外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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力のパワプロ、技のアバタ

 

 試合が始まり、散開したそよ風高校のナインが各々の守備位置(ポジション)へと着く。見渡したところ全体的に細身な体格の選手が多く、長打力だけは一回戦で当たったパワフル第三高校の方が上と見える。

 実際、そよ風高校の打力に関しては良くて中の下程度と言った認識である。星菜がほむらと共に調査した情報によればそよ風高校は典型的なスモールベースボールを軸に掲げる攻撃スタイルで、足やバントを絡めて一点を取り、その一点を守り抜くことに重点を置いた守備型のチームという評価だった。

 総合的な守備力では、竹ノ子高校よりも上を行っているだろう。しかし結局のところ勝敗の行方がエース投手の出来に掛かっているという点では、竹ノ子高校の野球に類似していた。

 

《一回の表、竹ノ子高校の攻撃は――一番センター、矢部君》

 

 そよ風高校不動のエース阿畑やすしが投球練習を終えると、場内アナウンスに名を告げられた竹ノ子高校の切込隊長、矢部明雄が右打席へと入る。

 先攻の竹ノ子高校のスターティングメンバーは、恋々高校と行った練習試合の顔ぶれとほぼ同じだった。

 

 一番センター矢部。

 二番キャッチャー六道。

 三番ショート鈴姫。

 四番ピッチャー波輪。

 五番ファースト外川。

 六番サード池ノ川。

 七番ライト青山。

 八番セカンド石田。

 九番レフト小島。

 

 変わったところといえば七番に新入生の青山が入り、石田と小島のポジションが入れ替わった程度である。

 だがその程度の変化は、失礼ながらこの試合においては大したものではないと星菜は考えている。

 何せ相手はノーヒッターの阿畑やすしだ。この試合では下位打線に誰を並べようと出塁は期待出来ず、得点の鍵は一番から四番までの上位打線だけが持っていると見ていた。

 

「ストライク!」

 

 多くの観衆が見守る中、阿畑やすしはノーワインドアップから投球動作へと移る。注目の第一球――いきなり投じた無回転の変化球、阿畑の代名詞とも言える「アバタボール」がキャッチャーミットへと収まっていく。矢部はストレート読みだったのか初球から思い切って強振したが、バットには掠りもしなかった。

 

(あれが阿畑やすしのナックル……アバタボール)

 

 生で見るアバタボールは、遠目で見ても自分のナックルとは違うことがわかる。しかし事前知識が多少でもあるからか、空振りしたところで矢部の顔に驚きは見えなかった。

 

「ボール」

 

 二球目。矢部の胸元に食い込んできたシュートボールがストライクゾーンを外れ、スコアボードに映し出された「B(ボール)」のランプが一つ点灯する。そよ風のバッテリーとしてはあわよくば今のボールを引っ掛けさせて内野ゴロを狙いたかったのだろうが、打席上の矢部は落ち着いた佇まいで見極めていた。

 

(矢部先輩、あの試合から浮つきが大分無くなったな……)

 

 恋々高校との練習試合以来、矢部は迂闊にボール球に手を出すことが少なくなってきた。何か心境の変化があったのか日々の練習にもより力を入れるようになり、その為かそれ以降の練習試合では五割近い出塁率を叩き出しており、今では竹ノ子高校にとって頼れるリードオフマンとなりつつあった。

 だがそれでも、まだ完璧とは言い難いが。

 

「ああん、くそっ」

「ドンマイドンマイ! 今度は頼むぜぇ!」

 

 阿畑の投じた三球目――矢部は外角低めのスライダーを打ち損じ、あえなくショートゴロに倒れた。ストライクゾーンの球ではあったがバットの真芯に捉えるには些か難しい球であり、ツーストライクでもないカウントから打ちに行く必要は無かったように思える。

 応援席内から落胆の声が上がる。が、応援する立場の者がいつまでも気落ちしてはいられない。一同総立ちの星菜達は、すぐに二番六道明の応援合唱へと取り掛かった。

 

「かっとばせ! 六道っ!」

 

