外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

2 / 91
カレー部に入ろう

 

 この日は入学二日目ということもあり、全校集会や役員決めを行い次第、早めの下校となった。

 しかし大半の新入生は真っ直ぐ帰宅することはなく、部活動の見学を行っていた。

 星菜もまたその一人であり、放課後は高校生活初の友人となった奥居亜美と共に各部活動を回っていた。

 

「奥居さんは何部に入る予定ですか?」

「私? 私もまだ決まってないんだ。料理部とかいいなって思ってるんだけど」

「じゃあ、先に料理部に行きますか」

「うん!」

 

 校舎の廊下では至るところで部員の勧誘が行われており、ユニフォーム姿で新入生達に声を掛ける部員の姿がちらほら見えた。

 

「そこのお二人さん!」

 

 最初に見学すると決めた料理部の部室に向かう道中、星菜達も彼らに何度か声を掛けられた。いわく彼らはサッカー部で、マネージャーを募集しているのだそうだ。

 小動物的な可愛らしい外見の亜美は、むさ苦しい運動部の中では引く手数多であろう。何と言うか、そこに居るだけで癒されるのだ。しかし亜美自身はそれらの誘いを全て断わっており、運動部に入る気は無いようだった。

 

「あ、貴方はどうですか?」

「後で見学してみます」

「おお、ありがとうっ!」

 

 彼女に断られた勧誘員がめげずに星菜に声を掛けてくるが、星菜はそれを保留という形で受け止める。しかし正直なところ、星菜に運動部のマネージャーになる意志は無かった。生憎にも今のところサッカーに興味は無い。マネージャーというものは、その競技自体を楽しめなければ苦痛なだけだと思っていた。

 日頃の練習による日焼けからかほのかに顔を赤くした勧誘員が星菜の元から離れると、他の新入生達に呼び掛けていく。その様子を背景に、星菜達は再び料理部室へと足を進めた。

 

「凄いね」

「え、何がですか?」

 

 すると、亜美が小声で言った。

 その言葉が何に対して、どういう意味で出てきたのか理解しかねた星菜は問う。

 

「泉さんが。周りの人達、みんな泉さんに注目してるもん」

「奥居さんを見ているんじゃなくて?」

「うん。泉さんが、凄く綺麗だから」

 

 返ってきた言葉に、ピタッと足が止まる。今星菜は亜美が言った言葉に対し、怪訝な表情を浮かべた。

 そんな星菜の様子を不思議に思ったのか、亜美が小首を傾げる。

 

「どうしたの?」

「……そういうことは冗談でも言わないでほしいです。自分が美人だと勘違いします。ナルシストになります」

「泉さんぐらい綺麗なら、少しナルシストなぐらいで丁度いいと思うけどなぁ」

 

 中学まで男子に混じって野球一筋で生きてきた星菜にとって、容姿が綺麗だと褒められるのは居心地が悪い。着飾る努力もしない、女らしさの欠片も無い自分が、その対極にある女の子らしい亜美に尊敬されるのは酷く可笑しな話だった。

 だがそれも、亜美が中学時代までの自分を知らないからなのだと納得し、星菜はまた歩き出した。

 星菜は耳に被さった横髪を払いながら、随分伸びたものだと鬱陶しく思い、そしてほんの少しだけ感慨に浸る。

 

 中学校までの星菜――野球をしていた頃の星菜は、その黒髪を丸刈りにしていた。所謂坊主頭という髪型だった。

 初めてその髪型にした時は両親や同性の友人から猛反発を受けたが、後悔はしていなかった。

 女を捨てているとも言われたが、それで結構だった。女風情が男と同じ舞台に立とうと言うのなら、その覚悟を態度で表す必要があったのだ。

 当時の自分は随分と盲目的に男子を超えようとしていたんだなと、今になって振り返る。

 星菜は思う。その覚悟は間違いだったと。いや、「覚悟を決めること」自体が間違っていたのだと。

 

「ほら、そうやって何か物思いにふけている時とか、女優さんみたいだもん」

「好意的に見てくれるのは嬉しいですけど、行き過ぎは反感を買いますよ」

「だから本当だってば」

 

 容姿のこと――それ以外のこともだが、褒め殺されるのは好きじゃない。過剰に持ち上げられると、いつ落とされるのか不安でならないからだ。泉星菜の野球人生もまた「前世の記憶の復活」によって光が見えたと思えば、結局は深い闇へと落ちていった。彼女にとって希望が絶望に変わる時ほど、苦しくて恐ろしいものはなかった。

 

 

 

 

「カレー部に入ろう!」

 

 料理部の部室――家庭科調理室の前では、美味しそうなカレーの匂いと共に数人の部員が勧誘活動を行っていた。

 部活動の勧誘活動は午前に開かれた全校集会でも行われていたのだが、部室の前ではその時以上に熱の入ったコマーシャルが繰り広げられていた。

 竹ノ子高校料理部――通称「カレー部」の実情が、そこにあった。

 

「なんかイメージと違う」

「……そうですね」

 

