虹の軌跡   作:テッチー

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ガールズクッキング

 九月初旬。レグラムでの実習、続くガレリア要塞での一連の事件も終え、日常は落ち着きを取り戻していた。

 貴族生徒の帰省期間も終わり、トールズ士官学院は通常の授業を再開している。

 そんなある日の放課後、いつものⅦ組の教室で、五人の女子生徒が浮かない顔を並べていた。

「はあー、一週間後よね。どうしよう、みんな何とかなりそう?」

 その中の一人、アリサが言った。

 ラウラはかぶりを振る。

「いや難しいな。恥ずかしながらこの手のことはさっぱりだ。やはり剣以外も学ぶべきだったか……」

「どうしましょう。調理実習試験」

 エマが深いため息をつく。

 彼女たちは一週間後に家庭科実習の試験を控えているのだ。

 家庭科のカリキュラムは女子の必須科目。座学だけではなく、今回のような調理実習もある。

 例年、特に貴族子女にとって、この授業は大きな壁となって立ちはだかることで有名だ。

 Ⅶ組女子はラウラ以外は貴族ではない。

 とはいえアリサはラインフォルトのお嬢様で、料理なんかはシャロンが担うことが多いから、自分で何かを作る機会は少なかった。

 フィーは料理のジャンルが偏っていて、言わばサバイバル系。味音痴ではないが、調味料の扱いがよくわかっていない。

「委員長も料理が苦手だったのはちょっと意外かな」

 困り顔のエマにフィーは言う。

「薬草や薬品を混ぜたりとか、そういう調合はよくやったんですけど……。料理もアンブロシアやダイノフィレとかを使ったちょっと特殊なものが多くて」

「聞いたことない材料だけど。野菜?」

「えっ、あ、そうです。地元でしか採れない食材で!」

 なぜかエマは焦っていた。

 唯一さほど困っていなさそうなミリアムがあくびをする。

「食べられたら何でもいいんだけどなー。ボクは調理部だけど、食べる専門だし」

「でもミリアムちゃん、赤点を取ったら補修や追加レポートが課せられちゃうんですよ」

「えー、それはヤダよ」

 試験は試験である。

 どうにか乗り切らなくてはならないが、さしあたっての問題は先頭に立って料理を教えられる人間がいないことだった。

 シャロンに教えを乞う案も出たが、タイミング悪く彼女はラインフォルト本社に用事で戻っている。

 考え込むことしばし、ラウラが思いついたように両手を打ち鳴らした。

「実際に作った料理を食べてもらって、意見を取り入れるのはどうだろう」

「確かにそれなら上達も早いかもしれませんね! でも誰に食べてもらいましょうか?」

「エマったら何言ってるの? こんな時のために男子がいるのよ」

 アリサは力強く断言する。〝こんな時のための男子”発言には、誰も異議を唱えなかった。

 さっそく女子は段取りを組み始めた。

「では私とフィーは食材を調達しよう」

「私はエマと必要な調理道具を揃えるわね。調理室の使用許可はミリアムに頼めるかしら?」

「オッケーだよー」

 話がまとまり、五人は立ち上がる。

 放課後の時間を思い思いに過ごしている男子たちは、最大の危機が迫りつつあることを、この時はまだ知る由もなかった。

 

 

《★☆☆ガールズクッキング☆☆★》

 

 

