外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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不器用&不器用
友達になった日の話


 

 

 ――昔は身体が小さく、そのことにコンプレックスを持つ弱虫な性格だった。

 

 周りでワイワイと賑わいでいるクラスの輪に入ることが出来ず、まともに友達すら作れなかったものだ。

 決して周りからいじめられていたわけではないのだが、彼は昼休み時間もグラウンドに出かけることなく、孤独にも常に自分の席に居た。

 彼はそう言った毎日を過ごすことを、心から寂しいと感じていた。しかし、友達を作ることが出来ない。自分に自信の無い彼にはどうすれば友達を作れるのかがわからなかったのだ。

 

 ――このまま、ずっと一人ぼっちなのかなぁ……。

 

 休み時間、友達同士教室の一箇所に集まって楽しんでいるクラスメイト達の姿を遠巻きに眺めながら、彼は八歳児の身にはあまりにも不似合いな溜め息をついた。

 

 

 

 

 当時の彼は勉強も運動も人並みに出来ない、所謂落ちこぼれの生徒だった。その上人一倍気が弱く、自分が周りから浮いていることに悩みを感じていた。

 しかし、そんな彼の生活はある日を境に大きく変わった。

 

 彼が小学二年生から進級して間もない、四月のことである。三年生になってから四回目の体育の授業の時間に、それは起こった。

 元々勉強嫌いな彼だったが、学校の授業の中では体育の授業が最も嫌いだった。身体を動かすこと自体にはそれほど抵抗はないのだが、彼にとって体育の授業は他の何よりも精神的な苦痛を味わう時間だったのである。

 

『では、今日もサッカーをやります。まずは二人組を作って、パスの練習をしましょう』

 

 体育教師の放つ無慈悲な一言が、その要因だ。

 その言葉を受けて皆が仲の良い者同士で二人組を作っている中で、彼だけが誰ともペアを組むことが出来ない。その事実は孤独感からの寂しさと同時に、ひたすら情けない思いを彼に味わせた。

 彼のクラスは全員で37人である為、二人組を作れば一人だけ余ってしまう。教師が告げた瞬間、彼の居場所はいつも例外なくその余りに収まっていた。

 

 ――また、先生と組むのかなぁ……。

 

 情けなくて、恥ずかしい。

 なんで僕が、こんな思いをしなくちゃいけないんだろう。

 なんでみんなは、あんなに簡単にペアを作れるんだろう。

 僕には真似出来ないことだ。

 

 ……どうせ僕なんて何の取り柄も無い、駄目な奴なんだ……。

 

 その時の彼には、諦めて塞ぎ込むことしか出来なかった。

 どうせ自分はクラスメイトに声を掛けることも出来ない駄目な人間なのだと。最初から諦めていた方が、下手に希望を持つよりも楽だと思っていたのだ。

 

 そう、この時までは――。

 

『えーっと、鈴姫だっけ? 一緒に組もうよ!』

 

 彼――鈴姫は不意に聴こえた自分の名前を呼ぶ声に驚き、顔を上げる。

 するとクラスメイトの一人がひょっこりと間近からこちらの顔を覗き込んでいることに気付いた。

 

『あ、え、えええええっと……』

『なんで怯えるんだよ? もしかして私の顔、怖い?』

『ち、違うよ。そ、そうじゃなくて……』

『まあ、いいけど。そんなことより君、私と組もうよ。今日、智恵が休みのせいで組む人が居ないんだよねー』

『う、うん……でも、僕なんかでいいの?』

『え、なんで? あ、もう始まっちゃう。早く集合しよ?』

『あ、うん……』

 

 その人物はクラスメイトではあるが、自分とは一切無縁な人間だと思っていた。

 黒髪のショートカットが似合う、栗色の瞳の少女――泉星菜。

 彼女はこの年から同じ小学校の生徒になった、転校生の少女である。しかし彼女はそう言った境遇にも拘らず転校初日から次々と友達を作っては周囲に溶け込んでいったクラスの人気者であった。

 コミュニケーション能力の高さはもちろん、勉強も運動もクラス一番にこなせるほど万能な上……可愛い。臆病故に鈴姫には到底話し掛ける勇気は無かったが、彼女に対しては芸能人に対する憧れのような感情を抱いていた。