 コマーシャルを行っている部員達は皆やけに筋肉質であり、料理部ではなく柔道部と言った方が酷く当てはまる風貌だった。それらがこの廊下という狭い空間で何故か上着を脱いだ状態で、集団で踊ったり跳ねたりしている光景は実に暑苦しかった。

 部室に入るのを躊躇いそうになるが、いざ中を見てみれば十数人の女子部員が談笑しながらカレーを作っており、至って普通の料理部であることがわかった。

 

「これ、人選間違ってる……」

 

 星菜と亜美は揃ってそう呟いた。勧誘はあのようなマッチョメンではなく、あそこに居る女子部員達で行うべきだと思った。

 あえて新入部員を少なくしたいのかなと彼女らの思惑を推理しながら、二人は部室に入った。

 

 

 

 

 カレーライス――それはインド料理を元にイギリスで生み出され、日本でアレンジを加えられた言わずと知れた人気料理である。

 日本が誇る最強のメジャーリーガーが好んで食す料理としても、一部の人間の間では有名である。

 かくいう星菜もまた、カレーライスの魅力に取り付かれた者の一人だった。

 カレーは辛れぇとは誰もが考えつく親父ギャグだが、本当にその通り、カレーは辛い。

 星菜は辛いものは得意ではなく、寧ろ苦手だ。しかし苦手でありながらも、何故かスプーンを運ぶ手が止まらない。甘口も用意されているところを自分から辛口をよそり、辛さに眉を顰めながらもおかわりを所望する――その矛盾が、彼女を悩ませていた。

 

「辛いです。だがそれがいい」

「泉さん、カレー好きなんですね」

「これぞ食の究極です。美学です。お水ください」

「ふふ、どうぞ」

 

 家庭科調理室のテーブルに並べられたカレーライスを頬張りながら、星菜は向かいに座る亜美にこの料理の魅力を語り出す。そのあまりの勢いには亜美が半笑いを浮かべていたのだが、星菜はカレーに夢中で気付かなかった。

 ここ料理部の部室では、新入生への活動紹介として、部員が作った料理の試食会が行われていた。もちろん一人当たりの量には制限があるのだが、まずは自分達の味を知らしめ、新入生の胃袋を掴もうという算段なのだろう。

 肝心な試食品であるカレーライスの味は、星菜からしてみれば上等であった。

 カレーは誰が作っても一定の味は保証される料理であるが、無論作り手の力量次第では一定以上の水準で完成させることが出来る。

 作り手いわく食材やカレールーは一般的な家庭と同じ物を使っているようだが、星菜は明らかに自分が作ったものよりも美味しいと感じていた。

 なるほど、これが料理部の力か。

 星菜は廊下で勧誘のダンスを踊っている半裸のマッチョメンに目を向け――すぐに戻す。アレが自分より料理が上手いとは、思いたくなかった。

 

 

 

 

 見学は料理部から始まり、この日は手芸部、写真部、美術部と回った。この中では最初に回った料理部が好感触である。

 竹ノ子高校では校則として最低一年間はいずれかの部活に所属しなければならない為、やむを得ない事情が無い限り無所属は認められていない。本入部期間は五月までとなっているので、星菜は時間を掛けて慎重に決めていく予定である。

 一方、亜美は既に料理部に入ることに決めたようだ。活動内容はもちろんだが、部の雰囲気が気に入ったらしい。カレー部という通称だが、普通にカレー以外の料理も作っていると聞いて安心していた。

 気さくで人懐っこい性格の彼女なら、先輩達とも上手くやっていけるだろう。星菜は彼女の選択については何の不安も無かった。

 

「私も料理部に入ったら、その時はよろしくお願いします」

「こっちこそ! えっと……星菜ちゃんって呼んでいい?」

「どうぞ。私も亜美さんって呼びますね」

「えへへ、よろしくねっ!」

 

 共に見学をしたことで、亜美との距離が随分と縮まったと思う。ここまで早く名前で呼び合える関係になれたのは今まで過去に無かったことだ。この縁を大切にしよう――と、星菜は思った。

 

 とりあえず、今日の見学はここまでにしよう。そう言って、星菜と亜美は校舎を出る。すると、二人の視界に広大な校庭――屋外の運動部が使用している共用グラウンドが広がった。

 そのグラウンドでは陸上部、サッカー部、そして野球部が、それぞれに活動している。

 野球部はノックによる守備練習を行っている最中であり、内野、外野と分かれて練習している最中だった。

 星菜はその光景を一瞥すると、何事も無く帰路に着こうとする。その時、亜美が足を止めた。

 

「あそこに居るの、鈴姫君だよね? もう練習に参加してるんだぁ」

 

 グラウンドの方向を向きながら、亜美が言った。その視線の先にあるのは野球部の練習風景――そこに混ざっている、一人の少年の姿だった。

 鈴姫(すずひめ) 健太郎(けんたろう)。星菜達と同じ新入生であり、一年一組の同級生である。端麗な顔立ちに水色の長髪をオールバックにした風貌は入学初日から注目を集め、クラスの中で一際目立つ存在感を放っていた。それはグラウンド内でも変わらず、野球部の練習風景を見れば真っ先に彼の姿が目に映った。

