それでも構わないという方は、どうぞ。
春。それは始まりと終わりを告げる季節。これから多くの出逢いをするかもしれないが、同時に親しい者との別れをする時期でもある。
永遠などない。どれだけ永遠に続いてほしいと願っても、時間が止まればいいと祈っても、時間は無情に流れていく。それが自然の摂理なのだから。
ゆえに、その別れはいづれ訪れる必然だった。
三月中旬。桜の花びらが咲き始めるこの頃。
今日は紫藤家の引っ越し当日だった。
◇◇◇
「うわー、見てよこれ。この壁の傷って確か室内で野球している時にイッセーくんがバットを滑らせてぶん投げて付けた傷だっけ。懐かしいね」
「それを言うならイリナだってチャンバラしてて木刀で窓を割ったことがあったよな。ほら、あそこだけ窓が少し新しい」
「というかおまえら物壊しすぎだろ」
「…………」
誰もいない教会の礼拝堂を俺、オーフィス、紫藤、イッセーの四人で思い出に耽りながら歩いていく。もうほとんど引っ越しの準備が終了しているため、礼拝堂にはほとんど物が置かれておらず、最低限のモノしかない。
教会の外では、紫藤のご両親が街の皆と別れ話をしていた。最初は紫藤もそこにいたのだが、俺たちが別れの挨拶に来ると最後の思い出作りということで教会の中を探索することになった。
まだ俺たちがあまり遠くまで遊びにいけない頃はよく教会で遊んだものだ。まあ、しょっちゅう紫藤とイッセーが俺が目を離した途端に何か物を壊すので怒られていてばっかりだったが。
過去に付けた傷などを見ながら懐かしい思い出に浸る。当時いなかったオーフィスも、俺たちの思い出話を静かに訊いていた。
「いやー、探してみると結構あるもんだね。こう、歴戦の軌跡というか」
「ただの悪戯の傷跡だろうが……」
「なに言ってんだよ信貴! これは俺たちが今まで残してきた道筋、言わば人生そのものだぜ!」
「……ホント?」
「本気にしなくていいぞ、オーフィス」
まるでいつも通りの馬鹿げた会話。これが最後だというのに、俺たちは普段通りの会話を繰り広げていた。
それが嬉しいのか、悲しいのか。俺には良く分からない。これが今日までの光景だと理解していても、俺は心の何処かで現状を受け入れられていなかった。
「そういえば、紫藤がここを出ていったら誰がこの教会に着任するんだ?」
「うーん、よく分かんない。確か急に転勤って決まったらしいから、まだ手続きが済んでいないみたい。もしかしたら誰も着任しないかも」
「しかしイリナは海外かー。海外の何処らへん?」
「えーと、遠いところ?」
「そりゃそうだろ……」
紫藤の曖昧すぎる答えに脱力する。すると、イッセーが目を輝かせながら尋ねてくる。
「なあ信貴、海外ってどうやって行くんだ!? 車で何分!?」
「まあ、飛行機で行くのは当然だろうな。あと車じゃ行けねえから」
俺も海外には行ったことがないから詳しいことは知らないが、少なくとも車では行けないだろう。海の渡った先にあるのだから。
「くーっ! 海外かぁ。俺行ったことないから分かんねえや!」
「私もーっ! えっへん!!」
「何故分からないのに胸を張る……」
というか。海外に引っ越すと訊いてから前々から思っていたのだが。
「紫藤、おまえ英語喋れんの?」
「む。それはどういう意味かな信貴くん」
「いや、どうもこうも。おまえこれから海外で過ごすんだろ? なら必然英語は必要だろ。何処の国かは知らないが、英語は世界共通語だし。おまえまさか向こうでも皆日本語喋ってるとか思ってなないだろうな?」
まさかだと思うが。いや、こいつならそう思っていてもおかしくない。だって馬鹿だし。
「むー! 人のこと馬鹿にしてー! 私だって海外に引っ越すって訊かされてから英語の勉強してるんだからね!」
「ほぉー、なら試しに何か英語で言ってみろよ。簡単のでいいから」
