外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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竹ノ子高校の泉星菜

 

 七月も終盤に差し掛かった今、小波大也の率いる恋々高校もまた、八月の頭には竹ノ子高校と同様に強化合宿を控えていた。

 夏の大会では女性選手である早川あおいが出場した為に規定違反として無念の脱落を喫した恋々高校であるが、生憎にも恋々高校の野球部員達は諦めという言葉を知らなかった。誰も彼もが往生際が悪く、この日も時間の浪費となることも厭わずに駅前にて署名運動を行っていた。

 

 そして道行く通行人達にビラを配る恋々高校野球部員達の中には、同校とは違う緑色の制服を纏った二人の生徒の姿があった。

 

 一人は、竹ノ子高校が二回戦で敗退して以降間も無くこの運動に加わってきた鈴姫健太郎という少年。

 そしてもう一人は女子選手である早川あおいと同じ境遇に居る、泉星菜という少女だった。

 

 恋々高校主将の小波がこの署名運動に新たに加わった星菜の働き振りを遠目に眺めていると、傍らからチームメイトの奥居が呟いた感心げな声が耳に入った。

 

「すっごいなあの子、とんでもない勢いでお客さん集めてるぜ」

「誰だって綺麗な女の子に呼び止められて悪い気はしないからね。僕達みたいなむさ苦しい男達よりも、彼女みたいな子の方が人は集まるよ」

「だな。はは、鈴姫の奴怖い目でお客さん睨んでるぜ」

 

 一輪の花に群がる蝶々よろしく、彼女の周りには署名をしに集まった多くの通行人達の姿がある。恋々高校の美人マネージャー、七瀬はるかが署名運動を行っている時も同じような現象が起こるものだが、彼女のそれもまた全く劣らない成果をたたき出していた。

 こう言っては本人は嫌な顔をするだろうが、彼女には売り子の才能があるのだと思う。彼女自身は否定するだろうが、泉星菜という少女にはその場でじっとしているだけでも人の目を引き付けるカリスマ性があるのだ。

 

「しかしまあ、何だ。あおいちゃんにはるかちゃんに彩乃ちゃんに、そして今度は星菜ちゃんと来た。お前って奴は本当に美少女と縁があるよな」

「自分のことながら、幸運だよね」

「全く憎いぜー。その運、オイラにも分けてほしいぜ……」

 

 心底羨ましそうに吐かれた奥居の言葉に、小波は改めて考えると確かにその通りだと認める。これはこれでまた色々と気苦労もあるのだが、彼には何かと美しい女性と接点が多いのだ。

 

(……まあ、あの子は昔から妹みたいなものだったけどね)

 

 小波自身は星菜に対して恋愛的な感情を抱いたことはないが、彼女が多くの男達から人気を集める理由は十分に理解している。彼女の学校では色々と面白いことになっているのだろうなと、彼女の周りに鼻の下を伸ばしながら集まってくる通行人達へと鋭い視線を向けている鈴姫の姿を見て思った。

 しかし小波が最後に会った時と比べ、星菜の表情は生き生きとしているように見える。通行人達に振り撒いている愛想笑いも見る者が見れば本当に心から笑っているようにも感じられ、その変化は彼女と幼馴染である小波でなくとも傍目から気付くことが出来るほどあからさまなものだった。

 その姿を見るに、どうやら彼女は過去をある程度断ち切ったと見て良いのだろう。この署名運動に自分から参加したいと言ってくれた時点で、彼女が以前よりも前向きになっていることは明白だった。

 

「二人とも手が止まってるよ! 喋ってないで手伝って」

「お、おう! そうだな、余所者にばっかいい格好はさせられないぜ! 見ていろあおいちゃん!」

 

 小波と奥居が他の部員以上のペースで署名を集めていく星菜の姿を眺めていると、後方から恋々高校の女子選手、早川あおいの声が突き刺さってきた。奥居は持ち前の聞き分けの良さから声を掛けられた途端にピリッと背筋を正して即刻通行人達の群れへと突入していったが、小波は彼の後を追う前にあおいと向き合った。

 

