アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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壮年期・『匙』は投げられた(宇宙暦780年10月某日~宇宙暦780年12月10日)

「皆さん。一つ重要な問題が残っている。どこまでやるか、誰をやるか、です」

 

 宇宙暦七八〇年一〇月某日。粛軍派の会合でオトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将が放ったその言葉は、出席者たちの沈黙によって受け止められた。

 

「……カルウィナー=ライヘンバッハ家には退場してもらう。さもなくば、御曹司の下にライヘンバッハ派の力を結集させるのは不可能だろう」

「当然、それは単に政治的生命を断つというだけの話ではありませんな?」

「……そうだ。あの親子は……消さないといけない」

 

 アドルフ・フォン・グリーセンベック宇宙軍上級大将は婉曲な表現でコルネリアス、カール・ベルトルトの父子とその縁者を粛清リストに入れるべきだと発言する。「退場」の意味する所は皆察しが付いていたが、ゾンネンフェルス中将はあえて確認の質問を挟んだ。その厳しい表情はグリーセンベック上級大将の「甘え」を咎めているようだ。グリーセンベック上級大将はそれを若干不快に思いながら、より直接的な表現でゾンネンフェルス中将の質問に答える。

 

「グリーセンベック上級大将閣下、カルウィナー=ライヘンバッハ子爵家を潰したとして、ライヘンバッハ一門内の保守派は大人しくなりますか?」

「今のように御曹司の決定に真っ向から異議を唱えることは出来なくなるだろう」

「なるほど。……確認しますが、本当にそれで十分(・・)なのですか」

 

 ゾンネンフェルス中将はグリーセンベック上級大将を睨むように迫る。その言わんとする所は明白だ。カルウィナー=ライヘンバッハはライヘンバッハ一門の中核であり、ライヘンバッハ派長老衆の筆頭であり、軍部保守派と地上軍の重鎮だ。だが、カルウィナー=ライヘンバッハを排除した所で、別の誰かがそれに取って代わるだけでは無いのか?勿論、長い年月をかけて今の地位を固めたカルウィナー=ライヘンバッハに比べれば改革の抵抗勢力としては弱いかもしれない。だが私の意思に真正面から(ナイン)を突きつけるカルウィナー=ライヘンバッハに代わって、遠回しに(ナイン)を伝える誰かや、(ヤー)と口では言いながらも何かにつけて足を引っ張る誰かが抵抗勢力を纏めたら、改革の障害となることは疑いようもないだろう。

 

 ゾンネンフェルス中将もグリーセンベック上級大将も粛軍への賛意は変わらないが、その為に流す必要がある血量に対する考え方は正反対だと言える。ゾンネンフェルス中将は改革の抵抗勢力を根こそぎ潰そうとしている。故に同じ帯剣貴族の血を流すことに消極的なグリーセンベック上級大将の姿勢に批判的なのだ。

 

「ブルクミュラー大将閣下。シュレーゲル=ライヘンバッハ少将。粛軍後のライヘンバッハ派で地上軍将官を取りまとめるのは貴方方だ。意見をお尋ねしたいのですが」

「ゾンネンフェルス中将。貴官が徹底した改革を望む気持ちはわかる。皇帝閣下の下に軍を、御曹司の下に派閥を結集させることの重要性も分かる。だが、あまり身内を殺し過ぎると結局後で困るのは我々だぞ?」

「不必要な恨みを買うことになります。私が御当主様に従うのは勿論正義が御当主様にあるからですが、大叔父上が父ロータルの仇でなければ、きっと協力を躊躇したことでしょう」

「では殺すのはカルウィナー=ライヘンバッハ家系列だけで良い、と?」

「……シュティールもダメだな。あの男が後方で蠢動していると目障りで仕方ない。いつ足元を掬われるか……」

「同感ですね。地上軍の面汚しだ」

 

 ノルド・フォン・ブルクミュラー地上軍大将とクリスティアン・フォン・シュレーゲル=ライヘンバッハ地上軍少将はライヘンバッハ派の地上軍将官で私に協力する数少ない人物だ。そして二人とも官僚的なシュティール上級大将を嫌っており、シュレーゲル=ライヘンバッハ少将に至っては本人が口にした通りコルネリアス、カール・ベルトルト父子を恨んでいる。

 

「待て待て。シュティールの管理能力・調整能力は粛軍後の地上軍でこそ必要となる。言いたくは無いが……貴官らだけでアルトドルファーやクルムバッハ、モーデルと渡り合えるのか?」

「その物言いは無礼でしょう!」

「落ち着けクリスティアン。自分が猪なのは自分が一番よく分かってる。……アイゼナッハ大将。シュティールは味方殺しを始め多くの陰謀に関わっている大罪人だ。生かして使う?それでは粛軍の筋が通らない。それこそ地上軍の狸共に付け入る隙を与える」

「だが……」

「シュティールの免責は絶対に看過できない。これはクルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将の見解と考えて貰って差し支えない」

 

 自身も後方畑に属し、シュティール上級大将の事を必ずしも嫌っていないハイナー・フォン・アイゼナッハ宇宙軍大将が擁護に回るが、ブルクミュラー大将は譲らない。さらにシュタイエルマルク派のユリウス・フォン・ゼーネフェルター技術中将も同調する。

 

「……」

 

 ゼーネフェルター技術中将の発言を受け、アイゼナッハ大将は苦渋に満ちた表情で口を閉じた。その様子をゾンネンフェルス中将が呆れたように見ている。ゼーネフェルター技術中将はシュタイエルマルク大将から全権を委任されてこの場にいるが、殆ど時間を無為に黙り込んで過ごす。ただ、時々思い出したように口を挟み、それは全て入院中のクルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将の意思を伝える内容だった。

 

 クルトがザルツブルク公爵の陰謀(とされている事故)で重傷を負い脱落を余儀なくされてからは、シュタイエルマルク派の粛軍計画における発言力は著しく小さくなっている。無理もない。シュタイエルマルク派の高級将校で、この場に適した政治力と能力があり、クルトが全幅の信頼をおける人間と言えばスウィトナー宇宙軍中将位なものだ。そのスウィトナー中将が辺境に勤務している以上、クルトの代わりを務められる人間が帝都に居ないのだ。

 

 派閥全体の指導者代理としては人物もいるが……スナイデル上級大将はシュタイエルマルク退役元帥と同じ政治嫌い、ディッタースドルフ大将は生粋の戦闘屋、リューデリッツ大将はライヘンバッハ嫌い、ブルッフ・ビューロー両上級大将はシュタイエルマルク派にとって外様、それ故にこの場の、粛軍計画の指導者としては適さない。

 

 ゼーネフェルター技術中将はシュタイエルマルク退役元帥が艦隊司令官の頃に派閥に入った古参幹部であるが、良くも悪くも技術屋、あるいは技術官僚であり、指導者としては凡庸な人物だ。だがだからこそ、クルトは他の人物と比較して良くも悪くも無力で無害な彼を自身の代理として粛軍計画のシュタイエルマルク派最高指導者に選んだ。

 

 周囲の人物もそのような事情は知っている。ゼーネフェルター技術中将の任命は「自らが不在の間粛軍計画の遂行をライヘンバッハ大将とその側近に託し、詳細に関しても一切を委任する」というメッセージであり、逆に言えばそのゼーネフェルター技術中将が口を挟んだ(挟むように命じられている)という事は、それはこの場に居ないシュタイエルマルク大将が絶対に妥協できない部分での話ということだ。

 

「……ではカルウィナー=ライヘンバッハ家に連なる者と、シュティール、これを粛軍計画における処刑対象者とします。その他の有象無象はとりあえず殺しはしない、そういう事で宜しいですか?」

 

「異議なし」と真っ先に行ったのはシュレーゲル=ライヘンバッハ少将だ。やがて出席者たちがそれぞれ同意の意を示す。それを見てゾンネンフェルス中将は顔を顰めた。

 

「で、あるならば一応確認を。殺しはしないだけで、ファルケンホルン、ルーゲンドルフ、バッセンハイム、アルレンシュタイン、ノウゼン、バウエルバッハ、ラムスドルフといった各帯剣貴族家についても軍中枢から排斥するつもりなのですよね?」

「……排斥、というのは表現として少し過剰だな。適度に力を削ぐ形になる。例えばルーゲンドルフ老と軍務尚書にはきっぱり隠棲していただく。メクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将がルーゲンドルフ家を継承する。そして派閥と一門を再編していただく」

「ライヘンバッハも身内を切りました。当然ルーゲンドルフも身を切る事に異存はありません。ルーゲンドルフが作り出した地上軍の歪な体制を私が終わらせましょう」

「特定の分野とは言え皇帝陛下を超える権力を一介の貴族家が握るのは望ましくなかった。軍内部の権力は分立されるべきだ。それによって皇帝陛下の軍に対する統制は相対的に強力になる」

 

 ゾンネンフェルス中将の確認に対してグリーセンベック上級大将、メクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将、クナップシュタイン宇宙軍少将がそれぞれ発言する。

 

「権力の分立……それは大変結構。しかしケルトリング系、ハーゼンクレーバー系、エックハルト系、フェルゼンシュタイン系、シュリーター系、ローエングラム系といった没落した帯剣貴族家の復興によってそれを為そうという話が挙がっているようですが、まさか事実ではありませんな?」

「そういう手段も多少は取り得る。だが勿論それだけじゃない。シュタイエルマルク派を中心に、下級貴族や平民など幅広い階級から優秀な人材を登用し、帝国軍の再建を進める。没落貴族の中に優秀な人材が居れば、結果的に断絶や衰退した名門を復活させる形になるかもしれんが……それも気に入らんか、ゾンネンフェルス中将?それは流石に潔癖に過ぎやしないか?」

「……気に入らない、とは申しませんが……」

「ゾンネンフェルス、実際問題として軍を支える帯剣貴族を蔑ろにすることは出来ん。大は終戦から、小は新型巡航艦の採用まで、我々は取り組むべき多くの課題を抱えている。帯剣貴族集団全体を敵に回すことは出来ない。我々はより多くの敵を滅ぼすことではなく、より多くの味方を増やすことを考えなければならないのだ」