 それから三日経った放課後。

 男子たちはフィーに連れられて調理室前まで来ていた。

「フィーが料理を作ってくれるなんてな。どういう風の吹き回しだ?」

「ひみつ」

 リィンがフィーに訊くも、返答はそれだけだった。

「何でもいいじゃねえか。食わしてくれるんだったらありがたく頂こうぜ。放課後になりゃ腹も減るってもんだ」 

 クロウは軽薄に笑っていた。

 普段気さくに話していても、この手のイベントにはなぜか参加しないことが多いのだが、珍しく誘いに乗ってきたのは食事にありつく為だったらしい。

「今日は馬術部が休みだからな。時間潰しにはなるだろう」

「料理を作ってもらうというのに相変わらず偉そうだな、君は」

 ユーシスとマキアスも都合がよかったらしく、

「フィーの料理か~、ちょっと興味あるかも」

「ああ、ごちそうになろう」

 ガイウスとエリオットも時間が空いていたとのことで同行している。

 フィーが調理室の扉を開くと、大きめの長机に椅子が六つ横並びに用意されていた。

 彼女に促されるまま、リィンたちは席に着いていく。奥の席から、ガイウス、エリオット、マキアス、ユーシス、クロウ、リィンの順番だ。

「おまたせ」

 すぐにフィーが料理を運んできた。どうやら前もって用意してあったらしい。それを一人一人の前に置く。

 リィンは皿をのぞきこんだ。

「へえ、サラダか」

「そう、マイルド野菜サラダ。どうぞ」 

 料理と聞いていたから、サラダというのは想定外だった。それでも一生懸命作ってくれたフィーに対して、そんな指摘は野暮だ。

 菜葉系が多いサラダ。盛り付けは中々のもので、緑をメインに黄色、赤と色彩豊かで見た目もいい。

「じゃあさっそく頂くよ」

 いただきますと声をそろえ、まずはフォークで手頃な根菜を口に運んでみる。

 シャキシャキとなんとも瑞々しい歯ざわりが心地良い。鼻を新鮮な自然の香りが抜けていったのも一瞬、続いて根菜本来の味が舌の上に広がっていく。

「おいしいじゃないか。少し苦味があるみたいだが……苦味が、苦味が――」

 苦味が止まらない。止まらないどころか加速する。口の中に直接アーツを撃ち込まれたかのような激しい衝撃が男子たちを襲った。

「ごふっ!?」

 マキアスが吹き出しそうになったが「やめろ!」と横に座るユーシスが、彼の口を押さえ込んだ。

「んーんー!?」

「こんなところで吐き出したら俺の皿にもかぶるだろうが。それに見てみろ」

 フィーは明らかにこちらの反応を気にしている。彼女とて目の前でそんな惨事が起これば、さすがに傷つきもするだろう。

「だから、飲み込め!」

 ユーシスの額には多量の汗が滲んでいた。彼もリスクを承知の上で、凶悪な刺激物を飲み込んだのだ。

「むぐぎゅうー!」

 マキアスも意地を見せた。無理やりに痺れる舌を動かし、口の中の物体を喉の奥に押し込める。

 尋常ではない苦味。毒々しささえ感じる深淵の味わいだ。

 一足先にそれを飲み下したリィンは、うつろな目をフィーに向けた。

「これ野菜じゃないよな……。なんだ?」

「本当は野菜買おうと思ったんだけど、予算オーバーしちゃったから」

「……しちゃったから?」

「その辺で摘んできた草」

 マイルド野菜サラダは名前を変え、ワイルド野草サラダとなった。

「……そうか、つまり俺たちは」

 小奇麗な皿に盛りつけてあるが、その辺に生えた雑草をもしゃもしゃと食べている。

「ねえ、リィン。おいしく……ないの?」

「それは――……っ!?」

 フィーの瞳が、迷った子猫のように頼りなく揺れる。

 このサラダ(?)は自分たちを想って作ってくれたのだ。それに彼女の生い立ちを考えれば、野草を食べて生き延びた日々もあったのかもしれない。

 拳を握りしめ、リィンは覚悟を決めた。

「おいしいに決まっているじゃないか! ああ、フォークが止まらないぞ」

「んおいっ!」

 クロウが何とか撤回させようと、リィンの足をげしげし蹴る。

 しかしフィーの視線が自分に向くと、彼もつい言ってしまった。

「おう、こんなうまいサラダ食ったことねえよ……」

 その言葉にフィーの頬がわずかに緩む。

 もう後には引けない。その笑顔を守らなければ。

 男子たちは震える手でフォークを持ち直した。

 

「ごっ、ごちそうさまでした……」

 決死の覚悟で雑草を胃に押し込めた彼らは、早々に退室しようとする。一秒でも早く胃薬を入手したかった。

 席から立ち上がろうとした矢先、両手に大きな買い物袋を抱えたアリサが調理室に入ってくる。彼女はテーブルの上の皿を見ると、眉をひそめた。

「え? もしかして先にサラダを出しちゃったの?」

「ん、野菜は新鮮さが命だからね」

 道端の雑草だろう。その言葉を男子はかろうじて口中にとどめた。同時に“先に”という一語に引っかかる。

 アリサに続いて、エマ、ラウラ、ミリアムも姿を見せた。

「待たせてすまなかった。さっそく始めるとしよう」

 そう言うとラウラは荷物を手近なテーブルの上に置く。

 てきぱきと何らかの準備を進める様子を見て、リィンは不安げに訊いた。

「ラ、ラウラ? 済まないが説明して欲しい。今から何が始まろうとしているんだ」

「なんだ、何も聞いていなかったのか? 女子は来週に調理実習の試験があるのだ。そこでそなた達に試作の料理を食べてもらって、忌憚のない意見をもらおうと思ってな」

「な、なるほど」

「全員来てくれて何よりだ。腕によりをかけさせてもらう」

「だけど聞いてくれ。俺たちは今、サラダを食べたばかりで腹もふくれ気味というか。なあ、みんな?」

 他の男子はかくかくと首を縦に振る。まるで壊れた玩具のようだ。

「たかがサラダを口に入れたぐらいで、食べ盛りの男子が何を言う。遠慮する必要はない。それに料理とはコースで頂くものだ」

 ラウラはやる気満々だ。しかしさっきのサラダの後である。運ばれてきた大量の食材やら調理器具には、嫌な予感しかしない。

「あーはいはい。じゃ、あと頼むわ」

 間髪入れずに逃げ出そうとしたクロウを、両どなりのリィンとユーシスが超反応で拘束する。椅子に体を押し付けられたクロウは、足をじたばたとさせた。

「は、離しやがれ! 俺はあれだ。用事があるんだよ!」

「暇だって言ってたでしょう」

「抜け駆けは許さんぞ」

 そうこうしている間にも眼前のテーブルには純白のクロスが敷かれ、銀色のカトラリーがセットされていく。ナイフとフォークが悪意のある凶器にしか見えなかった。

「少し準備に時間がかかる。しばし歓談でもして待つがよい」

 女子たちはいそいそとエプロンを身に付けだした。

 

 

 男子は無言だった。時計の針が進む音が妙に大きく感じる。

「なあ、あれなんだ?」

 ぽつりとクロウが言った。

 調理室の一角が巨大なカーテンに覆われている。あの辺りに皿やらコンロなどを持ち込んでいたようだったが、中は見えない。カーテンの表側には『乙女の領域』と書かれた札が掲げられていた。

 今現在、その乙女の領域内では調理が行われているらしく、グツグツと食材を煮立てるような音が聞こえていた

「……わからない。俺たちがこのあとどうなるのかさえも」

 リィンはうつむいて、視線を一点から動かさない。

「今日、家に帰れるのかな……」

「大丈夫だ。風が……風が導いてくれる」

 エリオットをはげますように、そして自分にも言い聞かすように、ガイウスは何かに祈りを捧げている。

 一方のユーシスとマキアスは落ち着いたものだった。

「お前たち、悲観的過ぎるぞ。さっきのサラダはフィーが単独で作ったものだろう」

「エマ君もいるし、とりあえずは安心じゃないか」

 確かにそうかと、一筋の光明が見えてきたとき、不意にカーテンが開いた。ビクッと一斉に男子の肩が跳ね上がる。

 乙女の領域から現れたアリサが、滑車付きの配膳台を押してきた。

「お待たせ」

 一人一人の前に平皿が置かれていく。

 コース料理の基本に乗っ取って、最初はスープからだった。薄味のスープを飲むことで胃の環境を整え、続く料理に備えるのだ。しかし眼前のスープには、そんな控え目な前座としての役割は微塵にもない。

 スープの色が真っ赤なのだ。皿の底など到底見えず、時折、気泡がぽこぽこと浮き上がっては弾けて消える。野菜が入っているようだが、大きさもバラバラで、岩石と見紛う程のごつごつした物体――おそらくジャガイモ――が激しすぎる主張をしていた。

 頬を引きつらせ、リィンは問う。

「料理名は?」

「え、名前? そうね、じゃあ天国スープで。東方にはそんな言葉があるんでしょ?」

「まあ、その、なんだ。楽園を意味する言葉だな」

「ぴったりの名前じゃない。じゃあ冷めない内に召し上がれ」

 天国というのは東方の言葉で、死した後に辿り着く楽園――女神の御許と解釈されている。

 それほどに絶品という意味のネーミングなのだろうが、このスープは見れば見るほど“楽園”よりも“死した後”という意味合いの方が強いように思えてならない。

 冷める前にと言うが、未来永劫冷めることのなさそうなスープを、皆はスプーンですくった。

「い、頂きます」

 その液体を口腔内に注ぎ込むことを全身が拒否していた。それでも意を決して口に運ぶ。

 一瞬でそれは訪れた。燃えて赤熱した鉄の棒を、体の芯に突き刺されたかのような、戦慄さえ覚える辛さ。生きたまま炎で炙られるが如き苦痛が足先まで駆けずり回る。

「ほ、ほーっ、ホアアーッ! ホアーッ!!」

 マキアスが聞いたことのない悲鳴を上げた。

 朦朧とする意識の中、全員の視界が調理室から移り変わっていく。

 空に太陽はなく、周囲は闇に包まれていた。足元には蒸気をあげ、果てなく続く岩肌の道。

 その道を少しでも踏み外せば、そこは咎人の血で溜められたかのような真っ赤な池溜まり。辺りには魔獣とは違う禍々しき存在――魔物の群れがひしめいている。希望の一切がなく、原罪から続く忌まわれた場所。

