「ライヘンバッハ卿。この国は誰の物だと思う?」
内務尚書を一〇年近く務め、近く財務尚書へと転じると噂されているクラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵からそんな質問を投げかけられたのは宇宙暦七七九年五月二七日の事であった。
「無論、皇帝陛下の物です。銀河帝国は……さらに言えばその財産、臣民、文化、歴史、自然に至るまであらゆるものは全て皇帝陛下の所有物であり、その御為に存在を許されております」
「実に教科書的な回答だ。ライヘンバッハ卿。しかし『私』が『君』に聞いているんだ。その意味を考えて欲しいものだ」
「そうは仰られますが、『そうあるべき』と考える姿を尋ねられているのではなく、『そうである』と考える姿を尋ねられているのですから、小官にはこのようにしか答えようがありません」
「銀河帝国は皇帝の所有物だ、その現状を理解しろ」という言葉は私がジークマイスター機関に入ってすぐの頃、ハウザー・フォン・シュタイエルマルク提督に繰り返し言われたことである。その頃の私はこの言葉を額面通りに受け取っていた。実の所、リヒテンラーデ侯爵から上記の問答を持ち掛けられた時も、本当の意味で理解していた訳では無い。「銀河帝国の究極の目的は国体護持、言い換えればゴールデンバウム家の繁栄にある」のである。……尤もリヒテンラーデ侯爵の見解に則れば、それも違うのだろうが。
「なるほど。確かにそうだ。では私の見解を述べようか。……この国に所有者や主権者など存在しない」
「……ほう?」
私はリヒテンラーデ侯爵の言葉の先を待つ。彼の口からこのような発言が出るのは意外であった。
「……そもそも国家などというものが存在しない」
リヒテンラーデ侯爵は眼に危険な色を漂わせながらその言葉を発した。私は息を吞み、おずおずと問い掛ける。
「……『国家とは最も劣悪であるが故に、最も現実に近いフィクションである』ですか?」
「ローマン・ダールズリーの『観念国家論』か。内務尚書の前で引用するには不適当な一節だな。だが帝国の実情を考える上では適当な一節だ」
リヒテンラーデ侯爵は淡々とそう言ってのける。ローマン・ダールズリーはシリウス戦役時にリギル・ケンタウルス星系自治州首相、後にリギル・ケンタウルス星系共和国初代大統領を務めた人物である。新人類代表会議副議長も務めた偉人であるが、ジョリオ・フランクールのクーデターに連座して投獄、処刑された。彼が学者時代に書いた『観念国家論』はシリウス主導の強力な新秩序構築に疑問を投げかける内容であり、必然的に今の帝国の体制に対しても懐疑的な内容ということになる。
「フィヒテは国家を一つに結び付けるのは言語と文化の同質性だと言った。ルナンは国家を一つに結び付けているのは一人一人の自由な意思による選択だと言った。ゲルナーは経済的合理性によって国家は生まれたと言った。帝国に対する人々の結びつきはどの観点から見ても中途半端だ」
「閣下はこの国が国家として成り立っていない、と?」
「『国家がそこに確かに存在する』人々がそう信じるのを止めた瞬間に崩れ去る程度に宇宙時代の国家という枠組みは脆く、そして油断すれば人々は簡単に『国家』がフィクションであることに気づいてしまう。
「ふむ……今は違う、と?」
「辺境に精通する卿なら分かるだろう。……『人類』というアイデンティティは最早朽ち果てつつある。ザールラントを見たまえ、彼らが他の星の出身者を何と呼ぶか知ってるか?」
「……
私は渋面に成りながら答える。一般人諸君で『エイリアン』という言葉を知る者は最早少ないだろう。地球時代、この言葉は地球外生命体という意味合いで使われていた。人類が宇宙に進出すると、地球居住者が地球外居住者を差別する意味合いで使われるようになった。しかし地球の終焉と共に『
「彼らにとって我々は同じ種族ではないのだ。……コールラウシュ伯爵は気の毒だった。一時は私の末妹の婿にとも考えていた男だった。彼はあんな死に方をするべき男では無かったし、まして彼の家族に……特にまだ一〇歳にも達していなかった二人の娘に一体何の罪があったというのだろうか」
「……」
「だが、ザールラントだけではない。表面化していないだけでこの国の……いや人類という種族そのものの連帯が崩れ去りつつある」
