―――ふと、目が覚めた。
まるで朝に意識が覚醒するように何の自然もなく目蓋が上がる。辺りを見回せばそこは先ほどまでいた場所ではなく、何処か幻想めいた暗闇が続く空間だった。自分以外存在するものはなく、ただ永遠と闇だけが支配している。
おそらくこれは夢だろう。夢の中で目が覚めるという表現は何とも矛盾している気がするが、明晰夢と同じように意識だけがはっきししている状態なのだろう。でなければこの光景が現実のはずがない。
それを理解して、しかし何処か懐かしい感覚に首を曲げて―――ふと、その存在に気が付いた。
己の手の内に無意識で握られていた剣。それは何も存在しないこの世界において唯一存在するもので、そしてこれこそが自分が求めていたものだと直感的に理解する。記憶が曖昧で、自分が何をしていたか正確な詳細は覚えていないが、それでも”力”を求めていた事だけははっきしと記憶している。
この剣がどういうものなのかは知らない。だがこの剣を手にした時、自分は嘗て無いほどの力を得られるという確信が脳裏を横切る。それを理解して、剣を引き抜こうとするが――
「くっ……!」
だが抜けない。びくりともしない。まるで剣自体が意思を持って担い手を拒否しているように突き刺さった剣が地面から離れない。どれほど力を込めて引き抜こうとしても微動だにすらしない。
何故だ、なぜ抜けない? 俺には力が要る。この剣さえあれば
「―――当然だろう。それは心そのもの。心無き人形に扱えるはずがない」
「――――」
ふと、声がした。己のすぐ背後。一歩の距離もない場所に誰かが要る。振り返る事は出来ない。声は流暢で穏やかな口調だが、その殺意は死そのものだ。振り返ろうものなら容赦無く首が飛ぶ。夢など現実など関係なく、兵藤志貴という存在は絶命する。それが本能的に察したからこそ、微動だに動くことすら出来なかった。
だが、どうしても聞き捨てならない事が在った。だからこそ死を覚悟してでも尋ねずにはいられなかった。
「俺が……人形だと……っ?」
「違うと言いたいのか? 自分は血の通った人間だと? 意思を持って動き、彼らと共に生きていると? ハッ、滑稽極まりないな。そもそも、おまえという存在など何処にもいないというのに」
愉快そうに嘲笑する声。誰かも分からぬ輩に己の事を知っているかのように告げられるのは酷く癪に障るが、今は何故かその言葉に反論できない。いや、何処かでその言葉に反応してはならないと脳裏で叫んでいる。
それは、兵藤信貴の根底を破壊するものだと――――
「ならば此処で一つ例え話でもするとしよう。おまえのその眼に宿っている魔眼、『直死の魔眼』。対象の「死期」を視覚情報として捉え、その視覚情報をもとに対象を「殺す」ことができる能力。生命活動を終わらせるのではなく「存在の寿命」を殺し、その始まりの時から内包している「いつか来る終わり」を具現化させる魔眼。まともな人間ならば良くて発狂、普通ならば廃人となるだろう」
「それがどうした……!」
確かに俺はその眼を持っている。今でも気を抜けばそれが見えてしまうし、その世界に絶望して何度も狂いそうになった。それでも俺はこうして生きて―――
「――――ならば逆に聞こう。おまえという人間は、それほどまでに非凡な人間だったか?」
「――――」
声が、死んだ。
「死とは生物にとって最も脅威となるものだ。生とは対極の概念だからこそ、生物は死を恐れる。嘗ておまえと同じように『直死の魔眼』に目覚めた者がいたが、彼らは皆死を恐れた。死に限りなく近い場所にいたとしても、だ。だがおまえは違う。おまえは死を恐れているのでもなく、死を許容しているのでもない。―――おまえの魂は、とっくに壊れて死んでいる」
息が、死んだ。
「弟を殺した相手を理由があったから許す? 阿呆か、感情というものはそう簡単に受け入れられる物ではない。数十年共に過ごしてきた家族と見知らぬ他人、どちらを優先するなど決まり切っている。なのにおまえは意図も簡単に許した。その理由は単純だ。―――そもそも、おまえは弟が死んだ事に何も感慨浮かんでいなかったからだ」
鼓動が、死んだ。
「一瞬激昂したのは嘗ての自分ならそうするだろうという先入観からだ。今のおまえはただ過去の自分の行動を模倣しているだけの人形にすぎない。まるで舞台に登場する都合の良い
思考が、死んだ。
「理解したか? 今のおまえは、兵藤信貴は、ただの抜け殻だ」
心が――――死んだ。
否定しようとして口を開くが、口が動かない。いや、口だけでなく身体自体身動きが取れない。そもそも、否定しようとする気持ちすら偽りだった。胸にぽっかりと空いた隙間が、それを真実だと肯定している。剣の柄を握る腕の感触が、何処か遠い出来事に思えて仕方ない。
頭の片隅では理解していた。もう自分がとっくに壊れていることに。それでも必死に自分はまともなのだと取り繕って自分自身を誤魔化していた。何の感情も浮かんでいないのに、嘗ての自分を思い出して必死に演技していた。沸き上がってくる憎悪、殺意、憤怒もそれが借り物なのだと薄々感づいていた。
なら―――俺はいったい―――何処にいる―――?
