九月下旬、とある日曜日の昼下がり。
「困ったわ」
この通り、私は困っていた。困りながらトリスタの町を歩いていた。
今日は日曜日。夜にはラジオ番組『アーベントタイム』がある日。何に困っているかと言うと、ありていに言えばネタね。要は話す内容のこと。
別に普段はそんなに悩んだりしない。そもそも話すネタはリスナーのみんなから送られてくるんだもの。
ただ今週は偶然が重なったのか谷間というのか、ハガキが送られてきた枚数が妙に少なかった。しかもその内容もあまりラジオ向けじゃないというか、パッとしないものばかりだったらしい。
“らしい”というのは、私が内容の選別をしているわけじゃないということ。
こう見えて私も何かと忙しかったりするので、さすがにその辺りは局の人に任せている。
収録スタジオに入ると、机の上に選ばれたハガキが複数枚置かれてあって、私はそれを元にトークを展開していくという流れ。
その場で初見の内容であってもトークに差支えはないけれど、ネタがなければ時間いっぱいに話し通すのはさすがにちょっと苦しい。
それで局長に言われたのよ。今日の放送開始までに何かネタを探してきて欲しいって。
「うーん、探せと言われたら探すけどねえ」
基本的にトリスタには週に一回しか来ない。アーベントタイムの放送と、あとはまあ、ちょっとした用事でね。
その程度しか足を運ばないのに、面白いスポットを知っているわけがない。
いえ、当てがあるにはあるけれど。
橋を渡り、教会を抜け、差し掛かった坂の先を見上げてみる。
白い門の奥に見える建物はトールズ士官学院だ。
「……どうしようかしら」
あそこに行けば、話になるネタの一つ二つはあるでしょう。来館者のように振る舞えば敷地内を見て回るくらいはできるし、放送の時に学院の名前を伏せれば問題も出ないと思う。
ただねえ。
少し考える。上着のポケットからコンパクトミラーを取り出して、自分の顔を映してみた。
メガネはかけている。帽子もかぶっている。
「ま、少しなら大丈夫でしょう」
小さく呟いてから、私は坂の上へと歩を進めた。
そういうわけでアーベントタイムのパーソナリティを務める私――ミスティは、トールズ士官学院に向かうことにしたのだった。
《☆☆☆ミスティさんの部活紹介☆☆☆》
「やっぱり大きいわねえ」
視界いっぱいに広がる校舎はやはり立派なものだ。
さすがはドライケルス大帝が設立しただけあると言ったところかしら。ああ、違うわ。さすがに何回も改装されているわよね。
ほんとに所縁があるのは裏手の校舎か。
「………」
それはまだいいわ。今はラジオ放送のネタを探しに来たミスティだもの。
敷地内の設備や配置は一応知っている。とりあえずグラウンドの方から回ってみましょうか。
「あら?」
講堂前から小犬がこちらに向かって走ってくる。なんでこんなところに犬がいるの?
「待てルビィ! それを返してもらうぞ!」
その後ろからは、犬を追いかける黒髪の男子生徒。彼の顔はよく知っている。リィン君じゃない。
私はとっさに近くの物陰に隠れた。よく考えたら隠れる必要はないんだけど、何となくね。
子犬は勢いよく正門から飛び出して行ってしまった。
「敷地内には入るなってあれほど……って分かるわけないよな」
ぼやきながら、さっきの犬を追ってリィン君も学院から出て行った。
「彼に話を聞くだけでネタが集まったかもね。それと今……」
子犬が何かくわえていた物を落としていったけど、リィン君が取り返そうとしていたものじゃないかしら。
道の真ん中に転がっていたそれを拾い上げてみる。
「ペン?」
黒いグリップに銀のラインが入ったボールペン。
中々センスのいいデザインじゃない。でもどうしようかしら。渡そうにも、もう姿が見えなくなってるし。その内戻ってくればいいけど……とりあえず預かっておくことにしよう。
改めてグラウンドに向かおうとした時、ふと思った。
「今のが犬でよかったわ」
