外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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フハハ! (赤バー評価とは)マジですか!

全く予想外の喜びに舞い上がっております。ここまで評価していただけるとは思っていませんでした。ご期待にお応え出来るよう気を引き締めなければ……



熱烈歓迎マネー者

 星菜自身、その決定を部員達から受け入れてもらえるかという不安はあった。

 彼らがもし拒絶するようなことがあれば、その時は大人しく身を引くしかない。星菜がそのように後ろ向きな気持ちで彼らの前に立っているのは、性格を含めて自分自身への自信に乏しいからでもあった。

 

 ――或いは、他の誰かに「そんなことはない」と言ってほしかったのか。

 

 そうやって自己評価を都合よく落とすことで無意識に予防線を張り、不都合なことが起こった際に精神的ダメージを緩和しようとしていたのかもしれない。初めから期待などしなければ、深く絶望することもない。実にシンプルな思考だった。

 暗い心情が表面に現れていた星菜は、そんな不安げな挙動が先輩部員達の庇護心を刺激していたなどとは夢にも思わない。

 結局その心配は杞憂に終わり、星菜は何の問題もなく野球部の新マネージャーとして歓迎されたのだった。

 

 

「まさか見学一日で決めてくれるとは思わなかったッスよ! 改めて、これからよろしくッス」

「こちらこそ、今後ともご指導ご鞭撻お願いします」

「どんと来いッス!」

 

 先輩マネージャーであり、自分を誘ってくれた人物でもある川星ほむらに対し、星菜は印象を良くすべく律儀に頭を下げる。先輩風を吹かし薄い胸を叩くほむらの姿が、星菜には頼もしく見えた。

 初対面の時こそ失礼ながら小さい先輩だなと思ったものだが、ほむらは後輩に対して面倒見の良い先輩である。昨日見学した時も感じたのだが、彼女の教え方は懇切丁寧な上に優しいのだ。気になることがあれば快く答えてくれるし、嫌な顔もしない。星菜がマネージャーになると決めた理由の一つには、彼女の人柄を気に入ったというのもあった。

 彼女とはこれから先上手くやっていきたい。そして、足を引っ張りたくないと思う星菜であった。

 

 

 マネージャーになった以上、これからは野球部員全員のことを把握しなければならない。

 少ない戦力故にレギュラー争いの激しい運動部の為か、期限までに時間の余裕はあっても早々に本入部を決める者は多く、既に野球部には多くの新入部員達が集まり始めていた。

 ほむらいわく星菜達が入学する前まで野球部員は十人しか居なかったのだが、その数も今では十八人にまで増えていると言う。それは丁度全国大会に出場可能なベンチ入りメンバーの数と等しい人数であった。

 一時は廃部寸前にまで陥った野球部がここまで活性化したことに対して、部の中で最も古参である波輪と矢部には特に感慨深いものがあったようだ。

 実際、いくら波輪風郎が普通の選手でないと言っても、全くゼロの状態から一つの部活動を蘇らせるのは並大抵の努力ではない。しかしものの見事に成し遂げてしまった二人の行動力について、星菜は心から敬意を抱いた。

 そのようにして部員が増えたことで、野球部の練習はこれから激しくなるとのことだ。その為にマネージャーという役職があり、ほむらと自分が居る。自分の役目がはっきりしていることで、星菜のやる気は十分に高まっていた。

 

 この日はほむらからスコアの付け方等マネージャーとして本格的なことを教わりつつ、部員達の練習の補佐を行いながら一日の活動を終えた。

 一日の中で、星菜は何人かの部員の顔を覚えることが出来た。元々他人の顔や名前を覚えるのは得意な方ではないが、そんな星菜でもすぐに覚えることが出来たのは彼らが進んで自己紹介をしてくれたのもあるが、何よりもその個性が強力だったのである。

 

 まずは二年生、波輪(はわ) 風郎(ふうろう)。部の主将を務める彼は昨年の秋季大会、当時一年生ながら最速147キロの直球を武器に名門海東学院高校と対等に渡り合った男だ。その試合を観戦席から観ていた為、星菜は入学以前から彼のことを知っている。昨日会話した限りでは人柄的にも気さくな印象を受け、ほむら同様に親しみやすい先輩だと思った。

 続いて、矢部(やべ) 明雄(あきお)。こちらも同じく二年生だ。部の副主将であり、ポジションはセンターを守っているらしい。星菜や新入部員達の前ではチーム一の瞬足を自称していたが、虚実の方は今後自分の目で確かめていく予定だ。語尾に「やんす」を付ける独特な口調といい、今時珍しい瓶底眼鏡といい、顔を覚えるのには最も困らない人物だった。

