外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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六道聖

 

 六道(ろくどう) (ひじり)は野球少女である。

 現在十一歳の小学六年生であり、おげんきボンバーズ年長者の一人だ。

 黒紫色の髪と赤い瞳が特徴的な容姿で、顔立ちは小学生のものとは思えないほどに凛々しい。性格も同学年の子供と比べ非常に落ち着いている為、周りからの評判はすこぶる良好である。

 将来を期待出来る大和撫子、というのが彼女と相対した者の誰もが受ける印象であろう。そんな華奢な少女がリトルリーグに所属している野球選手だと知った者は、皆大いに驚くものだ。聖の実家が「西満涙寺」と呼ばれている歴史ある寺院だということを知る友人達からは、揃って「野球のユニフォームよりも寺で遊んでいる姿の方が似合っている」などと言われる。

 

 聖自身、一年前ぐらいまではボールと言えば野球のボールではなく、真っ先にお手玉が思い浮かぶような娘だった。

 そんな聖が野球と出会ったきっかけは、四つ上の従兄にある。

 六道明。聖が思うに自分を男にして年齢通りに成長させればこうなるのだろうなという外見の、現在十六歳の従兄である。従兄ではあるが中学時代までは他地区に住んでいた為、聖は彼とそれほど交流があったわけではない。しかし彼は高校入学を期に「通う学校が近いから」という理由で聖の家に居候を始め、聖にとって良い兄貴分として接してくれていた。

 聖が野球に興味を持ったのは、彼が野球をしていたからだ。

 ある日偶然彼の練習風景を目撃した時、聖は今までに感じたことのない激しい衝動に駆られた。

 

 その時までテレビ中継すら観ることのなかったスポーツ――野球。

 

 その競技に聖は魅了され、心を奪われた。

 自分もやってみたいと。ボールを投げて打って、捕ってみたいと。

 要するに、聖は「野球」という競技に一目惚れしたのである。それは間違いなく、聖の初恋だった。

 

 小学五年生の春。聖は両親に頼み、地元にあるリトルリーグの野球チームへと入団した。両親からは女子が野球を行うことに対して難色を示されるかと思ったが、その心配は杞憂に終わり、意外にもすんなりと許可を下ろしてくれた。いわくしっかり者の娘が珍しく頼み事をしてくれたことが嬉しかったのだと――聖の日頃の行いが功をなした結果である。

 

 それからの聖は、毎日が幸せだった。

 

 打撃も守備も、初めは思うようにいかなかったことが練習を経て出来るようになっていくのは今までに体験したことのない快感であり、聖は思う存分に野球を学び、楽しみ続けた。

 入団したチームの老人監督の田中まさるは、聖には凄まじい才能があると褒めてくれた。それもその筈、聖は野球を始めてたった一年で上級生すら凌ぎ、チームのレギュラーになってしまったのだ。

 正ポジションは内野手の送球を捕球するのが主な仕事の一塁手(ファースト)である。まさるは聖に対し、既にチーム一の捕球能力を持っていると言った。聖にとっても、野球の中でボールを捕る瞬間こそが最も好きなことだった。

 一年間の経験を積み、最上級生である六年生となった現在は、別のポジションである捕手(キャッチャー)へと挑戦している。聖は投手と共に相手打者と戦っていくこのポジションに対し、一塁を守っている時以上のやり甲斐を感じていた。コンバートは順調この上なく、現時点でも聖は今の正捕手よりも守れると確信している。

 

 そのように女子の身でありながらも短期間の内にメキメキと実力を付けていく聖に対し、監督のまさるがある日こんなことを呟いた。

 

『まるで、泉星菜のようじゃなぁ……』

 

 それが、聖が初めて泉星菜という存在を知った瞬間だった。

 その呟きを聞き逃さなかった聖がすかさず詳細を訊ねると、その人物は聖の先輩団員であり、ボンバーズの黄金期を支えたエースピッチャーだったと説明される。

 いわく聖同様女子の身でありながらも卓越した野球センスを持ち、打てば打率六割を超え、投げれば防御率0点台を記録したまさに神童と言える選手だったと。

 その半面性格は男勝りのじゃじゃ馬で、聖のように落ち着いた性格の優等生ではなかったが、飲み込みの早さや野球に対して誰よりも楽しんで打ち込む姿などは聖と姉妹のようにそっくりだったと語った。

 

 凄腕の女子野球選手の先輩――そんな話を聞けば、好奇心旺盛な年頃である聖が興味を抱くのは当然のことだった。

 

