9月12日(自由行動日) 11:30 フィー・クラウゼル
目が覚めた。
そうは言っても別に部屋のベッドで目を覚ました訳じゃない。
私が今体を横たえているのは、中庭のベンチだ。学院には用事があって来たんだけど、少し時間があったから昼寝をすることにしたんだった。
多分、大体の人はこのベンチに寝転がると、足が余るか幅が足りないかで、もれなく地面に落ちるんだろうけど、私の体躯なら全く問題がない。
委員長からはよく「女の子だからどこでも寝ちゃだめですよ」と、そんな指摘を受けたりもする。そういえばラウラからも「睡眠中は隙ができるから、みだりに人前で眠るのは控えたほうがよい」と言われたこともあった。
まだラウラの方が分かる。
そもそも私だって外で横になって熟睡するなんて、ちょっと前までしなかった。いや、猟兵団にいた頃はしてたかな。でも熟睡まではしてないし、団がなくなってからはゆっくり眠るどころじゃなかったし。
こんな風に眠れるようになったのは一体いつからだったか――
「あ」
委員長の名前を胸中に呟いて、もう一つ思い出したことがあった。今日は委員長に勉強を教えてもらう日だ。約束の時間は十一時だった気がする。
「時計……」
見回した範囲に時計はない。
あくびをしながらベンチから下りて、日なたに向かう。いい天気。起きた所だけど、また眠たくなってしまう。
目線を下げて自分の影を見てみる。足元に届くくらいに短くなった影。
「十一時、半くらい」
日時計というやつ。正午には近くなっているけど、まだ達してはいない。
約束の時間すぎちゃった。どうしよう。今から行こうかな。
「……めんどくさい」
別に委員長から勉強を教えてもらうことがじゃない。図書館まで足を延ばすのが、だ。
「散歩でもしようかな」
そのついでに図書館に向かうということは考えていない。
それに歩き回っていたら、多分委員長の方が先に私を見つけて、図書館に連れて行くだろう。いつものパターンだし、最近はなぜか委員長も、私がどこにいても必ず見つけ出してくる。その都度メガネを光らせて「探しましたよ~、うふふふ」とちょっと怖い笑みを浮かべながら。
そういう訳で散歩開始。
中庭を出て向かいの花壇が視界に入ると、さっそくまた一つ思い出したことがあった。
今日の夕方、園芸部の活動があってエーデル部長にも呼び出されているんだった。
新しい花を植えるらしく、私がその苗をガーデニングショップのジェーンから受け取りにいくことになっていた。
めんどうだけど、それは仕方ないか。
「絶対大丈夫だって」
「だからその後どうするの……」
花壇の奥から話し声が聞こえてきた。誰だろう? 聞き覚えのある声だったので見に行くと、
「ヴィヴィ……が二人?」
私と同じ一年の部員。薄ピンク色の髪が特徴的な女子生徒。その薄ピンクの髪が二つ並んでいる。
あ、そうか。聞いたことがある。そろっている所を見るのは初めてだけど、二人は双子だ。もう一人はガイウスと同じ美術部で、名前は確かリンデ。ちなみに双子だけどリンデの方が一応お姉さんらしい。
「あ、フィーちゃん。どうしたの?」
「Ⅶ組の子? 園芸部だったんだ」
ヴィヴィとリンデは同時に私に振り向いた。
まるで鏡越しの動作みたいに息がピッタリだ。《ARCUS》いらずのリンクぶりはさすが双子、なのかな。この距離からだと二人の違いは髪型くらいで、ヴィヴィはストレート、リンデは左右でまとめた三つ編みおさげとしか見分けがつかない。
「別に。そっちこそ何してるの」
ヴィヴィは「んふふ」といたずらっぽく笑った。
「エーデル部長を驚かせようと思って。多分部長は私が双子って知らないから、ヘアスタイルも一緒にしてリンデと現れたら、さすがにビックリすると思うの」
「そして私がその思いつきに巻き込まれたの……」
リンデはがくっと肩を落とした。こういうことに付き合わされるのは初めてじゃないみたい。
あのおっとりしたエーデル部長が驚く所は、あまり想像できないけど……ちょっと興味あるかも。