 三番目に覚えたのは池ノ川(いけのがわ) 貴宏(たかひろ)である。こちらも二年生で、ポジションはサードらしい。強肩がウリで、「野球部で最も頼れる男」を自称していた。彼は元々サッカー部に入部していたのだがそちらの実力は落ちこぼれで、他のサッカー部員達から笑い者にされていたところを波輪に誘われて野球部に入部してきたのだとほむらは語っていた。因みに中学までは野球一筋だったので、少しのブランクはあるが初心者ではないとのこと。赤く染髪したリーゼントヘアーが特徴的な為、矢部と同様すぐに顔を覚えることが出来た。

 次に覚えたのは外川(そとかわ) 聖二(せいじ)という先輩である。二年生だが最近野球部に入部してきたばかりで、元々は池ノ川と同じくサッカー部に所属していたらしい。しかしこちらは池ノ川と違ってサッカーの才能もありレギュラーの座も十分に狙えていたのだが、他の部員達と上手く行かなかった為、自分から転部を申し出てきたのだとほむらは言っていた。「こっちで楽しくやるのはいいんスけど、何かに付けてサッカー部を見下すのはやめてほしいッス……」というほむらの愚痴を聞く限り、性格にはやや難があるようだが中学時代はシニアで三番を打っていたらしく、ブランクはあるものの部内での実力は五指に入るとの評価である。興奮すると「お! ○○ゥー!」と何かの定文のような奇妙な叫びを上げる為、仮に星菜に顔を覚える気がなくてもすぐに覚えることが出来ただろう。

 そして、六道(ろくどう) (あきら)。ポジションはキャッチャーで、昨日鈴姫のキャッチボールの相手をしていた男である。黒紫色の髪に赤い瞳という特徴的な容姿をしているが、性格は寡黙で物静かである。彼自身あまり目立とうという意識はないようだが、彼が波輪風郎という超高校級投手のボールを捕球出来るからこそこのチームは成り立っているのは紛れもない事実だった。この高校に彼が居たことが、波輪風郎最大の幸運ではないかと星菜は考えている。しかし、バッティングの方は本人いわく得意ではないらしい。

 

 以上の五人はただ個性が強いだけでなく、ほむらは現在の野球部における欠かせない主戦力であると語った。他の部員達はそのほとんどが弱小中学校で補欠部員だった為、この五人とはかなり実力に開きがあるのだと言う。今年加入した新入部員においても中堅校以上の野球部でレギュラーを張っていたのは鈴姫(すずひめ) 健太郎(けんたろう)と、青山(あおやま) 才人(さいと)の二人だけらしく、やはり全体の戦力は心許なかった。

 その青山のポジションはと言えば、去年までは波輪一人しか居なかったピッチャーである。最速124キロの直球と縦に曲がるスライダーを持っており、高校一年生としては悪くない水準だ。しかし今の段階では即戦力として厳しく、夏の大会ではバッティングを買ってライトを守らせたいなと茂木監督が呟いていた。何か面白いことがあると「フハハ!」と高笑いするのが口癖で、強気になると「猪狩! 出てこいや!」などと熱いビッグマウスぶりを見せる。鈴姫を除く同級生の中では、良くも悪くも星菜の印象に残った人物だった。

 

 

 

 

 

 

「星菜ちゃん!」

 

 時刻が十八時を過ぎたことで一日の活動が終わり、更衣室に移動した星菜が学校指定のジャージから制服に着替えていると、ほむらが名を呼びながら近づいてきた。見れば、ほむらは既に着替え終えている。胸部にほとんどとっかかりが無い為か、中途半端に出っ張っている自分よりもスムーズに着替えれるのだろう。何の悪意もなくそんなことを考える辺り、星菜の性格は中々にあくどかった。

 

「一緒に帰ろうッス!」

 

 そんな星菜の心の内を知らぬほむらは、邪気一つない笑顔を向けてそう言った。

 これは着替え中に聞いたことなのだが、どうやらほむらの自宅は星菜と同じ方角にあるらしく、バスの行先が同じらしい。

 

「はい、いいですよ」

 

 彼女とは同じバスに乗って、帰宅することが出来る。彼女が誘ってくれたことに対して、星菜に断る理由は何もない。上着のボタンを丁寧に取り付けると、星菜は振り向き、その提案を了承した。心なしか彼女から胸部に向かって恨めしげな眼差しを送られている気がするが、こちらとて言われるほどのものはない筈だ――と星菜は考えている。……全く持って、どうでもいいことだが。