そこでリヒテンラーデ侯爵は言葉を切って立ちあがった。窓の側に歩いていき、再び話し始める。
「何故、戦争が続くのか?……私の答えはこうだ。全人類が争うよりは、二つの陣営で争った方がまだマシだから、だ。確証は無いが、伝え聞くサジタリウスの状況を考えたら向こうも同じような理由だろう。……つまりフィクションだ!この戦争は『銀河帝国』という虚像を尤もらしく見せる為の演出に過ぎない!」
リヒテンラーデ侯爵は振り向いて私に語り掛ける。
「常識で考えたまえ、帝国がサジタリウス腕を支配する力があると思うか?このオリオン腕すら統一出来ていないというのに。叛乱軍が帝国を『解放』する力があると思うか?その帝国に劣る国力しか有していないというのに。帝国にとって本当に怖いのはサジタリウス叛乱軍という外敵ではない。国内に潜む様々な不穏分子……いや、対立の火種といった方が適切か?それが爆発することだ。地球統一政府末期や銀河連邦末期のようにな」
「強大な外敵は国家を団結させますからね」
私はそう言いながらも考える。リヒテンラーデ侯爵の見解は中々に大胆ではあるが、帝国の知的エリート層の中には同様の見解――つまり簡潔に表現すれば『強大な外敵は国家に必要不可欠である』となる普遍的な真理――に辿り着いている者も少なくないだろう。多少のニュアンスの違いはあるだろうが。
にもかかわらず、リヒテンラーデ侯爵が彼らと違う結論に辿り着いたという点、その点が私は気になっているのだ。
「……で、あるならば、何故閣下は緊張緩和を支持なさるのですか?国内を纏めるのに外敵は必要なのでしょう?」
「簡単だよ。私は他の者たちが気づいていない三つの事に気づいているからだ。一つは『銀河帝国』という偶像の底に気づいた。……この国は最早命数を使い果たしつつある。強大な外敵との接戦を演じている余裕もない。その持てるリソースの全てを国内の安定に使わないと早晩崩壊する」
リヒテンラーデ侯爵はそこで一度言葉を切ると、私の目を見据えて話し出す。
「もう一つは……卿たちだ。リューデリッツの言うことをもっと真剣に聞いておくべきだった。リューデリッツがミヒャールゼンを死闘の末潰して作り出した猶予をこの国は浪費した。卿たちは随分と立派に育ったようだ」
その時の私は背筋が凍る思いだった。リヒテンラーデ侯爵がジークマイスター機関の存在を確信しているのはその口調から分かる。セバスティアン・フォン・リューデリッツの一派が私に狙いを定めて以降、私は機関から距離を置いていた。少なくとも今の私の周囲を洗った所で機関の存在には辿り着けないはずだ。必死で平静を装いながらリヒテンラーデ侯爵の次の言葉を待つ。
「だがそんな些細な事はどうでも良い。私が本当に恐れているのはあくまで帝国を作り変えたい君たちではない……帝国を壊したい亡霊共だよ」
「は?」
リヒテンラーデ侯爵はそう切り出しながら私の表情を観察していた。私はリヒテンラーデ侯爵の言っていることが本当に分からず間抜けた声を出す。
「ふむ……その反応だと知らないのか?だが卿の動きは知らない者の動きでは無かったと思うのだが」
リヒテンラーデ侯爵は意外そうな表情で考え込む、その様子を見ている内に、私の思考も追いついてきた。『帝国を壊したい亡霊共』……機関は気づいていない。だが私は『知っている』
「亡霊というのはまさか……」
「やはり知っているか?……そうだ。奴ら……いや奴らの抱える古ぼけて腐りきった『歴史』。それは人類を再び種として団結させる可能性を持つ。だが奴らはそんなことを望んではいない。奴らを動かすのは欲望と復讐心だけだ」
リヒテンラーデ侯爵は険しい表情をしながら続ける。
「……地球教の台頭。それが私に講和を決意させた三つ目の要因だ」
「地球教、ねぇ……」
「やはり信じられないか?」
「まあね。確かに最近地球教は元気だけど、別に地球教に限った話じゃないよ。武装闘争も辞さない
宇宙暦七七九年九月一五日、フェザーン
「……僕の見立てだと、リヒテンラーデ侯爵の意図は二通りかな。一つはジークマイスター機関が実在するのかどうか、君の反応を観察していたという可能性。もう一つは既にジークマイスター機関の存在を確信した上で、自分の欲望の為に利用しようとしている可能性」
「前者は無い……と思う。あくまで印象の話だが、プラフとは考えにくかった」
