アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

67 / 79
壮年期・捕虜交換式典にて(宇宙暦779年9月17日)

 銀河帝国と自由惑星同盟は互いを正当な国家とは認めていない。銀河帝国から見た自由惑星同盟は辺境の叛乱勢力、自由惑星同盟から見た銀河帝国は銀河連邦の一部を占領するクーデター勢力である。この建前に拘ることで様々な弊害が出ているのは今までに書いてきた通りだが、その一つに捕虜の扱いが挙げられる。

 

 自由惑星同盟はその複雑な建国経緯から銀河帝国とは違い、銀河連邦と同一の国家であることを明確に打ち出していない。だがそれはそれとして自由惑星同盟はその加盟国の中に銀河連邦亡命政府を含んでいる。自由惑星同盟は銀河連邦亡命政府こそがオリオン腕における唯一の合法政府であり、銀河帝国は銀河連邦政府を非合法な手段で排除したクーデター勢力であるという立場を取っており、従って同盟構成国で活動する非合法勢力の一員である銀河帝国軍将兵は、『同盟国内法の』犯罪者という扱いになる。銀河帝国から見た自由惑星同盟将兵も同様に叛乱勢力の一員であり、『帝国国内法の』犯罪者という扱いになる。あまり知られていないことではあるが、銀河帝国だけではなく自由惑星同盟においても長らく公的な意味で『捕虜』なる身分は存在せず、従って捕虜の取り扱いを決めた法律も存在しなかった。

 

 それ故に銀河帝国では帰還兵を『思想犯』として辺境の矯正区へぶち込んでいたことは有名であるが、一方の自由惑星同盟もその初期においては捕虜を捕虜に相応しく――具体的にはジュネーブ条約、南極条約、モノケロース条約に定められた基準を満たす待遇――遇していた訳では無い。

 

 今でこそ実質的に国内犯罪者と帝国兵の捕虜は分けて扱われているが、自由惑星同盟における捕虜は当初犯罪者として扱われた。特にコルネリアス一世帝の大親征をきっかけに宇宙暦六七〇年に憲章擁護法が制定され、憲章背信罪――同盟という枠組みに対する背信行為を裁く。建国期の分権主義者を念頭に置かれた規定だが帝国兵への法的制裁に転用された――の適用範囲が大幅に拡張されてからは酷かった。捕虜を含む『反憲章的』犯罪者を取り締まる組織として法秩序委員会憲章擁護局が、憲章擁護法違反者専用の裁判所として同盟最高裁戦時犯罪特別高等裁判所――通称・戦特栽――が置かれた。

 

 そこで為された裁判は極めて恣意的な法運用が為され、さしたる罪状も無く市民感情のままに死刑が下されることも少なくなかった。特に『フォン』の称号を持つ者とそれ以外に対する量刑格差は異常と呼べるほどであり、当時の良識派はその有様を「愛国的共和主義者を自称する者たちも処刑台の上では貴族を優遇するようだ」と揶揄した。あるいは戦特裁判事アドルフ・ケスティングの「『フォン』とは即ち未来の死刑囚の称号である」という言葉も当時の司法の暴走振りを端的に表しているだろう。

 

 不平等な法運用のその必然的な帰結として法廷の場は『共和的思想』を強制する場と成り果てた。すなわち、裁判官と大衆の慈悲を乞うために、祖国と皇帝と上官を悪し様に罵倒し、自由惑星同盟への忠誠を高らかに叫び、さしたる知識もないままに共和主義を肯定する言葉を並べ立てる場へと変貌したのだ。被告人が自分からそれを言うのならばまだしも、裁判官によってそれを強制された例も枚挙に暇がない。

 

「私は共和主義者として、このような不公正の存在を認容する自由惑星同盟という国家に忠誠を誓うことはできない」

 

 そう言い切った銀河帝国宇宙軍所属、クリストフ・ハンセン少佐は裁判官と聴衆の嘲笑に晒され、悪意に満ちた罵倒を一時間ほど受けた後、「憲章を冒涜した」として死刑判決を下された。彼が帝国内反体制組織銀河連邦臨時人民自治評議会(フェデラシオン・コミューン)の幹部であったことは、死刑執行の数日後に最高評議会宛てに銀河連邦臨時人民自治評議会(フェデラシオン・コミューン)からの絶縁状が送りつけられたことで判明した。

