虹の軌跡   作:テッチー

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ノベルウォーズは突然に(後編)

 戦いが始まった。

 睨み合いも膠着もなく、両陣営入り混じっての乱戦。食器は破砕し、卓上の料理が崩落する。

 立ち尽くす私の頭上を一枚の皿が飛び去り、壁に当たって砕け散った。

「な、な!?」

 気付けばそこかしこで激しい戦闘が繰り広げられている。とても文化系の部活とは思えない。

女子陣営は小チーム編成で動き、単騎奮闘の男子陣を牽制する。そんな中で呆然と孤立していた私は、さっそく標的にされてしまった。

「あの赤服は一人だぞ! あいつを狙え!」

「きゃああ!」

 とりあえず逃げるしかない。追ってくる男子の手には雑誌を棒状に丸めたものが握られている。

 入国審査で露骨な物は持ち込めなかったのか、あれが男子文芸部の主力武器らしい。攻撃力が低そうで何よりだが、他にもっといい物はなかったのか。 

「逃がすか! 我が名は“盲目のテンペスト”! 女神より与えられしこの秘剣。かわせるものなら、かわしてみせよ!」

「目見えてるじゃないですか!」

 どこが盲目。ついでに言えば秘剣は女神じゃなくて、おそらく書店購入だ。

 テンペストさんは「唸れ、テンペストクラーッシュ!」とか叫びながら秘剣を振り上げてきた。

 あの秘剣、あたったら多分そこそこ痛い。私は頭をかばいながら丸テーブルの間を走り回る。

「あっ」

 その時《ARCUS》を入れてある腰のホルダーが、テーブルクロスに引っ掛かってしまった。引っ張られたクロスと一緒に、机上の料理やグラスをまき散らしながらテーブルは勢いよく倒れる。そして追いかけてきたテンペストさんにタイミング悪く直撃してしまった。

「なっ? がはっ!」

 予期しない一撃に打ち据えられ、彼はその場にくずおれた。

「テンペストーッ!」

「盲目のくせに粋がるからよおっ!」

 二人の仲間が駆け寄ってくる。テンペストさんは力ない瞳で見返すと「はは、ドジやっちまったぜ」と自嘲の声を発した。

「悪くなかったな、お前らと馬鹿やった日々はよ。俺はどうやらここまでらしい」

「傷は浅いぞ、気をしっかりもて!」

「ちくしょう、ちくしょう! こんなことってあるか!」

 息も絶え絶えなテンペストさんは、手にしていた秘剣を震える手で持ち上げた。

「だが悔いはない。俺の流れる血がお前達の力になるのなら」

 床に流れ落ちる赤い液体は血ではなく、パスタのトマトソースですよ。

「……さらばだ、友よ。男子文芸部に……栄光、あれ――」

 落ちる腕。閉ざされる瞳。テンペストさんは静かに力尽きた。

 痛恨の面立ちで、彼の死を看取った二人は『イエス! ブンゲイソウル!』と叫び、拳を自らの胸に掲げた。

 あれが彼らの魂の合言葉らしい。

「えっと……あの、すみません……?」

「死した戦士に上からの物言い……何たる侮辱っ!」

 かける言葉も思いつかず、ひとまず謝ってみたのだが、どうやら火に油を注いでしまったようだ。怒りもあらわに二人は私に鋭い目を向ける。

「覚悟はいいか。俺は“双棍のガイスト”。テンペストの仇は討たせてもらう」

 ガイストさんは雑誌を丸めたものを二つ、逆手で両手に持ちトンファーのように構えた。

 その隣でもう一人も、

「後悔をする暇も与えん。“渡り鳥のアルムバント”の鋭き爪を味わえ」

 アルムバントさんは細めに丸めた雑誌を五指に差し込み、まるで鉤爪のように扱ってみせる。

 色々なバリエーションがあるらしい。とりあえずここまでのやり取りで、男子文芸部が好むジャンルが何となく分かった。

「くらえ。『臥竜雷神打』! せいやあ!」

「『サンクチュアリ・ブレイクスルー』! ヒョウッ!」

 私に飛びかかろうとした二人は、最初の一歩目で床のトマトソースに滑り、見事に同じポーズで横転する。

 体勢を戻そうとして結局叶わず、彼らはそろってテーブルの角で強く後頭部を打ち付けた。

 捨て台詞さえなく、ガイストさんとアルムバントさんは仰向けに倒れ込み、白目を剥いたまま動かなくなってしまった。 

「……ごめんなさい」

 私は謝ることしかできなかった。

「紅のグラマラスが三人仕留めましたよ!」

 一連の様子を見ていたドロテ部長が大声で告げる。

『グラマラス! グラマラス! グラマラス!』

 友軍から沸き立つグラマラスコール。男子文芸部の怒りが私に集中する。

「あいつが主戦力か!」

「潰せ! 眼鏡を奪い、機動力を削げ!」

「あの三つ編みに武器を仕込んでいる可能性がある。警戒して撃破にあたれ」

 私は何もしてませんから。その人達が勝手に転んだだけですから。主戦力じゃないですし、三つ編みには何も仕込んでませんし、お願いですから眼鏡を狙わないで下さい。

 ドロテ部長はテーブルの上に立ち、白銀に輝くフォークを掲げた。

「さあ皆さん、紅のグラマラスに続くのです! 戦乙女の槍の猛威、存分にお振るいなさい!」

 こんなにアグレッシブなドロテ部長は見たことがない。とりあえず私を筆頭にするのはやめて欲しいのですけど。

「男子文芸部の横暴を許してはいけません!」

「偽りの歴史に塗り固められた女子文芸部が何を言うか!」

 熱気立つホール内に、咆哮とも思える雄叫びが縦貫し、戦禍は瞬く間に拡がっていった。

 

 

「ええい!」

「いってえええ!」

 ドロテ部長のフォークによる刺突が、男子文芸部の一人を屠る。

「くそっ! “未来のグアルディア”が未来を奪われちまった。……てめえ終わったぜ? この“疾風のガーデナー”を本気にさせちまったんだからなあ!」

 矢継ぎ早に新手が襲い来るも、ドロテ部長は冷静に振り下ろされた雑誌棒を皿の表面で受け止めた。

「ちっ! まだ――うっ!?」 

 即座に皿の角度をずらし、雑誌棒を滑らせる。相手の体勢が崩れると同時に、体を半回転させながら懐に潜り込む。一気に間合いを侵略したドロテ部長は、勢いのままその背にフォークを突き立てた。