 天国などもってのほかだ。かつて子供の時、日曜学校で教えてもらったことがある。悪いことをしたらここに堕ちるのだと。そうだ、この場所は――

「煉獄……!」

 これは天国スープなどではなく、言わば煉獄スープ。人の犯した罪の象徴だ。

「どう、リィン? スープの味は。お世辞はいらないわよ?」

「ああ、このスープを飲めば、世界から争いはなくなるんじゃないか……」

「なんだか、わからないけどおいしかったのね?」

「……はい」

 フィーの時と同様だ。嬉しそうなアリサの姿に、もう残すという選択肢自体が残されていない。

 幻視の中で襲い来る魔物の群れを全力で退けながら、滝のような汗を流してリィンたちはかろうじて煉獄スープを完食する。

 アリサは空になった平皿を台車に下げると、軽い足取りでカーテンの奥に戻っていった。

「なんとか耐えたか。しかしこれが続くとなると――ん、どうしたエリオット?」

 ハンカチで口元をぬぐうガイウスは、横のエリオットの様子がおかしいことに気づいた。テーブルに突っ伏し、声掛けにも反応がない。

「ま、まさか!?」

 リィンは席から立ち上がり、彼のそばに駆け寄る。肩をつかんで体を起こすと、エリオットは力ない笑みを浮かべた。

「あはは、リィン……僕、もうダメみたいだ」

「な、なにを言ってるんだ、エリオット。まだ九月だぞ。学院生活はこれからじゃないか」

「そう、だね。短い間だったけど、こんな僕と仲良くしてくれてありがとう……」

 ガイウスがエリオットの体を強くゆすった。

「俺はまだエリオットを故郷に案内していないぞ。来てくれるんだろう?」

「ああ、ガイウスの故郷か……見てみたかったな」

 エリオットの呼吸がどんどん小さくなっていく。ユーシスとマキアスも彼に声を掛け続けた。

「お前が弾かねばあのバイオリンが泣くぞ。わかっているのか」

「気持ちをしっかりもつんだ!」

「みんな……あれ?」

 エリオットの差し出した右手が空を切る。

「変だな、みんなの姿が見えないや……声も、聞こえない。ねえ、みんなそこにいるの?」

 リィンはエリオットの右手を両手で力強く握った。

「いるぞ! 俺たちはここに! また演奏を聞かせてくれるんだろ!? なあ、エリオット!」

「……バイオリンの音しか聞こえ、ないや。ううん、もうバイオリンの……音、も」

 がくんと脱力したエリオットの体から全ての力が消え失せた。リィンの手から彼の腕がだらんと抜け落ちる。

「はは、おいウソだろ、エリオット? ……エリオット……うああああ!」

 慟哭が調理室にこだます。

「お前ら、何の世界に入ってんだよ。つーか先に脱落した方が楽なんじゃねえか……?」

 うぷっと餌付きながら、クロウは何杯目かの水を飲み干した。

 

 

 煉獄スープにとどめを刺されたエリオットは、アガートラムに抱えられ保健室に運ばれた。

 女子たちには先日の幽霊調査のショックが、突然フラッシュバックして気絶したとだけ伝えている。

 出まかせの理由だったが、そんなエリオットを間近で見ていたラウラとフィーはすぐに信じてくれた。

「なあ、この料理がマズ――成功していないことも女子に伝えた方がいいんじゃないか?」 

 マキアスは次の料理が運ばれてくるまでの合間に、リィンに小声でそう言った。

「いや。伝えたところで、すぐにどうにかなる代物じゃない。明確に料理が失敗している原因を伝えないと悲劇は繰り返されるだけだ」

「その通りではあるんだが、原因といってもな……」

 あれは料理という名の校内暴力。生徒会に報告しなければならない事案だろう。

「お、おい、次が来たぞ。構えろ」

 ユーシスが警戒を発し、否応なく緊張が走る。

 コース料理の順番にはそれぞれ意味がある。サラダとスープに関しては軽い塩味や酸味で胃を慣らし、食欲を起こす為だ。だが食事環境を整えるはずの二品は、胃腸内を余すことなく蹂躙し、暴虐の限りを尽くしてくれた。

 もし順当に行くなら――

「お待たせしました。次は『シェフの気まぐれロールパン』ですよ」

 エマが料理を運んでくる。

 ここでパンが出てくるのも本来は繋ぎの為だ。

 スープの味をパンを食べることによってリセットするのだが、今までの流れを考えると人生そのものをリセットされかねない。むしろリセットならまだマシな方で、下手をすればその場でゲームオーバーになる可能性さえある。

「……お?」

 リィンたちはほんのわずかに安堵する。

 目の前に配られたロールパンが当たり前のロールパンの形をしていた上に、運んできたのがエマだったからだ。

 料理ができそうなのは、エマを置いて他にいない。むしろ彼女ができなかったら自分たちの命運が尽きる。

「これは、いけるんじゃないか?」

 皿の端に添えてあるバターをロールパンに塗りながら、マキアスは表情を明るくさせた。

 まず異臭がしない。変な色をしていない。パンの形として成立している。

 とりあえず一口。

 普通だ。とりたてて美味くもなく、不味くもなく、至って普通のロールパン。きっと市販のパンだ。しかしそれが何より救われる。

「ああ、考えてみればパンまで手作りというのは逆におかしいか。はは、さすがに勘ぐりすぎたかな」

「がばふひゅっ!」

 胸をなで下ろしたマキアスのとなりで、ガイウスが口からアーチを描くようにロールパンを吹き出していた。そのまま椅子から崩れ落ち、床に倒れ込んでしまう。

「な、なんでガイウスだけ!? ロールパンは全員食べたはずだぞ! エマ君、何をしたんだ……!?」

「えっと、調理部の女子の方からいい香りのエッセンスを頂いたんですが、全員分のパンに入れるには量が足りなくて……思い切って一つのパンにだけ入れてみたんです。一つだけ当たりという趣旨で」

