アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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青年期・リューデリッツの執念(宇宙暦769年4月初頭~宇宙暦769年4月20日)

 宇宙暦七六九年三月二四日のクーデターは後世「三・二四政変」と呼ばれる。決起の中心となったのはゲルマニア防衛軍司令部とその傘下の数個大隊、また中央軍集団・第一軍集団・近衛軍の一部将兵が加わった総勢四〇〇〇名程である。特筆するべき点はその大半の部隊が平民の中堅将校が指揮する部隊であることだ。彼らは従来派閥や門閥と縁がない為に実力で政局に影響を及ぼす意思も力も無いと考えられていた。(勿論、民衆叛乱や暴動に動員した場合に「ミイラ取りがミイラになる」可能性は警戒されていたが)

 

 しかし、クーデター計画の実質的指導者である一人の将官は軍部において台頭しつつある平民将校の存在に目を付けた。その将官は自身の評判――軍部改革派の重鎮にして公平な人事を訴える平民軍人の庇護者――を活かし、体制に対して漠然とした不満、あるいは不安を抱えて燻っていた平民将校たちを取り込み始めた。そして彼らの不満・不安を少しずつクーデター派にとって都合が良い方向へと誘導していったのだ。この間、取り締まるべき憲兵総監部も社会秩序維持局も内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵による激しい批判と締め付けによって身動きが取れなかったこともあり、平民将校たちの叛意は政変の瞬間まで気取られることすらなかった。

 

 これは一種思考の盲点を突かれたともいえる。クレメンツ一世が軍において最も警戒していたのは歴戦の帯剣貴族たちが集う軍部保守派(ライヘンバッハ派)、そして次に警戒したのが門閥貴族の縁者、最後にイゼルローン方面辺境を守っている軍部改革派(シュタイエルマルク派)だ。

 

 当時の常識で考えれば政治分野におけるプレイヤーは全員貴族階級であり、平民階級が脅威となるのは精々原始的な欲求による暴動――リュテッヒの大暴動のような――位だった。例外として共和主義者は階級に関わりなく体制を揺るがす重大な脅威に成り得ると認識されていたが、今回決起した平民将校は別に共和主義者という訳でも無く、本当の共和主義者――つまり私たち――は一切決起に加わっていない。これは帝国史の一つの転換点といえるかもしれない。歴史の担い手が再び人民に戻った、という意味合いで。

 

 尤も、当時の私にそのような事を知る術は無かった。帝国史に残るこの大事件において私は当事者どころか傍観者ですら居ることが出来なかったからだ。

 

「飲まないのかね、ライヘンバッハ少将。コーヒーは嫌いか?」

「嫌いではありません。しかしこのような手では飲む気にはなりませんね」

 

 私は目の前の男……セバスティアン・フォン・リューデリッツに自らの包帯でグルグル巻きにされた両手を見せつける。

 

「君にとっては最期のコーヒーになるかもしれない。無理をしてでも味わった方が良いと思うがね」

 

 リューデリッツは本気で私を案ずるような口調でそう言ったが、私は鼻で笑う。

 

「元帥閣下の御厚意に感激していますよ。こうして傷を治療していただき、末期の水まで用意していただいて、ね」

「私は別に君を痛めつけたかった訳じゃない。拷問は手段であって目的ではないからな」

 

 リューデリッツはそこでコーヒーを一口飲んだ。

 

「私の後半生は君たちに捧げてきた。君たちを地獄へ叩き落すこと、それが私の生きる目的だった。……とはいえ、だ。君個人に対しては同情していない訳でもない。私がミヒャールゼンの一党を完全に叩き潰していれば、君のような若者が道を誤ることは無かったのかもしれない」

「小官も元帥閣下の境遇には同情しておりますよ。ティアマトの敗戦で二人の息子を亡くされ、慕っていたツィーテン元帥もお亡くなりになった。本当の仇であるアッシュビーは既に死に、七三〇年マフィアとの間には距離の暴虐が立ちふさがる。閣下が別の仇を追い求めたくなる気持ち、よく分かります」

 

 私は務めて優しい声色でリューデリッツに語り掛ける。そして一度言葉を切って続けた。

 

「だからと言って閣下の八つ当たりで殺されるのは御免ですが」

「……口の減らない男だ。共和主義者というのは全員こうなのか?普通は委縮するか衰弱していると思うのだが……」

 