 

 宇宙暦六七三年のバードリー対憲章擁護局裁判及びフォン・ハーゼンクレーバー対国防委員会裁判、宇宙暦六七八年のラッセル・アルトドルファー対シャンダルーア星系政府裁判、宇宙暦六八二年のカスナー対同盟裁判を経て宇宙暦六八三年に憲章背信罪の規定が削除され、憲章擁護局と戦特裁が廃止されたとき、冷静さを取り戻した同盟の人々はこの大規模人権侵害を自由惑星同盟史上最も恥ずべき汚点の一つとした。

 

 宇宙暦六八三年以後は、新たに制定された戦争犯罪特別法によって戦時犯罪に関する法整備が進められた。これによって戦争犯罪の主体は「自由惑星同盟軍並びに各星系実力組織を構成する者」「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められる者」「国家転覆の意図を有さない武装勢力を構成する者」「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められない者」の四種に整理されることになった。この内帝国軍将兵は「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められる者」か「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められない者」にあたり、その振り分けは同盟最高裁の判例によると「戦争倫理に反す行為を故意に行ったか」「組織を管理すべき立場にあってその管理を全うせず、それによって戦争倫理に反す行為を招いたか」「主体的意思が認められる環境にあったか」の三点を重視するという。(通称、シュペンタール・ルール)

 

 法秩序委員会の審査と同盟最高裁の決定によって国家転覆の主体的故意を認められた帝国軍将兵は戦争犯罪者として裁かれ、基本的に捕虜という扱いは受けない。捕虜交換の対象ともならず、死刑判決が下る可能性も存在する。逆に国家転覆の主体的故意を認められなかった帝国軍将兵は「完全なる自由意志の下に無く、責任能力が限定的である」として免責され、「自由・自主・自律・自尊の精神に基づく自由意志の回復」を目的に各地の「更生施設」に入所させられる。一応、「更生」を終え、同盟戸籍を「回復」し「社会復帰」する道も存在する。その為、事実上は同盟軍が運営する捕虜収容所は、しかし書類上は人的資源委員会の「更生施設」とされている。

 

 ただし、この段階で国防委員会が指定した「国防上極めて重要な価値を有する者」は「更生施設」への入所を許されず、国家転覆の主体的故意を認められた者たちに準ずる扱いを受けることになる。つまり、捕虜交換の対象に入らない。

 

 

 

 

 

 

 ……だから、今回の捕虜交換は極めて特例的であると言える。帝国軍将兵七六〇万人、同盟軍将兵四二〇万人、同盟側はシュペンタール・ルールの適用を受けた者、帝国側は大逆罪の適用を受けた者を除くほぼ全将兵が捕虜交換の対象となった。これまでの捕虜交換と規模が違うのは言うまでもないが、同盟国防委員会や帝国軍務省から「国防上極めて重要な価値を有する者」と指定され、捕虜交換のリストから外されていたはずの者たちも今回は対象に含まれたのだ。

 

「あの男が帰ってこれるとは驚いたな……」

 

 宇宙暦七七九年九月一七日、フェザーン自治領(ラント)地上警備隊第一機動隊――師団規模の戦力を有する――駐屯地で捕虜交換式典は行われた。その最中、壇上で私の隣に座る軍務省高等参事官クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将は、『あの男』に対する嫌悪感を隠さずにそう呟く。

 

 クルトの視線は捕虜たちの最前列に向けられている。そこには同盟各地の捕虜収容所で自治委員会のトップを務めていた者たちが並んでいる。その中心にいるのは今回帝国軍帰還兵代表を務める元・第一辺境艦隊司令官オトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将だ。彼より高位、あるいは先任の捕虜が居ない訳では無かったが、様々な事情から彼が帰還兵代表を務めることとなった。

 

