始まりの雨
雨が降る。まるで天が泣いているように、雨粒が容赦なく兵藤一誠の身体に降り注いでいく。いったいどれ程の間浴び続けていたのか予想できないほど、身体は震えるほど冷え切っていた。
目が覚めているというのに、意識が朦朧とする。まるで明晰夢でも見ているような現実味がない感覚。地面に倒れている身体を起こそうにも、身体は言うことを指一本も訊きはしない。
いったい、何があっただろうか。一誠は曖昧な意識で記憶を遡ろうとするが、現状意識を保つのが精一杯で思い出すのは不可能だった。
ふと、うつ伏せで倒れている地面が赤く染まっていくのが視界に写った。地面を赤く塗り潰していく赤い液体。それは胸の心臓に当たる箇所の穴からとめとどなく溢れ出し、止まる気配を見せない。心の何処かで、これは助からないと理解する。
分からない。何が在ったのか理解できない。ただ、分かることが一つだけ。
『…………ッ!』
――――泣いている少女がいる。
何を言っているのかは聞こえない。曖昧な意識は記憶情報を読み取る機能だけでなく、五感すらも機能低下させているらしい。ただ、朦朧とした光景の中で、一人の少女が泣いているのだけは理解した。
雨に打たれた身体を震わせて、少女は懺悔するように泣いている。目から涙を流し、何度も何度も謝っている。私のせいだと、ごめんなさいと、自分の犯した罪に押し潰されるように後悔している。
この少女が誰だったのかは思い出せない。ただ、一つだけ分かることがある。
この少女は――――自分のせいで泣いているのだと。
だったら、止めないと。どんな理由があったとしても、男が女を泣かしていい理由にはならないのだから。
そう思い、起き上がろうとして――――兵藤一誠は血塊を吐き出した。目前に飛び散る赤い血。それは見たこともない量で、素人の一誠でもこれが明らかに致死だと分かる血液量が身体から流れ出ている。
意識が暗転する。保っていた意識が今の動作でプツリと切れ、昏い深淵の底に意識が呑み込まれていく。
暗転する。何もかもが曖昧と化していき、兵藤一誠という存在が現世から消え失せようとして――――
『……なさい、ごめん……い……ッ!!』
聞こえてくる嘆き。それは取り返しの付かない事をしてしまい誰かの助けを求めている子供のような、悲しい声音だった。
◇◇◇
――――死ねない。
――――認められない。
――――諦めたくない。
一誠の身体は既に死に体だ。心臓に穴が開き、血液は明らかに致死を超え、以って後数十秒で息絶えるだろう。どれほど名医が手術したとしても、助かる可能性はゼロだ。兵藤一誠はどう足掻こうとも死ぬ。それは確定された
だが、それでも一誠は諦めることが出来なかった。自分がここで死ぬのは分かっている。もう助からない、死ぬしかないのだと。だが、そう理解してもなお諦めきれなかった。
死ぬのは怖い。当然だ、死ぬことが怖くない奴など死者か死にたがり屋の化物ぐらいだろう。真っ当に生きている者なら誰だって死を恐れる。だからこそ生きようとし、死に抗うのだから。
しかし、それ以上に恐ろしいことがある。泣いていた少女。自分のせいで泣かせてしまった彼女。なら――――止めないと。理由がなんであれ、泣かせたのならばその涙を止めなければいけないだろう。それが男の矜持だと思うから。
だというのに、身体は指一つ動かない。雨に打たれ続け冷え切ったはずの身体はもはや震え一つ起こさない。既に身体は死んでいる。鼓動すら止まっている。今あるのは身体にへばりついた意識だけ。それすら数十秒後には剥されて消えてしまうだろう。
死ねない。まだ終われない。ここで消えるわけにはいかない。その渇望を常軌を逸脱した領域で願う。そして――――
「あなたね、私を
その声に反応できたのは、奇跡といっても過言ではなかった。
ほとんど感覚が消え失せてしまった身体の、雨を浴びていた身体の一部分が止む。僅かしか見えない視界に写った赤い髪。それでようやく、誰かが自分を見下ろしているのを一誠は理解した。
「あなたは……この傷。そう、
赤髪の誰かは何かを呟いている。けれど、何を言っているのか一誠にはもはやほとんど訊き取れなかった。いや、そもそも生きているのすら曖昧だった。そんな状態の彼に、赤髪の誰かは告げる。
「ねえ、聞こえるかしら? 私はあなたを救う方法があるわ。けれど、それはあなたを悪魔に……人外にすることよ。あなたを悪魔に生まれ変わらせる。そうすればあなたの命は救うことが出来る。けれど、そうしたらあなたは人間じゃなくなるわ。その覚悟があるのなら……あなたに新しい命をあげるわ」
その声ははっきりと告げた。
「あなたが選択するのよ。ここで死ぬか、人間をやめるか」
それは酷な話だろう。一誠の身体はもう既に死に体だ。指一本動かすどころか呻き声をあげることすら困難な状態だ。そんな身体で、どうやって選択の意思を告げるというのだ。
だが、それはある意味当然のことなのかもしれない。人外となれば、今までの環境とは一変する。もう人間には戻れない。そんな重要な選択を他者が決めていいはずがない。これは、これだけは選択する本人が選ばなければならない。
「…………」
一誠は答えない。答えられない。もう生きているのか死んでいるのかも分からない。
「……そう。残念ね。来世では幸せになれるのを祈ってるわ」
声の主が遠ざかろうとする気配が感じる。もう何も感じない。何も見えない。何も聞こえない。
――――本当に?
まだ意識はある。滓のように僅かだが、それでも一誠はまだ生きている。そして、生きたいと思っている。
ならば示せ。身体が動かないなど戯言だ。身体を動かすのは意志の強さ。想いの固さ。これが限界だというのなら、その限界を超えてみせろ。
さあ、動け。動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け――――!
「――――」
目前で息を呑む音が聞こえた気がした。だが、そんなことに意識を割く余裕はもはや無い。僅かに触れた感触。それが手を伸ばして触れたのか、それとも幻覚なのかなどどうでもいい。一誠は己の限界を超えて、開けぬはずの口を開いた。
「…………ぃ、ぎだ……ぃ…………ッ!!」
それは呻き声にもならない掠れ声だった。いや、もしくは呼吸音だったのかもしれない。けれど、それが正真正銘兵藤一誠の限界を超えた全力だった。
今度こそ完全に意識が途絶える。もう精神が頑張って保てる限界を超え、肉体が意識を保つことを拒否した。昏く薄れる意識の中。ふと、声が聞こえた。
「そう。ならばあなたを歓迎するわ。
――――ようこそ、
改変度合い
・イッセー(自ら悪魔になることを決意)
・紅髪(カリスマアップ?)
・???(アホタル化)
え? イッセーが上条さんぽくないって? これが作者の限界です。では次回。
あ、そうだ。番外編の『ハイスクールD×D 黒邪龍王とホムンクルス』を書くことにしました。これは匙が悪魔となった事件をオリジナルで書いてみようぜ! というものです。ただいま執筆中。