外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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マウンドに相応しい者

 

 五月の昼はこの日のように快晴の天気では特に日差しが強く、高く昇った太陽がじりじりと選手達の体力を奪っていた。

 しかしマウンドに立つ波輪風郎は、今更その程度の日差しを受けたところで気に掛けることはなかった。

 寧ろ波輪は、夏の暑さが大好きである。気温が高くなればなるほど心が燃えるように熱くなり、それに伴って自然と投球の調子が良くなっていく。

 波輪は一般的に、「夏男」と呼ばれる人種だった。

 

「でも、簡単にはいかんなぁ……」

 

 しかし現在波輪は、ワンアウト走者(ランナー)三塁のピンチに陥っていた。

 打席には恋々高校の四番、小波の姿がある。一打浴びれば同点になるというプレッシャーが、彼の熱い心を覆っていた。

 

 このピンチを作ってしまった流れはこうだ。

 四イニングス目になるこの回、波輪は先頭の球三郎に高めに抜けたスライダーの失投をセンター前へと運ばれると、次の三番奥居に対する一投目にすかさず盗塁を決められてしまった。

 それは、竹ノ子高校のバッテリーが持つ一つの弱点が露呈した瞬間だった。波輪はセットポジションからでも走者が居ない時と変わらず威力のある球を投げることが出来るが、クイックモーションに関しては贔屓目に見ても上手くなかった。その上打者奥居のスイングを警戒する余り走者球三郎への警戒を怠っており、絶妙なタイミングでスタートを切られたのである。さらに言えば、捕手六道明の肩は平均的な捕手のそれよりも幾らか弱い。送球が意味を成さないほど余裕なタイミングで決まった盗塁は、それらの要因が折り重なった結果だった。

 波輪は気を取り直して再度打者の奥居と対峙するが、奥居が取った行動はヒッティングではなく、サードへの送りバントだった。

 手堅い攻撃は、次の四番打者に対する信頼故か。結果的に一球で送りバントを成功させられてしまい、現在のワンアウト走者三塁という状況を作られたというここまでの状況である。

 

(大会なら、敬遠のサインが出るかもなぁ……)

 

 打席に居るのは一巡目では唯一ヒットを打ち、恋々高校唯一の得点のきっかけを作った四番打者――小波大也その人である。波輪にとって最も厄介な打者が、このピンチに回ってきたのである。

 一打で同点に追いつかれる場面であるが、ベンチからも捕手からも敬遠のサインは出ていない。まだ前半戦の四回ということもあるが、新チーム初の練習試合という現段階ではあえてそこまで勝ちに拘る必要は無いというのが茂木監督の判断だろうか。

 何にせよ波輪には、元より彼との勝負から逃げる気は無かった。

 

「ふんっ!」

 

 心にあるのは絶対の自信と、夏の太陽のように燃え盛っている熱い闘志だ。

 サインが決まったことで波輪はセットポジションから左足を上げると、渾身の力を込めて右腕を振り下ろした。

 コースは内角、球種はストレート。この状況下においても、波輪は攻める姿勢を一切崩さなかった。

 

 しかし。

 

 打者小波はそのボールを相手に仰け反ることなく、思い切り左足を踏み込んでバットを一閃。コンパクトながらも豪快に振り抜いたバットは特有の打撃音を響かすと、打ち返した打球は物凄いスピードでレフト方向へと飛翔していった。

 

「……マジかよ」

 

 後方へ振り向き、打球の行方を見届けた波輪は驚愕に染まった声で呟く。

 小波の打球は尚も勢いを緩めることなく伸び続け、そのまま場外(・・)へと消えていったのだ。

 それは波輪にとって、これまでの野球経験上信じ難い光景だった。

 

「ファ……ファール!」

 

 騒然とする球場の中、審判が遅れて判定を出す。波輪の目からもはっきりと見えていたが、小波の打球は惜しくもポールの左側を通り過ぎていたのだ。

 しかしほんの少しだけタイミングが遅ければ、逆転のツーランホームランとなっていたことだろう。竹ノ子高校としては肝が冷える光景だった。

 

「おいおい、猪狩にだってあそこまで飛ばされたことはねぇぞ……」

 

