外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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シンカー投げお姉さんとロリ親方
運命の出会い


 

 

 夕暮れに照らされた某所では、金属バットから放たれる甲高い金属音が幾度も鳴り響いていた。

 それは、とあるバッティングセンターの光景である。

 そこは駅の周辺で営業している「バッティングセンター」の一つであり、この日もいつものように利用者による打撃練習が行われていた。

 アーム式のバッティングマシンから飛び出してきた130キロもの速球を、左打席に立つ一人の利用者がものの見事にセンター方向へと打ち返していく。

 言葉だけ抜き取れば、至って平常な光景である。

 だがその光景は、周囲の者からは誰の目にも珍妙に映っていた。

 

 ――その利用者の姿が、真新しいセーラー服に身を包んだ女子高生だったのだから。

 

 

 

 今自分が周りからどのように見られているのかを想像したところで、左打席に立っている少女、星菜が小さく苦笑を浮かべる。実際に振り返って確かめてみたわけではないが、自分の元に視線が集まっていることは打席の中でも強く感じていた。

 

 ――可笑しいだろう。女の子が一人でバッティングセンターに来るなんて。

 

 ――哀れだろう。真芯で捉えても精々センター前が限界な長打力は。

 

 だが、今の星菜には自分が周りからどう思われようと関係なかった。ただ自分のスイングでバットを振り抜き、マシンから放たれたボールを打ち返すだけだ。

 

(こうしていると、やっぱり落ち着くな……)

 

 野球部の紅白戦が五回の表を迎えた時、それまで顔色の優れなかった星菜はほむらから気分が悪いと見られ、早めに帰宅させられることになった。

 だが、星菜はそのまま真っ直ぐに自宅へ帰ることはしなかった。自宅直近のバス停を通り過ぎると、星菜はその足でこのバッティングセンターを訪れたのである。

 

「ふっ!」

 

 星菜はマシンから放たれた三十球目のボールをコンパクトなスイングで弾き返すと、投手の頭を貫くような打球をまたセンター方向へと叩き込んだ。

 ワンコイン三十球という制限によりマシンがその役目を終えると、星菜は一息ついて借りたバットを元の位置へと戻した。

 

(にしても……立派なずる休みだな、これは)

 

 思えば部活動を早退したのは、これが初めてだろうか。野球部に居た頃は意地でも抜けなかったのに、我ながら随分と情けなくなったものだ。

 確かに紅白戦を観ていた時の星菜は、ほむらの言う通り顔色が悪かった。だが、決して体調を崩したわけではなかった。

 星菜はただあの「勝負」を見た際に考えることが多くなりすぎて、少々頭の中が混乱してしまっただけだ。それが苦しくなかったと言えば嘘になるが、そこまで心配されるほどのものではなかった。

 余計な思考を吹き飛ばすように、何らかの方法で心を無にしさえすれば、気分は良くなる。そう言った治療法を経験上理解しているからこそ、星菜はその方法としてこのバッティングセンターを訪れたのである。

 そして、何故あの時頭の中が混乱してしまったのか――その根本的な原因が自分自身にある「迷い」であることを、星菜は自覚していた。

 あの時――波輪と鈴姫の一進一退の攻防を見て、星菜は思ってしまったのだ。自分も波輪のボールを打ってみたい、自分も鈴姫を抑えてみたいと。星菜はあろうことか、自分も彼らと共に野球がしたいと思ってしまったのだ。

 

「……こうなることはわかっていたのに。いつもいつも、やることがぶれ過ぎだよ」

 

 マネージャーとして近くで野球部を見ていれば、いずれはこの未練と直面することになるとわかっていた。自分が野球部に入っても居場所なんてなく、それどころかまた誰かの居場所を奪ってしまうかもしれないと言うのにだ。

 だが愚かなことだと知っていても、星菜の中にはそれでも諦めきれない自分が居た。

 過去にどれほど辛く、悲しい思いをしても、星菜は野球その物を嫌いにはなれなかった。

 もはやとっくに手遅れなほど、星菜はこのスポーツに魅了されていたのだ。

 

(……アイツに触発されたのか、私も今日は調子が良かったな)

 

