる7つの色を模した結晶羽は何物に類する物がなく、否応が無く悪魔を連想させる。
「なーんて。聞こえていたわ。お姉様のくだらない名付けも、その前の解析も。……面白そうね、人間」
「なんだと」
同じ距離を保つように、自分を挟んで対極にいる姉妹。双方どちらも夜の王にふさわしい、その覇気を感じ取れる。
「……ところで、何で私は遠ざけられるのかしら?」
純粋な少女の疑問。何も他意はなく、唯ある物を聞いただけの様な疑問文。
だが、その言葉はそれだけの意味では終わらない。彼女の眼が、発する気が、全身から漏れ出る波が、ディアボロの精神をくすぐる。
燻る先に見える火のような紅い眼は、狂気を日常として受け入れたような、そんな瞳をしている。
ディアボロには見覚えがあった。もはや中毒と化し、ソレが切れていることが非日常となった麻薬患者。
「お姉様とは遊びに付き合ってあげて、私とは付き合わない理由は? 同じ吸血鬼、同じスカーレットよ、お兄さん」
よく似た姉妹だ。浮かべる蠱惑の表情は幼さを残しながらも生きた長さを物語る血の貴さを感じさせる。しかし、姉と比べるとややも上に立つ者としての威厳が足りていない。
「オレがこの館で求めるものはこの世界の先への足掛かり。先へ行くための力を得るため。レミリアはそれに釣りあう相手だがお前にはそれはない。
下がれ、フランドール・スカーレット。お前はオレにとって試練の前に転がる小石ともならない」
明らかな挑発。姉には付き合うが妹には付き合わない。理由は単純、劣っているから。
フランドールの事は当然先に読んだ縁起にて理解している。狂気を持つこと、幽閉されていたこと、今は少し、表に出ている事。
「……………………」
「……へえぇ?」
もちろん、レミリア相手でも苦戦を避けられない自分が、本当にフランドール相手に余裕を出せるとも思っていない。
だが一番の悪手は二人を相手取ること。そうなってしまえば、抵抗することなく、何回ともわからないあの瞬間に戻されるだろう。
「……面白いことを言うのね、今まで巫女にも、魔理沙にもそんなこと言われなかったのに。私が弱い? お姉様より? 脆弱な、人間風情が」
紅い瞳が揺らぐ。周りに溶け込むかのように、彼女の周りに紅い霧が纏う。
それは力の表れ。自分を知っていてなお、姉と比べて劣る妹と、何も知らないはずの男に評されたこと、その事実に対する怒り。
「フラン」
「止めないでよね、お姉様。子供っぽいこと言うけれど、初対面の人間にああ言われて黙ってられる程私、気が長くなれないわ」
右手に持つ歪に曲がった杖に漂う霧が纏い、美しくも禍々しい、赤く燃える巨大な杖を作り出す。
その熱量は距離のあるディアボロの身体を舐める様に漂い、気力体力を奪っていく。噴き出る汗の一つ一つを乾かしていく。
「しっかり認識させてから、壊してあげる。災いは自らが招くものだってことを、絶対強者の証明を」
転進、即座に時を吹っ飛ばしてその場を離脱する。自分の行動を彼女たちが認識する前に行えば、悟られることも咎められることもない。逃げた、という事実だけがその場に残るだろう。
フランドールによって開け放たれたままの扉の先、館の中を駆ける。
「 ……、は? なに、それ」
彼女の力は姉に劣らず脅威。類することの無い赤い凶器を取り出した時点で十分に理解できた。あの場も十分な広さがあったが、吟味を行う時間もないだろう。フランドールには、楽しむ余裕がない。挑発を挟んでいようといなかろうと、全力が彼女の幼さの表れだ。
予知を垣間見る。見えぬ撃も自分にとっては――
「!?」