「かっちーん。いいわよ上等じゃない。言ってやるから耳かっぽじってよーく訊きなさい!」
紫藤はそう言うと勿体ぶるようにわざと咳き込んだりして溜めを作る。それを無言のまま眺める俺たち。
そして――――紫藤は高らかに告げた。
「――――I am a pen !」
「…………」
…………………………………………………………………………………………………………。
「どーよ!」
「おまえはいつから無機物になったんだ……」
ドヤ顔でこっちをチラチラ見てくる紫藤に顔を手で抑えながら溜息を吐く。やっぱりあれだ、正真正銘本物の馬鹿だこいつ。
「イリナ、意味違う。それだとイリナ、ペンになる」
「え、そうなの?」
「というか、オーフィス英語分かるのか!?」
紫藤の間違いをオーフィスが訂正すると、イッセーが驚いたようにオーフィスに尋ねた。それに対し、オーフィスは顔色一つ変えず告げる。
「この程度、一般常識」
「ごばっ!!」
「イリナ――――ッ!?」
一般常識を理解してない馬鹿はオーフィスの言葉の刃に心を切り裂かれ、地面に倒れていった。
「うぅ……一番一般常識を知らなかったオーフィスちゃんに言われた~」
「いや、それは言うなよ」
確かにその通りだと思うけど。
「そ、それより思い出に写真撮らない! 私カメラ持ってるよ!」
「露骨に話逸らしたな」
まあ、写真を撮るというのは俺も賛成だ。最後に出逢ったこの思い出を写真に残したいと思うし。
「俺も賛成だぜー」
イッセーも承諾する。オーフィスを見ると、オーフィスは不思議そうに首を傾げていた。
「……写真?」
「……あー、もしかしてオーフィス。写真が何なのか分からない?」
「…………(こくり)」
静かに頷くオーフィス。そういえば、オーフィスが来てから写真を撮っていなかったことに気づいた。
「あー、なんて説明すればいいんだろうな……。まあ簡単に言えば、この光景を画像として残すものだと思ってくれればいい」
「……光景を?」
「そう。いつか変わってしまうものを画像として残すんだ。まあ思い出作りと思ってくれればそれでいい」
「……分かった」
オーフィスの承諾も受けたので、紫藤からカメラを受け取って彼等から少し離れる。そして程よい位置にまで離れると、カメラを彼等に向けて、
「よし、じゃあ撮るぞ。はいチ――――」
「スト――――プッ!!」
「……なんだよ、紫藤。なんか文句あんのか?」
「文句ありまくりに決まってんでしょうがー!!」
せっかく撮ろうとしていたのに、紫藤が妨害してきた。なんだこいつ、いったい何がしたいんだ。
「皆で写らないと意味ないじゃない。ほら、信貴くんもこっち来る!」
「そう言ってもなぁ……」
タイマーで撮れるように出来ればいいが、生憎引っ越しのせいでモノがほとんどなく、丁度いい高さに合わせられる台がない。誰か他の人に頼めればいいが、紫藤のご両親は現在忙しく、同じく内の両親も今は家にいなかったはず。
誰も頼れる人がいない。ゆえに俺が撮ろうとしたのだが、紫藤はそれでは不服のようだ。さて、どうするかと悩んでいると、
「そういや確か家に脚立あったよな。あれ使えば皆で写れるんじゃないか? ちょっと俺取ってくる!!」
「おい、イッセー!」
名案を思い付いたという様にイッセーは呟くと、全速力で礼拝堂を後にした。というかおまえ絶対脚立が何処に置いてあるか知らないだろ。
「ったく、悪い紫藤、オーフィス。ちょっとイッセーが心配だから俺も見てくるから、少し待っててくれ」
「りょうかーい!」
「……いってらっしゃい」
紫藤、オーフィスに見送られながら、俺はイッセーを追うべく全速力で駆けだした。
◇◇◇
「オーフィスちゃん、最近信貴くんと何かあった?」
二人きりの礼拝堂。信貴が外へ出ていくのを確認すると、イリナはオーフィスに問い掛けた。