 このバッティングセンターを訪れたのは、今日が数ヵ月ぶりである。

 このバッティングセンターは近隣に建つホテルの陰に隠れている為か、質が良い割に利用者が少ない。しかしそれ故に周りから向けられる人の目が少なくて済むという点を、星菜は気に入っていた。

 利用者が多いと、その分だけ自分に向けられる視線が多くなる。それは決して星菜が自意識過剰なわけではなく、それだけ女子が一人でバッティング練習をするのが珍妙な光景だからだ。好奇の眼差しを浴びることを、星菜は好きではなかった。

 尤も利用者が他よりも少ないとは言え、周囲から人の目が無くなるわけではない。打席を外れた星菜は今までこちらを見ていた利用者達と目が合うと、思っていたよりも多かったそれらの眼差しに若干気押されながらも小さく一礼し、その場を離れた。

 

「なに今の子可愛い……」

「あの制服どこの高校だっけ?」

「えーっと、確か竹ノ子高校じゃなかったか?」

「全部センター方向に打ち返していたな」

「へえ~、女の子なのに凄いなぁ!」

「おい、お前話しかけてこいよ」

「嫌だよ! さっきあっちのおさげの子に思いっきり睨まれたのに……」

 

 離れながらも星菜は、自分の後ろでその利用者達がヒソヒソと何かを話していることに気付いた。その会話の内容を全て聴き取れたわけではないが、これだけははっきりと聴こえた。

 

(女の子なのに凄い、か……)

 

 まるで、男よりも女が下であることを前提にしたような発言である。

 実際、その言葉に間違いはない。少なくとも野球に関しては男女間での身体能力差が歴然としており、星菜自身も今まで嫌と言うほど耳にしてきた言葉だった。

 

(そんなハンデ、女の子の方だって意識したくないんだけどな……)

 

 自分がどれほど対等でありたいと願っても、周囲は対等に扱ってくれない。そんな眼差しに、かつては随分と悩まされ続けてきたものだ。今でこそそんなものは何も言わずに無視出来るが、それでも慣れたいとは思わなかった。腑抜けきった今の自分が出来る、せめてもの抵抗である。

 

「……喉、渇いたな」

 

 このバッティングセンターを訪れてから既に一時間近くが経過している。先程まで百二十球ものボールを一心不乱に打ち続けていた為か、少々喉が渇いてきた。

 何か飲み物を買おう――と自動販売機を探そうとしたその時、星菜は何とも興味を引く看板を見付けた。

 

「ん、ピッチングコーナー? 最近はそんなものが出来たのか」

 

 バッティングマシンと打席が一セットずつ何箇所かに分かれて設置されているのが、一般的なバッティングセンターの造形である。しかしこのバッティングセンターには、ピッチャーマウンドを模した場所からストライクゾーンを模した的を目掛けてボールを投げる「ピッチングコーナー」なるものがある――と、星菜が見付けたその看板には書かれていた。

 

(コースを狙って高得点を狙おう。600点以上ならパワリンを無料プレゼント……ストラックアウトみたいなものかな?)

 

 看板に書かれた文字を全て読み上げると、今の星菜にとって非常に喜ばしいことがわかった。パワリンと言えば全アスリートが御用達の人気栄養ドリンクの名前であり、味は良好の上に渇いた喉を潤してくれる一品だ。そのピッチングコーナーというもので高得点を上げれば無料で手に入るのなら、これは美味しい話である。

 ……尤も、ピッチングコーナーに挑戦すること自体に料金が発生する為、パワリン目当てで挑戦するならば普通に自動販売機で買った方が安いという話ではあるのだが。

 だが、それとは別に投球の練習が出来るのは面白いと思った。今の星菜の心は、紅白戦で散々波輪に見せつけられたことで投げたい思いに溢れていたのだ。

 なら、やってみるか――と、星菜は軽い気持ちで挑戦を決意する。肩や肘のストレッチをしながら看板に示された場所まで移動すると、程なくしてそのピッチングコーナーの前へと辿り着いた。

 

 ――しかし、そこには先客が居た。

 

 周囲から他の利用者達の視線を集めながら、マウンド上から勢い良くボールを放っている「少女」がそこに居たのだ。

 

「女の子だって!?」

 

 その人物の姿を目にした瞬間、星菜は驚きの声を上げた。

 ピッチングコーナーは男性ではなく、女性の客が利用していたのだ。

 それが今の星菜のように学生のセーラー服を纏いながら、ストライクゾーンを模した的に向かってボールを投じていた。

 

(それに、なんだあのフォームは……!? 一片の乱れもない完璧なアンダースローだ! しかも凄いコントロールじゃないか! 指に掛かったキレのあるボールで、外角低め(アウトロー)をえぐっている……っ!)

