外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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紅白野球合戦

 

 翌朝の星菜は、すこぶる機嫌が良かった。

 その機嫌の良さと言えば登校中の足取りが終始軽やかで、バスに揺られている間は他の乗客の迷惑にならない程度に鼻歌を歌っていたぐらいである。

 星菜自身にそのつもりはなくとも教室の者達は皆彼女が上機嫌なことに気付いており、無自覚に振りまかれる笑顔によって一日の授業への憂鬱を霧散させられるハッピーな生徒達の姿もちらほらあった。

 そんな星菜に向かって、隣座席から奥居亜美が「何か良いことあったの?」と訊いてくる。

 答えは是。星菜としては良いことがあったどころの話ではなかった。

 

「私、バファローズファンなんですよ」

「えーっと……ああ!」

「はい。なのでとても嬉しいのです」

 

 同じ野球好きならばそれだけ言えば通じるだろうと思い、星菜は上機嫌の理由を簡潔に述べた。

 思った通り亜美は無事彼女の心境を理解し、笑顔を浮かべて祝福してくれた。

 

「凄かったね! ニュースで見たよ。神童さんのノーヒットノーラン」

 

 そう。昨日、星菜の敬愛するバファローズの神童裕二郎投手が、ファイターズ打線を相手に味方のエラー一つで抑えるノーヒットノーランを達成したのだ。

 彼のヒットもホームランも許さない力投に星菜は釘付けになり、偉業達成の瞬間には両手を上げて喜びに舞い踊ったものである。ファイターズファンの弟は悔しがりながらも彼を賞賛し、その後で「もうウチには投げさせるなよ……」と愚痴をこぼしていた。残念ながら、そうはいかないだろうが。

 因みに最後の打者を仕留めたのは外角低め(アウトロー)のストレート。球速は148キロの見逃し三振だった。それは120キロのカーブを見せた後の一投であり、外角低めマニアであり緩急マニアでもある星菜にとって最上の快感だった。

 神童の何が凄いのか、何故彼はあれほどまでに活躍出来るのか――その持論を、星菜は亜美の顔が引きつるほどに熱く語り続けた。

 

 

 

 

 

 

 この日の授業は、星菜にとって別段気になるものではなかった。特に難しいものはなく、学級委員として恥じるようなことも何もなかった。

 そして放課後、部活動の時間になる。

 制服からジャージに着替えた星菜は、ほむらと共にグラウンドへと移動する。

 すると、先に一箇所に集まっていた野球部員達の中で熱く何かを語っている波輪風郎の姿を見つけた。星菜はその近くに寄り、話の内容を聞き取った。

 

 

 ――紅白戦――それはスポーツにおいて同一のチームが「紅組」、「白組」に分かれて戦う実戦形式の練習である。こと野球においては一チーム最低九人居なければ試合出来ない為、本当に実戦形式に行うのなら二チーム分の人数である十八人の部員を揃えておく必要がある。

 そして現在本入部が決まっている人数はここに居る全員で、丁度十八人居る。

 

「この意味がわかるか?」

 

 主将波輪風郎が、野球部員一同の前に立って問い掛ける。

 その言葉に誰かが答える前に、波輪はグッと拳を振り上げて叫んだ。

 

「やるぞ紅白戦っ!!」

「オオオォォーー! でやんす!」

 

 勿体ぶった言い回しに一同が呆然とする中、副主将の矢部明雄がその言葉に真っ先に反応する。

 

 ――要するに、今日の練習は紅白戦を行うらしい。

 

 主将と副主将の妙に気合の入った様子に、星菜は他の部員達同様に困惑の表情を浮かべるが、今まで最も率先して部員を勧誘してきた彼らにとってこの野球部に紅白戦を行えるぐらいの人数を集めるのは活動当時からのささやかな目標だったらしく、現在二人して感極まっているのだとほむらが耳打ちしてきた。

 

「行くぞお前らッ! ランニングだ!」

「みんな、黙ってオイラ達に着いてくるでやんす!」

 

 既に監督からは許可を貰っているらしく、二人の姿は今まで星菜が見てきた中で最も活気に満ち溢れていた。ランニングやストレッチ、キャッチボール等のアップが終わり次第、すぐに紅白戦を始めるとのことだ。

 総勢十八人もの野球部員達が、二人を先頭に掛け声を出しながら校庭の大回りを走り出す。その場に取り残された星菜は、ほむらから試合の準備をするように仰せつかった。

 