 プスリと銀の先端が食い込み、ガーデナーさんは「ぎゃあああ」と耳をつんざく悲鳴をあげた。

「やばい! 出たんじゃないか、これ!? こ、この女クレイジーだぜ!」

 わたわたと後ろ手で何かを確認しているガーデナーさんは、間を置かず顔面に炸裂した大皿の一撃によって、その名の通り疾風の速さで戦線を離脱した。

 思った以上に痛みに弱い男子文芸部。

「さあ、次はどなた? この“夢のヴォワヤジェール”の首を取って、武勲を立てたい者は遠慮なくかかってきなさい」

 フォークをちゃきっと相手に突き付けるドロテ部長は、それこそ甲冑を纏えば一騎当千の戦乙女だ。

「はっ! そっちが戦乙女なら、こっちは狂戦士になるまでよ! 俺は“迅雷のクイックシルバー”。明日の朝日は拝めないと思え!」

 クイックシルバーさんは「コホオオオ……」と呼吸を整え、気を練り込んでいる。そんな彼のみぞおちに電光石火で放たれた掌底が決まった。

「ぐっ……掟破りじゃねえか」

「敵の強化を安穏と待つのはファンタジー小説の中だけですよ。――はっ!」

 気勢と共にドロテ部長の足元がずんと重い音を立てる。

 生み出された力が足を通り、背を流れ、肩を伝い、掌から一気に激発する。ノーモーション、ノーリーチから放たれた体内を穿つ衝撃。

 クイックシルバーさんは堪えることができず、いくつかのテーブルを巻き込みながら吹き飛んだ。

 疾風、迅雷ここに散る。

 ドロテ部長強すぎませんか。男子三人を息も付かずに瞬殺だなんて。授業の実技訓練の評価は確実にSクラスだ。

「さあ、士官学院仕込みの技の冴え、見せてあげてよ!」

 ついにフォークを投げ捨てた。イメージから勝手にサポート系アーツ型だと思っていたが、完全に近接系打撃型だ。

「こいつはやべえ。闘気が獅子の形をしてやがるぜ……!」

「正気の沙汰とは思えねえ。――おい、あいつを先にやるぞ」

 ファンタジー小説を読み過ぎると、相手の気が実態化して見えるらしい。

 牙を剥く獅子を幻視したのか、互いに目配せした彼らはドロテ部長に対して背を向ける。

「あっ!」

 彼らが走る先にいたのはグリム・リーパーちゃんだ。おずおずと戦場を歩く少女に向かって、慈悲の欠片もない雑誌棒が風を切る。

「逃げて!」

 私の位置からだと間に合わず、そう叫ぶより他なかった。

 しかしグリム・リーパーちゃんに近づいた途端、彼らは身もだえしながらその場に膝をつき、急にうずくまってしまった。

「な、何が起きたの?」

 一足遅れて、グリム・リーパーちゃんのそばに駆け寄ると、彼女はぼそぼそと何かを呟いていた。

 耳を澄まして言葉を聞き取ってみる。

「――なによ、あんた達なんて机の角に小指ぶつけて死ねばいいんだわ。ほら想像してご覧なさい。足の指の爪が全て剥がれてフタのようにカッパカパ開く様を。そうだわ、指の爪と肉の間にも針を刺してあげましょう。血の涙を流し、泥の涎を吐き、喉が破れるまで許しを乞いなさい。そうしたら生きたまま体中の皮をはぎ取り、筋線維をむき出しにした人体模型にして、うちの学院に飾り立ててやるわ。それから――」

「ひえええ!」

 可愛らしい声から紡がれる呪いの長口上。男子達は「痛え、想像しちまうよお!」とか「いやあ! もうやめてえっ」など悲鳴交じりに叫びながら、辺りをごろごろとのたうち回っている。

 さすがは最優秀賞受賞者。彼女の領域に接近するだけで、心がへし折られていく。

「こ、ここは大丈夫そうですね」 

 私もこの場から離れないと、自分の身が危うい。私にひらひらと手を振ってくれるグリム・リーパーちゃんはとても愛らしいのだが、見る間に彼女の足元には男子文芸部の骸が増えていく。

「……あ」

 彼女のペインゾーン(痛みの領域)から離脱し、視線を巡らした時、その光景が目に留まった。

 整然とした当初の様相はすでになく、荒れに荒れた会場内の中央に“炎熱のリッター”さんと“恋のシルビエンテ”さんが対峙している。

 けたたましい乱戦の怒号が響く中、二人の周りだけは時が止まったかのような静寂に包まれていた。

 

 

「なぜ私達の作品を認めないの?」

 シルビエンテさんが静かに口を開く。

「相容れないからだ」

 応じるリッターさんの口調には冷ややかな響きがあった。

「どうして! ファンタジーにも恋愛の要素はあるでしょう。それが物語に彩りを添える。違って!?」

「確かにな。だがあくまでも冒険ありき、その中で芽生える想いだ。お前達のは違う。答えろ……! なぜ出会った瞬間に恋が始まる? なぜ朝にぶつかった見知らぬ男が自分のクラスに転校してくる? 頭脳明晰、スポーツ万能、スタイル優秀? ヒロインに対して随所に挟んでくる、目的の見えないちょっとした意地悪には何の意味がある? ご都合主義以外の言葉で説明ができるか!?」

「それは冒頭で読者の心を掴むために……」

「黙れ! パンをくわえて角を曲がれば男にぶつかり、昼休みに屋上へ行けば男がたそがれ、雨が降れば背後から傘を差し出され、道を歩けばもれなく捨て猫に遭遇し、窓際に座れば薫風と共に髪がなびく! そんな展開はもううんざりだ!」

 なぜかリッターさんは恋愛小説の定番パターンに詳しい。それも一昔前の。

「いや、それらはまだ許容できる。だが最近のお前の作風はおかしい。妙に男ばかり出てくるようになった。仲の悪かったライバル同士が急激に友情を深め、川岸で石を投げながら夢を語り合うなど、理解の範疇を越えている!」

 黙って聞いていたシルビエンテさんは「ふふっ」と余裕の笑みをこぼした後、深く嘆息をついた。

「己の狭量と見識の無さをがなり立てて見苦しい。ならば私も言わせてもらうわよ。あなた達が崇拝するジャンルの脆さをね!」

「な、なにぃ!?」

 ぴしゃりと言い放ち、指先をリッターさんに向ける。謎の圧力が発されているようで、彼はたじろぎ、片足を引いた。

「何が冒険活劇、何がファンタジーよ! 倒した敵が仲間になる? 敵の敵は味方? 修行でパワーアップ? 新必殺技? 奥義? 追い詰められて覚醒? 第二形態? 記憶の無い主人公は特別な血筋? 暗い過去に血塗られた運命? 舞台と設定変えただけで何度目よ。もう飽き飽きなんだから!」

