「ふむ、出来たみたいだな。よし、食え」
「あ、ああ。ありがとう」
……どうしてこうなったのだろうか。
俺は曹操から渡された茶碗を受け取りながら、ぼんやりと考える。といっても理由は単純で、曹操と出逢った後彼について来てくれと言われ、警戒しながらついて行くとそこは少し開けた洞窟で、そしたら曹操が突然さきほど狩ったドラゴンを調理しだしてその完成品を受け取っただけなのだが。
うん、自分で言っておきながらさっぱり分からん。というかこの男はいったい何を考えている?
「どうした、食わないのか龍汁。ああ、もしかして食べたことがなくて心配しているのか? 安心しろ。臭みは取ってあるから匂いはしないし、味も保障する」
「あ、いや。ちょっと考え事していただけだ。在り難くいただくよ」
「そうか。ならいい。冷めないうちに食べたほうが美味いからな」
曹操はそう言うと残りのドラゴンの肉をナイフで解体し始めた。俺はそれを片目で流し見しつつ、手元の茶碗に視線を落とす。
一見するとただの豚汁なのだが、龍汁の名前の通りにおそらく使われている肉はドラゴンのものなのだろう。というか先程ドラゴンの肉を鍋の中にドボドボ突っ込んでいくのが見えていた。
「…………」
茶碗を数秒じっと眺め、意を決して口に運ぶ。ドラゴンの肉という未知の食材に少々不安が残るが、先程曹操が言ったことを信じよう。流石にクソマズいものを勧めようとはしないだろうし、せっかくの配慮を無礼で返すわけにもいかないし。
「…………(ごくっ)」
汁を口に含み、そのまま喉に流し込む。その味は…………
「美味い………!」
思ったのは、ただそれだけだった。いや、それ以上の感想が浮かばなかったというべきか。旨味を伝える舌という感覚器官が全身にも広がったような感覚。ドラゴンの肉から出るエキスが鍋の汁を別格まで進化させている。あまりの美味さに言葉が出ないとはまさにこのことだろう。
「どうだ、美味いだろ? 俺も最初食べたときはあまりの美味さに感激して絶叫してしまったほどだ」
「ああ、本当に美味しいなこれ。なにか特別な調味料とか使っているのか?」
「いや、正真正銘ドラゴンの肉以外は普通のものだ。ドラゴンは鉄など簡単に弾くほど頑丈な皮膚で覆われている分、肉がとても濃密で美味になる。なので大半の肉料理には合うな」
「へえ……ん? じゃあどうやって捌いてんだ? そんな頑丈な皮膚ならとてもじゃないが肉を取り出せないと思うんだが」
「ああ、そのことか。それならこれを使っている」
曹操はそう言うと今まで解体していた時に使用していたナイフをこちらに渡してきた。中々質量があるが、とても使いやすそうな感触をしていた。
「これは俺の仲間がくれたものでな。何の特別でもないただのナイフだが、頑丈さだけは名刀と呼べる品物だ。まあともかく、そのナイフならば並大抵のものを切断できる」
「へえ…………」
手元のナイフに視線を落とす。先程まで肉を刈り取っていたのにも関わらずその刀身は曇りなく、如何にこのナイフが素晴らしいものかが伺える。
しばらくナイフを眺めていると、ふと曹操が尋ねてきた。
「そういえば、まだ名前を訊いていなかったな」
「あぁ?」
「名前だよ名前。俺は最初に名乗ったけど、まだ君からは訊いていないだろ? もしよければ教えてくれないか?」
「ああ、そういやそうだったな。俺の名前は兵藤信貴」
「兵藤信貴……なら信貴と呼ばせて貰おう。ああ、この響きは実に君に似合っている」
「…………」
「うん? どうかしたか? そんな変な顔して」
「いや……」
こいつ、真面目な顔で何を口走っているのだろう。あまりに自然に言うもんだから背筋がゾクッと寒気が走ったぞ。
「おまえ、そういう歯が浮きそうな台詞は女に言うべきだろ」
「……? 何を言っている? 名前を褒めるのに男も女も関係ないだろう」
「――――」
至極当然そうに返答する曹操。その様子を見て確信する。
――――ああ、こいつ完璧な女たらしだ。それ天然の。
「どうした? なぜ俺の顔を見て残念そうに溜息を吐く?」
「……いや、なんでもないから気にするな」
不思議げな表情を浮かべる曹操にひらひらと手を振って溜息を吐く。曹操は俺の様子に首を傾げていたが、その理由は分かっていないだろう。
ああ、こいつと将来を共に過ごす奴を心から同情する。顔もいいし、きっと間違いなくモテるだろう。
「ふむ、何やら馬鹿にされた気がするが……まあいい。それよりも、信貴は何故こんなところにいる? 見たところ、好んでここに来たようには見えないが」
「ぅ…………」
絶対訊かれると思っていたが、こうも直球で訊かれるとは。仕方ないので少々内容を誤魔化しつつ話す。
「まあ、なんて言うかさ。俺の友達と本来なら別のところに行く予定だったんだけど、気づいたらここに居たみたいな……」
