外角低め 115km/hのストレート【完結】 作:GT(EW版)
古めかしいチャイムの音が四時間目の終わりを告げると、生徒達はそれぞれのやり方で待ちに待った昼休みを堪能する。
二年二組の教室では川星ほむらが丁度自らの弁当を食べようとしていたのだが、そんな彼女の元に二人の男子が現れた。
一人は野球部の主将、波輪風郎。そしてもう一人は、彼が無理矢理連れてきたと思われるお笑いメガネ――矢部明雄である。
二人とも一組の者であり、本来は他のクラスに居る筈なのだが、波輪にはどうしてもほむらに話したいことがあるらしく昼休みが始まった途端、二組の教室に駆け込んできたのである。
矢部明雄が突然面倒事を持ち込んでくることなら割と良くあるのだが、今回のように波輪が持ち込んでくることはあまり多くはない。
その物珍しさに何事かと興味を抱いたほむらは、弁当箱の中身に口を付けながら詳細を求めた。
すると、波輪はどこか神妙な表情で話し始めた――。
――五分ぐらい続いた彼の話を要約すると、
昨日、鈴姫からどうしても勝てない相手が同じ中学校に居たという話を聞いた。
その選手はあろうことか、今はこの竹ノ子高校に入学しているらしい。
ならば是非ともその子を野球部に勧誘したいのだが、鈴姫は何故かそれ以上の情報を語らなかった。散々好選手の存在をほのめかしておきながら、名前すら教えてくれなかったのである。
おかげで波輪は気になって仕方がなく、昨夜はあまり眠れなかった。
――そうだ! 中学野球の情報も網羅しているほむらちゃんになら、その選手のことがわかるかもしれない!
四時間目の授業を睡眠学習で過ごしていた波輪はふとそのことを思いつき、昼休みが始まったと同時に急いで二組へと駆け込んだ――というのがここまでの経緯である。
それを聞き終わった時、ほむらの意識はすっかり弁当箱から離れていた。彼の話に対する興味が、弁当箱の中身に対するそれを上回ったのである。
「……そんな筈はないッス」
話を聞き終わり、一呼吸置いてからほむらが出した言葉は、波輪の期待にはそぐわないものだったろう。
「鈴姫君が居た中学――白鳥附属中学校には、鈴姫君より上手い選手は居なかったッス」
真面目な鈴姫が口から出任せを言うとは思っていないが、ほむらから言わせてもらえばそもそも彼以上の選手が同じ中学に居たという話自体が信じられなかった。
この川星ほむらの情報網に抜かりはない筈だ。昨年の有望な中学生の情報ならば進路先まで調べ尽くしており、特に鈴姫健太郎の出身中学――「白鳥学園附属中学校」と言えば、中学軟式野球界では有名な強豪校である。近い将来部員の大半が名門校の一つである「白鳥学園高校」へと繰り上がり、強敵になることが必至であるこの中学の情報は、特に念入りに調査していた。
そんな生粋の野球マニアであるほむらだからこそ、断言出来る。
彼の出身中学には、彼以上の選手は居なかったと。
「そうかぁ……まあ俺だって、アイツほどの選手がそう何人も近くに居るとは思ってなかったけどさ」
「鈴姫君と丸林君みたいな全国レベルの逸材が、二人してこんな高校に来ただけでも奇跡ッスよ。そんなに都合よく行けば甲子園は要らないッス」
竹ノ子高校は昨年こそ波輪一人の力で二回戦を突破したが、本来は弱小もいいところの無名校である。昔は強かった時期もあったようだが、今となっては誰も覚えていない。悲しいが、そんな学校だ。
現実が見えているからこそ、ほむらは辛辣に言い捨てた。だがそれならそれで、まだ腑に落ちないところがある。そのことについて、ほむらと波輪が意見を出し合う。
「……じゃあなんで、鈴姫の奴はあんなこと言ったんだろう?」
「鈴姫君が自分の実力を過小評価していて、逆にその子の実力を過大評価している――とは考えられないッスねぇ」
「だよなぁ。アイツ、他人の評価も自分の評価もすげえ的確だし」
「ほむらも嘘じゃないとは思うんスよ。もしかして、その子は鈴姫君より凄かったけど、怪我か何かで公式戦に出られなかったとか。それならほむらの情報網に引っ掛からないのも頷けるッス」
「あ、それはあるかも! アイツ、妙に悲しそうに話してたから、きっとそうなのかもなー」
鈴姫の話が本当で、尚且つほむらの情報網を潜り抜けるとすれば、その説は合っているのかもしれない。意外とすんなりと結論らしきものにたどり着いたことで、ほむら達は喜ぶ。
だが、重要な点はそこではない。波輪は最終的に、その選手を野球部に入れたいのだから。
もし二人の推測が当たっていて、その子が今野球が出来ない怪我をしているのだとすれば、勧誘は諦めるしかないだろう。だが本人と会って真実を確かめない以上、ここで話を終わらせるわけにはいかなかった。
「あのさぁ……でやんす」
取って付けたようなやんす口調で二人の会話に割り込んできたのは、すっかり存在を忘れかけていた矢部明雄である。
そろそろほむらが「矢部君は何の為に連れてきたんッスか」と訊ねようとしたところで、丁度良いタイミングだった。
「それ、星菜ちゃんに聞いてみたらどうでやんすか?」
そして、思わぬ名前が飛び出してきた。
星菜――それは昨日ほむらが熱烈的に勧誘してきたマネージャー候補、泉星菜のことであろう。