「そういえばフィーちゃんどこか行くの? 部長は夕方からでいいって言ってたよね?」
「ちょっと寄っただけだから」
そういえば散歩に行こうとしていたんだ。二人と別れ、私は軽く伸びをしながら歩を進めた。
グラウンド側に歩いていると、その途中でラウラを見かけた。見たことがない機材を台車で運んでいる。
「……なんだろ」
よく分からないけど、ラウラ楽しそうだし、いいか。
さらに正門前まで進むと、今度はガイウスに会った。丁度学院に来たところみたい。今日は立て続けに色んな人に会う。
「フィー? 自由行動日に珍しいな。どうしたんだ」
「ん、逃亡中」
本当は散歩中だけど、何となくそんなことを言ってみた。
「ガイウスはどうしたの?」
「俺はラウラに呼び出されてな。何の用かはまだ聞いていないが」
「ラウラなら、さっき台車にいっぱい色んなもの乗せて走り回ってたよ」
ガイウスの顔色が少し曇った。どうしたんだろ。
「ではフィー、俺はもう行くが気をつけてな」
少し気になったけど、いつも通り「了解」とだけ返して私もその場を離れた。
――12:10
少し迷ったけど、そのまま正門を出てトリスタに行くことにした。
さすがに学院の外に出たら、委員長も見つけにくいかな。でもジェーンに苗を貰わないといけないし。まあ受け取ったら学院に戻ったらいいか。
坂を下りきり、トリスタの礼拝堂に差し掛かった時、私よりも小さな赤い学院服を着た女子生徒がいることに気付く。
あれはミリアムだ。なんで礼拝堂の前に?
「あ、フィー!」
ミリアムは私に気が付くと、ぴょんぴょん飛び跳ね、腕をいっぱいに振り回し、全身で存在を主張しながらに声をかけてきた。
「ミリアム、どうしたの?」
そばに寄っていくと、ミリアムは先ほどのヴィヴィのような笑みを浮かべている。いたずら、とは違うようだけど、好奇心に満ちた笑顔だ。
「実はね~、今から礼拝堂で面白いことがあるんだよ」
「面白いこと?」
「そうだよ。なんかユーシスが日曜学校の先生を頼まれたんだって。それで今から子供たち相手に授業だってさ」
「それは……面白いね」
無愛想なユーシスが子供達に授業なんて。いや私も人のことを言えないのかもしれない。あまり無愛想なつもりもないけど、というか愛想よくというのがよく分からないのか。私の場合。
「フィーも見に行こうよ!」
「ん、いいよ」
その誘いには即答する。興味あるし。
「そういえば、なんでミリアムはユーシスが先生するなんて知ってたの?」
「委員長が教えてくれたんだ。あ、そういえば委員長からは一応内緒にしててって言われてたんだっけ」
諜報部とは思えない口の軽さ。機密情報とか扱ってるんじゃないの?
まあ、今に始まったことじゃないけど。気にしても仕方がない。
さっそく私とミリアムは礼拝堂の扉を開けた。
……何か忘れているような気もするけど。ま、いいか。
――13:00
潜入成功。ユーシスには見つかったけど、ロジーヌが説得してくれたおかげで、とりあえず椅子に座ることができた。なんでもロジーヌが一日先生をユーシスに頼んだらしい。
というか何でユーシス? リィンの方がよさそうな感じだけど。
さっそくユーシスが授業を始めている。あ、でも意外と似合ってる。
「あはは、ユーシスが先生だよ」
となりに座るミリアムがからからと笑う。ユーシスがぎろりとこっちをにらんだ。私は言ってないのに。
「でも子供がいっぱいだねー」
「ミリアムだって子供だけど」
「む、フィーだって!」
「私はミリアムより年上」
見回してみると、十歳にも満たない子供がほとんどだ。その中で、前の席に座る三人は年長なのか、十二、三歳に見える。
私は日曜学校に通ったことがない。
あの子達の年の頃、私は猟兵団にいた。それを不遇だと思ったことはない。団の皆は兄妹ではないけど兄妹のように接してくれたし、家族ではないけど血よりも濃い絆があった。