自分の居る僅か先。一瞬のきらめきの後に頑丈な建物ごと、壁も床も天井も。瞬閃が走った後には何も残っていなかった。ただ、膨大な熱量によって切り裂かれたという結果のみが事態を物語っている。
歩いた道程を顧みる。その戻り道の行き着く先は一つしかない。
「ぁは」
再び時を飛ばす。何が起きたか理解していたわけではない。ただ、身の危険がこれから起きるということだけは感じていた。
事実、自分の懐には既に虹色に煌めく羽と、あどけなさを残した狂気の微笑み。フランドールがディアボロの臓腑に直接触れている事。時を飛ばしたその空間でなければ、今は感触を感じているわけではないが、自らの内臓をかき混ぜられ。その放る軌跡に命を散らしていただろう。
レミリアとは違う戦いの臨み方に、同じく背筋が震える。まだ人同士に思える姉と違い、獣の暴虐さを感じられる妹。
同一なのは、どちらも致命を与えたと確信した時に浮かべるその笑顔だろうか。
「はははっ……あー。厄介。お兄さん、ホント逃げることは得意なんだね。咲夜とは違う。どちらも十全理解しているみたいだけど、用い方が全然違う。楽しませようとしてない。ただ使うことしか考えてない。はー」
濡れるはずだった自分の手を握ったり開いたりと動かしながら、虚空に向かって一人語る。
「徹底するつもりなのか、それとも違いを悟ってくれたのか。わかんないけど立ち向かってくれなきゃ困るのに。私はどうすればいいの? 持ちかけたのはお兄さんだっていうのに」
「フラン、あんまりはしゃぎすぎるなよ。館を直すのもタダじゃないんだからな! ……で、来訪者よ。どうするつもりなんだ?」
館に二人の声が響き渡る。
「言った手前に逃げ出すのも戦況判断、経験の故だろう。そこは認める」
「私は認めないけどね。つまんないし」
「静かにしな、喋ってんのは私だよ」
「……ぶー」
「ふん。……しかし、逃げてどうするつもりだ? お前のその力を用いたとして、私の庭から逃れられるとでも? それともまだ何か隠した手があるのか、フランが現れ、背を向けたその状態で?」
その問いかけに答えるつもりはないが、確かに先ほどと比べて状態は悪くなった。逃げが有効と考えたが、逆効果。最も、あの力を前にして目前に立つのみというのも無謀である。
今はまだその時ではない。浮き沈みは、誰にでもある。
「…………ぎゅー」
フランドールの、ほんのわずかに拾える程度の声。それと共に映る未来は、残忍な結末。
何もない一瞬の後、自分の身体が爆散し崩れ去ったままの画面。誤解の生じるものでもない、そのままの結論、フランドールの能力。
三度の世界の暗転。ただ保身を考えたのみの能力の使用。進まぬ展開の苛立ちよりも、危機への焦燥が心をより強く支配する。
「……、くっ」
だが、簡単には好転しない。死への秒針は止まらない。
吹き飛ばしている最中にも、自分の身体が崩れていく感覚。外傷も、衝撃も、痛みも何も感じはしないが、唯攻撃は続いているという感覚だけは理解できる。
能力による破壊は、瞬間ではないのだろう。『破壊されている』という結果が時を飛ばしきるその時まで続いていれば、自分は死から逃れられない。『破壊された』という結果まで、逃げ切らなければならない。
吹き飛ばすのも永遠ではない。人間が自発的にいつまでも呼吸を止められないのと同様、この能力も限界がある。
全ての音が消え、自分の鼓動のみが世界の形を作り出す。自然と、胸を握るように手が動く。二秒、一秒。
「 っ。……ふふ」
「またか……しかし、今回は随分長かったみたいだな」
限界を迎えたその先は、何とか自分の身体は無事を保っていた。レーヴァテインを出された時とは違う、冷えた汗が全身を覆っている。
「ねぇ、どうするお兄さん? さすがに鈍感な私でもわかっちゃうよ。ねぇ? お姉さま」