「なら後者かな?リヒテンラーデ侯爵は丸っきり嘘をついている訳では無いんだと思うよ。現体制に見切りをつけた上で、ジークマイスター機関が目指す新たな体制作りに協力する。多少民主的な体制に変わっても自分と自分が握る官僚勢力は外せないと踏んでいるし、絶対帝政に比べて劣るとはいえ民主政体でも私腹を肥やせない訳じゃない。……リヒテンラーデ侯爵は賢いからね。泥船で暴利を貪るより、新しい船で安定的に利益を得ることを選んだんだろう」
クルトは少し嘲笑するような口調で尤もらしくそう言った。
「……君もこの国は泥船だと思うか?」
「当たり前だろう。そんなこと誰だって分かってるさ。平民だってボンヤリと気づき始めているよ」
クルトは何でもないようにそう言う。あまりにもあっさりと言うので、私は苦笑する。
「リヒテンラーデ侯爵と他の権力者の違いは地球教の存在を知っているかどうかなんかじゃないよ。単に立場の違いさ。エーレンベルク公爵やクロプシュトック公爵なんかは領地貴族だから極端な話帝国が崩壊しても自領さえ無事なら構わない。だから泥船をどうこうしようとは思わない。むしろ沈む前に持ち出せるだけの富を持ち出そうと考えている。ルーゲ公爵はクーデターまでやらかしてブラウンシュヴァイク公爵一門を粛清した、そしてリッテンハイム侯爵とも対立している。泥船が沈んだら命の保証はない。呑気に新たな船を作っている余裕は無い。リヒテンラーデ侯爵はそこまで追い詰められていないから新しい船を作って自分が船長になろうとしているのさ」
「……」
「地球教なんていうのは大義名分だろう。『強大な外敵』の存在は結束を強めるからね」
「……なるほどね。そういう意図『も』ありそうだ」
私は端末に目線を落とす。時間を確認すると既に一九時を三〇分も過ぎている。流石に遅い。
「ところでアルベルト。会って欲しい人というのはいつになったら来るんだい?僕たちがスミシー中将に会いに行かないといけないことを忘れているのかい?」
「確かに遅いな……少し確認してくる」
私は部屋の中にクルトを待たせて、ロビーに降りて行った。
「ヴィンクラー少佐!ハシモト参事官はまだ来ないのか?」
「先ほど連絡がありました。『急用が入った、日付が変わる前には行けるかもしれないが分からない』とのことです。丁度ご報告しようと思っていた所です」
「何?……おいおい、勘弁してくれ……」
「どうなさいます?」
私は考え込む。私とクルトには外せない用事がある。とある人物との接触だ。自由惑星同盟国防委員会事務総局戦略計画部特別戦略分析室室長ジョン・ニコラス・スミシー同盟宇宙軍中将。マルティン・オットー・フォン・ジークマイスターが去った後の同盟におけるジークマイスター機関指導者である。その素性は私も知らないが、軍務省のデータベースによるとエルゴン星系出身で、若いころは前線に勤務していたが第二次ティアマト会戦での負傷をきっかけに後方勤務に就くようになったとされている。データベースの備考欄には酷い火傷を負ったという噂の存在が記されていた。
「……無理をさせたくないしな。ハシモト参事官との面会は後日に改めよう。連絡を頼む」
「承知しました」
ヴィンクラー少佐と別れ私は部屋に戻る。恐らくへそを曲げるであろうクルトの事を想像してゲンナリとした。
「……ハシモト参事官というのは帝国軍大将二人との約束をすっぽかすような男なのかい?フェザーン人には珍しいタイプじゃないか」
「もう良いだろう……。あの人は今回の捕虜交換事業に深くかかわっているからな。私のような名ばかり副代表とは違って忙しいんだろう」
「君はともかく僕は忙しいんだけどね?軍務省高等参事官として交渉団に入れられたのはバッセンハイム上級大将や君みたいな箔付けじゃなくて、その能力を信頼されての事だから」
予想通り不機嫌になったクルトを宥めながら私はフェザーン領都ミネルヴァ西部の下町――開拓時代に拠点が置かれていた地域であり、今は労働者の街となっている――の裏通りを歩く。
「……あのな、私も別に遊んでいた訳じゃないんだぞ?リヒテンラーデ侯爵から捕虜交換船団の防諜を託されていたんだ。フェザーンの反ワレンコフ派や帝国の対同盟強硬派、同盟の反帝国派、このあたりは捕虜交換の実現を快く思っていないからな」
私も軽く言い返す。「しかしね……」とクルトがぼやこうとするが、私はそれを遮って指差す。