 

「……星菜ちゃんは仲間だと思ってたのに」

 

 星菜は真剣にどうでもいいことだと考えているが、それが一般的な女子の認識として正しいかと言われると自信はない。ほむらの反応を見る限り、本当はどうでもいいことではないのだろう。胸に手を当てて目に見えるほど深刻に気にしているようなので、星菜はふと思い出した話でフォローに入った。

 

「大丈夫ですよ、先輩。最近ではそれが小さい人が流行っているそうです。練習中、そのようなことを矢部先輩が池ノ川先輩と話しているのを聴きました」

 

 だがそれを聞いたほむらは星菜の予想に反し、機嫌を良くするどころかさらに悪化させた。

 

「あ、あの二人は練習中に何を話しているんッスか!」

 

 顔を赤くしながら、ほむらは今にも暴れたそうに拳を握る。

 彼女が何故怒るのか――一瞬理解出来なかった星菜だが、少し考えればすぐにわかることだった。

 

(……確かにそんなくだらない話は、練習中に話すことじゃないな)

 

 それならば、ほむらが怒るのも当然である。どうにもあの先輩方は、練習に対して集中力が足りないのではないかと疑問が浮かぶ。

 

「練習に集中出来ていない人には、私からも声を掛けてよろしいですか?」

「どんどんやっていいッスよ! 先輩が相手でも思いっきりやっていいッス! もし何かあったらほむらが守るッスから!」

「――ッ、そ、そうですか……」

 

 新入マネージャーという身分ではあるが、現場への口出しをある程度許してもらえるのなら今後の仕事がやりやすくなるかもしれない。そんな思惑で星菜は訊いてみたのだが、ほむらから返ってきたのは予想以上の言葉だった。彼女はマネージャーとして、彼らが練習中に駄弁っていたことが相当頭に来ているようだ。

 

 ――それにしても。

 

(守る、か……)

 

 さっき、何かあったら守ると言ってくれた。

 入ってきたばかりの後輩に、味方をしてくれるというのだ。

 自分には勿体無いほどよく出来た、先輩の鑑のような人間である。

 

(いつも、周りの人間には恵まれているのにな……)

 

 せめて、彼女の後輩として恥をかかせないようにしよう――星菜は心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 バスに揺られること十分弱、自宅から最寄りのバス停にて、星菜はほむらと別れた。片道がこの程度の移動時間で済むところも、星菜が竹ノ子高校に入学した理由の一つである。中学時代は自宅から遠く離れた学校に通っていたこともあり、短くて済む移動時間の有り難みは深く理解していた。

 

 バス停から五分と掛からず自宅に着いた星菜は、ただいま帰ったと家内に報告する。

 

「あら、おかえりなさい。お風呂なら沸いてるわよ」

「ありがとう、母さん」

 

 時計を見ると、時刻は六時半を回っている。台所には夕食の用意を行っている母の姿があり、居間には座布団に顎をつけながらテレビを眺めている弟の姿があった。

 弟――海斗の元に近寄ると、星菜は身を乗り出してそこに映る画面を確認する。

 画面に映っていたのは、室内球場で行われているプロ野球のナイター中継だった。

 

「ん、バファローズはファイターズ戦か」

「今日はチャンネル争わなくていいね」

 

 対戦カードは「ファイターズ」対「バファローズ」の一回戦だ。ファイターズは海斗の、そしてバファローズは星菜の贔屓しているプロ野球チームである。姉弟とも贔屓チームが異なる弊害から、日頃ナイター中継が始まる時は決まって互いの贔屓チームの試合の視聴権を巡って争うのだが、この日は直接対決の為か穏やかに観戦することが出来た。

 

「ファイターズは只野か。バファローズの先発は誰だっけ?」

「神童だよ。どこも今日は開幕投手が投げてる」

「おお、なら早く風呂入ってこよっと」

 

 その上先発投手が贔屓チームのエースだと言うのだから、テンションは上がるというもの。特に神童(しんどう) 裕二郎(ゆうじろう)と言えば、バファローズのみならずいずれは「日本のエース」になることが濃厚の大投手である。最速151キロの直球やスライダー他多数の変化球を武器に、ルーキーイヤーの昨年はタイトルを総なめした上で新人王を獲得し、全プロ野球ファンに大車輪の活躍を見せつけた。今年は開幕投手を務めると二年目のジンクスも何のその、あっさりと完投勝利を収めている。

