アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

64 / 79
壮年期・辺境鎮撫(宇宙暦778年12月~宇宙暦779年4月)

 宇宙暦七七八年一二月の第二次フォルゲン星域会戦で帝国迎撃軍はとても苦しい戦いを強いられた。まず帝国迎撃軍を苦しめたのは同盟軍が想定以上に戦力を動員・集中配備してきたことである。一〇月二五日の迎撃軍総司令部会議で決定されたフォルゲン星系奪還作戦はギリギリまで味方にも詳細は伏せられ、同盟軍の戦力を分散させる為にヴァンステイド星系やドヴェルグ星系への欺瞞行動が実施される予定であった。ところが迎撃軍総司令部内部のジークマイスター機関メンバーやそれに類する反国家的組織の工作員によって帝国軍の行軍計画は筒抜けになっており、同盟軍は早々に戦力をフォルゲン星系へと集中させることが出来た。結果、事前予測を上回る六万隻を越す大艦隊がフォルゲン星系周辺に配備されることとなった。

 

 さらに物資面での不安も帝国迎撃軍を苦しめた。本来、本土で戦う帝国迎撃軍に補給の不安は無いはずである。しかし、帝都及び中央地域とイゼルローン方面辺境の間に存在するニーダザクセン行政区、そしてヘッセン行政区は『帝国本土であって帝国本土で無い地域』だ。前者はかつてブラウンシュヴァイク公爵家の強い影響下にあり、現在は政治的・経済的混乱が著しい、一部は無政府状態や内戦状態に陥っている。後者は今もリッテンハイム侯爵の強い影響下にあり、現在は帝国中央と緊張関係にある。両地域を経由した補給は様々な要因で途切れがちであり、ミュッケンベルガー中将が睨みを効かせていたシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区を経由する迂回補給路に頼らざるを得なかった。当然、ヘッセン行政区やニーダザクセン行政区を経由するよりもメルレンベルク=フォアポンメルン行政区やシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区を経由する方が時間もコストも余計にかかる。少しずつではあるが、帝国迎撃軍は物資面で困窮しつつあった。

 

『……親愛なる臣民将兵諸君よ。……諸君は「人民の大提督」という言葉を知っているだろうか?宇宙歴二九五年八月五日、一人の偉大な改革者とその同志たちが腐敗しきった醜悪で無力な銀河連邦軍上層部を打倒すべく立ちあがった『シャハナ蜂起』、人民はシャハナから首都へと進軍するその改革者を歓呼の声で迎えた。「人民の大提督、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍中将万歳!」と』

 

 宇宙歴七七八年一二月一日。帝国皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将はエルザス・ロートリンゲン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン・ノルトライン・ヘッセン・ニーダザクセンの六区で活動する全帝国軍将兵に対しこう呼びかけた。

 

『やがて改革者が終身執政官となり、そして皇帝陛下となったとき、人々は既に「人民の大提督」という言葉を忘れていた。ゴールデンバウム家も、その功臣も、民衆も。……それはとても不幸なことであったと余は思う。何故ならば、「人民の大提督」という言葉は恥ずべき屈辱ではなく誇るべき栄誉であった。考えてもみて欲しい、民亡き国の皇帝の何と惨めな事だろう!勇無き軍の総帥の何と醜悪な事だろう!』

 

 銀河帝国において帝国歴一年の銀河帝国建国前の歴史事象に年代と共に言及することはタブー視されている。大神オーディンを頂点とするゲルマン教が北欧神話にルーツを持っており、そしてゴールデンバウム王家が『天界を統べる秩序と法則の保護者』である関係上、地球全土が焼かれた西暦時代に関してはゴールデンバウム王家と無関係という扱いになっている為に言及しても問題ない。一方で宇宙暦時代の事象に触れる際は細心の注意を払う必要がある。最もよく使われる表現はBevor Großer(大帝以前)であり、BGと略される。

 

『余はここに宣言したい。銀河帝国皇帝は全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる存在であると共に「人民の」……いや、「諸君の大提督」であると。そして余はその名代として、また諸君の(・・・)皇太子として再び諸君に語り掛けたい。大帝陛下の建軍演説から四七〇年の時を経て、余は諸君と諸君の父祖の忠誠と勇気に対して再びこう言わせてほしい。「ありがとう(ダンケ・フュア・イーレ)」と』

 