 リューデリッツはそう言って溜息をつく。私は肩を竦めて応じた。

 

「まあ、君が何を言おうと君たちはもう終わりだ。ミヒャールゼンの遺志を継ぐ者が居るのではないかという疑惑はずっと抱いていた。それはリューベック騒乱で確信に変わった。ハウシルト・ノーベルは君たちを恨んでいた。自分が死ぬことがあっても君たちの存在を告発出来るように様々な手を打っていた」

「内通者の戯言を元帥閣下は信用なさったということですか。流石に元帥まで昇進なさる方は並の軍人と思考回路が違うようだ」

「私の場合は最初から君たちの存在を疑って全てを観察していた。『並の軍人』が見逃す証拠も君たちの存在を知っていれば見逃さない」

 

 私の嫌味をさらりと受け流してリューデリッツは続けた。確かにリューベック騒乱の後、ハウシルト・ノーベルの遺品から反帝国組織の存在を告発する文書が発見されたが、そもそも当の本人こそが自由惑星同盟への内通者である。憲兵総監部は殆どこの告発を間に受けなかった。当時の軍務省高等参事官フーベルト・フォン・エーレンベルク宇宙軍中将は独自に捜査に動いたが、ノーベルの周辺を洗ってもノーベルの言うような反帝国組織の影は無く、結局何の成果も挙げられないまま捜査を断念した。

 

「イゼルローン要塞建設は君たちへの撒き餌だ。勿論、本気で建設したいと思ってはいたがね。案の定君たちは尻尾を出した。シェーンコップ、ブレンターノ、そして君。……君にはリューベック騒乱以来ミヒャールゼン一党の疑惑が掛かっていたが、正直に言って本当に君がミヒャールゼン一党に加わっているとは思っていなかったよ。建国以来の名門帯剣貴族、ライヘンバッハ伯爵家の当主親子が反帝国組織に加わっているとはね……。反帝国組織の首領が『帝国の双璧』と呼ばれていたのかと思うと震えが止まらない」

「小官も同意しますな。もし小官と父が皇帝陛下と祖国を裏切っていたとすると、この国は既に滅んでいるでしょうから」

「いや、君たちは私から見れば売国奴だが、君たち自身は憂国の士を気取っている。君たちはサジタリウス叛乱軍の脅威を上手くコントロールすることで軍部を掌握すると同時に帝国の専制体制を少しずつ弱体化させていこうと考えていたはずだ。君たちはサジタリウス叛乱軍が帝国を支配するような状況は望んでいない。……まあ、この点に関してはただの推測だが」

 

 私は注意深くリューデリッツから情報を抜き出そうとする。この口ぶりからして彼はシュタイエルマルク元帥の情報までには到達していない。つまり、私は拷問を耐えきったということだ。

 

 ラディットの接触から数日が経った頃、警備責任者らしき男から私たちに対して別の収容所への移送が通達された。その日の内にルーゲンドルフ公爵とバッセンハイム大将ら一〇名程が私たちと別れて別の収容所に連れて行かれた。翌日には私と第六装甲軍司令官のブルクミュラー中将、兵站輜重総監部整備回収局長のアイゼナッハ中将らも連れ出され、護送バスに乗せられた。

 

 そして新たな収容所で私は機関に関する情報を尋ねられ、拷問を受けた。恐らく帝臨法廷に引きづり出して裁く為だろう。顔などに目立つ傷を作らないように配慮されていた……と思う。「と思う」というのは途中から意識が朦朧としていて、記憶が判然としないからだ。

 

 だが少なくともウォーターボーディングを受けたことは覚えている。知識として知っていなければきっとパニックになっただろう。幸か不幸か、文字通りの意味で死にかけたためにウォーターボーディングを受けたのは一度で済んだ。……殺してしまったら意味がない。

 

 正直自信は無いのだが、リューデリッツの下へ連れて来られる数日前には自白剤のような物を投与されたのではないかと疑っている。と言っても朧気に注射を受けている光景が記憶に残っているだけだが……。多分全力で歌を歌った気がするのだが、実際の所そこで何か不味い事を話していないとも限らない。リューデリッツの自信に満ちた態度と併せれば私を不安にさせるのに十分な可能性だ。

 

「元帥閣下が小官を叛徒と疑っており、それを確信していることはよく分かりましたが、何か証拠があるのですかね?仮にも伯爵家の嫡男を裏切り者呼ばわりし、拷問にかける訳ですから、何か確証という物があるのでしょう?」

