虹の軌跡   作:テッチー

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そんなⅦ組の一日 ~シャロン

9月12日(自由行動日) 6:00 シャロン・クルーガー  

「さあルビィ、お散歩に参りますよ」

 第三学生寮の使用人として恥ずかしくないよう身だしなみを整えて、(わたくし)は首にリードをつけたルビィを連れて外に出ました。

「わん」

「あら、吠えてはダメですよ。まだお休みの方も多いのですから」

 尻尾を振って一吠えしたルビィをたしなめて、トリスタの町へと繰り出します。

 町を一周するのが、いつものお散歩コースですわ。

 今日は一週間に一度の自由行動日。日頃の疲れもあるでしょうから、Ⅶ組の皆様にはゆっくりして頂きたいものです。

 充実した学院生活を送って頂けるよう尽力するのが、使用人たる者の務め。私の喜びは、皆様のご健勝と共にあるのですから。

 この時間ではさすがに人通りが少ないものですが、早い方ならすでに店先の掃除をしたり、ヘイムダルまで仕事に行かれたりといった姿も見られます。

「あら……」

 とある民家の入口にふと視線を送ってみると、

「……まあ」

 熱い抱擁を交わす新婚夫婦の姿が。

 あわや口付けまでもう少しという所で、奥様が私に気付いて、慌てて旦那様から離れてしまいました。これは申し訳ない事を。

 これ以上の無粋は望むところではありません。邪魔者は退散するとしましょう。

 ルビィを連れてぐるりと町を巡り、アノール川に掛かる橋の上で一休み。

「朝のお散歩も気持ちいいものですね」

 何気なく思い出すのは先ほどのご夫婦。とても仲睦まじいご様子でいらっしゃいました。

「アリサお嬢様もいつか素敵な方を見つけられるのでしょうか」

 いざ言葉にしてみると、やはり寂しいものです。当分先の事なのでしょうが。

 私が見たところ、お嬢様はやはりリィン様を気にかけておられるご様子。

 ですが、それが恋愛感情なのかどうかは、さしもの私にも分かりかねるところ。

 仮に恋愛感情だとしても、素直になれないお嬢様とそのような事に疎いリィン様。状況が進展しないのも無理からぬことでしょうか。

 いいえ、そうだとしても。

「わんっ」

「そうですわね、ルビィ」

 小首を傾げるルビィを横目に、私は小さく心に決めました。

「お嬢様。このシャロンにお任せを」

 アリサお嬢様の性格はよく存じております。心根はとてもお優しく素直。ご自身を見つめ直すきっかけさえあれば、きっと良い方に向かってくれることでしょう。

「さあ、そろそろ――あら?」

 眼下に流れる川にぱしゃりと飛沫が上がったので、少し身を乗り出して覗いてみると、見えたのは優雅に泳ぐ魚の影。

 今日の夕食はお魚にしてみましょうか。

 そんなことを考えていたら、留め方が緩かったのか襟元のブローチが取れて川に落ちてしまいました。 

 とっさに手を伸ばすもすでに遅く、私のブローチは川底に消えていきます。

 水の中に入るわけにも参りませんし……代わりはもちろんありますが、この使用人服に合うような控え目なブローチとなると、少し探してみないと分かりません。

「困りましたわ……とりあえず帰りましょうか、ルビィ」

 ブローチ一つも身だしなみの内。

 町の方々に見られる前に、寮に戻るとしましょう。

 

 

 ――8:00 

 もう皆様起床されているのでしょうが、まだ降りてはこられないようですね。

 自由行動日に関しては朝食を一同そろって食べられないので、それぞれのご予定に合わせてお一人ずつ作らせて頂いています。

 そういえば、すでにお出かけになられた方がお一人いましたか。

 意外にもサラ様が一番に起きて来られ、素敵な置き土産を残して出ていってしまいました。教官というお仕事も何かと気苦労が絶えないのでしょう。

 続いて降りて来られたのも意外な方でした。

「シャロン、おはよ」

「おはようございます。フィー様も今日は自由行動日なのにずいぶんお早いのですね」

「なんか目が覚めちゃった。今日は委員長に勉強を教えてもらう日だから、別にやることもないし学院に行ってくるね」

 エマ様とフィー様、お二人を見ていると仲のよい姉妹のようで微笑ましい限りです。

 アリサお嬢様も、以前私のことを“姉のような存在”だとリィン様に話されたことがありました。私にお嬢様の姉代わりが務まるとは思いませんが、それでもやはり嬉しいものです。