 この後もルートヴィヒ皇太子の演説は異例を極めた。兵士たちに対し親しげに、見る者を安心させる朗らかな笑みを浮かべながらルートヴィヒ皇太子は自分を何度も「人民の皇太子」であると強調する。兵士たちの素朴な皇室崇拝の感情を刺激しながらも、一方で蔓延しつつある支配階級への不満に配慮して高圧的な表現は徹底して避けた。やがて演説は少しずつ兵士たちの愛郷心や復讐心を煽る内容へと変わっていき、その一方でルートヴィヒ皇太子は徹頭徹尾「共に闘おう」という姿勢を示し続けた。

 

 ルートヴィヒ皇太子の二八分間にわたる演説は後世「ルートヴィヒ人民皇子の民友演説」と呼ばれることになる。このルートヴィヒ皇太子の演説は後世と当時の兵士たちにこそ高く評価されたが、同時代の支配階級と同盟人からは酷評を極めた。彼らはルートヴィヒ皇太子の演説を「兵士と民に媚びた」と見做し、不快感を示すか、嘲笑を浮かべた。中央ではルートヴィヒ皇太子を迎撃軍総司令官の職から解くべきだという声すら挙がった。幽閉されている先帝クレメンツ一世を彷彿とさせる手法に不満と危機感を抱いた旧リヒャルト大公派が少なくなかったのだ。

 

 余談だが「ルートヴィヒ皇太子の民友演説」を起草したのが私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハであることは当時と後世に広く知られているが、ルートヴィヒ皇太子が二度に渡って私の提出した原案にノーを突きつけたことはあまり知られていない。こういうと実際のルートヴィヒ皇太子が保守的な人物であったと考えるかもしれないが、むしろその逆だ。第一案は保守的かつ無難に過ぎて却下、第二案は体制批判に取れる内容が散見され却下された。第二案の却下はまあ当然と言えば当然である。それを以ってルートヴィヒ皇太子が頑迷な人物であったと見做すのは酷だ。

 

 「ルートヴィヒ皇太子の民友演説」は支配階級と同盟の不評を他所に、兵士たちの士気向上に一定の効果を挙げたのは間違いない。兵士たちは自分たちが皇帝の軍隊に属している事を思い出した。そして辺境出身者は故郷を荒らしまわる同盟軍への憎悪を爆発させ、中央出身者は中央が辺境と同様に『共和主義の魔の手』によって焼かれることを恐怖した。ルートヴィヒ皇太子は平民に「媚びた」が他には何も突飛な事は言っていない。当たり前の事をもう一度再確認させただけだ。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七八年一二月一五日、帝国迎撃軍はフォルゲン星系での決戦に臨んだ。動員兵力は五万隻、一方迎え撃つ同盟軍の戦力は六万二〇〇〇隻にも及ぶ。帝国迎撃軍の戦力が増強された分、かつての回廊戦役を越す戦力が相まみえた。この数日前、あまり知られていないが迎撃軍総司令部で会戦の趨勢を左右する大きな出来事が起きていた。勝負師、オスカー・フォン・バッセンハイムが賭けに出たのだ。

 

 突如としてバッセンハイムの命を受けたテオドール・フォン・アーベントロート宇宙軍大佐率いるチームが第五予備分艦隊司令官クリストフ・フォン・スウィトナー宇宙軍中将、第二作戦総軍総司令部作戦部長ギュンター・ヴェスターラント宇宙軍中将、第二機動艦隊司令部参謀長フリードリヒ・フォン・ドレーアー宇宙軍少将、第一作戦総軍後方主任参謀クリストフ・フォン・バーゼル宇宙軍准将ら八名を拘束した。さらに佐官以上の高級将校二一名が役職を解かれ更迭された。

 

 空いたポストには元第九警備艦隊司令官ヨーナス・オトフリート・フォン・フォーゲル宇宙軍少将、元紫色胸甲騎兵艦隊作戦副部長ハンネマン・フォン・シュターデン宇宙軍准将、元第四辺境艦隊司令官副官カール・ロベルト・シュタインメッツ宇宙軍中佐らが任じられた。彼らは皆所属部隊の壊滅後、後方で待機を命じられていた。バッセンハイムの意図は明白だ。総司令部内部に存在する不穏分子を一斉に排除したのだ。スウィトナーやヴェスターラントのようなジークマイスター機関メンバーだけではなく、小悪党のバーゼルや無能のドレーアーなども更迭対象になっていることから分かる通り、バッセンハイムは総司令部の『穴』には気づいたもののそれが何処にあるかは分からないまま、とりあえず怪しい連中を根こそぎ粛清した。

 