私が一番年下だったからかもしれないけど、面倒も見てくれたし、可愛がってもらっていたと思う。
戦闘になるといつも最前線ではあったけど。
「フィー急に黙ってどうしたの?」
「……眠くなってきた」
「うんうん、ボクもだよー。ふあ……」
私とミリアムはうつらうつらと舟を漕ぐ。少しすると二人そろって机に突っ伏した。
顔を伏せる寸前、ユーシスがチョークを飛ばしてきた気がするけど、眠気で意識が定まらない私には、もはやどうでもいいことだった。
――14:20
授業が終わるなり、私たちはユーシスに叩き起こされた。
もう少し優しく起こしてほしい。そんな思いを目に込めて訴えてみると、ユーシスは「何か言いたそうだな?」と鋭い視線を向けてきた。
こんな先生やだ。宿題忘れたら延々と説教されそう。宿題を出したことすら忘れるサラの適当さ加減も大概だけど。
そういえば何だかさっきからいい匂いがしてる。
「はい、おやつのクッキーですよ」
ロジーヌが焼いたらしいクッキーを子供達に配っていた。そういえばお昼食べてないし、お腹減ったな。
「ユーシス、ボク達の分は~?」
ミリアムが手を上げてユーシスに言うと「お前らの分などあるか!」とそっぽを向く。
ひどい先生。ここが教室だったらトラップ仕掛けるのに。扉を開けたら、挟まってた黒板消しが爆発する的な。
そんな悪魔教師ユーシスの横から女神先生ロジーヌが「あなた達の分もありますよ」と小皿に乗ったクッキーと紅茶を手渡してくれた。
「頭を使うとお腹が減るよねー」
「ん、同感」
またユーシスが何か言いたそうにこっちを見てる。どうせお前ら寝てたくせにとか思ってる顔だ。ユーシスに今度教えてあげなくちゃ。寝ててもお腹は減るんだよ。
「いただきま――」
「ふえええん」
唐突に女の子の泣き声が耳に届き、私は口に運ぶ最中だったクッキーを皿の上に戻した。
どうしたんだろうと女の子に目をやると「あ、あたしのだけクッキーが少ない~」と泣きじゃくっている。
ユーシスとロジーヌの会話を聞くに、すぐに追加のクッキーは用意できないらしい。
……仕方ないか。
私は席から立ち上がり、その子のそばに歩み寄ると、自分のクッキーを皿に入れてあげた。
「私のクッキーあげる。だから泣いちゃだめだよ」
女の子はまだ涙の滲んだ瞳で「おねえちゃん、いいの……?」と私を見上げた。
こういう時、委員長みたいにすぐ笑ってあげられればいいんだけど、私はいつでも笑顔になれる程器用じゃない。だから代わりにVサインを胸前で作って心配いらないことを伝えてみる。
女の子はクッキーを一口頬張ると、すぐに泣き止み「ありがとう、おねえちゃん」と笑顔を見せてくれた。
「ん」
おねえちゃん。もしかしたら年下の子にそう呼ばれたのは生まれて初めてだったかもしれない。少なくとも記憶にはない。
今のはおねえちゃんらしい行動だったのかな。団にいた頃、周りは年上ばかりだったからピンと来ないけど、今みたいにお菓子を内緒でもらったりしたことはある。
お菓子っていうか干し肉だったり、軍用レーションだったりはしたけど。それでもやっぱり嬉しかった、かな。
「ごめんね、フィーちゃん。ありがとう」
ロジーヌが申し訳なさそうに謝ってくれた。
「別にいいよ」
そんな時、てくてくとミリアムもやって来て「ボクのクッキーが残ってたらフィーにあげるのに。ボクも子供達にあげちゃったよー!」と無邪気に笑っていた。
「……うそつき」
「あ、ばれた」
ミリアムのクッキーは、もらった一秒後には口の中に入ってたし。
――15:00
おやつを食べ終わった後、子供達は外で遊ぶらしい。食後に適度な運動は必要。私は何も食べていないけど。
ユーシス達は先に礼拝堂の外に行ったので、とりあえず私も後に続こうとしたら、「フィーちゃん、ちょっと待って」とロジーヌに呼び止められた。
「なに?」
「さっきは本当にありがとう。クッキーまた焼いたから、よかったら後で食べてね」
そう言って、ロジーヌはクッキーの入った綺麗な包み紙を手渡してくれた。