そう、たとえば猫とかじゃなくて。
グラウンドの周りを三頭の馬が駆けている。
「はっはっは! どうした、マッハ号には追いつけんかね?」
「くっ!」
「部長の馬が早すぎるんですってば!」
黒い馬が頭一つ抜けて早く、それを白い馬が追走し、その後ろに茶色い馬が続いていた。
軽快な足音を響かせて、三色の毛並みが風を切る。
「マッハ号GO! マッハ号GO!」
「ランベルト部長。変なテーマを口ずさみながら走らないで頂きたい」
「ほんと恥ずかしいんだから。ムチを持ってくればよかったわ」
「お前も何を言っている!?」
馬を走らせて何をしているのかしら。なんか大声で歌ってるけど。
あ、もしかして部活? 士官学院だから馬術部くらいあるわよね。確か日曜は自由行動日とか。
休みじゃないけど、授業はない日。ということは課外活動をしている生徒達が多いのかも。
「そうだわ」
これだけ広い学院なら相応の部活数があるだろうし、その分トークのネタになりそうな話も転がっているかもしれない。
うん、今日は士官学院の部活を見て回ろう。
方向性が見えてきた所で、グラウンドの片隅から女の子達の話し声が聞こえてきた。
専用のユニフォームに、先端にネットのついたスティック。あれは確かラクロスというスポーツで使うものだ。
じゃあ彼女達はラクロス部というわけね。どんな話をしているのかしら。
「というわけでアリサと私のコンビネーション技の名前を考えたのですわ」
「な、名前ー?」
「その名もフェリスサイクロンですわ」
「コンビ技なのに私の名前が入ってないじゃない! だったらアリサトルネードとかにするんだから」
「横暴ですわよ!」
「どっちがよ!」
なんというか不毛な言い争いね。
その後もあれやこれやと口論を重ねていた。しばらくしてようやく結論を出せたみたいだったけど、よほど熱が入っていたのか、二人とも肩で息をしている。
「これでいいんですのね」
「もう、それでいいわよ。一応二人の名前が入ってるし」
「じゃあさっそく合わせますわよ」
「ちょ、ちょっと恥ずかしいんだけど」
二人は『せーの』で声をそろえた。
「フェリサハリケーン!」
試合では叫ばないほうがいいと思うけれど。
そんな彼女達を少し離れた所から見ている二人の女子部員。
「ねえ、テレジア。後輩達が面白い事やってるわ」
「そうね、エミリー」
どうやらさっきの子達の先輩らしい。
「ねえ、テレジア」
「なに、エミリー」
「エミジアデストロイとか」
「やらないわよ」
私が気にしてもしょうがないけど、ここのラクロス部って試合で勝ててるの?
グラウンドでやってる部活はこの二つみたいだし、とりあえず手帳にネタになりそうなことはメモをしておこう。
そう思ってポケットを探ってみたけど、うっかりペンを放送局に置いてきたみたいだった。手にしている筆記用具はさっき拾ったリィン君のペンだけだ。
「うーん、拾い物だけど今だけ貸してね」
彼には後でお礼を言わないと。またステッカーでもあげようかしら。
手帳を開いて『歌う馬術部』、『ラクロス部の必殺技』と書き込む。文字だけだと何の事かはわからないけど、まあまあキャッチーなネタと言えそうね。
さて、それでは次の部活を見に行こうかしら。
――フェンシング部――
グラウンドを過ぎて石畳の道を少し行くと、黄金の軍馬の紋章を入口に掲げた建物が見えてきた。ここはギムナジウムとか呼ばれる施設だったはずだ。
中からは元気のいい声が響いている。さっそく中に入ってみた。
まず二階へと続く階段が正面にあって、その奥とすぐ右手側にそれぞれ扉が見えた。
右手側の扉は開いていたので、そっと覗いてみると、サーベルを構えた男の子達が型の稽古をしていた。
「なるほど。ここは練武場で、彼らはフェンシング部ね」
奥にいた緑服の学生は、壁に向かって打突を繰り返しながら何か呟いている。
「ブリジット……ブリジット……」
最近のフェンシングって掛け声変わったの?
