外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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『一喝』

 

 

 

 

 

 後半戦の開幕は、打った瞬間にソレとわかる当たりから始まった。

 

 六回表の先頭打者は竹ノ子高校の四番、鈴姫健太郎。

 彼が振り抜いたバットがど真ん中(・・・・)の半速球を捉え、打球は華麗な放物線を描いてライトフェンスを越えていったのだ。

 

 誰が見てもわかる、文句のつけようのないホームランであった。

 

「よっしゃあああっ!」

「流石うちの新四番! 気分爽快だぜ!」

 

 沸き上がるのは竹ノ子高校のベンチ。静まり返るのはときめき青春高校の守備陣。

 試合はこれで3対2。一度は追いつき、逆転した筈の試合は再び竹ノ子高校のリードに変わった。

 しかし勝ち越しの殊勲弾を放った筈の鈴姫健太郎の表情に、清々しい色は無い。

 そこにあったのは「同情」の色。ときめき青春高校の野球部に対して、まるでかつてのどこかの誰かと重ね合わせているかのような憐れみの表情だった。

 

 

 

 ――小山雅の慟哭の後も、試合は続いた。

 

 本来ならば、もはや既に試合どころではないのかもしれない。しかし他ならぬときめき青春高校監督の大空飛翔が、この練習試合の続行を決めたのである。

 

「相手に失礼の無いようにしろ」

 

 普段はあまりの滑舌の悪さに言葉が聞き取れないことが特徴になっている老人監督であったが、ナインに対して告げる彼の言葉はいつになくはっきりとしていた。

 当然だが、試合というのは相手が居なければ成り立つものではない。あまりにも今更――今更すぎる言葉であったが、その言葉に最初に反応し、真っ先にレフトの守備位置へと向かっていった朱雀南赤を皮切りに、ときめき青春高校の野手陣はそれぞれのポジションについていった。

 

 そこまでは良かったのだ。

 

 ……そこまでが、今の彼らには限界だった。

 

 誰もが皆、心ここにあらずという状態だった。

 一同は自分が信じていたものに裏切られた思いで心の中の整理が追いついておらず、投手の青葉に関しては極端なまでに抜け殻めいた様子になっていた。

 

 

 ――そんな彼の集中力の欠いた投球が、先程の鈴姫のホームランを呼び込んだのである。

 

 制球力のある青葉にしては、あまりにもお粗末な投球だった。

 彼を受ける捕手の鬼力にしても、あまりにも不用意な要求だった。

 それは普段の彼らならば防げた筈の失点であり、あり得ない筈の失投だった。

 

「うおらっ!」

 

 そしてその集中力の欠落は、鈴姫の一発を浴びただけではおさまらない。

 続く竹ノ子高校の五番池ノ川。彼に対する初球は、またしても変化しない(・・・・・)ど真ん中のスライダーだった。

 曲がらないスライダーはただの半速球となり、それを見逃すほど今の池ノ川は優しい打者ではない。彼の振り抜いたバットは青葉の失投を芯で捉えると、左中間を真っ二つに切り裂く長打となった。

 

「…………」

 

 投げやりな表情で中継に入った小山雅のグラブに、レフトの朱雀からレーザービームの如き送球が送られてくる。

 その間に打者走者の池ノ川は二塁ベースへと到達し、得点圏に走者を置くツーベースヒットとなった。

 

 それまでほとんどヒットを許していなかった青葉が、ここに来て連続の長打である。その原因は、先ほどの騒ぎから察して竹ノ子高校の者も気づいているだろう。

 

 だがそんなことは、彼らが手心を加える理由にはならない。どんな理由があろうとも、今は試合中だ。

 故に、竹ノ子高校の打線は決して容赦しなかった。

 

「ボールフォア」

 

 ノーアウト二塁で打席には六番の外川。マウンドの青葉はとうとうストライクが入らなくなり、本来の制球力とは程遠い形でストレートのフォアボールとなった。

 これでノーアウト一二塁。まだ試合は一点差に過ぎないが、早急に何か手を打たなければ一方的な展開にもなりかねない雰囲気がグラウンドに立ち篭っていた。

 

 その時である。

 

「監督よ!」

 

 何の声出しもなく、完全に静まり返っていたときめき青春高校の守備陣――レフトの男から放たれた大きな声が、グラウンド内に響き渡った。

 朱雀南赤――彼が自らのチームの監督に呼び掛けた瞬間、大空飛翔がベンチを立ち、球審に簡潔な一言を告げた。

 