何故この話題で彼女の名前が出てくるのか――二人が考えるより先に、矢部が言った。
「星菜ちゃんも、鈴姫君と同じ白鳥中学でやんす」
「なに!?」
「そう言えばそうッス!」
ほむらと波輪は、完全に盲点を突かれた。
鈴姫健太郎と泉星菜――本人達は預かり知らぬだろうが、実はこの二人は二年生の間で色々と噂されている。とは言っても、実際にほむらの耳に入ってきたのは今朝のことだったが。
噂の一つは、二人の容姿だ。新入生一番の美男子と言えば真っ先に鈴姫健太郎の名が上がり、美少女と言えば泉星菜の名が上がる。他の新入生にも格好良い男子や可愛い女子も居ないわけではないのだが、この二人だけは別格に飛び抜けていると男女で評判だった。
そしてもう一つが、二人の出身中学である。鈴姫も星菜も、地元では超エリート校として有名な白鳥学園附属中学校から入学してきたのだ。
二年にも三年にも、竹ノ子高校に同じ中学の出身者は居ない。優等生だらけの中学校に対し、偏差値が中の下程度の公立高校では質が釣り合わない為、白鳥中学から竹ノ子高校を受験する者など居よう筈がないのだ。
そんな物好きが、今年になって二人も入学してきた。それも揃いも揃って美男美女と来れば、これが噂にならない筈がなかった。
「いや待つッス! 聞いてみる以前に、この学校には鈴姫君と同じ中学の子は一人しか居ないじゃないッスか!」
「な、なんだってー!?」
「ん? どういうことでやんすか?」
そこまで思い出した瞬間、ほむらの思考は一気に答えへとたどり着いた。寧ろ、何故すぐにわからなかったのかと先までの自分を小一時間糾弾したいところだ。
そうだ、そもそも新入生の中から鈴姫の言う人物を捜し出す必要はなかったのだ。
鈴姫が「同じ中学」と言った時点で、正解の人物は一人しか居ないのだから。
「ってまさかおい、嘘だろ!? もしかしてあの子が!? だって……えええっ!?」
「落ち着くッス波輪君!」
ほむらと同じ答えにたどり着いたであろう波輪が、クラス中の視線を一身に浴びるほど酷く慌てふためいた。
そんな反応をするのも無理はない。ほむらには彼の気持ちが十分にわかった。
これを言われたところで、誰が信じようものか。いや、絶対に誰も信じないだろう。
泉 星菜――あの少女こそ、鈴姫が認める格上の野球選手であるなどと――。
同時刻。
まだ自分が周りからどう噂されているのかを知らない泉星菜は、「職員室」と示されたその部屋の中を訪れていた。
擦れ違う教師達に対して会釈を交わしつつ、星菜は目標の場所へと向かう。それは理科化学の教師であり、野球部の顧問でもある茂木林太郎の居場所であった。
「茂木先生。これをお願いします」
昼食を食べ終え、眠たそうに目を瞬かせている茂木にこんにちはと昼の挨拶をした後、星菜は目上の者に対する硬い口調から一枚の紙を差し出す。茂木はそれをあくびを上げながら気ダルそうに受けると、直後、少し驚いたように目を見開いた。
「……早いな。期限は今月まであるのに」
星菜が差し出した紙――そこには、「入部届」と書かれていた。
昨日のHRより新入生全員に配られたその紙は、各個人の判断で期限までに希望の部活動の顧問へと提出するようになっている。
星菜はそれを、「野球部」の顧問である茂木へと提出したのだ。その光景を周囲で見ていた他の教師達は驚きの表情を浮かべ、茂木もまた意外そうな顔を浮かべていた。
「良いのか? もっとじっくり決めてもいいんだぞ?」
「大丈夫です。全て見学しても、最後にはこちらを選ぶと思いますので」
「お前なら他の部からも引く手数多だと思うんだがな……まあなんていうか、お前も物好きな奴だなぁ」
彼が「驚き」ではなく「意外」で済んでいるのは、星菜が昨日野球部を見学したことを知っているからだろう。だが流石に、翌日になってすぐに入部届を提出してくるとは思わなかったようだ。
星菜もまた、当初はすぐには決めずに色々と見学し回ってから部活動を決めていく予定だった。だが彼女にも、心境の変化というものがあった。
「私はこの部活が、一番好きになれると思ったんです」
「早計な判断だなぁ」
「それに、甲子園に行った高校でマネージャーをやったという経歴があれば、今後の進路にも役立ちますしね」
「おおー、それは随分ビッグマウスだな」
「あとそれと……」
星菜は自ら本心の全てを語ろうとは思っていないが、当たらずとも遠くない入部理由を述べる。
それらは決して嘘ではない。星菜が他のどの部活よりも野球部を好きになれそうだと感じたのは、確かな事実である。それは美術でも料理でもなく、星菜自身がどう変わろうと思っても彼女は野球を超える趣味を当分見つけられそうにないと思っていたからだ。
星菜はそれほど野球が好きで、「一度辞めても」まだそれと関わっていたい思いがあったのだ。
それはアニメ離れ出来ない子供と同じで、離れられない彼女の趣味であった。
(……マネージャーなら、もう疎まれたりしない。選手の頃みたく、見捨てられることもない。それで私がこの趣味を楽しめるなら……)
そして、何よりも――。
「……川星先輩に、私が必要だと言われたので」
だからこの日、泉星菜は野球部のマネージャーとなった。