 ガイウスは指先まで痙攣を起こしている。当たりとは毒に当たるとかの意味ではないのか。マキアスは悪寒を感じた。

「“気まぐれ”ってそういう意味なんだな。そのエッセンスをくれた調理部の女子って誰だ?」

「えーと、マ、マ、マル、マルガ……鉱山じゃなくて、マルガ……マルガリ、あ、丸刈りー?」

「マルガリータだ、それー!」

 叫んだのはリィンだった。

 またの名を恋する重戦車。恋愛における障害突破力は、帝国最強と謳われる第四機甲師団に匹敵するともっぱらの評判だ。主にそれが発揮されるのは、二年生のヴィンセント・フロラルドに対してらしいが。

 リィンはガタガタと震えていた。

「エッセンスという名の薬品だぞ、それは! 多分非合法の!」

 例によって品名詐称だ。シェフの気まぐれロールパンなどと穏やかな代物ではない。

 それは一発だけ弾丸が入った拳銃を自分の頭に向けて、皆で順番に撃ち回す死の遊戯。『シェフの激薬ルーレットパン』と呼ぶ方がふさわしい。

 エマはこの世で最も使ってはいけない調味料を、いかにも無害そうなロールパンにぶちこんだのだ。

 これは無差別テロだ。可愛らしいクマのぬいぐるみに爆弾を仕込むがごとき、残虐極まりないテロ行為だ。

 Ⅶ組の委員長は帝国解放戦線も引くほどのテロリストだったのだ。

「う、うう……」

 ガイウスが苦しそうなうめき声を上げた。

「ふふ、思ったより早くエリオットと再会することになりそうだな……」

「弱気な事を言うな! ガイウスらしく……ないじゃないか」

 彼を勇気づけようとするリィンの声は震えていた。もうガイウスは戻ってこれないのだとわかってしまったからだ。

「父さんと母さん、それと弟妹たちにも宜しく伝えてくれ。俺は一足先に風になると」

「風ってそんなふうにも使える言葉だったんだな……」

「もう一度馬に乗って、あ、あの広大なノルド高原を、駆けて……」

 たまらずユーシスも彼のそばに膝をつく。

「わかった。もうわかったからこれ以上しゃべるな」

「体が……動かない。まるで石になったみたいに……これでは馬の背に乗ることも……できない、な」

 ガイウスはわずかに残された力で、両手を天井に突き出した。それはあたかも手綱を握ったかのように。

「蒼穹の大地に……ハイヤー」

『ハイヤーッ!!』

 リィンとユーシスが全力で掛け声を上げる。それ以上ガイウスの言葉が続くことはなかった。

 

 

 ガイウスもアガートラム直行便で保健室送りにされた。ちなみに彼の状況は不幸な事故として女子に認識されてしまっている。

 さすがにマキアスとユーシスも焦っていた。

「まずいぞ。コース序盤ですでに二人が戦闘不能だ。しかもエマ君もどうやら料理ダメみたいだし」

「失敗ならともかく……出てくる品がことごとく攻撃料理なのはどうにかならんのか」

「ここまでの料理って、本来はこの先のメインディッシュの為にあるんだろう? ここから何が待ち構えているのか想像がつかないし、なにより想像したくないな……」

「このあとは魚、肉料理と続くはずだ。……下手に調理するより、食材のままで出されたほうが安全な気もするが」

 調理スペースのカーテンが開く。

 今度はラウラが料理を運んできた。男子は急に押し黙る、

 彼女はテーブルの上に一つの大皿をどんと置いた。その皿にはクローシュと呼ばれる半球状の蓋がかぶせてあり、中身をうかがうことはできない。

「順当に行くならこれは魚料理のはずだが?」

 ユーシスがラウラに質問する。

「うむ。魚料理だ」

「コース料理は一品ずつ、個々に出されるものと記憶しているが」

「四大名門、それもアルバレア家の子息なら舌も肥えているだろうと思ってな。この料理は少し趣向を凝らさせてもらった」

 クロウが恨みがましい目をユーシスに向けた。

「お前のせいか。ふざけやがって。余計な趣向とかいらねえんだよ」

「なぜ俺が非難されねばならんのだ……。しかしラウラ、これは魚料理だろう。大皿で食べるほどの魚が店に売っているものなのか?」

 それにはリィンも同じ意見だった。

「そういえばそうだな。一体どこで手にいれたんだ」

「レイクロード氏に譲ってもらったのだ」

 ケネス・レイクロード。一年Ⅱ組に在籍の貴族生徒で、釣皇倶楽部の部長だ。リィンも彼の勧めで釣りを再開した経緯がある。

「へえ、彼が釣った魚を他人に譲るなんて珍しいな」

「フィーが交渉してくれてな。快く譲ってくれたらしいぞ」

「……フィーが交渉? なんか不安だが」

 とはいえそういう事情なら、今回は食材の心配は無用そうだった。

 ソーディかカサギンか、最悪シュラブでもかまわないし、皿の大きさから察するに、サモーナやグラトンバスの可能性も高い。新鮮な魚ならそれだけで、ほとんど調理しなくても十分食べられるのだ。

 ラウラの手によって、クローシュがゆっくりと持ち上げられてく。

 大皿には、レタス、白菜、ネギが一面に敷かれており、その上に一匹の大きな魚が添えられていた。

「へえ、これは大きな魚だな……魚? 魚っていうか……」

 それは透き通るような美しく青い体表を持ち、しかし四肢があった。おたまじゃくしからカエルに成長する過程のような、中途半端に手足が生えてきたような姿格好だ。

「オ、オオザンショだあっ!」

 リィンも近郊でかかる魚は一通り把握している。

 オオザンショはサンショの上位種にあたり、簡単に釣り上げられるようなものではない。

「ケネス……やってくれたな。しかも魚類っていうか、両生類じゃないか……」

「うん。『オオザンショのドレッシング仕立て~鮮度を残して』だ。さあ、どこからでも食すがいい」

「いや、これは無理だ!」

 見た目もそうだが、どこから手をつけていいかわからない。体表のぬめりがドレッシングなのかも怪しい。

 ラウラの目が険しくなる。

「無理、と言うか?」

「あ、ああ、食べられないとかじゃなくてさ。その、ほら今まだ暑いだろ? さすがに生のままじゃ衛生的にどうかと思うんだ」

 リィンは必死に弁解する。ラウラの気分を害するのもまずい。下手をすれば、無理やりにオオザンショを口に詰め込まれるかもしれない。

 ラウラは一つうなずくと、

「そなたの言うことはもっともだ。確かに配慮が欠けていたのかもしれぬな。いや、アリサが『こんなもの触れないわ!』と憤慨したので、素材の良さを活かすことにしたのだが」