「あの安宿で合ってるな?」
「ん?ああ。あそこの二〇五号室でお待ちだよ。……スミシー中将を見ても驚くなよ?」
クルトは先にスミシー中将と接触している。その彼曰く、『驚愕する』らしい。
(それこそジークマイスター提督が出てきたら驚きだな。生きてたら一〇〇歳くらいか?……まるっきり有り得ないとも言えないな)
しかし私の予想は裏切られた。
「大きくなったな……アルベルト坊」
私の方を向きながら恐らく微笑みを浮かべているだろうその男の顔は溶けたラードのように崩れている。酷い火傷を負ったとの情報があったが、流石にこれは予想外だ。今の技術なら多少の……というか酷い火傷を負った所で元通りに治すのは簡単だ。それでも火傷した場所とその状況が悪ければ多少の傷は残るかもしれないが、それにしたってこんな有様にはならない。
「その顔は……」
「放射線の影響で再生治療に失敗した、と言うことになっている。勿論嘘だ。治せないのは本当だけどね。顔を隠したかった」
私が絶句していると男は「まあ座りたまえ」と腰を下ろすように勧めてきた。私は言われるままに椅子に座る。
「自由惑星同盟国防委員会事務総局戦略計画部特別戦略分析室室長ジョン・ニコラス・スミシー同盟宇宙軍中将。それが一応今の名前だが、君たちには本当の名前を名乗ろう。クリストフ・フォン・シュテッケル。元帝国宇宙軍少将だ」
「生きておられたのですか!?同盟の捕虜になってからほどなく戦傷で他界したと聞いていたのですが……」
「敵を欺くならまず味方から、と言うだろう。まあ君たちの御父上には知らせていたがね。……他にも何人か生き延びているメンバーも居る。元々捕虜扱いだったメンバーと合わせて今回の捕虜交換でそちらに向かわせる」
「ね、驚愕するでしょ?」とクルトがそう言って笑う。確かに驚きだ。シュテッケル少将が生きていて、しかもこんな酷い傷を負っているなんて。
「さて、再会を喜ぶのもここまでだ。使命の話をしようじゃないか」
スミシー中将は顔色を――厳密には分からなかったが――変えて私たちに報告を促した。私たちは帝国の現状を話す。リヒテンラーデ侯爵からの協力要請、ヴェスターラントの暴走……そういったジークマイスター内部の問題も報告する。それに対しスミシー中将は同盟の現状を話した上で、これからの方針について話し合った。話し合いが終わった時には既に二四時を過ぎていた。
「それにしても地球教か。リヒテンラーデ侯爵ともあろう人が随分と小物を警戒しているものだ」
「……やはりシュテッケル少将閣下もそう思われますか?」
「確かに大義名分としては小物ですよね……。うーん、リヒテンラーデ侯爵の意図が読めません」
クルトは今更ながらリヒテンラーデ侯爵がわざわざ地球教などという物を持ち出してきたことに疑問を持っているようだ。……私はリヒテンラーデ侯爵の意図……というか地球教のヤバさを知っていたからリヒテンラーデ侯爵が紛れもない本音を話していたことが分かるが、クルトの立場では疑問を持つのも無理はない。
「まあ……どういう意図であれ大したことは無いだろう。所詮、辺境のカルト宗教だ。我々の障害となる存在ではない」
「そうですね」
クルトがスミシー中将の言葉に同意する。私も一応頷いたが、どこかのタイミングで二人にも警戒を呼び掛けないといけないと考えていた。今は馬鹿馬鹿しい話だとしても、地球教がこのまま拡大路線を採るならいずれはこの二人が真剣に耳を傾けざるを得なくなるはずだ。
「大分遅くなったな……。明日は二人とも早いんだろう。引き止めてすまない」
「いえ、理想の為ですから」
クルトがにこやかに答え、私も頷く。スミシー中将との話し合いは有意義な物だった。私たちはスミシー中将に挨拶し、ホテルを離れた。
「……何のつもりだ」
「……アルベルト・フォン・ライヘンバッハとクルト・フォン・シュタイエルマルクだな?」
スミシー中将が居たホテルを出て暫く歩いていると私たちの前に、一人の男が立ちふさがる。目深にフードをかぶった男を前に私とクルトはいつでも戦闘に移れるように準備する。
「人違いだな」
「何が有り得ないかを言うのは難しい。何故なら昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実であるからだ」
「……ほう?」
