外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

40 / 91
信頼は勝ち取るもの

 今最も会いたくない人物ではあったが、会ってしまった以上後に退くことは出来ない。前向きに考えれば予定していたよりも会うのが一日早くなったというだけであり、星菜はすぐに意識を切り替えることにした。

 そして簡単な挨拶から始まり、星菜は話す。流石にいきなり本筋を切り出すには心の準備が不足していた為、まずは自分がグラブを買う為にこの野球用品店を訪れたことを話した。

 次に、彼らのことを尋ねる。

 

「六道先輩達は?」

「ああ、俺は聖の付き添いだが……」

「ボンバーズで使っているキャッチャー防具とミットがいい加減古くなってきたので、その買い替えに」

 

 横から会話に介入してきた六道明の従妹、六道聖の言葉に星菜は思い出す。星菜は彼女の所属しているリトルチームのOBでもある為、事情はすぐにわかった。

 

「……なるほど。私達が居た頃も、相当傷んでいましたからね」

 

 彼女の居る「おげんきボンバーズ」は歴史のあるチームであり、チームメイト全員が共有している野球用具も幾分か古びた物が多い。丁度買い替えの時期が来た為、正捕手である聖とその従兄が買い出しに来たというのが二人の事情であった。

 

「明兄さん、これはどうだ?」

「ああ、良いんじゃないか。チームで使う物だから、これぐらい地味な色の方が良いだろう」

「ふむ……だが、私が着けるには少し大きそうだぞ」

 

 二人は捕手防具の並んでいる商品棚を眺めながら、今回購入する商品を選別する。

 基本は現役のリトル選手である聖が選び、不服があれば明が助言するというのが二人の選別法のようだ。

 明は割とアバウトに考えている様子だが、聖は中々お眼鏡に叶う物が見つからないようで、「むう……」と唸りながらしばらく商品棚と睨み合っていた。

 

「……泉」

 

 その時である。

 

「昨日はすまなかった」

 

 商品を厳選する聖を他所に、明が星菜へと頭を下げた。

 星菜は彼の唐突な謝罪にすぐに言葉を返すことが出来ず、彼はそんな星菜に構わず言葉を続けた。

 

「あの場面、俺は真っ先に君に声を掛けに行くべきだったんだ。君が動揺しているように見えなかったからと勝手に勘違いして、気遣いを怠ってしまった……」

 

 心底申し訳なさそうな表情を浮かべながら、明は昨日のことを話した。あの場面と言うのはセンターの矢部が落球した直後のことであろう。投手の動揺を見抜くことが出来ず、星菜に落ち着きを促す一声を掛けられなかった自分を明は「キャッチャー失格だな」と自嘲しながら言った。

 

「……いえ、全ては私のせいです……」

 

 そんな彼に星菜が返したのは、最初に自分から言おうとしていた話の本題――改めての謝罪の言葉だった。

 

「本当にすみませんでした……。私の方こそ勝手な判断で、先輩のリードを無視してしまって……」

 

 あの場面で自分が彼の要求にさえ従っていれば、被弾を浴びることはなかった。無論、チームの敗北はなかった筈だと。

 後悔は先には立たない。失ってからでは遅いとわかっていても、星菜は彼の前で顔を上げることが出来なかった。

 六道明はその言葉に虚を突かれたように、そして間を空けて苦笑を浮かべた。

 

「反省する点は、お互いにあるということか。まあ、これから精進していこう」

 

 星菜の肩をポンと叩き、明はそっと顔を上げるように言う。その声に星菜の失策を責め立てるような厳しさは無く、寧ろ過ぎるほどに甘い響きだった。  

 しかしその言葉に対して星菜が抱いたのは責められなくて良かったという安堵ではなく、昨夜抱いたものと同じ感情――深い悲しみであった。

 

「……先輩は私を責めないのですか? 私が先輩のリードに従っていれば、チームは負けなかったのですよ?」

 