 

 その光景を目にした時、星菜が抱いたのは一に驚愕、二に戸惑い、三に感動だった。それぞれ一は自分以外に女の利用者が居たことに対しての、二は思わず声を上げたことで周囲の男性達が一斉にこちらに視線を向けてきたことへの、三はその少女が見せた美しい投球フォームと、精密な制球力に対しての感情である。

 球速は決して速くはない。だがその完成度は、星菜の理想とする投手像に近いものがあった。

 

「やった! 記録更新だぁ!」

 

 付近に設置されていた電光掲示板に「630点!〈最高記録更新〉」という文字が点灯すると、少女は満面の笑みを浮かべながら飛び跳ねて喜んだ。それを見届けた周囲の者達が一斉に拍手し、彼女のことを祝福する。

 彼女が「ありがとうございます!」と言って彼らに一礼すると、星菜はその際に振り向いた彼女の素顔をはっきりと視認した。

 意思の強そうな大きな瞳に、端正整った顔立ち。肌の色はやや白っぽいが星菜よりも随分と健康的で、明るみの強い緑色の髪をおさげに纏めている。身長は160センチ台中盤から後半で、星菜よりも手のひら一つ分ほど高い。年齢は少女と女性の中間に見えるがどこか少年のようなあどけない雰囲気を持っている――星菜にとって、今までに見たことのないタイプの人間だった。

 

「……あれ? 君はさっきあそこで凄いバッティングしてた……」

 

 そんな彼女と、星菜は目が合った。

 紺色に透き通った彼女の眼差しは、星菜には何となく直視しにくいものだった。

 決して顔の作りが似ているわけではないのだが、星菜はこの時、何故だか鏡を見ているような気分になったのだ。

 何となく居た堪れなくなった星菜は軽くお辞儀すると、ピッチングコーナーには向かわず踵を返し、その場を立ち去ろうとする。しかしその背中を、彼女が呼び止めた。

 

「待って! 君の名前、もしかして泉 星菜さんじゃないかな?」

 

 彼女の放った言葉に、星菜は驚きの表情を浮かべて足を止める。

 

 ――何故、この人は私の名前を知っている?

 

 自分が一切知らない人物から己の名を呼ばれたことに、星菜は振り向きながらも怪訝な目を彼女に向けた。

 

「あ、ごめんね! 何度も噂に聞いていたから、もしかしたらそうなんじゃないかって思ったんだ」

「私は確かに泉と申しますが……貴方のことは存じ上げません」

「あれ? ああ、そっか。しばらく会ってないって言ってたから、ボクのことも聞いてないんだ。……うーん、いきなり話しかけてごめんね?」

 

 言いながら、彼女は星菜の元へと近づいてくる。その表情は人を安心させる色を持って柔和に笑んでおり、星菜が一瞬抱いた警戒心すら吹き飛ばすような温かなものだった。

 今こちらに向けられているのは一目で悪い人間でないことがわかる、純粋な瞳である。彼女はどう説明しよう……と困ったように呟いた後、「よし!」と何かを決心してから言い放った。

 

「ボクは早川あおい! 恋々高校の二年生で、君のことは小波君から聞いたんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――もしも「運命の出会い」というものが本当にあるのなら、泉星菜にとってのそれはまさにこの瞬間であろう――。

 

 

 

 泉星菜の人生はこの時、再び転機を迎えようとしていた。

 一度は完全に停止した筈の時間が、非常にゆっくりだが動き始めたのだ。

 それは、「帰還」への第一歩。

 遠く離れた筈の「居場所」へと踏み出した、小さな一歩だった。

 星菜自身はまだ、そのことに気付いていない。

 ただ、この出会いが自分にとって何か大きなものを生むのではないかと――星菜はそのように、直感していた。

 

 

 泉星菜と早川あおい――それは後に最高の友人となり、最大のライバルとなる二人の出会いだった――。

 

 

 

 


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