外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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すれちがい

 

 

 少女が寂しげな瞳でグラウンドを眺める度に、過去の記憶を思い出す。

 少女が儚げに微笑む度に、過去の過ちを後悔する。

 

 ――時折、夢の中にも少女が出てくる。

 

 その表情は出会った頃のように幼く明るいこともあれば、現在のように儚くほの暗いこともある。

 そして今回現れた少女は、泣いていた。

 

『キャプテンになったんでしょ? なら、早く部活に行かなきゃ』

 

 ――違う、そんな顔が見たかったんじゃない。

 

『大会打率七割超えか……凄いなぁ。もう私なんかじゃ、足元にも及ばないな』

 

 ――俺はまだ、君に負けたままだ。

 

『惜しかったね……もう少しだけ、ピッチャーが踏ん張っていれば』

 

 ――君が居れば、勝てた試合だった……!

 

 夢の中の光景が、ビデオ映像の早送りのように次々と切り替わっていく。

 少女が「居なくなった」野球部での、退屈な日々。

 何一つとして意味を感じない、空っぽな生活。

 そんな空虚な時間があっという間に過ぎていくと、場面は最も深く記憶に残っている一つの出来事へと移った。

 

『実力があるのに皆と野球が出来ない私が、そんなに可哀想なのかよっ!!』

 

 それは、決して忘れてはならない出来事である。

 少女のことを、傷付けた。

 心からの善意で放った筈の言葉が、他ならぬ少女自身に深い苦しみを与えてしまったのだ。

 

『もう嫌なんだっ! そうやって見下されて、みんなに邪魔されて! どんなに努力したって認めてくれなかった……! 全部、監督の言う通りだった……! ……私なんて最初から、あそこに居ちゃいけなかったんだ……』

 

 もう一度、君と野球がしたいと――正直な気持ちを伝えた筈だった。

 しかし少女はその手を取ることはなく、返事は悲しみの涙によって返された。

 

『……お前にだって、私の気持ちはわからない。だからもう、同情するのはやめてくれ……』

 

 何度も、思い出す。

 少女がこうして夢の中に出てくる度に、呼吸も出来なくなる。

 彼がそんな夢から目を覚ました時は、決まって同じ言葉を吐くのだ。

 

 ――俺は今でも、君の帰りを待っている――。

 

 誰一人として伝えることはなく、彼はただ一心に願い続けていた。

 彼の憧れにして最大のライバルが、いつかマウンドに帰ってくることを。

 その日が訪れることを、いつまでも待ち続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は早く流れ、今では四月も下旬に差し掛かろうとしている。

 紅組先発池ノ川貴宏の大炎上によって白組の勝利に終わった紅白戦から、既に二週間以上もの時間が経過していた。

 新入生達も徐々に高校での生活に慣れ、各部活動もそれぞれ活発的に活動を行っている。野球部もまた新チームとして本格的に動き始めており、波輪主将先導の下日々過酷な練習を送っていた。

 彼ら竹ノ子高校が出場する地区大会は国内で最もレベルが高いと言われている、所謂「激戦区」である。地区内には強豪校の存在が数多くあり、その中には昨年度の甲子園優勝校である「あかつき大附属高校」の名もあった。

 下馬評では今回の優勝候補もそのあかつき大附属高校が最有力と言われており、次点ではMAX150キロ左腕の「樽本(たるもと) 有太(ゆうた)」を有する「海東学院高校」と、プロ注目の三遊間「鮫島(さめじま) 粂太郎(くめたろう)」、「尾崎(おざき) 竜介(りゅうすけ)」がクリーンアップを打つ「パワフル高校」の名が対抗馬として挙がっている。大穴としては「魔球」を操る技巧派右腕「阿畑(あばた) やすし」が主将を務める「そよ風高校」と、昨年度は一年生の身でありながら海東の樽本と互角に渡り合った本格派右腕「波輪(はわ) 風郎(ふうろう)」が居るこの「竹ノ子高校」が、それらの下に名を連ねていた。

 