その少し手前では、いかにも育ちの良さそうな白服の学生がサーベルを縦に構えていた。細い白銀をうっとりと眺めながらため息を吐き、刀身の中腹に白い曇りを作っている。
「エリゼ君……」
あなた達、熱でもあるんじゃない。稽古もほどほどにね。
ほら先輩が近づいてきた。怒られるわよー。
「おいこら、アラン、パトリック! なに気の抜けた構えやってんだ! フリーデルも言ってくれ」
「まったくだわ。少しお灸をすえないとね」
フリーデルと呼ばれた女子生徒がどうやら部長らしい。彼女がそう言うと、呟きの男子達は電流でも流されたように背筋を伸ばした。
「い、いえこれは……その、しなやかに敵を突く『ブリジットの微笑み』という打突の練習でして……」
「い、今のは相手の心に隙を作る『エリゼの構え』であって……」
「はっはっは。ほら一年共、覚悟を決めやがれ」
彼女はにこりと笑顔を浮かべた。
「あら、あなたもよ。ロギンス」
「は?」
三分後、練武場の隅には山なりに束ねられた悲しい男子達の姿があった。
一人一分持たなかったわねえ。
とりあえず手帳には『哀愁のフェンシング部』と書き込んでみる。
――水泳部――
奥の扉を進めばプールがあるらしい。水の音がするから活動中だと思うけど、いきなりプールサイドに入ったら目立っちゃうし。
「二階からもプールって見えるのかしら」
エントランスの階段を上がってみると、ちょっとした観覧スペースがあった。ここからならばっちりプールを見下ろせる。案の定、そこでは水泳部が水しぶきをあげながらプールの中を泳いでいた。
「うっし、ラウラ。俺と今から50アージュ競争だ」
「私がクレイン部長とですか。お相手させて頂きます」
今から部員の二人が競争するみたいね。でも当事者の二人じゃなくて、そばにいる別の部員が何か言い合っているようだけど。
「ねえ、カスパル。ラウラと部長どっちが勝つと思う?」
「そりゃやっぱクレイン部長だって。モニカはラウラなのか?」
「だってラウラって泳いでる時は魚みたいに速いんだから」
「部長だって泳いでる時は魚だ!」
なんだか話が変な方向に行ってるわ。
「な、なによ。カスパルがカサギンだとしたら、ラウラはゴルドサモーナよ!」
「ふん、モニカがシュラブだとしたら、クレイン部長はギガンソーディだからな」
「シュラブってカニじゃないの!?」
「今度からモニカニって呼ぶからなー」
口論は次第にヒートアップしていく。
勝負開始前に気付いた二人が仲裁に入ってきた。
「そなた達どうしたのだ? カスパルも落ち着くがいい」
「くそっ、ゴルドサモーナにカサギンの気持ちはわからねーよ!」
「ゴル……何のことだ?」
一方、女の子の方も。
「おいおい、モニカ。口ゲンカなんて珍しいな」
「うう、モニカニ……。シュラブなんて、いつか大型魚に捕食される運命なんです……」
「な、何があったんだよ、お前ら」
結局勝負はお流れに。なんだかどこの部活もドタバタしてる印象ね。
それでは手帳に一筆。『お魚いっぱい水泳部』っと。
――園芸部・釣皇倶楽部――
ギムナジウムを出てすぐ。奥まった中庭と、対面するように作られた花壇があった。
花壇の奥のスペースには小さな池もあって、見ればそこに学生が二人並んでいる。
一人は男子で池に向かって釣り糸を垂らしていて、その横に立っているのは銀髪の小柄な女子だ。
「ねえ、ケネス。釣れる?」
「は、はは。今日はあまり釣れないなあ……」
男の子が心なしか緊張しているように見えるのは気のせい? 竿も小刻みに震えてるし、あれじゃ魚も釣れなさそう。
「その……君こそこんな所で何をしているんだい?」
「今日は園芸部の活動がある日だから、エーデル部長を待ってる。ケネスも部活?」
「まあ僕の場合は半分趣味だけどね。一応釣皇倶楽部として活動してるけど」
なるほど。園芸部と……なんて言ったっけ。釣皇倶楽部? 要は釣りをする部活だと思うけど、何だか変わった名前ね。
「フィーちゃ~ん」
おっとりした声が聞こえた。麦わら帽子をかぶった女の子が走ってくる。その手になぜか大根が抱えられていた。
「あ、部長」
「はは、待ち人が来たみたいだね。僕はまだここで釣りをしているから行ってくるといいよ」
男子生徒は改めて池に向き直ると、小さく息をはいた。やっぱり銀髪の女の子が苦手のようだった。
「フィーちゃん見て、この大根。苗を買いに行ったらジェーンさんが貰い物だって言って――きゃっ」
大根を手にしたまま花壇の段差に蹴つまづき、彼女は池の方へと足をもつれさせた。
「あら~」
間の抜けた声に続いて、体勢が前のめりに崩れてしまっている。それも手に持った大根を前方に突き出しながら。
ずむっ、という鈍い音と「うっ」というくぐもったうめき声が重なり、水面を波立たせた。
……まあ、これは。
釣りをしていた彼のお尻に、突き出された大根の先端がめり込んでいる。
手からこぼれ落ちた釣竿が池に落ち、小さなしぶきと共に不規則な波紋が広がっていく。
「……な、なに」
彼は後ろ手で大根を恐る恐る触り、ゆっくりと首を動かしてその様を視界に入れた。
さぞかし衝撃の光景なんでしょうね。さすがに同情してしまうわ。