 矢部の時よりも声援が大きい気がするのは、星菜の気のせいではないだろう。矢部もまたある意味では人気者には違いないが、凛とした顔立ちに加え面倒見が良く学級内ではクラス委員も務めている明は、同級生はもちろん一年生からも強く慕われている存在なのだ。

 

「ストライク! バッターアウッ!」

 

 しかしその応援も虚しく、五分と経たずアウトカウントが追加された。

 空振りの三振。決め球はやはり、「アバタボール」であった。

 

《三番ショート、鈴姫君》

 

 そして星菜がこの試合のキーマンと見ている人物の一人、鈴姫健太郎が左打席へと入る。教本に載せたくなるような無駄のないスクエアスタンスから、油断なく鋭い目つきでマウンドを睨んでいた。

 

(……あの球を、お前ならどう打つ?)

 

 一年生ながら三番ショートという攻守の要を任された、竹ノ子高校の超新星。彼が阿畑の魔球に対しどう対応していくのか、勝敗を抜きにしても星菜には興味があった。

 パワフル第三高校戦では全打席ヒットを打っている彼をそよ風高校のバッテリーも警戒しているのか、一球に掛ける時間は六道に対するそれよりも長かった。

七秒ほど間をおいて、ようやくサインが決まった阿畑が左足を振り上げる。ナックルボーラーでありながらあまりにもオーソドックスすぎるオーバースローから投じられた一球は、18.44メートルの間に緩やかなカーブを描いた。

 その球種は頭に無かったのか、鈴姫はストライクゾーン低めに入ってきたそれをあっさりと見送る。

 

(そう言えば、リトル時代の先輩後輩対決か。多分阿畑先輩の方は鈴姫のこと、覚えていないんだろうけど)

 

 いつも以上に強張っている鈴姫の顔を見て、星菜は二人の間にある因縁を思い出す。尤も阿畑が当時の鈴姫のことを覚えていたとしても、今の鈴姫は当時の彼とは似ても似つかない変貌を遂げているのだが。

 

(……時間の変化というのは、残酷だよな……)

 

 そう思うにはまだ、自分も若すぎるが。リトル時代から一人だけ悪い意味で変わってしまった自分を嘲笑うように、星菜は微笑を浮かべた。

 

(……成長したところ、先輩に見せてやれ)

 

 リトル時代は補欠でしかなかった小さな男の子が、高校野球公式戦の舞台で堂々と阿畑と対峙するレベルにまでたどり着いた。お互いの当時を知る星菜からしてみれば感慨もあり、嘘のような光景だった。

 

「大丈夫星菜ちゃん? 辛そうだけど……」

「……大丈夫です。暑いのは好きですから」

 

 どうやら傍目からは変な顔に見えていたのか隣で応援する亜美から心配そうな声を掛けられるが、星菜は視線をグラウンドに向けたまま問題はないと返す。

 平常時の星菜ならば言った後で「私が夏の暑さに強くてもしょうがない」と卑屈に考えていたのだろうが、この時はただ目の前の対決に集中していた。

 

 ――カキィン! と、鋭い打球音が響く。

 

 勝負の五球目、阿畑がツーエンドツーの並行カウントへと追い込んでから投じた、アバタボールであった。

 内角低めに決まった一球――空気抵抗によって左右に揺れながら落ちてきたそのボールを、コンパクトに振り払った鈴姫のバットが捉える。痛烈な打球は右方向へと転がっていき、投手阿畑の左側を抜けていく。

 しかし観客席が沸き立ったのも一瞬。ボールは素早く回り込んだ二塁手によって捕球され、すかさず一塁へと転送される。打者走者鈴姫の瞬足も間に合わず、惜しくもセカンドゴロとなった。

 

「少しだけ、芯を外したか……」

 

 初対戦の一打席目としては上々の内容だったが、本人はそう思っていないのだろう。不満げな表情で阿畑の顔を一瞥した後、渋々とベンチへと引き下がっていった。

 

 

 一回の表が終了した攻守交代の合間に、星菜は改めて後攻のそよ風高校のオーダーを確認する。

 