「お、お前! 先代が苦心して作り上げた黄金の展開を愚弄するのか!?」

「まだまだあるわ。あとそう、敵の設定が安直なのよ! 倒す度にさらに強大な敵が現れて、結局収拾つかなくなってるわ。それに敵の目的も手順は違えど最終的には同一化してるじゃない。いちいち世界を巻き込んだ戦いを起こして品がない! 定番の繰り返しも甚だしい。何倍希釈のジュースよ。薄くて読めたもんじゃないわ」

「……やめろ、やめろ、やめろ!」

「扱う武器だってそう。剣、杖、銃、斧、鞭、槍、棒、弓、投擲。あまつさえネタが無くなれば剣と銃を合体させたり、槍の柄に斧が付いてたり、扱い辛いそうなことこの上ない! 一週回って素手のキャラクターが普通に強いってどういうことよ!? あと命と引き換えに発動する大技の多いこと多いこと。しかも結局死なないパターンもあるし。ご都合展開なのはどっちかしらね」

「ふざけるな! 命を易々と物語のスパイスにしているのはお前達だ! 事あるごとに病気で悲劇を演出しやがって」

「甘く見ないで。私達の場合、不治の病の設定は崩さないし、必要であればただの風邪であってもキャラは死ぬわ」

「物語の為に登場人物を殺すな! ストーリーを動かすのは書き手じゃねえ。あくまでもその世界に生きるキャラクターなんだよ!」

 なんという熱烈な応酬。引かない主張、譲らない信念。

『………』

 炎の如き会話の谷間に氷のような沈黙が流れる。

「……問答はここまでね」

 シルビエンテさんはそばのテーブルからフォークを取った。

「だから相容れないと言ったろう。もはや語る言葉などない」

 リッターさんは近くに落ちていたテーブルナイフを拾う。

 睨み合う二人。ざわと肌が粟立った。

「受けてみなさい。山さえ貫く聖なる槍を」

 フォークですよ。

「耐え切れるか。海さえ分かつ女神の剣を」

 ナイフですね。

 二人は同時に床を蹴った。先手を取ったのはシルビエンテさんだ。

「やっ!」

 フォークによる怒涛の連撃が、リッターさんに浴びせられる。あまりの手数にフォークの先が分裂して見え、銀の煌めきが扇状に拡がっていった。回避の隙間さえない。

「はあっ!」

 リッターさんはナイフを鋭く一閃させる。虚空を裂いた斬撃は、繰り出されたフォークとぶつかり、甲高い音を響かせた。

「それは残像であって分身じゃない。故に本体はただ一つ。手品にしても二流だな」

「なら、これはどうかしら」

 シルビエンテさんは反対側の手で隠し持っていた丸皿を、手首のスナップを利かせて円盤のように投げつけた。

「当たるかよ。甘い――」

「――のはどちらかしら」

 身を屈めて皿をよけたリッターさんの頭上から、鋭い針のような物が大量に降り注いだ。

「ぐあっ!? お前、これは!」

「ご明察。魚の骨を仕込んでおいたのよ。必殺の『シルビエンテ・フィッシュボーン』のお味はいかがかしら」

「いいカルシウムだぜ……!」

 シルビエンテさんを強敵と見たリッターさんはゆらりと立ち上がり、「こいつだけは使いたくなかった」と上着のポケットからもう一本のテーブルナイフを取り出した。

「魔剣が血を求めているな。果たして今の俺に扱い切れるかどうか」

 二つのナイフを振り上げる。対するフォークは揺らがず構える。

「さあ、覚悟の時だ。家族に別れの手紙は書いたか、シルビエンテェーッ!」

「あなたこそ。死後の恥を晒さぬよう身辺整理はできているかしら、リッタァーッ!」

 振り下ろされる二刃を三叉が受け止める。

 拮抗する力と力。生まれた衝撃が二人を中心に爆ぜ、近くのテーブルクロスを残らず吹き飛ばした。

 

 

 開戦からおよそ一時間。戦況は傾きつつあった。

 当初、女子文芸部の連携によって男子文芸部は劣勢を強いられていた。事実、男子勢の人数は現時点でおよそ四分の一、十五名にまで減少している。

 だがそれ以上に女子勢の消耗は激しかった。武器を持ち、有事に備えていたといっても、やはり文芸部。平素から戦闘技術を身に付けている者など数える程しかおらず、また女子ゆえか文化系だからか体力も少ない。

 一人、また一人と膝を付き、戦える人数が減っていった。初めて経験する戦場に戦意を無くした人もいて、そういった学生達はテーブルの下でクロスにくるまり、身を隠している。

「はあ、はあ……」

 呼吸を整えながら、私は視線を周囲に回してみた。

 女子で立っているのは、私を含めてわずかに四人。

 シルビエンテさんにグリム・リーパーちゃん、あとはドロテ部長だ。

 シルビエンテさんはリッターさんと未だに交戦中で、彼を抑えるのが手一杯のようだ。グリム・リーパーちゃんは相変わらずぼそぼそと痛みの領域を展開しているが、警戒する男子達は彼女に近付くことさえしない。

「エマさん無事ですか?」

 私の身を案じてくれるドロテ部長は、果敢に突撃してきた男子の胸倉を掴み、ぎりぎりと力任せに持ち上げている真っ最中だ。

「お、俺は……“闇のフライングキャット”……ぐふっ」

 死期を察したらしいフライングキャットさんは、最後の力を振り絞って自身の名を告げると、がくりと意識を失う。とりあえず男子文芸部はあと十四人になった。

 四対十四、およそ三倍強だ。私は逃げ回っていただけなのだが、追ってきた人達はなぜか足を滑らせたり、何かにぶつかったりして戦闘不能になっていく。その内“幸運のグラマラス”と呼ばれかねない戦果をいつの間にか上げていた。

 攻めあぐねていた男子文芸部の一人が言う。

「俺がグリム・リーパーをやる。あいつさえ倒せば俺達の勝利は目前だ」

 周りの仲間は戸惑っている。

「一体どうやって? 突っ込んだらもう帰って来られないんだぞ……まさか、お前」

「帰るつもりなんか最初からないさ。俺のペンネーム言ってみろよ?」

「とっ、“特攻のデッドエンド”……!」

「親に会ったら伝えてくれや。どうしようもねえ悪ガキで迷惑かけちまったけどよ。あんた達の息子は最後に誇りの何たるかを知ったってな」

 デッドエンドさんの制服のズボンには、雑誌棒がたくさん挟まっている。

「それ爆弾か!? 早まるな! 方法はまだあるはずだ」

 雑誌棒ですよ。雑誌棒ですから。

「じゃあな。ヴォワヤジェールとグラマラスはお前らに任せたぜ」

「デ、デッドエンドーッ!」

 仲間たちの悲痛な叫びを背に、デッドエンドさんはグリム・リーパーちゃんに特攻する。

「男子文芸部の未来に……栄光あれーっ!」

『イエス・ブンゲイソウル!』

 デッドエンドさんの死出の旅路を見送る男子達は、拳を胸に掲げ涙声を詰まらせた。

「リーパーちゃん! 避けて!」

「――船のスクリューで髪の毛洗って、頭皮ごとべりべりめくれちゃえばいいのよ。その傷口に粗塩を揉み込んであげるわ。おまけに魔獣の背びれを差し込んで醜悪なモヒカン頭に――っえ? きゃああ!」