「でも先に行ってもやることないし。シャロンは学院で寝心地が良さそうなところ知らない?」

「寝心地……でしょうか?」

 寮にいても学院にいても、結局寝られるのですね。

 でしたら少し待ってエマ様と一緒に学院に行けば宜しいのでは……いえ、そんな進言は差し出がましい事。

 とはいえ頻繁に学院に立ち入る訳ではないので、寝心地のいい場所と申されましても――ああ、あそこなら。

「中庭のベンチなどいかがでしょう。通りがかった時に目にした程度ですが、木陰もあって休憩されるには良いところかと」

「ん、いいと思う」

 採用されました。どうかお風邪を召されませんよう。

 何となく約束の時間を寝過ごされるような気もしますが、それこそ過ぎた邪推。

 手早く朝食を済まされたフィー様をお見送りすると、上階から扉の開く音、水道から流れる水の音、ぱたぱたと廊下を歩く音がまばらに聞こえ始めました。

「そろそろですね」

 足音の癖や雰囲気などから、降りて来られる順番を予測して私も動きます。

 お好みに合わせて、コーヒー、紅茶、ミルク、フルーツジュースをテーブルに揃え、グラスとお皿を用意したら、卵、ハム、野菜などを取り出して下ごしらえに取りかかります。

 もちろん作り置きはしません。出来たてを召し上がって頂くのが基本ですからね。

 卵一つにしても、目玉焼き、卵焼き、ゆで卵、スクランブルエッグと全てのオーダーにお応えして、初めて使用人の務めを果たせるというもの。

 さあ、ここから朝が忙しくなります。

 

 

 ――9:30

 私の第三学生寮におけるお仕事は大まかに分けて四つあります。

 一つ目が、三食のお食事をご提供させて頂くこと。

 二つ目が、お掃除を行い、寮内の整理、整頓、清潔を維持すること。

 三つ目が、皆様のお見送りとお出迎えを行うこと。

 四つ目は……秘密ですわ。

 この中の内、日常においては三つ目が大切なのです。

 ご機嫌よくお出かけ頂く為というのはもちろんですが、平素からお顔をよくよく見ることで、お帰りになった際の疲れ具合やご気分を慮る為でもあります。

 お疲れの様子ならば少し甘めの紅茶と口どけの良いお菓子を。ご気分が優れない様子ならば特製のアロマとハーブティーを。

 その時、その方にとって、もっとも必要とするものを選び取れることが、使用人としてそばにお仕えする意義だと心得ております。

 そのような理由で、今日も私は皆様のお見送りを欠かさず行うのでした。

 

「それでは行ってきます」

「行ってらっしゃいませ」

 フィー様に続いて寮を出たのはエマ様でした。お勉強をフィー様に教えられるとのことでしたが、無事にお会いすることができるでしょうか。

 きっとフィー様は今頃中庭で昼寝、いえ朝寝をされているかと思いますよ。

 

 ――10:30

「夕刻までには戻りますので」

「かしこまりました」

 いつになくご機嫌の良さそうなラウラ様は、はつらつとして扉を開かれました。

 背すじが伸び、凛とした佇まいは日頃の研鑽が身に現れたものでしょう。

 ですが時々覗かせる年相応の女の子としての反応は、普段の差とも相まってとても可愛らしいものです。

 残念ながら男子の皆様が、そんな姿に気付かれるご様子は今の所見受けられませんが。

 

 ――11:00

「……行って来ます、はあ」

「どうぞ、お気をつけて」

 いつもお部屋で音楽を奏でているエリオット様も、今日は外出なさるようです。

 やや表情が重たいような気がしますが、何かあったのでしょうか。

 お声を掛ける前に出て行ってしまわれたので、ただお見送りをするだけになってしまいましたが。

 エリオット様のチェロの音色を聞きながら、お掃除をするのは秘かな楽しみでしたのに。少し残念ですわ。

 

「では出かけてきます」

「よい一日でありますことを」

 エリオット様が出かけられてすぐに、ガイウス様も身支度を整えて一階まで降りて来られました。

 お変わりはないご様子ですが、エリオット様と同様、お顔色に緊張が見られます。

 何となくですが、今日はお二人ともさらにお疲れになってご帰宅される気がします。

 夕食は消化によく、体力の戻りやすいメニューを一考してみることにしましょう。

 

 ――11:30

「ふん、夕方には戻る」

「お待ち致しております」

 今日はいつもの自由行動日と比べましても、お出かけの方が多いようですね。

 続いたのは少々ご機嫌の宜しくなさそうなユーシス様でした。憮然としておられるのは日々のことですが、今日は少し雰囲気が違うようです。

 外出先で良いことがあればいいのですが。

 