 一番センター鈴木。

 二番ショート田中。

 三番サード佐藤。

 四番ピッチャー阿畑。

 五番キャッチャー木崎。

 六番レフト高橋。

 七番ライト伊藤。

 八番ファースト山本。

 九番セカンド渡辺。

 

 全くもってどうでもいいことではあるが、妙にありふれた苗字が多いのが気になるところだ。

 前述したがそよ風高校は小粒な選手が多く、長打力に関してはパワフル第三高校の方が上なぐらいというのが事前に調べた情報である。

 しかし中には注意しなければならない打者もおり、四番の阿畑はもちろん一回戦では五番の木崎が特大のホームランを放っていたことを星菜は思い出す。

 

《一回の裏、そよ風高校の攻撃は、一番センター鈴木君》

 

 くれぐれも、二人の前にだけは走者を出したくないところだ。星菜他二百人以上もの竹ノ子高校応援団が見守る中、エース波輪風郎が豪腕を解放した。

 

 

 

 

 

 それは、圧巻の投球だった。

 いきなり153キロのストレートで観衆の度肝を抜くと、そよ風高校のトップバッター鈴木をたった三球で三振に仕留める。続く二番田中、三番佐藤を相手にもほとんどストレートのみの配球で両者空振りの三振に切って取り、三者連続三振という形で上々の立ち上がりを締めた。

 これが竹ノ子高校のエース――今大会最速の男と呼び声高い、波輪風郎の投球である。

 得意気な表情でマウンドを降りていく相手エースの姿を目に映しながら、阿畑やすしはグラブを片手に二回表のマウンドへと駆け出していく。

 

(そうや、それでええ。不調のお前を倒してもしゃーないもんな)

 

 その心にあるのは相手エースの上々の出来に対する怯えでも、勝利に対する不安でもない。

 ただ純粋に、強敵と投げ合えることへの喜びだ。

 相手が強ければ強いほど、阿畑の闘志は熱く燃え上がっていった。

 

《四番ピッチャー、波輪君》

 

 手短に投球練習を終えると、場内アナウンスから四番打者の名が読み上げられる。初回を三者凡退に抑えたこのイニングは、両陣共に四番から始まる。

 阿畑としては、待ちに待ったライバルとの直接対決だった。

 

「いくで!」

 

 捕手木崎の出したサインに快く頷き、阿畑やすしはオーソドックスなオーバースローから一球目を投じる。

 回転の無い、揺れて落ちる変化球――アバタボール。

 挨拶代わりに投じたそのボールを、波輪はバットをピクッと反応させながらも見送った。

 

「ボール」

 

 審判の判定を耳にしながら、阿畑は捕手からの返球を受け捕る。あわよくば空振りか内野ゴロを打たせたかった一球だが、相手も冷静なのか初球から低めに外したボールに手を出すことはなかった。

 

(そうそう、じっくり楽しもうや)

 

 波輪風郎は投球もさることながら、打者としても非凡な才能を持っている男だ。阿畑もまたエースであると同時にチームの四番を打つ好打者でもあるが、そちらに関しては目の前に立つ彼ほど才能があるとは思っていない。

 投手でも野手でも十分にプロの世界で羽ばたいていけるだろう。彼の贅沢すぎる才能は、一歳年上の先輩から見ても実に憎たらしいものであった。

 

「ストライク!」

 

 二球目。先ほどのアバタボールと全く同じリリースから投じたのは、短く曲がるスライダーだ。何を狙っているのだろうか、打席の波輪は外角一杯に決まったその球を今度はピクリとも反応せずに見送った。その佇まいはどこか不気味に映り、阿畑の投手としての嗅覚が危険を訴えていた。

 

(竹ノ子高校で一発のあるバッターはコイツと絶好調の時の矢部ぐらいや。まあワイの球を柵越えに出来るのはコイツだけやろなぁ。せやから、コイツに対しては慎重にアウトローを攻めなあかん)

 