 そしてその五つ左側の席に座るのが『あの男』こと元・第九装甲擲弾兵師団長アルバート・フォン・オフレッサー地上軍少将である。『ミンチメーカー』と渾名される程勇猛な――というよりは狂気的な――戦いぶりで知られた彼は、宇宙暦七七二年五月七日に同盟軍の虜囚となる。帝国では地上軍の若き英雄、忠勇なる帝国軍将兵の鑑として兵士から尊敬を集め、貴族将校からすら一目置かれていた彼は、しかしその残虐な戦いぶりによって同盟市民の激しい憎悪を買っていた。彼が投降したことが同盟の主要メディアで報道されると、同盟市民は声を揃えて「死刑にしろ!」と叫んだ。しかし同盟最高裁は彼を「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められない者」と判示し、戦争犯罪者ではなく一般の捕虜として人的資源委員会に引き渡した。

 

 同盟市民の怒りは凄まじく、その日の内に同盟最高裁と人的資源委員会のホームページが置かれているサーバーがダウンした。非難が殺到したのだ。両組織だけではなく、捕虜行政に携わる国防委員会や統合作戦本部、法秩序委員会にも非難は飛び火し、ついに同盟議会上院で法秩序委員長トリネ・セーレンセンの不信任決議案が提出され、さらに同盟最高裁長官エルキュール・アーケルマンが弾劾裁判にかけられる寸前にまで至った。

 

「憲章擁護局と戦特栽の暴走の反動で、シュペンタール・ルールの適用は帝国軍捕虜の人権を保障する方向性で運用されている。オフレッサー少将がシュペンタール・ルールに照らして戦争犯罪者に当たることはほぼ間違いないだろう。……だが『ほぼ』だ。市街戦で毒ガスを使用したり、捕虜同士で殺し合いをさせたり、死体を繋ぎ合わせて晒したりしたことは『ほぼ』間違いないが証拠がない。だから同盟最高裁はオフレッサー少将を一般の捕虜として扱うしかなかった」

「『疑わしきは被告人の利益に』だね。なら仕方ないか」

 

 クルトはあっさりとそう言った。私は何とも言えない顔でクルトを見つめていただろう。クルトは理念と現実が衝突した時にあっさりと理念を優先する所がある。アルバート・フォン・オフレッサーという外道を同盟最高裁が裁けなかったことをあっさり「仕方ない」というあたり、やはりどこかズレている気がしないでもない。

 

「それだけじゃないさ。どういう訳かルーゲンドルフ老や貴官の従伯父(いとこおじ)コルネリアス老がオフレッサーの救命に動いた。圧力をかけられた軍務省は捕虜に対する報復まで匂わせてオフレッサーを守った」

 

 私とクルトの会話を聞いていたのだろう。バッセンハイム上級大将が訝しむような声でそう言った。

 

 退役元帥ファビアン・フォン・ルーゲンドルフ公爵は地上軍の宿老だ。宇宙軍はフィラッハ公爵家やケッテラー公爵家、ツィーテン侯爵家等の没落によってライヘンバッハ伯爵家を始めとするいくつかの帯剣貴族家が対等な勢力を有しているが、地上軍においては建国期から勢力を保ち続けているルーゲンドルフ公爵家が頭一つ分抜けている。その権勢はすさまじく「一度や二度政争に敗れた程度で揺らぐ地位ではない」とまで言われている。実際、国家・貴族社会・帝国軍という枠組みではなく地上軍という枠組みに限って見れば、ルーゲンドルフは最早対等なプレイヤーでは無い。何があっても……それこそ国ごと引っ繰り返すような化け物が出てこない限り揺らぐことの無い地盤を有している。アルトドルファー侯爵家、リブニッツ侯爵家、ゾンネンフェルス伯爵家、ライヘンバッハ伯爵家、クルムバッハ伯爵家といった地上軍に勢力を持つ家々もルーゲンドルフ家に挑戦することは無い。

 

 そして私の従伯父(いとこおじ)で退役上級大将のコルネリアス・フォン・ライヘンバッハ子爵は分家のカルウィナー=ライヘンバッハ家を継承し、現在ライヘンバッハ一門の分家を取りまとめている人物である。ルーゲンドルフ公爵と同じく、地上軍の長老にあたる。既に表舞台からは去っているが、ライヘンバッハ派に絶大な影響力を持つ。……若造の私は神輿であり、事実上はコルネリアス老やその息子のカール・ベルトルト、グリーセンベック、シュティール、アイゼナッハといった父の腹心による集団指導体制が築かれているからだ。