 ――11:40

「シャロンさん、コーヒーを淹れて頂けますか?」

「もちろんですわ。あら……」

 ラウンジのソファーに腰掛けたマキアス様は、テーブルに置かれたチェス盤に駒を並べ始めました。

「マキアス様はお出かけにならないのですか?」

「ええ。今日は特に用事もないもので、ゆっくりさせてもらおうかと」

 言いながらも手は止められず、早くも駒を進め始めました。相変わらずチェスがお好きなのですね。

 さっそくコーヒー豆をミルで挽き、マキアス様のお好みの中挽きに調節した後、粉の粒度が均一になっているかを確認。いい具合ですわ。

 本当はこの時間でお掃除をしようと思っていたのですが、チェスに興じる横で埃を立てるのは忍びありません。

 ご所望頂いたコーヒーをテーブルに置いて、先に厨房の片付けをすることにしました。

 そういえば――あと寮内に残っておられるのは、リィン様とアリサお嬢様でしたか。

 

 ――12:00

 ラウンジに何かがばらばらと転がり落ちる音がしました。

 厨房から少し顔を覗かせてみると、そこにはリィン様とアリサお嬢様の二人揃って固まる姿が。仲のよろしいことです。

 そんなお二人の視線の先には、傾いたチェス盤と崩れた駒。

 概ね理解しました。いつものようなお戯れの最中、うっかりテーブルにぶつかってしまったのですね。

 リィン様は盤上に駒を戻し始めますが、果たして上手くいくのでしょうか。

「きゃっ!」

 突然テーブルの下からルビィが飛び出してきて、お嬢様を驚かせてしまいました。

 ルビィは白のナイトの駒を咥えて寮から出ていきましたが、お二人ともお気づきではない様子。

 急に閃きました。朝に考えていた“きっかけ”を。

 きっかけ。それは試練。同じ危機を共有することで気付く心もあるかと存じます

 これも一重にお嬢様の為。このようなことしかお力添えできないシャロンをお許しください。

 そうですわ。あれを使うことに致しましょう。

「あら、お嬢様? それにリィン様も」

 そして私は、白々しくもお二人の前に歩み出るのでした。

 

 ――13:00

「白のナイトがない!?」

 盤上の異変に気付いたマキアス様は、続けて駒の一つが無くなっていることにも気付かれました。

 あちらこちらとお探しになられていますが、ルビィが持ち出してしまったのですから、もちろん見つかるわけがありません。

 私の話をお聞きになったリィン様とアリサお嬢様が、寮を出てからおよそ三十分。

 頃合いですね。

「マキアス様。何かお困りでしょうか?」

「あ、シャロンさん。チェスの駒が一つ足りないんですが、どこかで見ていませんか?」

 マキアス様には申し訳ない限りですが、どうかアリサお嬢様の為、今回ばかりはご容赦くださいませ。

「ええ、見ましたよ。白い駒ですね?」 

「え!? どこでですか?」

「ずいぶん前にルビィが咥えて、外に持って行ってしまいましたが」

 血相を変えたマキアス様は「だ、だったら急がないと!」と慌てて玄関に向かわれました。

「すみません、探しに行ってきます」

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 私が一礼を終える頃には、すでにその姿は見えなくなっていました。

 さあ、お嬢様、リィン様。危機はトリスタへと解き放たれました。

 シャロンの作った“きっかけ”を存分にご活用なさいませ。

「……あら」

 一つ重要な事を忘れていました。

 今日はお二人同時に出かけられましたが、一緒に過ごすとは聞いておりませんでしたわ。

 二人で同じ試練を乗り越えることが目的なのですが、ともすればお一人ずつになってしまうかもしれません。

「私としたことが。でも……」

 リィン様とお嬢様は私の話でマキアス様を警戒し、マキアス様はルビィを探してトリスタの町中を探し回る。それはそれで何かが起こるかもしれません。

 こうしてⅦ組の皆様は全員外出され、第三学生寮には私一人が残ることとなりました。

「それでは皆様が帰って来られるまでに、きれいにお掃除をしておきましょうか。ふふ」

 

 