 だが波輪が何よりも驚いたのは、その飛距離である。無論いくら飛距離があろうとファールはファールであり、ストライクカウントが貰えることに変わりはない。しかしたった今飛ばされた打球を見れば波輪と言えど気楽に考えることは出来ず、そして改めて思った。

 

(コイツ、まじでやべぇ)

 

 一打席目の初対戦で打たれたツーベースと言い、これほどの打者は昨年戦った海東学院高校にも居なかった。

 一体どうしてこれほどの打者が恋々高校のような無名校に居るのか不思議でならないが、もしかすれば彼もまた自分と同類で、自分のようにあえて挑戦者の立場に回って名門校と戦いたかったのかもしれないと波輪は小波大也の境遇を想像してみた。

 それはあくまで想像でしかないが、しかしそれとは別に、波輪はこの男にどこか親近感を抱いていた。同時に、これまで対戦したことのある数多の好敵手達に対するそれと同じ、強いライバル意識を。

 波輪は球審からボールを受け取ると、一旦深呼吸をすることで心を落ち着ける。

 

 ――と、その時である。

 

(って、おいおい)

 

 一塁側の客席の深く――ふと、そこに立っている二人の青年(・・・・・)と目が合った。

 

「なんか居るし……」

 

 波輪はすぐにその場から目を逸らすように三塁走者へと視線を移したが、そこに居たのが名門校のライバルである猪狩守(いかりまもる)樽本有太(たるもとゆうた)の二人であることは見間違いようがなかった。

 どうやらこの球場には、高校最高レベルの左腕が二人も揃って偵察に来ていたらしい。全くもって、何とも光栄な話である。

 

(……来てるなら来てるって言えよ)

 

 プレートに沿ってセットポジションに入ると、波輪は捕手六道が指で出すサインに目を向ける。

 初球のストレートをあわやホームランの特大ファールにされたからか、六道は一度打者のタイミングをずらす為に外側に外れるスライダーを要求していた。

 セオリー通りの攻めで、この状況では正しい配球(リード)だろう。

 しかし、波輪はそのサインに対し、あえて首を横に振った。

 

(オメーらに見せてやる)

 

 波輪が首を振った瞬間、その意図を察してか六道は若干呆れ顔を浮かべながらもサインを変更してくれた。流石によくわかってらっしゃると、波輪は満足げに頷く。

 

(これが俺の……全力だっ!)

 

 彼が構えるキャッチャーミットを睨みながら、波輪は投球動作に移る。

 左足はマウンドからホームベースに向けて深く沈み込ませ、両腕は翼を広げた白鳥の如く大きく展開する。身体の全体で得た力の限りを指先に集中させると、空気の捻れと共にボールを解放(リリース)した。

 

 ――スパァァンッッ!!

 

 瞬間、六道のキャッチャーミットから強烈な破裂音が響いた。

 コースは内角高め(インハイ)。ゾーンの枠内に収まっていた為、球審は右手を振り上げてストライクをコールした。

 

「ナイスボール」

 

 マウンドから数歩前に出て六道から返球を受け取った後、波輪は元の位置に戻りながらおもむろに後方のモニタースクリーンを見上げた。

 

《153km/h》

 

 今の一球には絶妙な感触があったが、やはりそれなりの球速が出たようだ。

 

「どうよ、俺のストレートは」

 

 得意気な顔を浮かべると、次は一塁側の観客席を見上げる。その場に居た歳上のライバルは素直に賞賛の拍手を送ってくれたが、同学年のライバルは口をパクパク開けて何か言っていた。波輪にはその口の動きから、彼が何を言っているのかが何となくわかった。

 

 () () () () () () () () () 。

 

「あ、あんニャロォ……」

 

 相変わらず、心底嫌味なライバルである。

 だがだからこそ、倒しがいがあると言うものだ。

 

「オリャアッッ!」

 

 彼に見せつけるようにさらに力を込めると、波輪は三球目の投球を行う。

 球種は尚もストレート。高さは真ん中だが、コースはやや外角寄りだった。

 全力投球では細かい制球は効かないが、それでも真ん中以外のコースには投げ分けることが出来る。見送ればストライクは確実であろうそのボールに対し、打者の小波は迷わずバットを出し、次の瞬間重い金属音が鼓膜に響いた。