 鈴姫はその外見が見掛け倒しなどではなく、実力も大いに優れている。ノックを受けているポジションはショートで、先輩部員の誰よりも安定した守備力を見せていた。

 

「入学前の春休みから参加していたみたいですね。彼の実力なら、野球部も大歓迎でしょう」

「そう言えば星菜ちゃん、鈴姫君と同じ中学だったんだよね?」

「ええ、まあ……」

 

 星菜は中学時代、彼と同じ学校に通っていた。そこは軟式野球ではそこそこ名の知れた中学校だったが、その中でも鈴姫の実力は突出しており、キャプテンも任されていた。

 だからこそ、入学式で彼の姿を見掛けた時は驚いたものである。彼には、名門「海東学院高校」から推薦が来ていた筈なのだから。

 

「まったく、どうしてこんな学校に来たんでしょうね……」

 

 彼がファインプレーを連発し、見学に来ていたギャラリー(主に女子生徒)達から歓声が上がる。その度に、星菜の口から溜め息が漏れた。

 名門校の推薦を蹴ってまで、何故無名校である竹ノ子高校に入学したのか――ある程度想像はつくが、その疑問に答えたのは聞き覚えのない声だった。

 

「それはもちろん、波輪君の凄さを知っているからッスよ」

 

 その声が聴こえた方向に、星菜と亜美が振り向く。

 そこに居たのは星菜はもちろん亜美よりも身長が小さい、小柄な少女だった。

 

「あ、話に割り込んで申し訳ないッス。川星ほむら、野球部のマネージャーッス」

「ああ、どうも……」

「もしかして先輩ですか?」

「他に何に見えるんッスか」

「……すみません」

 

 やや垂れた大きめの瞳に、二つ結びにした桃色の髪が特徴的である。亜美以上に小動物的な外見は失礼ながら先輩には見えないのだが、どうやら彼女は二年生らしい。

 しかしそう言った外見や雰囲気からか、馴れ馴れしくも会話に割り込んできた彼女のことを不快には感じなかった。

 

「波輪先輩……野球部のキャプテンのことですよね?」

「そうッス。もう新入生に知られているなんて、流石ッスねぇ~」

「それで、なんで鈴姫君と関係あるんですか?」

「フフ、鈴姫君が来てくれたのはッスねぇ……」

 

 亜美の方も不快には感じなかったようで、それどころか亜美は彼女、川星ほむらに話の詳細を求めた。

 ほむらはよくぞ聞いてくれたとばかりに快く、そして何故か頬を染めながら応える。

 

「もちろん、波輪君が居れば甲子園に行けると思ったからッスよ!」

 

 それは実に単純明快な答えだった。将来有望な選手が名門校を蹴ってまで竹ノ子高校に入学したのは、それが彼にとって最も甲子園に近付ける方法だと考えたからだとほむらは語る。

 腑に落ちない点は多々あるが、それは多方星菜が想像していた通りだった。

 

「確かに投手力に関しては、波輪先輩が居る限りは万全ですからね。竹ノ子の弱点は攻撃力と守備力――そこに自分が入ることで、名門校に勝てるとでも思ったんでしょう」

 

 さらに付け加えるなら、この学校には名門校にありがちな面倒臭いしがらみが無いという理由もあるだろう。まるで野球漫画みたいな入学理由だな、と星菜は思った。

 すると星菜は、ほむらの目が自分の方を見たまま固まっていることに気付いた。

 

 ……またやってしまった。

 

 どうにも野球の話になると饒舌になってしまう。中学時代に野球部を辞めて以降、これからはなるべく女の子らしく生きようと決めたのだが、簡単にボロが出てしまう有様だ。

 

「詳しいんッスね! もしかして去年の公式戦、観てたんッスか?」

「……はい」

 

 嘘をついても仕方が無いと、星菜は正直に答えた。

 星菜は毎年、強豪校の試合はチェックしている。竹ノ子高校のエース波輪 風郎(はわ ふうろう)のことは海東学院高校の試合を観に来た際、目に止まったのだと。

 だから入学する前から、星菜は竹ノ子高校野球部の事情はある程度知っていた。もちろん、同級生の鈴姫が入学することまでは知らなかったが。

 そこまで話すと、ほむらの目がキュピーン!と光った気がした。

 

「やったー! 仲間が居たッス! 野球マニアがここに居たッスー!」

「せ、先輩!?」

 

 次の瞬間には、嬉しそうな笑顔を浮かべた小動物に抱きつかれていた。

 驚いたが、納得もする。野球は男がするスポーツだ。故に野球が好きな女子は少ない。「野球マニア」の域に立つ者となれば、さらに数は減るだろう。

 この川星ほむらという少女は、自分と星菜が同種の人間であることを本能的に察したのである。故に喜び、行為に及んだのだと星菜は分析する。

 

「「おおっ!」」

 

 どこからか聴こえたギャラリーの歓声は、今もファインプレーを連発している鈴姫に向けられたものか、或いはキマシタワー的状況である彼女達に向けられたものなのか……答えはわからなかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。