 ――15:30

 皆様が出払われてから二時間と少し。扉が開いた音。

 どなたかが帰ってこられました。さっそくお出迎えを――と思ったのですが、エントランスに立ち尽くしていたのは全身ずぶ濡れになったリィン様。

 私は思わず足を止め、何度もまばたきをしてしまいました。 

「シャロンさん、ただいま戻りました。……とりあえずタオルをもらえますか」

 一体どうされたのでしょうか。マキアス様の一件だけで、このようなことになるとは想像できませんが。

 しかし、そこはリィン様のこと。奇跡的なすれ違いや不幸なタイミングを束ね合わせて、最悪の結果を引き寄せたのかもしれません。

 それにアリサお嬢様がいないところを見ると、やはり今日の予定は別々だったご様子。どうやら私の試みはうまくいかなかったようですね。残念ですわ。

「うう……寒い……」

「シャロンが温めて差し上げましょうか?」

「……遠慮しておきます」

「まあ、リィン様ったらつれないこと」

 濡れた服を着替えにリィン様は自室に戻られました。がたがたと震えて、よほどお寒いのでしょう。後でいいとは仰っていましたが、シャワーの準備はしておくことにします。

 早い方ならそろそろ順に寮に戻られる時間。さあ、今度はお出迎えです。

 

 

 ――16:00

「ただいま」 

「あら、お帰りなさいませ。お嬢様」

 玄関が水びたしになってしまったので、モップで拭き取っているとアリサお嬢様がお帰りになられました。

 お嬢様は床に目を落とすと「何かあったの?」と怪訝な表情を浮かべられました。

「いえ。普段通りのトラブルですわ」

 詳細は私も聞いておりませんので、そうとしかお答えできませんでしたが、お嬢様には納得して頂けたようです。

「あー、シャロン?」

「はい?」

 どこかそわそわとしながら、何かを取り出したお嬢様。促されるまま手の平を差し出すと、そこに置かれたのは一つのブローチ。

 さすがに驚きました。それは朝方に川に落としてしまった私のブローチだったのですから。

 どのような経緯でこのブローチがお嬢様の手に渡ったのかは推測もできません。

 しかし嬉しかったのは、私のブローチがないと気付いて下さったこと。そして、そのことを気にかけて下さっていたこと。

 やはりお嬢様はとてもお優しい方です。

 少しお話ししてから部屋に戻ろうとされたお嬢様に私は言いました。

「ブローチのお礼に、アプリコットジャムをたくさん作っておきますね」

「べ、別に大したことないし、気にしなくてもいいんだから」

「では分量を間違えて多めに作ってしまうことにしますわ」

 小走りで階段を上がる背中を見送りながら、私は襟元に戻ってきたブローチにそっと指を添えてみるのでした。

 

 ――16:30

「お帰りなさいませ」

「ああ」

 アリサお嬢様に続いて寮にお帰りになったのは、お出かけの時に不機嫌なご様子だったユーシス様でした。

 何か良いことがあったのでしょうか。表情は相変わらずですが、雰囲気が少し優しくなられたような気がします。

「何を見ている?」

「いえ、何もありませんわ」

「まあいい」

 ふいとそっぽを向いて、お部屋に上がられたユーシス様の手には可愛らしい包み紙が。

 やはり良いことがおありだったようですね。

 

 ――17:00

「では夕食の下ごしらえに掛かりましょうか」

 調理場の片付けも昼の間に出来ましたし、やはり整然清潔とした環境でこそ、おいしい料理は作れるものです。

 整然、という言葉で思い出したのはサラ様のお部屋。

 サラ様がお出かけの隙にこっそりお掃除したら駄目でしょうか。せめて空の酒瓶だけでも処分させて頂きたいのですが。

 そんなことを思っていたら、どんと壁に何かがぶつかった音が響きました。

「なんでしょう? 大きな音……」

 調理場から顔を出してみると、そこにはラウラ様を壁に押し付け、しかもそのお胸を掴んで――いえ、揉みしだいているリィン様のお姿が。

 リィン様の剣技に『揉みじぎり』というものがあったと記憶しています。

 この際、揉みじぎるという動詞が存在するのかはともかくとして。ええ、はい。確かに胸を揉みじぎっておられるようにお見受けします。

 反撃の隙さえ与えず、相手の思考をゼロにして動きを制する。噂に名高いユン・カーファイ老師の編み出した八葉一刀流、その苛烈なまでの真髄を確かにこの目で拝見させて頂きました。