「勿論だ。法廷を楽しみにしておくと良い」

 

 リューデリッツは鷹揚に頷いた。しかし……仮にそのような証拠があるならば私を拷問にかける必要などないはずだ。リューデリッツは能吏だが、別にフランツ・フォン・ジークマイスターのような偏執的なタイプでは無いし、アルブレヒト・フォン・クロプシュトックのような歪んだ正義感の持ち主でも無い。エルンスト・フォン・ファルストロングのような完璧主義者でも無い。優秀で非の打ち所がない理性的な能吏が、意味も無いのに容疑者を殺害してしまう可能性を認識した上で拷問にかけるだろうか?

 

 あるいは別に情報機関や治安機関に勤務していた訳でもないリューデリッツが拷問を軽く考えていた可能性もゼロではない。しかし、初日のウォーターボーディングで私は文字通り死にかけているのだ。社会秩序維持局がテロ組織の下っ端を拷問するのとは訳が違う。私の持つ情報の重要性を考えるに死亡のリスクには再三の注意を払うはずだ。その上で拷問を続行した以上はそれ単体で私の首を取れるような明確な証拠をリューデリッツが持ち合わせていないということではないか?

 

 尤も、これは希望的な観測かもしれない。それに続けられていた拷問が打ち切られているということは、リューデリッツが私の自白を基に何か明確な証拠を掴んだ可能性もある。とにもかくにも、だ。私が今できるのはとにかくリューデリッツに情報を与えず、リューデリッツから情報を引き出すことだ。最悪、自殺するにせよまずは状況を把握する必要がある。

 

「……ライヘンバッハ少将。これが恐らく最期だろうから聞かせてくれないか?何故君たちはこんな真似をするんだ?ティアマトで何人が死んだと思っている?パランティアでも、リューベックでも、ドラゴニアでも、大勢死んだぞ。君たちの友人や縁者も少なからず亡くなっているはずだ。そこまでして何を為したい?卑劣な殺人者になって何を為したいんだ?」

「元帥閣下、元帥閣下の質問に小官は答える言葉を持ちません」

 

 私はキッパリとリューデリッツの質問に返答しない意思を示す。しかし、リューデリッツは真摯な目で私を見つめ続けている。数〇秒ほど私たちは無言で睨みあう。やがて私の方が折れた。

 

「……閣下。小官が思いますに、その質問は閣下自身に為さることも可能かと思います。閣下は帝国軍人です。閣下の従軍なさった戦いでも、閣下が兵站を取り仕切った戦いでも大勢が死にました。その中には誰かにとっての良き友人や良き家族が居たことでしょう。そこまでして何を為したいのですか?卑劣な殺人者になって何を為したいのですか?」

 

 私がそう言うとリューデリッツは虚を突かれたような表情になった。そして少し悩んだ後こう言った。

 

「私が殺したのは叛徒だ。叛徒を全て討ち果たすことでこの宇宙に平和が訪れる。叛徒共は宇宙と全人類の秩序たる皇帝陛下に背く重罪人だ。我々帝国軍人が戦わなければ奴らはこの宇宙に混沌と堕落を齎すだろう……」

「これは一般論ですが叛乱軍はきっと同じような論理で自身の殺人行為を正当化するでしょう。閣下のお二人の息子も、ツィーテン元帥も、そのような論理で殺されました。……つまるところ小官が言いたいのはこうです。人間と言うのはくだらない大義の為にいくらでも冷徹になれるということであり……救いがたいのはそれが無意味では無く、確かに歴史の前進に繋がるということでしょう」

 

 私はやや抽象的な物言いながら、現状許される範囲で最大限誠実な答えを返した。リューデリッツは少し黙り込んだ後、「理解できないな」と吐き捨てるように言った。

 

「それで構いません。理解できない方が自然なのです」

 

 私は内心でさらに付け足す。「『大義』はその為になされたことが非難されない時にその正当性を失うものです」と。……この言葉をそのまま口にすれば婉曲な大帝ルドルフ批判に繋がる。人類世界の救済・銀河連邦の革新を口にして登場した大帝ルドルフは歴史の一部分においては確かに偉大な英雄だった。彼の正当性は、彼が自身とその大義の批判を一切許さない社会を完成させた瞬間に失われた。

 

「……互いに話すべきことは話しただろう。これ以上は時間の無駄だ」

 