「あの子のこと、君にばかり苦労を掛けさせたね」

「苦労? ボクはただ自分が思ったことを星菜ちゃんに話しただけだから。苦労だなんて一度も思ったことないよ」

「……それでも、あの子が立ち直れたのは君のおかげだよ。僕の言葉じゃ、あの子には重荷にしかならなかっただろうから。だから本当に、ありがとう」

 

 星菜が野球に対して再び前向きになってくれたのは、他ならぬ早川あおいが同じ女子選手という立場から親身に相談に乗ってくれたからなのだと小波は思っている。小波は直接現場に居合わせることこそ無かったものの、彼女とあおいが互いに連絡を取り合う仲であることはあおいから聞いていたのだ。

 そして数日前あおいが彼女と口論したことも、小波は聞いていた。

 その際、星菜があおいに語っていた内容までは余計な詮索として聞かなかったが。

 

「……でも、良かったの?」

 

 晴れ晴れとした顔で礼を言う小波に、あおいは一度別の場所で署名運動を行っている鈴姫健太郎の姿に目を向けた後、再び星菜の方へと視線を戻して言った。

 

「ボクが横槍を入れたせいで、あの子達の仲ってば随分進展しちゃったみたいだけど」

 

 言いながらほのかに苦笑を浮かべるあおいの横顔からは、ほんの少しばかり後悔の色が窺える。というのも、彼女が小波に対して後ろめたさを感じているからであろう。周囲の人間からは浮ついた話に「鈍い」と言われることのある小波であるが、自分が彼女にそんな表情をさせる理由には即座に思い至った。

 

「良かったに決まっているさ」

 

 そして、迷うことなく返答する。

 

「あの二人ならお互いに足りないものを埋め合うことは難しくても、足りないものをどこまでも一緒に探して、埋めるまで一緒に努力することが出来る。だから二人合わさると恐ろしいんだよ、あのコンビは」

 

 自ら体験した出来事を脳裏に浮かべながら、小波は実感を込めてそう言った。

 幼馴染という立場から過去に二人と友人付き合いのあった小波からしてみれば、二人が過去から未だに恋人同士になっていないことの方が驚きなぐらいである。あの二人が元々それほど相性の良い関係であることは、他の誰よりも小波が知っていた。

 あおいが二人の仲を近づけたことに対して小波に多少なりとも後ろめたさを感じているのなら、それは見当違いだと言いたかった。寧ろ小波は、どこまでも二人の今後を応援したいと思っているのだ。

 

「だから二人の間には僕が付け入る隙なんか無いし……まあ、実際に付け入ろうと思ったことは一度も無いけどね。周りからは、よく勘違いされていたみたいだけど」

「へぇ~。その割には、いつも鈴姫君からは親の仇みたいに見られてるみたいだけど?」

「はは……まあ、僕は彼に恨まれて当然だからね」

「でも、そっちの方もなんとかしたいね」

「……そうだね」

 

 かつては恋人同士のように仲の良かった二人の道が再び交わったようで、小波もまた肩の荷が下りた気がした。

 現金な気もするが、これで何の遠慮もなく自分の恋路(・・・・・)に専念することが出来る気がしたのだ。

 

「ところで話が変わるけどあおいちゃん、次の休日、もし良かったら僕と……」

「あっ、そこの人すみませんがお時間いただけますか?」

「む、オイラでやんすか? ってあんた恋々高校の!」

 

 この場では割とどうでも良いが小波にとっては至極重要な話を口にしようとした瞬間、あおいの意識は間が悪く小波から外れ、目の前を横切ろうとした瓶底眼鏡の通行人へと向かった。

 

「いつも間が悪いんだよなぁ……ん? あの人、確か竹ノ子高校の……」

 

 溜め息をつく小波は、どこかで見覚えのある通行人の姿に意識を切り替える。

 あおいがその通行人――偶然この場を通りがかった矢部明雄を呼び止めたことが切っ掛けとなってこの署名運動のことが竹ノ子高校野球部全員へと広まり、後に彼らがチーム一丸となって「なら俺達も参加しようぜ!」という話に発展していく辺り、小波は自身の間の悪さも一概に捨てたものではないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恋々高校の署名運動への参加は星菜と鈴姫が勝手に行っていた(監督の茂木には許可を取っていたが)ことであり、部員の全員までもが参加することは星菜も鈴姫も求めていなかった。署名を集め終わったところで女子選手の公式戦出場が認められる可能性は限りなく低く、この運動も時間の無駄になる恐れがある。星菜は自分とあおいの為に、貴重な練習時間を割いてまで彼らのことを巻き込みたくはなかったのだ。