 打たれて負けようが、チームからはどうでもいいと思われている。チームにとって泉星菜とはその程度の存在でしかなく、犯した過ちを責める価値すらも無い。チームメイトからそう思われているのではないかという猜疑心が、星菜の中にはあった。

 故に星菜は、早朝に決意したのだ。例えこの心が不安に押し潰されたとしても、今一度チームメイトと対話してはっきりさせる必要があると。

 

「私のせいで負けたんです……なのにどうして、皆さんは私のことを責めないのですか?」

 

 恐怖に震える唇でゆっくりと言葉を紡ぎながら、星菜は六道明と向き合って問い質した。

 彼はその言葉に対し小さく「なるほど……」と呟くと、数拍の間を置いて言った。

 

「泉、君が感じているその気持ちは自惚れだ。昨日の敗戦は君に限らず、チーム全体のミスが招いた結果だ。あのホームランが君の勝手な投球で打たれたからと言っても、チームが君一人のせいで負けたわけではない」

 

 依然甘い言葉ではあるが、真剣な眼差しは厳しく星菜を見据えていた。

 

「俺から言わせてもらえば再三に渡るチャンスをことごとく潰し、結局波輪のホームランでしか点を取れなかった俺達打線の方が戦犯だ。池ノ川や外川、レギュラーメンバーのほとんどはそう思っている。波輪だって降板したことを悔やんでいたし、誰だって一年の後輩に責任を押し付けたりはしないさ」

 

 従妹の聖と同じ赤い瞳には、彼自身の意地が感じられた。先輩としての誇りとも言うべき感情が。

 自分達先輩が敗戦の責任を後輩に押し付けるような真似をする筈が無いと――それは星菜にとって、全くの盲点だった。

 

「二年生の俺やイージーフライをこぼした矢部は流石に猛省しなきゃいけないが……君は高校初登板、それも緊急登板としては十分すぎる働きだった。それでも君が自分のミスで負けたと思っているのなら、今後はしないように悔い改めればいい。だが君は三失点こそしたがエラー絡みの失点で、ヒットはホームランの一本のみ、自責点は0だ。ミスを悔やむのもいいが、そのことには自信を持っていいと思う」

 

 心から星菜を擁護する、皮肉や悪意の無い言葉だった。その言葉に、星菜の心が揺らぐ。

 自分が思っていたよりも自分が責められなかった理由は単純なものだったのかと――淡い期待を抱いてしまったのだ。 

 

「……一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

「ああ、俺に答えれることなら」

 

 しかし、素直になることは出来なかった。

 だからこそ星菜は彼の言葉に喜ぶことが出来ず、神妙な面持ちで明の顔を見上げた。

 

「私は……皆さんから一選手として対等に思われているのでしょうか……」

 

 返答次第では二度と立ち直ることが出来ないかもしれない。それを恐れて今までは気になっても口に出さなかったのだが、星菜は決心して問い質すことにした。

 鈴姫健太郎のように綺麗に取り繕わなくても良い。ただチームメイトがありのままに思っていることを、明には言ってほしかった。

 明はその問いにしばらく考え込む仕草を見せた後、ゆっくりと言葉を返した。

 

「……君を他の部員と同じように扱っているかと言われれば、そうではないな。特にあの連中は女子の扱いに疎い男が多く、君にとっては要らない気を遣っている部分は少なからずある。君も気付いてるとは思うがな」

 

「だが……」

 

「少なくとも、今君のことを不当に見下していたり、差別しているような奴は居ないと思う。波輪も矢部も池ノ川も、全員君の一選手としての実力は認めているし、俺も認めている。俺はそういう意味では対等だと思っているぞ」

 

 星菜がどういう意図を持って問うてきたのか、それを理解している様子で明は言葉を紡いだ。故にそれらの言葉は、早川あおいと対話した時のように星菜の心に入り込んでいった。

 厳しい現状と安心すべき事実、良い意味でも悪い意味でも捉えることの出来るそれは、まさしく今の星菜が欲しかった言葉だった。

 

「これじゃ足りないか?」

「……昨日私が打たれたことで、チームの和が乱れたりは……」

「それは無いだろう。寧ろ全員、矢部を筆頭に練習への意識が変わったと思うぞ?」

 