 ――そう。甲子園出場という目標は道程こそ相当に厳しいが、波輪風郎が居る限りは決して夢物語ではないのだ。たった一人で強豪校と対等に戦える絶対的エースピッチャーの存在は、地区予選優勝という万が一の奇跡を可能にしていた。

 故に、他の部員達も真剣に練習に取り組む。優勝は無理だとしても、ベスト8までには残れるのではないか――そんな期待感が彼らの心を支えている為、未だ厳しい練習に根を上げる者は居なかった。

 主将が一人で「甲子園を目指す」と本気で宣言すれば、部員達から多かれ少なかれ不平不満の声が飛び交うことも覚悟していたのだが、言われずともやる気に満ちている部員達の姿を見ればそれが杞憂だったことがわかった。波輪自身も含め、この学校には良い意味でも悪い意味でも単純馬鹿が多いのである。

 波輪にとって何だかんだで自分に着いてきてくれる部員達の存在は、口に出さずとも何よりも有り難いものだった。

 

 

「さあ今日も練習だっ!」

 

 この日は土曜日である。平日のように鬱陶しい授業を聞く必要はなく、朝から晩まで野球に打ち込むことが出来る。

 天気は快晴。練習開始時刻は朝の八時となっており、現在時計の指針は七時十五分を差している。

 竹ノ子高校のシンボルカラーである緑色のアンダーシャツを身に纏った波輪が、早朝の野球部室へと足を踏み入れる。普段この部屋には波輪か鈴姫が一番乗りに到着するのだが、この日は珍しいことに他の部員達が何人も先にその場に集まっていた。

 

「だから! あのぐらいの大きさが丁度いいんだってば!」

「わかるでやんす。でもオイラ的にはもっとグラマラスな方が好みでやんすね。……あっ、波輪君おはようでやんす」

「おはよう。矢部君達がこの時間から居るなんて珍しいな。いつも時間ギリギリで来るのに」

「今日はいつも見てるアニメが休みだったんでやんす」

「はは、やっぱりそうかい」

 

 学校が休みの日の部活動では自宅で練習用ユニフォームに着替えてからそのままの姿で集合する為、部室で着替えるような手間は必要はない。故に早めに部室に着いたところでやることと言えば荷物を置いた後、外に出て素振りをするぐらいなのだが――この日は矢部明雄ら数人の部員達が一箇所に集って、何やら怪しげな会議を行っていた。

 その会議は波輪が部室に入ってきた直後こそ途切れたものだが、挨拶を交わした後すぐに再開する。

 

「あの子の真骨頂は時たま見せる儚げな微笑みだと思うの」

「癒されますよねー。普段あまり笑わないからこそ、見れた時は幸せな気分になれるって言うか」

「今度ガンダーを見つけたら、あの子に引き合わせてみるでやんす!」

「おお、それは名案だな! 美少女+子犬のコンビと言えば昔からの鉄板だ。ほむらちゃんの時みたく、きっと物凄い破壊力が生まれるぞ!」

「ぐはっ、想像しただけで鼻血が……」

 

 彼らは何やら随分と盛り上がっている様子だが、おそらく野球には関係のないことだろう。

 時計を見ればまだ練習開始時刻までには余裕があり、彼らの会話の内容が何となく気になったので波輪もその中に介入してみることにした。

 

「お前ら、何話してるんだ?」

「学校の可愛い子についてでやんす!」

「ふーん……この学校、女子のレベルだけはやけに高いもんなぁ」

「まあ、今はほとんど星菜ちゃんの話題になっとるがな」

「モテる上に彼女持ちのお前には関係ないことよ。ほら練習行った。シッシ」

「ふはは、妬むなよ!」

 

 矢部がノリノリだったことからどうせまたしょうもない話だろうとは思っていたが、案の定しょうもないことを話していたらしい。

 

 しかしそれがきっかけで、波輪は昨夜あった電話のことを思い出した。

 

「そう言えばその星菜ちゃんだけど、今日の練習には来ないってさ」

「「なにィッ!?」」

「……いや、そんなに声を揃えて驚かんでも」

 

