外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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『崩壊』

 

 

 

 偏差値もあまり高いわけでもなく、とりわけスポーツに力を入れているわけでもない。通っている男子生徒達は何故かガラの悪い者ばかりだというのが、世間におけるときめき青春高校の評判だ。

 そんな学校に三人の天才児が入学したのが、ときめき青春高校野球部の始まりだった。

 一人は青葉春人。

 もう一人は朱雀南赤。

 そして三人目は、小山雅という少女だ。

 

 青葉春人には、無名校を自分の力で全国制覇させるという夢があった。

 我の強い朱雀南赤は、OBや指導者の権威が高い名門校の体質が嫌いだった。

 そして小山雅は自分の性別を偽る為に、管理の杜撰なこの高校を選んだ。

 彼らは三人とも入学した時点で既に超高校級の選手であったが、そんな彼らが名門校でもないこの学校に入った理由は実に異端なものだった。

 

 三人が入学したときめき青春高校の野球部は、始めは部員の一人すら確保出来ていない練習以前の状態だった。

 故に、彼らの高校野球人生は最初から苦難の連続だった。

 しかし、彼らはそれぞれの目的に向かって諦めることなく、明日に向かってひたすらに突き進んだ。

 その結果、彼らは「廃部寸前の野球部を三人の新入部員達が立て直す」という、まるで少年野球漫画のような現実を実現させたのである。

 

 初めて練習試合を行った時、小山雅は感極まって一人嬉し涙を溢したものだ。そして、思った。

 今まで諦めないで良かった。野球をやってきて良かった――と。

 猪突猛進な二人よりかは冷静なところがある雅は、そこに至るまで何度も諦めかけた。しかし、その度――彼女の仲間は、馬鹿みたいに真っ直ぐな行動で元気づけてくれたのだ。

 このチームは最高のチームだと、雅は心から思った。

 そんなチームで野球が出来て、自分は幸せ者だとも思った。その時はきっと、小山雅にとって野球人生の絶頂だったのかもしれない。

 

『よう! あんたも野球部志望か。女……じゃなくて、学ラン着てるから男か。俺は青葉春人ってんだ。コイツは朱雀南赤。最近ちょっと言動があれだけど、根はいいヤツだから大目に見てやってくれ』

『フン……小童よ、光栄に思うが良い。貴様は余の後ろを守る最初の眷属となったのだ!』

 

 高校で最初に出会った野球部員である二人との対面は、今となっては懐かしい記憶だ。

 実力者でありながらこんな無名校に来るだけあって、二人とも非常に個性が強い男で、その勢いには大いに戸惑うこともあった。

 だが――

 

『わた……ボクは小山雅って言うんだ! お、男の子だからよろしくねっ!』

 

 二人とも、野球に真摯でいい人だった。

 そして入部して早々、彼らと部員集めに奔走した日々もまた、雅には悪くないものだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竹ノ子高校対ときめき青春高校の試合は、二対二の同点に変わった。

 泉星菜のツーベースヒットによって、竹ノ子高校のベンチは大いに沸き立ったものである。

 たかが一点、されど一点。投手自らのタイムリーヒットは試合を振り出しに戻した上で、竹ノ子高校というチームに数字では測れない活気を与えていた。

 

「女子相手になんてザマだ……」

 

 たった一打で流れを引き込んでみせた彼女の打撃と、たった一打に子供のように沸き立っている彼らの姿に、ショートを守る雅は苛立ちを隠そうともせず毒づいた。

 なんて情けないピッチングだ……と、憤怒を込めた眼差しをマウンドに向けた後、雅は二塁ベース上に立つ打のヒーローもといヒロインへとその目を移した。

 

「ふ……どんな気持ち? こんな私に、良い恰好をされるのは」

 

 見事な打撃を披露してくれた彼女――泉星菜はあえてこちらの感情を逆立てるような口調で、雅に問い掛けてきた。

 挑発的で強気なその態度は……雅にとっては懐かしく、かつて慣れ親しんでいたものだった。

 