 流石に身内に野球少女が居るだけあってか、彼は星菜にとって相談しやすい人間だった。

 つくづく自分は、周りの人間に恵まれていると思う。しかし星菜には今まで、その幸運を生かすことが出来なかった。

 元々人間不信な嫌いがある上に、星菜自身今まで周りから信頼されてきた人間でなかったという過去の経験から、その幸運を生かす術を失っていたのだ。

 だからこそ星菜は、今しがた六道明が放った言葉すらも深い部分では真偽を疑っていた。

 星菜の顔を見据えながら、六道は言った。

 

「そう言われても不安なら……これから勝ち取っていけばいいだろう?」

 

 その眼差しから厳しさが消え、相手の肩を解すような優しさが生まれる。

 

「最初から対等に信頼される人間なんてものはそうは居ないさ。俺だって最初は波輪や矢部のことも嫌いだったし、上手く溶け込めていなかった」

 

 自分の過去の経験から、まるで妹に掛けるような口調で続ける。

 

「……だが一緒に練習をしているうちに、いつの間にか信頼出来るようになっていた。人の信頼関係なんてそんなものだろう。腹の底を探り合ってばかりいたらキリがないし、俺やアイツらは表面だけ綺麗に取り繕えるほど器用な人間じゃない。気に食わない奴には面と向かって、はっきり言うさ」

 

 幼い子供を安心させるような明の口調に、星菜は今の自分がどんな顔をしているのかを察する。恐らく今の自分は、迷子の子供のような情けない表情をしているのだろう。己の惨めさに恥ずかしくなり、星菜は彼の眼差しから顔を背けてしまう。

 

「だから君はもう少し、その器に合った自信を持つべきだと思う」

「……私は自分の投球には、過大評価と言うぐらいの自信を持っていると思いますが……」

「野球についての自信じゃない」

 

 ふっと微笑を漏らし、六道明ははっきりと言った。

 

「君という人間は、君が思っている以上に評価されているのだよ」

 

 自分に言えるのはこれまでとばかりに、明は捕手防具と睨み合っている聖の元へと向かう。その場に残った星菜は、彼と話す前よりも心が楽になっていることに気付いた。

 不自然に擁護ばかりされれば疑心暗鬼にもなるが、擁護されること自体に悪い気はしない。卑屈ぶったところで、結局自分もそういうことなのだろうと思った。

 

 ならば上辺だけと思った言葉も、これからは出来るだけ素直に受け取ってみるか。

 相手の腹を探って怯えるよりも、少しは受け取った言葉を表面のままに信用してみるか。

 無駄なことだと諦めないで、本当の信頼を勝ち取れるまで自分を磨いてみるか……。

 

(……簡単に出来れば、苦労の無いことだけど……)

 

 親友すら信じられなくなったこの心が、どこまで素直になれるかはわからない。

 だがこのままで良いとは、今の星菜には思えなかった。

 

「ありがとうございます、先輩」

 

 また一つ、自分が進むべき道が見つかった気がする。

 頬を緩めながら、星菜も六道聖の元へと向かう。明に対しての礼代わりに、彼女の手伝いをしたいと思ったのだ。

 

 

 その後、星菜は聖とお互いの近況について話し合いながら買い物を進めた。

 星菜は新しいグラブ、聖はキャッチャー防具とそれぞれ目当ての品を購入し、この野球用品店を訪れた目的を果たした。

 

「聖さん、これを君にあげます」

「む、手袋?」

 

 その際、星菜はグラブと共に購入したバッティンググローブを聖へとプレゼントした。明のことを抜きにしても、以前彼女には救われたからだ。尤も彼女自身には星菜の心を救った自覚など無いのだろうが、それでもこの機会に何か礼をしておかなければ星菜の気が済まなかった。

 

「大分手に豆が出来ているようですからね。試合の時はそれを着けるといいですよ」

「練習の時に着けるのは駄目なのか?」

「豆は潰せば潰すほど手が頑丈になりますから。バッティング練習の時はともかく、成長期の間にいつも着けているのは反対ですね」

「ふむ……ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ」

 