 この強硬かつ不可解な人事はかなりの反発を受けるがバッセンハイムは黙殺した。総司令部に不和を齎す可能性を認識しながらも、内通者と邪魔者の排除に踏み切ったのだ。だが結果的にはそれが功を奏した。

 

 宇宙暦七七八年一二月二八日、同盟侵攻軍の右後背方向からウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍中将率いる第二機動艦隊が突如として襲い掛かった。同時に帝国迎撃軍右翼のグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将率いる第一打撃艦隊が前進する。苛烈な応射を受け数を減らしながらもミュッケンベルガー艦隊は同盟軍右翼に肉薄し、メルカッツ艦隊と共に同盟軍右翼を押しつぶす。

 

 ……帝国迎撃軍は数で劣り、苦しい戦いを強いられている中で繞回進撃を実行してのけた。もし総司令部内部に『穴』が存在するままであれば、バッセンハイムの大賭けが成功することは無かっただろう。なにせそもそも数的不利の状態で繞回進撃に踏み切るのはハッキリ言って自殺行為だ。事実、メルカッツ艦隊が欠けた帝国迎撃軍左翼部隊は将官六名が戦死する非常に苦しい戦いを強いられた。勇将ハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト宇宙軍中将の紫色胸甲騎兵艦隊が頑強に前線に踏み止まらなければ帝国左翼軍が持ちこたえられたか怪しい。左翼を預かるビューロー宇宙軍大将は僅かなミスもあったがゼークト中将の奮戦にも助けられ同盟軍の猛攻を凌ぎ切り古豪健在を内外に示した。二八日の攻勢成功後、帝国軍は会戦の主導権を同盟軍から奪取することに成功した。

 

 連日のたたき合いの末、帝国迎撃軍は右翼側のメルカッツ艦隊・ミュッケンベルガー艦隊を主軸に同盟軍を徐々に押し込んでいった。宇宙暦七七八年一月五日、第七惑星方面から回り込んだカイザーリング艦隊がフォルゲン星系第四惑星フォルゲンに到達、惑星を守る第一二艦隊と交戦を開始する。これを受けて同盟侵攻軍総司令官ステファン・ヒース宇宙軍元帥は第六惑星軌道上での交戦を断念し、艦隊を第四惑星軌道上へ後退させることを決意する。同月八日頃から帝国迎撃軍所属の地上部隊が惑星フォルゲンへの断続的な降下を開始、降下作戦の指揮を執ったのは陸戦隊指揮経験を有する宙陸統合作戦のエキスパート、フォーゲル宇宙軍少将であった。

 

 二月に入るとフォルゲンにおける地上戦で帝国軍側が確固たる優位を築き始めた。元々フォルゲンは帝国内でも反同盟の気風が強い地域であり、帝国軍による大規模な反抗が始まった以上、民が同盟軍に従う理由は無かった。強引で露骨な同化政策に対する反発も大きく、同盟地上軍は民間の不協力もあり思うようにその実力を発揮できなかった。同盟議会で侵攻軍の撤退が議論され始めたのもこの頃だ。当初は意見が割れたが、同月二〇日の国防委員会会議でイゼルローン要塞建設完了の報告が挙がったことがきっかけとなり、同盟政府は占領地の放棄を決定する。

 

 二月一二日、同盟侵攻軍はフォルゲン星域内に残る地上部隊の収容を終えると共に、後方星域の地上要員の撤収の目途が立ったとして星系からの撤退を宣言する。帝国軍側も多大な犠牲を被っており大規模な追撃戦を行う余力は残っておらず、同盟侵攻軍主力の撤退はスムーズに行われた。

 

 三月二日、同盟侵攻軍の撤退を確認した迎撃軍総司令部は解散、大損害を被った第一作戦総軍と臨時編成の第二作戦総軍は中央地域に戻り再編が行われることが決定された。また、黒色槍騎兵艦隊と白色槍騎兵艦隊がイゼルローン方面辺境に残り、各地の秩序回復と残敵の掃討に当たるよう命令された。

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七九年三月一〇日、私はルートヴィヒ皇太子の計らいで惑星リューベックへと向かっていた。目的は一連の第二次エルザス=ロートリンゲン戦役のどさくさに紛れてリューベック藩王国国防軍が進駐したライティラ星系・アーレンダール星系・メーレス星系の返還とアルフレート・カール・レオ・フォン・オスマイヤー総督他、拘束されている帝国臣民の解放を実現することだ。

 