「ふむ。それは災難だったな」
「というか、反対に訊くけどおまえは何でこんなところにいるんだ? もしかしてずっとここに一人で暮らしているとか?」
「いや、そういうわけではない。俺がここにいるのは鍛錬のためと、それから会いたい人がいてな。ずっとここに住んでいるわけではないよ」
曹操はそう告げるとおかしげにクスクス笑う。それからじっと俺のことを視る。
……その視線に、何やら途方もしれない悪寒を覚える。何処かで感じたことがあるような奇妙な感覚。そう、あれは――――
「しかし……珍しいな。本当に」
「あ、ああ。確かにこんな場所なら誰かと出逢うのは珍しいことかもな」
「ああ、それもあるが……」
曹操は呟いた次の瞬間。
「――――本当に、君のような存在は珍しい」
「――――ッ!!」
それはもはや本能的回避だった。無意識とも云えるほど自然に脳がなにか命令を身体に送るよりも早く反射的に後方五メートル近く跳んだ。
手元の茶碗をなりふり構わず落とし、自ら取った行動と跳んだ距離に驚愕するが、その驚きは曹操を見た途端にかき消された。
「…………ほう。今のを躱すか」
曹操の手元。そこに一本の神々しい槍が握られている。先程のドラゴンを一撃で絶命させた槍。それが、俺が先程まで居た場所に存在していた。
間違いない、こいつは俺を殺す気だった…………!
「何の真似だ、曹操……!」
「いや、確かめたいことがあってな。君が本当に俺の求めた者だったのか、それを確かめさせて貰った」
曹操は身体中に覇気を漲らせながら、ゆっくりと立ち上がった。側にあった龍鍋がそれと共にひっくり返り、全て零れ落ちる。あれほど丹精に作っていたものだというのに、彼は一瞥すらせずただこちらを見ている。
だが、少し彼の発言に疑問を感じた。
「……もし、俺がおまえの求めた者じゃなかったらどうするつもりだった」
曹操の振るった槍は明らかに俺が存在した場所を貫いていた。もし、あのとき避けなければ俺は確実に殺されていただろう。
だから、止める気はあったのかという問いに対し。
「そのときは殺していたさ」
当然だろ? とでも言いたげに、曹操は断言した。
「――――」
その発言に思わず息を呑む。間違いない、こいつは俺が躱そうが躱せまいが関係なかったのだ。躱せたなら良し、躱せなかったのなら所詮その程度だった。ただそれだけ。
その考えに怖気が走る。この男は、いとも容易く人の生命を奪える者だ。例えその直前まで仲良さげに話していたとしても、いざとなれば何の躊躇いもなくその相手を殺せる。そういう人間だ。
しかし、だからこそ疑問が残る。
「なんで、そんな面倒なことをする?」
こいつが何を考えているのか全く理解できない。何が目的か、何を企んでいるのか、曹操の行動からはまったく予想が付かない。ゆえにそれが恐ろしくて仕方ない。
「俺をいったいどうするつもりだ」
「どうする? ……ふむ」
俺の質問がそんなに意外だったのか。曹操は思案顔になり、僅かに眉を顰める。
「俺はただ、君と話がしたかったんだがな」
「な…………」
曹操の言ったことに息を呑む。ふざけてるのかと言ってやりたいが、彼から満ち溢れている圧迫感が、それ以上口を開くことを赦さない。
いや、それだけじゃない。こいつは今、何か危険なことを口にしようとしている。知ってはならない、けれど知らなければならない何かを…………
「信貴。君は総ての始まりがなんであるか知っているか?
ゼロ。全ての原因。あらゆる現象が流れ出したもと。有り体に言えば「真理」「究極の知識」。全ての原因であるがゆえに、全ての結果を導き出せるもの。アカシックレコードと呼んだりもするものを」
「…………」
知っている。それがなんであるか、俺は知っている。知っているからこそ、俺は驚愕していた。なぜなら、それは本来この世界には存在しない意味なのだから。
この世界に生まれる前の記憶。ほとんど忘れてしまった前世の知識。それは全知全能であり、魔術師たちが目指すもの。永遠に辿り着かない、辿り着いても消されてしまう“魔法”の領域。
その名は。
「根源の、渦…………」
「ほう、知っているのか。なら話は早い。君が何処でその知識を知ったのかは気になるが、まあ今は些細なことだ」
曹操は己の手に在る槍を俺に見せつける。
「この槍を持っているせいか、俺はそれに僅かに繋がっているらしくてな。様々な知識を知ることが出来た」
「な…………」
今、こいつは何と言った? 根源の渦と繋がっている? それは即ち、世の理すらも書き換えられる全知全能だということに――――
「生憎だが、そこまでではないさ。繋がっているといっても能力を行使できるほどではない。精々知識を知ること程度だ」
俺の考えを見抜くように曹操が補足する。なら、その知識とはいったい?