「……それは尋常の思考ですな。しかし我々は非常の手段に訴えようとしているのです。帯剣貴族集団全体を敵に回すことは出来ない?今更何を仰るのですか。敵に回す覚悟で決起しなければ決起する意味がありません。血を流す意味がありません。諸卿方は甘えている。『きっと分かってくれる』『寛容に接すればあちらも悪いようにはしないだろう』そんな馴れ合いの意識から貴方方はまだ完全に抜け出せていない!」

 

 ゾンネンフェルス中将は苛立ちのこもった口調で出席者たちに訴えかける。

 

「政治に妥協は必要だ。だが戦争に妥協は必要ない。少なくとも戦う前から妥協することを考えるのは愚将のすることだ。良いですか?皆さんは今安全マージンを取っているんです。志半ばで、不本意な死を、敗退を遂げたくない。だから名誉ある降伏を選べるように、今の時点から布石を打っている。今勝者たる我々が温情ある措置を取れば、今敗者たる彼等は恩を感じる。それで大人しく従ってくれれば良し、そうでなくても……例え今敗者たる彼等が後に勝者となったとしても、この恩の存在は無視できない。きっと我々が今彼等にするのと同じように、温情ある措置を取ってくれるはずだ。そう期待している。……馬鹿馬鹿しい。断言しても良いでしょう。粛軍計画自体は成功しますが、改革は失敗します。良くて、我々は軍部改革派として次の一〇〇年間軍部の有力派閥となれるかもしれません、しかしそれが上限です。それ以上は何も為せません。それで良いのですか?ライヘンバッハ伯爵閣下、お答えいただきたい!」

 

 ゾンネンフェルス中将は真摯にこちらを見つめながら尋ねた。私は答えた。「妥協はしない」と。そして続ける。「だが不必要な血を流す気も無い」と。ゾンネンフェルス中将があからさまに落胆する。失望の表情こそ浮かべていなかったが、強い諦観のようなモノがうかがい知れた。そんなゾンネンフェルス中将に私は「徹底した粛清」を約束した。公正な人事考査、軍事力の均等配置、用兵思想の転換、無駄な戦力の再編、貴族軍の解体・編入、腐敗の一掃、中央政府による戦争終結努力への協力、この場のライヘンバッハ派とシュタイエルマルク派で合意を見た七項目について障害となる人物はどのような立場の貴族であろうと容赦はしない、と明言した。粛軍後の姿勢次第では、後から処刑台に送ることすらありうる、と言及した。それはグリーセンベック上級大将やアイゼナッハ大将の立場からするとやや苛烈に過ぎる発言であっただろう。しかしゾンネンフェルス中将は……私の言葉では満足できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上車(ランドカー)の中は物々しい雰囲気に包まれている。大型人員輸送車の中に詰め込まれているのは帝国屈指の権力者たち、その中でも閣僚・官僚の地位にある者たちだ。

 

 一番奥の席では宮内尚書ルーゲ公爵が腕を組み目線を伏せる。その横で社会秩序維持庁長官ゲルラッハ子爵が不機嫌そうな表情で視線をあちらこちらに移している。現在の官界の主流派である保守派、その強硬派の代表格とされるのがこの二人だ。国防諮問会議に出席していない科学尚書キールマンゼク伯爵、無任所尚書アイゼンエルツ伯爵、内務次官ベルンカステル侯爵、帝国国営鉄道管理公社社長ハーン伯爵、宮内省皇宮警察本部長シャーヘン伯爵といった面々も保守強硬派の一員とされている。

 

 その手前の席には宮廷書記官長リヒター伯爵、財務尚書ノイエ・バイエルン伯爵、警察総局長ノルデン子爵の三人が座っている。不安を隠すためかノルデン子爵はリヒター伯爵とノイエ・バイエルン伯爵に盛んに話しかけ、二人は少し辟易した様子だ。リヒター伯爵は言わずと知れた開明派の領袖であり、ノイエ・バイエルン伯爵は経済的自由主義者としての顔からリヒター伯爵と政治的に近しい立場だ。その二人に話しかけるノルデン子爵は決して開明派でも無ければ、経済的自由主義者等を含む広義の意味での改革派でもない。しかし宿敵である社会秩序維持庁が『体制内不穏分子』として彼等を激しく敵視している為に、『敵の敵は味方』理論でノルデン子爵――というより警察官僚全体が――開明派の擁護に回っていた。故にリヒター伯爵もノイエ・バイエルン伯爵も辟易としながらも表面上は愛想よく小心者の警察総局長の不安解消に付き合っている。

 

 通路を挟んで反対側に座る内務尚書レムシャイド伯爵はそんな頼りないノルデン子爵の姿を見て呆れた様子だ。官界の主流派である保守派、その穏健派のナンバーツーとして知られるレムシャイド伯爵は、同時に内務省自治閥のトップであった。保守強硬派と保守穏健派は決して険悪な仲では無く、温度差はあるものの概ね政策的な相違はない。無論、派閥的にも対立はない。開明派におけるブラッケ侯爵率いる左派とバルトバッフェル子爵率いる右派の関係と同じだ。

 

 ただし例外が一つだけある。内務官僚だ。強硬派に秩序閥――社会秩序維持庁・習俗良化局・情報出版統制局等出身官僚――が、穏健派に警察閥――保安警察庁・警察総局出身官僚――が属している関係上、内務省内ではこの二大治安維持組織を中心に強硬派と穏健派の激しい派閥争いが存在している。

 

 その中でレムシャイド伯爵率いる自治閥――自治統制庁出身内務官僚――は必然的に同じ穏健派のハルテンベルク伯爵率いる警察閥と連携しており、また保守穏健派と開明右派の良好な関係を背景に新機軸政策研究会(通称新政会)――開拓局・民政局の開明派官僚を中心に教育局・労働局・商工総局等の平民官僚で構成される、いくつかの他省にも似たような組織が存在し協力関係にある――を庇護下に置くことで最大派閥となっている。対して秩序閥は統制閥――教育局や労働局出身の貴族官僚――を抱き込み、省内第三派閥である商工閥――商工総局出身官僚――と時に連携しながら自治・警察・開明閥連合と激しく対立しているのだ。

 

 レムシャイド伯爵ら自治閥は秩序・統制閥連合を押さえ込むために、次期内務尚書のポストを同盟者のハルテンベルク伯爵に与え、その後短期間開明派の大物(バルトバッフェル子爵など内務省からは外様の人物)を中継ぎに据え、警察総局長から内務次官に進む予定のノルデン子爵に繋ぎ、そして現在自治統制庁長官を務める自治閥若手リーダーでリヒテンラーデ派のホープであるラートブルフ子爵に繋ぐという予定を立てていた。故にノルデン子爵が失脚するとラートブルフ子爵までポストが繋げなくなる。レムシャイド伯爵としてはこの警察総局長にもっとしっかりしてもらわないと困るのだ。

 

 レムシャイド伯爵の隣には司法尚書リヒテンラーデ侯爵が座る。国防諮問会議の場で帯剣貴族達が提出した資料を未だ手放さず、真剣な表情で読み込んでいる。彼を官界一の切れ者と称える者も居れば、官界一の風見鶏とも揶揄する者も居るが、彼が開明派のリヒター伯爵と並び、官界の秩序の維持に大きな役割を果たしていることに疑義を挟む者は居ないだろう。保守派、開明派だけではなく、宮内省書陵局長ボーデン侯爵令息や国営通運社社長ウィルヘルミ子爵といったリッテンハイム派、無任所尚書リューネブルク伯爵や財務省尚書官房高等参事官フロンベルク子爵、国務省資源政策局長カルナップ男爵といったクロプシュトック派、司法省領邦間移動管理庁長官ヘルダー子爵、典礼省尚書官房会計課長フォートレル帝国騎士といったグレーテル派、さらにアンドレアス=リンダーホーフ派やノイエ・バイエルン派等、多くの派閥が入り乱れる今の官界が機能不全に陥っていないのはリヒテンラーデ侯爵による調整の賜物であった。

 

 宮廷書記官長補アイゼンフート伯爵は呑気なもので、地上車に詰め込まれて数分もしない内に再び夢の世界へと旅立った。一応、派閥的には保守穏健派に属することになるのであろうか?それともノイエ・バイエルン派……あるいはもっと広く親フェザーン派と捉えた方が適切なのだろうか?現在、内務省商工総局出身者の中では最も栄達している人物であることを考えると、保守強硬派に近い人物と見做すことも出来なくもない。出自的には列記とした官僚貴族家であるが……。何にせよ、官界で近い将来の閣僚就任が確実視される宮廷書記官長補の要職に在りながら、誰からも無害かつ凡庸な人物と思われているのがこの御仁だ。これでも若き頃は国営通運社社長を務め、『ラインラントの鷹の目』と異名を取った程の人物なのだが……。周囲は専ら「入閣で満足して鷹の目も曇った」と噂している。

 

 アイゼンフート伯爵の隣に運悪く座ることとなった司法次官ブルックドルフ男爵は迷惑そうな様子だ。老伯爵に寄りかかられ、そのいびきを間近で聞くことなったとしたら誰でも不快だろう。困り切った様子のブルックドルフ男爵であるが、近くに座る司法副尚書オーケルマン子爵や大審院長ルンプ伯爵は見て見ぬふりだ。

 

 宰相府宰相官房国家安全保障局長グローテヴォール宇宙軍中将と宰相府宰相官房危機管理監オールコック男爵は若干肩身が狭そうだ。宰相府勤務の官僚たちが皇太子の強い要請で結局は『保護』対象から外された中で、例外的に連行されているのがこの二人だ。皇太子殿下の安全保障政策の懐刀である故に、皇太子殿下の傍に置いておくべきではないという判断だ。

 

 そしてその二人の前に座るシュタイエルマルク退役元帥は窓の外をじっと眺めている。盟友ゾンネンフェルス退役元帥が即座に私、ライヘンバッハの支持を表明したのに対し、シュタイエルマルク退役元帥はあくまで「帝国軍人としてクーデターに与することは出来ない」と協力を拒否した。シュタイエルマルク退役元帥のこれまでの政治的姿勢を考えると当然の話だ。シュタイエルマルク退役元帥は常に正当な権威に服してきた。自身の利害や感情は全て度外視して、である。今回もそれは変わらないようだ。……裏の顔を考えると即座に支持してくれるかとも思ったが、リスクを考えると確かにまずは私に与しない選択肢を選ぶ方が正しいかもしれない。