 

「ルーゲンドルフ老が奴を気に入っていたのは知ってる。だとしても男爵家の次男程度、一々気に掛けるような方じゃないだろうに……」

「オフレッサー少将が地上軍の汚れ仕事を担ってきたという話、いよいよ本当かもしれませんね」

「……なるほどな。オフレッサーを同盟に調べられると地上軍の長老方が困るって訳か」

『自由惑星同盟軍捕虜交換船団副代表、シドニー・シトレ宇宙軍中将』

 

 私たちがオフレッサー少将について話し合っている間に、自由惑星同盟宇宙軍捕虜交換船団代表クリフォード・ビロライネン宇宙軍大将のスピーチが終わり、副代表のシドニー・シトレ宇宙軍中将の名前が呼ばれる。シトレ中将の次はバッセンハイム宇宙軍上級大将、そして私がスピーチを行う。余談だが、政府使節団よって明日行われる自然交戦規範遵守宣言式では帝国側代表ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵、副代表リヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルン伯爵が先にスピーチを行い、同盟側代表エドワード・ヤングブラッド上院議員、副代表ロイヤル・サンフォード下院議員がその後にスピーチを行うことになっている。

 

「自由惑星同盟宇宙軍、そして銀河帝国宇宙軍の将兵の皆さん。お初にお目にかかります。今回の捕虜交換に際し、船団副代表を申し付けられました。自由惑星同盟宇宙軍中将シドニー・シトレと申します」

「噂には聞いていたが、これまた随分と黒いな」

 

 私の横でバッセンハイム上級大将が呟く。オフレッサー少将に比肩しうる長身、地上軍人を名乗っても通じるであろう鍛え上げられた屈強な肉体、そして浅黒く光る肌を併せ持つシドニー・シトレ宇宙軍中将は先の第二次エルザス=ロートリンゲン戦役でラザール・ロボス宇宙軍中将と共に卓越した手腕を示した提督だ。イゼルローン要塞の完成によって終戦の期待が高まっていた当時の自由惑星同盟ではロボスら数名と共に「最後の英雄たち(ラスト・ヒーローズ)」と呼ばれていた。

 

「ですが紛うことも無き名将です」

「分かっている。劣等人種でありながらミュッケンベルガーを苦しませた男だ。この俺でさえ第二次フォルゲン星域会戦では奴の部隊には手を焼かされた。軍人を五〇年もやってくれば分かることがある。人種としての優越性は個人としての優越性を担保しないということだ。昨今の堕落した貴族軍人や口だけは一人前の平民軍人に比べれば、あの黒いのの方が何百倍も優れた提督だよ」

「……」

 

 オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍上級大将は今年六八歳、上級大将の定年六〇歳を過ぎてもなお前線に立ち続けている。彼のように軍の長老と呼ばれるような人物は平民や劣等人種への差別意識が強いと思われがちであるが、必ずしもそうとは限らない。バッセンハイム上級大将のように長年前線に勤務していた者たちは平民や劣等人種の能力を認めることにさしたる抵抗を感じないらしい。尤も、当然個人差はあるが。

 

 強烈な自信家であるバッセンハイム上級大将の場合は自分を苦戦させた劣等人種や自分が評価するに足る平民が蔑視されることは、自分が馬鹿にされているように感じるらしい。

 

「自由惑星同盟軍の帰還兵の皆さん。長きにわたる収容所生活、お疲れさまでした。皆さんは市民の自由と諸権利の為にその身を捧げられました。皆さんの高潔な選択は、自由惑星同盟にイゼルローン回廊への要塞建設を成し遂げさせました。この要塞は戦いの為の要塞ではありません。不幸にも道を違えることとなった我々とそしてオリオン腕の同胞たちが、共に戦乱という名の暗いトンネルから抜け出すための光明なのです。争いの日々は今、終わりを告げようとしています。明日にはここフェザーンの迎賓館『フォルティーナ』において政府の代表が交戦法規の順守を宣言します。自由惑星同盟と銀河帝国の過去は両国民の血と涙で綴られてきました。私は明日の宣言式が血と涙に代わり、インクと汗が歴史書を綴る日々に繋がると信じています」