 刹那、小波のバットが弾き返した打球は160キロをゆうに超えるスピードでマウンドの横を通り過ぎて行き、打たれた波輪は慌ててその行方へと目を向けた。

 

 するとその頃には既に、打球はショートのグラブへと収まっていた。

 

「アウトッ!」

 

 方向が悪ければ長打は免れない鋭い当たりだったが、飛んだ場所がショートの真正面だったのである。内容はともかくとしてとりあえずはこの勝負を乗り越えたことに、波輪はホッと胸を撫で下ろした。

 

「サンキュー鈴姫! 良いところに守ってたな」

「投球が短調ですよ、先輩」

「悪い、あそこまで速球に強いとは思わなかったんだ」

 

 しかし、やはり小波の打力には恐れ入る。今の一球には無駄な力みがあったかもしれないが、それでも150キロは超えていた筈だ。その剛速球をまたもや容易く打ち返してみせた彼の打力が、波輪には今まで相対してきた誰よりも恐ろしく感じた。

 

(アイツ……化け物だ)

 

 この打席はショートライナーに終わったが、その痛烈な当たりを見れば自分が勝ったなどとは口が裂けても言えない。一方でタイムリーを打てなかったことに残念そうにベンチへと引き下がっていく小波の後ろ姿を見送りながら、波輪は苦虫を噛み潰した。

 

 次の打席こそは、何としてでも勝ちたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 小波を相手に自己最速の153キロを計測して以降、波輪のギアはまた一段と上がっていった。

 星菜達第三者は、彼が今まで本気を出していなかったことに目を見開いて驚く。あまりにもスケールが違い過ぎて未だどこに底があるのかもわからない彼の剛速球は、まさに「怪物」のそれと言えた。

 

「……凄いです。波輪先輩」

「おう、スゲーだろ」

 

 波輪は小波をショートライナーに打ち取った後、続く五番陳を152キロのストレートで二球で追い込み、決め球に投げたフォークボールで空振りの三振を奪った。

 走者三塁のピンチを無事脱出しスリーアウトチェンジとなったことで星菜がベンチに戻ってきた波輪を労うと、彼は四回裏の守備についた相手捕手の姿を眺めながら言った。

 

「でも、君の先輩もスゲーよ。あんなバッターと戦うの、猪狩以来だぜ」

 

 興奮を隠せない、嬉しそうな横顔だった。

 彼は相手が手強ければ手強いほど燃くなり、力を発揮するタイプなのだろう。小波大也という打者を相手に投げる気持ちは、過去に彼と対戦した経験のある星菜にはこの場に居る誰よりもわかっていた。

 

「……この回は、五番の外川先輩からの打順ですね」

「おう、そろそろ追加点が欲しいとこだな」

 

 小波大也のような強打者と戦って、投手として燃えないわけがない。波輪の心の昂ぶりは、深く考えずとも察しがつく。

 だからこそ、心から「羨ましい」という気持ちが湧き上がってしまう。

 星菜はその気持ちを周りから隠すように表情を掻き消すと、遠くを眺めるような目でグラウンドを見つめた。

 

 四回の裏の竹ノ子高校の攻撃は、五番の外川から始まった。

 外川はその打席で奥居が投じた二球目、真ん中に甘く入ったストレートを逆らわずライト前に運ぶと、続く六番池ノ川はフルカウントから二球粘り、最後は見事にフォアボールを選んでみせた。

 そして巡ってきた、ノーアウト一塁二塁のチャンス。ここまではもう一つ安定しない投手奥居の制球難を突いた、賞賛するに足る巧みな攻撃である。

 

 しかし問題は、やはりその後に続く七番からの打線にあった。

 

 七番小島、送りバントを試みるも転がす勢いが弱すぎた為、即座にボールを拾った恋々捕手小波がサードへと送球し、二塁走者はフォースアウト。走者を三塁へ送るバントは失敗となり、みすみすワンアウトを献上しまう。

 八番義村は初球のボール球を打ち上げ、呆気なくショートフライに終わりツーアウト。

 そして九番石田はど真ん中のストレートを空振り三振し、二者残塁のスリーアウトとなった。

 

(なんという下位打線……)

 