 いつか会ってみたいなと、その時の聖は思ったものだ。

 

 

 

 

 

 その出会いは、思ってもみないところで訪れた。

 

 練習中にまさるから呼び出しを受けたことで聖は些か不機嫌だったが、彼の横に居る人物を前にした途端、思考が切り替わる。

 聖より幾つか歳上の――従兄と同じぐらいの年齢だろうか。まさるの横に立っていた人物は、身に纏うジャージが不釣り合いに思えるほど華やかで美しい少女だった。

 

「こんにちは」

「――こ、こんにちはっ」

 

 同性とは言え、間近で対面すれば思わず見とれてしまうような容姿である。彼女から先に言われると聖は遅れて挨拶を交わし、その横に立つまさるへと目を移す。

 

「監督、それはどういう……」

「ホッホ、言った通りじゃよ。こっちのお姉さんと勝負してみないかね?」

 

 勝負? なにそれ?

 それが、まさるから告げられた言葉に対する聖の心の声である。

 勝負と言うのは、まさか彼女と野球をしろと言うのだろうか。その見た目から野球などとても出来そうにない清楚な少女へと目を向けた後、聖はまさるの顔を怪訝な目で覗った。

 そして次の瞬間、彼の口から爆弾発言が飛び出してきた。

 

「ほれ、この間話した泉星菜じゃよ。この姉ちゃんがそれじゃ」

 

 その思いがけない発言に、聖は目を見開く。

 すると、少女が意外そうな顔でまさるの目を見つめた。

 

「監督、もしかして私のこと噂してました?」

「うむ。この子にお主の問題児ぶりを話して反面教師にしろって言ってやったわい」

「酷っ! でも、確かに話してくれた方がこの子達の為になりますね」

「ほう。そこで怒鳴らないとは、お主も冷静になったのう」

「あはは、私だって成長していますよ」

 

 彼女の反応は、まさるの発言を肯定するものだった。

 聖が想像していた人物とはあまりに掛け離れているが、この少女は本当に泉星菜だったのだ。

 

「君は、キャッチャーをやってるの?」

「は、はい。今年から挑戦している……います!」

 

 聖はつい普段の調子で話しそうになったが、彼女から掛けられた問いに対して背筋を正して応じる。

 彼女が噂に聞いた泉星菜であるのなら、同じ女子選手である聖にとって尊敬すべき人物であるからだ。自分よりも上と思った人間には相応の敬意を払うのが、聖の主義だった。

 聖の返答を聞いた泉星菜は目を細め、柔和に微笑む。

 

「野球は楽しい?」

「はい。他の何よりも大好きだ……大好きです!」

「そっか。私も好きだよ。だけどその気持ち、忘れないでね」

「え?」

 

 それは思わず吸い込まれそうになる綺麗な笑顔だったが、一瞬で消えてしまいそうな儚さを併せ持っていた。

 西満涙寺という寺院の家系に生まれたこともあり、聖は幼少の頃から他人の感情に機敏な人間だと言われてきた。そんな聖だからこそ、その笑みに含まれた感情を深く読み取ってしまった。

 

(何故、そんな顔をする……?)

 

 それは懐かしさと悲しさが入り混じったような、物寂しげな感情で――彼女が何故そのような顔で自分を見つめるのか、聖にはわからなかった。

 聖は野球が楽しいかと問われれば、全力で肯定するまでだ。しかしそのことが、何故彼女にかの感情を抱かせるのかが理解出来ない。

 

「将来は、プロ野球選手になるの?」

「はい。女子のプロ選手はまだ居ませんが、私は目指しています」

「……やっぱり、そうなんだ。頑張ってね」

 

 理由は何もわからない。

 彼女が初対面である自分に対し、何を見ているのかはわからない。

 だが、この時聖は思った。

 

「貴方に言われなくても、頑張るぞ……」

 

 ただ、不愉快だと。

 その哀れむような眼差しが。表情が。

 言葉では応援してくれているが、聖には彼女が女子である自分がプロ野球選手を目指していることを滑稽に思っているように感じたのだ。

 

(私はプロを目指すぞ。それが何だと言うのだ……)

 

 過去に聞いたまさるの話によれば、泉星菜は激しい情熱と確固たる信念、屈強な意思を持つ人物だった筈だ。

 それがどうしても、今目の前に居る人物と当てはまらない。哀愁の篭った眼差しと言い、触れればかすれてしまいそうな儚さと言い、噂とはことごとく真逆に見えるのである。

 

 期待を裏切られたのか?

 そもそも、この人は本当に泉星菜なのか?