「ふん……私はただ、君が通用する高校野球のレベルに呆れているだけさ」

「あっそ」

 

 大して雅が心底うんざりとした表情で返すと、彼女は素っ気ない返事を寄越すだけだった。

 煽るように訊ねておきながら、手のひらを返すように澄ましたその態度が、雅には気に入らなかった。

 

「チッ……」

 

 苛立ちに舌を打ち、雅は奥歯を軋ませる。

 この愛しい親友は、どこまでも癪に障る態度が上手い。だが所詮、試合はまだ同点になっただけだ。彼女の弱点が雅以外のチームメイトにも広まっている今、この後の攻撃で勝ち越しを決めるのは容易だと考えていた。

 自分さえ居れば、点など簡単に入るのだ。それこそ、この嘘つきで自分勝手な野球少女に引導を渡してやれるほどの得点を。

 今しがたマウンドで醜態を晒した青葉春人とて、この程度の打線にそう何度も失点を許す投手ではなかった。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

 泉星菜の後に続く竹ノ子高校の二番打者が、外角に外れる青葉のスライダーを空振り、三振に倒れる。

 このイニングもこれでツーアウトだ。竹ノ子高校の二番打者は、何の抵抗も出来ない惨めな打席だった。そのスイングの下手くそさ加減に、雅が嘲笑を溢しながら星菜に言った。

 

「見たかい星ちゃん、あの情けないスイングを。あんなんでも私達より評価されるんだからやってられないね」

 

 意図的に、彼女を怒らせる為の言葉だ。返ってくる言葉は仲間を嘲られたことに対する激昂か、はては平静を装い無関心のポーズを取るか。雅はその辺りを予想していたが、彼女から返ってきた言葉はそのどちらでもなかった。

 

「貴方は一体、誰の為に野球をしているの?」

「……なに?」

 

 ただ一言、マウンドを注視しながら後ろに立つ雅に訊ねる。

 怒りも憐れみもなく、素朴な疑問だけがそこにあった。

 その口調は穏やかだが、優しくはない。しかし冷たくもなく――表情が見えないのもあって、雅はほんの少しだけ返す言葉が遅れてしまった。

 

「そんなの、自分の為に決まっているじゃないか」

 

 この期に及んで……今更何をという質問だ。

 雅が誰の為に野球をしていたのか、そんなものは雅自身の為以外に理由は無い。

 何をわかりきったことをと思う雅に、泉星菜は何も言わない。そんな彼女の沈黙が、彼女の興味が自分から無くなったように見えて雅には不快だった。

 

 ――もっと私を見てよ。もっと構ってよ!

 

 苛立ちがさらに募り、双眸がきつく尖る。

 そんな雅の前に、甲高い金属音と同時に痛烈な打球が飛来してきた。

 

「アウト!」

 

 雅はその打球を、一歩も動くことなく払い落とすようなグラブ捌きで手中に収めた。

 ラインドライブの掛かった打球は芯を食った良い当たりであったが、正面に来ればどうと言うことはない。雅はふんと不快さを露わに鼻を鳴らすと、スリーアウトとなったことで自軍ベンチへと引き上げようとする。

 そんな雅に、泉星菜がぼそりと言い放った。

 

「……やっぱ勝てないよ、君は」

 

 彼女が独り言のように放ったその言葉を、雅の耳は聞き逃さなかった。

 

「は?」

 

 それは一体、誰に向かってほざいているのか。もしもそれがこの小山雅に向けた言葉だとするならば、雅には到底聞き捨てならなかった。

 威圧的な態度を露わに雅は振り返り、再び星菜と向かい合う。

 

「私が勝てないだって? さっき打たれたばかりの君が、私に勝てるって言うのかい?」

「私にじゃない」

 

 激情を胸に問い質す雅に、星菜が静かに首を横に振る。

 そしてはっきりと――これまでにない力を込めた眼差しを向けて、彼女は言った。

 