 リューベック藩王国はかつて、リューベック自治領(ラント)を構成した五つの星系の内、領都が置かれていた人口中心地リューベック星系とそこから程近いクルトシュタット星系を領土とする銀河帝国の属国である。宇宙暦七六一年のリューベック奪還革命をきっかけに皇帝から広範な自治権を認められた同国は二つの大きな課題に直面していた。

 

 一つ目は経済的な困難である。曲がりなりにも自治領として帝国統治体制に組み込まれていたリューベックでは自治領に設置されたリューベック拓殖銀行(帝国政府系)が発行するリューベック・マルク―基本的に帝国マルクと同価値――とリューベック中央銀行(第七艦隊共和国系)が発行を続けていた独自通貨ピアレスの双方が流通していた。独立後、帝国政府はリューベック・マルクの発行を停止することをリューベック藩王国に通達、これまでに発行されたリューベック・マルクについても宇宙暦七七一年四月一日を以って帝国国内における全銀行での取り扱いを停止することを決定した。独自通貨ピアレスについても自治領時代、帝国内務省リューベック総督府によって一帝国マルクに対して一二五ピアレスと定められていた交換比率が撤廃された結果、一帝国マルクに対して平均三五六ピアレスまでその価値は下落した。

 

 二つ目は『未回収のリューベック』問題である。リューベック自治領(ラント)は全星系での独立を目指していたが、最終的にライティラ星系・アーレンダール星系・メーレス星系の三星系は帝国内務省自治統制庁の直接統治領とされ、リューベック星系とクルトシュタット星系のみが独立を認められた。リューベック国民の郷粋主義(ナショナリズム)的な意識からして『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の伝統的な領土であった三星系が今なお帝国統治圏内に留められている状況は首肯し難い。またさらに大きな問題として、リューベック藩王国の食料自給の問題もある。自治領時代の食料自給率は八七・三%であったが、この内生産の五五%を担っていたアーレンダール星系、一三%を担っていたライティラ星系を失ったことで、藩王国の食料自給率は三〇%程度まで落ち込んだ。藩王国政府の開拓事業によって未開の地であった惑星リューベック西大陸が切り開かれ、農地へと転用されたが、それでもリューベック藩王国人口五億七〇〇〇万人を養うには足りなかった。……元々、惑星リューベックは気候こそ温暖で農耕に適しているが、山地が多くて平野が少ない。銀河帝国という外敵の存在が無ければリューベック星系第三惑星ベルディエに『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の首都がおかれることは無かっただろう。他の領土、例えば惑星ブラオンはリューベックに比して鉄鋼資源に恵まれているが一年を通じて気温が低く、土地の質も大規模農業に適していないし、クルトシュタット星系は数〇〇〇人の入植者が居るものの、本格的な入植が行われる前に事業が放棄されたために、そもそも生存可能な土地が少ない。

 

「……つまり今回、リューベック藩王国政府が旧リューベック自治領(ラント)各星系への占領に踏み切ったのは食糧自給問題解決の為、ということですね」

「そうだ。私は今のリューベック首脳部を知っているが、国民感情に流されて道を誤るような人たちではない。今回の暴発には他の理由があったと考えるのが自然であり、私の思いつく限りでは食糧問題がその理由だろう」

 

 私は副官のヴィンクラー大尉にリューベック藩王国について解説する。ヴィンクラー大尉も勉強はしているようだが、そもそもリューベックを初めとする辺境情勢に精通している帝国軍士官は少なく、それに関連した資料も限られている。

 

「帝国政府はリューベックとトリエステの両藩王国が自主的に帝国統治下に戻ることを望んでいる。『自主的に』というのはつまるところ経済的に追い詰め、困窮させ、国民たちに『自治領時代の方がマシだったじゃないか』と思わせたいということだな。……まあ、何といえば良いのか。机上の空論と言えば良いのか、都合が良すぎる想定と言えば良いのか」

「普通に考えれば自分たちを困窮させようとする帝国に不満が向かいますよね」

「……前・内務省自治統制庁長官レムシャイド伯爵、そして今の内務省自治統制庁長官ラートブルフ子爵、どちらも私の見た所、貴族官僚としては悪くないんだがね。内地の臣民を基準に外地の自治領民を考える傾向がある。内地の臣民は結局のところ損得勘定で動く、『伊達と酔狂』なんて言葉は歴史の彼方に忘却されてしまっている。良くも悪くも統治者の事を信じているのさ。外地はそうはいかない」

 