 そんな彼女に話し掛けられ、あまつさえ一緒にペアを組んでくれと頼まれれば、当時の鈴姫が動揺するのは至極当然の話だった。

 

 ――彼女との初対面は、そのように無様で格好悪いものであった。

 

 だが、決して悪い思い出ではない。

 それどころか、この時のことは彼の記憶にある中でも最も幸福な思い出の一つだった。

 

 

『そおい!』

『うわっ!?』

 

 初めて教師以外の者と組んで行ったサッカーの練習だが、鈴姫は初っ端から失策を犯してしまった。星菜の蹴ったボールを鈴姫がトラップし損ね、盛大に後逸してしまったのだ。彼女のボールの威力は強く、みるみる内に遠くへと転がっていった。

 

『あ、ごめん! 強く蹴りすぎちゃった。私が取りに行くね』

『あ、ううん……僕が取りに行くよ。僕がちゃんと止められなかったせいだし……』

『いやいや、私が悪いよ』

『いや僕が……』

『私だって!』

『でも……』

『うーん、じゃあ二人で取りに行こう!』

『う、うん……』

 

 鈴姫は後逸した責任を取って一人でボールを取りに行くつもりだったが、彼女はそれを認めなかった。その際鈴姫は責任感の強い人なんだなぁと、彼女に対して改めて好感を抱いたものである。

 

 

『ねえねえ、鈴姫ってさあ』

『な、なに?』

 

 二人でボールを取りに行く最中、星菜が声を掛けてきた。クラスメイトと話した回数が少なく、女子との会話に関してはこれが初めてに等しい鈴姫には、これから何を言われるのかと怯えを隠せなかった。

 そんな自分が彼女にはどう見えたのか、この時の鈴姫にはわからなかった。ただ彼女の言い放った次の言葉は、彼の心中へと容赦無く突き刺さってきた。

 

『友達居ないの?』

 

 遠慮など欠片も無い、直球の質問である。

 鈴姫には、友達が居ない。それはまごうことなき事実なのだが、だからこそ自分の口からはっきりと言うのは心苦しいものがある。鈴姫はその問いに対しどう返せば良いのかわからず、言葉を詰まらせてしまった。

 三年生にもなって友達が一人も居ないことを、彼女にも笑われるのだろう。それを思うとあまりの情けなさに怒りが沸き、泣きたい気持ちになった。

 

 しかし彼女は、鈴姫の沈黙を肯定と受け取っても尚笑わなかった。

 

『そっか。私も四年ぶりにこっちに戻ってきたばかりだから、知ってる人が全然居なくてきつかったよ』

『え、戻ってきたって……?』

『ん、自己紹介で言わなかったっけ? 私元々この街に住んでたんだけど、幼稚園の頃遠くに引っ越して、んでまた戻ってきたんだよ』

『そうだったんだ……』

『まあその話は置いといて、こっちに引っ越してしばらく寂しかったってわけ』

『でも、泉は……』

『うん! 一から頑張って友達作ってみた。クラスのみんなに話しかけて仲良くなったよー』

 

 鈴姫のことを嘲笑せず、哀れむわけでもなく、しかし彼女はこう言った。

 

『でも君はどうして、周りの子に話しかけないの?』

 

 だがその言葉は、どこまでも容赦が無かった。

 いつもクラスの中に一人で居て、体育の授業では先生とばかりペアを組んでいる。自分から動かずおどおどしていて、進んで友達を作ろうともしない。そんな彼のことが、彼女には不思議だったのだろう。

 サッカーボールを取りに行く足を止めて、鈴姫は沈黙する。彼の返答を、彼女はじっと待った。

 

『……だって僕、何の取り柄も無いもん』

 

 そして、鈴姫は語った。

 それは両親や教師にすら打ち明けたことのない、彼がこれまで抱き続けてきた悩み事だった。

 

『僕、チビだし……頭も悪いし運動も出来ない……僕なんかと友達になってくれる人なんて、どこにも居ないよ……』

 

 当時の鈴姫は自分の能力に対するコンプレックスが、同年代の子供の中でも際立って強かった。自分に対して何一つとして自信を持てる物が無いが故に、彼は非常に内向的な性格になってしまったのだ。友達を作ろうとすればまず最初に「こんな自分が相手に釣り合うのか」と考えてしまい、一歩すら踏み出すことが出来ない。その悩みを、鈴姫は自分と対照的な万能少女へと打ち明けた。