「何処にもいない。初めから死んでいる者が何処かへ行けるはずがないだろう。安心して消えるといい、信貴。おまえの代わりにオレが役目を果たしてやろう」
足元から闇が這い上がり、身体を覆い尽くしていく。殺意、憤怒、憎悪。底知れぬ負の泥が身体を飲み込んでいき、兵藤信貴という人格を消滅させていく。
消える。消える。消える。ただの抜け殻である人形にこの感情は耐え切れない。作り替えられる。塗りつぶされる。思考が闇に染まり、意識が黒に穢されていく。自分には何もない。何も、何も、何も…………。
………………。
…………。
……。
――――本当にですか?
消えていく意識は、疑問の囁きによって寸前のところで踏み止まった。それが幻聴かもしれない。けれど、その囁きには何処か強い意思が込められていた。
――――なら、貴方は何故、戦うことを選択したのですか?
「――――そ、れ――――は――――」
……いったい何だっただろう。何で俺は、戦うことを選んだのだろう。何か、大切な事が在った気がする。とても大切で、譲れなくて、その為ならどんな苦難も耐えれると思った何か。そう、あれは確か―――
『――――シキ』
「――――ァ―――――」
嘗て、独りぼっちの女の子がいた。孤独の意味も知らなくて、寂しいという気持ちも理解していなかった無垢な少女。居場所を奪われ、平穏の意味も分からず、孤高な姿がなぜかとても許せなかった。
だから、一緒にいたいと思った。
『――――頼りにしているわ、信貴』
『――――任せるっスよ、信貴!』
『――――あなたならきっと大丈夫です、信貴』
『――――貴様なら出来るはずだ、信貴』
嘗て、全てを奪われた少女がいた。それでも諦めず不屈の精神で努力して栄光を掴もうとした。そして、そんな彼女だからこそ傍にいたいと仲間が一緒になって明日を掴もうと今を必死に生きている。
だから、守りたいと思った。
確かに、兵藤信貴は伽藍洞なのかもしれない。抜け殻で、道化で、与えられた力も借り物なのかもしれない。だけど、それでも―――
「あいつと一緒に居たい。あいつらを守りたい。この思いは過去の模倣でもなく、借り物の思いでもない。この気持ちは、この思いは、この信念は、他の何でもない。俺の、兵藤信貴の心から湧き上がってきた物だ――――!」
心は死んだ。ならそれで終わりか? 違うだろう。たとえそれがちっぽけな物だとしても、他の者にとって取るに取らない価値しかないとしても、それは正真正銘俺の心から現れた思いだ。
心は消えない。死んでも蘇る。何故なら心とは、魂とは
だから――――
「――――それが、貴方の心ですか」
闇が晴れる。身体に纏わり付いていた黒い泥が崩れ落ちる。開ける視界の中、その姿を捉えた。俺の目前、剣を引き抜こうとしていた俺の行動を抑えるように剣の柄を押している男性。黒い西洋甲冑を身に纏い、真ん中で分けた黒髪の間から見える容姿は惚れ惚れするほど整っている。その瞳はまるで老人のように穏やかな眼だった。
「あん、たは―――」
俺はこの男を知っている。思い出せないが、確かに知っている。だが、俺が何かを言う前に男は剣から手を離し、一歩下がる。その瞬間、漆黒に染まっていた剣は嘗ての姿を取り戻すように、白銀の輝きを放ち出した。
――それは、嘗て彼の魔剣が穢される前の姿。同胞だった騎士の親族を斬る以前の聖剣。