「そうだな。たとえば――――英霊、などはどうだ?」
「――――」
その言葉に俺は呼吸を忘れた。
「過去・現在・未来を問わず、あらゆる時間の中で存在した英雄たちの霊。神話や伝説の中でなした功績が信仰を生み、その信仰をもって人間霊である彼らを精霊の領域にまで押し上げた人間サイドの守護者。英霊を英霊たらしめるものは信仰――人々の想念であるが故にその真偽は関係なく、確かな知名度と信仰心さえ集まっていれば物語の中の人物であろうがかまわない。『世界』の外にある『英霊の座』に留められ、輪廻・因果を超えた不変のものとなっている存在。それが英霊だ」
「……それが、なんだって言うんだ」
その続きを訊きたくなかった。それ以上聞かされれば、知りたくなかったことを知ってしまいそうだったから。
「そう睨むな。…………ふむ。実は数週間前、俺は何者かが英霊と覚醒したのを感じ取った」
「――――」
数週間前。それは、あの日のことを言っているのか。姫島家の惨劇。そして俺の異変を。
「別に不思議なことでもないだろう。俺は根源と繋がっている。なら、その程度は把握できて当然だ。
だが……その俺でも、
曹操は愉快げに笑う。そのことがおかしく、そして愉しそうに。
「今までそんなことは一度もなかった。見えずとも、英霊の魂を宿しているならば誰なのか、そしてどの英霊なのか感じ取れた。だが、その人物だけは誰でどの英霊なのか理解できなかった。そんなことは生涯で初めてだったからな。あのときは驚愕したよ。
そして。俺はその人物に興味を持った」
曹操の視線の質が変化する。真正面で対面しているだけで精神が削られていく。その瞳を見るだけで身体が震え出しそうになる。
「だが、その人物は普段強大な力と共に居た。こちらの干渉にも影響を与えるほどの力。だから時が来るのを待った。そして今日、その人物は次元の狭間に侵入してきた。次元の狭間なら力が拡散する。だから、ゲオルクに頼んで次元の狭間に入って来たのと同時にこちらに送りこんで貰った。言っただろう? 会いたい人がいると」
そう言われて、ようやく気づく。あの時感じた観察するような視線。その主がこの男だということに。
「ここはゲオルクが作り上げた異界でね。ここに入るにはゲオルクが許可したものか。或いは次元をこじ開けられるものしか入れない。
「…………」
オーフィスでも暫く時間が掛かる。それはつまり、あのオーフィスでも見つけるのが困難だということだ。その事実に、俺は喉の唾を飲み込んだ。
「君と出逢って、初めは目を疑ったよ。君は英霊の力を継承していながら、自我を確立させていた。しかも継承は不完全というアンバランスないつ崩壊してもおかしくない状態で。いや、もしくはそのおかげだったのかもしれない。本来ならば英霊の力を継承すれば、その魂は英霊のものに染まる。元々同質の魂だ。ならば、強い色に染まるのは当然だろう。
しかし君の継承は不完全だった。まるで欠けたものに似たようなものを強引にくっ付けるように。だから継承は不完全で、英霊も不明だったのかもしれない。だからこそ、不思議に思う」
曹操はこちらを見抜く。全てを見通すように、俺という存在を観察する。
「君は初めてのケースだ。本当に英霊の魂を宿しているのか? いや、そもそも…………」
「――――君は、何者だ?」
『シキ、よく分からない。シキのような存在初めて見た。シキ、他の者と何か違う。我も理解出来ない』
その問いは、なぜかオーフィスの言葉を思い出させた。
「…………」
その問いに俺は答えられない。なぜなら、自分が一番分からないからだ。
俺は、いったい何者なのか。本当にただの人間なのか。あのときの俺の力は本当に英霊のものなのか。分からないことが多すぎて、理解できないことが在りすぎて、俺は答えることが出来なかった。
「答える気はなし、か」
俺の様子に曹操は静かに呟く。そして、それとは反比例して膨れ上がっていく威圧感。
「本当に継承は不完全なのか。それとも、或いは寝ぼけているのか」
「曹操…………?」
何やら呟いている曹操。何と言ったのか聞き取れず、もう一度言って貰おうと思い、
「――――なら、俺に君の魂の輝きを魅せてくれ、信貴」
刹那――――黄金に輝く神々しい神槍が俺に向かって放たれた。
今回の戦いでようやく自分の能力に気づけそう。
あとオーフィス燃え萌え隊の諸君、しばらくオーフィスの出番はないぞ。これからは信貴と曹操のホモホモしい話が続くぞ!