「レフトとピッチャーを交代」

 

 それはときめき青春高校にとって、この試合初めての投手交代となった。

 

 

 

 

 レフトからマウンドへ駆け寄った朱雀が見た青葉の顔は、見るに堪えないほどに酷いものだった。

 顔色は病気にでもなったように蒼白で、完全に上の空の様子。普段の闘志溢れる姿は見る影もなく、完全に気持ちが切れている状態だ。

 そんな青葉は虚空を眺めるような目で、朱雀へと振り向いた。

 

「朱雀……」

「交代だ。貴様はレフトへ行け」

 

 朱雀は突き飛ばすような動作で青葉を追い出すと、強引な足運びでプレートの上へと上がる。しかしそれを見ても青葉はその場から動こうとせず、投球練習に入ろうとする朱雀に対して言葉を溢した。

 

「俺達……駒だってよ……ずっと、仲間だと思っていたのに……一緒に部員集めを頑張って、一緒に戦ってきたのによ……」

 

 今にも泣きそうな顔で、青葉が嘆きの声を紡ぐ。

 まるで別人だな……と普段の彼を良く知る朱雀は思うが、そんな彼の心情も仕方ないと、理解()出来る。

 青葉春人は人一倍情に篤い男だ。一度仲間と認めた相手のことは決して裏切らず、見捨てることはしない。今時珍しい、時に暑苦しいとすら思う熱血漢である。

 そんな彼だからこそ、先の雅の言葉が余計に効いていたのだろう。立ち直るには長い時間が掛かりそうに見え、少なくとも今投球を続けられる状態でないことだけは確かだった。

 

「裏切られたんだ……俺達はあいつに……俺はもう、あんな奴の為に投げられない……」

 

 彼女の言葉をその通りに受け止めれば、反感を覚えるのは当然のことだ。

 しかし青葉はその反感の上に裏切られたという感情まで重なっており、今の彼の悲壮感を前にすれば同情の一つもしたくなるだろう。

 

 

 だが、朱雀南赤は違った。

 

 朱雀は今の青葉に対して――全くと言っていいほどに、共感も同情もしていなかった。

 

「打たれた言い訳はそれだけか?」

 

 言葉は冷たく……しかし気持ちは熱く、朱雀は彼を突き放す。

 

「余は今、生まれて初めて己の愚かさに激怒している。周りを騙し続けていた臣下の苦しみを理解してやれなかったこと……そして、貴様のような軟弱者を友と思っていたことにな!」

「朱雀……?」

 

 裏切られた――なるほど、確かにそう思うのも道理だ。

 奴の為には投げたくない――理解は出来る。

 だから打たれてもいい――恥を知れ! たわけがっ!

 

 朱雀南赤は、青葉春人に叱咤する。

 その言葉は、気の無い投球で点を取られた青葉に対してだけではない。

 それは彼女に「裏切られた」という思いで己の行動や考えを正当化しようとしている、軟弱なときめき青春高校の選手全員に向けた言葉だった。

 

「小山よ!」

「……なに?」

 

 ……確かに今日の彼女はあまりにもおかしい。

 その姿はスポーツマンシップに乗っ取っているとはとても言えず、人の心を踏みにじるような罵倒の言葉の数々には朱雀自身も思うところはある。

 

 しかし朱雀はそれ以上に彼女が――あの(・・)小山雅がこうなってしまうまで、何もしなかった自分達のことが許せなかったのだ。

 

「すまなかったな。お前がそこまで思いつめていたことに気づかず、何一つ助けてやれなかったことをここで詫びよう」

 

 真摯に、朱雀は普段の尊大な態度もやめて頭を下げる。

 朱雀南赤はその口調の通り、自尊心の塊と言ってもいい男だ。そんな彼が放った謝罪の言葉には雅すらも目を見開いており、青葉達もまた言葉を失っていた。

 

「今更、君は何を言って……」

「お前は余らを駒として利用していたと言っていたな。フッ……余を体よく利用してみせた人間は、お前が初めてだ」

 