 波輪は昨夜、野球部のマネージャーである川星ほむらから今日は二人ともグラウンドに来ないという話を聞かされた。

 それは決して、二人が体調を崩したわけではない。一応ここに居る彼らの心配を解く為に、波輪は事の詳細を説明した。

 

「ほむらちゃんから、星菜ちゃんと一緒にパワフル高校とかの練習試合を見に行くって電話があったんだよ。二人とも、今日は他校の偵察をするんだと」

「あーなるほど。相変わらず、ウチのマネージャーはよく働くねぇ」

「それじゃあ、二人とも来れないんですか!?」

「うん。だからネットとか用具の準備は俺達でやらないとね」

「それは別にいいんでやんすけど、あの二人が居ないとやる気が下がるでやんすね……」

 

 四月から敵情視察を行ってくれるとは、仕事熱心で頼りになるマネージャー達である。ほむらいわくこれからは二人の内一人は学校に残すことにするが、今回は星菜にとって初めての偵察である為、ほむらも指導の為に同行するという話である。情報収集にも色々とやり方があるだろうし、それを教える為には確かに先輩であるほむらも星菜に着いて行くべきであろう。マネージャーが一人も練習に着いてくれないのは不便にも思ったが、波輪はほむらの意思を尊重してあっさりと了承した。もちろん、茂木監督も了承済みである。

 

 

「おはようございます……」

 

 竹ノ子野球部が誇る二人のアイドルが来ないことを知って一気にお通夜ムードとなった部室の中に、間が悪く一人の部員が入室してくる。

 水色の長髪をオールバックにした彼は、三年の六道明と双璧を成す野球部の生真面目ツートップの片割れ――鈴姫健太郎である。

 その姿をこの時刻で見たことに、波輪は少し驚きの表情を浮かべた。

 

「お前がこの時間に来るなんて珍しいな。いつも一時間前には来てるのに」

「……最近、夢見が悪くてあまり眠れないんですよ」

「おいおい。夢の中にカレンさんでも出てきたか」

「……洒落にならないことを言わないでください」

「ごめん、悪かった。本当にごめんなさい」

 

 いつも土曜日の鈴姫と言えばグラウンドに早出して練習を行っているのが基本なのだが、この日はそんな彼にしては随分と遅い到着だった。心なしか顔色が悪く、よく見れば目の下にクマがあることに気付いた。

 

「今日はマネージャー二人とも、他校の偵察に行くってさ」

「ご苦労様ですね」

「だから星菜ちゃん、今日は来ないみたいだなぁ」

「そうですか」

 

 波輪は先ほど他の部員達に話したことと同じ話をするが、鈴姫が寄越してきた反応はそれだけだった。表情一つ変えず、落ち込みも喜びもしない。完全な無表情を貫いた彼は左肩に掛けたショルダーバッグを下ろすと、その中からタオルやドリンク、グラブやスパイクなどをせっせと取り出していった。

 矢部達のように激しすぎる反応を寄越されても困るが、逆に鈴姫のそれは薄すぎるように映った。これではまるで、マネージャーのことなど全く関心が無いような反応である。

 

「……なあ鈴姫、前から思ってたんだけどさ」

 

 前々から、波輪には彼に対して訊きたいことがあった。それは恐らく、他の部員達も同じことを思っていることだろう。しかし、今まで波輪は訊くことが出来なかった。訊いた際、場合によっては悪いことにもなりかねないと思ったからである。

 だがこの時、波輪は野球部の主将(キャプテン)としてとうとう訊かずには居られなくなった。

 

「お前、もしかして星菜ちゃんと仲悪いのか?」

 

 その問いに、鈴姫が予想以上の反応を見せた。一瞬目を見開いた後、苦虫を噛み潰しながら顔を背けたのである。

 

「……なんで、そんなことを訊くんですか」

 

 数拍の間を置いて、鈴姫が質問を聞き返してくる。

 その反応は図星を突かれて動揺しているようにも見えた。

 

「お前、部活中一度もあの子と喋ったことないだろ? それだけならまあわかるんだけど、なんかお互い、いつも避け合っているように見えるんだよなぁ」

 