「素材の良さというか、素材そのものなんだが」

 さっきは“食材のまま出された方が”なんて言っていたが、これはどうしようもなく無理だった。理解してくれたらしいラウラを見て安心する。

「済まないな」

「ああ、惜しいことをしたぜ」

 感情のこもらない詫びを入れるユーシスとクロウ。

 どこか残念そうに、ラウラは大皿を引き上げて乙女の領域へと引き返していく。

 その時、オオザンショのつぶらな瞳がキョロリと動いた。マキアスが席からずり落ちそうになる。

「い、生きてたぞ。鮮度良すぎだろう。食べなくてよかった、本当に……」

 カーテンの奥からラウラとエマの話し声が聞こえてきた。

「――頼めるか? 季節的に生はよくないと」

「そうですね。まあ、触らなければ。とりあえず耐熱皿に移して――」

 カーテンの隙間から中の様子が見えた。

 神託の台座に供えられた生贄のように、身じろぎ一つしないオオザンショ。その瞳がリィンたちの方に向けられる。何かを訴えているようだった。

 

 ――タスケテ  

 

「っ! オオザンショーっ!」

 椅子を蹴倒しながら立ち上がるリィン。同時に上がる火柱。天井まで立ち上った炎が、渦を巻いてオオザンショを包み込んだ。

 エマの眼鏡が陽炎に揺らめいている。オオザンショが遠いところへ旅立ってしまった。

「やめろ、やめてくれえええ!」

「行くな、リィン! お前まで巻き込まれるぞ! そんなことはオオザンショだって望んじゃいねえよ!」

 机を乗り越えんとするリィンをクロウが押さえ込んだ。

「でも、でも俺は……」

「あいつはもう助からない。助からないんだ」

 再びラウラがそれを運んでくる。皿の上には黒い塊があった。炎で体中の水分を飛ばされて、一回り小さくなっている。

 オオザンショには見えなかった。つぶらな瞳は石灰のようになり、輝きさえも失っていた。

「焼き加減はウェルダンだ。これで心配は無用だろう」

 料理名はすでに変わり『オオザンショのヴォルカンレイン仕立て~哀憐を残して』である。

「ラウラー、ちょっとこっちも手伝ってー」

「ああ、すぐに行く。」

 ミリアムに呼ばれ、ラウラは調理スペースに帰っていった。

 沈黙の男子たちの中で、リィンが言う。

「俺は、このオオザンショを食べられない……」

「この馬鹿野郎!」

 クロウが珍しく、本気で声を荒げた。

「じゃあオオザンショは何のために逝っちまったんだ? お前が食わなきゃあいつの命が無駄になっちまうんだよ」

「命……」

「そうだ。個の命は、他の命の上に成り立ってんだぜ。言ってる意味、わかるよな?」

「うっ、うう……」

 リィンは涙を堪え、フォークを手にした。彼だけではない。マキアスもクロウも、ユーシスでさえもフォークを持っている。

「君だけにつらい思いはさせないさ」

「付き合ってやるから、さっさと片付けるぞ」

「ったく、一年のくせに……いい仲間を持ちやがって」

 極限に追い込まれた戦地でのみ育まれる友情を超えた信頼。命を預け合うに足る仲間。人はそれを戦友と呼ぶ。

「ありがとう、みんな。オオザンショ……安らかにな」

 しかし決意と味覚は別だった。

 炙った泥を食べているような不快極まりない触感。自然の風味と言えば聞こえはいいが、それはただの生臭さだ。

 オオザンショを悼む涙はすでに枯れ、嗚咽と餌付きが別の涙を瞳に滲ませる。不味い。ひたすらに不味い。

「ぐ、ぐふっ、おぐ……ご、ごチ……そう、さマでし、タ」

 四人がかりで完食した時には、言語すら脳内から削り取られたような虚脱感と疲労感があった。

 全員がフォークを卓上に置いた時、ピシッと不穏な音がした。

「ここから先は君たちに任せよう」

 静かにマキアスが言った。

 不審に思い、彼の顔を見たリィンは愕然とした。その眼鏡に亀裂が入っていたのだ。

「マ、マキアス!?」

「どうやら僕も……ここまでらしい」

 レンズのひび割れが少しづつ拡がっていく。亀裂から彼の命が漏れ落ちていくような不吉があった。

 とっさにユーシスはマキアスの眼鏡、そのフレームとレンズの結合部を指で押さえた。

「くっ、だめだ。ひびの進行が止まらん」

「レンズを素手で触るな。まったくこれだから君は」

「口を動かすな! 亀裂が拡がるぞ!」

「嫌味ばかり言って、ズケズケと遠慮もなくて……しかし自分の矜持に反することだけはしない。僕はそんな君が大嫌いで……ケンカばかりで、気の合わない――」

 その先の言葉がユーシスに届くことは、ついになかった。

 パリンと乾いた音を立ててレンズが砕け散る。その欠片がユーシスの指の間を抜けて床にぱらぱらと落ちた。

「おい……おい、どうした。お前の下手な演技など見たくはないぞ!」

 マキアスは眼鏡のブリッジを指で押し上げる仕草のまま硬直している。まるで彼の時間だけが止まってしまったかのようだ。

 ユーシスに悪態を突き返さないマキアスを見て、リィンとクロウはかける言葉をもたなかった。

 

 

 今日のアガートラムは大忙しだ。

 マキアスは固まったポーズのまま、調理室から運ばれていった。本来は校内でのアガートラムの運用は禁じられているが、男子にとってはもうどうでもいいことだった。

「残りは三人か。半分になっちまったな」

「いよいよメインの肉料理か。何が来ると思う?」

「知るか。羽をむしり取られた飛び猫あたりが、皿の上に転がってるんだろう」

 投げやりにユーシスが言う。

「やっほー、ボクの番だよ! あれマキアスは?」

 元気よく乙女の領域からミリアムが飛び出してきた。彼女はきょろきょろとマキアスを探している。

「あいつは眼鏡の修理のために違う世界へ行った。……そもそも、お前のアガートラムで運んだだろうが」

「あはは、そうだった。せっかくのメインディッシュなのにもったいないよね。次はお肉。『ケルディック牛のステーキ~豪華に派手に』だよー」

 ユーシスが言うと、ミリアムは無邪気に笑った。

「待て。今お前、ケルディック牛と言ったか?」

「言ったよ?」

「れっきとしたブランド牛だぞ。てっきり魔獣でも焼いて出してくるのかと思っていたが」

「む、失礼だなー」

 品質保証をされている食材を使っているというのは、何よりの朗報だった。

 リィンとクロウも顔を見合わせて、ほっと息をついている。

「よかった。ただ豪華に派手にってのが気になるが……」

「まったくだ。さっきみたいに丸々牛が乗ってるんじゃねえだろうな」

 ミリアムは慣れない手つきで一人一人に配膳する。大皿ではないので、先ほどのようなことはなさそうだ。

「さあ、召し上がれ!」

『召し上がらない』

 三人は異口同音に言った。

 皿の中央には、型崩れした黒い物体が盛り固められている。それだけだ。添え野菜らしきものも見当たらない。

「ちょっと火加減をまちがえちゃってさー。でも香ばしい感じでしょ?」

「炭の臭いしかせんぞ」

 ユーシスが顔をしかめる。

「どうやったら上質な肉をここまでの消し炭に変えられるのだ」

「ガーちゃんのライアットビームで」

「おい!」

 火加減ではなく、間違えたのは出力だ。

 豪華に派手にというのは、どうやら調理過程の事を指していたらしいが、これでは『ケルディック牛のステーキ~業火の果てに』だ。いったいどこでビームをぶっ放したのかが気になるところだった。