「お前が鈍感だなんて聞いたことないが」
二人の少女の何気ない会話。表情が易々と目に浮かんでくる。秘密事を共有する姉妹の、誰にも告げない共通点を手に入れた時の甘い顔。
だが、それはディアボロにとっては絶望でしかない。既に、生殺の自由を握られたことと同意だから。
「私は十分と思って勝手に放しちゃったけど、きっとずーっとぐりぐりぐずぐずにしていたら、どれほど世界を歪めてもお兄さんは逃げきれない。お兄さんのその力は限界がある。咲夜と違ってほんの数秒」
自分の周囲の壁が、再び赤熱し吹き飛ぶ。こちらの位置がわかっているように、自分の隠れ場所を燻りだすかのように。無理に動けば、その餌食になるだろう。
「あなたの命は私の手のひらの上。右手にはもう、お兄さんの『目』がコロコロ転がっているの。一度触って壊れなかったのは初めてだけど……もし他と一緒にやったら、どっちを取るの?」
放たれた青い光弾が、壁に床に反射し、所せましと飛び回る。
長く尾を引くその弾は、ディアボロの最期の場所を追い立てようと近づいてくる。
「……ちっ」
もはや一刻の猶予もなかった。現れた自分を狙うこと。共に、その『目』を砕き、ディアボロを破壊すること。
同時に行われれば、回避する術はない。全てが無為になる。……それならば。
「あははははは! ようやく出てきたね、お兄さん!」
隠れていた壁から飛び出す。すぐ後ろでは反射する光弾が、元居た場所を塗りつぶしていた。
紅い杖を携えた妹は、同じほどに紅い衣装を揺らしながら、右手を使い煽るようにキスを投げる。
「これは私からの贈り物。受け取ってくれる?」
言葉がディアボロの耳に届く前に、フランドールの全身から辺りの空間全てを彩るように、大小さまざまな弾が放たれる。
パターンを伴った彩りは美しく、受けるものでなければ迷路のようなその弾幕に心囚われてしまうだろう。
「キングクリムゾンッ!」
一つの壁のように飛んでくる弾、自分を遮る物を弾き、耐え、強引に突き進んでいく。ごっこでは済まない衝撃は、スタンドによるガードも貫きディアボロの肉をえぐっていく。
強引に、止まることなく。
「時をフッ飛ばせッ!」
「 」
彼女が何かを口走ろうとするちょうどその時、世界が崩れていく。短い時間での、濃密な酷使。肉体だけでないダメージが、吐き気を催すかのごとく脳に響く。
何を口走っているかわからない。どこまで飛ばすか、予知も見ていない。今あるのは、その右手を封じること。その為の肉薄。
死刑執行のスイッチをフランドールが手にしている以上、何としてもそれだけは防ぎきらなければならない。
遮るものはなくなった。血が噴き出すのも構わず、残った力を脚に込める。
惨めな疾走だ。成功するかもわからない、安全かの予測もない。それでも一縷にかけ全力を駆けるその姿。まるで、ディアボロの最もなりたくなかった、ゴミのような弱者の立ち回りではないか。
しかし、想起する。そんなやつらが、自分の絶頂を揺らがし、引きずり落としたことを。何度も、何度も再確認する。
「オラァッ!!」
眼前、そのまま速度を乗せたまま。勢いづいたスタンドの一撃は迷うことなく小さな右手へ。自分の手に光るナイフも、同じくその手を斬り落とすために振り下ろす。
命中する寸前に、世界は再び彩りをもたらす。……逃がしはしない。
「きゅっ」
砕き、爆ぜる。
フランドールの、ディアボロの、目の前で飛び散るのは人間の血。
触れるか否かのその瞬間に、握りしめる動きの方が早かった。その小さな動きの方が早かった。
振り下ろされるはずだった右肘から半ばは血袋が破裂し、ゆっくりと二人と、床を濡らしていく。