 何の面白くもない話である。しかし彼女は、そんな彼の話を一切遮ることなく聞いてくれた。

 

 そして話が一通り終わると、彼女は柔和に頬を緩めた。

 

『そんなの、言い訳じゃん』

 

 そう言って、彼の悩みをバッサリと切り捨てたのである。

 

『あーあ、聞いて損した。さっさとボール拾って続きやーろうっと』

『え、え? あの……』

 

 鈴姫をその場に置いたまま駆け足でボールを拾いに行くと、彼女はそのボールを使って巧みにドリブルをしながら戻ってくる。そして彼との距離を五メートル近くまで詰めたところで、彼女はポンッと優しくパスを送ってきた。

 先ほどと違って強く蹴られなかった為か、咄嗟に反応した鈴姫にも楽に受け取ることが出来た。

 

『っとと……』

『ナイスキャッチ! ……じゃなくて、こう言うのはナイストラップって言うんだっけ? えへへ、サッカー用語全然知らなくて』

『あの、泉……』

 

 先ほどの会話はつまらなかったので、彼女の中では何事も無かったことになっているのだろうか。

 そのことを訊いてみたかったが、鈴姫には自分から切り出すことが出来なかった。

 そんな彼に向かって、彼女は何を思ったのかグッと親指を突き立てて言った。

 

『私のボール、捕れたじゃん。それは君の立派な取り柄だよ。つまり、君は凄いということだぁ!』

『えっ……?』

『フフフ、君にはちゃんとそういう取り柄があるんだから、さっき言ったのは君が友達を作らない理由にならないよ』

 

 今考えてみれば無茶苦茶な理屈であったが、幼い鈴姫には心からすんなりと受け取ることが出来る言葉だった。

 その言葉に続けて、彼女が高らかに言い放った。

 

『ってことは、君は私の友達になれるってことだ』

『えっ?』

『だって釣り合い取れてるもん。これなら友達になっても大丈夫だよね? ね?』

『あ……』

 

 突然の友達宣言に身を硬直させる鈴姫に、それを見てにししと笑う星菜。してやったりと言いたげなその笑みはする者によれば相手に不快感を与えるものだったが、彼女に関しては全くの反対で――まるで、いたずら好きな子猫のような愛嬌があった。

 

『さあ、どんどんパスろうぜ鈴姫ー。あっ、そう言えば下の名前なんて言うの?』

『け、健太郎……』

『じゃあケンちゃんでいいや。なんかデジモ○カイザーっぽくて格好良いし』

『え、あれ格好良い?』

『格好良いじゃん! 特にあのマント! ……あ、そうだ。私のことは星菜か星ちゃんって呼んでね。ホッシーでもいいよ。なんならブラックホッシーでも。とりあえず苗字で呼ぶのは友達だから禁止で』

『それって……う、うん。ふふ、わかったよ、星菜』

 

 ――その時、鈴姫は初めて学校で笑った。

 

 彼女との出会いが、彼を変えてくれたのだ。

 

 もし彼女が居なければ、彼は今でも友達の居ない弱虫のままだったかもしれない。

 

 彼が初めて出来た友達――泉星菜。

 

 そして同時に、彼が初めて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……また、アイツの夢か……」

 

 まどろみから覚めた時、鈴姫健太郎が開いた双眸は日頃から見慣れている天井を映していた。ベッドの上に仰向けになっていた鈴姫はゆっくりと上体を起こすと、枕元に配置していた目覚まし時計をベルが鳴り響く前にスイッチを切った。

 夢を見たにしては、妙に寝覚めが良いものだ。最近はよく眠れていなかったが、今朝は久しぶりに快眠出来たようである。

 再び目覚まし時計へと目を移す。時計の指針は早朝の五時を差していた。

 

「……はっ、どんだけ未練がましいんだよ……」

 

 鈴姫は記憶している夢の内容を振り返りながらベッドを離れると、クローゼットの中にある竹ノ子高校の制服へと手を伸ばす。登校するにはまだ随分と早いが、二度寝が出来る時刻でもない。そもそも今の鈴姫には、気持ちが良いほどに眠気が無かった。

 それはきっと、今朝の夢の内容が幸せな内容だったからだろう。余韻に浸る鈴姫の気分は、鼻歌を歌いたくなるほどに上々なものだった。

 

 

 

 