「ん、ありがと」
さっきのクッキー、いい匂いがしてたから、ちょっと嬉しい。
包みを制服のポケットにしまってから、改めて礼拝堂の外に出ようと思ったら、扉が開いてユーシスが子供達と一緒に戻ってきた。
外で遊ぶんじゃないの? 子供達の頭の上から開いたままの扉の外を見てみると、そこにはマキアスの姿が。
また喧嘩したのかな。それならいつものことだけど、いつもの通りめんどくさい。
「……あ」
マキアスの手にあるものを見て、私は思い出した。
あれはガーデニングショップの苗を入れる専用筒。何回かもらいに行ったことがあるから一目でわかる。
ジェーンの所に行くのすっかり忘れてた。でもなんでマキアスが持っているんだろう。
もちろんあれが園芸部用の物とは限らないけど、マキアスが何か言いたげな目をして私を見ていたし、どうやら学院に向かうみたいだから、多分エーデル部長宛てで間違いなさそう。
「ふん、まったく口の減らん男だ」
やっぱり軽く口論してきたらしいユーシスは、戻ってくるなりそんなことを言う。
「いや、どっちもどっち……」
言いかけた私の言葉は、今日一番睨みを効かしたユーシスの鋭利な瞳に制されてしまった。
――15:30
「フィーちゃーん? 探しましたよ~、うふふふ」
そんな声と同時に、私の肩に手が置かれた。いや、掴まれた。声の主は振り返らなくても分かるけど、それでも一応振り返ってみる。
案の定、そこには眼鏡をぎらりと光らせた委員長の姿が。
口元は笑っているけど、目が見えないからちょっと怖い。ずいぶん疲れているみたいだけど、そこまで必死に私を探したのかな。だとしたら少し反省。
「……つかまっちゃった」
「ふふ、つかまえました。ここに来るまで長かったですが……」
「何かあったの?」
「アクシデントです。それもとびきりの……ふう」
ここまで疲れ切った委員長は珍しい。いつも胸前で整えられているリボンはよれていがんでいるし、赤い学院服は所々が汚れて、煤けていたりもした。一人で旧校舎散策を三往復したぐらいの憔悴ぶりだ。
私を連れて礼拝堂の外に出ると、委員長は《キルシェ》へと向かった。ユーシスの先生ぶりを最後まで見てみたかったけど、まあ仕方ないか。
「喫茶店? ここで勉強するの?」
「ええ、オープンテラスで。たまにはこんなのも悪くないかと」
「いいと思う」
テラスの椅子に座ると、委員長は色んな参考書や図説をテーブルの上に並べていく。
いつも私の為に色々考えて用意してくれるみたい。ありがたいんだけど、量が半端じゃなく多いのが難点。今日も大量だ。
「はい、では始めますよ」
「あ、委員長。その前に――」
さすがにもう限界だった。
「何か食べていい?」
――16:00
実は委員長もお腹が減っていたらしく、その提案には「仕方ないですね」と言いながらも乗り気で応じてくれた。
《キルシェ》の名物メニューであるスペシャルピザを二人で完食した後、改めて参考書を開く。
「お腹いっぱいで眠気が……」
「寝ちゃったらタバスコでいたずらしちゃいますよ?」
「それは……やめて」
委員長の冗談は分かりにくいけど、最近は本気かどうか何となく分かるようになってきた。ちなみに今のは割と本気だ。タバスコで何をされるのか想像できないけど、とりあえず何もされたくない。
「導力は採掘された七耀石から生み出されて、七種の属性に分かれます。その特性は――」
「ふあ……」
「うふふ、フィーちゃん?」
委員長の手がタバスコに伸びる。起きるからやめて。とりあえずタバスコの瓶を委員長から遠ざけた。なんか今日の委員長攻撃的。
でも実際の所、委員長がこうやって勉強見てくれるから、何とかⅦ組のカリキュラムに付いていけてる。実技はともかく座学はさっぱりだし。今日の子供達みたいに日曜学校に行っていたわけじゃないから、一般科目の基礎知識は他のⅦ組の皆より多分乏しい。