 リューデリッツの言葉を聞き、背後に控えていた兵士が私を立たせる。

 

「最後に一つお聞きしたいことがありますが、我が父にも同じような尋問をされたのですか?」

「……していない。できない、の方がより正確な返答かもしれないがな」

 

 リューデリッツは私の質問に対してそう答えた。貴族家当主は様々な特権で守られている。そして元帥号を授与された者は退役後も不逮捕特権で守られている。その為、貴族家当主と元帥号保持者を司法で裁くには一度皇帝が爵位と元帥号を剥奪する必要がある。(貴族家当主については隠居させてから裁くという手もある)常識で考えれば、いきなり父を捕まえて拷問にかけるようなことはできない。

 

 とはいえ、クーデターという非常事態下で父が原則通りに伯爵家当主・退役元帥に相応しい扱いを受けているかは微妙であり、私は父も拷問を受けているのではないかと危惧していた。

 

「なるほど。それは良かったです」

「……良かった、か。確かにそう言えるかもしれないな」

 

 私が安堵してそう言うと、リューデリッツは含みのある言い方で応えた。私は怪訝に思ったが、両脇の兵士が私に退室を促してきた為に深く突っ込むことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七六九年四月二〇日。オーディン高等法院大法廷。数日前にオットー・ブラウンシュヴァイクらが死刑を宣告されたその場所で、私もまた死刑を宣告されようとしていた。

 

 帝国の司法制度は地方法院・高等法院・帝臨法廷の三審制を取っている。三審制、といっても民主国家のそれとは違う。銀河連邦時代の名残として残る三審制という制度であるが、銀河帝国では運用面で多大な問題を抱えており、全く機能していない。

 

 まずは刑事裁判についてだが、地方法院の判決に対する控訴は当該地方法院とその地方法院を管轄区に含む高等法院の双方が妥当と判断しない限りは認められない。ちなみに各地方法院はその地域の大領主の影響下に置かれていることが多い。……つまり、各貴族領での犯罪は事実上その貴族領の中で、領主の意向に多大な影響を受けながら裁かれることになる。そして裁かれる側の人間は不当な審理があったとしてもそれを上位の裁判所に訴え出ることが出来ない。

 

 また、高等法院の審理に不満があったとしても被告人の側から帝臨法廷の開廷を求めることはできない。帝臨法廷は原則として皇帝の意思『のみ』によって開かれる司法権の最高機関であるとされる。高等法院院長・司法尚書・(当該事件に関係する)皇族は皇帝に対し開廷を請願する権限、宰相・枢密院議長が高等法院院長・司法尚書に対し請願を要請する権限を持つが、皇帝がこれら臣下の意思を酌むかどうかは自由である。

 

 余談ではあるが、民事訴訟に関しても軽く説明する。民事訴訟では帝臨法廷の開廷は完全に皇帝の一存で決めることになり、臣下の側には開廷を請願する権利すら無い。一方で、地方法院を経由せず直接高等法院に訴訟を持ち込むことが許されている。私人間の関係では単一の地方法院よりも広い範囲を管轄する高等法院の方が適切な判断を下せる、という理屈だ。

 

 さて、そろそろ帝臨法廷とは何かという疑問に答えたいと思う。帝臨法廷とは読んで字のごとく『皇帝が臨席する法廷』である。院長及び一四名のオーディン高等法院判事、そして最低一二名・最大一八名――定数は無し、あくまで慣例の目安――の陪審員が出席し皇帝に法律的・政治的な見地から意見を述べ、皇帝はその内容を基に判決を言い渡す。先程説明した通り「司法権の最高機関」である為、判決は絶対であり、また判例主義を標榜する高等法院が最も重要視するのがこの帝臨法廷における判決である。

 

「……以上、諸般の事情を考慮し、被告人アルベルト・フォン・ライヘンバッハにはルドルフ大帝陛下勅令集第二編第七一条に規定される国家反逆罪を適用した上で、被告人の爵位を剥奪し、死刑に処するのが相当であると考えます」

 

 検察官を務めるのは開闢以来の名門官僚貴族家当主であるアルトリート・フォン・キールマンゼク伯爵である。旧リヒャルト大公派の一員だったが、先代がクロプシュトック事件で死亡したことで、粛清対象から外された人物だ。とはいえ、宮内省の官職を追われ、今では枢密院の片隅に議席を保つので精一杯という有様だと聞いていた。

 