 顔を上げた朱雀はいつになく自嘲の笑みを浮かべながら、周囲の者達の姿を見据える。

 ときめき青春高校のナイン――彼らも全員が全員揃って、不甲斐ないものだ。よほど皆は、小山雅のことが好きだったと見える。

 竹ノ子高校のナイン――こちらの準備不足の為にわざわざ試合を中断させて申し訳ない。だが、審判共々もうしばらくこの茶番に付き合ってもらいたい。

 監督――は、おそらく最初からこのつもりで試合を続行させたのであろう。チームメイトの手で解決させなければ意味がないと、あの老人は常にそういう方針だ。

 朱雀は再度ショートの方向を見据えると、あえて全員にも聞こえる声量で叫んだ。

 

「だが、それがどうした!」

 

 自分のように頑固たる信念を持ってさえいれば、そのように落ちぶれることもないだろうにと――心の底からそう信じている朱雀南赤は、この試合中ずっと腹の底に蓄積させていた感情を遂に言い放った。

 

「貴様の癇癪など、余の心には全く! これっぽっちも響いておらぬわっっ!!」

 

 もはや清々しいとまで言える、思い切った開き直りの言葉だった。

 その言葉には雅が眉を顰め、竹ノ子高校のベンチでは彼らの様相を見守っていた野球少女が相槌を打つ――が、朱雀には知ったことではない。

 そうとも、知ったことではないのだ。

 

「小山よ、お前は余らが嫌いだったと言ったな? お前にあそこまで言わせたのだ。嫌われる理由など、余らには山ほどある。思うだけならば好きにすれば良い。

 だが、余らとてお前を利用していたのは同じ! 同じチームの同志として、お前の心にまともに踏み込むこともせず、ただ都合の良いチームメイトとしてお前を利用していた!」

「……だから、なに?」

「そうだ! だから何だと言う!?」

 

 吐き出した言葉に雅が怪訝な表情を浮かべ、朱雀が尚も開き直る。

 朱雀はその言葉で雅をどうしたいのか――実のところはあまり考えていない。ただ彼は今自分が声を大にして言いたいことを好き勝手に叫んでいるだけであり、相手にどう受け取られるかまでは細かく気にしていないのだ。

 彼はどんな時でも、唯我独尊を信条にしている。故に……だからこそ、そう言った迷いの無い言葉が、周囲の意識を集めているとも言えた。

 そんな衆目の中で、朱雀は高らかに語る。

 

「ときめきの腑抜けどもよ! 貴様らが野球をするのは何のためだ!? よもや仲間の為などとは言うまい! 貴様らはただ野球をやりたいからやっている! いかに小難しい理由を並べようと、全ては己自身のためであろう!」

 

 小山雅に裏切られた――だからどうした。

 

 いや、彼女は全く裏切っていない。彼女は同じチームのメンバーとして今も試合に出ているではないか。裏切り者というのは、試合中に敵チームに移るような者のことを言うのだと――朱雀は思う。

 小難しい人間関係など、野球の試合においては関係ない。野球人は大人しく自身の持てる最高のパフォーマンスで野球をしていればそれで良いのだと、朱雀は言い切ってみせた。

 そして、その眼光を憤怒に染めて一喝する。

 

「利用されていたからやる気が出ない? 貴様らはいつからそんな軟弱になった! 小娘の癇癪一つで自分のプレーが出来ぬ半端な気持ちなら、今すぐ野球などやめてしまえ!」

「癇癪だと……簡単に言ってくれるね……!」

 

 半端な野球人を、朱雀南赤は許さない。無論、自分自身もだ。

 どこまでも真摯に、全力でプレーに取り組むこと――それが彼なりの、「野球が出来る感謝」の表し方だった。

 

「仲間と野球をしたくても出来ない者は、この世にゴマンと居るのだからなぁっ!」

「…………」

 

 そこまで言ってようやく思い至ったのか、抜け殻となっていた青葉が朱雀の瞳を窺う。

 朱雀南赤は小山雅に対して、裏切られたという感情を一切抱いていない。もちろん、こちらが何も言い返さないことをいいことに好き勝手に罵ってくれたことに対して思うことは多々あるが。今は試合中だからと抑えているだけだ。

 だから彼女とは試合が終わった後で、じっくり話し合って喧嘩すればいい。その時間はきっと、いくらでもある。

 

 彼女と自分はチームメイトで、彼女が何と言おうと、彼女は自分の仲間なのだから――。

 

「朱雀、お前……」

「……余は、臣下を見捨てん」

 

 あの程度の癇癪で引き下がってやるほど、朱雀南赤は情の薄い人間ではない。

 ……要は、それだけの話だ。

 

「余は奴を信じる。貴様はどうする? 青葉春人」

「……カッコつけやがって」

 

