リアス・グレモリーとの邂逅から幾らかの日にちが過ぎた。放課後、表向きの部活が終了し、現在家に帰宅途中であった兵藤一誠はなぜか普段より数倍重く感じる鞄を背負いながら、深々と嘆息した。
「……悪魔って、大変なんだな」
その後ろ姿はまるで中年サラリーマンのようで、声を掛けるのを躊躇うほど消沈していた。それもそのはず、一誠が悪魔になってからこれまでの数日は波乱万丈な生活だったからだ。
まず初めの頃は、リアス・グレモリーの眷属を呼び出すための魔方陣が描かれたチラシを配るのが日課だった。これは悪魔として人間と契約を結ぶために必要なことで、こういった下積みは人間社会でも大切なことだろう。
別にそのことに関して文句はない。身体は鍛えているので問題ないし、むしろ走って体力増加を望めるのは一誠にとっては有難かった。で、問題はここから。
それからしばらく経った後、リアスの提案でついに契約を取ることになった。それに関してた大変喜ばしいし、いい加減チラシ配りにも飽きてきたので悪魔としての本業を成そうと試みたのだが。
――――魔方陣が反応しなかった。
本来ならば持ち主の魔力と共鳴して呼び出し人の元へ移動できるはずなのだが、一誠の場合保有する魔力量が少な過ぎて魔方陣が反応しないらしい。
一誠としては仕方がないと思った。今まで人間として生きてきて、いきなり魔力などと言われてもいまいちピンと来ない。そんなものがあるなど足りないなどと言われても、そんな存在感じたことがないので仕方がないだろう。
こうして、一誠は前代未聞の脚で依頼人の元に向かう悪魔となった。
これだけならば別に問題なかった。身体を動かすことは慣れているし、魔力で移動する方が本人としては摩訶不思議すぎて恐ろしかった。
で、本当の問題はここから。一誠が担当した依頼人なのだが、
『――――やらないか?』
女装男子が大好きな変態。
『ミルたんと契約して、ミルたんを魔法少女にしてほしいにょ』
明らかに目指す道を間違えてるだろとツッコまざる負えない筋骨隆々なゴスロリ服を着た変態。
『私の恋文を届けてほしいんです!』
銃刀法違反で捕まるだろこれと云った全身鎧兼剣装備の歴史マニア変態。
などと、一味どころか滅茶苦茶個性豊かな人物ばかりだった。というかキャラ濃すぎるだろう、変態しかいないし。
「不幸だ…………」
おかげで契約を結ぶことは出来ず、全戦全敗。そのせいか、一誠の後ろ姿は失業したサラリーマンのように落ち込んでいた。
「他の皆は凄いよなぁ……」
あんな個性が濃い依頼人から契約を取れるなんて、流石だと一誠は他の眷属達を尊敬する。きっと彼らは何年も契約を取って来たエキスパートなのだ。なら、今は無理でもこれから追い付けるように努力しなければならないだろう。
「――よし、今日も頑張りますか!」
バシッ! と自身の頬を思いっきり叩いて気合いを入れ直す。いつまでも失敗にくよくよしても仕方がない。前が駄目なら次で汚名返上すればいいだけの話だ。
……ちなみに、彼の契約依頼人を他の悪魔が見れば、「そんなキャラの濃い依頼人はおまえだけだ」と間違いなく断言されるだろう。
それはさておき。一誠は覚悟を決め、まずは自宅に帰ろうと脚を踏み出して――
「はうっ!?」
「…………ん?」
直後、背後から小さな悲鳴が聞こえてきた。振り返ると、そこには顔面から地面へダイブして転んでいる少女の姿が。シスター服の裾にでも脚を引っ掛けたのだろうか。見るからに痛そうな光景だった。
「だ、大丈夫か?」
あまりの光景に手を指し伸ばす。シスターは打った鼻を押さえながら、手を取って立ち上がった。
「あうあぅ。なんで何もないところで転んでしまうんでしょうか……? あ、すみません、ありがとうございます!」
シスターは礼を言うと頭を下げる。それと連動するように彼女の頭に乗っていたヴェールがずり落ちた。それに彼女は気づかず、そのまま顔を上げる。
そこにいたのは金髪の美しい少女だった。流れるような黄金の長髪。宝石のような碧い瞳は吸い込まれそうなほど透き通っており、一誠は思わず心を奪われた。
「あの……どうかしましたか?」
「え? あ、いや、別に」