 

 シドニー・シトレ宇宙軍中将は深みを感じさせるバリトンボイスで穏やかに、しかし力強い口調で語り掛ける。前のビロライネン宇宙軍大将に比べてより直接的に講和・終戦への期待を口にしている。ビロライネン宇宙軍大将に比べて官僚的な匂いが殆どしない。

 

「……そして、皆さん。そんな輝かしい未来を実現させたのは皆さんの献身的な戦いぶりです。私は先の戦役の功績で、『最後の英雄たち(ラスト・ヒーローズ)』などと呼ばれておりますが、それは違う。『最後の英雄たち(ラスト・ヒーローズ)』、それは私などでは無く、自由と平等と平和の為に身を捧げ、そして遠く異郷の地で虜囚として苦難の日々を送ってきた皆さんです。皆さんこそがこの悲劇の歴史の最後に、その名を最も燦爛と刻まれるべき英雄なのです。同盟は英雄たちの自由と諸権利の回復に、全力を尽くすでしょう」

 

 シトレ宇宙軍中将は最後に帰還兵たちに微笑みかける。そして帝国軍帰還兵の方を向き直り、再び話し出す。

 

「銀河帝国軍の帰還兵の皆さん。皆さんも長きにわたる更生施設での生活、お疲れ様でした。人的資源委員会も同盟軍も皆さんが快適な生活を送れるように最大限配慮してきました。しかし、慣れぬ異国の地での生活、さぞかし大変だったでしょう。……ところで皆さん、皆さんは私の姿を見てどう思われますか?」

 

 シトレ宇宙軍中将の突然の問いに帝国軍帰還兵の顔に困惑が浮かぶ。

 

「私は同じ質問を、先の戦役時に現地の帝国民や捕虜の帝国兵士に行いました。『人類種の遺伝子を衰退させる劣等人種、存在自体が人類に対する罪、肌の色はその魂の汚れを表している……』などとまあ、散々な言われようでした」

 

 シトレ宇宙軍中将は苦笑を浮かべながらそう言った。最前列に座る帰還兵の一部が気まずそうな顔を浮かる。

 

「皆さん、今、私は皆さんに同じ質問を行いたい。皆さんは黒人を、黄色人種を、女性を、身体障害者を、性的少数者を、一体どう思われますか?……恐らく、先の戦役時に私を罵倒した民衆や兵士と同じ答えを返す方も居るでしょう。しかし、私は信じています。長きにわたる捕虜生活、生の自由惑星同盟、多人種・多思想の共存する国の実情に触れ、我々を理解してくれた人々が居ることを。……それはかつての銀河帝国では認められることの無い変容でした。叛徒の思想に触れ、洗脳されたと見做された捕虜は祖国において再び収容所へ送られました。しかし、これからの銀河帝国ではそうではない、と。私は希望を持っています。相互理解。それこそが我々にずっと必要な事だったのです。我々は一五〇年の時を経て、ついにその事を理解しました。だから私は、そして皆さんはここに居るのです」

 

 シトレ宇宙軍中将の語る言葉を聞く帝国軍の帰還兵たちの顔には困惑が浮かんでいる。中には明確に反発の色を浮かべる者たちも居るが、それは比較的捕虜として暮らした期間が短い者たちだろう。他の者たちは反応に困っているような様子だ。捕虜交換の式典で同盟軍人がここまで長々と、直接的に帝国軍人に語り掛けたのは初めてだ。ビロライネン宇宙軍大将のスピーチも帝国軍帰還兵への言及は少なかった。

 

「……私には夢があります。銃弾と札束では無く、誠意と愛情を以って両国の人々が交流するという夢です」

 

 銃弾が指すのは同盟軍と帝国軍による戦争だろう。札束が指すのはフェザーンにおける商取引だろう。戦争と商売、自由惑星同盟と銀河帝国を繋ぐ線は長らくこの二つしかなかった。

 

「私には夢があります。この銀河の全ての人々が再び、自明の真実として人々が同胞であると語れる日が来るという夢です」

 