 竹ノ子高校野球部が扱っているグラウンドは、普段サッカー部と共有している。独立した野球場でない為、間の仕切りとしてネットを張る必要があるのだ。それは丁度外野のフェンス代わりにもなり、柵を越えればホームランというルールをそのまま適用出来るほどには十分な距離があった。

 星菜はほむらとの共同作業でネットを張った後、用具庫からバットやキャッチャー防具など野球の試合における様々な必需品を運搬していく。その中には審判用のマスクもあり、ほむらがそれを持ちながら言った。

 

「審判はほむらがやるッス!」

「え、しかし大丈夫なんですか?」

「問題ないッス! 審判として必要な知識は完璧にマスターしてるッスから」

「いえ、そうではなくて……」

 

 審判――彼女がやりたいのはおそらくストライク、ボールを判定する球審のことだと思うが、星菜にはほむらの適性について少々疑問があった。

 それは彼女の知識について疑っているわけではない。疑っているのはもっと単純な問題で、身長150センチ前後しかない彼女がキャッチャーの後ろに立ってしっかりとボールを判定出来るのか不安なのだ。しかしそれを伝えようにも、低身長という彼女のコンプレックスを指摘するようで非常に気まずい。

 

「審判は俺がやるよ。お前達は試合の記録を付けてくれ」

 

 星菜がどう上手く彼女に話そうか思考を巡らせていると、思わぬところから助け舟が来た。

 いや、彼の立場を考えれば思わぬところというよりも、当然なところではあるのだろう。球審の役目を全うするのはほむらよりも彼――茂木林太郎に適性があった。

 その横槍にほむらは少々不服そうな顔を浮かべるが、監督が相手ではやむを得ず、反発することなくあっさりとマスクを手渡した。

 

「監督にしては随分積極的ッスね」

「審判だって安全じゃないんだ。もしピッチャーの球やファールチップがぶつかったらどうする? お前に怪我されると、周りがうるさいんだよ」

「優しいッスね監督」

「はは、惚れたか?」

「それはないッス」

 

 茂木監督の言い分は尤もである。確かにキャッチャーの後ろに立つ球審には、色々と危険が多い。しかもボールは軟式ではなく硬式なのだ。それが何かの間違いでほむらの身体にぶつかる危険性を考えると、球審は茂木の方が適任だった。

 

 男よりも、女は脆いのだから――。

 

 

 

「監督、アップ終わりました!」

「準備完了でやんす!」

「あ、ああ、終わったか」

 

 グラウンドから、部員の代表として主将の波輪と副主将の矢部が揃って茂木の元に駆け寄ってくる。二人の瞳は純真なまでに輝いており、無礼ながら星菜の目には飼い主に餌をねだる子犬のように見えた。しかし二人とも屈強な肉体を持つ男子高校生であり、特に180センチを超える逞しいガタイの持ち主である波輪がそんな瞳をしているのは似合っていないことこの上なく、正直言って気持ち悪かった。茂木も同じことを感じているのか、頬の筋肉が若干引きつっている。

 

「じゃあチーム分けするから、皆を集合させてくれ」

「ハイ! 集合ォッ!!」

 

 監督から指示を受けた波輪が、ハリのある大声を上げて部員達を呼び寄せる。星菜は波輪に対して見た目の割に飄々とした人物という印象を持っていたが、その姿はこれぞ野球部主将と言える熱い姿だった。

 十六人の部員が呼応すると一斉に走り出し、監督である茂木の元へと集合していく。

 

「あー、これから新入生の力量と現状戦力の確認ということで……ってよりはキャプテンと副キャプテンにうるさく提案されたわけなんだが、紅白戦を行う。チーム分けとポジションは俺が決めているが、打順はお前らで勝手に決めてくれ」

 

 新入部員達は固い雰囲気を持って真剣な眼差しを送っていたが、茂木はそれを受けても至って平時通りの適当な言葉遣いだった。内心では相変わらず監督らしくない男だなと溜め息をつく星菜だが、目上の人間の態度について口を出す気はない。郷に入っては郷に従うしかなかった。

 

「じゃあ紅組から。ピッチャー池ノ川、キャッチャー六道、ファースト戸田――」

 

 星菜がそんなことを考えている間に、茂木は上着ポケットから取り出した一枚の紙切れ――事前に書き込んでいたらしいその「メンバー表」を注視しつつ、チームを紅白に分けていく。その数はもちろん片方九人ずつで、茂木は紅組は波輪、白組は矢部がリーダーを務めるように指示を出した。

 

「ほい、マネージャー」

「どもッス」

 

 気だるげな表情ながらテキパキとチーム分けを終わらせた茂木が、読み上げたメンバー表をほむらに手渡す。星菜は横から覗き込むと、そこに書かれている文字を自分の目で確認した。