「ぶもおおおっ!」

 ミノスデーモンのような形相で迫り来るデッドエンドさんに、足がすくんだグリム・リーパーちゃんはぺたんと尻もちをついてしまう。その頭上を大砲の弾のように飛び去ったデッドエンドさんは、正面の壁に顔面から激突した。

 もちろん爆発などしないが、その体勢のままズルズルと下に顔を滑らせるデッドエンドさんは、遠目に見ても完全にデッドエンドだ。

「ふえっ……ふええええ」

 よほど怖かったのだろう。グリム・リーパーちゃんは目元を両手で覆って泣き出してしまった。やはりまだ幼い少女には違いないのだ。

「リーパーちゃん、大丈夫? よしよし」

 すぐさま駆け寄って、頭を優しく撫でてあげる。ぐすぐすと肩を震わせる彼女は私の胸に顔をうずめてきた。

 どこからか「う、うらやましい……」などの声が聞こえたけど、その言葉は速やかに思考の隅へと追いやった。

 ドロテ部長が彼らを牽制するように、私の前に立つ。

「見なさい。このほとばしる母性と弾けそうな制服のボタンを。これが“紅のグラマラス”なのです!」

「ド、ドロテ部長!」

 要所要所で紅のグラマラスを売り込むのは止めて下さい。制服のボタンは関係ないですから!

 恥ずかしさに顔を伏せかけた時、キィンと金属質な音が会場内に響き渡った。全員の視線が、音の方向へと集中する。

 クルクルと不規則に回転しながら、弧を描いて飛んでいく銀のフォークが見えた。

「終わりだな」

 リッターさんが乾いた言葉を吐き、シルビエンテさんが片膝を付く。

「さすがとは言っておこう。俺の双剣ももう使い物にならん」

 想像を絶する激戦だったようで、リッターさんの持つテーブルナイフは刃こぼれだらけだ。

 武器を失くしても戦意を失わないシルビエンテさんは、よろめきながらも立ち上がる。そんな彼女にリッターさんは詰め寄った。

「このボロボロのナイフでもお前を仕留めることぐらいはできる。女子文芸部の将として、お前の口から敗北を宣言しろ。そうすればお前たちの身柄は捕虜として尊厳ある扱いをすると約束しよう」

 じりじりと壁際に追い詰められるシルビエンテさん。しかし彼女は毅然とした態度を崩さなかった。

「たとえ私が折れたとしても、女子文芸部のペンが折れることはないわ。いつの日か必ず再起し、あなた達を絶望の終章へと送る。今日のことはその伏線と思いなさい」

「報復の連鎖を繰り返すか。伏線回収さえできずに志半ばで散った作家がどれほどいると思っている」

 彼女は会場の隅に追いやられた。そこには照明器具に脚立、その他の備品など使わない機材が集められており、荒れた会場内においても特に雑多な一角となっていた。

 式中は目立たないように大き目のホワイトクロスで覆われていたのだが、この戦いのどさくさではがれて向き出しになってしまったのだろう。

「まるでスクラップ置き場だ。死に場所を選ぶくらいの慈悲はくれてやってもいいが」

「気遣いは結構よ。それに私の死は無駄じゃない。だって――」

 声音が変わる。低く、冷たく、重く。嫌な予感がした。

「男子文芸部の筆頭を道連れに出来るのだから!」

「お前っ!?」

 シルビエンテさんの手が積み上げられた機材へ伸びた。バランスを崩させて一気に倒壊させるつもりだ。

「やめて、シルビエンテ!」

 ドロテ部長が走るも間に合う距離ではない。リーパーちゃんを抱いている私もだ。残った男子も私達側にいる。

 咄嗟に駆け出したのはリッターさんだった。逃げようとはせず、シルビエンテさんに向かっている。止めるつもりなのだ、彼女を。

「私の命を糧に、咲き誇りなさい女子文芸部!」

「やめろおっ!」

 手の平が機材に触れる――寸前、その動きがぴたりと止まった。

 彼女の手の先を制するように、別の手の平が遮っている。

 少なくともリッターさんのものではない、大きく、深みのある柔らかな手だった。

「それはいけないね。君の手は何かを壊す為にある物じゃない。新しい世界を創り出す為のものだ」

 黒いタキシードをなびかせ、蝶の仮面をまとい、その奥に見える灰色の瞳を薄く光らせた――

「そう思わないかね。猛る若獅子達よ」

 ガイラーさんが狂騒の戦場に降り立った。

 

 

「ど、同志《G》……!?」

 やんわりと自分の手を抑える《G》を呆然と見つめていたシルビエンテさんは、戸惑いの声をあげた。

「どうして――」

「その先は野暮だね。才能の新芽が摘まれることを是とできなかった、とだけ言っておこうか。さて……」

 ガイラーさんはシルビエンテさんをその場から遠ざけると、リッターさんとその後ろに集結しつつある男子文芸部に向き直った。

「お初にお目にかかる。私はしがない新人小説家の《G》という。今宵は数奇な縁の導きによって審査員を任されていてね。場違いであることは重々承知しているのだが、僭越ながらここに立たせてもらっているというわけだ」

 簡単に自己紹介を済まし、ガイラーさんは慇懃な所作で一礼をしてみせた。

「なるほど。てめえが審査員か……!」

 審査員。その言葉に憤怒の気が伝播していくのを感じた。

 そうか。争いの大元は八年前の品評会、審査員の好みに外れて男子達が賞を取れなかったことに端を発している。女子文芸部には確執があれど、遺恨まではないのだ。

 それは心のどこかで男子達も分かっているのだろう。女子文芸部に対する男子文芸部の目的は恐らく、自分達のジャンルを認めさせ、屈服させること。思えばこの戦いは殲滅戦というよりは消耗戦の色合いが強く、さらに途中の降伏勧告も多かった。

 ならば真に彼らが忌むべくは――!