 本当のことを言えば鈴姫にも同じ理由で参加してほしくなかったのだが、こちらはどうしてもやるという彼の熱意に負けた結果である。

 だが他の部員達となると、話は別だった。

 

 矢部明雄に署名運動のことが知られ、野球部全体で協力しようという話になるまで多くの時間は掛からなかった。

 彼らの気持ちは本当に嬉しかったが、星菜には同時に怖くもあった。

 何故、彼らはこうも自分に良くしてくれるのか――星菜には自分が彼ら全員を動かすだけの大きな対価を支払った記憶が無いのだ。

 

 故に星菜は合宿の始まる前日、部室に赴くなり直接彼らに問い質すことにした。

 

「同じ部の後輩を助けてやるのは、先輩なら当たり前のことだろ?」

 

 波輪風郎は言葉通り当然な顔をしてそう答え、

 

「可哀想だと思ったからでやんす!」

「お前の場合は下心満載だろーが。まあ、同じチームメイトなのに一人だけ仲間外れにしたくなかったからだな」

「はは、サッカー部でいつもハブられていた奴は言うことが違うな」

「うっせーぞ外川。オメーだってサッカー部に居た時はドン引かれてただろうが」

「僕は野球部の生え抜きです」

「うぜぇ……」

 

 矢部明雄と池ノ川孝宏が口々にそう答えると、横合いから外川がそんな彼らの言葉を茶化した。

 そして星菜が他の部員達の方へと顔を向けると、皆が皆、微笑を浮かべながら彼らの言葉に頷いていた。

 

(結局のところ、ただの哀れみか……昔の私は、そういうのが一番嫌いだったけど……)

 

 チームメイトが困っているから助けたい、境遇が可哀想だから助けたい、そう言った言葉を受けて素直に喜べるほど、星菜の心は真っ直ぐ出来ていない。外面では謙虚ぶっていても性根の部分は無駄にプライドが高いという厄介な性格を抱えているが為に、星菜にはこれまでも苦しまなくて良い言葉で苦しんできた経験が多い。

 星菜は周りの人間と対等になることを望んでいる。実のところ彼女は、ウサギのように寂しがりな人間なのだ。

 その点同情や哀れみと言った感情は、どうあっても対等からは程遠い。彼らが自分のことをチームメイトとして認識してくれているのは確かに嬉しいが、本当の意味ではまだ、自分は彼らと対等の立場になれていないのだと改めて認識した。

 

(……このままは、嫌だ)

 

 星菜のことを不当に見下していたり、差別しているような者は居ないといつか六道明が言っていた。そして、対等になりたければこれからの努力で勝ち取っていけば良いとも。

 その通りだと思う。

 今は立場上、彼らの好意に甘えるしかないのはわかっている。だが星菜は、やはり現状で満足する自分にはなりたくなかった。

 

「フハハ! 署名が成功して君がベンチに加わってくれれば戦力的にプラスですからね! 何と言っても波輪先輩亡き今、ピッチャーは僕一人だけですから!」

「おいそこの一年坊、勝手にキャプテンを殺すなよ……」

「だが、その通りだ。青山の言うことは一理も二理もある」

 

 そんな星菜の心を無自覚に救ったのは、同じ一年生投手である青山才人の言葉だった。

 その言葉を聞いた瞬間星菜の心から負の感情が和らいだのは、彼の言ったその言葉こそが今の彼女にとって哀れみや同情よりも欲しかったからであろう。

 練習では星菜の投げるボールを受けている捕手の六道明が、青山の言葉を肯定しつつ補足した。

 