「貴方自身にだよ」

「…………」

 

 小山雅は、小山雅自身に勝つことは出来ない。

 哲学のように語る星菜は、言いたい言葉だけを言ってベンチへと戻っていく。

 一人その場に取り残される形となった雅の心からすれば、やはり穏やかではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ワンアウト二塁の状況から、星菜のタイムリーツーベースで同点に追いついた竹ノ子高校。

 確実にワンチャンスをモノにしたという形ではあったが、後続の打者が青葉春人を捉えることは叶わず、試合は五回裏の守りへと移った。

 この回、ときめき青春高校の攻撃は九番の稲田からだ。無論引き続きマウンドに上がった星菜は大きく息を吸い込むと、球審の号令から程なくして投球動作へと入った。

 

「ストライク!」

 

 初球は得意のスローカーブから入り、見逃しのストライクを奪う。それは狙い通り、外角低めのストライクゾーン一杯に制球されていた。

 左腕から放たれる制球力に、ブレは無い。先の回で塁上を走り回ったことによる疲労はまだその身に残っているが、今はそれが問題になる気はしない。

 

「ファールボール!」

 

 ……寧ろ、あの一打から身体の調子が良くなった気さえする。この回の星菜は以前までと全く同じ投球フォームで、全く同じ腕の振りであったが――星菜は何故か、今はその身を軽く感じていた。

 二球でツーナッシングに追い込んだ後、星菜はテンポ良く三球目を投じた。

 そして、打者のバットが白球を打ち上げる。

 

「ライトッ!」

「おうよ!」

 

 三球目のボールは初球と同じ外角のスローカーブ。打者の稲田は体勢を崩しながらも上手くおっつけ、打ち上げた打球をライトとセカンドの間に落とそうとする。

 こちらの球威の無さを突いた、テキサスヒット狙いの軽打。それは、小山雅のホームランの後から変わったときめき青春高校の攻め方だった。

 

 ――しかし、今回の打球が地面に落ちることはない。

 

 それは、予め定位置よりもやや前進していたライトの鷹野がスライディングキャッチを敢行し、ボールが落ちる寸前のところで軽快にもぎ取ったからである。

 

「それワンアウトォ!」

「ナイス先輩! 次もいきますよ」

 

 ライトを守る二年の鷹野は実力的には今試合に出ている選手の中でも最も下の、竹ノ子高校においてレギュラー当落線上に居る選手だ。その守備力はお世辞にも高い方とは言えないが、この時のプレーは間違いなく、チームを盛り立てる見事なファインプレーだった。

 そしてそんな彼の気迫溢れるプレーは、他の選手の身にも次々と伝染していった。

 二巡目に入るときめき青春高校の一番三森左京はレフト前へのテキサスヒットを狙うものの、未然に後退していたサード池ノ川の守備範囲に阻まれサードフライに倒れる。

 続く二番三森右京。こちらも再びライト前に落とすテキサスヒットを狙うものの、倒れ込むように捕球したセカンド小島のグラブに収まり、このイニングは十球に満たない球数でスリーアウトとなった。

 いずれも、本来ならヒットになっていてもおかしくない好守備の連発だった。

 

(打たれるのは仕方ない。いや、打たれればいいんだ。今更頼りにするのも情けない話だけど……私が情けないのは今に始まったことじゃないか)

 

 まるで憑き物が剥がれ落ちたような顔で、星菜は後ろを守ってくれたチームメイト達へと礼を言う。

 しかし、ここでは頭を下げない。それをするのはこの試合が終わった後からだ。今は同じグラウンドに立っている以上、後ろが必死で守るのも、自分が必死で投げるのも当然なことだった。

 ……でなければ、また矢部明雄に怒られる。

 

「ナイスピッチッス、星菜ちゃん!」

「立ち直ったみたいだな。……って言うか、立ち直りすぎじゃない? なんか、生まれ変わった顔してるぞ」

「そうですか?」

 