 四月も下旬に差し掛かろうと言うのに、鈴姫は部活中マネージャーの星菜と一度も話したことがない。高校に上がりたての新入生などはしばらくの間同じ出身中学の者と連むものなのだが、同じ白鳥中学出身者の二人に関してはそれが一切当てはまっていないことが気になっていた。偶々会話をしているところを見ていないだけならばわかるのだが、波輪の目には鈴姫と星菜がお互いに避け合っているようにしか見えないのだ。

 例えば鈴姫が部活のことでマネージャーに訊ねたいことがある時は近くに星菜が居ながらも真っ先にほむらのところに向かうし、星菜も星菜で鈴姫とはほとんど目を合わせようとしない。偶然目が合った時もすぐにそっぽを向き、擦れ違う時などは互いの顔を見ようともしないのである。

 

「実はオイラも気になってたでやんす。同じ中学に通ってたのに、二人とも全然話さないじゃないでやんすか」

「よく訊いた波輪! ようし、この際はっきりさせておこうじゃねぇか!」

 

 そのことは矢部ら他の部員達にとっても周知の事実だったらしく、彼らは波輪に便乗して一斉に鈴姫に問い質してきた。逃げ場を与えないとばかりに数人がかりで周りを取り囲んでいく彼らの剣幕はどこか殺気立っており、波輪から見ても中々におっかないものがある。彼らがそうも鈴姫に対して威圧的な態度を表しているのは、ある一つの「噂」が竹ノ子高校内に広まっているからでもあるのだろう。

 

「あの噂、本当は真逆だったのか」

「噂?」

 

 波輪がこのようなことを鈴姫に訊いたのも、その噂を現実と見比べた際に大きな齟齬を感じたからである。

 故に真偽を確かめようとしたのだが――

 

「お前と星菜ちゃんが付き合ってるって噂だよ」

「はあ!?」

「二年の間じゃ有名だぞ」

「有名でやんす」

「どういうことですかそれはっ!? だって俺はまだ何も……!」

 

 鈴姫自身はその噂について、全く聞き覚えがないようだ。波輪がその内容を話した瞬間、普段冷静な彼が面白いぐらい過剰な反応を見せてくれた。

 

「何だってそんな噂が……」

「二人とも容姿端麗の上に、この学校に初めて入学してきた白鳥中学の出身者だ。白鳥と言えば県下有数のエリート校。そこの生徒は普通、もっと高レベルの高校に入学するものだ。それが今年になってこのような高校に二人も入学してきたのには、何か理由があるに違いない。その理由を考えてみた結果、野球の名門校を倒す為に入学してきたお前(鈴姫)のことを応援しに、恋人(泉星菜)が一緒に着いてきたのではないかという説が一番しっくり来た――という二年生女子達の妄想だ。それが噂として広まっているのだよ」

「お、六道か。入室と同時に解説とか地味に高度なことやるな」

「日頃から、空気の読み方は鍛えている」

「流石寺の子だ、ドアの厚さもなんともないぜ」

 

 夢を叶える為に入学してきた彼と、そんな彼を応援する為に入学してきた彼女。愛の力は無限大だ。確かにそう考えると、不思議なことに全てが納得出来てしまう。星菜がマネージャーとして鈴姫の居る野球部に入部してきたという事実も、その噂に信憑性を与えていた。

 何と言っても、二人はそこらを歩いているだけでも公衆の視線を集めてしまうような美少年と美少女である。恋人同士だと言われれば誰も疑わず、文句の付けようがないほどにお似合いであった。

 しかし今の鈴姫の顔とこれまで波輪達が見てきた二人の姿から判断すると、その噂はやはり噂でしかなかったのだということがわかる。

 

「……随分と、迷惑な噂ですね」

「じゃあ、二人は付き合ってないってことでやんすね!」

「はい。ありませんよ、そんなこと」

「よしきたあっ!」

 