「泉、君の実力はここに居る全員が知っている。波輪が今後投げれるようになるかわからない現状、君は今チームで一番優秀なピッチャーなのだよ」

「六道先輩……」

「少なくとも俺は、秋の大会を勝ち上がっていくには君の力が必要不可欠だと考えている。俺達が恋々の署名運動に協力するのは確かに君と早川さんへの同情もあるが、チームとしての戦力補強の意味もあることを頭に入れてほしい。

 ……要するに君が公式戦に出場する資格は、俺達の練習時間を多少削ってでも手に入れる価値があるものだということだ。他の連中は知らんが、俺はそう考えているぞ」

「あっ、俺も考えてるぜそれは」

「俺も俺も!」

 

 家族以外の者から寄せられる無償の好意ほど怖いものは無い。これまでの経験からそのようなひねくれた考え方を持っている星菜は、六道明の言葉を聞いて少しだけ安心することが出来た。

 流石に女子選手の従妹を持っているだけあり、女子選手のアフターケアは万全と言ったところか。彼がこのチームに居て良かったと、星菜はつくづくそう思った。

 

「……この人達が星菜に優しくしているのは下心が理由だと思って今まで協力させなかったけど……こんなことなら、監督と波輪先輩に口止めさせなくても良かったな」

 

 鈴姫もまた彼らの言葉を聞いて意外そうな表情を浮かべると、ここに居る野球部員達を見る目が変わったようにそう呟いた。

 星菜にとっては彼らが色眼鏡も無く純粋に選手としての自分を評価した上で必要だと言ってくれるのなら、これほど嬉しいことはなかった。

 泉星菜というちっぽけな野球少女への同情や哀れみではなく、竹ノ子高校野球部というチームの戦力補強の為に署名運動に協力する。その大義名分ならば、ひねくれた星菜の思考でも受け入れることが出来る気がした。

 

「……本当に、良いんですか?」

 

 だが星菜には、それだけでこの嘘のように恵まれた仲間達の言葉を信じきることが出来なかった。

 闇のような暗い時期は過ぎた今の星菜であるが、深いところではまだ他人を信じることが出来ないでいる。例外は家族とあおい、そして鈴姫ぐらいだ。ここに居る野球部員達は皆人柄の良い人間だとは思っているが、だからこそ彼らの優しさに自分の存在が釣り合うと思えなかったのだ。

 

「皆さんは、こんな私のことを……受け入れてくれるのですか?」

 

 いつか彼らが自分の本性を知った時、彼らは自分のことを見捨てはしないだろうか? その不安を完全に払拭するには、今の星菜には乗り越えてきた過去が少なすぎる。それ故に心から振り絞って紡ぎ出した星菜の問いに、彼ら一同は一斉に首を縦にした。

 そして主将の波輪が星菜の猜疑心を取り除くように柔和な笑みを浮かべ、力強く言い放った。

 

「おうよ!」

 

 欲しかった、肯定の言葉である。

 それを受けた瞬間、星菜はようやく自分に自信を持って出発出来る気がした。

 

「……なら、お願いします……署名運動に協力してください。あおいさんと私のことを……助けてください……っ!」

 

 そして初めて、星菜は自分の言葉で救いを求めることが出来た。

 ずっとそれを待っていたとばかりに一斉に承りの言葉を返してくる竹ノ子野球部員達の姿に、星菜は理解した。

 

(……今、わかった……)

 

 自分だけでは何も出来ないと思いながら、他人を信用出来ないが故に救いの手を求めない。これではまるで、今までの自分は気の弱いいじめられっ子のようではないか。

 自分から求めさえすれば、簡単だった。野球のことも、鈴姫のことも、チームメイトも。

 胸を張って自分の居場所と言える場所は、ここにもあったのだ。

 

(私は、竹ノ子高校の(・・・・・・)泉星菜なんだ)

 

 だから今後、彼らから見捨てられないように。

 どこまでも、投げ抜きたいと思う。

 この場所が自分の居場所であることを許される限界まで……例え、この肘が捻じ切れても。

 

 ――それは星菜が入部して、「彼ら」と最も「野球」をしたいと思った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその決意を投球を持って表明したのが、八月の合宿期間――そこで行われた「ときめき青春高校」との練習試合であった。

 

 


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