 こちらが貰ったものへの対価としてはあまりにも安すぎるが、ここで高すぎるプレゼントをあげて聖を困らせては本末転倒だ。彼女にはその分、今後女子選手の先輩として多くのアドバイスをしてあげたいものだと星菜は思った。

 

 その後、星菜は自宅に帰り昨夜の反省文をノートに書き綴った。筆はスラスラと進んで行き、数ページが短時間の間に埋め尽くされた。

 書き終わった後は新品のグラブを自分好みの形にするべく手入れを施し、夜はグラブを抱きながら就寝した。

 

 そして久しぶりに、幸せな夢を見た気がした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恋々高校との練習試合から、二週間が経過した。

 一点リードの九回表ツーアウトから逆転されるというあの試合内容は、長年野球を続けている人間にとっても改めて野球の怖さを思い知るものだった。

 試合は敗北した。しかし、時には負けることによって勝つよりも得るものが多いこともある。少なくとも試合終了から二週間が過ぎた今、敗戦チームの監督である茂木林太郎は、あの試合に負けて良かったと考えていた。それだけ、恋々高校戦の敗北には大きな収穫があったのである。

 

「監督! もう一球お願いしますでやんす!」

 

 その収穫の一つが、日々の練習に対する部員達の変化だ。

 特に今現在センターのポジションに着き、再三に渡ってノックの要求を行っている矢部明雄の変化が著しい。茂木の目からも、それまでの彼とは明らかに練習への取り組み方が変わっているように見えた。

 

(……瓶底眼鏡で隠れているが、随分と野球選手の目になったじゃねぇか……)

 

 矢部明雄という生徒には入部一年目からも一目置いていた。

 50メートルを六秒弱で駆け抜ける瞬足に、打球判断の良さと広大な守備範囲。そして細身ながら大きい当たりを打てるパンチ力を持っており、前々から鍛え方次第では全国レベルにも劣らない素質があると思っていた。

 しかし、彼にはプレーに対する甘さがあった。練習で自分を追い込むということが、彼にはなかったのである。

 彼の頭には周りと自分の練習を見比べた際に「これだけやれば十分だろう」という意識があり、傍目からわからない程度に手を抜いてしまう癖があった。周りの選手よりも遥かに自分を追い込めるだけの体力があるのだが、波輪や鈴姫のように早朝や居残りで自主練習をすることもなかった。こちらが与えた練習はサボることなくこなしていたのだが、悪い意味で練習に慣れてしまっていたのだ。

 

(あの試合で何も責任を感じないんじゃ、男じゃないな。あの時はしょうもないエラーをしたもんだと呆れたが、アイツにとっては良いきっかけだったのかもしれないな)

 

 同じミス一つでも、それから先選手が進んでいく方向は人それぞれだ。ミスがトラウマになり、以後も満足なプレーが出来なくなる者も居れば、犯した過ちをバネに成長する者も居る。茂木は矢部が前者の状態に陥らぬか心配であったが、彼は幸いにもたくましく、後者の人種のようだった。

 叩けば伸びるタイプの選手――かつてはプロ入り目前まで行った茂木が本気で鍛えれば、将来は面白いことになるかもしれない。

 

「……まあ、精々才能を腐らせないように鍛えておくか。いくぞ矢部!」

「さあ来いでやんす!」

 

 センター深く――彼の守備範囲が及ぶ限界の位置を狙い、茂木はノックのボールを打ち上げる。狙っていたよりもやや難しい方向へと軌道が逸れてしまったが、彼はダイビングキャッチを敢行し見事に捕球してみせた。

 

「無理しすぎて怪我すんなよお前も」

 

 ナイスプレーと声を掛けたくなる素晴らしい守備であったが、それよりも先に身体を痛めていないか気にしてしまうのは些か神経質過ぎるだろうか。

 怪我の二文字というところで、茂木は同練習試合で負傷退場した波輪風郎のことを思い出す。幸いにも骨に異常は無く、見た目ほど大事にも至らなかったようで、医師からは波輪の回復力をもってすれば二週間後ぐらいには練習に復帰出来ると聞かされた。