 

「カールスバート大佐。本当にこの道で良いのかい?」

 

 不意に座席の中から手が挙がる。ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン宇宙軍大将は車内の緊張など全く気にしていないような呑気な声で問いかけた。

 

「は?」

「我々が護送されるのは郊外のホテル・エクセルシオールだったはずだ」

「大将閣下……何故貴方がそれを知っているのですかねー」

 

 カールスバート大佐が眉間に皺を寄せながらラルフに尋ねるが、ラルフは「そんなことは今重要じゃないさ」と取り合わない。

 

「リントシュタット宮殿からホテル・エクセルシオールに向かうんだろう?……左の窓から見えるあの屋根は、僕の記憶違いじゃ無ければ皇室宮殿(パラスト・ローヤル)じゃないかい?」

「……」

 

 その言葉を聞いたカールスバート大佐は窓の外に目線を向ける。

 

「……西に向かっているな。どこへ向かっているモノかと考えていたのだが」

 

 淡々と呟いたのはシュタイエルマルク元帥だ。それを聞いてカールスバート大佐も僅かに顔色を変える。リントシュタット宮殿は帝都中心部、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)から南西側に程近い場所に立地している。ホテル・エクセルシオールは後に特別遡及裁判所が置かれ「正義と人道の道」あるいは「地獄への(善意が舗装した)道」と呼ばれる通りにある。つまり、帝都の東側に立地している。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)はリントシュタット宮殿よりさらに西側に立地しているので、リントシュタット宮殿からホテル・エクセルシオールに向かうのであれば、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)が見えるのはおかしいのだ。

 

「……まあ予定は予定ですからねー。皆様の安全の為により良い選択があるならば、そちらへ変更しますよ。どうかご安心を」

 

 何でもない様子でカールスバート大佐がそう言うとラルフも「そうか。なら良いんだ」と肩を竦めた。

 

「……どういうことかな?何故計画と違う道を進んでいるんだい?」

「私が命じました。反粛軍派が帝都の東側に潜伏していて、ホテル周辺のクリーニングが間に合っていないそうです」

「大尉。それは初耳だな。何故報告しなかった?」

「……すいません。一度安全な場所へ辿り着いてからご報告しようと考えていました。そちらには詳細な情報も伝わっている筈ですので」

 

 カールスバート大佐は運転手に話しかけたが、それに応えたのは副官の男である。カールスバート伯爵家に長年仕えている男であり、カールスバート大佐は大層この男を信頼していた。……その男の胸には白薔薇のブローチが付けられている。この男だけでは無く高官達を詰め込んだこの地上車の中には、カールスバート伯爵家に縁がある特に信頼できる者達が同乗していた。

 

「……まあいい。それで安全な場所とは?」

「到着すれば分かります」

「……大尉?君は何を言っているのかな?私は何故、この部隊の指揮官であり、護送任務の責任者であるのに、この車が何処に行くか知ることが出来ないのかな?」

「……」

「大尉?…………ああくそ。誰に口説かれた?クラーゼン大将か」

 

 カールスバート大佐は自身の脇腹に押し当てられた硬い感触に思わず顔を顰める。

 

「若様。今は我々に従ってください。これが伯爵家の為でもあるのです」

「伯爵家?では父の命か?そんな訳はあるまい。馬鹿な真似は止めろ、大尉」

「……」

 

 大尉は黙ったままカールスバート大佐に応えようとしない。カールスバート大佐は他の部下にも目を向ける、全員顔色が悪いが、カールスバート大佐を助けようとする気配はない。

 

「……貴様らも大尉に同調するのか。こんなことなら家に仕える者達では無く自分の部下を信じるべきだった」

「若様。後ろの席にお戻りください」

 

 カールスバート大佐は舌打ちして人員輸送車の後方へと戻る。ラルフが大層ニコニコしながら自分の隣に座るように手招きする。それを丁重に無視しようとしたカールスバート大佐であるが、部下の突然の離反にこの男が噛んでいるのではないかと疑ったこともあり、その招きに応じることにした。

 

「貴方の仕業ですかー……?」

 

 カールスバート大佐は表面上は常日頃の飄々とした仮面をかぶってラルフに話しかけた。ラルフはそんなカールスバート大佐を一瞥し、鼻で笑う。

 

「しないよ、そんなこと。僕がそんな誰かから恨まれるような事をすると思う?」

「しないんですか?」

「しないよ。アルベルトやクルトに聞いてみたら良い」

 

 ラルフは軽く笑いながらそう言う。しかしカールスバート大佐は信じない。

 

「でも今起きていることに貴方は驚いていない。他の官僚たちは気づいてすらいないから分かるが、貴方は気づいた上で平静のままだ」

「……いや、これでも驚いているし慌ててもいるんだ。『そういう話』があったのは知っているけど、本当に彼等がこんな強引な手段を取ってくるとは思わなかった」

「……彼等?」

 

 ラルフはそれっきり黙り込む。カールスバート大佐は暫く様子をうかがっていたが、やがて諦めて視線を前に向ける。

 

「大尉が裏切るとは……」

「大佐。大尉を恨んでやるな。禁断症状の前に信頼関係は意味をなさないんだ」

「禁断症状……そんなまさか……麻薬ですか?」

「アルベルトもクルトもリヒテンラーデ侯爵も、奴等が自分達と同等に上品だと考えていたから足元を掬われるのさ。そして現在進行形で、僕も足元を掬われそうだ」

 

 ラルフは自嘲の笑みを浮かべる。カールスバート大佐はそこに何か恐ろしいモノを見たような心持になり黙り込む。やがて車は帝都の外れに差し掛かる。元々近年の不況と治安悪化で多くなかった人通りがさらに少なくなり、寂れた街並みが視界に広がる。高官たちも流石に異変に気が付いて、不安そうな様子だ。

 

 一軒の廃工場に護送車は止まる。カールスバート大佐は窓の外から周囲を確認し、二〇名程の帝国軍人が居るのを確認した。皆白薔薇のブローチを付けている。そしてその軍人たちは護送車と共に走っていた護衛の装甲車数台に近づき……中から降りてきた兵士たちに向けて発砲した。

 

「な……」

 

 白薔薇の軍人たちは装甲車の中からさらに兵士たちを引きづり出し、容赦なくその命を奪っていく。護送車の中の高官たちがその光景を見て口々に騒ぎ出す。「動くな!」大尉が発砲し、一条の光がルーゲ公爵の頭のすぐ上を掠めた。

 

「君の部下は優秀だね。明らかにおかしな状況なのに、まだあの大尉に従っている」

 

 ラルフが皮肉気に指摘する声を無視してカールスバート大佐は立ち上がって怒鳴る。

 

「大尉!どういうつもりだ!」

「煩い!黙ってろ!」

「うぐ……」

 

 大尉がカールスバート大佐に発砲する。カールスバート大佐が左腕を抑えて倒れ込んだ。隣に座るラルフが強くカールスバート大佐を引き寄せなければ、もっと重い傷になっていたかもしれない。

 

「……」

 

 大尉の他の軍人たちは明らかに動揺して固まっている。高官たちも同様だ。ノルデン子爵などは失神している。そんな中、護送車の扉が叩かれる。

 

「扉を開けろ」

「え……」

「早くしろ!」

 

 大尉の命令で運転手が扉を開いた。外の兵士たちを殺戮した白薔薇の軍人が乗り込んでくる。

 

「手筈通りだ。これで良いだろう」

「……」

「おい!」

「……ああ。ご苦労だった。全員護送車を降りてくれ。後は我々が引き継ぐ」

「頼む。……それと薬はあるか?いつもより代謝が良いのか何か知らんが、どうも頭が痛くなってきた」

「とりあえず降りろ、話はそれからだ」

 

 白薔薇の軍人に促され、大尉を含む兵士たちが護送車を降りる。そして軍人は護送車の扉を閉め、カールスバート大佐の方に近づき、冷たい目で見降ろした。暫くそうしていたが、やがて護送車の外から再び発砲音が聞こえ、それと同時にその軍人は踵を返す。カールスバート大佐もラルフも角度的に見えなかったが、その瞬間をリヒテンラーデ侯爵やシュタイエルマルク退役元帥は見た。先ほどまで護送車を制圧していた兵士たちが白薔薇を付けた軍人たちに射殺されていたのだった。

 

「突然の御無礼、伏して謝罪させていただきます。我々は宇宙軍特別警察隊の……」

「亡霊同士の潰し合いか。いやはや、珍しいモノを見せて貰った」

 

 白薔薇の軍人が何事か口にしようとしたが、それをリヒテンラーデ侯爵が不愉快そうな口調で遮った。

 

「礼を言えば良いのかな?クラーゼン子爵」

「……さて、何のことでしょう。小官は何もしておりません」

「亡霊共め。本当に形振り構わぬのだな……私なりに奴等への備えはしていたつもりだが、まさかこんな所でひっそりと殺されそうになるとは思わなんだ。ライヘンバッハ伯爵も大変だろう」

「……」

 

 リヒテンラーデ侯爵は返事を求めていない口調でそう言う。周囲の高官たちは置いてけぼりだ。

 

「GI6に連絡しました。後一〇分もしない内に皆様の保護に現れるでしょう。それまで暫くお待ちください」

「ふむ。貴様等はどうする?また歴史の闇に還るか?」

「……無論。そこが情報閥(われわれ)の居場所ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皇室宮殿《パラスト・ローヤル》には皇位継承権の高位請求者が居住する。皇帝位を巡る争いを避けるために皇位継承権第一位――つまり皇太子――と第二位を引き離しておく目的でエーリッヒ一世帝が第二皇子リヒャルトの為に造らせたこの宮殿はそれ以降も同様の目的――に加え、皇位継承権第二位保持者の保護という目的――から長らく利用されてきた。

 

 しかし、現在の皇太子ルートヴィヒと第二皇子カスパーは極めて良好な関係であり、ルートヴィヒとフリードリヒ四世からするとカスパーを新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)から追い出す理由はなく、むしろ警備体制の緩い皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に住ませるのは心配だ、と新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)にカスパーを留まらせた。

 