 波輪からしてみればその噂の真偽自体は割とどうでもいいことなのだが、彼らの仲が悪いのかどうかという点だけは知っておきたかった。

 選手とマネージャーという違いこそあるものの、二人とも同じ野球部の仲間なのだ。主将として仲間内での不和だけは、お節介であっても見過ごしたくなかったのである。

 

「で、どうなんだ? 本当は仲悪いのかお前ら」

「……悪いってことは、ないと思いますが」

 

 若者のものとは思えないような深い溜め息をつきながら、鈴姫が波輪の顔も見ずに応える。

 しかし、明らかに落ち込んでいる様子である。波輪は優等生な後輩が初めて見せるその姿から、彼が何か複雑な事情を抱えていることを察した。

 

「……話すのが気まずいんですよ。中学時代、俺が下手なことしたせいで……」

 

 そしてしばらくの沈黙後、鈴姫が耳を凝らさなければ聴こえない声でそう言った。

 

「あっ」

「おっ」

「なるほど」

「そういうことだったのか! そうか、お前も俺達と同じだったんだな!」

 

 その声を聴き取った一同が、何故か全身から緊張を解いた様子で各々に声を上げた。

 彼らは今の鈴姫の発言から、一体何を感じたというのだろうか。おそらくこの場でただ一人だけ理解出来ていない波輪が、そんな彼らの態度を不思議に思い周囲を見回した。

 矢部の顔を見てみる。「ざまあみやがれでやんす!」とでも言いたげの、悪そうな笑みを浮かべている。

 六道の顔を見てみる。微笑ましいものを見るような目つきで、暗い表情を浮かべる鈴姫を見つめていた。

 その他の部員達はと言うと何かに納得したようにうんうんと頷きながら、生暖かい眼差しを鈴姫へと送っていた。

 

「え、みんなどうした? なんでそんな目で鈴姫を見てるんだ?」

「フン! モテ男の波輪君にはわからないことでやんす!」

「そーだそーだ、彼女持ちなんか禿げちゃえば良いんだー」

「え、え? 鈴姫、どういうこと?」

「うるせー、後輩の傷口を抉るんじゃねぇ!」

「ほむらちゃんを返せ! バーカ!」

 

 先ほどまで殺気立っていたのは何だったのかという彼らの変貌ぶりを目にし、波輪は理解が追いつかない。

 中学時代に下手なことしたせいで星菜と話すのが気まずい――鈴姫は確かにそう言った。その「下手なこと」とは何か気になって問いかけてみるが、何故か周りの連中に怒鳴られてしまう。

 一体自分の何が彼らの怒りを買ってしまったかわからず焦燥する波輪だが、その肩に横からポンと手を置かれた。

 振り向くと、そこにはどこか得意気な顔を浮かべている六道と、満面の嘲笑を浮かべて彼らを見下ろしている池ノ川貴宏の姿があった。

 

「負け犬共め、すんなり上手く行った俺達にはわからん気持ちだな!」

「波輪、あまり関わってやるな。これは鈴姫自身の問題だ」

「あれ、どういうこと?」

「……察してやれよ」

 

 彼らまで何故生暖かい目をしているのだろうか。この状況を把握しかねている波輪に対して、六道が呆れ顔を浮かべながら耳打ちしてきた。

 

「失恋したのだろう、おそらくは」

「マジか!」

 

 ――つまりこういうことである。

 

 中学時代、鈴姫健太郎は泉星菜に愛の告白をした。

 しかし、盛大にフラれた。

 故に彼女と話すのが気まずくなっている――それが、鈴姫と星菜がお互いに避け合っている理由なのだと。

 なるほど、確かにここに居る非彼女持ち連中が妙に優しくなるわけである。そしてそれは、波輪にとっては理解出来なくて当たり前の感情だった。

 

(鈴姫……強く生きろ)

 

 こんな時、どんな顔をすれば良いのだろう。二人が決して不仲なわけではないことを知れた以上、波輪には迂闊に深入りするのも憚られた。

 

 

 

 

 ――野球部内に広まったその認識が全くの誤解だと知ったのは、夏の大会が終わった後のことだった。 

 

 


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