 銀河連邦崩壊後の長きにわたる分裂は人々のアイデンティティに深刻な打撃を与えている。『人類』という定義そのものの価値が下落し、個人主義と国家主義の二極化が進んでいる。

 

「私には夢があります。この先の未来に生を受ける我らの新たな同胞たちが、親や本人の肌の色、門地、言語、文化、思想信条等に関わらず、全ての同胞から祝福を受ける日が来るという夢です」

 

 シトレ宇宙軍中将は揺るぎない口調で自身の『夢』を語る。私の横でバッセンハイム上級大将が「まさしく夢だな」と吐き捨てるように言った。

 

「皆さんが私の『夢』に理解を示して下さるのであれば、これに勝る喜びはありません。私はこの記念すべき場所に集った皆さんと共に、輝かしい未来を作り出せることを信じています」

 

 シドニー・シトレ宇宙軍中将のスピーチが終わり、バッセンハイム上級大将の名前が呼ばれる。元々、バッセンハイム上級大将は今回の捕虜交換にそんなにやる気を持っていない。バッセンハイム上級大将が捕虜交換船団の代表に選ばれたのは、軍部人事の都合である。言ってしまえば、元帥昇進の為の大義名分を用意する為の箔付け人事なのだ。

 

 現在、帝国軍三長官はルートヴィヒ皇太子が兼任しているが、この状態は非常措置であり、どこかで是正する必要がある。軍務尚書には地上軍総監エルンスト・フォン・ルーゲンドルフ地上軍元帥、統帥本部総長には統帥本部次長ゲルトラウト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍上級大将、そして宇宙艦隊司令長官は宇宙艦隊副司令長官オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍上級大将の就任がそれぞれ内定していたが、ルーゲンドルフ元帥を除く二人は上級大将であり、元帥に昇進しないと三長官への就任資格は無い。また、ルーゲンドルフ元帥にしても地上軍出身の軍務尚書は史上三人目であり、自身が軍務尚書に相応しい力量を有していることを証明しないといけない。

 

 結果として、ルーゲンドルフ元帥は軍務尚書就任に先立ってニーダザクセン鎮定使、ファルケンホルン上級大将はエルザス=ロートリンゲン特別軍政区司令官、バッセンハイム上級大将は捕虜交換船団代表にそれぞれ任命され、帝国軍三長官の重責に相応しい能力があるか見定められることとなった。とはいえ、どのポジションも重要ではあるが彼らの能力であれば無難に務められるはずであり、実質的には箔付け人事といって良かった。

 

「……私から言うことは以上だ。諸卿らに祖国帰還を赦した皇帝陛下の御慈悲に感謝し、一層その御為に忠誠を尽くせ」

 

 バッセンハイム上級大将のスピーチは極めて平凡な内容であった。同盟兵士たちには『臣民の分際』を弁えるように言い、帝国兵士には皇帝陛下への感謝と忠誠を新たにするように言う。尤も、バッセンハイム上級大将のスピーチが型通りの無難な代物であることは必ずしも悪い訳では無い。

 

 帝国において帰還兵が称賛を受けるか、罵倒を受けるかは権力者の気分で変わる。政略的に、捕虜の帰還を肯定的に捉える方がメリットが大きければ、帰還兵たちは「祖国の為に尽くした勇者」として様々な栄誉を与えられる。一方で帰還兵を持ち上げるメリットがさして存在しなければ、「生き恥を晒すな」「死んで詫びろ」「臆病者」などと辛辣極まる罵倒を食らうことになる。帰還兵たちがどういう扱いを受けるか、その評価に大きな影響を与えるのがこの式典の場における帝国軍代表と帰還兵代表のスピーチだ。帰還兵を受け取りにきた帝国軍代表が帰還兵をボロクソに貶したら、その時点で帝国軍における帰還兵の未来は閉ざされたものと考えて良い。帰還兵代表が何らかの失言をやらかせば、連帯責任でその時の帰還兵の未来は閉ざされたものと考えて良い。

 