 早々の攻守交代によりベンチに戻ると、頼りになるマネージャーと野球部主将が手を叩いて歓迎してくれた。

 その際主将の波輪が今の自分を指して言った言葉に、星菜は苦笑を浮かべた。

 

 生まれ変わる――自分はもう、変わらなければいけない。

 

 それこそが、彼らへのせめてもの誠意だった。

 

「変わらなきゃも変わらなきゃ、か……」

 

 いつだったかテレビのコマーシャルに出ていた、現メジャーリーガーの台詞がふと頭の中に浮かび上がる。それは少々哲学的な台詞であったが、今の自分にはしっくり来る言葉だと感じた。

 

 さて、これで五回の裏は終了し、次は六回の表――試合は後半へと向かっていく。

 星菜にはこの試合に掛かっている時間が、今までに行ってきたどの試合よりも長く感じられた。

 後半戦に移行することで今現在グラウンドには試合に出ていない一年生達がグラウンド整備を行っている最中であり、六回の表が始まるまではプロ野球ほどではないが少々間隔が空く。

 彼らに感謝しながら星菜はベンチに腰を下ろし、適度に精神をリラックスさせようとしたが……その時、星菜の目にはある光景が映った。

 

「雅ちゃん……君は何をやっているんだ……」

 

 それは、グラウンドを挟んだ向こう側のこと。相手チームであるときめき青春高校のベンチの様相だった。

 そこでは今、敵ながら目を背けたくなるほどに陰鬱とした空気に包まれていた。

 

 その空気の中心に見えるのは、やはり彼女の姿だった。

 

 小山雅――彼女はとうとう、その感情をチームメイト達に対しても抑えられなかったようだ。

 彼女がチームメイト達に向けている眼差しは、およそ仲間に対して向けて良いものではなく……激しい憎悪と憤怒に満ち溢れていた。

 その姿が星菜には、やはり自分自身を見ているようで痛々しかった。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 六回表の守備につく筈のときめき青春高校のベンチは、かつてないほどに最悪のムードに包まれていた。

 

 切り口は、他の野手陣を糾弾する小山雅の一言だった。

 先の回で送った自分の指示をこの回も継続し、テキサスヒット狙いの軽打を行ったのは良い。しかしこの回、竹ノ子高校の守備陣は内野手が定位置よりやや後ろに下がり、外野手がやや前に来る「テキサスシフト」を敷くことで対策を講じていたのだ。

 文字通り露骨にテキサスヒットを警戒したシフトを敷いてきた以上、先の回と同じ打球ならば簡単とは言わないまでもある程度グラブに収めることは出来るだろう。そんなことは、雅からしてみれば一目見て判断出来ることだった。

 しかし、彼らが自ら陣形を崩してくれたのならばこちらの戦術の幅はさらに広がるだろう。それこそ俊足の三森兄弟なら、内野手が後退している以上セーフティーバントの成功率は極めて高い筈だ。

 ほとんどお飾りの老人監督である大空飛翔は特にサインは出していない。基本的にこのチームは、各打者の感性に委ねている節がある。

 しかしそれでも、彼らは揃いも揃って馬鹿の一つ覚えのようにテキサスヒットを狙い、何の内容も無いままに三者凡退に倒れたのだ。この回は一人でも塁に出れば、自分に打席が回ってきた筈なのに……。

 

 ――この時点で、既に雅の苛立ちは臨界点を超えていた。

 

 これまではどうせ辞めた野球部だからと無関心を決め込んでいたのだが、彼らの無能さが自分の打席数を減らしたことが雅の逆鱗に触れたのである。

 

「うちの男どもがこんなにヘボだったとはね……少しでも期待していた私が馬鹿だったよ」

 

 ネクストバッターサークルから帰ってきた雅は頭に被っていたヘルメットを外すと、冷酷な眼差しをチームメイト達に向けて言った。

 歪にも、口元だけは笑っている。そんな彼女の姿は、チームメイトの全員が静まり返るには十分すぎるものだった。

 