 星菜は思わず頭を抱える。五番六番が良い打撃内容で繋いだと思えば、またも下位打線が後に続かない有様である。

 誠に失礼だとは思うが、だからと言って星菜には溢れ出る溜め息を抑えることが出来なかった。

 

「うーん、切り替えていくでやんす」

 

 しかし情けない攻撃ではあったが、それを試合中に引きずってほしくもない。チャンスで打てないのなら、せめて守備で投手の足を引っ張らないでほしいものだと星菜は思った。

 だが、五回の表の守りに関してはその心配は杞憂だった。

 そもそも彼ら三人には、守備を行う機会すら無かったのである。

 

「ストライク! バッターアウトッ!」

 

 六番天王寺、七番小豪月、八番村雨と続く恋々高校の攻撃は、三者連続三振という形で幕を下ろした。その回エンジンを全開にした波輪のストレートは、ヒットどころかファールすら打たれなかったのである。

 しかしその投球に触発されたように、恋々高校の奥居も次第にボールのキレを見せ始めた。

 五回裏の竹ノ子高校の攻撃は、一番矢部、二番六道から続けざまに三振を奪い、あっという間にツーアウトを取った。

 だが、竹ノ子高校のクリーンアップがそのまま相手投手を調子に乗せることはなかった。

 

(鈴姫、また打ったか……)

 

 三番鈴姫、今度は三塁線を破るツーベースヒットを放ち、ツーアウト二塁となる。打った球は外角のストレートであり決して甘い球ではなかったが、彼の卓越した打撃技術が成せる技であろう。

 

《四番ピッチャー、波輪君》

 

 そして得点圏に走者を置いた場面で願ってもない打者、波輪風郎に打席が回った。鈴姫に連続奪三振で掴みかけた投球のリズムを乱された奥居は、打者波輪に萎縮するあまりストレートのフォアボールを与えてしまった。

 

 だが、奥居は周りの守備陣に恵まれていた。

 

 次の五番打者である外川は低めに決まったフォークを上手くすくい上げたが、恋々高校のショート佐久間がその打球を見事にジャンピングキャッチし、竹ノ子高校の追加点を防いだのである。

 

「さっきからチャンスは作ってるッスけど、中々生かせないッスねぇ」

「堅守ですね。恋々高校は」

 

 得点の好機は何度も訪れているが、結局前半戦が終了した時点で竹ノ子高校が上げた得点は初回のツーランホームランによる二点だけだった。

 恋々高校との点差は、僅か一点のみ。しかしここまで自分を援護出来ていない味方打線に対して、投手の波輪が文句を言うことはなかった。

 

「ま、俺としてはこのぐらいの点差の方が気が引き締まるかな」

 

 そう言って浮かべた快活な笑みに、皮肉っぽさは微塵も感じられなかった。そのような人の良さが、彼が周りから気に入られる要因なのだろうと星菜は思う。

 

(投手らしい性格なのか、らしくないのか……)

 

 同時に彼の場合はもう少し厳しい態度を見せても良いのではないかと思うが、彼はそう言ったものは嫌いな性分なのだろう。その優しいとも甘いとも取れる性格は、星菜にはどこか恋々高校の主将に似ているような気がした。

 

 そして次のイニングである六回の表に起こった一つの出来事から、星菜は彼の性格の良さを重ね重ね再確認した。

 

 それは竹ノ子高校のナインが各々のポジションにつき、波輪が恋々高校先頭の九番茂武を容易く三球三振に仕留めた後、続く一番佐久間の打席に回った時のことである。

 150キロを超える波輪の剛速球は後半戦になっても衰えを見せず、打者佐久間にはバットに当てるのが精一杯だった。辛うじて三振だけは避けたものの、彼の打球は弱々しくセカンド方向へと転がっていく。

 

 ――しかし、彼はアウトにはならなかった。

 

 何の変哲もない平凡なゴロ。その打球をあろうことか、竹ノ子高校の二塁手(セカンド)小島がファンブルし(捕り損ね)たのである。

 

「あちゃー……やっちまったよ」

「なんで焦るかなぁ」

 

 竹ノ子高校のベンチから、溜め息混じりの呆れ声が漏れる。

 完全に打ち取った打球をエラーし、必要の無い走者を塁に出してしまう。野手の凡ミスは投手にとって自分の好投に水を刺されたも同然であり、波輪とて気分の良いものではないだろう。