 レムシャイド伯爵やラートブルフ子爵を無能とは言えないだろう。自他共に認める現場主義者の内務官僚であるレムシャイド伯爵、リヒテンラーデ一門の跳ねっ返りと称されるラートブルク子爵、どちらも帝国基準では異端にとされる人材だ。レムシャイド伯爵もラートブルフ子爵も各辺境自治領との『交渉』を成り立たせている。その一事で彼らが凡百の貴族官僚とは一線を画することが分かる。彼ら以前の内務官僚には各辺境自治領との交渉を行う能力も、そもそも発想も無い。辺境蔑視や貴族価値観に染まった官僚たちは辺境自治領など命令を下す相手に過ぎない。第二次ティアマト会戦以前はそれでも良かった。辺境自治領が離反することや中央の命令を拒絶することなど、中央と辺境の力関係からしてほぼ有り得なかったからだ。内務官僚は第一に自身の栄達と保身、第二に帝国内地の繁栄を考えていれば良く、辺境自治領などはそもそも眼中に無かった。

 

 今でも貴族官僚には辺境を侮る価値観が蔓延しているが、宇宙暦七六八年にリヒテンラーデ侯爵が内務省自治統制庁長官に就任して以来は、リヒテンラーデ派主導で自治領統制の立て直しが行われている。リヒテンラーデは中央と地方の力関係の変化を承知しており、辺境自治領の反抗が帝国統治体制への深刻な打撃と成ることを危惧している。リヒテンラーデに近いレムシャイドや一門のラートブルフもリヒテンラーデの意を酌んで硬軟織り交ぜた方策で辺境自治領の離反を防いでいる。

 

「閣下。リューベック藩王国国防軍が停船を求めてきています。それと政府の特使が閣下に面会したいと」

「政府の特使?」

「藩王国国防軍高度国防計画基本会議事務次長マイルズ・ラングストン地上軍少将と名乗っています」

「ラングストンだって?……会おう」

 

 マイルズ・ラングストンはかつてのリューベック騒乱時、アルベール・ミシャロンの腹心として私に協力した人物だ。

 

「お久しぶりですな。ライヘンバッハ特務中将閣下」

「ラングストン少将……」

「お互い年を取りましたな。年月が流れるのは早いものです」

 

 ラングストン少将はやや疲労の滲む様子で私にそう言った。

 

「ライヘンバッハ特務中将閣下。リューベック藩王国政府は帝国中央政府との対立を望んでいません。小官はその事をお伝えする為に派遣されてきました」

「……少将殿、しかし現実問題として貴国は帝国領土である三星系を非合法な手段で占領している。サジタリウス叛乱軍の侵攻に合わせてのこの暴挙、『叛意が無い』と見做すのは無理筋だ」

「それは事実の誤認があります。我々は駐留帝国軍が撤退し放棄された三星系を宗主国たる帝国への忠誠の証として代わりに防衛しようと試みたのです。事実、我々は三星系を除く他の星系に足を踏み入れていませんし、帝国正規軍との交戦も行っていません」

「……」

「酷い詭弁だ……」

 

 私はラングストン少将の弁明を聞いて思わず黙り込み、代わりに側で控えてたヴィンクラー大尉がそう呟いた。ラングストン少将はヴィンクラー大尉を一瞥して私に向き直った。

 

「閣下、お人払いをお願いできませんか?」

「……良いでしょう。皆、少し外してくれ」

 

 私の指示でヘンリクやヴィンクラー大尉らが部屋を出ていく。ラングストン少将はそれを見届けてから私に「ありがとうございます」と言った。

 

「……実際の所、無理筋であることは我々も認識しています。認識してはいますが……丸っきり嘘をついている訳でも無いのです。アムリッツァ星域会戦の大敗後、ライティラ星系・アーレンダール星系・メーレス星系に駐留していた帝国正規軍が残らず逃げ出したのは事実です」

「……そんな報告は聞いていませんが……」

「それはそうでしょう。敵前逃亡してきたなんて馬鹿正直に報告しますか?……順番が逆なのです。我々が進駐したから帝国正規軍が撤退したのではなく、帝国正規軍が撤退したから我々が進駐したのです。証拠もありますし、証言者も居ます。オスマイヤー総督以下一〇〇名前後の内務官僚と軍人は駐留帝国軍の逃走に同行せず任地に残りました。彼らは卑怯者たちに怒りを覚えています。我々の潔白はともかくとして、駐留帝国軍の不法行為を証明してくれるでしょう」

 

 私は腕を組んで考え込む。ラングストン少将は無言でそんな私を見つめている。

 

