外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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理解出来ないこと

 

 恋々高校が白鳥学園に勝利したという報告をほむらから聞いて、星菜は喜びこそしたが然程驚くことはなかった。

 かつては甲子園に名を轟かせた古豪とは言え、所詮は過去の話だ。白鳥学園は今も中堅校の中では上位に位置する実力はあるかもしれないが、恋々高校の戦力も劣っていない。それは半ば願望込みではあったが、星菜は試合前から恋々高校の勝利を予想していたのである。

 しかし勝利という結果は別として、星菜はほむらから告げられた信じられない報告に目を見開くことになった。

 

《恋々高校は、あの早川あおいちゃんが先発したッス!》

 

 早川あおいが――女子選手が、堂々と出場したのである。

 それまで恋々高校は竹ノ子高校との練習試合で先発した奥居が投げたものだと思っていた星菜は、その事実に驚愕を隠せなかった。

 

 

「……ありえない……」

 

 ほむらとの通話を切った後、星菜は肩を震わせながら繰り返し呟いていた。

 

「ありえない……ありえないありえないありえない……! あおい先輩は何を……恋々高校は何を考えているんだ!?」

 

 確かな、激しい動揺がそこにあった。人前では澄ましきっている普段のポーカーフェイスが崩れ去り、常の星菜であればまず見せないであろう狼狽え方で息を吐く。

 

「馬鹿げている! 決められたルールに真っ向から抗うなんて……!」

 

 その声には星菜自身でも驚く程に強い怒気が篭っており、同時に、何かに怯えるように震えていた。

 それも当然だ。早川あおいが登板したということは即ち、「女子選手は公式戦に出場してはならない」という高校野球の規定を破ったということだからだ。

 そんなことをすれば高校野球連盟からどのような処分が下されるか――そこから先を想像出来ないほど、星菜は楽天的ではなかった。

 

(ありえない! なんでそんな……そんな、馬鹿なことを!)

 

 規定を破ればただでは済まない。無論、そんなことは早川あおいの方とて熟知している筈だ。規定を破った場合にはチームの勝利その物が「無かったことにされる」可能性があることもわかっているだろう。それだけでなく、最悪の場合、恋々高校は今後の大会も出場停止処分が下されるかもしれないのだ。

 彼女が何を思ってそんな愚行を犯したのか、同じ女子選手として星菜にはあおいの行動が信じられなかった。

 そして恋々高校の監督や主将の小波他、その行動を容認した周りの人間達が考えていることも、わけがわからなかった。

 

「電話を……」

 

 とにかく、今の星菜は直接本人に訊ねることで真偽を確かめたかった。手の震えからボタンを押す指が思うように動かなかったが、一度胸に手を当てて深呼吸をすることで少しは立ち直ることが出来た。我ながら酷い動揺ぶりだと自身に呆れる。

 そして引き続き携帯電話を弄ると、星菜は早川あおいに向けて発信したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空は雲ひとつ無い見事な青――これ以上無いほどの快晴である。

 しかしそれは頭上から注ぎ込んでくる日光を遮る物が無いということでもあり、住民達はこの日、今年一番の暑さに喘ぐことになった。

 そんな猛暑の中、日陰の無いグラウンドを駆け回っている高校球児達はさぞ苦しいことだろう。その光景に対し同情するでもなく、真っ先に「羨ましい」と感じてしまう自分は少し可笑しいのだろうかと――星菜はこの暑さに気だるげな表情を浮かべている周囲の生徒達の姿を見てそう考えてしまう。

 

 ――竹ノ子高校対そよ風高校の試合の日が、訪れた。

 

 波輪達が数日間取り組んできた星菜のナックルを打ち返すという申し訳程度の阿畑対策が、実戦においてどこまで役立つかはまだわからない。しかし星菜としてはサポート出来ることは全て行ったつもりであり、試合当日となったナインの表情にもさして不安の色は見えなかった。

 

「……ちゃん! ……ちゃん!」

 

 元々、難しいことは考えずに当たって砕けろというのが波輪風郎率いる竹ノ子高校のスタイルである。強敵を前に余計なことを考えている感情は、良い意味で馬鹿である彼らには持ち合わせていないようだった。

 

(これでいざ試合になって阿畑のナックルに手も足も出ませんでした、それどころか私のせいで余計に打てなくなりましたってなったら……責任を取らなくちゃいけないかな……)

 

 竹ノ子高校野球部においてネガティブ思考が強い人間は、恐らく自分だけだろうと星菜は思う。

 その点、自分がベンチに入れない現状はかえって都合が良いのかもしれない。下手にあの場所に居てもネガティブ思考の己が余計な一言を言ってしまい、それによってベンチの雰囲気を悪くしそうで怖いのだ。