「さっきも言った通りだ。こんなもの食べられるか。とっとと出直して――」

 ミリアム相手なら、どうとでもあしらえるだろう。早々に下膳させようとするユーシスだったが、彼女の背後にいきなりアガートラムが出現したのを見て、その身を硬直させた。

 白銀のボディの一部が開き、ビームの発射口が男子に狙いを定めている。

「……食べるか」

「……だな」

「……頂きます」

 またも選択肢は奪われた。アガートラムは自分が料理したものを残すなと言わんばかりに、砲口を順に三人に向けていく。

 極限状態のプレッシャーだ。わずかにでも残したり、あろうことか吐き出したりすれば、彼らが第二の消し炭ステーキになるのは免れない。

 ナイフとフォークで食べる代物ではなくなっていた。三人はスプーンで炭化した肉をすくう。

 まずは一口。想像通り、炭の味だ。飲み込むごとに、喉に炭がへばりつき、胃が悲鳴をあげ、体内が黒く染め上げられていくのを感じる。いつ発射されるかもわからないビームにも怯えながら、三人は黙々と食べ続けた。

 半分くらい食べたところで、ユーシスが言う。

「なぜ、俺だけ……」

 砲口が向けられる回数が、ユーシスだけ明らかに多い。しかもアガートラムの動作が、その時だけ妙に女子っぽいのだ。

 ようやくミリアムが背後のアガートラムに気づいた。

「あれ、ガーちゃん、いつの間にいたの? ははーん、わかったぞー。ユーシスがいたから出てきちゃったんだなー?」

『§±ΔΕΓΞ』

 アガートラムは銀色のすべすべボディをなまめかしく動かし、「もうやめてよ」と言わんばかりの仕草をみせた。

「ガーちゃんはさ、ユーシスのことが気に入ってるんだよねー?」

「な、何だと?」

 さらにアガートラムは照れたようで、グイングインと稼動音を響かせながらさらに激しく動き回る。

 クロウはその様子を見て、即座に行動した。アガートラムのわずかな隙を突き、自分とリィンの皿にあった黒い物体を全てユーシスの皿に注ぎこんだのだ。

「なっ、何をする!?」

「おいおい、どうしたんだよ? 早く食べなきゃ、アガートラムさんが見てるぜ?」

 アガートラムはもうユーシスしか、ロックオンしていない。体の火照りに反応したのか、出力は最大まで上昇している。

「卑劣な……恥を知るがいい!」

「へへ……悪いが俺はまだ死ねないんでな。貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)なんだろ。あーん?」

 クロウは邪悪に口の端を引き上げた。これまでの連帯感はどこに行ったのか。自分の助かる道を見出した瞬間、クロウは悪魔と化したのだ。リィンの分もユーシスに流したのは、彼も同罪にするためだ。

 ユーシスに渡った炭を引き戻す気力はなく、リィンは涙をのんだ。

「すまない、ユーシス……」

「ほら、早くいけ。アガートラムさんをお待たせするんじゃねえよ」

「お前たち、覚えておけ!」

 最大出力のビームを構えられては、ユーシスに拒む術はなかった。無心でスプーンを上下運動させ、業火の果てに消し炭と化したケルディック牛を完食する。

 誇り高き貴族の義務を全うし、ユーシスは静かに瞳を閉じた。

 

 

「あとはデザートだけだか。いいな、リィン。俺たちは生き残るぞ。逝っちまったやつの分までな」

「ユーシスはこっち側でとどめを刺した気が……」

 とうとうリィンとクロウの二人だけになってしまった。

 ガチャガチャと食器を洗ったり、片付けたりといった音が聞こえてくる。もう大がかりな調理は必要ないのだろう。ようやく長い戦いが終わりを迎えようとしていた。

「ごめんね、ガーちゃんがユーシスをなかなか離してくれなくてさー。時間がかかっちゃったよ」

 ユーシスを保健室に送ったミリアムとアガートラムが調理室に戻ってくる。

「こっちとしては永遠に戻ってこなくてもよかったんだぜ」

「次で最後だな? 覚悟はとうに済んでる。さあ、出してくれ」

「覚悟? よくわかんないけど、はいどうぞ」

 アガートラムが後ろを向いた。背部の一部がばくんと開き、中からケーキらしきものが出てくる。

「チョコレートケーキだって。アリサが〈キルシェ〉で買って来たんだ」

 喫茶店キルシェ。リィンもよく利用するので、そこで買ったものだというなら味の心配は無用だ。

 問題があるとすれば、そのケーキが異常なほどの冷気をまとっていることだった。

 ひんやり冷たいというレベルではない。ケーキ全体に霜がかかっており、上部に飾り付けられているクリームは、人を刺せるのではないかというぐらいガチガチに凍り付いている。クリームの凝固点などリィンは知りもしないが、並の冷蔵庫ではこうはなるまい。

「暑いとケーキが痛んじゃうから冷蔵庫に入れてほしいって言われたんだけど、もう食材でパンパンだったんだよね。だからガーちゃんの内部冷却機関にケーキを入れといたんだ」