 また両名に比べて遥かに年若い第四皇子アウグスト(四歳)、第五皇子クリストフ(三歳)、第六皇子ジギスムント(二歳)、第七皇子クレメンツ(〇歳)はそれぞれを支持するルーゲ公爵家、ノルトライン公爵家、シュトレーリッツ公爵家、エーレンベルク公爵家が皇室宮殿(パラスト・ローヤル)への移住を拒絶している。

 

 七七七年の政争直後に不審な病死を遂げた第三皇子リヒャルト(エーレンベルク公爵令嬢シャーロットの子)の例を見て分かるように、後宮においても油断は出来ないというのに、好き好んで警戒の薄い皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に移り住みたくはないだろう。皇太子ルートヴィヒと第二皇子カスパーの健在、皇帝側近にして侍従武官長たるラムスドルフ大将の辣腕、複数勢力による均衡、この三つの要素が後宮での争いを鈍化させているが、逆に言えばどれか一つでも崩れれば後宮は地獄と化す。

 

 開明派の積極的支持と官界の消極的承認があるとはいえ、門閥の支持が薄いルートヴィヒは僅かな失点も命取りであり、表舞台に立っていないカスパーはさらに立場が弱い。ラムスドルフが辣腕を発揮できるのはフリードリヒ四世の信頼があっての話で、それが無くなれば後宮の秩序維持は不可能になる。複数勢力の均衡は七七七年の政争でエーレンベルク公爵家が混乱した途端第三皇子リヒャルトがヴァルハラへと旅立ったように、容易に崩れうる。

 

 フリードリヒ四世が有力門閥の側室そっちのけでアルトナー子爵令嬢シュザンナに溺れるのも無理からぬ話だ……と大分話が脱線した。

 

 つまるところ、私が説明したいのは何故皇室宮殿(パラスト・ローヤル)を粛軍派の拠点にできたのか、という話だ。バックハウス――編注、エーベルト・バックハウス、統合戦争期のジャーナリスト・作家――の小僧が皇室宮殿(パラスト・ローヤル)を制圧して戒厳司令部と宇宙軍特別警察隊司令部を設置した事についてとやかく言っているが、当時は誰もそこに住んでいなかった。カスパー皇子を追い出してなどいないし、確かにカスパー皇子と私の仲は上手くいっていなかったが、別にこの件は関係ない。私が嫌いならそれでも良いが誤った歴史を喧伝するのは止めて欲しいモノだ。

 

 

 宇宙暦七八〇年一二月一〇日午後六時。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)『名文帝陛下の間』、クロプシュトック事件の起きた『文治帝陛下の間』と並ぶ皇室宮殿(パラスト・ローヤル)最大規模の大広間、そこは大量の機材が運び込まれ、多くの人員が行き交う粛軍派の拠点となっていた。

 

「つまり今、閣僚は国務省情報統括総局――通称GI6、創設時の名称皇帝官房秘密情報部第六課(Geheimen Informationen 6)が由来――の手に渡っているんだな」

「……申し訳ありません」

 

 沈痛な面持ちで頭を下げるカールスバート大佐、その後ろにはふてぶてしい表情のラルフの姿が見える。本人曰く「国務省ではなくカールスバート大佐に保護されることを選んだ」らしいが、状況を考えるととてもそうとは言えないだろう。むしろ国務省(GI6)から保護されたのはカールスバート大佐だ。この通信だってラルフ……というか情報閥の握っている回線を経由していて発信源の探知が出来ない。

 

「いや、私の責任だ。貴官の話には心当たりがある。今は詳細に説明できないが、『奴等』を甘く見ていたのは私の手落ちで君の手落ちじゃない。……だから間違っても命を賭けて償う、なんてこと馬鹿な事は止めたまえ」

「!」

「顔に書いてある。貴官の命の使いどころはそこじゃない。私の命令は聞けるな?」

「……は」

 

 地球教。十中八九カールスバート大佐の部下を凶行に走らせたのは奴等だろう。……だが方法が分からなかった。方法、というのは部下を凶行に走らせた方法の事ではない。『粛軍計画』の存在を知った方法、カールスバート大佐が参加する事を知った方法、カールスバート大佐の配置を知った方法、それが分からないのだ。分かりたくない、と言うべきかもしれない。地球教に粛軍派の情報が流れている、そう考えざるを得なくなるのだから。

 

 目的は……やはりリヒテンラーデ侯爵の暗殺だろう。だがあまりに方法が雑だ。リスクが高すぎる。リューデリッツ退役元帥の事故死を始め、奴等の関与が疑われる他の不審死に比べてあまりに『らしくない』。私の仕業に見せかけようという事だったのかもしれないが、そもそも私には閣僚を殺す動機が殆どない。仮に殺すとしても私が閣僚を殺すのなら方法が不自然――何故わざわざ暗殺のような真似をするのか、身柄を拘束しているのに政治的な正当性も無く隠れて殺すメリットがない――に過ぎる。

 

 もし奴等が首尾よくリヒテンラーデ侯爵を暗殺していたら、恐らくカールスバート大佐も死んでいただろうから私たちが詳細を知ることは無いだろう。それでも私は地球教も下手人候補の一つとして疑う(多分、優先度は低いが)だろうし、警察や公調も地球教捜査に関わる人間は当然リヒテンラーデ侯爵の主要な対立者の一つとして関与を疑うはずだ。少なくとも警察のハルテンベルク警部や公調のヴェッセル上席調査官は「私がリヒテンラーデ侯爵を暗殺する」なんて可能性が隕石が落ちる可能性より小さい事を知っている。私率いる粛軍派、派閥盟主を撃たれた復讐に燃える警察と公調の追及を地球教は躱す自信があるのだろうか。

 

 正直、粛軍派や警察が無名の組織である地球教を調査して、何か証拠をつかんでそれを公表したところで疑う人間は少なくないだろう。だが、そもそも『目立たない』のが強みであり、それを自覚している地球教は『目立つ』という致命傷になり得るリスクを背負おうとするだろうか。あの亡霊組織がそんなリスクを負うだろうか。

 

 一つだけ可能性があるとすれば、この粛軍に便乗してペイン准将率いる捜査チームを地球教オーディン支部に踏み込ませたことによって、地球教が自暴自棄になっている場合だが……。ペイン准将たちの動きと地球教による閣僚襲撃が関連しているなら、つまりこういうことになる。「地球教はペイン達の動きと粛軍計画を予め知っていた、そして慌てて閣僚襲撃を画策した。ペイン達の動きを一切封じようともせずに」……正直これは論理として不自然だ。ペイン達の動きを妨害する方法はいくらでもあるし、それらは閣僚襲撃なんかより遥かに目立たない。そもそも地球教オーディン支部からサイオキシン麻薬取引の重要な書類やら要人暗殺の物証やらを無くしておけばそれで済む話だ。論理的に考えるならば、ペイン達が地球教の拠点に踏み込んだことと地球教が閣僚襲撃を企てたことに関連性は無いはずだ。

 

「ラルフ。君は自分の息のかかった人間を使って、『奴等』の暗殺部隊を排除した。そしてそれに変装させることで上手く閣僚たちの危機を救った。カールスバート大佐の話から推測するに、そういう事をしたはずだ。……何か知っていることがある、そうだね?」

「……奴等の目的、とかね。まあすぐに分かる、というかもう分かっている頃合いの筈だ」

 

 私の問いに対してラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンはどこか悲しそうな表情でそう言う。続く言葉を待ったが口を開く気配はない。私はさらに追及をしようと思ったが、ラルフは首を振ってそれを遮る。

 

「僕にそれを聞くより優先してやる事が山ほどあるんじゃないのかい?」

 

 ラルフは私の後ろを見ながらそう言った。そこにはリントシュタット宮殿から共に移ってきた、あるいは中央の各部署から皇室宮殿(パラスト・ローヤル)へ移ってきた粛軍派の幹部たちが立ち並ぶ。その中の何人かは下級将校が行き来する空間と、自分達が状況を見定める空間が同じである事に戸惑っている。高級サロンで優雅にワインを嗜みながら謀略の完成を待つ……という程間抜けな人々では無いが、それにしてもさながら野戦司令部の如く変容した大広間では無く、格式高い会議室で状況を見守る物だと考えていたのだろう。

 

 突然ラルフの端末が鳴る。ラルフはそれを一瞥すると、悲し気に表情を歪めた。

 

「……僕は友人の葬式には出て悲しい思いはしたくない。その点、君はやはり友達思いだと思う」

 

 ラルフはそう言って肩を竦める。私は言葉の意味を図りかねた――後に分かった時には大したダブルミーニングだと感服した――が、そこで通信は遮断された。私は溜息をつきたくなったが必死でそれを我慢した。付き従う者達に不安を抱かせるわけにはいかないからだ。

 

 後ろの支持者と協力者に向き直ろうとしたその瞬間、右腕に誰かが縋りついた。

 

「だ……大丈夫なのか?婿殿、閣僚を逃がしてしまっては……!」

 

 国務尚書ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵はすっかり青褪めて動転した表情だ。国防諮問会議の場で即座に粛軍派への支持を表明した――表明させられた、ともいえる――クロプシュトック公爵は戒厳副司令官にして宰相代理の役職を担っており、一時的に全閣僚の各省庁に対する指揮権を代行する立場にある。一時的に現役の総軍上級大将の階級も与えられている。

 

「心配いりません。大多数の諸侯や高官は拘束できています。計画は予定通り進んでいます」

「婿殿……!こうなる前に一言相談して欲しかった!クロプシュトックは卿に全てを賭けざるを得ないのだぞ……!」

 

 単に私が決起しただけならば、クロプシュトック公爵家には私と縁を切るという選択肢が残される。「連座制」の抜け穴はいくつかあり、それを利用する事が可能だ。だがクロプシュトック公爵家が帯剣貴族家のクーデターに協力していた証拠を私は握っている。少なくとも、私が決定的な敗北を喫するその瞬間、私が一切の政治的影響力を失うその瞬間まではクロプシュトック公爵家は私を裏切れない。私を裏切れば宰相皇太子殿下かルーゲ公爵、リヒテンラーデ侯爵あたりに叛逆の証拠が示されることは容易に想像がつくだろう。

 