 はあはあと息も荒く、ほのかに充血した目付きのリィン様は、ともすれば軍が捕縛にかかってくるような危険な雰囲気です。

 小耳に挟んだ程度ですが、リィン様は身の内にご自身でも抑えられないほどの――何でしたか……ああ、そうです。確か、ケダモノを飼われているとか。

「うふふ、お邪魔致しました」

 ご自身でも御しきれないものを、どうして一使用人に抑えることができましょう。 

 厨房に引き下がって間もなく、私の耳に先ほどよりも遥かに激しく大きい衝突音が聞こえてきました。

 いそいそと再び厨房からラウンジを覗いてみると、奥の壁際の床に伏し、動かなくなったリィン様のお姿が。

 近寄ってお話を伺うと、どうやらお風邪を召されたとのこと。

 実は先ほどお顔を見た時に、察しはついておりましたが。ですが困りました。今は確か薬が切れているのです。

「風邪薬を買ってまいりますわ」

「お、お願いしま――ごほっ」

 よろよろと立ち上がったリィン様は、一人で自室まで戻られていきます。

 そんなお姿を見て、私はまたまた閃いてしまいました。

 素晴らしいきっかけを。

「お嬢様、シャロンはまだあきらめません。ふふ」

 今日という一日は、まだまだこれからでございます。

 

 ――18:00

「そんな感じで、今日はルビィに取られた駒を探し回っていて――」

「それは災難でしたね。私は探し回られた方ですが……」

 お話し声が外から聞こえてきました。この声はマキアス様とエマ様ですね。Ⅶ組の委員長と副委員長のお二人がそろってお帰りのようです。

「マキアス様、エマ様。お帰りなさいませ」

「ああ、シャロンさん。ただいま戻りました。なんとか駒は取り戻せましたよ」

 そう言うと、マキアス様は白のナイトを掲げて見せてくれました。どうやら傷なども付いていないようです。

「それは何よりでございました。エマ様もご一緒だったのですか? 確かフィー様とお勉強を……」

「マキアスさんとは帰り道が偶然一緒になりまして。フィーちゃんのお勉強は先ほど見終わりましたよ……まあ、そこまでの道のりは長かったですが……」

 何やら大変だったご様子。フィー様の居場所を最初からお伝えしておいた方が良かったのでしょうか。

 マキアス様も相当お疲れになったのか、早々と二階に上がられていきます。

「では私も失礼します」

「エマ様。少しよろしいですか?」

 マキアス様に続こうとされたエマ様をお呼び止めし、私はさっそくリィン様の状態をお伝えします。

「リィンさんが体調不良?」

「はい、先ほど倒れ込んでしまいまして……そして薬が商店にも品切れという状況でして」

 もちろんお薬は先に購入してきましたが、そこはあえて伏せておきます。

 見たところリィン様の容体は急を要するものではありませんでした。

 ですので、普段から何かとトラブルを背負い込むリィン様を、皆様で協力してお助けし、さらに結束を強めて頂く――というのが目的の一つですわ。

 もう一つの目的は言わずもがな。

 アリサお嬢様にも献身的にリィン様のご看病に加わって頂き、なおかつ他の女子の皆様とも同じ立場に立つことで、わずかなりとも焦りを抱いてもらうことです。

 ほんの少しでも気持ちがざわつくのなら、それがきっかけとなるかもしれません。

 もちろんそれは、お嬢様のリィン様に対するお気持ちが、好意だという前提の話ではあるのですが。

「そこで市販薬に変わるものをお作り頂けないかと思いまして。聞けばエマ様はハーブや薬草の調合にお詳しいとのこと。どうかリィン様をお助け下さいませ」

「それはもちろん構いませんが……どのような症状なんですか?」

「所構わず女性の胸を揉みじぎるという――」

「も、揉み……?」

 間違えました。ある意味病気とも言えますが。

「いえ、喉の痛み、咳き込み、発熱でございます」

「風邪……ですよね? それなら何とかできそうです」

 さすがはエマ様ですわ。

「ああ、そうですわ。先ほどリィン様はお休みになったばかりなので、お薬ができましたら十九時頃にお持ちして頂くのが丁度よい頃合いかと思います」

「え? あ、はい。わかりました」

 何だか楽しくなってきましたわ。

 