 その二週間後というのが、丁度この日に当たる。三日前には既に腫れがひいているのを見て、茂木は彼の回復力の高さに驚きを通り越して呆れ顔を浮かべたものである。

 そんな彼は現在チームの練習に参加し、グラウンドの端側を使ってキャッチボールを行っていた。

 

(ああ、変わったと言えば泉もそうだな……)

 

 その光景を横目に映しながら、茂木は彼のキャッチボールの相手をしている少女の姿へと意識を向ける。筋骨隆々の大男と野球のやの字も知らなそうな華奢な美少女とのキャッチボールは、まるでプロ野球で行われるアイドルの始球式のようにも見えた。

 しかしお互いに構えたところへ威力のあるボールを投げ込み合うその内容は、地区予選初戦で敗退するような野球部ではまずお目にかかれないほどハイレベルなものだった。

 

「もう一球! 今の球もう一球見せてくれ!」

「……膝が治ったばかりなのですから、今は普通にキャッチボールをした方が良いのではないですか?」

「そんなこと言わずにもう一球!」

「……数球見ただけで、このスローカーブを盗むことは出来ませんよ? 後日私がじっくりと教えますから、今日は余計なことは考えないでください」

「本当か!? 約束したからな! でももう一球見せてよ星菜ちゃん!」

「……これだけですからね」

 

 ……時折少女が投げた変化球に対し、大男が瞳を輝かせてアンコールを仰ぐという小学生染みたやり取りが行われているが、二人のレベルが野球部の中で際めて高いということは誰の目にもわかった。

 

(アイツ、マネやってた頃よりも溶け込めてきたな……)

 

 茂木は練習試合の後、矢部明雄同様に変わった人物として少女こと泉星菜を上げていた。

 あの日まではマネージャー専任だった頃も含めてどこか遠慮がちな言動が多く、部の一員としてどこか溶け込めていない様子が気になっていた。

 尤も彼女は他の選手と違って性別が「女」であり、加えてボーイッシュとは程遠い性格や容姿であるが為に、部の男連中も遠巻きに見守ることはあっても自分達から積極的に引き込むようなことはしなかった。無論避けられているわけではないのだろうが、彼女と他の部員の間にはアイドルと一般人のような遠い距離感が感じられたのだ。

 

「うお、すげえ! なんでその腕の振りでこんな球になるんだ?」

「後日教えます。……波輪先輩に実践出来るかはわかりませんが」

「うーん、でも投げてみたいよなこういう球……」

 

 その距離感が、今は良い意味で縮まっているように見える。茂木には試合後の練習日から、さりげない変化ではあるが泉星菜が自分から彼らの中に溶け込もうとしている姿勢が窺えた。

 

(ぶっちゃけると俺にもああいう子の扱いはわからんからなぁ。アイツにもアイツらにも、悪い思いはさせたくないところだが……)

 

 本当ならば監督である自分が彼女に対して何かすべきなのだろうが、デリケートな年頃の少女が相手ということもあってか中々接し方がわからないで居る。まるで反抗期の娘を持つお父さんみたいだなと、こういった面での自身の不甲斐なさを自嘲した。

 一度同じ野球少女の部員を抱えている恋々高校の監督のところにでも相談するべきかと、茂木は一考した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、時は順調に過ぎていく。

 五月が終えると衣替えの季節である六月へと移り変わり、竹ノ子高校の生徒達は白を基調とした夏服を纏って登校することになった。

 

 上旬には、学生達の学力を測る中間テストが実施された。テスト一週間前には多くのクラスメイト達(主に女子生徒)が教えを乞いに星菜の元へと集まってきたものだが、結果として彼女らにどれほど貢献出来たかは星菜にはわからない。だがおかげで追試を免れたと多数に渡って感謝の声を掛けられたことは、決して悪い気分ではなかった。