急に恥ずかしくなって、落ちた彼女のヴェールを拾い彼女を視界から外す。一度視界から外したことで落ち着いたのか、もう一度見るときは冷静でいられた。
「ほい、落し物」
「あ、すみません。私すぐ物を落としてしまうんで……」
シスターはヴェールを受け取ると、自分の頭に被せ直した。その間に一誠は己の鼓動を普段通りに戻して、冷静に彼女に話し掛ける。
「旅行ですか?」
「いえ、違うんです。私、実はこの街の教会に今日赴任することになりまして……ですが、道に迷ってしまったんです。道行く人に尋ねようと思ったんですけど、私日本語が上手にしゃべれなくて……」
「ああ……」
そういえばと、一誠はふと思い出す。今までの会話では一誠にとってすれば日本語で会話をしていたのだが、彼女からすればどうやら外国語を話していたらしい。
悪魔には確か『言語変換能力』があるらしい。訊き慣れた言語に世界中の言葉が変換され、世界中のありとあらゆる国の人々と会話が出来るようになるそうだ。この機能があれば世界言語統一も簡単だろうに。
まあ、ここで逢ったのも何かの縁だろう。一誠は彼女に言った。
「ちょっと地図を見せてくれないか?」
「え? あ、はい。どうぞ」
うーん、と唸っていたシスターから地図を受け取り、目的地が書かれている場所を探す。地図には予想通りの場所に印が記されていた。
「あー、やっぱりここか」
印が記されている箇所。そこは昔、紫藤イリナが住んでいた教会だった。この街にあるとすれば街外れのそこしかないだろうし、当然といえば当然だが。
しかし、この教会は使われなくなってからしばらく経っているはずだ。それなのに新しいシスターが赴任するなど有り得るのだろうか?
「……まあいいか。それよりも、その教会ならたぶん知ってるぞ俺」
「本当ですか! あ、ありがとうございます!これも主のお導きのおかげですね!」
一誠の言葉に涙を浮かべて感激するシスター。こんな辺境な地に一人で来て、おそらく不安だったのだろう。問題ないと手をひらひらと振って、一誠は彼女を案内した。
その途中。教会に行くために近道するために公園を横切ると、ふと泣き声が聞こえてきた。そちらの方を向くと、泣いている子供を宥める母親の姿が。
すると突然、後ろにいたシスターが泣いている子供に近寄っていく。
「大丈夫? 男の子ならこのぐらいの怪我で泣いちゃ駄目ですよ」
彼女は優しく微笑むと、子供の怪我している箇所に手をかざし――瞬間、淡い緑色の光が子供の傷口を包んでいった。
その光景を見て驚愕する。――傷口が、癒えていく。
その光景を見て、ある言葉が脳裏を横切った。
「……
曰く、特定の人物に宿る規格外の力。その光を見て、そうなんだと何処か思った。
「はい、傷はなくなりましたよ。もう大丈夫」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「ふふ、どういたしまして」
優しく頭を撫でるシスターに対し、子供が満面の笑みを浮かべて礼を言う。言葉は解っていないのだろう。それでもその表情から彼らが通じ合っているのは理解できた。
バイバーイ! と腕を大きく振りながら別れを言う親子にシスターも笑顔で手を振り返す。親子が見えなくなるまで手を揮うと、シスターは一誠の方へ振り返って苦笑する。
「すいません、つい放っておけなくて」
「いや……」
そのことに関しては別にいい。それよりも一誠は彼女に訊きたかったことがあった。
「さっきのそれ、ひょっとして
「はい、治癒の力です。神様からいただいた素敵なものなんですよ」
彼女はそう言って微笑むが、その笑顔には何処か影があった。理由は解らないが、彼女にも何かあったのだろう。だけど、一つだけ訊いておきたい事がある。
「……実は、俺も
「え……」
驚くシスター。しかし、それを敢えて無視して話を進める。
「だけど、俺にはそれが何なのか解らない。発動しようにも、どうすればいいか解らないんだ」
あの日、リアスに呼ばれた日に本来ならば
「部長が言うには、俺には『覚悟』が足りないらしい。けれど、覚悟ってなんだよ。どうすれば使えるようになるんだ」