 

 

 連休明けの月曜日と言えば、大半の高校生が鬱々した気分で登校するものだ。

 しかし、この鈴姫健太郎に関してはその限りではない。鈴姫は今、非常に晴れやかな気分だった。

 

 ブンッ――と、金属の棒が空を切る音が響く。

 

 時刻は七時十分頃。竹ノ子高校の正門が開かれてから間もない時刻だが、鈴姫の姿は自宅ではなくグラウンドにあった。

 早出の自主トレーニングという名目で、彼はグラウンドの端にて素振りを行っていた。野球部を始め竹ノ子高校の運動部は基本的に朝練が強制されているわけではないので、彼のように早朝から部の練習をする者は多くない。野球部ではこうして毎日早出の自主トレーニングを行うのは鈴姫と主将の波輪ぐらいなものであり、この時間帯のグラウンドはいつも非常に静かなものだった。

 特に今朝はまだ波輪が来ていない為、今グラウンドに居るのは鈴姫一人である。少し寂しくはあるが周りに誰も居ない分自分の練習に集中出来る。――その筈なのだが、今の彼はどこか集中力に欠けていた。

 原因は、わかっている。

 

(駄目だ……今朝の夢のせいか、アイツのことばかり頭に浮かぶ……)

 

 人の夢は起きてから五分も経てばほとんど忘れてしまうものだと言うが、今の鈴姫の頭には夢で目にした光景が鮮明に浮かび上がっていた。それは夢の内容が過去に実際にあった出来事だったからなのかもしれないが、それ以外の理由もあるのだろう。

 わかっている。ああ、わかっている。

 

「くっ!」

 

 わかっていても、どうしようもないことがある。

 120回目のスイングを終えた瞬間、鈴姫の口から苛立ちの声が漏れた。

 せっかく早出の練習を行っても、こうも雑念が多いと望む効果も得られない。バットを振る度に理想のスイングから遠ざかっていることに気付いた鈴姫は、一旦休憩して素振りの手を休めることにした。

 

 ――その時である。

 

 ふと何気なく背後に目を向けてみると、そこには竹ノ子高校の制服を着た一人の生徒の姿があった。

 鈴姫は一瞬波輪が来たのかと思ったが、自分よりも小さなシルエットから即座に彼ではないことに気付く。

 

 それは、夢で出会った少女が十五歳に成長した姿であった。

 

 肩先まで下ろされた癖のない黒髪に、栗色に澄んだ大きな瞳。白い肌に端整な顔立ちの少女は、ただ真っ直ぐに鈴姫の目を見据えていた。

 

「――ッ! ほ……泉……さんですか……」

「……おはよう、鈴姫さん」

「あ、ああ、おはよう……」

 

 思いがけない人物との対面に、鈴姫は常の落ち着きが崩れてしまう。彼女が自分の前に現れたことは、鈴姫にとってそれほど衝撃的なことだったのである。

 

「相変わらず、お早いですね。今日はまだ、波輪先輩は来ていないのですか?」

「……ああ、今日は俺一人だよ」

「そうですか……それは……寂しいですね」

「そうだな……」

 

 内心の動揺を可能な限り抑えつつ、鈴姫は彼女との会話を続かせる。

 思えばこうして連絡以外のことで彼女と話をしたのは、随分久しぶりのことである。

 その為か――口には出せないが、鈴姫は現在非常に緊張していた。

 

(……なんだ? なんで話しかけにきた? あの時、君は俺を……)

 

 入学以来鈴姫は彼女と意識して顔を合わせないようにしてきたが、それには理由がある。もちろん野球部員全員が誤解している「自分が中学時代彼女にフラれたので気まずい」という理由ではなく、大きな理由が。

 ……いや、フラれたという認識は案外間違っていないのかもしれないが。

 

「………………」

「………………」

 

 そして、気まずいというのも間違っていない。彼女はこちらの目をしっかりと見てくれているが、鈴姫の視線は彼女の目からやや外れた位置へと向けられていた。

 

「……練習、手伝います。よろしければ、あちらのネットを使ってトスバッティングをしませんか?」

「あ、ああ。助かるよ……」

 

 二人の声が、錆び付いたロボットのようにぎこちなく交わう。

 お互いに高校生へと成長した二人の間柄は、過去のそれとはまるで異なる物へと変貌していた――。

 

 

 


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