握られた右手を、自然落下するナイフがほんの少しの傷を作り、そのまま多分に水分を含んだ床で、べちゃと音を立てる。続けて、肉の落ちる音。
「……うあ、あぁ、あ」
ほんの僅か、足りなかった。それを認識しようと反応が遅れる。竦んだ脚が、小さく相手から離れようとする。
その身体を、僅かに残っている服の切れ端を近づけ、フランドールはディアボロの顔を強引に近づける。
近づいた、困惑を多分に、恐怖に徐々に彩られていく直前の彼の頬に、小さく口付けをして。
「おしまい」
投げ捨てる様に、床面へ叩きつける。空気の揺れ、走るヒビは、唯の人間に耐えられるものではない威力を証明する。
横たわる肉体に、後ろに大きく振り上げた足を勢いよくぶつけ、吹き飛ばす。
椅子に戻っていたレミリアの方へ吹き飛んでいくそれは、脇の壁へ衝突し、それでもなお余る勢いは壁の崩落を持って分散していく。
「……ん~~~、はぁー。すっとしたー」
「…………やりすぎてない? フラン。私の分が無いんだけど」
「先にやってたからもういいでしょ? 可愛い妹の分も残してあげるっていうのが筋ってものでしょ年長者。でも面白かった! 目を取られると宿ったそこに移るだけなのね。奪い取ろうとする人なんて初めてだったから知らなかった」
「ああそうかい。……私の時には退かなかったのに、フランには退くっていうのもなんだかなぁ」
「それにさそれにさ。あの人、以前あったことあるわ。前にも話した、恐怖の消える人間。近くで見たらその通りだったの、本当よ。きっと、今頃死体は消えているはず」
「あー、あんたの与太話。嘘でしょ? ……死体が残ってればわかるし、無くなっても証明か。確定しちゃうじゃない」
まるで遠くで話されているような。それも、どんどんと遠ざかっていくような。
わずかに繋ぎ止められた何かが、しかし流れ出ていって消えていく。
まだだ、まだ……。そう思っても、温かく小さな光が、差しては消え、差しては消えていく。
でも、何か、小さく、それでも聞こえてくる。忘れてはいけない、最初の、最後の声が。
「誰からも証明されなかったちょっと前の波紋がいま証明される時よ。あ、遺品。これも消えるのかな」
転がった右腕を、ひょいと持ち上げる。まだわずかに流れ出る血は、口づけした時に付いた食事と同じ物。
「……さすがに行儀悪いなー、あいつと同じになるのはヤだし」
「ふむ、しかし紫が言っていた奴も、こんなものか……楽しかったけど、いい勝負、とまでは行かなかったなー」
がたがたと、瓦礫をどかし遺体となった彼の肉体を探す。
「楽しかった? 私にとっては裏切られた感じ。驚きはしたけど、あれじゃ魔理沙とかの方が全然強いし面白かった……ぇ」
「それはそれ、これはこれ。少なくとも当時の咲夜並には強かったってあれ。……あれ?」
血に濡れた壁材を見つけ、そのあたりをどかすとそこには動かなくなった彼の肉体があった。
それを持ち出そうとさらに細かく除くと、あったのは。
「……子ども?」
自分たちよりかは肉体の成長はしているが、それは確かに先ほどまでの男の身体ではない。
示すものは失われた右腕、来ていた衣服、重傷の傷跡。全てが先ほどまで存在していた来訪者だと告げている。
不審に思い、その身体を持ち上げる。自分より圧倒的に大きかったその身体は、今は何とか手を上げればつま先を引きずる程度までには持ち上げられるほどに小さい。
持ち上げた拍子に、からと小さく。履いていたズボンのポケットが破れ何かが落ちる。
「何だろ、タリスマンかしら?」
鏃の形をしたそれを不審に思ったその時。
「ぎぃぃいいいいいいいい、やあああああああああああぁぁぁ!!!!!!!」
フランドールの慟哭が、レミリアを、紅魔館を揺らした。