幼年学校では一年生から三年生の間、普通の初等教育・中等教育の内容が行われると同時に初歩的な軍事訓練を受ける。本格的な士官教育を受け始めるのはそれが大方終わる三年生頃からだ。
私の場合、幼少期に身体が弱かった分、勉学に励んでいたこともあって、三年生頃までは成績最優秀者とされる五〇〇番以内に名を連ねていた。あるいは前世の学習経験が活きたのかもしれない。尤も、社会系や国語系の科目では逆に前世の記憶が邪魔になったが。私のかつて生きた母国と銀河帝国では価値観も社会様式も違いすぎた。
「流石だねアルベルト、また試験で一〇〇番以内に入ったのか」
「……ラルフも本気を出せば良い線行くと思うけどね。どうせ手を抜いたんだろ?」
宇宙歴七五一年一二月一六日、私とラルフは中央電子掲示板の前で二学期期末試験の結果発表を見に来ていた。幼年学校では試験の度に成績上位者五〇〇名と下位者五〇〇名が公開される。「上位者を称えると共に、下位者に奮起を促すため」らしいが、私とラルフ、そしてクルトは意図的に同学年の間で目に見える「ヒエラルキー」を作り出すことで競争させようとしているのではないかと疑っている。
「私の事を買い被りすぎだよ。私は今でも十分本気さ。ただ、勉学よりも情報収集にリソースを割いているだけだ」
「……なるほどね。それも嘘じゃないんだろうけど」
ラルフは明らかに上位者に入ることを避けていた、というより目立つことを避けていた。初日に私に接近したのも、「派閥に属さないよりは属していた方が目立たないだろ?」とのことらしい。私が派閥らしい派閥を作らなかったのは計算違いだったようだが、今でも私の数少ない友人として付き合いは残っている。
「おいライヘンバッハの病弱息子!俺の成績を見たか?」
突如として後ろから大声で話しかけられる。そこには得意げな顔をしたラムスドルフが取り巻きを連れて立って居た。
「見てないけど……その顔色だと今回は僕より上位だったみたいだね」
私は『今回は』の部分を強調して言った。一学期の中間試験を自信満々で受けたラムスドルフは見事に上位者入り……出来なかった。
当然だろう、平民や下級貴族たちは実力だけで幼年学校に入ってくる。全ての上位貴族が身分の力で入学してくる訳でもないが、全体的なレベルは平民や下級貴族の方が高い。一学期の中間試験はそれはもう酷かった。幼年学校一年生に伯爵家以上の縁者は三〇〇人弱居たが、その内上位五〇〇名に入ったのは私も含めてたった八名である。
「そうだ!お前は八七番だな?俺は七九番だ……。これでハッキリしたな、やはり貴様のようなひょろ長もやしが俺より優秀と言うのは間違いだった」
「……そして、僕より優れている筈の君が、一学期中間・期末、二学期中間と私に完敗してきたのは、君が努力を怠っていたからだと言うこともハッキリした」
「何!?」
「アルベルト……。ラムスドルフ君は言うまでもないとして、君も存外子供っぽい所があるよね」
ラムスドルフは私の言葉を聞いて顔を真っ赤にし、そんな私たちを見ながらラルフは呆れたようにそう言った。その時、近くにいた平民の生徒が私たちを見て侮蔑するように言った。
「貴族サマたちはおめでたいな、その程度の順位で勝ちだの負けだの……」
「いや、勝ち負けに拘っているのはラムスドルフ君だけだよ」
私は反射的にそう返した。そこに居たのは第二〇教育班に属する平民出身のカミル・エルラッハだ。エルラッハは優秀な能力と、無駄に強い反骨精神、そしてカリスマ性を併せ持った生徒だった。
彼は初日に第二〇教育班の公爵家縁者を罵倒し、あっという間に貴族階級からの憎悪をその身に受けることになるが、その無駄なカリスマ性で平民や下級貴族たちの敬意を獲得し、貴族と激しく対立するようになった。彼のシンパは幅広く存在し、私の第一八教育班にも少なくない数が居る。
