外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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矛盾だらけの野球少女
星のお姫様


 

 150キロの剛速球を真ん中中央に叩き込み、強打者を空振り三振に仕留める。

 

 それは男のロマンだ。

 力と力のぶつかり合い、男と男の真剣勝負。野球をする上で最も目立つのは、投手ならば奪三振、打者ならばホームランというのが一般的であろう。さらに追究すれば、投手はより速い球で三振を取りたがり、打者はより遠くへ打球を飛ばしたがるものだ。

 豪腕やフルスイングが叩き出した球速表示と飛距離は、観る者と行う者に爽快感を与える。野球は同じルールの中でいくつもの技術があるスポーツだが、結局は剛速球と特大ホームランこそが大衆が好む野球の華なのだ。

 

 ――だが、一人の少女はそれを鼻で笑い飛ばした。

 

 特大ホームラン? 確かにホームランは最も効率的に点を取れる手段だが、飛距離が140メートルを超えたからと言って特別に加点されるわけではない。場外ホームランを狙って打撃フォームを崩すリスクを冒すぐらいなら、確実に真芯で捉え、スタンドの最前列に放り込むバッティングを極めた方がいい。

 剛速球? スピードガンなど粗大ゴミだ。力任せに150キロの直球をど真ん中に投げ込むより、外角低め(アウトロー)に140キロを正確に決めた方が打者は打ちにくい。しかもスピードを追い求めた結果肩を壊し、先の長い野球人生を棒に振るった投手がどれほど多く居ただろうか。どうしても直球で三振を取りたいなら、スローカーブやチェンジアップを織り交ぜた緩急つけたピッチングを学び、140キロを150キロに見せる技術を身につけた方が確実に長く活躍出来る。

 

 登校から朝のHRが始まるまでの時間――その時間を読書に費やしていた少女は、先まで読んでいた文庫本を閉じるとそっと引き出しに戻した。

 その口から、小さく失望の息が漏れ出る。少女が先まで読んでいた文庫本は「スーパーエース」というタイトルの、高校野球を題材にした青春ストーリーである。それは無名校に現れた一人の天才投手が剛速球を武器に仲間と共に甲子園を目指すという、良く言えば王道的で、悪く言えば何番煎じかもわからない見飽きた内容だった。

 

「……やっぱり、そういうものか」

 

 溜め息混じりにそう呟く少女の姿からは目に見えて思い悩んでいることが伝わり、その儚さは元々の雰囲気もあり非常に「様になっていた」と後にクラスメイトが語る。

 ともかく、少女――(いずみ) 星菜(ほしな)は憂鬱だった。

 

 何故、最速120キロの投手が高校野球で奮闘する物語が無いのか――それを声を大にして叫びたい気分である。

 

 いや、決して無いわけではないのだろう。全国の書店を探し回れば何冊か出てくるとは思うが、少なくともこの「竹ノ子高校」の図書室には置いていなかった。それはやはり、球の遅い投手では読者に与える爽快感が少ないからなのだと思う。需要が少なければ供給もされないのは至極当然だった。

 しかし星菜は球が遅い投手の方が――正確に言えば、遅い球を速く見せる投手が好きだ。ハエの止まるような緩い変化球を見せた後、アウトロー一杯に決めた120キロのストレートで見逃し三振を奪う。そんな投手こそが、彼女が空想に求めている理想の主人公だった。

 

 ――150キロなんていらないんです。大事なのはアウトローに決めることと、緩急を付けることなのです……。

 

 竹ノ子高校一年一組の教室内。泉星菜の呟きは、早朝からやかましいクラスメイト達の喧騒に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 泉星菜は野球少女だった。

 

 それもただの野球少女ではなく、リトルリーグ時代では身長160センチの長身左腕から放たれる100キロ超えの直球と、切れ味鋭いカーブ、チェンジアップを武器にチームを全国制覇に導いた超実力派の投手である。制球力も高く、彼女がもし「男子であったならば」、有名なシニアやボーイズリーグのチームから数多の誘いが来たことだろう。星菜はそれほど優れた投手だったのだ。

 しかし残念ながら、彼女の性別は「女」であった。中学に入学して以降、身長の伸びは160センチのままピタリと止まり、しかし腰周りや胸部などはすっかり女性的に変貌してしまった。それは例外なく、全ての野球少女が通る道だった。

 星菜はその時点ではまだ何も感じていなかった。当時の彼女はこのまま突っ走り、初の女性プロ野球選手になってやろうとまで思っていた。しかし、なまじ高い実力を持っていただけに、後に味わう苦痛も大きかった。

 中学に上がった途端、周りのチームメイト達が次々に星菜の身長を追い越していき、それに伴って体力が跳ね上がっていった。対して星菜の身長は変わらず、数ヵ月後には体力的に彼らの練習に付いていくことが出来なくなっていた。

 それでも投球だけは彼らに通じ、同学年の中ではエースを張ることが出来た。しかしそれすらも二年生を相手には一切通じず、どの球種を投げても簡単に打ち込まれた。

 