 ――18:20

「この時間にラウンジに誰もいないなんて珍しいわね。シャロン、紅茶淹れてもらえる?」

 お部屋に戻られていたアリサお嬢様が一階に降りて来られました。お声掛けに行くことも考えていたのですが、素晴らしいタイミングです。

「これはお嬢様、よいところに。実はリィン様がお風邪を召してしまいまして」

「リィンが? だ、大丈夫なの?」

 まあ。予想以上のご反応。これはいい傾向ですわ。

「今のところは……ですが熱も下がらず、食事も取れていないもので。そうですわ、お嬢様」

「……なによ?」

 あ、少し警戒されましたね。話す前から雰囲気で察して下さるなんて、お嬢様の成長をシャロンは嬉しく思います。

「シャロンの代わりに、リィン様に召し上がって頂くお粥をお作り頂けませんか?」

「ええ!? な、なんで私が? シャロンが作ってあげればいいじゃない?」

「そうしたいのは山々なのですが、シャロンは手を痛めております」

「また唐突ね。うそっぽいわ」

「シャロンは手が痛いのです」

 このような水掛け論になった場合、お嬢様の言い分が通る可能性はまずありません。

 経験上お嬢様もそれは分かっておられ、しぶしぶと言った様子ですが、エプロンを片手に厨房に入っていかれました。

「お粥なんて作ったことないんだけど……」

「料理は気持ちですわ。リィン様のことを思い浮かべながら、おだしと一緒にご飯を水で炊き、アリサお嬢様の頑なな心を解きほぐすように柔らかくなるまで煮込むのです」

「な、なんなのよ、それは」

 まったくもう、と嘆息しながら、お鍋を取り出したお嬢様。

 あまりお料理の経験がないお嬢様の為に、さすがにお手伝いくらいはさせて頂こうかと思っていたのですが「見られてると作りにくいから厨房の外にいてよ」と鋭い声が飛んできたので、私は仰せのままにラウンジでお待ちすることにしました。

「えと、どうするのよ。このあと……」

 程なくして、厨房からがちゃがちゃと忙しない音と一緒に、戸惑いの声も聞こえてきました。 

 とりあえず外からお声だけ掛けてみることに。

「やはりお手伝いしましょうか?」

「いいってば! あ、でも味付けとかスパイスとかはどうしたらいいの?」

 ……お粥にスパイス? 

「おだしで作っていますので、味は問題ないかと思いますが」

「せっかくだから体にいいものにしたいじゃない。熱ってやっぱり汗をかいたら下がるものなの?」

「それは……はい。もし香辛料をお使いでしたら右の棚にございますが……やはり少しお手伝いを」

「だから大丈夫だってば! えーと……汗っていったら辛いものがいいのかしら……」

 恐らくリィン様が大丈夫じゃなくなる可能性が高いかと。ですが厨房に入ったら怒られてしまいますし。

「シャロンさん? ただいま帰りました」

「お帰りなさいませ、エリオット様。申し訳ありません、お出迎えもせずに」

 これは失態。エリオット様が声を掛けて下さるまで気が付きませんでした。

「あはは、気にしないで下さい。厨房、誰かいるんですか?」

「ええ、今アリサお嬢様がお粥を作っておられるのですが……」

 コトコトと煮込む鍋の音は、次第にグツグツと響きを変え、最終的にはなぜかドクンドクンと脈打つような謎のシグナルに。

 お嬢様は一体何を生み出そうとしているのでしょうか。

「エリオット様? どうかなさいましたか?」

 なぜか固まり、厨房を凝視したまま動かないエリオット様は「いやな予感がする……」と額に汗を浮かべておいでです。もちろんいい予感はしませんが、それにしてもずいぶん怯えておられるような。

 そんな時、厨房から「できたわ!」というお嬢様の声が届き、エリオット様はびくりと肩を震わせました。

 器に移したお粥を手に、お嬢様が厨房から出て来られました。

「やっと完成よ。あら、帰ってたのエリオット?」

「う、うん。さっきね。ところで何でアリサはお粥なんて――ひっ!?」

 言いかけたエリオット様の言葉は、器の中のお粥を見て、小さな悲鳴へと変わりました。

 まあ……真っ赤。

「れ、煉獄っ!」

 悲痛な叫びを吐き出すと、エリオット様は脇目も振らず階段を駆け上がって、勢いよく部屋のドアを閉められてしまいました。

「……どうしたのかしら。変なエリオットね」

 何か触れてはいけないトラウマがあったようですね。

 それにしてもすごい色。まるで灼熱の溶岩を器ですくってきたみたいな、燃え盛る炎をそのまま押し固めたみたいな――ここまで見事に紅に染まったお粥は私も初めて目にします。

「さっそくリィンのところに持っていくわね」

「あ、お待ちくださいお嬢様。出来たては熱いと思いますので、もう少し冷めてからお持ちください。それまではお嬢様のお部屋で保管なさって下さいませ」

 お嬢様の部屋、というところがポイントです。まだ一階ではやることがありますからね。

「ええ? じゃあ冷めてから持って行ったらいいの?」

 この世の終わりまで冷めることのなさそうなお粥ですが。

「はい、十九時にリィン様のお部屋にお持ち頂くのがよろしいかと」

「意味わからないわよ。何でそんな時間に」

「シャロンは十九時がいいのです」

 さて準備は整ってきました。では、あとお一人をお待ちしましょうか。

 