「……いや、ダメです。だとしても貴国がそれに乗じた事実は変わらないでしょう。第二次エルザス=ロートリンゲン戦役中から明確に帝国に従う姿勢を打ち出していたならともかく、貴国はあの戦役中明らかに叛乱軍の行動に乗じて不穏な動きを見せていました。それを無かったことにするのは帝国の威信に関わります」

「それは……仕方が無かったのです。我が国の民意を貴方なら知っているでしょう?故郷を、同胞を奪還する。それが今のリューベックの国是です。勿論政府が旗を振っている訳じゃない。民衆が自然にそれを望んでいるんだ。……アムリッツァの大敗以降、リューベックでは穏健独立派を母体とするロシェ派と旧警備隊・武装闘争派を母体とするヤマモト派が激しく対立しました。最終的に政府はロシェ派が掌握する所となりましたが、軍と市民はヤマモト派を支持していました。その上、アーレンバーグ藩王を初めとするロシェ派の一部も感情的にはヤマモト派にシンパシーを感じていました。我々は第二の革命を防がないといけなかったのです」

「……」

「同盟か帝国か、我々はどっちつかずの姿勢を取るしか無かった。同盟に付けば使いつぶされるのが目に見えていた。今回の同盟軍は辺境を解放するのが目的であって、帝国を打倒する意図は無かった。つまり、どれだけ上手く事が運んでも、リューベックは今後帝国との最前線になる。帝国に付けば軍と市民が間違いなく第二の革命を起こす、帝国に無謀な戦いを挑んで返り討ちに遭うかもしれない。だから我々は対内的に『自主独立』を打ち出し、対外的には中立を守ろうとしたのです」

「中立、ねぇ……?」

「……仰りたいことは分かりますが、我々は同盟とも帝国とも刃を交えていません。ギリギリ中立を保ったと言えるでしょう。こちらの都合ですが、軍を抑え込むことが出来なかったのです」

 

 ラングストン少将は苦しい表情だ。宇宙暦七六一年の独立以来、リューベック賢人会議議長バーナード・ロシェを中心とする親帝国派とリューベック国防軍首都防衛軍司令官チェニェク・ヤマモトを代表とする反帝国派は微妙な緊張関係にあった。宇宙暦七七七年のアムリッツァ星域会戦で帝国軍が大敗した事をきっかけに、弱腰な主流派――つまりロシェたち親帝国派――に対する非主流派――ヤマモトたちのことだ――と国民の不満が爆発したことは想像に難くない。

 

 余談だが、これはリューベック特有の事情ではない。程度の差はあれトリエステ、ローザンヌ、ティターノ、平和同盟などでも対帝国協調路線と反帝国路線の対立は存在する。内務省自治統制庁は各地の協調派を支援していたが、その事実がさらに国民(自治領民)を反帝国路線支持に向かわせるという悪循環が生まれていた。宇宙暦七六九年のローザンヌ伯爵アレクセイ・ナロジレンコ失脚と独立主義者フィリップ・チャンの台頭はその一例である。

 

「……そちらが腹を割って話してくれた以上、こちらも腹を割って話します。貴国が三星系の確保に拘れば、帝国正規軍は必ずリューベックに侵攻します」

「必ずですか?ニーダザクセンとザクセンの旧ブラウンシュヴァイク派諸侯領の混乱を放置してリューベックに来るとは思えませんが……」

 

 ラングストン少将は半信半疑といった様子だ。確かに旧ブラウンシュヴァイク派諸侯領の混乱は著しい。その混乱に付け込む形で、リッテンハイム・クロプシュトック・アンドレアスといった諸侯が勢力を拡大しているのも問題だ。対処を後回しにしていた結果、同盟軍の侵攻に際して迎撃軍は苦しい戦いを強いられた。

 

「その通りです。第二次ティアマト会戦以前ならいざ知らず、今の帝国にかつての余裕はありません。……良くも悪くも、です」

 

 私はそこで言葉を切る。そして思わずため息をついてしまう。

 

「このままだとリューベックは焼き尽くされます」

「……は?」

「ルーゲ公爵を筆頭とする強硬派が少し前にローザンヌでやろうとしたことは流石に聞き及んでいるでしょう。それと同じです。リューベックを血祭に上げることで、他の辺境自治領や旧ブラウンシュヴァイク諸侯領の不穏分子を鎮静化する。そういう計画が中央で進んでいるのです」

「馬鹿な……ローザンヌとリューベックは事情が違う」

 