「《G》とか言ったな……五体満足でこの会場を出ることはできないと思え」

 拡がりゆく強烈な怒気。立ち昇る激烈な覇気。大気を焼く猛烈な殺気

 暴徒の波動が会場全体を揺るがし、八年間堆積し続けた負の感情の全てが、眼前の審査員ただ一人に注がれる。

「血気たぎるというやつかね。実にいい」

 臆す様子もなく、ガイラーさんは緩慢な動作で襟元を緩めた。

「さあ、宴の続きを始めよう」

「ほざけえ―――っ!」

 男子達が一斉に襲い掛かる。

「え!?」

 しかし困惑に足を止めた。今の今までそこにいたはずのガイラーさんがいないのだ。

「な、どこに」

「悪くない。が、遅いね」

 彼らは背後に振り返る。そこには静かに佇むガイラーさんと、最後尾にいた二人の男子が力なく膝を折る姿があった。

 私にはガイラーさんがどう動き、何をしたのかわからなかった。

「ビビんな! 囲め! 数で押し潰せ!」

 止まらずにリッターさんが指示を飛ばす。

 瞬く間に円陣が組まれ、中心にはガイラーさんただ一人。一人対十三人の戦いが始まった。

 

「くらえ! くそっ」

「そっち行ったぞ、皿投げろお!」

「なんで当たらねえ!?」

 四方八方からの波状攻撃をガイラーさんは、まるで幼子でもあやすかのように容易くいなしていく。

 縦横無尽に戦場を疾駆する黒い影。漆黒の残像を引きながら、男子達を翻弄し続ける。

「捉えた! 今だ!」

 方向転換でわずかに動きが止まった瞬間、手あたり次第の食器類が投げつけられた。ナイフ、フォーク、皿、スプーン、果ては燭台まで。

 あらゆる方向から飛来する凶器の群れ。逃げ場はない。

 ガイラーさんは近くのテーブルを踏み台にし、真上に跳躍した。その下を飛び抜けるおびただしい量の食器の数々。

「空中では何もできまい! 第二射構え――なにっ?」

 高く跳んだガイラーさんは、天井から吊り下がるシャンデリアをつかむと、振り子の要領で素早く方向転換し、さらに鮮やかに宙を舞った。

 シャンデリアの輝きを背に纏い、中空で何回転も体をひねりながら、タキシードをはためかせる。

「エレボニアの黒き翼……」

 私の横でドロテ部長がそんなことを呟く。“リベールの白き翼”と同格の比喩表現じゃないですか。それだと“アルセイユ”の反対語が“ガイラー”になるんですけど、大丈夫でしょうか。

 私のそんな不安が届くはずもなく、別のテーブルに華麗な着地を決めたガイラーさんは、右手をすっと頭上に掲げて、指をパチンと鳴らした。

「ぐああ」

 何をされたのかはわからないが、何かされたらしい男子達は、指の音を合図にまとめて倒れていく。

 まだ立っているのはわずかに五人だ。ガイラーさんはテーブルから再び跳び退き、無駄に回転しながら距離を取った。

「何なんだ、こいつは。なんでただの審査員がこんなに強いんだよ!」

「健全な文章は健全な肉体に宿るという言葉を知らないのかね。体の鍛錬は小説執筆の基本だよ」

 不健全の最前線を独走している人が何を言うんですか。

「ふん、あくまで余裕らしいが、自分の立ち位置を見てもそう言えるのか?」

 ガイラーさんが今いる位置。最初にシルビエンテさんを助けた会場隅の機材置き場だ。

 後ろは壁、前には五人の男子文芸部。頭上に飛ぼうにも機材に手をかけたら、さすがに今度こそ倒壊する。

 にじり寄る五人に焦る素振りも見せず、ガイラーさんは言った。

「コンビクラフトを知っているかね?」

 場違いとも思えるゆったりとした口調。

「二つの異なる戦技を同時に発動し、威力を強化させるというものだ。単なる倍加ではく攻撃範囲さえも増大する。もっとも学生で習得することは少ないかもしれんがね」

「何を言っている?」

「後学の為に見せてあげよう。紅のグラマラス」

 ガイラーさんが何かを投げ渡してきた。

「わっ、とと。えーと、これは」

 取りこぼしかけて、なんとか受け止めたそれに目を落とす。

 小さな端末。スイッチらしきボタンがある。

「そのボタンを押したまえ」

「………」

 とてつもなく嫌な予感がする。押してはいけないと、私の中の何かが全力で警告している。

「どうしたね。早く押したまえ」

「……ドロテ部長。代わりに押してもらえませんか?」

「《G》に選ばれたのはあなたよ。うらやましいけど、それはエマさんにお任せします」

 私の切なる願いを、ドロテ部長は聞き入れてくれなかった。

「何をごちゃごちゃ言ってる! これで男子文芸部の勝ちだ!」

 飛びかかる五人の男子達。

 やむを得ず、不本意ながら!

「もうどうなっても知りませんから!」

 ガイラーさんではなく、男子達に向けたその言葉と一緒に、私はボタンを押し込んだ。

 瞬間、ガイラーさんが眩く発光した。辺りを白く染め上げる鮮烈な光が押し拡がる。

「あ、あいついきなり光りだしやがったぞ!」

 横から見ていた私には分かったが、あれは彼の背後の照明器具が一斉に点灯しただけだ。このスイッチはその為のものだったのだ。

 正面から光を浴びた彼らはたまったものではない。手で目を抑え、視界を潰されまいと必死だ。

 ガイラーさんが動く。閃光の中を鋭敏な身のこなしで、五人の間を縫うように駆け抜けた。

「くふっ」

「はふっ」

「へふっ」

 間の抜けた声をもらし、身を震わせて次々と床に突っ伏していく。

 そして今までガイラーさんが何をしていたのかも分かった。すれ違いざまに彼らの耳に息を吹き込んでいたのだ。

 想像するだけでも背筋が寒くなる陰鬱な攻撃手段だ。戦意喪失させられるのも無理はない。

「残るは君だけだ。確か“炎熱のリッター”君だったね」

「く……」

 ガイラーさんはにたりと頬を歪ませた。はふう、と吐き出された熱い吐息が空気を揺らす。

 リッターさん、今からでも遅くないので逃げて下さい。多分追って来ますけど。

「今のが私とグラマラスのコンビクラフト、“光る眼鏡とGダッシュ”だ」

「あの光はグラマラスの眼鏡から発せられたのか。やっぱりとんでもない奴だったな」

「私はボタン押しただけですからね!」

 私の抗議を意に介した様子もなく、ガイラーさんは満足げな様子だ。 

「ここまでなのか。無念だ」

 リッターさんが「好きにしろ」とうなだれると、ガイラーさんは「悪くないね」と歩み出る。

「逃げて下さい、リッターさん! 本当に好きにされちゃいますよ!」

「エマさん、急にどうしたの?」

 焦る私をドロテ部長が怪訝顔で見つめている。 

 怪しく小刻みに稼動する十指。仮面の奥でせせら笑う瞳。

「お待ちになって!」

 リッターさんの命運が尽きかけた時、二人の間に割って入ったのはシルビエンテさんだった。

 