 余談ではあるが大物貴族が捕虜交換で帰還することが決まれば、その実家は政財界や社交界、メディア関係者に大金をばら撒く。その貴族が「名誉ある降伏」を行った勇者であり、決して命を惜しんだ卑怯者ではないということにする為だ。この根回しが功を奏せば帰還した貴族はこれでもかという程の美辞麗句を以って賞賛され、功を奏さなければ不名誉な降伏を行ったばかりかその事実を金で隠蔽しようとした貴族の恥として末代まで笑いものにされる。その貴族の下で戦った兵士たちの評価もその貴族の評価と連動している為、貴族家同士の対立に起因する陰謀によって根回しが上手く行かなければ、その貴族は数〇万から下手したら数〇〇万の部下と共に卑怯者のレッテルを貼られることになる。

 

(つまり私がこの場に居る七六〇万名の帝国軍将兵の運命を決める訳だ)

 

 帝国軍帰還兵たちの顔には安堵の色がある。典型的かつ強面の帯剣貴族であるバッセンハイム上級大将は帰還兵たちから自分たちに不利なスピーチをするのではないかと恐れられていた。そのバッセンハイムを乗り越えたことで、ひとまず安心したのだろう。

 

『帝国軍捕虜交換船団副代表、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将』

「行ってくるよ」

「頑張って」

 

 私はクルトと言葉を交わし、演壇に立つ。

 

「帝国軍将兵諸君。同盟軍将兵諸君。お初にお目にかかる。私が捕虜交換船団副代表を務めるアルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将だ」

 

 私は威厳を持って、しかし軽く口角を持ち上げ、笑みを浮かべながら話し始める。帝国帰還兵たちは不安を隠しきれていない。私の言葉次第で、彼らの立場はさらに悪くなるのだから。

 

「先ほど、サジタリウス腕のシドニー・シトレ副代表は帰還兵諸君を英雄と呼んだ。私もその言に大いに賛成したい。諸君はそれぞれの祖国の為に勇敢に戦った英雄である。我等前線に身を置く誇り高き帝国軍人にとってそれは自明の真実で疑いようもない事である」

 

 私はそこで大袈裟に溜息をついて見せた。そして軽く首を振り、さも残念そうに再び口を開く。

 

「私の祖国では残念ながら、虜囚となることを恥と考える文化が存在する。このような誤った文化の存在は大いに嘆かわしい事だ。諸君は称賛されこそすれ、非難される道理など存在しないのだから」

 

 私は少しずつ声に力を込めていき、最後は静かに、しかしハッキリと断言する。帰還兵たちの間でざわめきが広がった。政略や宣伝工作次第では英雄として迎え入れられる帰還兵たちだが、それでも基本的に世間の風当たりは強い。帝国正規軍でも虜囚となること自体は罪では無いが、降伏は原則として認められていない。平たく言えば「降伏を選ぶことが抗戦を続ける時よりも皇帝陛下と祖国の名誉となる場合」だけ自主的な降伏が許される。にもかかわらず帯剣貴族でも五本の指に入る大物――ということになってはいるが、一門の存在が無ければ影響力は発揮できない――私が、虜囚に対しここまで肯定的な事を言うのは普通は考えられない。

 

「安全な場所で、金と命と謀を弄ぶ者たちは言う。『虜囚となったのは貴様らの無能が原因だ』と。リヒャルト・フォン・グローテヴォールの無念を想い、私は彼と諸君らに代わって叫ぼう。『責任を果たさぬ者たちが、負わなくても良い責任までもを負わされた者たちに何を言うか!』と」

 

 今回の帰還兵たちにとって、ドラゴニアの勇将リヒャルト・フォン・グローテヴォールの名は重い。勿論全員では無いが、捕虜の中で最も多いのはドラゴニア戦役の大敗によってサジタリウス腕側に取り残された者たちだ。

 

「私はライヘンバッハの名を背負い断言する。リヒャルト・フォン・グローテヴォールと彼に従った者たちは皆良く戦った。あの戦いで死んだ者たちは皆望んで死んだわけではない。背信者たちの蠢動の犠牲となった被害者だ。そして諸君は生存者だ。諸君の生還を喜ばない理由がどこにあるだろうか!?陛下を除き宮中に諸君を批判する資格のある者は一人も居ない!」

 