 彼女の中でプライドがへし折られるまで、多くの時間は掛からなかった。

 やがて先輩達だけでなく同級生からも痛打を浴びるようになり、二年生になる頃には彼女の立場は同学年の中でも下の下へと落ちぶれていった。

 弱小の野球部なら、少しは重宝されたかもしれない。しかし、彼女が所属していた野球部は強豪の類だった。小学六年から成長の停止した星菜は、既に戦力として認められていなかったのだ。

 それでも、野手としてなら通用しないこともなかった。

 パワーこそ男子には劣るが、真芯で捉える技術は同学年一をキープしていた。守備も堅実で、外野手のレギュラー争いには加わることが出来た。

 しかし、星奈は投手に拘った。その選択が間違っていたのか、正しかったのかはわからない。

 ただ、投手に拘ったからこそ転機が巡ってきたのは事実である。

 それは無名校を一人で甲子園出場に導くよりも、遥かに突拍子も無い出来事だった。

 

 ――前世の記憶を思い出したのである――。

 

 ……いや、精神的に追い詰められて例のアレに走ったわけではない。当時星奈は中学二年生だったが、決してアレを患ったわけではないのだ。

 きっかけはある日、星菜がバッティングピッチャーを務め、フリー打撃を行っていた時だった。

 不運にもバッターの打球が星菜の頭部を直撃し、意識を失ったのである。

 幸いにも彼女の所属していたクラブが硬球を扱うシニアチームではなく軟式の野球部だった為、大きな怪我にはならなかった。

 しかし目が覚めた直後、星菜の中には星菜ではない別の記憶が生まれていたのだ。

 

 それは、あるプロ野球選手の記憶だった。

 名を、星園渚(ほしぞの なぎさ)と言う。女性のような名前だが、れっきとした男性である。

 

 それらは妙に現実味のある記憶で、調べてみればその記憶の持ち主が実在していたことがわかった。

 星園は最速130キロ程度の球速でありながら、左腕を全く見せない投球フォームと多彩な変化球によって、その直球を実際より20キロ以上速く錯覚させ、奪三振の山を築いていたという。通算で積み重ねた勝利数は驚異の199勝。遅い球しか投げられないにも拘らずプロを相手に勝ち進む彼を、周りは「緩急の大魔導師」や、「星の大魔王様」と呼んでいたらしい。

 本当に、まるで魔法使いのようだと星菜は思った。

 

 その際、彼女が混在する星園渚の記憶をはっきりと別人のものとして分割出来たのは、単に泉星菜としての精神が強かったことと、友や家族に励まされたことによる部分が大きいだろう。星菜が意を決して彼らに相談したところ、前世が誰であろうと星菜が星菜であることに変わりはないと言ってくれたのだ。その簡単な一言に、星菜は救われたのである。

 泉星菜という自己をより確固たるものとして安定させると、星菜はこの「星園渚」の記憶を自分の投球に利用することにした。

 プロの――それも通算199勝も上げた男の記憶である。同じ左投手として彼の経験は非常に参考になり、元々天才肌な上に努力家でもある星菜はその技術を次々と吸収していった。

 星菜が自分のモノに出来た技術は、全体で星園の一割にも満たないだろう。しかし泉星菜は、これを機に覚醒を遂げた。

 

 星園のものをほぼ百パーセント再現した、左腕を見せない投球フォーム。

 キャッチャーミットが構えたところから動かない、針穴を通すコントロール。

 ストレートと同じ腕の振りで操る、球速差40キロものスローカーブ。

 打者にストレートだと錯覚させ、バットの芯を巧みに外すカットボールとツーシーム。

 そしてスピンの効いた、球速表示以上に速く見えるストレート。

 

 これらを短期間の内に習得してみせた星菜は、間違いなく天才だった。チームメイトの投手を一気に突き放すと、先輩すら抑えてチーム一の投手となった。

 その瞬間が多分、自分の人生の最高潮だったなと振り返る。

 

(良い夢だったよ)

 

 なんで、こんな記憶を持ってしまったのだろうか。星菜は自分の中にある星園渚の存在を呪う。

 この男の記憶さえ無ければ、すんなりと野球を諦められたのにな――と。

 

 窓の外、星菜は席に腰掛けながら早朝の校庭を眺める。

 サッカー部が盛んなこの竹ノ子高校の校庭で、二人の野球部員がキャッチボールをしている姿が目に映った。当然ながら、二人とも男子だ。野球部には全体通してみても、女子部員など居る筈が無い。

 

(どうせ諦めなければならないなら……)

 

 前世の記憶があれば無双出来る、そう思っていた頃が懐かしい。

 どん底から立ち上がった彼女を待っていたのはさらなるどん底で、最早立ち上がる気も起きない相手だった。

 それは監督の一存であり、世間の常識であり、近い将来に立ちはだかる覆し難いルールであり、教師達のお節介であり――何よりも、彼女の性格がそうさせた、野球を続けることへの「諦め」であった。