 ラングストン少将は驚愕の表情を浮かべながら首を振った。確かに僅かな警備隊を有するだけのローザンヌと従属国ながらも主権を確立してから一〇年余りが経過し、独自の宇宙軍を創設しているリューベックを同列視することは出来ない。加えて、政府主導でリューベック藩王国諸星は全土の要塞化を進めている。対地砲撃や質量攻撃に備え、地下に大規模シェルターを建設し、多くの統治拠点や軍事拠点をそちらに移転している。継戦能力を維持するための軍需工場や農業プラントも設置されている。

 

「……要は宇宙戦力を殲滅出来ればそれで良いのです。征服では無く破壊を目的とするのであれば、地上戦を挑む必要性は無い。惑星上の大都市という大都市を焼き尽くし、土地も、財産も、生命も灰燼に帰させる。大質量を落下させ、大規模な気候変動と津波を誘発する。かつて黒旗軍(ブラック・フラッグ・フォース)が地球にやったような徹底的な破壊、それをリューベックに対して行ったという事実があれば帝国各地の不穏分子に対する牽制としては充分です。勿論、地下シェルターの存在は知っています。しかし貴国の食糧事情を考えれば地上の主要な穀倉地帯を潰すことで遠からずシェルター内に逃げ込んだリューベック政府と国民を無力化することが出来るはずです」

「……『全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者』が聞いて呆れますな」

「ですから言ったでしょう。帝国にはかつてのように手段を選んでいる余裕も無いのです」

 

 ラングストン少将は嫌悪感を滲ませながら皇帝への皮肉を口にした。自由惑星同盟を相手にした十数回を除き、銀河帝国が居住可能惑星の環境を悪化させるレベルの攻撃を実施したことは無い。……無論、『公的には』や『正規軍は』という注釈がつくが。

 

 ラングストン少将が言った通り、あまりにも無秩序な武力の行使は皇帝支配の正当性を揺るがしてしまう。地球統一政府軍(グローバル・ガバメント・ガード)による植民星へのコロニー落とし、タウンゼント首相死後の宇宙戦国時代における絶滅戦争は現在ズィーリオス辺境特別区と呼ばれる地域やさらに遠方に存在した多くの居住可能惑星を滅ぼした。そこに存在した数えきれないほどの命と、無数の輝かしい未来は惑星と命運を共にした。

 

 ……これらは人類が犯した取り返しのつかない過ちの一つであり、そのトラウマは大きい。連邦末期に各地で頻発した星系・連合体単位での武力衝突に対し、銀河連邦宇宙軍は全くの無力を晒したが、これは後世言われるような無能と腐敗だけが原因では無い。それと対立していた良識派も地球統一政府軍(グローバル・ガバメント・ガード)の悪行を想起させることから連邦宇宙軍を星系間紛争に介入させることを躊躇したのだ。

 

 全くの余談であるがルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが軍を退役させられる原因となった『シャハナ蜂起』はそういった星系間紛争の一つがきっかけで起きた。当時ルドルフは銀河連邦宇宙軍第三辺境管区第一一方面警備司令を務めていた。同時期、ルシタニア経済統合会議と呼ばれる星系連合体が勢力を伸ばしており、ルドルフの管轄する第一一方面に存在したパルス王国と激しく対立していた。ルドルフはこの星系間紛争に対して冷淡であったが、やがてパルス王国とルシタニア経済統合会議が武力を用いて衝突し始めると、「連邦の秩序を乱し、市民を危険に晒す」として軍事介入を中央に訴えた。しかし軍は文民統制を理由に独自判断での介入を禁止すると、連邦議会に状況を報告、これで連邦議会が介入を指示すれば問題なかったが、星系自治権の尊重を理由に連邦軍の動員が否決されてしまう。

 

 この時点でルドルフは暴発しかけていたが、ファルストロング参謀長の懸命の説得で思いとどまり、法の範囲内で秩序の維持に努めた。しかし、衝突から二年後、ルシタニアの奇策によってパルス主力軍が壊滅。勢いにのったルシタニア軍がパルス各地で狼藉――酷い場合は虐殺――を始めるに至り、ルドルフは正規軍による介入に踏み切った。ルドルフと彼の下に集まりつつあった優秀な将兵の高い能力もあり、ルドルフは数週間の内にルシタニア軍を散々に打ち破り、パルスを解放する。ところがこの越権行為が中央では問題視され、ルシタニアとその息のかかった諸勢力が連邦議会から軍に圧力をかけた。これに屈した軍首脳陣は秘密裏にルドルフの身柄を拘束し、ありとあらゆる罪状を着せ軍法会議にかけて葬り去ろうとした。