 ――18:40

 もうすぐ十九時。時間的には際どい所でしたが、ようやく最後のお一人が階段を下りて来られました。

「あら、ラウラ様」

「……うん、他の皆は来ていないのか……?」

 落ち着かれなく視線を動かすラウラ様。きっとお部屋で一人悶々としておられたのでしょう。

「……リ、リィンは……その、部屋か?」

 まあ、ラウラ様からお話を振って下さるなんて。リィン様の名誉の為に少しフォローもさせて頂きましょうか。

「それがリィン様は体調を崩してしまわれまして……ずいぶん足元がおぼつかないご様子でした」

「そ、そうなのか。もしかしてさっき様子が変だったのは……」

「何かありましたか?」

「い、いや。ところでリィンの容体は?」

 少しほっとされたようですね。それでは本題に入ります。

「それがあまり芳しくなく……体力も戻る気配もありません。どうか、リィン様に一声だけでもお掛けくださいませんか」

「そこまでの状態だったのか」

「私が医者ならもう見放している段階ですわ」

「そんなにか……それなのに私はリィンを突き飛ばしたりして……」

 何かを納得したようにラウラ様は頷かれました。

「ちょうど体力回復にいい物もある。あとで様子を見に行くことにしよう」

「十九時頃が宜しいかと存じます」

「ふむ? 承知した」

 ラウラ様は私の出した時間指定を、さらりと受諾してくださいました。

 これで舞台は整いました。あとは時間が来るのを待つだけですわ。

 

 ――19:00

 さあ、邂逅の時でございます。

 さっそくお嬢様方が順にリィン様のお部屋に入られたようで、次第に二階が騒がしくなって参りました。

 今しがたお帰りなったばかりのガイウス様も、不思議そうに二階を見上げています。

「リィンの部屋か? 何か騒々しいようだが」

「さあ? どうしたのでしょうか。うふふ」

 ここから先は私にも成り行きを見守るしかできません。

 そんな中、開く玄関の扉。

「ただいま。ルビィが町で遊んでたから、ついでに連れて帰ってきたよ」

 この時間でようやくフィー様とルビィが帰宅です。

 フィー様は相変わらずあくびをしてソファーに向かい、ルビィも尻尾を振りながらその後ろについていきます。小さな二人組が一番最後でしたか。

 ああ、違いました。まだサラ様がお帰りではありません。

「シャロン、おなか空いたよ。ルビィもだって」

「あらあら」

 子猫と子犬が空腹のご様子。

 そろそろ夕食の準備に取り掛かりませんと。下ごしらえは済んでいますから、二十時くらいに合わせて作れば大丈夫でしょう。

 誰かがコンコンと扉をノックされました。一瞬サラ様かと思いましたが、サラ様ならノックなんてするはずありません。

「どなたでしょうか……あら」

「こんばんは」

 扉を開いた先に立っていたのは、小柄で緑の学院服をまとった女性。

 この方は、何度かお見かけしたことがあります。トールズ士官学院の生徒会長、トワ・ハーシェル様ですね。

「ようこそ足をお運び下さいました。本日はどのようなご用向きでしょうか」

「リィン君と約束があって。ちょっとしたお菓子を作ってきたんですけど、もう帰ってきていますか?」

「はい、ですが今リィン様は――」

 トワ会長程のお方がお菓子を持ってリィン様に会いに。

 さすがにこれなら、お嬢様でも思う所が出てくるのではないでしょうか?

「リィン君が何か?」

「いえ、お部屋までご案内致します。どうぞこちらに」

 トワ会長をお連れして、階段を上り二階へ。

「右手側の奥がリィン様のお部屋になります」

「ありがとうございます。えへへ、リィン君喜んでくれるかなあ。あ、ドアが開いてる」

 顔を綻ばせながら部屋の戸口に立った彼女は、中の状況を見るなり、その表情を固まらせてしまいました。

 せっかく作ってこられたお菓子の入った袋を、床に落としておられます。

「お、お邪魔しました!」

 ふるふると震えて、みるみる涙目になられたトワ会長。

 すぐさま身を返して、階段を駆け下りてしまいました。「リィン君なんかもう知らない!」と叫びながら。

 何事でしょう。

 とりあえず、私も部屋の中をそっと覗いてみます。

「あら、まあ、リィン様ったら……」

 リィン様のベッドに、アリサお嬢様、エマ様、ラウラ様が乗りかかっておられました。

 さすがはリィン様。お風邪を引いても、出す手は引かないその心意気。

 八葉一刀流の円熟された理念が体に息づいておられるようです。続く技名は……『はやて』でしたか――ああ『早手』ですね。

 『揉みじぎり』からの『早手』。これで初伝とは恐れ入ります。

 ほんのわずか、虚ろな瞳のリィン様と目があった気がしました。

 何かを訴えておられたようですが、女神ならぬ私には全てを見通す程の力は持ち合わせておりません。

 今私に出来ることは一つだけ。

「さあ、夕食を作ると致しましょう」

 そして私は静かにお部屋の扉を閉めるのでした。

 