「クロウ……」

「もう何も言うな。食えば終わる。それだけだ」

 ケーキにフォークが突き刺さらない。

 仕方なくクロウは手づかみでケーキを口まで運ぶ。ガリッと硬い音がした。

「あがっ!? コ、コンクリート食ってるみてえだ……」

 体から熱という熱が奪われ、クロウの唇が紫に変色していく。血管と神経まで凍ったかのように、彼の動きは極端に鈍くなった。

 たった一口でこの威力。もはや呪い。チョコレートケーキならぬ『超硬冷凍ケーキ』と呼称すべきだった。

「ク、クロウ、はやくケーキを口から離すんだ! 取り返しのつかないことになる前に!」

「……できねえんだよ」

「馬鹿いうな、早く――」

「できねえんだよ!」

 悲痛な叫びに、リィンは気づいた。

「凍ったケーキが……唇に張り付いて、離れねえんだ」

 またたく間にクロウの肌から血色が失われていく。

「クロウ! クロウ! こんなことって……」

 必死に自分の名前を呼ぶ後輩を見て、クロウは笑った。

「そういやさっきから“先輩”をつけてねえな?」

 Ⅶ組に編入になった時から、クロウは他のメンバーにため口でいいと言っていたが、生真面目なマキアスやリィンは中々応じることができなかった。それが今――

「当たり前だ! 一緒にここまで死線を越えたんだ。先輩も後輩もない、同じ仲間だろう!?」

「へ……実際に呼ばれると変な感じだな。っと、もう……感覚もなくなって、きたか……」

 クロウの体が透けてきている。彼の向こう側の景色まで見えるほどだ。

「ど、どうなってるんだ。 おい、消えるなクロウ!」

 凍結に加えて、これは消滅。特殊な空間以外では発現しない力のはずだが、どういう理由か、今この調理室は上位三属性が働いている。おそらくは煉獄の門を開き、オオザンショの魂を贄にした業深き行いが、古の力を呼び起こしているのだ。

「50ミラは……貸しにしといてくれや――」

 その言葉を最後に、クロウはケーキを口にくわえたまま、すっと消えてしまった。

「うああああっ!」

 絶叫しながらリィンはフォークを逆手に取ると、そのままの勢いでケーキに突き立てた。悲しみを乗せたフォークの先端がわずかにケーキに刺さる。

 リィンの体から力がほとばしった。

 己の師は武器を選ばなかった。本質は一緒なのだと、事実兄弟子の一人には剣を置き棒術の道を選んだ者もいたという。

 ならばこそ、たとえフォークであってもできるはずなのだ。

「でやああああ!」

 フォークが炎をまとった。直接熱を送り込み、氷を溶かす。しゅんしゅんと液体が沸騰するような音を立てながら、おびただしい量の蒸気がケーキから立ち上った。

 調理室の全てが白煙に染まる。何も見えない。

 ほどなく蒸気が晴れ、視界が明瞭になっていく。

 そこにリィンが立っていた。空になった皿を掲げながら。

「ごちそうさま」

 散っていった仲間に黙祷を捧げる。

 多くの犠牲の上に、リィンはこの長く激しい戦いに勝ったのだ。 

 

 

 勝っていなかった。

 超硬冷凍ケーキを制したリィンの前には、クローシュの被せられた新たな大皿があった。皿を持ってきたラウラにリィンは問う。

「……これは何だ。もうデザートは頂いたぞ」

「さっきのケーキは市販のものであろう。材料も余っていたし、やはり手作りのデザートも一品作ろうと思ってな。ところで他の男子達はどうしたのだ?」

「みんな急用でさ。……遠いところに行ってしまった」

「よくわからんが、この場にいるのはそなただけということか」

 ラウラはきょりきょろともう一度辺りを見回し、

「皆で食べられるようにと思ったのだが、そなた一人に作る形になってしまったな。その、気に入ってもらえるとよいのだが」

「はは……」

 力なく笑う。気に入っても気に入らなくても、どうせ食べるしかないんだろう。リィンは諦念の心地で、眼前のクローシュを眺めていた。

「それでは味わってくれ」

 クローシュが開かれる。

 皿の上にはひっくり返したバケツよりも、さらに一回り大きいフルーツゼリーが中央にどんと鎮座している。その周りには様々な果実が添えられていた。

 そして巨大ゼリーの内部には、周囲全てをゼラチンに固められたオオザンショがいた。

「ケネ―――ス!!」

 彼はまさかの二匹目を釣り上げてしまっていた。

「大丈夫だ。今回、そのオオザンショはちゃんと死んでいる」

「ちゃ、ちゃんと死んでいるって……」

「苦労したのだ。形を崩さずゼリーに固めるのは。何せそやつが暴れたものでな。朝一番でレイクロード氏から仕入れたので、活きがよくて手を焼いたぞ」

 リィンは固まっている。ゼリーの中のオオザンショと同じように。

「名付けて『朝どれオオザンショゼリー~至極の一時をそなたに』。さあ遠慮するな」

 オオザンショの瞳は暗く閉ざされている。

 辛かっただろう。今朝までいつもと同じように気持ちよく泳いでいたに違いない。それを突然陸に連行され、気付けばゼリーに押し込められ、真っ暗な闇の中。その断末魔は如何ほどのものだったのか。

 ここまで罪深いデザートがあることをリィンは知らなかった。

 この一品に相応しい名は『拉致られオオザンショゼリー~漆黒の嘆きは彼方に』。

 食べるのだ。食べなくてはいけない。命を粗末にしてはいけない。

 ゼリーの中ほどにプスリとフォークを突き刺す。ぷるぷるとゼラチンが波打ち、中のオオザンショがあたかも水中を泳いでいるように見えた。いや、それは涙で滲んだ視界がそう見せただけか。

 震える手でフォークを口に運ぶ。味などもうわからない。突然、床が自分に迫ってくる。

 鈍い衝撃が頭蓋に走り、彼の意識はそこで消失した。

 

 

 まどろみの中、リィンは思う。

 絶望的に料理が下手でも、彼女たちは味音痴ではない。なのになぜ、平然とあんな物体を出せるのだ? 不味いということがわからないから? それはなぜ?

 彼女たちが料理の工程でしなかったもの。あるいは今までの人生でする機会がほとんどなかったもの。それは――

「――途中で味見をしないからだ!」

 叫んだ自分の声で、リィンは跳ね起きた。白い掛布団にシーツ、嗅ぎ慣れた消毒薬の匂い。ここは保健室だ。

「あら、起きたのね? でもまだ安静にしてなきゃ」

 落ち着いた深みのある声だった。まだ呼吸も荒いリィンにそばに歩み寄ってきたのは、保健医のベアトリクス教官である。

「今日は千客万来ね。こんなおばあちゃんをあまり働かすものではありませんよ」

 ベアトリクスは穏やかな笑みを浮かべる。その笑顔に“生還”したという実感が湧いてきた。

 保健室には先に運ばれた男子の姿もある。ベッド数が足りず、何人かは簡易式のベッドに寝ていたが、大事ないようだった。

 そこには消滅してしまったクロウの姿も。

 さすがは、“死人返し”の異名をもつベアトリクスで、毒、凍結、石化などそれぞれの状態異常を手早く解除してくれたらしい。

「大変な目にあったみたいね? 銀のお人形さんが扉を開ける度に寿命が縮まったわ」

「ご冗談を……」

「でも体の資本は食事からよ。今回の事で何か得た教訓はあったかしら?」

 食事の大切さはリィンも身に染みて理解した。ふと今日のフルコースを思い出す。

 