「貴様!卑しい平民の分際で無礼な」
「ラムスドルフ様に謝罪しろ!」
ラムスドルフが何か言う前に取り巻きたちが一斉に吠える。名門帯剣貴族の私には何も言えないし、言わないが、平民のエルラッハの事はここぞとばかりに罵倒する。小物根性ここに極まれり、と言った所か。
「権力の犬がキャンキャンと喧しいな、ラムスドルフ様、犬の躾はきちんとしてくださらないと、他の生徒が困ってしまいます」
エルラッハが火に油を注ぐようなことを言う。ラムスドルフの取り巻きたちは激しく罵倒するが、その度にエルラッハも言い返す。
「あーアルベルト、これはちょっと不味そうだ。いったん離れよう」
ラルフが小声でそう言ってきた。
「……エルラッハ君は大丈夫かな?いつぞやみたいに袋叩きにあったら……」
「ここは中央電子掲示板の前だ、騒ぎが起これば教官たちが気づいて介入するし、エルラッハのシンパも少なくない数がここに居る、一方的にやられるようなことは無いだろう。それよりも私たちが巻き込まれるのが心配だ」
私はラルフの意見に従い、共に中庭の方へ向かった。ちなみに私は以前、貴族の生徒に袋叩きにあっていたエルラッハを助けたことがある。その結果、私はより孤立を深めることになり、何故かエルラッハからも嫌われた。世の中には優しくしない方が良い人間も居るのだろうか?
なお、私とラルフが離れた後、ラムスドルフたちとエルラッハたちが一触即発の状態になったらしいが、教官たちの介入で乱闘に発展する前に解散させられたらしい。そしてエルラッハとラムスドルフがそれぞれ反省文を書かされることになったそうだ。……幼年学校では定期的にこのような事件が起こった。時には実際に暴力沙汰になることもあった。その時、被害に遭うのも責任を取らされるのも大抵身分の低い生徒であった。
「おや、クルト君の周りに人が集まっているな?あの偉そうにしている奴は確か……第三六教育班のバルヒェットか。ブラウンシュヴァイク一門に連なる伯爵家の嫡男だったはずだ」
中庭に出てすぐ、ラルフがそう言って、いつもクルトが本を読んでいる木陰を指差す。確かにそこには五人の貴族らしき生徒が居り、クルトに何か話しかけている。
「どう見ても友好的な様子じゃないね……。ラルフ、僕はクルトの所に行ってくる。君は来なくても良いけど……」
「分かっているさ。ここで見ているよ。何かあったら教官を呼んでくる」
「頼んだ」
私はそう言ってラルフと別れた。ラルフは自分が当事者となることを徹底的に避ける。私と一緒に来てくれないのは薄情に思えるかもしれないが、「何かあったら教官を呼んでくる」と約束してくれたのは、ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンという男の最大級の好意だ。
「クルト、どうかしたの?」
私は問いかけながらやや強引にクルトと生徒たちの間に身体を入れる。
「大したことじゃない、バルヒェット君?が僕の事を嫌っている、ただそれだけの話」
クルトは私の声を聞いて、読んでいた本から顔を上げた。それまではバルヒェットたちが何か言っている間もずっと顔を上げていなかった。
「別に嫌っている訳じゃない。いくら何でもおかしいと言っているだけだ。入学以来、卿は常に試験で一位をキープしているだろう。しかし私は卿が勉強をしている姿を見たことが無い。試験が近づいても常にここで本を読んでいる。何か『秘密』があるんじゃないかと思ってな」
バルヒェットはクルトを睨みつけたままそう言う。
「『秘密』?」
「……彼らは僕が英雄の息子だから特別待遇を受けているんじゃないかと疑っているらしい」
クルトは呆れたようにそう言う。
「自分で言うのも恥ずかしいけどね。僕は要領が良い。授業の要点を掴んで、試験に出そうな所に当たりをつけて、後はその日の内にそれを覚えれば、試験前に慌てて勉強する必要は無い」