 

 彼女はガイラーさんに向かって両腕を開き、リッターさんを庇うように立っている。

「《G》。女子文芸部へのお力添え、心より感謝しております。ですが、どうか! 彼の命までは奪わないで下さいませ!」

「どけ、シルビエンテ。“Gダッシュ”に巻き込まれるぞ。足、震えてるじゃねえか」

「何よ、どうして私の身を案じるような事を言うのかしら。さっきだって機材を倒そうとした私を助けようとしてたでしょう?」

「そ、それは」

 言葉を詰まらせるリッターさんに、彼女はくるりと向き直った。

「あなたにも本当はもう分かっている。道を違えていたとしても、根元の部分は同じだって」

「違う。それはたとえ近くにあったとしても、交わることのない道だ」

「私達とあなた達のジャンルは確かに違うのかもしれない。でも小説を好きな気持ちは同じはず。待ち望んだ新刊を手にした時の胸の高鳴りも、自作の小説を書き上げた時の達成感と充実感だって同じはずよ!」

「シルビエンテ……」

 いつの間にか、双方の文芸部員達が辺りに集まりつつあった。戦闘不能になっていた者も仲間の肩を借りて立ち上がり、テーブルの下に隠れていた者も順々に這い出てくる。デッドエンドさんだけは相変わらずデッドエンドのままだが。

 百五十人を超える人垣の中心で、シルビエンテさんは言う。

「あなたに私の書いた小説を読んでもらえて……嬉しかったわ」

「……何を言われても、恋愛小説は肌に合わねえ」

 真向に立つその肩を押しのけて歩き出す。

「面倒くさいすれ違いにイライラするし、わけわかんねえポイントでときめいてるし、くだらないことですぐに傷つくしな」

 ぐっと歯を食いしばって目を伏せたシルビエンテさんに「でもよ」と付け加えて、リッターさんは鼻柱をかいた。

「騎士が鎧を脱いだシーンだけは、ちょっと胸が熱くなったぜ」

「……ばか」

 彼はガイラーさんの前で立ち止まった。

「落とし前はつける。俺のことは好きにしろ。だが、他の奴らは見逃してやって欲しい」

「君に一つ問おう。ペンは剣よりも強いと言う。ではそんなペン同士で戦えばお互いどうなるかな?」

「いきなり何を。そんなのは……」

 言いよどんだリッターさんは、わずかに目を逸らした。

「即答はできんかね。ならば紅のグラマラス。君ならこの問いにどう答える」

「それはインクまみれになると思いますが」

「その通り。両者共に無事では済まないということだ」

 私の言葉はガイラーさんの脳内でいい感じに変換された。

「八年の歳月を経て、新たな世代となり、不幸な歴史に分かたれた文芸部が、再び手を取り合う時が来たのだよ」

「男子文芸部と女子文芸部の作品はあまりにも違う。やはりいまさら同じ道を歩むことはできない」

「確執はあろう。禍根もすぐには消えまい。だが否定も拒絶もしてはならない。理解する努力をしたまえ。どれだけ時間がかかろうとも。それが君たち世代の役目だ」

 ガイラーさんは眼前の二人を見据える。

「リッター君とシルビエンテ君が共有した時間は決して偽りではない。先ほど彼女に言った君の台詞がそれを証明している。文学に国境はなく、男女もない。心に届くかどうか、それだけだ。形はどうあれ、彼女の作品は君の心に届いたのだろう?」

「………」

 無言。しかしそれが肯定の意であることは分かった。

「リッター。私読んでみたいわ。あなたの書いたファンタジー小説を」

 少しの沈黙の後、彼はたった一言だけ口にした。

「感想と講評、お待ちしてるぜ」

 フォークの槍が落ち、雑誌棒の剣が折れる。充満していた戦闘の気が、徐々に薄れていった。

 ガイラーさんが諸手を打った。

「さあ、授賞式の続きだね」

 ほんの、ほんの少しだけ。私はガイラーさんがこの場にいてくれて良かったと思った。  

 

 ● ● ●

 

 最優秀賞までの発表で終わりと思っていたが、思い返してみればリッターさんが会場に現れる直前、司会のお姉さんは『それでは、あとは』という言葉を口にしていた。

 色々あり過ぎて気にも留めていなかったが、まだ何かがあったのだ。

 ここまで会場が荒れた状態で整列し直すという面倒はせず、この雑多な人垣の中で“授賞式の続き”が行われることとなった。

「ふむ。あまりもったいぶってもいけないね」

 ガイラーさんが一枚の表彰状を手に、壇上から降りてきた。

「審査員特別賞。紅のグラマラスで『時計の針が戻せたら』」

「え」

 何を言われたのか、とっさには分からなかった。

「丁寧な心情表現に柔らかい背景描写。派手ではないが、そこにいる登場人物達の息吹を感じる素晴らしい作品だ。もう少し主人公に積極性があれば、物語もテンポよく転がるだろう。まあ、それは次への課題としておこう」

「え、あの、わ、私が?」

「審査員特別賞とは今後の期待を込めて贈られる新人賞のようなものだよ。念の為断わっておくが私の独断で決めたことではない。二人の先生方を含めた厳正な審査の上で、君の作品が選ばれたのだ」

 それでも動揺は隠せない。まさか本当に選ばれるなんて思っていなかった。

「さあ、エマさん。受けとって来てください」

 私の背中を軽く押すドロテ部長の顔は、とても嬉しそうだった。

 男女共、全文芸部員が私とガイラーさんを大きな円で囲み、拍手で祝福してくれる。ドロテ部長も、シルビエンテさんも、グリム・リーパーちゃんも、そしてリッターさんも。

 じんと胸の奥が熱くなった。

「ガイ――いえ《G》。ありがとうございます」

「なにを言うのかね。全ては君の努力が成したことだ」

 私が頬を緩めると、ガイラーさんも穏やかに微笑んだ。

 賞状を手に一礼し、元の位置に戻ろうと踵を返しかけた時、

「ああ、待ちたまえ」

 ガイラーさんが私の足を止めた。

「これにてノベルズ・フェスティバルは終了だが、まだ最後にやるべきことが残っているだろう」

 まだ何かあっただろうか。とても円満な閉会式だと思ったのだが。

「戦争はなし崩し的には終わらない。終戦宣言や停戦条約が必要なのだ。きっかけ、合図、号令などと置き換えてもいい。今ここにいる全員が、戦いは終わったと感じなければならない」

 言っていることはわかる。だけど、誰が、どうやって、それをする?