 

「こんなもの、いらなかった」

 

 自分自身への苛立ちから、星菜はそう吐き捨てて突っ伏した。その言葉を聞いていた手前座席の山田君がビクッと肩を震わせたが、どうでも良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 泉星菜の通う竹ノ子高校は、男女共学の公立校である。偏差値は中の下と言ったところで、場所も田舎の山道にあり、校舎もやや古めかしい。しかし近場に住む者が多い為か生徒の総数自体は多く、それなりに賑やかな学校だった。

 部活動はサッカー部が盛んであり、地区一二を争うレベルを誇る。他にはテニス部や陸上競技部、柔道部などがあり、文化部においては漫画研究部なるものまで存在している。

 そして、野球部がある。昨年までは部員の激減により解散の危機に追い込まれていたものの、二人の部員の入部を機に七月前には復活し、秋季大会では見事二回戦を突破、三回戦では名門海東学院高校と延長戦にまで持ち込むという快挙を成し遂げた。惜しくも試合はショートのタイムリーエラーによって敗れたものの、今後における期待度は相当に高いだろう。

 

「そう、その波輪って先輩が凄い格好良いのよ~!」

「私知ってる! こう、バキューンって投げてパコーンって打つのよね!」

 

 星菜の一年一組でも、野球部の話題は割と頻繁に流れている。野球部と言っても二年生キャプテンの話題がほとんどだが、星菜の周りの女子はどうにもその男のことが気に入っているらしい。

 入学してまだ二日目だと言うのにクラスメイトと打ち解けて早々にそういった話が出来る彼女らのことを、星菜は少し羨ましいと思った。

 星菜は決して無口ではないのだが、人付き合いが得意な方ではないのだ。

 

「泉さんはどう思う? 野球部のキャプテン」

 

 そんな星菜に、隣の席で彼女らの会話を傍聴していた一人のクラスメイトが話を振ってくる。栗色の髪をショートボブに纏めた可愛らしい少女だ。

 名前は確か奥居 亜美(おくい あみ)さんだったかなと昨日行った自己紹介を思い出しながら、星菜は質問に応じた。

 

「球が速くてスライダーもフォークも良い。長いイニングを投げるスタミナもあるし、後はアウトローに投げ切れる制球力とタイミングを外す球さえ磨けば、プロでもある程度は通用するかと。今の時点でもドラフト一位は間違いないと思いますよ」

「………………」

「あっ」

 

 やってしまった――と星菜は痛恨のミスを悔いるが言った言葉は訂正出来ない。

 ドン引きしている。思いも寄らない返答に、奥居さんは絶句していた。

 話の流れから普通に考えれば、彼女が聞きたかったのはキャプテンの男としての魅力についてだろう。それを野球選手としてどうかという質問と誤解したのは、星菜の明らかな失策だった。

 誰がスカウト評を訊いたよ!? 馬鹿かお前は! と、星菜は心の中で自らを叱責する。こんな彼女だから、中学時代は野球好きな人間としか友達になれなかったものだ。入学二日目、これから新しく交友を広げていこうというところでこれである。これでは気味悪がられてしまう――と頭を抱えるが、奥居亜美の反応はクスクスと笑みを漏らすだけだった。

 

「泉さんも好きなんですね、野球」

「え?」

「私も好きなんですよ。兄の影響で」

「奥居さんもですか……少し意外です」

 

 彼女は野球に詳しいようで、星菜の言葉に引かずに済んだようだ。ならば是非とも、彼女とは仲良くなりたい。

 それに、これならば話は広がりそうだ。

 

「お兄さんも竹ノ子生なんですか?」

「いえ、恋々高校の二年生です」

「恋々って、あの恋々ですか……。野球部なんですか?」

「はい。お兄ちゃんったら何を考えたのか、あかつきの誘いを断って「オイラは野球部を一から作るぞー!」って野球部の無い高校に行ったんです」

「それで、本当に作ってしまったと」

「はい! 凄いんですよ、最初の試合からいきなりパワフル第三高校に勝っちゃって――」

 

 彼女と仲良くする為、兄の話を話題にしてみたが思った以上に好感触である。

 彼女の話はHRが始まる寸前まで続き、予想外に長引いたが、兄の話を自分のことのように話す姿はとても微笑ましく、心が癒された。

 

「じゃあHRを始めっぞ~。今日の予定だがまず学級委員を決めて――」

 

 HR中、彼女はその微笑みを保ったまま星菜に顔を向けてきた。

 

「昨日自己紹介があったけど、私、奥居亜美。よろしくね」

「泉星菜です。こちらこそ」

 

 どうやら、彼女とは良い友達になれそうだ。裏の見えない笑顔にそう感じた星菜は、これからの高校生活に手応えを感じた。

 





 舞台はパワポタ3の竹ノ子高校です。
 原作にイベントを追加しつつ野球小説らしく熱い展開に持っていけたらなと思います。

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