今まで一般人だった人間がいきなり覚悟しろと言われても、どうすればいいか解らない。身体の内側に何かがあるのは理解できる。しかし、それがまるで蛇に絡みつかれているように出てこない。
「なあ、君はどうやってそれを使ってるんだ?」
「わ、私は……!」
一誠に問いにシスターは何とか答えようとするが、しかし口籠って何も話さない。やがて、彼女は目を伏せると落ち込んだように告げた。
「……ごめんなさい。私にとってこれは、生まれた時から使えるものなんです。だがら、どうやって使うなんて意識したことがなくて……」
「……そっか。ごめんな? 変なこと訊いちまって」
「いえいえ! 私も力になれなくてすみません」
頭を下げるシスターに吊られ、一誠も同じように頭を下げる。いやいや私が、いやいや俺が、としばらく二人共謝っていると、その様子がおかしかったのか二人共思わず笑い出した。
「……行くか」
「はい!」
再び道案内を始める一誠とついて行くシスター。その途中。
「私も、難しいことはよく解らないんですけど……多分、
「信じる……思い?」
「私は、この力は神様が与えて下さったモノだと思っています。だから傷ついた人達を癒せる。それがあるのだと信じること、それが出来るのだと信じること。それが
「…………」
「――ハッ!? す、すみません。説教染みたことを言ってしまって」
「いや、ありがとう。参考にさせて貰うわ」
それからたわいない会話を続けていると、気が付けば目的地である街外れの教会まで来ていた。
「あ、ここです!良かったぁ」
地図を広げて目的地を確認していたシスターが安堵したように深々と息を吐いた。その様子に一誠も微笑んで、ふと教会を見詰め――
“――――ドックン”
「――――」
教会を見た途端、まるで心臓を握られたような感覚と激しい悪寒に襲われた。身体が教会に近づくなと警告している。否、拒絶反応のように教会の傍に近づくと震えと吐き気が止まらなくなる。
――――ヤバい、早くここから離れないと。
「あの、ここまで連れてきたお礼に教会でお茶でも……あの……?」
一誠の様子がおかしいことに気づいたのか、シスターが心配そうに声を掛けてくる。その声のおかげで、だいぶ冷静な思考を取り戻すことが出来た。
「あー、大丈夫だ。ちょっと眩暈がしただけ。それよりも、俺はこれから用事があるからここでお別れだ」
「……でも、それは」
不服そうな表情を浮かべるシスター。お茶に誘ってくれるのは大変嬉しいが、今教会で飲もうものなら残らず吐き出してしまいそうで恐ろしい。だから、悪いが今回は見送りにして貰いたい。
「俺は兵藤一誠。皆からはイッセーって呼ばれてるからそう呼んでくれると嬉しい。君は?」
「私はアーシア・アルジェントと言います! アーシアと呼んでください!」
「そうか。じゃあアーシア、お茶はまた今度逢った時にしてくれ。この街に赴任するならきっとまた逢えるさ。縁が合ったらまた逢おう」
「はい!イッセーさん、必ずまたお会いしましょう!」
アーシアは満面な笑顔を浮かべると、去る一誠を見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。見えなくなるまで一誠も手を振り返して、帰ろうとした時ふと気づいた。
「……ん?」
誰かに見られている感覚。視線の方向に顔を向けると、そこは教会の二階にある窓だった。しかし、そこには誰もいない。
「……気のせいか」
悪魔の天敵とされる神の使いがいる教会に近づいたせいで少し緊張しているのかもしれない。一誠は頭を揮うと、再び歩き出した。
◇◇◇
シスターであるアーシアはゆっくりと教会の入口である扉を開きながら入って行った。初めて出会う人達に何と言えばいいのか、失礼なことをしてしまうのではないか。というかまず言葉が通じるのだろうか? と考えれば考えるほどネガティブになっていくが、それでも一生懸命頑張ろうと決心し、
「こんな辺境な地にご苦労様。今日はゆっくり休んでいいわよ」
「――――久しぶりね、アーシア。また逢えて嬉しいわ」
礼拝堂に佇む女性――――レイナーレは、優しい笑みを浮かべる。
「――――はい! お久しぶりです、レイナーレ様!」
ここに、懐かしき再開は果たされた。
次回、アーシアとレイナーレの関係とは!?