「その為の適任者が一人いる」

 ガイラーさんは事もなげに告げた。

「今しがた未来を期待された特別賞を手にし、そして女子文芸部、男子文芸部の双方から祝福の喝采を浴びた君を置いて他にない。そうだろう、紅のグラマラス」

「は、ええ!?」

 灰色の瞳が一切の揺るぎなく私に向けられている。

「それには私も賛成ね」

「ふん、まあそうだろうな」

 いつの間にか仲が良さげなシルビエンテさんとリッターさんが追従する。

「で、でも私は」

 そもそも何をしたらいいのか、何を言ったら、終戦の意になるのかが思いつかない。

 ドロテ部長がそばにやってきて、そっと私に耳打ちした。

「心配しなくても大丈夫。エマさんはもう答えを知っていますよ」

 私が? どういう事だろう。

「ほら、思い出して。“本来なら在り得るはずのない繋がりを実現させる魔法の楔”、そして“絆の刻印”を。何よりこの場に相応しいと思いませんか?」

 そう言うとドロテ部長は高々と頭上に腕を交差させ、忌まわれた符号――✕印を掲げてみせた。

「ド、ドロテ部長? 何をしているんですか? 気を確かに!」

 こくりとうなずきあった女子文芸部がドロテ部長に続き、それを見た男子文芸部も、おそらく意味を介さないままに✕印を作り始める。

 見る間に周囲に並び立っていく負の交印。その数およそ百五十。

 とっさにガイラーさんを見やる。違う、こういうことじゃないですよね、という願いを込めて。

 彼は無言だった。しかしその口の両端は吊り上がり、邪悪な三日月の笑みを浮かべている。

 急に脳裏をよぎる、ガイラーさんの言葉。

 

 君は必ず私に屈する。

 

「ま、まさか……!」

 全ては“あの一言”を私に言わせるために。

 そうだ。会場を出て廊下で遭遇した時、ガイラーさんはこんなことを言っていた。“いい夜だ。体がたぎってしまうね”と。

 たぎる。なぜその言葉に不信感を抱かなかったのか。

 学院で初めてガイラーさんと交戦したあの日。

 エリオットさんとガイウスさんが、ラウラさんに課せられた強制特訓に、息も絶え絶えだったあの日。

 二人の苦悶を身の内に取り込み、彼が覚醒した際に言い放った言葉こそ“たぎる”だったのだ。

 どうして失念していたのか。私にとってはそれが今日まで続く開戦の合図でもあったのに。

「どうしたね? 簡単な一言だ。緊張することはない」

「あ、あなたは」

 先のガイラーさんがいてくれて良かったという心中の呟きは、速やかに撤回の上、シュレッダーにかけて細切れ破棄だ。

 点と点が繋がり、遅まきの理解が脳裏を巡る。

 月夜の廊下で私と対峙した際、すでに彼は感じていたのだ。血気盛んな男子達が接近しつつあることを。『女子メーター』ならぬ『男子センサー』で。

 そして男子文芸部と女子文芸部の戦争を利用し、その時点で確定していた私が審査員特別賞を手にすることを活用し、己の審査員という立場もこの上なく乱用し、ここに至るまでのお膳立てを水面下で整えていたのだ。

「その目。やはり君は聡明だ」

 シルビエンテさんを助けた時も、加勢にしてはタイミングが遅いという違和感はあった。

 しかもその後、どちらかと言えばガイラーさんから彼らに戦いを仕掛けている。

 審査員である自分が登場して男子達を煽ることで、劣勢だった女子達に降伏勧告をする機を失わせ、同時に戦況を荒立たせた。

 さらにコンビクラフトなどと称して私の存在に注目させ、最終的には自分の手で事態を鎮静化したように演出した。

 場の主導権を握り、己のシナリオ通りに事を運ぶために。

「さあ、グラマラス。見てごらん。みんなが待っているね」

 毒蛇が足元から巻き付き、ゆるゆると首元にまで這い上がってくる感覚。

「だとしても……!」

 だとしても言うわけにはいかない。たとえ人に言えない秘密を持っていても、気持ちまでは偽らないことが大事だと、そう学んだから。

 それを気付かせてくれたのは他でもないガイラーさんです。なのになぜ私はこの人に、ここまで追い詰められているんでしょうか。

「君の言葉一つで戦争は終結するのだよ」

 裏を返せば私が言わないと、戦争は終わらないと言っているようなものだ。

 改めて周りを見渡した。まるで戦場の墓標のように乱立する✕印。

 みんなの目を見る。ああ、期待されている。でもごめんなさい。私は――

「戦争が終わるの?」

「あいつの死は無駄にならなかったんだな」

「やっと新しい時代が始まるのか……」

 涙ぐんでいる人もいる。

「へへ、生きて故郷に帰れるなんてな」

「よかった。本当に良かった……!」

「ありがとう《G》、ありがとう“紅のグラマラス”」

 すでに退路は断たれていた。

「みんな静かに。グラマラスに注目したまえ。君たちは歴史の生き証人となるのだから」

 途端に訪れる静寂。息遣いさえ聞こえない。耳の奥がつんと痛くなるほどの無音。

 唯一聞こえるのは、妙に大きく感じる私の鼓動。

「あうう……」

 角ばった動きで、鉛のように重たくなった両の腕を、ぷるぷると震わせながら持ち上げる。

 眼鏡は曇っていないのに、どうして視界が滲んでいるんだろう。

 わかりません、もう何も。

「え……エーックス」

 私の顔が羞恥に伏せる。ガイラーさんの顔が笑みに歪む。続いた全員の大音声が会場を激震させる。

 折れた私の心と引き換えに、ノベルウォーズは幕を閉じた。

 

 ● ● ●

 

 満月の下、トリスタ行きの列車が走る。

 窓の外にごうごうと流れる風の音を聞きながら、私は暗くて見えない景色を漠然と眺めていた。

 文芸部の仲間達とは来年もまた会う約束をしてから別れた。

 士官学院は二年制なのでドロテ部長は来年卒業だが、十代部門ということで問題なく参加できるらしい。

 次回のノベルズ・フェスティバルは初回と同じく男女合同で行うことになった。審査形式も見直すとのことなので、以前のようなことはもう起きないだろう。結局のところ元の鞘に納まったというわけだ。