男の子は信じがたい物を見るような目で、風に揺れる麦わら帽子と白くたくましい大根を交互に眺めている。
その大根は彼の着ている純白の制服にも見劣りしない、荘厳な白色だった。
急に肩を脱力させ、がくがくと膝がくずおれる。大根は抜けたものの、盛大な水しぶきをあげて、彼は池に落ちてしまった。
「まあ大変。フィーちゃん、どうしましょう?」
「助けたらいいと思うけど」
銀髪の女の子は大根を拾って、池へと伸ばした。
「ケネス、これに掴まって」
しかし差し出された大根は、タイミング悪く浮き上がってきた顔面に、またしてもその先端をめり込ました。
『あ』
女の子達は声をそろえ、男の子は再び池の底へと沈んでいく。ぽこぽこと浮かんでは消える気泡も、やがて上がって来なくなった。
あーあ、ちゃんと助けてあげてね。釣竿は引き寄せられる位置に浮いてるし、がんばれば釣り上げられると思うわ。
えーと『釣り上げられる釣り人』に『園芸部の大根ガールズ』ってところかしら。
「……ここは」
花壇を抜けて、歩を進める途中。私は足を止めた。いえ、無意識に足が止まっていた。
すぐ目の前に技術棟は見えているんだけど、私の視線はそこではなく手前の小道に向いている。その先に感じる異様な空気。遥か地下から聞こえてくる小さな脈動。
聞いていた通り、やはり第一の試しが済んでいる。目覚めしは“灰”か。
「……ふふ、今はミスティだってば」
“その時”が迫っている。
ただ、それまでは私もこの日常を楽しまないとね。特にパーソナリティーの仕事は楽しんでやっているんだから。
小道には入らず、すぐ横の建物を見やる。ここが技術棟。もちろん技術部がいるんでしょうけど、さすがに扉を開けて見学させてもらうのは不自然かしら。
「んー、ここは別にいいわよね」
横目に通り過ぎようとした時、「おいおい、まだできねえのかよ」と焦れた声が屋内から聞こえてきた。
「この声……」
間違いない。彼だわ。少し耳を澄ましてみる。
「いや、ちゃんと作ってるよ。ただ小型化するとなると少し工夫がいるんだ」
「頼むぜ。お前だけが頼りなんだよ」
「だからクロウ。何に使うのか教えてってば」
「それは言えねえって。くっく」
「怪しいなあ」
彼も楽しんでいるみたいね。心中で何を思っているのかは、さしもの私にもわからないけど。
いずれにせよ。今はまだその時じゃない、か。
「さて、次は――」
首を巡らすと、技術棟越しにも視界に入る大きな建物。あれは確か学生会館とかいう施設。文化系の部活がありそうな感じね。
このままさくさく見て回りましょう。
――第二チェス部――
屋内に入ると一階は学生食堂という造りになっていた。
トマトを煮ているのか、いい匂いがする。できれば頂いていきたいけど、さすがにそこまでのんびりとはしていられないわよね。ちょっと残念。
「ここって一階だけ?」
外から見る限りだと三階ぐらいはありそうな感じだったけど。
そんな事を思いながら食堂を見回していたら、二つのカウンターに挟まれた通路の先に階段を見つけた。
「二階には何があるのかしら?」
階段を上り、二階に着く。
長く伸びた廊下を挟んで左右にいくつかの部屋があって、その最奥にも扉が見えた。
ドアに貼り紙やかけ札をしている所もある。どうやら部活名を記しているらしい。
「へえ。二階には部室がまとまっているのね」
部室内で活動するなら、やっぱり文化部が多いのかも。
階段は三階にも続いていたけど、上には行かなかった。赤絨毯なんかが敷かれていたし、何だかややこしそうだもの。
とりあえず手近な正面の部屋を見ようと近づいた時、
「キッ、キーング!?」
そんな絶叫が響き渡る。叫び声は左側、一番手前の部屋からだった。扉を少し開けて、隙間から中を覗いてみる。
机を挟んで対面して座る二人の男子学生。その机の上に置かれているのはチェス盤だ。
「やってくれるね、マキアス君! まさかそんな伏兵を用意していたとは! だがこれなら!」
「ふふ、ステファン部長。驚いている暇はありませんよ。ほらこうすれば……キングを守る兵士達が次々に――」
「ルークーッ! 共にキングを守るという月下の誓いはどうしたー!?」
「誓いなんて……圧倒的戦力と緻密な戦略の前では、紙切れに等しいのですよ」
「はおおおう!」
チェスってこんなに騒々しいゲームだったっけ。
見た感じ優勢なのは、眼鏡をかけた利発そうな男子で、劣勢なのは叫び続ける熱血男子のようね。
「キングさえ生きていればまだ望みはあるんだ。ここで後退を……っ? な、なぜ友軍のポーンがこんな位置にいる!? これでは進路が防がれてキングが逃げられない! 一体どうして……」
それはあなたが置いたからでしょう。
相手の男の子は眼鏡をクイと押し上げた。
「そちらの陣営は一枚岩ではなかった。それだけの事です」
「ま、まさか……懐柔したのか、こちらのポーンを! ええい、裏切るかポーン! 身寄りのない貴様を拾ってここまで育てたのは誰だと思っている!?」
「ここまでですね、さあチェックですよ」
眼鏡の男の子が白のナイトを進ませた。叫んでいる男の子は、目を丸くむいて過呼吸寸前のような息の荒さだ。
これ勝負が決まった瞬間に、あの子死んじゃうんじゃない?