戦闘における常識や戦場の機微は、下地がある分理解しやすいけど、導力学や歴史は正直だいぶしんどい。だって今までの人生で必要なかったし。
導力の仕組みを理解しなくても敵を倒すことはできるし、国の成り立ちを知らなくても今日一日を生きることはできる。国家の情勢やパワーバランスは意識するけど、まずは国の過去より自分の明日だった。
武器の手入れ、火薬の扱い、毒草の見分け方、星の位置から方角の割り出し、太陽を使った時刻の把握。
全て生きるために必要な技能だ。
普通の人が普通に生きるための知識なんて、私には必要のないもの。そう思っていた。
例えば、花を育てる方法、だとか。
「起きてますか? フィーちゃん」
「ちゃんと聞いてるから」
参考書から目を離して、委員長に視線を上げる。委員長はにこりと笑って「じゃあ問題です」と自分のノートをめくった。
「導力革命が起こったのは何年前?」
「三十年前……くらい?」
「うふふ」
「タバスコは……だめ」
ユーシス先生より厳しい。エリオットが音楽に対して妥協しないように、委員長も勉強に関しては結構容赦がなかったりする。
それでも委員長はわかりやすく教えてくれて、私も珍しく眠らずにペンを動かすのだった。
まあ、昼寝もしたし、礼拝堂でも寝たしね。
――17:30
「疲れた」
「今日はフィーちゃん、頑張りましたね」
予習と復習をしっかりやるように言われたけど、委員長は毎日やってるのかな。前の試験は総合一位だったし。マキアスが試験結果の張り出された掲示板の前で、石像みたいに固まってたっけ。
「それじゃあ、今日はここまでに……あ」
中央公園に目を向けた委員長が、何かに気付いた。
私もその方向に視線を合わせる。こっちに向かってガイウスが歩いてくるところだった。その後ろに見慣れない男の子と女の子を連れて。
「あら、ガイウスさん」
「ん、勉強中」
勉強はもう終わりだけど。ガイウスもラウラとの用事は済んだみたい。
「ガイウスさん、その子達は?」
委員長も後ろの二人が気になった様子で、ガイウスに聞くと「ああ、実は――」と簡単に経緯を説明してくれた。
トリスタ駅前で道が分からなくなっていた兄妹だけど、あまり自分達の事を話さないので、とりあえずガイウスが町の案内がてら面倒を見ている、といった感じ。
相変わらずだけど、Ⅶ組にはお人好しが多い。筆頭はもちろんリィンだけど、ガイウスも委員長も、意外にアリサとかもその傾向がある気がする。頼まれたら何だかんだで断れないタイプかな。
リィンに関しては関係ないトラブルまで自分から拾いに行く変なところもあるけど。
「ん……」
ガイウスの後ろ二人を見てみると、男の子はともかく、女の子は人見知りなのか、お兄ちゃんに隠れて怯えているようだった。
おもむろに委員長が椅子から立ち上がる。その子の前にいくと、そっと頭を撫でてあげた。
「お母さんに会いに来たんだ。えらいえらい」
「……あ」
女の子は安心したように頬を赤らめてうつむいている。でもまだ少し緊張しているみたい。
そうだ。自分のポケットの膨らみに気付いて、私はそれを取り出した。
「ん、クッキーあげる」
ロジーヌからもらったクッキーだ。正直、ちょっと食べてみたかったんだけど仕方ない。
女の子は戸惑っているみたいだったけど、私の渡したクッキーを一口かじった。
「これ、おいしい」
食べるなり、今まで無口だった女の子が口を開き、初めて笑った。残りのクッキーもあっという間に口の中に消えていく。
そういえば礼拝堂の時も女の子が一瞬で泣き止んでたし、ロジーヌのクッキー、スペック高すぎ。
クッキーの効果なのか、少し気を許したらしい男の子がガイウスに目的の場所を伝えていた。この後、学院まで行くことになったらしい。
「俺たちはそろそろ行くとしよう」
ガイウスが二人を引き連れ、学院へと向かう。去り際に女の子は「おねえちゃん、ありがとう」と小さく手を振ってくれた。
手を振り返す私を、委員長が優しげな表情で見ている。
「フィーちゃん、お姉さんでしたね」