 

 しかしながら当時の第三辺境軍管区司令で良識派に属していたラングトン宇宙軍大将は自身の激しいルドルフ嫌いにも関わらず、ルシタニアの違法行為やルドルフの大義名分――ルドルフ以前には数える程しか発動されていないが、連邦宇宙軍にも治安出動の権限は認められていた――を一切無視したルドルフへの処罰には抵抗し、その擁護に回った。(なお、自身は後にルドルフによって失脚させられた)

 

 これによって首脳部の思惑を手遅れになる前に知ることが出来たルドルフは激怒し、麾下の部隊を纏めて連邦首都への行軍を開始した。ルドルフとその一派は盛んに自身の正当性をアピールし、腐敗した無力な連邦と軍に失望していた市民は既に英雄として名声を得ていたルドルフを歓呼の声で迎えた。ルシタニアの横暴に不快感を抱いていたエルドラード行政区自治体評議会――ブラッケ侯爵家の母体となった――などもルドルフ支持を表明した。

 

 最終的にルドルフは宇宙軍少将に降格され、退役に追い込まれたが、逆に言えば事実上叛乱に近い軍事行動を採りながらもその程度の処分で済んでいることが、当時のルドルフ人気と連邦軍の無力を象徴しているといえよう。

 

「……帝国中央はあくまで三星系の返還を求めると?」

「間違いなく。というよりもそれが最低ラインであり、貴国が第二次エルザス=ロートリンゲン戦役で取った不審な行動に関して、納得の行く説明が無ければ、三星系を返還しても制裁が発動される可能性があります。尤も、もし貴国が三星系を返還してくだされば、小官が貴国を守りましょう」

「……閣下が?」

「ルートヴィヒ皇太子はリューベックの境遇に同情的だ。しかし戦役中の貴国の行動に苛立ちを覚えているのもまた事実。貴国が三星系を返還した上で、先ほど私に話した弁明をすれば、多少は言い逃れの余地も生まれてきます。そこまで来れば、小官がルートヴィヒ皇太子にリューベックを助けて貰えるように説得できます」

 

 私はそういったがラングストン少将は不審な様子である。

 

「……閣下は何故そこまでリューベックに肩入れするのですか?今回の特使訪問もどうせ閣下が希望したのでしょう?」

「それは今話すべき話では無いでしょう。問題は私の意図では無く、貴国の意図だ。……いつか貴官やミシャロン氏には話せる時も来るでしょうし」

 

 リューベックに肩入れする理由なんて簡単だ。大嫌いな帝国が、私の故郷の文化さえ断片的に残る共和主義国家リューベックを焼こうとしているのだ。そこに住む多くの人々が一部の権力者のエゴで殺されようとしているのだ。これに憤らずにいられるだろうか?……その帝国の軍人が何を言っているのか、と言われたら返す言葉も無いが。

 

 ラングストン少将は暫く考え込んだ後、溜息をついて立ち上がった。

 

「とりあえず政府に掛け合ってみましょう。閣下の言葉を今更疑う気もありません。閣下がいわゆる奇人変人の類であることは革命の時に理解していますから、ね」

 

 ラングストン少将との会談はその言葉で終わった。

 

 

 

 

 ラングストン少将と共にリューベックを訪れた私たちはそこでオスマイヤー総督以下三二一名の帝国人を保護した。そちらの引き渡しはスムーズに進んだが、『未回収のリューベック』撤兵問題は揉めに揉め、月が変わって四月になってもまだ撤兵は実現しなかった。しかし、四月一二日、水面下で内務省と交渉していたリューベック藩王国在オーディン高等弁務官アドルフ・シュライエルマッハーに対し内務省自治統制庁長官ラートブルフ子爵が最後通牒が突きつける。私の動きを利用してリヒテンラーデ侯爵も独自にリューベックの制裁回避に動いていたようだ。これを受けてついに避戦派――親帝国派――主導で撤兵が決定された。司法省・軍務省を中心に計画されていたリューベックへの制裁が発動する四日前の出来事であった。

 

 時を同じくしてフェザーンでも一つの動きがあった。同盟、帝国の勢力均衡に苦心していた第三代フェザーン自治領主(ランデスヘル)プラカッシュ・クマール・シンが『病気療養』を理由に辞任し、代わって両国の和解を唱える改革派のドミトリー・ワレンコフが第四代フェザーン自治領主(ランデスヘル)に就任したのだ。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。