 

 ――20:30

 Ⅶ組の皆様も銘々に夕食を食べ終わられ、お部屋へ戻っていかれました。

 リィン様にはあの後しっかりと市販のお薬も飲んで頂きましたので、じき落ち着かれるでしょう。もちろん、お嬢様方には内緒でですが。

 お薬をお渡しした時のリィン様は、なんとも悲しい目をしておられましたが、シャロンはただ微笑みを返すことしかできませんでした。

 結局、アリサお嬢様がご自分の気持ちを見直すきっかけになったかはわからないまま――

「たっだいま!」

 弾けるような声と一緒に勢いよく扉が開いて、いかにもご機嫌斜めなサラ様がお帰りになられました。

「驚きましたわ。てっきり強盗かと……思わず泣いてしまうところでした」

「本当に泣かしちゃってもいいのよ?」

「まあ、サラ様こわい」

 ソファーにどっかりと腰かけたサラ様の膝に、すかさずルビィが走り寄って「わんっ」と一吠え。本当にサラ様が好きなのですね。

「はあ、私の味方はルビィだけよ。……あんの教頭、覚えてなさいよ。ぜーったい全生徒の前で赤っ恥かかせてやるんだから!」

「あまり不穏当な発言はお控えになった方が宜しいかと。どこからお話が漏れるかわかりませんわ」

「この状況で漏れるとしたら、あんたからしかないじゃない」

「うふふ」

 にこりと笑うとサラ様は「い、言ったらダメだからね!?」とずいぶん焦ったご様子です。Ⅶ組の皆様には中々見せられないお姿ですね。

「夕食は召し上がられますか?」

「そうね。頂こうかしら」

 今日のメニューは、サモーナの香草包み焼きに旬の野菜スープ。デザートにはさっぱりとした風味のレモンジェラートをご用意しております。

「お味の方はいかがでしょうか?」

「……おいしいわよ」

「恐れ入りますわ」

 こうして私の一日は過ぎていきます。

 食事を終えられたようなのでコーヒーをお出しすると、サラ様は何気なくこんなことを訊いて来られました。

「そういえばあの子達は今日何してたのかしら。何人かには会ったけど」

「Ⅶ組の皆様なら、それぞれで自由行動日を満喫しておられたようですわ」

 そして私も。皆様のおかげで毎日が充実しております。

「それならいいんだけどね。私も何かと留守にすることが多いし、そういう時は……あの子達のこと頼んだわよ」

「まあ。サラ様がそんな頼み事を私にするなんて……明日は嵐かもしれません」

「やっぱり泣かす。絶対泣かすわ」

 サラ様が拳を固めて、私を睨んできます。本当にこわいこと。

「ご安心くださいませ。有事の際、Ⅶ組の皆様はシャロンの身に代えましてもお守り致します」

 そう、それが四つ目の私の仕事。なぜならあの方達は―― 

「私が心を込めてお仕えする大切な方々ですから」

 

~FIN

 




最後までお付き合い頂きありがとうございます。やはりシャロンとサラの話は分ける形になってしまいました。
というわけで今回はお姉さん一人目、シャロンさんでした。朝を除けばずっと寮にいた為、Ⅶ組の行って帰ってくるまでの見守り役兼影のトラブルメイキング役として一日を楽しく過ごしております。なので時間区切りが他の話よりも多めでした。
少なくともシャロンさんが少し動きを変えていれば、リィン、アリサ、エマ、マキアスの受難は回避できたかもしれませんね……
ちなみにアクションなどの動きはほぼない為、オール一人称語りと心情表現で進む少し珍しい回となっています。

さて、予告通り最後はサラ教官ですが、次回でいよいよ一日シリーズはラストとなります。
二人目のお姉さんことサラ教官。きっちりシリーズ締めくくって下さいませ(笑)
それでは次回もお楽しみして頂けましたら幸いです。
ご感想も随時お待ち致しております!

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