「別に。クッキーあげただけだけど」
礼拝堂の時と一緒だ。クッキーを渡しただけで、お姉ちゃんだとは思えない。そんなことを思っていたら「違いますよ」と委員長が笑った。
「ほんとはフィーちゃんもクッキー食べたかったんでしょう? でも自分は後回しにして女の子に渡してあげたんですから、それはあの子にとって優しいお姉ちゃんですよ」
「……よく分からないけど」
そうなのかな。でもそう言う委員長も自分の時間を削って、私に勉強を教えてくれている。だとするなら、私にとって委員長は優しいお姉ちゃんということか。
ふと思い至って、少しだけ胸の奥が暖かくなった。同時にやっぱり反省。
「今日図書館に行かなくてごめんね」
ちょっとだけ意外そうな表情を浮かべた委員長は「いいんですよ」と首を横に振った。
「私も色々寄り道して、思い返すことがありましたから」
「何が?」
「ふふ、秘密です」
出た。委員長の秘密。でも今日の秘密は軽い感じ。私には委員長がいつもより明るく笑っているような気がした。
「委員長はお姉ちゃんっていうより、お母さんって感じだよね」
「お、お母さん!?」
「じゃあ、お父さんは誰になるんだろ? やっぱり――」
「フィーちゃん! フィーちゃん!」
耳まで真っ赤にした委員長はグラスの水を一気に飲み干した。
「そ、そろそろ行きましょうか。今度は時間通りに来て下さいね、探し回るのは……何かとトラブルが付きまとうので……」
最後に言葉を濁したのは何でかわからないけど。
だけど委員長は頭いいけど、どこか天然というか。
「いつも思うんだけど、《ARCUS》で連絡したらいいんじゃない?」
委員長の動きが静止し、しばらくすると「ふうう」と息を深く吐きながらテーブルに額を付けた。
委員長も何かと大変なんだね。
――18:00
「あらあら、フィーちゃんいらっしゃい」
「ども」
麦わら帽子のリボンを風に揺らしながら、エーデル部長が花壇で微笑んでいる。委員長よりもお母さんな人がそこにいた。
委員長との勉強が終わって、私は園芸部の用事でもう一度学院まで来ていた。日差しもずいぶん和らぎ、風にも涼しさを感じる。外での作業には丁度いい気温だ。
「今日はね、新しい花の苗を植えるの。何でか分からないけど、さっきマキアスさんていう男の子が苗を持ってきてくれたわ」
「ん、知ってる」
やっぱりマキアスが持ってきてくれたんだ。その辺の詳細を聞かずに苗だけ受け取るあたり、さすがエーデル部長。
「それじゃあ、苗を植えましょうか。今日はヴィヴィちゃんが二人いるから助かるわ」
「え?」
花壇の奥に目をやると、薄ピンク色の髪の女子生徒が二人揃って、土を運んだり、水を撒いたりしている。
髪型がどちらも同じなので、片方は髪を下したリンデだろう。そういえば昼前にあった時、二人はエーデル部長を驚かすとか言ってたっけ。
どっちがヴィヴィか分からないけど、とりあえず近くにいる方に寄って声を掛けてみた。
「ねえ、驚かすって言ってたのどうなったの」
「あ、フィーちゃん。それが聞いてよ」
話しぶりからして、どうやらヴィヴィだ。
「エーデル部長の前にリンデと二人で立ってみたんだけど、部長ってば驚くどころか『まあ、ヴィヴィちゃんが増えたわ』とか言って、当たり前のように仕事を割り振ってきたのよ」
「部長……すごいね」
「私は“こっちのヴィヴィちゃん”でリンデは“あっちのヴィヴィちゃん”て呼ばれてるんだから!」
“あっちのヴィヴィちゃん”ことリンデは「なんで私が~」とかぼやきながら花壇に水を撒いている。
「あんまり水あげ過ぎちゃダメだから」
「うう……了解です」
リンデの方がお姉ちゃんなのに、妹のヴィヴィに振り回されてる。姉妹の形も色々なんだ。
私はエーデル部長と一緒に新しい苗を植えることになった。
一度掘り返して柔らかくなった土に、苗を一つずつ丁寧に植えていく。作業自体は単調だけど、エーデル部長は鼻歌交じりで楽しそうだ。
「部長は花や野菜を植えるのが好きなの?」