「あれだけ露骨に狙えば、猿でも対策してくるに決まってるだろ。なんだ、君達の頭は飾りか? 身体だけで野球やってんなよ馬鹿か」

「小山、お前……」

「本当に、君達は……あんな野球選手のなりそこないになにグダグダやっているんだ! それでも男かよ、お前らはッ!!」

 

 ヘルメットをベンチに叩き付け、小山雅はただ感情のままに叫んだ。

 怒りに染まった金色の瞳に、一同は言葉を失う。既に目の前に居る少女は、彼らの知っている小山雅ではない。

 しかし戸惑いの中で彼女の言動を不審に感じ、場の沈黙を破ったのは彼女と入部以来の付き合いである青葉春人だった。

 

「……俺達が不甲斐ないのはわかる。だけど、そんな言い方はないだろ」

 

 完全に頭に血が上っている雅に対して、その怒りを鎮める為に彼は言った。

 青葉春人は、自分でも野球をやっていなければ不良少年になっていただろうなと考えているほど元来気の長い性格ではない。しかし同時に、信頼している「仲間」の様子がおかしいことに対しては、何も察せないほど愚かなつもりはなかった。

 故に青葉は彼女の激昂に対して激昂を返すことはなく、努めて冷静に問い質した。

 

「あの子……泉星菜に対してもそうだ。お前らは、友達じゃなかったのか? お前は野球人生の最後に友達と戦いたかったから、この試合を組んだんじゃないのか?」

 

 ――それは、腹の中ではときめき青春高校野球部の全員が抱えていた疑問だった。

 

 今日は朝から、雅の様子がおかしいとは思っていた。そしてそれが単に最後の試合に向かう緊張などではないことに気づいたのは、彼女と泉星菜が行った叫びの応酬からだ。

 そして、彼らは疑問を抱いた。

 

 彼女は一体、この試合を何だと思っているのかと。

 

 小山雅の真意を、彼らは知りたかったのだ。

 一同を代表して訊ねた青葉の問いに、雅は美しくも歪な唇で答えた。

 

「そうだよ! 私はあの子と本気で戦いたかった! それは本当さ。私はあの子を愛しているんだ! あの子は昔、私に道を示してくれた。色んなきっかけを作ってくれた! 私がこうして野球を知ったのも、あの子との出会いが始まりだったから……世間知らずだった私に、たくさんの思い出をつくってくれたあの子が大好きだったさ!」

 

 泉星菜は小山雅にとって、間違いなく友達だった。箱入り娘だった小山雅にとって初めて出来た親友であり、その存在は彼女の中で家族ほどに特別だったのだ。

 しかし――雅の想いはあまりにも混沌としていた。

 

「だけどそれと同じくらい、憎くてたまらないんだ! 私を置いていったくせに! 私と同じ立場のくせにっ! 私との約束を忘れて……楽しそうに野球をしているあの子が許せないのさ」

 

 泉星菜が友達であることは肯定する。

 彼女と戦うことが目的だということも肯定する。

 しかしはっきりと、彼女はこの試合が彼らの望んだ爽やかな引退試合であることを否定した。

 

「似ているんだ、あの子は私と! だからあの子と勝負すれば、私の想いは何もかも終わると思った。叩きのめしても、叩きのめされても……どっちに転んだって、こんなろくでもないスポーツをしていた自分を忘れられるんじゃないかって思ったから。自分勝手に、馬鹿な周りを振り回してね!」

 

 この試合は決して、最後の野球を楽しむ為に行ったものではない。

 この試合の全ては雅にとって……泉星菜への私怨の為だった。

 

 あまりにも歪んでいる彼女の真意を聴いて、彼らは何も返すことが出来なかった。

 ここに居る少女は、彼らの知る純粋な野球少年ではない。自分達の知っている雅とは何もかもがかけ離れている言動に対して皆が動けない中で、この場で唯一の同性であるマネージャーの大空美代子が問うた。