 「背信者」という言葉が指すのは一応はドラゴニア特別派遣艦隊を敗走へと追い込んだシェーンコップ地上軍准将だ。だが、この場に居る人間たちにはこの言葉が「金と命と謀を弄ぶ者」に向けられていることが一目瞭然だろう。

 

「安全な場所で、金と命と謀を弄ぶ者たちは言う。『貴様らは命を惜しんで皇帝陛下を裏切った』と。ヴァルター・コーゼルの屈辱を想い、私は彼と諸君らに代わって言う。『臣民の無為な死を皇帝陛下が喜ばれるとお思いか!』と」

 

 第二次ティアマト会戦で虜囚となった者たちも多い。宇宙軍主体で行われたこの戦いの大敗はアッシュビーによる包囲網の完成もあり、多くの虜囚を生んだ。

 

「皇帝陛下は全人類の支配者であり、全宇宙の統治者である。偉大な皇帝陛下の英知によって生かされている我等、一たび陛下が『死ね』と命ずれば、命を惜しむことは無い!」

 

 私は拳を握りながら勢いよく叫んだ。捕虜たちの一部から「そうだ!」というような同意の声が挙がる。そんな捕虜たちの反応を確かめつつ私は意識して間を開け、声色を落ち着いたモノへと変化させて、続きを話し出す。

 

「だが陛下がいつ我等に、そして諸君等に『死ね』と命じたのか?陛下の為に死を選ぶこと、それこそが臣下の道という言にもなるほど一理はある。しかし陛下が望んでもいない時に、望んでもいない所で、一方的にその命を陛下に捧げ奉ることは果たして正しき臣下の振る舞いなのか?それが臣下の忠誠を証明するのか?陛下の御為になるのか?……私はそうは思わない」

 

 ゆっくりと首を振る。

 

「私は告発する!皇軍将兵の命を、あろうことか陛下の名を騙り私事の為に浪費している者たちが居たことを!その者たちこそ、諸君に死を命じた者たちである。その者たちこそ、諸君の良き上官に、良き同輩に、良き家族に死を命じた者たちである。『もう沢山だ!』そうだろう?奴ら奸臣に捧げる命など、我等は持ち合わせてはいないのだから」

 

 私は突如として声を荒げる。感情を露わにさせながら、帰還兵の本心を抑圧する分厚く固い壁に打撃を与えていく。決して皇帝批判はしない。奸臣を名指しもしない。帰還兵たちが漠然と感じる後方への不満は、抽象的な扇動の方が発火しやすい。敵を具体化しすぎると裏目に出ることもある。例えばリューデリッツやエーレンベルクを支持する者も居るだろう、ブラウンシュヴァイクを恐れる、あるいは恩を感じている者も居るだろう。全ての兵士がブラッケやリヒターに好意的とも限らない。『敵』という枠組みを憎むことを赦し、そこに誰を落とし入れるかは兵士たちの判断に任せるのだ。

 

「金と命と謀を弄ぶ者たちは、諸君を『卑怯者』と罵るだろう。知ったことか!諸君には我等がついている。諸君の名誉と忠勇は、その価値と意味を知る軍人である我々が保障する。……諸君、大いに胸を張れ!陛下の御為に!全てを捧げる為に!我々は帰ってきたぞ!と」

 

 私は最後にそう言ってスピーチを締めくくる。帝国兵たちは歓声を挙げ拍手をするが、同盟兵たちは当たり前の如く、微妙な反応である。しかし、私の今までの伝統から外れたスピーチはそれなりに興味深かったようで、好奇の視線が向けられていることを感じた。

 

「……本心だとしたらば、貴官には『よく言った』という所だ」

「良い演技だったよ。練習に徹夜で付き合った甲斐があるね」

 

 バッセンハイム上級大将は憮然とした面持ちでそう言い、クルトはそんなバッセンハイムを気にせず抜け抜けとそんなことを言う。

 

「勿論本心ですし、演技などではありません」

 

 私はクルトを軽く睨みながらそう言って席に座る。七七九年の捕虜交換で帰還した者たちから、多くの革命派将校が誕生したことは広く知られている。彼らをその立場へと追いやる、その最初の一押しが私の演説だった……という評価が巷では為されているようだが、それは結果論という物であろう。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。