 

「星菜ちゃん! おーい!」

 

 今の星菜には、こじつけでも現在自分の置かれている立場に何か一つでも納得出来る理由が欲しかった。

 「女だから」という理由以外で、一つでも多く自分が竹ノ子高校のベンチに相応しくない理由が欲しかったのだ。そうしなければ、いつか自分の気持ちを押さえつけられなくなりそうで。

 

「星菜ちゃん、応援部の人達が呼んでるよ?」

「……え? あ、すみません。今行きます! 亜美さん、ありがとうございます」

「ふふ、頑張って」

 

 グラウンドを一望出来る球場の外野付近の観客席の中、最前列の席に並んでいる応援部の二年生達に呼ばれていたことに気付くと、星菜は急いで席を移動する。

 時刻は試合開始の十五分前。グラウンド内では全体練習を行っているそよ風高校ナインの姿があり、星菜はその光景を背景にしながらスタンドを見上げた。

 

(……ああそうか、二回戦からは二年生も応援に来ているんだっけか)

 

 一回戦では一年生とチアリーディング部、そして応援部の面々しか応援に来ていなかったが、二回戦からは二年生も加わる校則となっている。三年生は受験生の為強制参加ではないが、何人か試合に興味のある者は自主的に球場を訪れているようだった。

 この場に詰め込んだ総勢200以上もの生徒の姿は球場全体として見ればなんてことはないが、正面に立って彼らを前にするのは中々壮観な光景である。彼らは竹ノ子高校の一年生と二年生であり、校則上強制されているものでこそあるが皆この試合に応援に来てくれた同志であった。

 

 生徒達は自分達の前に立つ星菜の姿を沈黙しながら眺めている。言い知れぬ緊張感を漂わせる彼らの前で一礼して姿勢を正すと、星菜はメガホンを口元に添えて声を発した。

 

「一回戦は、皆さんのおかげで勝利をおさめることが出来ました」

 

 これは、星菜が事前に応援部の者達に頭を下げて頼んだことである。選手としては勿論マネージャーとしても「公式戦にベンチ入り出来るマネージャーは一人だけ」という規定上、野球部においてただ一人だけベンチ入りすることが出来ない星菜であるが、そんな自分でも野球部の一員として出来ることがあるかもしれないと――その為に考えたのが、此度応援に来てくれた生徒達への声かけだったのだ。

 

「この真夏の日差しが辛いとお思いになる方も居るでしょう。野球にも野球部にも興味が無く、なんで自分がこんなことをと……野球部の応援に気が乗らない方も居ることでしょう」

 

 先日行った文化祭でもあったのだが、こうやって大勢の前に立って何かを話すことは、あまり自分の柄ではないことだとは思う。しかしそれでも星菜は、今は少しでも自分に出来ることをしたかった。

 この日、学校が休日の土曜日にも拘らず野球部の応援に来てくれた生徒達は、その全員が応援に乗り気というわけではないことを星菜は知っている。同じ応援席に居るからこそ、真夏の暑さに欝屈した彼らの心が伝わってくるのだ。そしてそんな彼らを、出来るだけ乗り気にさせたいと思った。グラウンドでプレーする選手のことを、本気で応援してほしいと。自分の言葉一つで何もかも動かせるなどとは思っていないが、この場に居る以上は何もせずに終わりたくなかったのである。

 

「グラウンドでプレーしている選手達にとって、皆さんの応援はとても力になります。失敗をしてしまったら励ましてほしい、良いプレーをしたら褒めてほしい……野球部の皆さんはきっと、そう思っています」

 

 どう言えば乗り気でない生徒達を鼓舞出来るか、コミュニケーションが苦手な星菜にはわからない。

 ただの押し付けに過ぎないのかもしれないと思っている一方で、しかし星菜はこの気持ちだけは伝えたかった。

 

「……ですから、どうか誠心誠意の応援をお願いします。皆さん、今日は頑張って戦う野球部を、一生懸命応援しましょう。竹ノ子高校の生徒として……野球部の一員として、お願いします」

 

 深々と頭を下げ、星菜は彼らに「お願い」をする。話している間全員が行儀よく自分の目に集中し、誰一人として口を開かなかったことに星菜は感謝した。

 そして最後に、星菜は応援部でもない自分に全員の前で発言させてくれる機会を与えてくれた応援部の面々に一礼した。

 

 竹ノ子高校の応援席が満員の甲子園球場のような盛り上がりを見せたのは、その時だった。

 