 出題されたテストの問題は予想していたよりも幾分か簡単だった為、星菜はほぼ満点の成績を修めることが出来た。結果を残せたことで一先ずは安堵し、クラス委員としてある程度は示しがついたのではないかと満足している。

 

 中旬には、竹ノ子高校の恒例行事である文化祭が開催された。

 星菜達のクラスの出し物はこれと言って特別なものではなく、どこの高校にもあるような何の変哲もないクラス店であった。

 可もなく不可もない出来ではあったが、売上が思いのほか伸びたことは嬉しい誤算である。途中、恋々高校から小波大也や奥居亜美の兄、そして早川あおいが訪れたのには驚いたが、非常に楽しい時間を過ごすことが出来たと思う。

 

 そして下旬、遂に全国高等学校野球選手権大会――即ち甲子園大会の地区予選の抽選が行われた。

 竹ノ子高校が参加する地区は総勢117校ものチームが出場する。昨年優勝を飾ったあかつき大附属高校、準優勝校である海東学院高校、ベスト4に残ったパワフル高校などは二回戦から登場するシード校に選ばれ、その他一回戦から登場する高校は抽選のくじを引かなければならない。

 そして最終的に決まった組み合わせに、各々が各々の表情を浮かべた。

 

「一回戦は、パワフル第三高校ですか……」

「二回戦は順当に行けば阿畑君の居るそよ風高校、三回戦はシード校の海東に当たるッスね」

 

 主将の波輪がくじを引いた結果、決定した組み合わせは少々首を捻るものだった。

 一回戦に当たるパワフル第三高校は走攻守にバランスの取れた中堅校。星菜とほむらが集めたデータによれば、エース兼主将の皆川孝也は今年急成長した好投手である。最速140キロを超えるストレートとスライダー、シュート、決め球にはフォークボールを持ち、低めの制球が良い。初戦に当たるチームとしては厄介な相手だった。

 さらに厄介なのは二回戦に当たるであろうそよ風高校だ。高校自体は名門ではないが、エース阿畑やすしが使う彼独自の変化球「アバタボール」は昨年度の大会では猛威を振るい、優勝校となったあかつき大附属高校の打線すらも九回三失点に抑えている。惜しくも打線の援護なく敗退したが、今年は各名門校を食うやもしれぬダークホースとして注目されていた。

 そして三回戦、それまでの組み合わせを見るに間違いなく勝ち上がるであろう海東学院高校は説明不要の強豪だ。エース樽本有太はドラフト一位間違いなしの本格派左腕で、三番ザンス、四番九州、五番渋谷のクリーンアップが誇る破壊力は今年のあかつき大附属のそれに匹敵すると呼び声高い。

 

「まあ、どこが当たっても結局は波輪君次第ッスけどね」

「……そうですね」

 

 竹ノ子高校が彼らに対抗出来るか否かは、大黒柱である波輪風郎に懸かっている。幸い膝の状態は完治しているようで、既に練習試合でも何回か登板している。投球に不安は無いというのが当人の弁だ。

 くれぐれも無理をしてほしくはないが、そうは言っても聞かないのが投手の性だ。ましては波輪はエースで四番であり、無理を押してでもグラウンドに出てくるだろう。

 当日の星菜に出来ることと言えば、申し訳程度の忠告と応援スタンドから彼の戦いを見守ることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして迎えた、一回戦当日――

 

 

 竹ノ子高校は、5対0で勝利した。

 

 






 星菜の自責点はホームランの一点ではないかという感想がありましたが、記録上、スリーアウトを取る機会を得た後の失点は自責点にはなりません。今回の場合は二死で打者の打ったフライを外野手が失策して打者走者が出塁しましたが、これは守備側にスリーアウトを取る機会があった(既にイニングが終わっている)と考えるので、それ以後の攻撃側の得点はその投手の自責点にはならないということです。極端なことを言えばあのエラーの後に100点取られようと自責点は0になります。
 これより詳しいことはWikipediaの「自責点」を読めばわかると思います。野球は難しいですね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。