「……何故?」
「うーん、何となくかな。信貴くんを見てると、最近変わったなって思うんだ。多分イッセーくんも気づいてると思うよ?」
まあ詳しくは分からないんだけどね、とイリナは自嘲する。そういえば、前にもこうして二人きりで話をしたなっと昔を懐かしむように微笑む。
思えば、オーフィスが現れてからだろう。信貴が変化し始めたのは。それが何なのか分からなくて、どうしてきっかけが自分ではないのかと少し嫉妬するが、そこは幼馴染の余裕を見せるために我慢する。
もう、自分はここにはいられないから。どれだけ悲しくて悔しくても、自分はこの陽だまりから離れなくてはならない。
なら、託さないと。あの、いつも悩んでる癖に何も心配かけさせまいと必死に仮面被って笑っている馬鹿を止めるためにも。
本当に、気づかないと思っているのだろうか。いつも人の事を子供扱いしてくるが、それぐらいは察しがつく。イッセーも自分も、子供だが馬鹿ではない。隠しているのが見え見えで、それに騙せさせられ続けるこっちの身にもなってほしい。
辛いなら、悲しいなら、苦しいなら、どうして言ってくれないのだろう。そんなに抱え込んで、何を悩んでいるのだろう。
「……でも、そう訊いたら何でもないって言うんだろうなー」
いつものように仏頂面で、こっちの勘に触ることを言って誤魔化すのだろう。あの馬鹿がそういう性格だという事は前々から知っていたから。
だから。
「ねえ、オーフィスちゃん。前にお願いしたこと、覚えてる?」
「……シキを、独りにしない?」
だから、託さないと。本当は嫌で腹が立って、どうして私じゃないのよバカって言いたいけど。それでも、誰かが見てないとあいつは直ぐに一人で駄目になってしまうから。
「じゃあね、あいつの駄目なところ、十個くらい言える?」
「…………?」
首を傾げるオーフィスに対し、イリナは指折り挙げていく。
「まず、面倒臭がりなところでしょ。人の悪口ばかり言う。意外に短期。カッコつけ。嘘吐き。秘密大好き。友人作りが下手。実は初心。男尊女卑思考」
そして何より――――
「全部一人で背負おうとするところ」
だから心配で、気になって、放っておけないのだ。目を逸らしたら、次の瞬間には何処かに行ってしまいそうだから。
「オーフィスちゃんも、信貴の駄目なところ十個、言える?」
「…………」
答えられず俯くのは、彼女が純粋だからだろう。その様子が愛らしくて、イリナは思わず微笑んだ。
「きっと、信貴くんが変わったのはオーフィスちゃんが関わっていると思うの。何があったのかは分からないけど、凄く大切なこと」
自分ではその当事者にはなれなくて。その資格があるのはおそらく目の前の少女だけ。だからこれは、自分に出来る最後のお節介。
「きっと、傍にいるだけじゃ信貴くんは何処か行っちゃうよ。傍にいると思っても、気が付いたらずっと遠くに行っちゃうよ」
それが自分と彼の距離だったから。一緒にいてもずっと遠くに感じたから。目の前の、優しい彼女にはそうなって欲しくないから。
「だから、信貴くんのことをいっぱい知って。良いところも、嫌いなところも全部。そうしたら、きっと信貴くんのちょっとした変化に気づくと思うから」
「…………」
オーフィスはイリナの話を訊きながら、ふと思う。
――――自分はいったい、どれほど彼のことを知っているだろうか。
先程イリナに尋ねられた時、オーフィスは何も答えることが出来なかった。今まで過ごしてきて、そんなこと一度も考えたことがなかった。
傍にいる。それが気づけば当たり前になっていた。けれど、彼のことを意識して今まで見たことがあっただろうか。
信貴はオーフィスの居場所になると言った。だからオーフィスは傍にいた。
ならば――――居場所になると言ったのは、誰でも良かったのか?