「貴方になら、この力を託せます。私と同じ魂の持ち主よ。きっと貴方はこれからも多くの困難と立ち向かわなければならなくなる。それでも、その気持ちを忘れぬ限り、きっと乗り越えられる。貴方自身の答えを見つけ出した今なら、恐れる事は何もないでしょう。貴方は裏切りの騎士などではない。貴方は―――貴方なのだから」
そう告げて男は微笑んだ。それはまるで旅立つ息子を見送る父のよう。だから、もはや言葉は不要だった。託されたのだから、進まなければならない。剣を引き抜くために力を込めつと、今まで抜けなかったのが嘘のようにスルリと剣が引き抜けた。まるで、剣が担い手を認めたように。
そして――――
◇◇◇
同時刻。まったく同じ瞬間に、彼らは異変を感じ取っていた。それは偶然でも奇跡でもない。全ては定められていた出来事だからこそ、彼らは安易に気づく。
「……ドライグ、目覚めた?」
次元の狭間。そこを悠然と彷徨っていた黒髪の少女が視線を空に向ける。そこには何も存在しないが、彼女はその虚空を眺めながら己が掛けた枷が解き放たれたのを理解した。それは即ち、彼が戦っているということ。彼の神器の正体を隠すためであり、また力を与えるもの。
彼が戦っているという事は、つまり―――
「……シキ、後で説教」
あの人もまた、戦っているということに他ならない。そういう人なのだから、彼は。また自分には何も言わず傷ついているに違いない。それが許せなくて、無意識に少し頬を膨らませながら、次元の隙間を開いて移動する。
そして同時刻。世界の彼方にあり、また何処でもない空間の狭間。魔城の玉座にて、その男は笑っていた。
「―――なるほど、これも貴方の思惑か。随分と味な真似を魅せる」
そこには彼しかおらず、独り言なはずだ。しかし彼は虚空に向けてまるで会話しているかのように流暢な言葉を発していた。
「しかし、やはり彼と俺はどうやら対極の存在にいるらしい。あの時彼の奥底が見えなかったのはそのためか。何とも奇妙な運命だ。……いや、その運命すらも貴方の手の平なのだから、それは少し違うか」
ふと、一瞬男の髪と瞳が黄金に染まった気がした。捕食者を連想させる黄金の瞳で虚空を見下ろしながら、彼は呟く。
「ならば魅せて貰おうか、最後の使徒よ。――――君の目覚めを持って、全ての準備は整った。どうか、俺を退屈させないでくれ」
◇◇◇
それは小さな変化でありながら、激的な変化でもあった。
「なっ――――」
「これ、は――――」
彼らが放った最大級の必殺が粉砕される。百の光の槍は一振りの剣で吹き飛ばされ、破壊の砲光は赤き龍の力によって防がれている。先ほどまでの弱々しい姿はそこには存在しない。在るのはただ、答えを見つけた戦士の姿のみ。
「「――――力が欲しい」」
それは偶然にも、同時の瞬間だった。まるで絡み合うカドゥケウスの蛇のように、互いに共鳴し惹かれ合うように覚醒する。辿り着いた答えも、また一緒だった。
「「己の意思を貫くために―――」」
片や、それは絶対に刃が毀れることのない星に鍛えられし人々の願いの結晶。竜殺しの伝説を司る穢れ無き真実の聖剣。
片や、それは伝説の二天龍を宿し赤き奇跡。神をも滅ぼす神器の一つであり、あらゆる力を倍加させる暴力の籠手。
「「護るための力を――――ッ!!」」
『
『
ここに、二つの奇跡が具現化した。
本来ならこの場面で小猫とミッテルトの戦闘シーンを入れるつもりでしたが、保留という形で。
デュエル? ネタでしたが何か?