 だからこそ私は「こうなる前に一言相談」などはしなかった。クロプシュトック公爵家が帯剣貴族のクーデターに協力するという墓穴を掘るのを静観し、後戻りできない状況に追い込んだ。……大体、「一言相談」などしたら余計な事をしかねないのが我が養父ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵である。上の事情を抜きにしても相談なんてする訳がない。

 

「……相談されたとして、それで公爵閣下はどうなされたのですかな?」

「まさか『別の選択肢があった』訳でも無いでしょう。我々には絶対の大義がある。叛逆者を討ち果たすという大義が」

 

 グリーセンベック上級大将とゾンネンフェルス退役元帥はクロプシュトック公爵への侮蔑を隠さない。官僚貴族から諸侯へと転じたクロプシュトック公爵家は帯剣貴族家や官僚貴族家に対し仲間意識を抱いている。だが、相手もそう思っているとは限らない……というか大多数の帯剣貴族や官僚貴族にとってクロプシュトック公爵家は他より「マシ」なだけで、唾棄すべき寄生虫の一種であることには違いないのだ。

 

「もし他の選択をしていた可能性が1%でもあるのなら、むしろ御曹司に感謝すべきではないかなぁ?」

  

 苦笑交じりにそう口にしたのは『昼寝のアルトドルファー』こと地上軍総監アルトドルファー元帥だ。白髪の老元帥は帯剣貴族の協力要請をのらりくらりと躱し、一たび粛軍派が決起するとまるで最初からその一員であったかのように極自然に私の側に付いた。「丁度良かった伯爵。この頑固者を一緒に説得してくれんか?」……国防諮問会議の会場を後にした私が真っ先に見たのは、私の行為の是非について激しく討論するゾンネンフェルス退役元帥とシュタイエルマルク退役元帥、その二人の側に当然のように立つアルトドルファー地上軍元帥の姿であった。周囲を取り囲む粛軍派の兵士はどうしてよいか分からない様子だった。

 

「……養父殿。心配は要りません。宰相皇太子殿下の様子はご自分で見られたでしょう?結局の所、皇帝陛下と皇太子殿下が味方に付いている以上我々の負けは有り得ません。……違いますか?」

「それは……確かにそうではあるが……」

「帯剣貴族たちのクーデターが宰相皇太子殿下の支持を得られたと思いますか?」

「……」

「帯剣貴族はやり過ぎました。軍が残れば国が割れても良い、そんな乱暴な理論で自分たちの継戦・課税の主張を押し通そうとした。……養父殿。失礼を承知で言わせていただくと、他の腐敗貴族ならともかく皇室第一の忠臣クロプシュトック公爵が宰相の……亡国となった後の宰相の地位に惑わされるとは思いませんでした。……閣下。叛逆者に貶められながらも忠義を貫き、ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵相手に戦い抜いたあの頃の閣下はどこへ行ってしまわれたのですか?」

 

 クロプシュトック公爵は決まり悪そうに黙り込んで目を逸らす。

 

「……これが唯一の機会ですよ。養父殿。皇室第一の忠臣クロプシュトック公爵ここに在り、そう天下に知らしめるのです。リッテンハイムが何だというのですか。領地から切り離してしまえば多少高官に伝手があるだけのただの人です。国家に貢献し、官僚・軍人の支持も厚い閣下とは違います。……宰相皇太子殿下はいずれ即位なさる。その時に宰相の座に座るのは誰か?それはこの軍部による大規模な『叛乱』の鎮圧に誰が最も貢献するかで決まりるでしょう」

「……協力すれば儂を宰相にする、そういう事か?」

「養父殿と同程度には、私も杓子定規な官僚貴族に辟易していますよ」

「自分が宰相にならなくても良いのか?」

 

 クロプシュトック公爵はその言葉を探るように口にする。私は驚いて目を丸くした。

 

「その発想はありませんでしたね。私に政治の事は分かりません。養父殿にお任せしますよ」

「……吐いた言葉には責任を持つことだ、婿殿よ。……分かった。そこまで言うのならば儂は婿殿を信じる。腹を括ろうじゃないか」

 

 (元々選択の余地は無いだろう)と思いながらも私は丁重に礼を言う。そして邪魔者を追い出しにかかった。

 

「クロプシュトック公爵。派閥の高級官僚の皆様にもご協力いただくことになるでしょう。全ては軍と官界の腐敗を一掃する為、皇帝陛下の下に国家を取り戻す為、です。……フォイエルバッハ大佐。養父殿を部屋にお連れしてくれ」

「は!」

 

 クロプシュトック公爵が子飼いの軍人たちに連れ添われながら大広間を後にする。その様子を横目で見つつグリーセンベック上級大将とノームブルク大将が近づいてくる。

 

「御当主様、兵站輜重総監ブルッフ上級大将と教育副総監シュトックハウゼン中将が支持に回りました」

「小官らが説得に当たっている地上軍副総監クルムバッハ上級大将も我々への協力を口にしました」

 

 軍中枢の制圧は言うまでも無く粛軍計画成功の必須条件だ。しかしながら粛軍派の戦力も限られている。力による掌握と並行して、懐柔による制圧も進めていかなければならない。各機関を制圧すると同時に拘束した高官の内、帯剣貴族のクーデターを知らなかった(あるいは知らないことになってる)者達――つまり私たち粛軍派と決定的な対立関係ではない者達――の取り込みを始めていた。

 

「これで兵站輜重総監部と教育総監部は掌握できるか。ブルッフ上級大将には軍務省に入ってもらおう。シュトックハウゼン中将が抵抗に回らなかったのは後々の改革の事を考えるとやりやすいな。……他は?ビューロー上級大将は何と言っている?」

「まだ連絡がありません」

「元より我々総出で時間をかけて説得していく予定でした。今は拘束した高官を護送している段階でしょう。仕方がありません」

「それもそうか。粛軍計画を知らなかったブルッフ上級大将とシュトックハウゼン中将がほぼ即決で支持に回ったのは上振れと考えるべきだな。……そう考えるとクルムバッハは意外だな」

「そうですな……。説得にあたったシュトライト中将も拍子抜けしたそうです」

「クルムバッハも付き合ってみると案外大義を分かっている男ですぞ?」

 

 訝しむ我々にそう言ったのはアルトドルファー元帥だ。ニコニコと好々爺の笑みを浮かべながら平然と言い切ったが、それはクルムバッハ上級大将を知る者達からするととても信じられない話だった。アルトドルファー元帥の言葉はその内容とは裏腹に、クルムバッハ上級大将の動きがアルトドルファー元帥の関与を受けた物であることを物語っているように我々には感じられた。

 

「……元帥閣下が仰るならその通りなのでしょうね」

 

 アルトドルファー元帥は油断ならない人物だ。ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンの義父にあたるこの人物は粛軍計画を察していたように思われる。粛軍計画後の動きから推測するに、きっと粛軍派の力を利用してルーゲンドルフの力を削ぎつつ、クルムバッハ上級大将と共に新たな派閥を立ち上げようと考えていたのだろう。帯剣貴族のクーデターに協力したり、私のカウンター・クーデターを密告したりするよりも、その方が利益が大きいと判断した。……私には分からないのだが、アルトドルファー元帥はどこまで知っていてその判断を下したのだろうか。果たして『奴等』の……白薔薇党の策動を知った上でその判断を下したのだろうか。あの流血を認容して、自分の利益を最大化しようと動いたのだろうか。

 

「さて、帝都の制圧は予定通りに進んでいる。皇太子殿下を『保護』できず、閣僚連中に逃げられたのは非常に痛いが……最悪の状況ではない。近衛が側に張り付いているとはいえ、皇太子殿下はリントシュタット宮殿にいて基本的には我々を支持する立場だ。ラムスドルフの一派には出し抜かれたが近衛兵総監部自体の制圧には成功し、宮内省・皇帝官房・皇宮警察本部も抑えた。直接軍を入れられた訳では無いが、事実上新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)は掌握したといって良い。……明日一番で私は養父殿と共に参内する。その後はグリーセンベック上級大将、頼むぞ」

「は、お任せください、御当主様。ゾンネンフェルス退役元帥閣下やブルッフ上級大将閣下と共に軍に秩序を取り戻しましょう」

 

 本当なら今すぐでも参内しておきたい所だが、一度新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に入れば暫くは身動きが取れなくなる。最低限、帝都を完全に掌握するまでは戒厳司令部に身を置いておきたかった。

 

「頼む。……宰相皇太子殿下から戒厳司令官の任命を引き出せた時点で政治的にはほぼ盤石な立場だが、皇帝陛下自身のお言葉、詔勅を頂くその瞬間までは油断できない。……そう考えると皇帝陛下を押し切れるルーゲ公爵辺りは逃がしたくなかった。皇宮警察本部を制圧したシュレーゲル=ライヘンバッハ少将に再度厳命を下しておいてくれ、『誰一人新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に入れるな、出すな』とな」

 

 シュレーゲル=ライヘンバッハ地上軍少将は中央軍集団司令部において作戦部長の職にある。今回の粛軍計画に際しては中央軍集団の精鋭二個騎兵大隊を直卒し、中央軍集団の駐屯地から帝都まで一気に駆け抜け、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の正門すぐ横に立地する皇宮警察本部の制圧にあたった。他の中央軍集団部隊も動員の完了した部隊から順次帝都へと展開する予定だ。

 

 中央軍集団が属するのは地上軍総監部直轄部隊である征討総軍である。征討総軍は各辺境軍管区司令部や警備管区司令部隷下の管区総軍、行政区地方軍務本部の指揮監督下に入る地方総軍よりも一段上に見られる存在である。宇宙軍における正規艦隊と同じ扱いと見て良い。その為、管区総軍や地方総軍の軍集団が三個軍か二個軍で構成されるのに対し、征討総軍の軍集団は五個軍で構成される。属する軍集団の数も二二個軍集団とダントツで多い。質と量の双方で帝国軍の栄光を体現するのが征討総軍である。……戦力不足、定数割れ、充足切れに悩む地方部隊からは「半分潰してこっちに回せ」と言われているが。

 

 そんな征討総軍で最精鋭部隊とされるのが中央軍集団であり、その司令部作戦部長は紛れもない要職だ。その反面、征討総軍の他の軍集団が外征の度に動員されるのに対し、中央軍集団は常に帝都に駐留し続ける為、やや名誉職のような側面も持っている。この辺り、シュレーゲル=ライヘンバッハ少将とコルネリアス、カール・ベルトルト父子の微妙な関係が窺えるというモノだ。