 

 そのような疑念が聖の心に立ち込めるのも、ここに居る彼女の様子を見れば当然であった。

 

「監督、やるぞ」

「良いの?」

「貴方のことは噂に聞いています。是非、私と勝負してください」

「ふふ……こちらこそ、お願いするね」

 

 まさるの提案を受ければ、このモヤモヤした感情も取り払われるのだろうか?

 彼女と勝負してみれば、何かがわかるのだろうか?

 元々数多の噂話から泉星菜に対して強い興味を抱いていたのもあり、聖は躊躇うことなく勝負の提案を受けた。

 少女が満足そうに笑み、優雅に一礼する。

 

「私は泉海斗の姉の、泉星菜と申します。よろしくね」

 

 その笑顔に危うく調子を狂わされそうになりながらも、聖は「六道聖です」と遅れて自己紹介を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラウンドの端にて、星菜は六道聖との対戦の準備に取り掛かる。

 服装は元々ジャージを着ていたので問題なく、一時間以上休んではいたものの早朝からランニングに出掛けていたので身体の方も十分に温まっている。そんな星菜に今必要なのは、キャッチボールによる文字通りの肩慣らしであった。

 左腕を上から下へと振り抜き、白いボールを投げつける。そしてキャッチボールの相手である六道明から投げ返されたボールを、右手に装着した小さめのグラブで受け止める。このグラブは、同じ左利きである弟の海斗から借りたものだ。その海斗は現在キャッチボールをしている姉の横で、いかにも不服そうな目を寄越していた。

 

「なんで姉ちゃんがここに居るのさ」

「お前が忘れてきたお弁当を届けに来たからだよ」

「……いや、そうじゃなくて、なんで親方と勝負することになってるんだよ?」

「うーん、成り行き?」

 

 徐々に距離を開けながら、星菜は左肩を大きく使ってボールを投げる。

 肩肘に違和感は無い。中学まで野球をしてきて大きな怪我をした経験が一度もないこともまた、星菜の投手としての強みだった。

 

「ってか親方って誰のこと? もしかしてあの子のことを言ってるの?」

「うん、六道聖親方。なんか貫禄が凄いし、キャプテンより偉そうだからってみんなそう呼んでるよ。実際キャプテンよりキャプテンっぽくて頼りになるし」

「……女の子に対して、酷いあだ名を付けるな」

「いや、でもあの人案外気に入ってるよ。格好良いあだ名だって」

「そ、そう……」

 

 まさるから紹介された野球少女、六道聖との対戦は一打席勝負となっている。勝負の最中は少年達の練習を止めてしまう為、あまり多くの時間を掛けるわけにはいかないからだ。

 監督の田中まさるからはいっそ星菜を打撃投手にしたフリー打撃練習という名目でチーム全員に打たせれば問題無いと言われたが、星菜が断った。今の星菜は、ただ六道聖との対戦だけに集中したかったのである。

 

 ――六道明の従妹、六道聖――。

 

 当時の自分よりも遥かに落ち着いた性格のようだが、彼女の目には奇妙な既視感を覚えた。

 純粋で、真っ直ぐな目をしていて。その上確固たる自信に満ちている。後に訪れる過酷な運命を知らなかった頃の、無垢な自分にそっくりだったのだ。

 故に彼女の姿を直視するのが心苦しく感じ、どうにも変な表情を浮かべてしまったものだ。

 星菜には初対面である筈の彼女のことが、あおいと出会った時と同様に赤の他人とは思えなかった。

 彼女は何の逡巡もせずに、プロ野球選手を目指していると言った。彼女がどれほどの選手なのかは知らないが、それもまたリトル時代の星菜と同じである。

 女子野球選手である以上、いずれ彼女も自分と同じ道を辿ることになるのだろう。しかし、本当の問題はその後の彼女が早川あおいのようになるのか、はては自分のようになるのかにあると星菜は考えている。

 

(……よし、決めた)

 

 人付き合いに自信のない星菜には、尊敬する先輩のように他の野球少女を導くようなことは出来ない。

 しかしそんな星菜にも、彼女が自分のような不抜けた人間にならない為にと出来ることはあった。

 

「六道先輩、もう大丈夫です。グラウンドに行きましょう」

「わかった。サインはどうする?」

「あちらで決めましょう」

 

 星菜は六道明とのキャッチボールを切り上げると、マウンド上へと駆け足で向かっていく。

 様々な思惑は別として、星菜は長らく行っていなかった野球の対人戦に胸が高鳴っていた。

 


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