「まださ。こっちには最強のクイーンがいるのさ。……な、なな、何だとお――!? なぜクイーンがその位置に!?」
だからあなたが置いたんだってば。
「クイーンも老いたキングに仕えるよりは、若々しいナイトの方がいいようで」
「い、いつだ……? いつクイーンは寝返っていたんだ」
「月下の誓いの時にはすでに……ね」
「げっ、下衆ううッ!」
月下の誓いって何なのよ。うん、もうここも大丈夫。お腹いっぱい。
扉を閉めると同時に絶叫が廊下にまで響いた。ついにとどめを刺されたみたい。さっきまでの喧騒がうそみたいに静まっている。やっぱり死んだわ、あの子。
「あっと、忘れるところだったわ」
手帳とペンを取り出す。そうねえ、ここは……『チェス部、裏切りの応酬』。こんな感じかしら。
――写真部・オカルト研究会――
奥側の対面する部室の前で、二人の学生が言い争いをしていることに気付いた。
ニット帽をかぶった男子学生と、濃い紫のリボンを頭で結ってる女子学生。
男の子はどこか軽薄な立ち振る舞いで彼女に何かを言っていて、対する女の子は垂れ目の三白眼で見返しながら、不敵な笑みを浮かべている。
「だからさベリル。オカルト研究会って何か辛気臭いんだよ。占い部とかに名前を変えればいいじゃんか」
「いつも光の下で被写体を追い求める写真部にはわからないのよ。そもそも占いだけをしているわけではないわ。大体レックスだって――」
なるほど。男の子が写真部で女の子がオカルト研究会。言い合いの元は、部活の名前についてという感じかしら。
「そういうわけで守護精霊ベラ・ベリフェスが言ったのよ。オカルト研究会で行くがいいって」
「いや、わかんねーぞ」
「私の水晶が映し出す映像を見る限り、あなた女子ばっかりカメラで追い回しているんじゃなくて? そんな人にどうこう言われたくないわ」
「うぐ、そ、そんなことはもうしてねえよ」
男の子は目を逸らす。多分ちょっとやってるって顔ね。
「とにかく、このままだとお前陰気な女だと思われちまうぞ」
「それがあなたに何の関係があるのよ。私は別に――」
「お、俺はお前が変に見られるのが、その、なんか嫌なんだよ!」
「え?」
あら? これってもしかして。
「……これ、この前偶然お前がカメラに映ったんだ。ちょっと見切れてるけどよかったら見てくれよ」
差し出された一枚の写真を手に取った女の子は、たちまちに驚いた表情を浮かべた。
「うそ……この写真、私の為に……?」
「ああ、よく撮れてるだろ。お前の後ろの、空中に浮かび上がった染みみたいな男の顔」
「うん、すごく鮮明」
「欲しかったらそれやるよ」
「え、いいの? あ、ありがとう」
ぎこちないけどいい雰囲気ねえ。青春の一ページって感じ。ただ写真の内容のどこにときめくポイントがあるのかは、まったく理解できないけど。
「……その」
「……な、なに」
もうじれったいわ。ほら、ちゃんと男の子からエスコートするのよ。
「じ、時間あったら今から一緒に写真撮りにいかないか」
「でも……外に出ていいかベラ・ベリフェスに聞かなきゃいけないし。それに太陽の光を浴びたら私――」
男の子は自分のニット帽を女の子の頭にそっと被せた。
「これで大丈夫だろ」
女の子は赤面してうつむいている。
うん、すごくいいんだけどね。太陽の光を浴びたらどうなるのか先に聞いてくれないかしら。そこ気になるんだけど。
「でもやっぱりだめ! あなたは写真部、私はオカルト研究会。住む世界が違いすぎるわ!」
ニット帽を返そうとする女の子を制して、男の子はその手を強く握った。
「やめて……あなたは眩しすぎるわ。私とは違うのよ」
「そんなことねえよ。もうわかってるはずだろ」