 

「ん?……またエルンストか……」

 

 私の私的な端末には先程から絶えず連絡が入っている。当然の話ではある。ただ意外なのは私の従甥エルンスト・フォン・アイゼナッハ宇宙軍中佐からも何度も連絡が入っている事だ。私が知る限り最も寡黙なこの男は基本的に音声通話を使用しない。故に何度も通話のみでの連絡が入っている事を少し不思議に思ったが、端末を持ったビュンシェ准将が近づいてくるのを見て自分の端末を懐にしまった。

 

「……閣下。戒厳司令部作戦命令一号『戒厳司令部の指定する戒厳部隊指揮官へ指揮権を移譲せよ』に対する現時点での各部隊司令官からの返答です。第四軍集団司令官ランツィングァー大将、第一二軍集団司令官エメリッヒ=ルーゲンドルフ大将、オーディン大洋連合艦隊司令長官ゾンマーフェルト大将が(ナイン)。中央軍集団メクリンゲン=ライヘンバッハ大将、軌道軍集団司令官ブルクミュラー大将、第八軍集団司令官シュテッフェンス大将、中央大陸(ミズガルズ)防衛軍司令官ケッテラー中将、第二猟兵分艦隊司令官マイヤーホーフェン中将が(ヤー)。他、軍級以上の部隊司令官についてはこちらの資料に纏めております。……大多数の指揮官は未だ返答しておりません」

「……まああまり意外性はない顔触れだな。(ナイン)と答えた者の指揮権は停止。特に第一二軍集団司令部は叛乱部隊として全権限を剥奪、第一二軍集団を戒厳司令部の直接指揮下に置く。……出頭命令を出してみようか?」

 

 『出頭してくれれば多少は穏便に済ませられる』そんな私の甘い言葉をゾンネンフェルス退役元帥やグリーセンベック大将を初めとする周囲の人々は即座に否定できない。エメリッヒ=ルーゲンドルフ大将は地上軍の宿将だ。ルーゲンドルフ老と同い年であるが、『戦場で死ぬ』と言って一線を引こうとしない。その闘志は今なお一目置かれるものの、大規模な戦争のたびに戦場に行かせろと駄々をこね、前線に立ったら立ったで上司の『若造』や宇宙軍の『軽輩』を舐めてかかって一切言う事を聞かない。ただ、老練な用兵手腕は流石のモノで、帝国の劣勢期を支え続けている名将であることも否定は出来ない。

 

 ……出来ないのだが自分の部隊や友軍部隊の損耗を一切顧みないその姿勢は戦果を考慮しても無視しえない欠点であり、上記の扱いにくさと併せて多くの『若造』や『軽輩』を悩ませてきた。もっとも、その欠点も帝国が優勢だった頃、あるいは拮抗していた頃ならば大きな問題では無かった。あの御老人の問題点はその頃の大量突撃ドクトリンから転換出来ていなかったことにしかない。人柄も傲慢と言えば傲慢だがその実績を考えると一概に老害とも言い切れない。情けをかけたくなる程度には高潔な部分も持ち合わせているのだ。『若造』であっても指図する人間でなければ寛大であり、他の重鎮と違って裏も無くオフレッサーを可愛がっていた。

 

「要らないでしょうなぁ。……あの御老人に改心の機会を与えた所で、我々への反抗に役立てられるだけです。除きましょう」

 

 甘い方向に流れかけた空気を止めたのはアルトドルファー元帥だ。のんびりとした口調だがそこから冷徹な意志と……若干の苛立ちを感じた。エメリッヒ=ルーゲンドルフ大将の上司として頭を悩ませていた『若造』の一人としては、情けをかけようとしている我々の事を二重に理解できなかったのだろう。一つは個人的確執から、もう一つは戦略的な意義から。 

 

「……そうだな。出頭を待つ時間は彼等の得にしかならない。当初の計画通り、第一二軍集団司令部を急襲、司令官以下幕僚を全員拘束しろ。……ああ(ヤー)と答えた者には『戒厳部隊指揮官の到着まで部隊を掌握し、戒厳司令部の統制に従うように』と……」

「既に伝えております」

「第四と大洋艦隊はどうしますかなぁ?」

「即決で反抗に回るのは第一のヴァルトハイム、第五のベネジュ、第一二のエメリッヒ=ルーゲンドルフ、東方艦隊のヴァルテンベルク、航空のヴェネト、帝都防衛軍宇宙部隊のカルナップ、第一猟兵のゲッフェルと予測していた。所詮、ゾンマーフェルト程度は軌道軍集団と赤色の即応部隊で何とかなるがランツィングァーは頭を刈れる体制では無いな。今挙げた連中の抑えに回している部隊を動かせばランツィングァーも刈れるかもしれん」

「いや、ベネジュあたりはどの道動くだろう。他も今動いていないだけでは警戒は解けない。第八軍集団を第四軍集団に当てる」

「……それは大丈夫かね?」

「シュテッフェンスは征討総軍軍集団司令官唯一の平民でシュタイエルマルク派、第八軍集団は信用して良いはずです」

「ふむ、アレも中々御し難い曲者だぞ。だからこそクルト君はシュテッフェンスではなくゼーネフェルダーを代理に選んだのではないかな?」

 

(御し難い曲者なのは貴方もですけどね)

 

 私は内心でそう呟く。ゾンネンフェルス退役元帥の言葉は多少の地位の違いはあれど、「シュテッフェンス」の部分をゾンネンフェルスに入れ替えても成立するのだ。

 

 独特の魅力を感じる渋い声はゾンネンフェルス退役元帥の武器だ。ゾンネンフェルス退役元帥が口にする言葉は聞く者にまず反発では無く共感を感じさせる。この御仁に恥をかかせること、心労をかけることを無意識に躊躇する。ゾンネンフェルス退役元帥がかつてシュテッフェンス大将に罵倒され、以来シュテッフェンス大将を嫌っているのは有名な話だが、聞く者達はそれを知っていてなお、ゾンネンフェルス退役元帥の意見に傾きそうになる。

 

「ラスター君とグロッケン君の機甲軍を動かそう。第四軍集団なら師団長のルカーシェク君やシュトルツ君も旧知の仲だ。私が説得する。これで第四軍集団は動けないはずだ。……シュテッフェンス君は適当な役目を与えて軍団から切り離そう。副司令官のマイズナー君は門閥派だから一緒にね。第八軍集団なら軍司令官にハーゼンバイン君が居る。彼なら大過なく代理を務められるはずだ」

 

 ゾンネンフェルス退役元帥はかつて自身が子飼いとしていた軍人たちや縁戚関係にある軍人の名前を次々と挙げる。清々しいまでに自己の利益を押し出した提案だ。そうであってもゾンネンフェルス退役元帥の言葉と姿から受ける印象は『滅私奉公』だ。いかにも粛軍派の為に、大義の為に自分の持てる力を全て発揮しようといった風情を感じた。何故だろうか……こうして文字に起こせばそんな印象は全く感じないのだが……。思い返せばゾンネンフェルス退役元帥は自他共に認める軍部改革派の重鎮で、文句なしの名将だったのだが……実際に挙げた功績を一つ一つ挙げていくとどうにもパッとしない。

 

「……第四軍集団はそれで良いでしょうが、第八軍集団はシュテッフェンス大将に任せましょう。真っ先に(ヤー)と返してきた忠臣は厚遇しないといけません」

「うむ、それはその通りだ。だから厚遇するのは良い、ただ権限を与えたままだと万が一という事もあるだろう。……それにね、ライヘンバッハ伯爵、ルカーシェク君やシュトルツ君の立場で考えて欲しい。士官学校の恩師であるラスター君や肩を並べた戦友のグロッケン君が居るとなると、私もルカーシェク君たちを説得しやすいが、彼等から恨み妬みも買っているシュテッフェンス君だと、ね」

「……」

 

 クルトの忠告通り、厄介な御仁だ。要はシュテッフェンス大将を外せば自分の力で第四軍集団の動きを封じる、そうしないのなら第四軍集団の問題に関与はしない、そういう事だろう。とはいえ、シュテッフェンス大将に敵が多いのも事実、周囲からの評価が極端に割れているのも事実、だ。だからこそルーゲンドルフ老はシュテッフェンスが征討総軍で軍集団司令官に就任することを認めたのだ。……このような事態に、シュテッフェンス憎しでルーゲンドルフ老の味方に付く者が出ることを期待して。ゾンネンフェルス退役元帥のいう事にも一理はあった。

 

(さて、どうしたものか……)

 

「ならシュテッフェンスは儂が貰おうかなぁ」

 

 言葉に詰まった私に代わってのんびりと口を挟んだのはアルトドルファー元帥だった。私に微笑みかけていたゾンネンフェルス退役元帥が一瞬言葉に詰まり、そしてアルトドルファー元帥に向き直る。

 

「……ほう。アルトドルファー元帥。それは……お勧めしませんな。シュテッフェンス大将は曲者ですよ?」

「構わん構わん。あれ位骨のある若者で無いと、老人が消えた地上軍は背負えんだろう。老人たちは腐っても屋台骨には違わんでのぉ。ま、シュテッフェンスがどれだけ厄介でもエメリッヒ=ルーゲンドルフやガイゼルバッハは超えんだろうて」

「しかし……」

「ゾンネンフェルス退役元帥。地上軍総監部は人手不足なのだ……。ルーゲンドルフが叛逆した今、ルーゲンドルフを気にせず使える大将は喉から手が出るほど欲しい。分かるであろう?なーに、ちょっと儂を手伝ってもらうだけの話よ。そう重要な事は任せんさ」

「……」

「……」

 

 ゾンネンフェルス退役元帥が困ったような笑みを浮かべてアルトドルファー元帥を見る。アルトドルファー元帥はのほほんとした表情のまま平然と見つめ返す。両名の気性か、外見か、態度か、声色か、何が為せる業かは分からないが、全く以って何の敵意を感じさせない二人のやり取りは、しかし粛軍後を見据えた巨頭同士の激しい鍔迫り合いであった。いくらゾンネンフェルス退役元帥がシュテッフェンス大将を嫌っていても、一応は同じ軍部改革派の人間だ。アルトドルファー元帥に取り込まれるのは避けたい。