「ふざけるな!そんなの机上の空論だろう」
「そうか?それならラムスドルフ君にでも聞いてみたらどうだい?彼も最初はそう言ってたけど、『やってみれば案外出来る物だ』って言っていたよ。アルベルト、今回の試験、ラムスドルフ君は何番だった?」
クルトは急に私にそう聞いてきた。私は実の所、少し悔しかったがそれを隠して答えた。
「……七九。ちなみに僕が八七だ」
「前回のラムスドルフ君は百六十八番だったからね。きっと僕が嘘をついていないと保障してくれるはずだよ」
「ふん、同じ帯剣貴族同士の保障など当てになるか。卿らはすぐに互いを庇い合おうとする。第二次ティアマト会戦の後もそうだったな。特に卿の父は酷かった。英雄としての立場を利用して法を捻じ曲げ、コーゼルとか言う平民の一族を助けた」
バルヒェットは厭らしい笑みを浮かべながらそう言った。それを聞いたクルトが眉をひそめた。
「僕の父上が法を捻じ曲げた?聞いたかいアルベルト。この国には僕らの知らない法律がまだ沢山あるらしい。バルヒェット君に是非ともご教授願いたいね」
クルトは完全にエンジンがかかってしまったらしい。こうなるとクルトは止まらない。相手を打ち負かすまでやり込めようとする。シュタイエルマルク提督も昔はそうだったのだろうか……?
「……地方の判例法じゃないかな?ただ、ブラウンシュヴァイクの田舎法院の判例が帝国全域に効力を持つと思っているあたり、おめでたいよね」
私も半分諦めて皮肉を重ねた。私も領地貴族には苛立ちを覚えていたからだ。この際、開き直って便乗しよう。そう思った。ところが、私の発言はちょっと不味かったらしい。
「な!卿はブラウンシュヴァイク公爵家を馬鹿にするのか」
「信じられん」
「何と愚かな……」
バルヒェットは怒りよりも驚きが多分に含まれた声音でそう言い、今まで黙ってクルトを睨んでいた連中も驚いたような反応を示した。
「あちゃー」
クルトは頭に手を当てて小声でそう言った。……私は少し納得がいかなかった。恐らくブラウンシュヴァイクを揶揄するのは無謀だったのだろうが、それにしたって、最初にバルヒェットとやりあっていたのはクルトではないか。
「……まあ、とにもかくにも、僕が試験でズルしているって言うんだったら証拠を持ってくるか、学校側に相談してくれ。アルベルト、行こう」
クルトは立ち上がると私の手を引っ張って強引にその場を離れようとする。
「ま、待て!クルト・フォン・シュタイエルマルク!卿の悪行は必ずこのミヒャエル・フォン・バルヒェットが暴いて見せる!覚悟していろ!」
バルヒェットは最後にそんなことを言っていたが、当然私たちは無視した。ラルフと合流し、教室に戻り、何があったかをラルフに説明した。
「君は馬鹿だね。流石に付き合いを考え直した方が良いかもしれない」
私がブラウンシュヴァイク家を『田舎』と揶揄したと聞いた瞬間、ラルフはそう言った。
「はあ……別に良いけどさ、これで幼年学校を卒業し次第、アルベルトと僕は高確率でブラウンシュヴァイク公爵と対立する立場になる。今から覚悟を決めておかないとね……」
クルトは疲れたようにそう言った。
「いや……自分で言っておいてあれだけどさ、所詮は幼年学校生の戯言でしょ?これで即ブラウンシュヴァイク公爵と敵対なんてことになるかな?」
「今はならない。ただ、君がブラウンシュヴァイク公爵を揶揄したことを知る幼年学校生が軍高官や貴族家の当主となったら、幼年学校での対立関係・友好関係がそのまま持ち込まれる関係上、敵対せざるを得なくなる可能性が高くなるだろうね」
ラルフは心なしか憐れむような目でそう解説してくれた。
「……なるほど」