私がそう聞くとエーデル部長は「育てることが好きなんです」と手は休めずに答えた。
「お野菜もお花もね、お店で売ってるものだけ見ると、初めからそういう形のものだって勘違いしそうになってしまうんですが、でも誰かが小さな苗や球根から手間暇をかけて作って下さったものだと思うと、温かい気持ちになれるんですよ」
「それは……」
なんとなく分かる。花を育てて知った。
花は日に当たりすぎても、水をあげ過ぎても枯れてしまう。当たり前のように道端に咲いている花は、たまたまその場所の環境がよかっただけで、実際はつぼみにすらならず枯れていく花の方が多い。
そんな道端の花なんて園芸部に入るまでは気に留めたことすらなかった。それどころか、少し前までは平然と踏み歩いていただろう。
植物は食用かそうでないか。毒性があるか薬効があるか。そんな認識しかなかった。
「そうやって自分が一生懸命作ったお花やお野菜を、誰かに渡して喜んでもらった時が一番嬉しいんですよ」
「誰か?」
「誰でもいいですよ。友達、恋人、家族、仲間。フィーちゃんには自分が育てた花をあげたいと思う人はいるかしら?」
私は少し考える。でも答えは出ていた。
「いるよ」
最後の苗を植える。
手がかかるのに、花を育てることは、めんどうじゃない。
エーデル部長も持っていた苗を植え終わり、後は片付けをするだけ……なんだけど。
「ちょっと休憩」
今日は頭を使いすぎて疲れた。中庭のベンチに座って一休みだ。
「……ふあ」
やっぱり眠気が襲ってきた。あれだけ昼に寝ても足りないみたい。そういえばここは、今日昼寝したのと同じベンチだ。
「花をあげたい人……か」
私が花を育ててるなんて知ったら、団の皆はどう思うかな。……もし生きていれば団長も。
今、私が花をあげたいと思うのは、やっぱり仲間の皆。家族とは……少し違うけど、この場所は猟兵団にいた頃とは別の心地良さがある。
「ふああ……」
ああ、そうか。いつでもこんな風に眠れるようになったのは――
一人じゃなくなってからだ。
「………」
もし皆が家族だったらどんな感じだろう。サラがお母さんだとして、クロウが遊んでばかりの長男。ガイウスがしっかり者の次男。ユーシスとマキアスはケンカばかりの三男、四男で、その下に仲裁役のリィンとエリオットがいる感じかな。
女子は……エマが皆に優しい長女、ラウラはまとめ役の次女。アリサは……反抗期の三女? その下に私がいてミリアムがいる。
それは、賑やかで……楽しそうだね。
「あー、部長。フィーちゃんこんなところで眠ってますよ」
ヴィヴィ? リンデ? まだ起きてるよ。もう目は開かないけど。
「あらあら、でもいい夢見てるみたいだし、片付けが終わるまでそっとしておいてあげましょう」
「なんでいい夢ってわかるんですか?」
意識がまどろみに沈む寸前、最後にエーデル部長の優しげな声が聞こえた気がした。
「だって、フィーちゃん笑っているもの」
~FIN~
最後までお付き合い頂きありがとうございます。今回はフィーの一日でした。
前回のエマ編はドカーンな回だったのでフィー編はおとなしめに……という意図はなかったのですが、結果として一番平穏な一日になりました。
フィーは生い立ちのこともあるのか、一人でいるところをよく見ますので、今回は日曜学校の子供達、クレイン兄弟、双子姉妹と家族を感じられる人達との接点が多くなっています。そもそもフィーは愛想が少ないだけで、冗談も言うし、人付き合いもそんなに悪くないですからね!
余談ですがフィーにセプターつけて敵陣ど真ん中でSクラフト。セピスを稼げや稼げで重宝した方も多いのではないでしょうか。次作でもがっつり財布事情を助けて欲しいものです(笑)
さて一日シリーズも詰めに入ってきました。次回の『そんなⅦ組の一日』はエリオットです。といいますか、ここまできたらエリオット→アリサ→リィンの流れに自然に落ち着きますよね!
次回もお楽しみにして頂ければ幸いです。