 

「アルトドルファー元帥閣下、……粛軍後の人事についてですが第八は変わらず改革派、第四はある程度ゾンネンフェルス退役元帥閣下の顔を立ててください」

「……まぁ、当然だろうなぁ。第八はわざわざ弄る理由も無し、第四から功労者の意見を排する理由も無し」

「……ここが落としどころでしょう。ゾンネンフェルス退役元帥閣下」

「何でも構わんよ。……私はただアルトドルファー元帥が心配だっただけだ」

 

 二人の間に割って入ったのは私……ではない。そこまでの役者ではない。グリーセンベック上級大将だ。ゾンネンフェルス退役元帥とアルトドルファー元帥の政治家染みた小競り合いに対しいかにも「辟易だ」といった表情で割り込んで無理矢理押さえつける。そういう事が出来る胆力と能力と実績の持ち主が彼だ。家柄の無さはこの局面ではむしろプラスに働く。『茶番を茶番と言える人間は貴重だ』とラルフが言ったが、確かにそういう面で言えばグリーセンベック上級大将は軍部にとって貴重な人間だった。

 

「結構。……御二人共、あまりシュタイエルマルク大将を蔑ろにするようであれば、それも(・・・)小官が伝えます。良いですね」

「蔑ろになんてとんでもない話だ」

「あの狂犬の怒りは買いたくないのぉ……ああ勿論良い意味じゃよ?」

 

 グリーセンベック上級大将の言葉は双方に釘を刺した言葉だ。シュタイエルマルク大将が不在の内にその派閥のシュテッフェンスを追い落とそうとしたり、逆に取り込もうとしたり……多少の事はクルトも『不在の迷惑料』として譲るだろうが、やり過ぎればそれは後への禍根となる。『それも』というのは、「ここまではクルトも許容する」「ライヘンバッハ派も許容する」という意味を込めた上で、「これ以上は許さない」という意思を示している。ゾンネンフェルス退役元帥もアルトドルファー元帥も私と違ってクルトの事は侮っていない。真剣な表情でグリーセンベック上級大将の言葉に頷いた。

 

(……やりにくいな)

 

 ゾンネンフェルス退役元帥とアルトドルファー元帥は私より明確に格上の存在だ。敵対されるよりは遥かにマシとはいえ、近くに居られると動きにくくて適わない。ビュンシェ准将も気まずそうだ。だがこの二人は常に私とグリーセンベック上級大将の目が届く場所に置いておきたい。

 

「……グリーセンベック上級大将。少し外す」

「どちらへ?」

「長い戦いだ。休めるうちに休んでおきたい」

「承知しました」

 

 私は一度『名文帝の間』を離れることにした。と同時に、私は会議室の一つにバッハマン宇宙軍少将、オークレール地上軍准将、ビュンシェ宇宙軍准将、ブレンターノ宇宙軍准将、ハーゲン宇宙軍中佐、ブラームス近衛軍中佐、ハルトマン宇宙軍少佐ら戒厳司令部に居る腹心達を招集する。私が席を立った直後に、私に近い部下達が一斉に戒厳司令部を立ち去るのはあからさまではあるが、それでも両元帥の牽制にグリーセンベック上級大将を残した上で、腹心たちと話をしたかった。

 

 グリーセンベック上級大将はグリーセンベック上級大将で男爵家に仕える子飼いの部下や我が父から受け継いだ部下を大勢手元に置いている。短い時間ならグリーセンベック上級大将に戒厳司令部を任せても問題はないだろう。

 

「……始まったな」

「そうですな」

 

 私は会議室で他の腹心たちを待つ間、ヘンリクに話しかけた。

 

「……ヘンリク。どうだ?案ずるより産むがやすし、という奴だ。存外上手く行っただろう」

「閣僚の多数に逃れられていますが……」

「それでも想定した最悪の中じゃ、最高にマシな状況さ」

「御曹司、失礼を承知で確認させていただきます。それは逃避ではありますまいな?」

「……」

 

 ヘンリクが念を押すように問い掛ける。私は溜息を一つついて目線を逸らした。ヘンリクを含む父の代からの古参の部下達は『予備計画』に反対していた。……元々、先にあったのは帯剣貴族のクーデター計画だ。私はそれを阻止すべく、秘密裏にクルトに相談した。クーデター計画を『阻止』するのではなく粛軍に『活用』するべきだと提案してきたのはクルトだった。

 

 大胆な発想の転換だった。それだけで、無謀ともいえる計画だった。だがクーデター計画の詳細情報をクルトに流せば流す程、その無謀な計画は現実味を帯びていった。クルトが抜擢したカールスバート大佐は『大胆不敵』という言葉が似合う男でリーダーシップに溢れていた。その部下達は柔軟で熱意があり果断だった。足りないのは精度と人員だった。カールスバート大佐のチームは人間の判断力と対応能力を信じすぎている。放っておけば戦場の霧が彼等を破滅させるだろう。私はヘンリクとシュトローゼマンを呼び出し、カールスバート大佐のチームに合流するよう命じた。

 

 驚愕したのはヘンリクだ。私とクルトがクーデター計画阻止に動いているモノだと思っていたら、それを利用して軍部高官を根こそぎ粛清しようとしているのだ。驚かないはずがない。

 

「そう見えるかい?……そうかもね。私……粛軍派の中の相対的な基準では『悪くない』状況だ。もっと悪い状況をいくつも想定していたからね。だが……客観的に見ると、少々不味いかもしれない」

「……」

「だがルビコンは渡ってしまった。引き返すのも立ち止まるのも今は無しだ」

「……」

「ヘンリク、予備計画に反対していた君には悪い事をしていると思っている。付き合わせてすまない」

 

 私はヘンリクに目線を合わせて、それから深く頭を下げる。するとヘンリクは苦笑して答えた。

 

「微塵も悪いと思っていないのに謝らないで頂きたいですな」

「……いや君にとって本意ではないことに付き合わせて申し訳ないと思っているよ」

「御曹司は昔からそうです。ロンペルは貴方の贖罪を最期まで贖罪とは思わなかったでしょうし、ヴィーゼは別に貴方の謝罪を欲しがっては居なかった。ただ一方的に押し付けただけです。貴方の謝罪はいつだって貴方自身が筋を通す為の謝罪だ。相手を見ていない。……度し難いのはそうと分かっていて開き直っていることですな」

 

 ヘンリクはどこかぶっきらぼうに、呆れるように、私をそう評した。……私も当時は若かった。今の私ならば彼の指摘に思う所も、正直、ある。だが当時の私は反射的に否定しようとした。

 

「それは違う……!」

「違いませんよ。今だって謝る必要のない相手に謝っているんですから。結局の所、これは俺が選んだ道でもあるんです。謝罪は要りません」

 

 私の否定をヘンリクは受け流し、そう言って笑った。

 

「長い付き合いになりましたな、御曹司。……貴方が我儘なのは当に分かっていることです。貴方はこの国が割れようが、焼けようが、崩れ去ろうが、一切気にはしない。それはシュタイエルマルク大将も同じで、それ故に貴方方は本質的に機関の中ですら異端だ。しかし……シュタイエルマルク大将と貴方は似ているようで一点だけ違う。……貴方は今を生きているが、今を見ていない。歴史を見ている」

「……」

 

 その言葉はあまりに抽象的で私は返す言葉に困った。「歴史を見ている」とはどういう意味か、私は今でもよく分かっていない。

 

「俺は最初、『予備計画』が正気の沙汰とは思えなかった。あまりにリスクが大きいと。成功しても軍の権威秩序が崩壊すると。軍の権威秩序が崩壊すれば他の利権集団、特に諸侯を抑えられなくなると。下手をするとクーデター計画が引き起こす以上の混乱を政府に齎し、国を割ることになるかもしれないと。多くの民が焼かれることになるかもしれないと」

「……」

「その俺の主張に対する御曹司の反論に、俺の懸念を否定する要素は一切入っていなかった。貴方はこう言った『腐りきった帝国を立て直すためには大胆な外科治療が必要だ。腐った部分を切り捨てる位の大胆な治療が』……御曹司、気づいていない訳じゃ無いでしょう。それは御曹司が今切り捨てようとしている帯剣貴族達が奉じる大義と同じです」

「……確かにね。だが私は彼等とは違う。私は戦場以外の現実を知っている。少なくとも彼等よりは。そして私よりもっとそれに詳しい者達の言葉に耳を傾けられる。活用できる。上手くやれる」

「……」

 

 私の言葉を聞いたヘンリクはやや躊躇した後、意を決した様子で口を開いた。

 

「言わせてもらえるなら、御曹司。貴方は確かに彼等と違う。貴方は上手くやろうとしているが、上手くできなくても良いと割り切ってる」

「どういう意味だい?」

「計画の成否に拘っていない。貴方は『腐った部分を切り捨てる』のが自分の役目だと認識している。そこに対する責任には真摯に向き合っている。でもそこから先の『治療』は違う。自分の手で成し遂げたいという希望はあるが、それが失敗しても仕方ないと思っている。……今に真摯に責任を負っていない」

「……随分手厳しい評価だね。流石にそこまで言われるのは不本意だよ」

「申し訳ありません。……ただ、御曹司が歴史を見ているといったのはそういう意味です。……端的に言いましょう。シュタイエルマルク大将は今の人々へ責任を果たした結果、国が無くなっても仕方ないと考えている。貴方は今の人々より後世の人々への責任を果たすために国を無くそうとしている(・・・・・・・・・・)

 

 私はヘンリクの言葉に対し反論しようとするが、ヘンリクが手を振ってそれを遮った。

 

「ああ、分かっています。別に『銀河帝国』という名前と枠組みが残る事は許容されているんでしょう?でも貴方が許容できる『銀河帝国』。それはもう今の『銀河帝国』と別物だ。そこまでは分かる。俺にも、恐らくシュタイエルマルク大将にも。……御曹司そこから先を俺に教えてくれませんか?貴方に付き従うと決めた男に少しでも誠実でありたいと思っているなら、是非に」