「――――違う」
気づけば、口に出して否定していた。意識せず無意識に呟いた否定の言葉。
居場所だから信貴の傍にいるのではない――――信貴だから、傍にいるのだ。
そのことを理解して、オーフィスはようやく気づいた。
「……我、は」
――――信貴のことを
だから信貴を知ろうとしなかった。ずっとフィルター越しに彼を見ていたのだ。しかし、そのフィルターはイリナとの問答で取り除かれた。
オーフィスは強い意志を眼に宿してイリナを見た。その瞳を見て、イリナは自分が伝えたいことが伝わったのを理解した。
「じゃあ、今度逢う時までに私からオーフィスちゃんへ宿題。信貴くんの駄目な
ところを十個見つけること」
「――――分かった。我、シキの駄目なところ、たくさん見つける」
頷いて、二人とも微笑む。その笑みは、まるで秘密を共有する乙女のようであった。
◇◇◇
そうして――――別れの時がやってきた。
「それでは皆さん。今までイリナがお世話になりました」
「ほら、イリナ。別れの挨拶をしてきなさい」
「うん、了―解」
総ての後片付けが終わり、残りの荷物を車に乗せる。もう空は夕焼けに染まり、残る時間もごく僅かとなった。紫藤のご両親に促され、紫藤が別れの挨拶をするために近づいて来る。
「なんて言うか……寂しくなるな」
「うん、そうだね」
「まあ、向こうでの生活大変だと思うけど、イリナなら大丈夫だって!」
「……頑張れ」
「おまえら……」
最後の別れだというのに、緊迫感もなくいつも通り過ぎて調子狂う。本当にこいつら、これが最後だって分かっているのだろうか。
「最後じゃないよ」
「あぁ?」
思っている事を口に言われ、つい気の抜けた声が漏れる。それがツボに入ったのか、紫藤はクスクス笑いながら告げる。
「また逢えるよ。絶対」
「おまえな……何を根拠に……」
言い方は悪いが、海外に引っ越した友人と再度出逢える可能性など皆無に等しいだろう。普通に考えて、絶対逢えると確信できる自信なんてないはずだ。
しかし、紫藤は自信有り気に微笑み、
「根拠ならあるよ」
そう言ってカメラを渡され、先程撮った写真を見せつけられる。
そこには、まるでいつもの様な光景が。紫藤が聖剣を頭上へ掲げて、イッセーが体勢を崩して、オーフィスが無表情でピースしてて、俺が溜息吐いている。そんな、いつも通りの光景が。
「この写真を持っていれば、きっとまた逢える。そう思うんだ」
カメラを受け取り、満面の笑顔を浮かべる紫藤。その笑みは再び逢えると信じ切っている笑み。その笑顔を見て、俺は――――
「……まったく、これじゃあ悲しんでる俺が馬鹿みたいだな」
「信貴くんは馬鹿だからね」
「信貴は馬鹿だからな」
「……シキ、馬鹿?」
「おまえらな……!」
ああ、ならジメジメした雰囲気は無しだ。これが今生の別れではないのならば、俺たちらしい別れにしよう。
じゃあね、でもなく。さよなら、でもなく。
「「「「――――またな」」」」
パンっ、とハイタッチを交わしながら、俺達はいつも通りの別れをした。
そして――――
「……行っちまったな」
「ああ……」
紫藤の車が見えなくなるまで見送ると、イッセーは静かに呟いた。その声には僅かに寂しさが混じっていたが、追及しないことにした。
「なら、俺らも帰るか」
「ああ、そうだな」
イッセーに促されて、俺も足を踵返す。すると、オーフィスが俺の貌を下から覗き上げながら尋ねてきた。
「シキ、悲しい?」
「……別に」
顔を逸らして否定する。そのまま顔を見続けられたら、本音が顔まで出そうだったから。そんな俺の様子を見て、オーフィスはふと気づいた様に呟いた。
「……あ。一つ、見つけた」
「…………?」
何を? と尋ねる前にオーフィスは少しだけ前に進み、僅かに横顔だけ振り返って、
「シキの駄目なところ――――すぐ、強がる」
「……は?」
何を言われたのか分からず、茫然と呟く。オーフィスは微笑みながら、前に向かって走り出した。
「……あ、おい。オーフィスそれどういう意味だ!?」
急いで俺もオーフィスを追いかける。黄昏の中、その後ろ姿はまるで輝いているように見えた。
次回は一気に時間が飛んで中学編が始まります。え、まだ原作には入らないのかだって? 私だって入りたいですよ! すでに一巻の構成は終わってるんですよ! けれどまだ張らないといけないフラグがあって……。
次回は今月中に投稿したいなー(遠い眼)