 

「……下手くそ」

 

 ボソッと、星菜は苛立ちを隠せずに吐き捨てる。表情にこそ出していないが、元来星菜は気の長い方ではないのだ。

 チャンスに打てないばかりかあのような投手にとって最もやってほしくない凡ミスを見せられれば、沸き上がる不愉快な気持ちを抑えることは出来なかった。

 

 だが――

 

「ドンマイドンマイ! 次は頼むぜ」

「すまん……」

 

 現在マウンドに立っている男は、星菜が思うような苛立ちを一切口にしなかった。表情も平時通りであり、リラックスしている。味方のエラーぐらい何ともないと言うように、彼は落ち込むセカンドを言葉で励ましていた。

 

「あれが、波輪君の良いところッスねぇ~」

 

 そんな彼の姿に驚く星菜の隣で、ほむらがやや赤らめた顔で微笑みながら言う。

 良いところ……確かにあのメンタルならば、味方のミスで投球を崩すことはないだろう。なるほど、確かにそれは投手として長所だと星菜は思った。

 セットポジションに構えた波輪は、落ち着いた表情で二番球三郎への投球を開始する。

 その打席の、三球目である。波輪は150キロ超えのストレートを二球続けてツーストライクに追い込んだ後、外角のスライダーを上手く引っ掛けさせ、先ほどと同じような打球をセカンド方向へと打たせた。

 

「ナイスセカン! いい判断だ」

 

 セカンド小島は今度こそ確実に捕球し、すかさず二塁へと送球する。ベースカバーに入ったショートがそれを受け捕ると一塁走者はフォースアウトとなり、ショート鈴姫はそのままゲッツーを狙って一塁へとボールを送る。バッターランナー球三郎の足は速く一塁はセーフとなったが、これでツーアウトとなった。

 

「オッケーオッケー! ツーアウトツーアウト!」

 

 アウトカウントが一つ増えたことで、波輪は気を取り直したセカンドのプレーを素直に賞賛した。

 

(……私には、ああは出来ないな)

 

 ミスを犯しても、決して味方へのフォローを怠らない。あのような投手であれば、野手は非常に守りやすいだろう。

 だが、それで良いのかとも疑問に思う。それは単に、星菜の考え方がひねくれているだけなのかもしれないが。

 

(もっと厳しく言わないと、悪い意味で緊張感が無くなるんじゃないか?)

 

 星菜は、味方に優しくし過ぎることもまた悪だと考えている。

 ミスをしても叱られない、エラーをしても責められない。そのような緩い環境では野手は守りやすいかもしれないが、同時に一つ一つのプレーに緊張感が無くなり、単なる馴れ合いになりかねないからだ。

 尤もその辺のことは一マネージャーに過ぎない星菜が考えずとも監督の茂木が考えているだろうが、星菜は目の前の――彼らの野球に疑念を抱いていた。

 

《三番ピッチャー、奥居君》

 

 ……いや、違う。

 

 これは単に、嫉妬しているだけだ。

 中学時代の星菜は味方のことなどまるで気に掛けなかった為、随分と自分勝手な行動をしてきた。周りのことなど全く考えず、迷惑を掛け続けていたのだ。それは一体、どれほど醜く格好悪い姿だっただろうか。故に星菜は、少数のチームメイト以外からは常に敵意を持たれていたものだ。

 その点波輪風郎の姿は、当時の星菜の対極にあった。だからこそ星菜の目には彼の姿が眩しく、そして映画のヒーローのように格好良く映ったのである。

 この気持ちは、そのことへのつまらない嫉妬だ。

 

(やっぱり……マウンドに立つのは貴方だけでいい。このチームには、貴方しか居ないんだ)

 

 彼こそが、チームのエースとして相応しい。彼がチームに居る限り、自分がマウンドに上がることはないだろう。

 良いのだ。それが正解なのだと、一秣の寂しさを感じながらも星菜は思った。

 

 

 

 ――しかし、時は訪れた。

 

「あっ」

「――ッ!」

 

 そう、訪れてしまったのだ。

 

 自他共にマウンドに相応しくないと認めている女が、マウンドに上がってしまうその時が。

 

 恋々高校三番奥居の打席で起こった、思いがけないアクシデントによって――。

 

 


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