 

【紅組 1池ノ川(二年)、2六道(二年)、3戸田(一年)、4浅生(一年)、5稲田(一年)、6石田(二年)、7宮間(一年)、8城所(一年)、9波輪(二年)

 

 白組 1青山(一年)、2山田(一年)、3外川(二年)、4小島(二年)、5沼田(二年)、6鈴姫(一年)、7義村(二年)、8矢部(二年)、9鷹野(二年)】

 

 それぞれ名前の横にはポジション番号が振られており、後ろには学年が書かれていた。パッと見でわかるように紅組の方が一年生が多く、白組には二年生が多い。加えて、鈴姫健太郎までも白組である。その点を見れば明らかに白組の方が有利に思えるが、紅組には何と言っても波輪風郎の存在がある。ずば抜けた存在である彼が一人居るだけで、両陣の戦力差が埋まっている形だ。これで彼の名前の横に書かれている数字が「1」でさえあれば、その戦力は圧倒的に紅組が上になっていただろう。

 星菜がメンバー表を眺めた中で、唯一不審に思った点がそこだった。

 

「ピッチャーは波輪先輩ではなく、サードの池ノ川先輩なのですか?」

「そうみたいッスね。でも波輪君が投げたってウチの打線が相手じゃ大した練習にならないし、新入生の力量も測れないッスからねぇー」

「なるほど……」

 

 ポジション番号「9」は右翼手――ライトの番号だ。それはつまり今回波輪はライトを守るということで、本来の番号である投手の「1」は池ノ川の横にあった。

 波輪はライト。池ノ川がピッチャー。それが、茂木の指示した彼らのポジションだった。

 

「それと、池ノ川君にピッチャーが出来るか試してみたいっていうのもあるんだと思うッス。あの人無駄に強肩だし、二番手三番手はいくら居ても困らないッスから」

「……確かに、いくら波輪先輩でも大会を一人で投げ抜くのは厳しいですからね」

 

 野球部の現状戦力の確認が名目なら、最初から出来ることがわかっている波輪をわざわざ投げさせる必要はない。だからライトに回した。

 池ノ川を紅組に入れたのは、おそらくレギュラークラスの多い白組打線を相手にどこまで抑えれるのか知りたかったからであろう。

 やる気がないように見えて、よく考えられたメンバー表である。星菜は内心、茂木に対する評価を改めていた。

 

 それにしても――と、星菜はすぐ横で作戦会議を行っている両チームの様子に目を向ける。

 

「打順を決めるでやんす! 一番はオイラが譲らないでやんす!」

「僕が先発ですか! うわあ頑張ろう。打順は五番を打たせてもらいます」

「お! 俺は三番で頼むゥー!」

「四番は鈴姫君にお任せするでやんす! オイラ、絶対出塁するでやんすから」

「……わかりました」

 

 白組は、なんだか小学校低学年の頃を思い出すような賑わいぶりである。少年野球時代、紅白戦の打順を決める時は自分もあんなノリだったなぁと星菜は在りし日の記憶をしみじみと思い出す。矢部副主将は相当に、今回の紅白戦が楽しみだったようだ。

 

 紅組の方は、白組に比べて一年生が多い為かそれほど賑わってはいない。謙虚な彼らを、主将の波輪や少ない二年生が先頭に立ってまとめていた。

 

「明日からはもう、こんなノリではやってけない。矢部君や監督はどうか知らんけど、明日から俺はビシバシ厳しくしていくつもりだ」

「新入部員の力量把握という名目もあるが、今日に限っては楽しんでやればいい。こんな日に怪我なんかするなよ」

「まあそんなとこだ。しまっていこうぜ」

「「ハイッ!」」

 

 波輪の他の二年生はキャッチャーの六道明も誠実な印象を受け、まとめ役の優秀さは白組よりも紅組が優っているように見える。

 

「フッ、てめーら大船に乗ったつもりでいな。この池ノ川様が投げる限り、ランナーの一人だって出しはしねぇ」

「お前はどこからそんな自信が出てくるんだよ……実戦で投げるのはこれが初めてだろ」

 

 仲間内で紅白戦を「する」のは確かに面白いが、マネージャーとして自チームの紅白戦を「観る」のもまた面白そうだ。竹ノ子高校の野球が如何程のものか、今一度この場で知っておきたいという思いも星菜にはあった。期待と不安の半々ずつで、星菜はこの試合の行方を心に記録することにした。

 

 




今回色々と選手の名前が出ましたが、前回紹介された主力六人+鈴姫だけ覚えて頂ければ十分です。

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