 

「貴方の動機はわかりました。それについては、私から言う言葉は何もありません。……ただ、これだけは聞かせてください」

 

 なまじ一同の知る以前の小山雅が穏やかで優しい人間だっただけに、彼らには目の前に居る彼女を直視し辛かった。しかし、誰しも隠しておきたいことやコンプレックスは抱えているものだし、完璧な人間などこの世には居ない。

 だから、最後の試合ぐらいこうして負の一面を爆発させても仕方がないと、美代子は思っていたのだ。

 しかし、これ(・・)だけは別だ。

 

「……貴方にとって、この野球部はなんだったのですか?」

 

 小山雅が、自分達の思っているような人間ではなかったことに対して批難する気は無い。そんなものは、他人が勝手に決めた印象に過ぎないからだ。

 しかし、彼女は青葉や朱雀と共に、この野球部に誰よりも尽くしてくれた者の一人だ。彼女が居なければこの野球部が活動することはなかったし、今でも試合の出来る人数すら揃えることは出来なかっただろう。

 だからこそここに居る者は全員彼女に感謝していたし、彼女の引退試合に対しても身を砕く思いで行っていた。ときめき青春高校の選手は皆、彼女の味方でありたかったのだ。

 

 しかしそんな思いさえ彼女にとってはどうでもいいもので……一方通行なものだったというのなら、彼らは最後まで彼女の味方であれる自信がなかった。

 

 監督を含めた一同の視線が集中している中で、雅は美代子の問いに数拍の間を空けた後、何を思ったのか哄笑を上げる。

 

「くふ……っ、あっははははははははははははハハハ」

 

 無邪気な子供のように声を出して笑い、右手で目元を隠し、左手で腹を抱える。

 そして雅は、もはや何も隠す必要はないとばかりに全てを語った。

 

「本当に……本当に君達は都合のいい仲間だったよ。どいつもこいつも頭は悪いし、人を疑うことを知りやしない。そんな呆れたお人好しでも、そこそこ野球が上手かった。まったく本当に……私が「ボク」として野球をするには、ここは最高の環境だったと思うよ」

 

 ひとしきり笑い終えたところで、雅は目元から手を放し、一同に向けて金色の双眸を晒した。

 そこにあったのはおぞましいほどに冷め切った、決して仲間に向けて良いものではない冷酷な瞳だった。

 

「最後まで本当に、都合がいい「駒」だったよ。君達は」

 

 どこまでも冷めた口調で、彼女は言う。

 

「今までだって君達とは、女の子の私が野球をする為に仲良くしていただけだ。仲間意識なんて何も感じていないし、元から友情なんてあるわけない」

 

 ――だって、私とみんなは違うでしょう? そう言って、雅は笑った。

 

「……俺は、お前のことを仲間だと思っていた」

「俺っちもさ! 雅ちゃん何悪ぶってんスか! き、君らしくないッスよ……」

「仲間? 私のこと何も知らないくせに……冗談はやめてよ。女の子の私が、君達と同じ立場で野球出来るわけないじゃん。対等でもないのに何が仲間だ。笑わせるな」

 

 信じられないものを見るように震えた声で返す青葉や茶来達に、雅が冷たく返す。

 激情を通り越した今の雅の声は冷淡で――しかしだからこそ、一同の耳には焼き付いて離れなかった。

 これ以上、聴きたくないと思うほどに。

 

「君達の頭にもわかるように言ってあげるよ。私は私より下手くそなくせに、何不自由なく野球が出来る君達のことがずっと……」

 

 ――もう、何もかもが終わっている。

 

 ――もう、何もかもがどうでもいい。

 

 そんな響きを込めて、彼女は告白した。

 

「大嫌いだったよ」

 

 それは、彼女自身が積み上げてきたものを、一瞬で崩壊させる言葉だった。

 

 








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