 彼の直球や変化球の威力はもはや規格外の一言に尽きるが、星菜が最も評価しているのはその精密なコントロールにある。彼の左腕から放たれたボールが寸分狂わず外角低め(アウトロー)に叩き込まれる瞬間、星菜は喉元を撫でられた子猫のようにとろけた表情を浮かべるものだ。

 星菜は150キロの直球など必要ないという持論を持っているが、だからと言って剛速球そのものを嫌っているわけではない。彼女が嫌悪しているのはまともに制球出来ない力任せの150キロのことであり、外角低めに決まった150キロに関してはその限りではないのだ。同じ球速でも神童のような「技」を持った剛速球ならば、十分に好みの範疇だった。

 

 

 

 

 風呂に浸かり、一日の汗を流した星菜は、一刻でも早く神童の投球を観るべく素早く寝間着へと着替えた。

 ドライヤーで髪を乾かした後居間に戻ると、テーブルには母が作ってくれた今晩の夕食が並べられており、弟が眺めているテレビ画面には見慣れたコマーシャルが流れていた。

 

《こんにちは。アシク・ジーターです》

「CM中だったか。試合はどうなった?」

「これから三回表が始まるとこ。まだどっちも0点だよ」

「ふふ、神童と只野なら、今日はバファローズが貰ったな」

「む、只野だって打たれないよ!」

 

 贔屓チームのエースが登板している試合に高揚しているのは、星菜だけではない。それはファイターズファンである海斗も同じだった。

 この日先発の只野(ただの) 一人(かずひと)は今年で二年目。昨年は14勝を上げたファイターズの勝ち頭である。高校時代はチーム打率1割台のチームを甲子園出場に導き、大学時代は各球団のスカウトから「左の神童」、「右の只野」と並び称されたほどの投手である。

 実力もさることながら、そんな彼の野球人生を少年心に面白いと感じたのか、海斗はファイターズの中でも彼を最も贔屓していた。

 

《こちらのお値段5980円! 5980円です!》

「さてと、三人揃ったところで、いただきましょうか」

「うん。いただきます」

「いただきまーす!」

 

 テレビのコマーシャルが明けるのを待ちわびながら、星菜と海斗、そこに母を加えた三人が食卓に着く。父親だけは仕事の超勤が多い為、基本的に一家全員が食卓に揃うことはなかった。

 だが、三人だけでも母と弟と食べるご飯は一人の時よりも数段美味しい。母親お手製の味噌汁をすすりながら、星菜は改めてそう思った。

 コマーシャルが明けると、テレビ画面にバファローズのエース神童の姿が映し出される。ヒットはまだ、一本も打たれていない。

 そのイニングも危なげなく打者三人で抑えると、再びコマーシャルが始まった。そう言った攻守交替の空き時間を見計り、星菜はテレビから母親へと視線を移すと「伝えるべきこと」を話した。

 

「母さん。事後報告で申し訳ないけど、私、今日から野球部のマネージャーになったよ」

「……そう。それで、上手くやっていけそうなの?」

「まだわからないけど、そう思う。先輩、いい人なんだ」

「……うん、貴方が決めたことなら、私は何も言わないわ。貴方が野球が大好きだってことは、一番わかってるつもりだから。お父さんもきっと、そう思ってるでしょうね。でも、困ったことがあったらもう一人で悩まないこと。あと、坊主頭にだけはしないでね?」

「わかってるよ。……ありがとう、母さん」

 

 夕食の時間は、家族とゆっくりコミュニケーションを取ることが出来る最良の時間である。星菜は竹ノ子高校の野球部の質が多くの面で中学時代と異なっていること、愉快な先輩達が居ること、そして自分を誘ってくれた頼れるマネージャーの先輩が居ることを、母親に話した。

 母親は、それらの話を嬉しそうに聞いてくれた。波輪風郎の話題を出した時は、横から割り込んできた海斗にサインを貰ってくるようにせがまれたものだ。確かにこれから先波輪がプロ野球選手になるとすれば、今の内に貰っておいたそれは良い記念品になるだろう。

 だが、そう上手く行くとは限らないのが人生である。

 自分のこれまでの人生と、「もう一つの」人生の記憶を思い返し、星菜はしみじみと思う。

 昨年の秋季大会で見た竹ノ子高校のエース――波輪風郎が残りの二年を順調に消化すれば、プロ入りはまず間違いないだろう。だが、どんな時にも「もしも」は起こりうる。

 

(そんなことが起こらないように選手を支えていくのも、マネージャーの仕事だな)

 

 期待に輝く弟の目を見て、星菜は自らの責任の重さを感じる。

 だがそれは、決して悪いものではなかった。

 


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