 『ワイルド野草サラダ』(毒、バランスダウン、リンクブレイク)

 『煉獄スープ』(炎傷、混乱、暗闇)

 『シェフの激薬ルーレットパン』(気絶、石化、即死) 

 『オオザンショのヴォルカンレイン仕立て~哀憐を残して』(石化、駆動介助、封技、封魔)

 『ケルディック牛のステーキ~業火の果てに』(気絶、遅延、毒)

 『超硬冷凍ケーキ』(凍結、消滅)

 『拉致られオオザンショゼリー~漆黒の嘆きは彼方に』(悪夢100%)

 

 凄まじいラインナップだ。

 力、速さ、防御、回避。全て大切だが、それだけで戦闘を制することはできない。自分の命があって初めて戦えるのだ。

 教訓、と問われてリィンは迷いなくベアトリクスに答えた。

「これからは最大限に状態異常を警戒します」

 

 ● ● ●

 

 ――後日談

 彼女たちの問題は、好き放題に食材を調理してしまうこともだが、途中で味を見ないことが致命的だったようだ。

 ミリアムとフィーは元々感覚派なので味見に対する意識は薄く、アリサとラウラに関しては彼女たちの“他人に提供する料理に先に手をつける”ことをマナー違反だと思っていたらしい。

 エマに至っては「薬品の調合中に味なんてみたら、大変なことになっちゃいますよ?」と調理を化学と捉えていた辺り、もしかしたら一番致命的だったのかもしれない。

 ともあれ彼女たちは試行錯誤を繰り返し、無事に調理実習試験をパスしてみせたのだった。調理実習を担当するメアリー教官の味覚を破壊したなどの疑惑も出たが、真実はわからない。

 この一連のイベントで男子達が受けたトラウマは相当なものだったらしく、

「ねえ、あなた達。なんでそんなにアクセサリーつけてるのよ」

 第三学生寮、ラウンジ。皆でそろっての夕食時、アリサは彼らの様子に呆れ顔だった。

 男子はシルバーチェインにシャイングラス、オレンジケープにホーリースフィア。ありとあらゆる装飾品を体のあちこちに装備している。全て状態異常防止の為だ。

「おいリィン、今日はグラールロケット俺の番だろうが!」

「嫌だ、これは渡せない!」

「この裏切り者どもめ」

「とりあえず眼鏡を買わないとな……はあ」

「風というか……嵐だったな」

「煉獄……煉獄……」

 ラインフォルト本社から戻ってきていたシャロンは、にこやかに笑う。

「今日の夕飯はわたくしが作りましたので、問題はないかと思いますが」

 惨劇の一端を知った女子は多少なりとも責任を感じたらしく、後日お詫びにと女子全員でクッキーを焼いて男子達に配って回った。

 しかし引きつった笑顔と震える手でクッキーを受け取った彼らが、それを口にしたのは度重なる成分調査と、審議に審議を重ねた五日後だったという。

 

 

~FIN~

 

 

 

 

 

 ★おまけ★

 

 惨劇の当日、早朝。

 食材調達を任されていたフィーは、トリスタの町、その川縁近くの木の陰に隠れていた。

 視線の先には釣りに興じる白い学院服の少年――ケネス・レイクロードの背中がある。

 先ほどからずっと監視しているが、彼が釣り上げるのは小さな魚か、大きくても中型のサモーナくらいだ。

「……足りない」

 男子六人の食欲を満たすにはさすがに少ない。

 ――とその時、

「お、お、おーっ!」

 どうやら大物がかかったらしい。ケネスが喜びの声を上げている。

「オオザンショかあ、この辺でも釣れるんだな」

 大きい。あれがいい。

 思ったが早いか、フィーは気配を殺してケネスの背後に迫った。ラウラからはケネスが魚を釣ったら、説得して譲ってもらうように言われている。

「ケネス」

「うわあ! びっくりした。って君は確かⅦ組の……」

「フィーだよ」

 多分初めて話をするであろう年下の女子から、いきなり呼び捨てでよばれたケネスは、戸惑いながらも彼女に用件を聞いた。

「えっと、朝早くからどうしたの。何か用かい?」

「うん。ケネスお魚ちょうだい」

 フィーはそう言うと、大きめの空バケツを差し出した。ケネスは困り顔で、

「うーん、僕は自分で釣った魚は人にあげないんだよ」

「そっか、残念」

 あまり残念そうな口調ではなかったが、フィーはすんなり空バケツを下げた。

「ああ、ごめ――」

 一言謝ろうとしたケネスの視界の端に、不穏なものが映り込む。後ろに回したフィーの手から、スカート越しにちらりとのぞいたのは、朝日を受けてぎらりと輝く鋭利なナイフだった。 

「え……?」

 ただのナイフではない。柄の部分には引き金が付いている。武器には詳しくないケネスだが、こればかりは一見して逆らったらダメなやつだとわかった。

「お魚くれないんだ。残念だな」

 言いながらフィーがじりとケネスに歩み寄る。後ろは川だ。逃げられない。

「大きいのがいいな。でもくれないんだよね?」

 とうとうケネスは折れた。

「わ、わかった。好きなのを持って行ってくれ」

 ややあって、フィーのバケツにはオオザンショが一匹収まっていた。

「ありがとう、ケネス」

「気が済んだかい? そ、それじゃあ僕はこれで」

「待って」

 急いで立ち去ろうとするケネスを、フィーは一言で止めた。

「これ釣って。もう一匹。もしかしたら足りないかもしれないし」

「ええ!?」

 釣ってと言われて釣れるものではない。ただでさえ希少なオオザンショである。しかしフィーはお構いなしに「釣って」とにじりよる。もちろんナイフをチラつかせながら。

 このままでは自分が魚のエサになる。

 そう確信したケネスは意地で二匹目のオオザンショを釣り上げるのだった。

 オオザンショをフィーに引き渡したケネスは逃げるようにしてその場を去る。

 大物を二匹手に入れたフィーは「説得成功」とご満悦の様子でいつものポーズを決める。“勝利”と“二匹”の意味を込めて。

「ぶい、だね」

 

 

~END~




最後まで読んで頂きありがとうございます。男子達がかわいそうな目にあってしまいました。
 実は今回の話の裏テーマは、「いかにしてリィンがクロウと呼ぶようになったか」でした。本編では9月になったらナチュラルに呼び捨てでしたが、何らかのきっかけはあってもいいのではと思った次第です。なので以降のストーリーでは、リィンはクロウにため口になっています。
 次回からはⅦ組の個々にスポットをあてた、今回のような日常ストーリーとなりますが、その前に大枠の話を進める為のインターミッションを挟みますので、またお付き合い頂けたら幸いです。

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