「色々ありましたけど、二人とも賞を取れてよかったですね。ふふふ」

 隣に座っているドロテ部長はずっと上機嫌だ。

「ええ、そうですね……」

「なあに、エマさん。気のないお返事で」

「い、いえ。今日は少し疲れてしまいまして」

 疲れるどころか憔悴の体だが、あまり心配させたくないし、無粋なことも言いたくない。

 悟られない様に小さく嘆息を吐く。

 今日はガイラーさんにやられてしまった。次は負けないようにしよう。何をもって勝ちなのかはわからないけど。

 帰り際、彼は私に記念品と称して、自作の小説三冊を贈ってくれた。贈り物というか、ただの追い討ちにしか感じなかったけれど。

 町明かりが近付いてくる。トリスタ駅に到着した。

「さあ降りましょうか。忘れ物はないですね」

「ええ、大丈夫です」

 いっそ置いて行こうかとも思ったけど、これを読んだ駅員さんが新たな覚醒をしてしまっても困る。

 小説三冊が入った重たいカバンを引き下げて、私はドロテ部長に続く。

 列車を降りると、ひんやりとした夜風が髪を撫でていった。

「帰ってきたぞー!!」

「きゃあ!」

 夜の帳を裂いた駅員さんの大声に思わずのけぞった。

 私達が駅のホームに出るが早いか、駐在していた五人の駅員さんが口々に「おめでとう!」と叫びながらこっちに向かって走ってくる。

 まさか、もう私達の受賞がトリスタに伝わっていたのだろうか。しかもそれは駅員さんが総出で迎えてくれる程の偉業だったのか。

 状況が飲み込めず戸惑う私に、一人の駅員さんが満面の笑みを浮かべて近づいてきた。

「いやー、よかったよ。無事に成功したみたいだね、君の手術!」

「は、はい? 手術――あ」

 思い出した。

 電車に乗り遅れて拘束されたドロテ部長が、その場を逃れるためにでっち上げた『妹である私の病気を治す為、ヘイムダルまで行く』という空想設定。

 この駅員さん達はまさか……

「君のお姉さんの涙ぐましい日々の努力に感銘を受けてね。これ受け取ってくれるかい」

 私の手に『快気祝い』の札が張られた大きな花束が渡される。

「立っているのしんどくないかい? 荷物持とうか?」

「そんなに疲れ切った顔をして、とても大変だったのね」

「これ寄せ書き。うちの駅員は少ないけど、みんなに書いてもらったんだ」

 謝らないと。知らない内に事態が重いことになっている。

「あ、あの……正直に言います」

 お願いですから怒らずに聞いて下さい。そう言おうとする。

「おね――」

「エマさん」

 ドロテ部長の鋭い視線が突き刺さる。私が口を滑らしたら即座に意識を奪うつもりだ。すでに手が手刀の形になっている。

「……おねえちゃんのおかげで元気になりました」

 拍手と歓声がトリスタ駅に響く。

 私の秘密がまた一つ増えてしまった。

 

 

 ~FIN~

 

 

 

 

 

 

 

 ~後日談~

 

 彼女は机に向かい、何度目になるか分からない嗚咽を漏らしながら、半分涙目でページをめくっていた。本のタイトルは『クロックベルはリィンリィンリィン』。規制という概念を捨てたと評される《G》渾身の第二作目。

『クロック……鐘の音が聞こえるよ』

『俺達を祝福するベルか。クク、悪くねえな』

『ところで50ミラはいつ返してくれるんだ?』

『心配しなくてもちゃんと返すって。一生をかけてな』

『クロック……』

『リィン……』

 ぱたりと本を閉じ、エマは自室の椅子からふらふらと立ち上がる。

「も、もう無理です……50ミラって何の話ですか……」

 またどこかでネタを仕入れてきたのだろうか。用務員としてのフットワークの軽さと、学院全域をカバーする行動範囲が誇る情報収集能力は、遥かに予想を超えている。いや、予想の斜め上を飛んでいる。

「ちょっと外の空気を吸いに行かないと……」

 悶々とした紫色のオーラが部屋に渦巻いている気がする。窓と入口を開け放してから、エマは部屋を出た。

 

 そのわずか五分後。

「エマ、いる? ちょっと授業のことで聞きたいことがあるんだけど」

 アリサがエマの部屋を訪れていた。

「あら、いないの? でもドアも窓も全開だし、すぐに帰ってくるわよね」

 部屋に入ったアリサは、まもなく机の上のそれに気が付いた。

 三冊積み重ねられた小説。

「一度にこんなに読むなんてさすがというか。でもエマってどんな本を読んでいるのかしら」

 興味本位から一番上の小説を手に取ってみた。

「ふふ、変なタイトル」

 そして彼女は開く。禁じられた書を。

 ――その十五分後。

「あ、アリサさん? すみませんちょっと出ていまして、何かご用事でしたか」

 戻ってきたエマは部屋の中に立ち尽くすアリサに声を掛ける。しかし彼女からの応答はない。石像みたいに固まって動かない。

「あ、あのアリサさん、なにか――あっ!」

 アリサに近付き、彼女が手にしている物を見て、エマの頭にずんと重い衝撃が走る。

 みるみると口の中が乾き、背に冷や汗が流れた。

「そ、そそそそっ、それは……アリサさん、読んだんですか!?」

 ギギギと軋む音を立てて、アリサの顔がエマに向けられる。

 タイトルが目に入った。『クロックベルはリィンリィンリィン』だ。

 ようやくアリサは一声を絞り出した。

「エマ……これ、なに?」

「ち、違うんです! 文芸部の祭典があって、そ、それでその時……ち、違うんです!」

 動揺で舌が回らない。言葉も出て来ない。ただ“違う”を繰り返すのみだ。

「このモデルってリィンよね。名前もまんまだし。文芸部ってことはエマがこれを書いたの……?」

「わ、私じゃなくて《G》がですね……!」

「《(ギデオン)》はもういないわよ」

「《(ガイラー)》です!」 

 だめだ。伝わらない。

「ねえ、エマ」

「な、なんでしょうか」

 沈黙。窓から吹き抜ける風は真冬のように冷たい。

「これ、ちょっとだけ貸してくれない?」

「だ、ダメです――っ!」

 

 ~END~

 

 

 




後編もお付き合い頂きありがとうございます。
不幸、不遇続きの委員長でした。今の所、トラブルランキングの首位争いにいますね。ノミネート者は他にリィン、マキアスあたりですか。
ちなみに出てきた小説の内容や、設定の数々は軌跡シリーズの世界観でもぎり通るだろうという線で考えています。遊撃士を題材とした活劇小説とかは、帝国以外で人気がありそうですね。
ではでは奮闘してくれた文芸部の皆さんありがとうございました。
あ、補足ですが。あの後アリサは結局エマに本を取り上げられました。ですのでそっちの道には進んでおりませんのでご安心下さいませ。
話が変わりますが、公式更新しましたね。クレアさん素敵です。

異色回は無事(?)終わりました。あと一話の後、インターミッションを挟み、舞台は十月に移ります。
次話のタイトルは『貴族たちのお買いもの』です。三度訪れるヘイムダル、その内出禁にされそうな……
次回もお楽しみ頂ければ幸いです。
ご感想も随時お待ちしております!
いえ今回に限っては『感想と講評、お待ちしてるぜ』でしょうか?

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