そこで殺し文句が出た。
「作ろうぜ。心霊写真部」
「…………うん」
もう二人だけの世界だ。明らかに部外者の私に一瞥すらすることなく、二人は横を通り過ぎていく。
さっきから私お腹いっぱい過ぎて倒れそう。
えーと、そうね。『霊が運ぶ想い、心霊写真部結成』でいいわよね。というか生徒会とかに認可されないと思うけど、そこは二人の力で乗り越えてちょうだいね。
最奥の部屋は生徒会室だった。さすがにここに用事はないので引き返す。
その途中、左手の扉に『釣皇倶楽部』と書かれた札が貼られているのを見つけた。さっき池に落ちた彼の部活だ。
もし沈んだままだったら廃部になるわね。そうしたら心霊写真部が新しい部室にしちゃったりして。まあ多分引き上げられたとは思うけど。
「学生会館はこんなものね」
あとは本校舎の中ぐらい。無理に見回る必要はないんだけど、放送時間の長さを考えると、もう少しネタも欲しいところ。
「あ」
そういえばさっき見損ねた部屋があった。キーングとか叫ばれてそっちに行ってたからつい忘れてたわ。
一番手前、階段前の部屋に戻る。扉の掛け札には文芸部と記されていた。
「ふうん、文芸部ね。でも中から声がしないし……」
ドアノブを回す。鍵はかかっていなかった。のぞいてみるも、やっぱり中には誰もいない。
「……失礼」
部屋に入って、室内を見回してみる。本、本、本。棚には所せましと立ち並ぶ本の数々。
大き目の机には書きかけた原稿が重なっていた。小説の執筆とかもしているのね。
「んー、あまりネタになりそうなものはなさそう」
部員の学生と鉢合わせても面倒だ。退散しようとしたら、壁に立てかけられた大きなボードに目が留まる。予定表が張り付けられていた。
「創作小説品評会、乙女達の祭典……?」
近々小説のコンテストがあるみたい。名前から察するに女の子達だけの品評会のようだけど。それも珍しいわね。
さらにボードの下には部員の名前が書かれていた。
「えーとドロテにエマ。あら、たった二人だけ……え?」
……エマ?
この部活ってもしかして。
私は帽子を目深にかぶる。
「そう、文芸部。……やっぱり早々に出た方がいいわね」
足早に扉に向かおうとしたところで、その声がした。
「もう部室にドロテ部長来てるかしら。品評会のこと聞いておかなくちゃ」
足音がまっすぐに近づいてくる。
今顔を合わすのは……。
とっさに隠れる場所を探す。本棚は無理。物陰はない。窓から――だめだ。ここは二階だった。隠れる場所がない。
いっそ開き直ってこのまま対面してみる? それとも帽子で顔を隠したまま走り抜けてみる?
いや、どちらもダメだ。
「失礼します。部長いらっしゃいますか」
ドアノブが回り、扉は開かれた。
~後編に続く~
最後までお付き合い頂きありがとうございます。これは一話で収めれるかと思ったんですけど無理でした。ちょっと部活多過ぎぃ。
というわけで今回はミスティさんがメインです。まずいくつかの補足を。
とりあえず彼女も二面性のある人物ですが、本編のセリフや行動を見るに、真っ白ではないにせよ心の裏でも他人を侮ったり蔑んだりはしていないこと(どっかの教授とは違って)、そしてラジオパーソナリティーを楽しんでやっている節もあること(もし諸々のカムフラージュならオペラだけでいいですもんね)、謎はあるけど不気味さはなく、一般的な生活感も垣間見れること(どっかの教授とは違って)
その三点があった為、なんとか話の主軸に持ってこれました。
前回が激しかったので軽い話をと思っていましたが、ミステリアスお姉さまが主役なのでそこそこに妖しい雰囲気が滲み出てる!
後編もお楽しみ頂ければ幸いです。