「……『人類は一つで無ければならない』それは私の揺るぎない確信だ。だが、『人類は一つの国家で無ければならない』と、私はそうは思えない。どうしてもね。……私はどうしても国家を妥協の産物と捉えてしまう。『仕方なく』権力を与えないといけないのであれば、それは小さい方が良く、そして分立されるのが望ましい」

「……つまり三権分立の……貴族制度にしたいって事ですかい?」

 

 私は難しい顔をしながら吐き出されたヘンリクの言葉に思わず吹き出す。

 

「何でそんな話になるんだい!ようは統治組織を複数作ろう、そう言っているんだ」

「諸侯制度…じゃあありませんよね?連邦や同盟みたいな形にしたいって事ですかい?」

「ん~まあそんな感じだよ。……私自身も考えが纏まっている訳じゃないんだ。自由な世界を作りたいだけで、無法地帯を作りたい訳じゃないから、ね」

 

 私はヘンリクに対してそう語った。この当時、既に私の(というのも少々恥ずかしいが)「集団安全保障論」はその着想を得ていた。しかし、この時点ではただの妄想に過ぎず、この時代に適応させる方法論も全く思いついていなかった。

 

「分かりませんなぁ……。つまるところ、御曹司の目指す世界では『二足す二は四である』と言えるんですかい?」

「勿論」

「……うーん。まあそれだけ分かれば良いでしょう。今は納得しておきます」

 

 ヘンリクは首を傾げながらそう言う。ヘンリク・フォン・オークレール。ラテン系ゲルマン人――というか大体ラテン人――の帝国騎士である私の第一の忠臣は、こうして私の共犯者となった。私がこの日から背負う重い、重い十字架を、彼もまたその主観に置いては背負うこととなった。『私を止めなかった』という理由で。だが……その点についてのみ、私は謝らない、謝りたくない。それは彼を侮辱することになるだろうから。

 

(いずれ、どこかの『誰か』が今よりマシな世界を作ると分かっていても、それよりもさらに素晴らしい世界をこの手で作れる可能性が僅かでもあるとすれば、私はそれに挑戦したい。批判する者は居るだろう。『それがどうした』。私は人間で、これは私の人生で、そして世界は自由だ。物語に生き方を強制されるのは御免だ。『誰か』による救済を願って、惨めに苦しい人生を送るのは御免なんだ。……我儘で悪いね)

 

「柄にもなく喋り過ぎました。……それもこれも他の連中が遅いのが悪い。全く、何をやっているのやら……」

 

 ヘンリクがそう言った直後である。扉が激しくノックされた。「入れ」という私の言葉を聞かない内に扉が開け放たれる。そこに立つのはハルトマン少佐だった。

 

「アルベルト!端末で国営放送をつけろ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マルセル・フォン・シュトローゼマンはその光景を軍務省で見た。軍務省国防政策局訓練課員エルンスト・フォン・アイゼナッハ宇宙軍少佐の端末を借りて何度もアルベルト・フォン・ライヘンバッハへと連絡を試みながらである。自身の端末を含むアルベルトへの連絡経路を封じられていた彼に、残された唯一の希望は、今、潰えた。

 

「間に合わなかった、か」

「……」

 

 

 

 

 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツはその光景を旗艦の作戦会議室で見た。『逆刃刀』シュミードリンは間抜け面を晒し、『不撓不屈』ホフマイスターは天を仰ぎ、『デットラインの傀儡師』グラッベ=フィラッハは笑みを凍り付かせ、『警備艦隊司令長官』カルナップは絶句し、『砲戦芸術家』ヒューベンタールは盛んに目をこする。……メルカッツの下に集う難物たちが一様に動揺を露わにした理由は彼等が眺める会議室のメインスクリーンにあった。

 

「こんな……こんな手段で君は約束を果たすのか?アルベルト……」

 

 

 

 ドミトリー・ワレンコフはその光景を自治領主公邸執務室で見た。そして動揺する補佐官には一瞥もくれず立ち上がりコートを羽織る。

 

「閣僚を招集しろ。帝国はたった今……崩壊した」

 

 

 

 

 アルベール・ミシャロンはその光景をリューベック第二宇宙港の自己所有の宇宙船で見た。一瞬黙祷を捧げるように目を閉じてうつむく。

 

「……アルベルトは失敗した。ラングストン、出してくれ」

「閣下……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白けた歓声が辺りを包む。群衆は暗黙の了解に従い『舞台』の上の人々に喝采を送っていたが、その表情には明らかに困惑と不安があった。ヨハン・ライヒハート一六世を名乗らされた青年はその『舞台』の上で呆けたように立っていた。正確に言えば、むせ返るような血の臭いに吐き気をこらえるのに必死ではある。ただそれ以外のどんな動作も億劫で出来なかった。

 

 大柄で、そして冷酷な男が近づき、彼に語り掛けた。その後ろには頭に包帯を巻いた線の細い男が立つ。

 

「ご苦労。次は三時間後だ」

「……」

 

 目の前の光景が信じられない。出来る事なら今すぐこの場から逃げ出したい、あるいは意識を手放してしまいたい。だが自分の肩には施設の職員たちの命が……そして息子の未来が掛かっている。

 

「……私を恨んでくれ。すまない」

 

 線の細い男が小声で囁く。先ほどまでは冷酷な男と同じく全くの無表情であったが、青年に語り掛ける瞬間、一瞬泣きそうな顔になる。

 

「……」

 

 冷酷な男は線の細い男を冷たく一瞥し立ち去る。入れ替わるようにして兵士たちが『舞台』に上がった。ある者は嫌悪感を隠さず、ある者は嬉しそうに、ある者は哀れむような表情で『後始末』に取り掛かった。ヨハン・ライヒハート一六世を名乗らされた男は呆然とその光景を眺める。選択の余地はなかった。彼がやったことは号令をかける事。見届ける事。ただそれだけだった。

 

 

「……疲れただろう。裏で少し休もう」

 

 線の細い男が青年を支えるようにしながら舞台の下へ連れて行く。

 

「次は」

 

 青年が掠れた声を出す。線の細い男が「どうした?」と耳を寄せた。

 

「次は、何人殺すんですか」

「………………予定では、八人だ」

「止めませんか。もう……」

 

 青年はそう言って泣き出す。線の細い男は崩れ落ちそうな青年の身体を支えつつ、「止める訳にはいかないんだ……すまない」と謝罪した。

 

「……ミュラー中佐。映像が流れ始めました」

「分かった」

 

 

 

 

 フェルディナント・ミュラーはその光景を全てが終わった処刑場で見た。ファビアン・フォン・ルーゲンドルフ退役元帥、クリストフ・フォン・バウエルバッハ宇宙軍元帥、ウィルヘルム・フォン・フィラッハ宇宙軍予備役上級大将、アルツール・フォン・シェーンベルク地上軍大将、ランドルフ・フォン・アスペルマイヤー技術大将、クリストフ・コールライン地上軍少将。以上六名に死刑判決が下され、そして刑が執行される映像を。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……




注釈35
 帝国の官僚機構は皇帝官房(府)・宰相府・国務省・内務省・軍務省・財務省・司法省・宮内省・典礼省・科学省の二府八省から構成され、各省庁のナンバーツーである副尚書級の職にある者までを閣僚と呼称する。

 皇帝官房官房長、宮内省侍従職部侍従長、枢密院議長、大審院長等も閣僚級ポストとされているが、一般的に閣僚という言葉が指す対象としてこれらは含まれない。対して、形式上は皇帝官房に属する宮廷書記官長は事務次官級ポストであるが、その役割の重要性から閣僚と同列視される。閣僚会議を初め、枢密院本会議、枢密顧問官会議、名士会議、大本営御前会議、統帥本部最高幕僚会議等、宮廷で開催される諸会議の『書記』を務め、皇帝に提出される官庁の殆どの書類に目を通す立場にあるからである。

 一方で宮廷書記官組織は定員わずか四二名、しかも全員各省庁からの出向職員で構成されている。さらに官房三課長経験者か各省庁内部部局筆頭課長経験者が出向するという不文律も存在している。当然ながら送り込まれる人員は各省庁の精鋭であると同時に、各省庁での栄達か、関係組織幹部への再就職が約束されている人物であり、元の省庁への帰属意識は強い。宮廷書記官長からすると扱いにくい者達だ。各省庁の情報を集約し皇帝に報告する、という宮廷書記官長の強力な権限は、このような組織としての脆弱性によって統制されているといえよう。

 結果として宮廷書記官長には組織内の統制と閣内の意思統一を図れる調整能力に秀でた高級官僚が任命されることになり、転じて閣僚の調停者たる宰相(及び国務尚書)か、貴族の調停者たる典礼尚書、またはその両方を目指す貴族にとっての登竜門とされることになった。

注釈36
 帝国の官僚機構は実に非効率的であった、と言うのが通説だ。その原因は建国初期に中央省庁を再編して緊急的に構築された体制をそのまま維持し続け、さらに必要に応じて官僚組織を増設し続けてきたことにあると言われる。銀河連邦が『スクラップ・アンド・ビルド』方式に拘った結果、官僚組織が情勢の悪化に対処する十分な能力を備えることが出来なかったという反省から、帝国には官僚組織の肥大化を肯定的に捉える土壌があった。

 『尚書制』という制度にも問題があった。尚書制は全権を持つ皇帝が手に負えない部分を臣下が代行する、という制度である。閣僚が各分野の行政を担い、その統括を筆頭閣僚が行う一般的な民主国家における内閣制度においても無駄が発生しない訳では無いが、帝国においては皇帝がまず全権を有している所から始まり、その一部を適時各尚書が代行するという形を取っている。これによって尚書同士の所掌事務が曖昧になり、また皇帝が臣下に事務を任せる過程でどの部署も担当しない隙間事務が生まれてしまった。内務省の自治領『統制』と国務省の自治領『行政指導』、国務省の貴族領『行政』評価と財務省の貴族領『財務』評価、典礼省の『貴族間』調停と国務省の『地方紛争』調停、内務省の情報出版統制と国務省の報道通信検閲などは省際事務の典型例と言える。

 さらに、皇帝を頂点に置く組織図故に、宰相ですら同輩中の首座でしなく、閣僚間が対等とされたことで対立が起きやすいという問題も抱えていた。この傾向は宰相が空座となり国務尚書が宰相代理を務めるようになり加速した。

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