 初回の波輪の投球を見る限り、打線の援護はあまり期待出来ない。故に、この試合は竹ノ子打線に一点も与えることが出来ないのだ。走者を置いてのホームランどころか、ソロホームランすら許されない試合――だからこそ阿畑は、竹ノ子高校一の長距離砲である波輪風郎を執拗に警戒していた。

 

(……と、並のピッチャーなら思うとこやろうけど)

 

 だが、警戒と逃げ腰は違う。

 二イニング目からピンチでもないのに相手打者の長打力に怖がっているようでは、宿敵の居るあかつき大附属を打倒し甲子園に出場するなど無理の一言だ。

 

「ここで向かっていかな、話にならんやろ!」

 

 チラッと自軍のベンチに居るマネージャーの姿を一瞥した後、阿畑は渾身の力を込めてボールを投じた。

 打者の内角に向かって食い込んでいくボールはシュート。打席の波輪はその変化に臆すことなくフルスイングするが、バットは空を切った。真芯で捉えれば、いとも容易くスタンドまで運ばれていたところだろう。その豪快な空振りに一度安心の息をつくと、阿畑は即座に気を引き締め直す。

 これでツーストライク、ワンボールだ。投手に有利なカウントに追い込んだ阿畑は、既に次に投じる球種を決めていた。語らずとも捕手木崎もまた同じ考えらしく、彼から寄越されたサインは阿畑の望み通り「アバタボール」のものだった。

 

(ちゃんとかかれよ!)

 

 空気抵抗によって気まぐれに変化するナックルは、阿畑自身にすらどう曲がるかわからない。しかし阿畑はこれまで幾度となく繰り返してきた練習によって、細かい制球こそ出来ないもののある程度のコースにはそれを決めることが出来た。

 間違っても真ん中には行くなと、その思いを込めて投じたボールはストライクゾーン――外角低め一杯へと上手い具合に揺れ落ちてくれた。

 

 そして、一閃――。

 

 打者が振り抜いた金属バットが快音を、阿畑の耳にとっては不吉な音を響かせる。打席上の波輪は阿畑がこれ以上無いほど完璧に決めたアバタボールを強引に引っ張り、そのフルスイングで捉えたのだ。

 

「アウト!」

 

 空を掻く痛烈な打球はしかし外野まで到達することなく、ショートのほぼ定位置にてグラブへと収められる。抜けていれば長打コースという当たりに一瞬肝が冷えた阿畑だが、とりあえずはその結果に安堵した。

 

(あっぶなかったぁ~……一打席目であそこに決まったアバタボールを打ち返すか普通? ほぼ完璧に対応しとるやないか!)

 

 安堵の後に阿畑が覚えたのは、やはり打者波輪風郎の才能に対する恐れだった。

 ショートライナーに終わったとは言えこの試合の一打席目、ほぼ初見に近い筈のアバタボールに対し、波輪は完璧にアジャストしてみせたのだ。それがどれほど異常なことかわからない阿畑ではない。

 

「……三番の鈴姫って奴にしてもそうや。そりゃあノーノーなんて大層なことをやらかしたんやし、試合前から研究されてるんやろけど、これでも付け焼刃で打てるような球やないんやけどなぁ。……まあ良かったわ、あの球が完成する前に当たらなくて」

 

 竹ノ子高校は随分前からアバタボールの対策を研究していたのか、それとも何か効果的な練習方法を見つけたのか。どちらにせよ、一回戦の相手のように簡単には行かないようだ。

 阿畑は彼に対してこれまでしてきた警戒すらも甘いと認識し、気を引き締め直した後で後続の打者と向き合う。

 

 阿畑の制球は冴え渡る。竹ノ子高校の五番外川には出し惜しみ無しとばかりにアバタボールを多投して追い込むと、決め球に選択した外角低めのストレートで見逃し三振に打ち取る。続く六番池ノ川へは内角へのシュートボールを詰まらせることで、球数少なくショートゴロに抑えた。

 

 (パワー)は波輪の方が上だが、(テクニック)は自分の方が上だと。

 

 そう言い張るような、阿畑の投球であった。

 

 


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