「まあ、言ってしまったものは仕方ないよ。別にブラウンシュヴァイク公爵家と対立しても、帝国で生きていけない訳じゃない。やり様はいくらでもあるさ、そうだろうラルフ?」
「ん、まあね。例えば、今さっきから私たちの方を見ながらニコニコしているクライストと仲良くなっておけば、少なくとも幼年学校では困ることは無いだろう」
ラルフはそう言って自分の後ろ側を指差した。そこにはラルフの言う通り満面の笑みを浮かべたクライストとその取り巻きが居た。……あいつがこんなに良い笑顔をしている姿を見たことは無かったし、これからも見ることは無かった。
「じゃ、私は少し君たちと距離を置くよ。ほとぼりが冷めたらまた仲良くしよう」
ラルフは笑顔であっさりとそう言うと教室を出ていく。それと同時にクライストがラルフの席に座った。
「いや~やってしまいましたなアルベルト様、クルト君」
上機嫌のクライストは私たちをファーストネームで呼んだ。今まではそれぞれライヘンバッハ様、シュタイエルマルク君だった。
「……君は嬉しそうだね」
ジト目でクルトはそう言った。
「嬉しい?まさか!そんなことは有り得ません。ただ、お二人がブラウンシュヴァイク公爵家と対立しそうだと聞いて、是非とも我々の力をお貸しさせていただけないかなと」
「『我々』ねぇ……」
クライストはこの時点で既に幼年学校で五本の指に入るほど大きな派閥を作っていた。……まあ、派閥と言っても互助的な代物だし、あまり高位の貴族は所属していない。
「率直に申しますと、私としましてもクロプシュトック侯爵家から受けた使命を考えると、今の派閥では心許ないと言いますか……やはり帯剣貴族の雄たるお二人にご協力頂ければ、私としても胸を張って父や侯爵様に会えるという物でして、はい」
クロプシュトック侯爵家はブラウンシュヴァイク公爵家を初めとする領地貴族の不穏分子に睨みを効かせる為にルドルフ大帝によって送り込まれた一族だ。その役割上、強大な他の領地貴族に対抗するために、他の貴族集団とも積極的に関わりを持とうとしてきた。
クライストが幼年学校に入学したのも、帯剣貴族や平民を取り込んで派閥を形成し、親クロプシュトック的な貴族家・軍人を増やす為だった。それ故、クライストは自分の勉強そっちのけで派閥形成に奔走していた。そんな彼をクルトはあまり快く思って無く、時に対立すらしていたはずなのだが……。
「君は僕の事が嫌いだと思っていたんだけど?」
「罪を憎んで人を憎まず、と言うでしょう?ああいや、クルト君が罪人だとかそういうことを言いたい訳では無くてですね……。まあ、私の邪魔をする人は嫌いですが、クルト・フォン・シュタイエルマルクという人間を嫌ったことなど一度もありませんとも」
クライストはいけしゃあしゃあとそんなことを言った。
「……ちょっと考えさせて欲しいな。幼年学校にはいくつか派閥があるけどさ、派閥に入った生徒たちって色々と大変そうだしね」
私はクライストにそう返答した。
「分かりました。急かすつもりはございません。返答をお待ちしております」
クライストはそう笑顔で言った。
……翌日、アルベルト・フォン・ライヘンバッハとクルト・フォン・シュタイエルマルクがブラウンシュヴァイク公爵家を罵倒したことと、ヴィンツェル・フォン・クライストの形成した親クロプシュトック派にその二人が加わったことが噂として幼年学校一年生の間を駆け回った。
「……君も人が悪いな。やっぱり僕の事嫌いでしょ?」
「……朝起きたら勝手に派閥に入れられていた身にもなって欲しいな?返答は待ってくれるんじゃ無かったの?」
「待っていますとも。ただ、人の口に戸は立てられませんからねぇ……」
クライストは素知らぬ顔でそう言った。結局、クライストの思惑通り、私とクルトはこの後、周囲からクロプシュトック派の一員として見られることになる。
銀河の歴史がまた一ページ……。