男はジークマイスター提督やシュタイエルマルク提督が好んで使っていたフレーズを唐突に呟いた。油断はできないが、それでも私たちが何者か……そしてそのフレーズが私たちにどういう意味を持つかは知っていることになる。
「……同志よ、忠告する。捕虜を信じるな。仲間を信じるな。そして気づけ、地球教は既に卿らの喉元に刃を突きつけていると」
男はフードを軽くめくりながらそう言う。その下の顔は直接的な面識は無いが私たちも見覚えがある人物だった。
「……どういう意味ですか?何故貴方がそんな……」
「悪いが長話はできない。追われている身だ」
クルトが動揺した様子で語り掛けるが、男はそう言って振り返る。
「使命を果たせ。ジークマイスターの無念を晴らすんだ」
「待ってください!」
男はそう言って走り出した。私たちは追いかけたが男は予め逃走経路を確保していたのか、すぐに見失ってしまった。
「……これは、リヒテンラーデ侯爵とアルベルトの警戒も的外れではないかもね。シュテッケル閣下に報告しよう」
「待て。これはまず
私は踵を返そうとしたクルトを制止する。クルトは少し考え込んだ後で、「分かった。あの人が忠告してくるのは異常だ」と答えた。
ホテルに戻ると、慌てた様子でヴィンクラー少佐が近寄ってきた。
「か、閣下!」
「ヴィンクラー少佐……待っていなくても良かったんだぞ?卿は副官であって従士や奴隷ではないのだ」
「は!しかしどうしてもお伝えしないといけないことがありまして……連絡を差し上げようとしたのですが、繋がらなくて……」
ヴィンクラー少佐は焦った様子だ。私は端末を取り出して電源を入れる。ヴィンクラー少佐からの通信やメールが三〇分程前からいくつも入っている。密会の最中という事もあり、端末の電源を切っていたのだ。
「すまないな。電源を切っていた。それで伝えないといけない事ってなんだ?」
「フィデル・ハシモト参事官がサウスアイランドで御遺体で発見されました!」
「何だと!?」
フィデル・ハシモト参事官はドミトリー・ワレンコフ自治領主の腹心の一人だ。憂国騎士団としての活動をワレンコフ氏にバックアップしてもらっている関係で交友があったが、それ以上に地球教絡みで協力関係にあった。地球に対してドミトリー・ワレンコフ自治領主の一派が面従腹背の状態であったことは後世の諸君も知っているだろう。私が辺境情勢に介入を繰り返している中で気づいた地球教の動きはハシモト参事官を通じて逐一ワレンコフ氏に報告していた。
「背後から一刺しされたようです。御遺体からは財布がなくなっていて、自治領警察は恐らく金目的の通り魔的犯行ではないかと言っています」
「待て待て待て。フェザーンは宇宙一治安の良い街だろ?サウスアイランドはその南に隣接した宇宙港を擁する中心都市だぞ?有り得ないだろう」
「小官もそう思っていましたが、宇宙港から程近い中心部はともかくその周囲は治安が悪く、迷い込んだ観光客相手にこういった事件も稀に起こるとか」
「ハシモト参事官はフェザーン人だぞ!?」
私は思わず声を荒げるが、クルトに宥められる。
「アルベルト、ハシモト参事官は捕虜交換船団の関係者だ。亡くなったら真っ先に報告が来るのは間違いない。しかし詳しい状況までは普通は分からない。ヴィンクラー少佐はわざわざ自治領警察まで行って聞いてきたんだ。そこまでして揃えた情報なのに、報告しているだけで怒鳴られるのは理不尽というものだ」
「……そうだな。その通りだ」
私はクルトの言葉に頷いて平静を取り戻す。ヴィンクラー少佐は額に汗を浮かべながら、口をもごもごと言わせている。
「ん?どうしたヴィンクラー少佐。何か言いたいことがあるのか?」
「いえ……その、小官もおかしいとは思ったのです。ハシモト参事官がフェザーン人だというのもそうですが、『背後から一刺し』って、素人に出来ますかね?しかもあの方は確か情報畑出身者でしょう?」
「……確かにな」
私は先程の忠告を思い出していた。『地球教は既に卿らの喉元に刃を突きつけている』。ハシモト参事官に対してもそれは同じだったのかもしれない。地球教はハシモト参事官の喉元にずっと突きつけていた刃を押し込んだのではないか。この時点では何の根拠もない想像だったが、結論から言えばこのフィデル・ハシモト参事官の死こそが地球教による『我々』に対する最初の攻撃だった……ともいえるかもしれない。
銀河の歴史がまた一ページ……。