 朱雀が捕手に向く。捕手が何も言わず座る。

 青葉が笑い、レフトへ走る。

 

 そして十球ほどの投球練習後、試合は再開した。

 

「待たせたな、球審に打者よ」

「……以後気をつけるように」

「いいってことよ」

 

 状況はノーアウト一二塁。点差は一点ビハインド。

 外野にヒットを打たれれば一点は入るこの状況。点差が離れることは、相手投手の出来を考えると喜ばしくない。

 だがその程度の状況――朱雀には今更どうということもなかった。

 

 集中し、プレートに左足を添えた朱雀は、まるで打者を威圧するような風貌を持って投球動作へと移った。

 

「ぬん!」

 

 振りかぶった際に上体を大きく捻り、身体全体を竜巻のように回転させる――トルネード投法。

 朱雀の投球フォームはボールを持つ時間が長い為、打者にとってリリースポイントがわかりにくく、投げたボールをより打ちづらくすることが出来る。反面、投球動作が長い分クイックが出来ず、走者が居る場面では使いづらい投法でもあるのだが――身体中のアドレナリンが沸きに沸き立っている今の朱雀には関係ないことだった。

 豪快に振り下ろされた朱雀の左腕から放たれた白球が、唸りを上げてミットに突き刺さる。

 

「ストライク! バッターアウトッ!」

 

 いずれも、コースはほぼど真ん中。しかし竹ノ子高校の打者は、そのボールに一球も掠ることが出来なかった。

 一安打も許せないピンチの中で登板した朱雀は七番石田、八番小島、九番鷹野と続く竹ノ子高校の打線をストレートだけで三者連続三振に切り伏せると、ショートの野球少女に見せつけるように咆哮を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、貴方にも良いチームメイトが居るじゃないか……」

 

 竹ノ子高校としては追加点のチャンスを生かせなかったが、今の星菜はどこか晴れ晴れとした気分だった。

 こう言っては薄情な気もするが、鈴姫がホームランを放った打席よりも、朱雀が見せた圧巻の投球の方が心が震えた気がする。

 もちろん、鈴姫がくれた貴重な援護点には、惜しみないほどに感謝している。だがそれでも、雅や自分が抱えているネチネチとしたもの一瞬で吹き飛ばすような朱雀の物言いは、いっそ気持ちの良いものだったのだ。

 よくよく聞いてみると彼の言い分は酷いものではあったが……それが正解だと星菜は思う。

 

 半端な気持ちで野球をやっている――それはまさしく、つい最近までの自分と、今の雅を表しているように思えたのだ。

 

 昔なら、そんなことはないと否定していたところだ。

 この気持ちは半端なんかじゃない。自分は確かに、心から野球に熱中していたと言い返していた。

 ……でも、違う。きっとそれは、そう思いたがっているだけだったのだ。

 

 

「裏は、アイツの打順からか……打ち取る策はあるか?」

「あるわけないだろ」

「なら、打たれても仕方が無い。敬遠するのも手かもな」

「冗談。ランナー無しからの敬遠なんて、練習試合でやることじゃないよ」

 

 攻守交代となり、次は六回の裏だ。ときめき青春高校の打順は三番の雅から……必然的に得点圏での勝負にならない点では、最高の形で最強の打者を迎えることになったとも言えるだろう。

 鈴姫と軽口を叩いた後、星菜はグラブを右手にマウンドへと上がる。入れ違ってベンチへと戻っていくときめき青春高校の選手達の顔は、朱雀の一喝によって一先ずは落ち着いたように見えた。寧ろ何人かは闘志を燃やしている様子であり、この回は雅以外の打者も厄介になりそうだと星菜は思った。

 

 

「真剣勝負だ。雅」

 

「上等だよ。星菜」

 

 

 そして、マウンドで投球練習を終えた星菜は再び対峙する。

 小山雅――自分を遥かに超える天才との実力差は歴然だと、既に先の打席で証明されている。

 

 しかしそれでも、指示が無い以上投手は野手と戦わなければならない。

 

 半端な気持ちを心から無くし、迷いを消す。それが本気で野球をすることなのだと、星菜は思う。

 今の自分にはきっと無理だろう。だがそれでも、せめて最善だけは尽くしていきたい。

 

 

 ――そうして上がった六回裏のマウンドは、泉星菜にかつてない変化を与えた。

 

 

 

 

 

 


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