「いいいいよっしゃあああああっっ!! 今日は本気で行くぞオメエらァッ!!」

「おおおおおお!!」

「やったるぜおらあ! 面倒臭いとか言う奴は出てこいやああ!!」

「そんな気持ちはたった今捨てたぞゴルァッ!!」

「竹ノ子魂見せてやっぜオイ!!」

「オラ! 波輪っ!! 何が何でも勝てよこんちきしょう!」

「池ノ川! 外川! 元サッカー部の意地を見せつけてやれ!!」

「矢部ぇ! 死ぬ気で打てええええええ!!」

「……俺、野球部入ろうかな……」

「くそっ、よりによってなんで野球部のマネージャーなんだ……!」

 

 星菜が喋っていた最中はシーンと静まり返っていた竹ノ子高校の生徒達だが、発言が終わるなり荒ぶった調子で声を上げ出した。想像を遥かに超えてきたその反応に何事かと戸惑う星菜に対し、頭部に「竹ノ子魂」と書かれたハチマキを巻いた応援団長が親指を突き立てて笑顔を向けてきた。

 

「まあ、あれだ。うん、凄いな君、このまま応援部に転部しない?」

「……え? えっ? あの……」

「うわー、すっげえ盛り上がり。流石だわ星菜ちゃんのカリスマ性」

「そ、その……皆さんどうしてこんなに……」

 

 望み通り一同が応援に乗り気になってくれたのは嬉しいが、予想を遥かに上回る盛り上がりぶりに星菜は喜びよりも先に困惑を覚えた。なまじらしくないことをしたが故に、その後に起こることが予測出来なかったのだ。

 確かに言葉には自分なりの誠意を込めたつもりだが、一同がここまで盛り上がってしまう要素が――生徒一同に対して懇願する自分の姿が彼らの目にどう映っていたかなど、自分の容姿に無頓着な星菜には知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……な、なんでウチの連中、あんなに盛り上がってるの?」

「さあ?」

「泉がみんなの前で、なんか言ったみたいだな」

 

 突然活気に溢れ出した竹ノ子高校の応援スタンドの様子は、グラウンド内に居る波輪達からも異様に映った。どうやらマネージャーの泉星菜が応援に来てくれた生徒達のやる気を高めてくれたようだが、あそこまで焚きつけてくれるとは大したものである。

 実のところ竹ノ子高校内において、野球部の評判はあまり良くない。

 それには昨年度、廃部寸前の部を存続させる為とは言え、波輪と矢部が各部活動から部員を野球部へと強引に引き抜いてきたからでもあった。特にサッカー部や陸上部のような運動部から引き抜いてきた選手の数は多く、おかげで野球部の戦力は潤ったが貴重な部員を引き抜かれた方としては堪ったものではないと言ったところで、他所の部長達からは少なくない反感を買っていたものだ。

 そう言えば、と波輪は思い出す。

 昨年度はそういったことから時折他の運動部から嫌がらせを受けることがあったのだが、鈴姫達が入学してきた今年になってからはそういうことはまだ無い。一年の間に恨みが風化されただけという線もあるが、今現在お祭り騒ぎに盛り上がっている応援席を見れば、その理由がなんとなくだがわかるような気がした。

 波輪の口元から、思わず苦笑いが漏れる。

 阿畑戦を想定したナックル打ちの練習と言い、つくづく彼女には助けられるものだ。

 当人は理解していないが、既に泉星菜という存在は野球部には欠かせない存在と言って良いほど頼りになっており、波輪も時々彼女が一年後輩の新入生だということを忘れそうになるぐらいだった。

 

「先輩方、スタンドなんて眺めている余裕あるんですか?」

「ああ、そろそろ整列だな」

「……アイツはアイドルじゃないんだぞ……」

「ん、なんか言ったか?」

「いえ、別に……」

 

 しばらく彼女が居る観客席を眺めていた波輪達竹ノ子ナインだが、鈴姫の言葉が各々の意識を引き戻す。無表情で放たれた鈴姫の言葉にはどこか不機嫌そうな刺々しさがあったが、今は試合直前でピリピリしているのだろうと察した。

 

 ――そして数分後、ベンチの前に整列した竹ノ子高校ナインとそよ風高校ナインが一斉に駆け出し、互いに試合開始の挨拶を行った。

 

「阿畑さん、今日はよろしくお願いしますよ!」

「波輪、お前には絶対負けへんからな!」

 

 両チームの主将、波輪風郎と阿畑やすしが互いに闘志を隠すことなく向き合う。

 二人とも、世間からは将来が期待されている好投手だ。誰もが投手戦を予想する二回戦が、遂に幕を開けた。

 

 

 


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