「弁護人、審理の内容を踏まえ、被告人アルベルト・フォン・ライヘンバッハに対する判決の最終意見を述べよ」

 

 検察側のキールマンゼク伯爵の求刑・論告が終わり、判事席の真ん中に座るルンプ高等法院院長が厳かに命じる。その一段上では退屈そうに頬杖をついてボンヤリと法廷を見渡しているフリードリヒの姿がある。私はこの法廷で初めてフリードリヒが即位に同意し、クレメンツ一世が退位したことを知った。

 

「承知しました。院長」

 

 そう言って私の弁護人が立ちあがる。憲兵総監テオドール・フォン・オッペンハイマー大将、それが絞首台の上で首に縄をかけられた私を解き放とうと努力するただ一人の人間である。……そう、彼はあくまで努力するだけだ。本気で私を助けたい訳では無いし、むしろ本音を言えばさっさと黙って死んでほしい所だろう。

 

 オッペンハイマーという男はなかなかにしぶとい人間であり、ブラウンシュヴァイク派が粛清され、リッテンハイム派も少なからず打撃を受けた今回の一連の政変の中でどう立ち回ったか自分の命と職を見事に守り抜いて見せた。その彼が自分に命と職を安堵してくれたクーデター派から最初に与えられた任務が『アルベルト・フォン・ライヘンバッハのもっともらしい弁護』である。

 

 私の弁護人が『弾劾者ミュンツァーの再来』となることを避ける為に、おおよそミュンツァーに成りそうもない――そして立場上弁護人となってもおかしくはない――オッペンハイマーが選ばれたのだろう。当然その弁論は事前にリューデリッツから与えられた台本をなぞるだけの物にすぎない。

 

「……以上の点を考慮すれば検察側の求刑は重すぎて不当であると言えるでしょう。弁護側は被告人アルベルト・フォン・ライヘンバッハにはルドルフ大帝陛下勅令集第二編第七一条に規定される国家反逆罪ではなく、同編第七五条騒乱誘発罪、ジギスムント一世八号勅令(通称・国防保安法)違反、同九号勅令(通称・軍規保護法)違反との併合罪が適用されると考えます」

 

 オッペンハイマーは減刑を訴えるが、国家反逆罪とこれらの罪の違いは「国家に叛逆する意思」の有無である。しかも騒乱誘発罪は故意を要件としないが、国防保安法と軍規保護法は「情報を然るべき者以外に漏示する」旨の故意があれば十分であり、国家反逆の意思は問わない。しかし、情報漏示の故意が認められれば国家反逆の故意を推定するのは容易である。……ちなみに、故意を必要としない過失犯までもをカバーする法律としてはルドルフ大帝陛下勅令集第二編第七六条に規定される特定機密漏示罪が挙げられるが、オッペンハイマーはそちらには一切触れなかった。

 

 これはどういう意味か?簡単である。オッペンハイマーも「アルベルト・フォン・ライヘンバッハは意図的に背信行為に及んだ」と言外に認めているということだ。なんとも悪意ある台本だ。しかし、観客――傍聴席に詰めかけた主要メディアや有力者――にはこの悪意を見抜くことはできないだろう。

 

「被告人に対し最後の発言を許可する」

「……再三申し上げている通り、小官は無実であります。検察側が小官を反国家勢力の首魁とする大きな根拠は四点。一点目は自白、二点目は証言者、三点目はライヘンバッハ伯爵邸から発見された持ち出し禁止の機密書類、四点目はフェザーンの商社マンを装ったサジタリウス叛乱軍の工作員との複数回の接触に関する記録。小官はこの内三点目の機密書類の存在に関しては完全には否定しません。しかしながら残る証拠は全て虚偽のモノです」

 

 私は落ち着いた口調で話し出す。それは今までに何度も繰り返した言葉である。

 

「……この自白が虚偽であることは科学的見地から見て明白です。そもそも拷問や自白剤は意識レベルを低下させて尋問への抵抗力を奪う目的があり……にもかかわらず、この調書では些細な情報まで一つの矛盾も無く綺麗に……」

 

 私は雄弁に身振りを交えながら語り続ける。尤も意味はさほどないかもしれない。一五名の高等法院判事も、一五名の陪審員も全員リューデリッツの息が掛かっている筈だ。しかし、望みはゼロではない。開廷から暫くして気づいたことがある。検察官を務めるキールマンゼク伯爵も含めてリューデリッツと機関の長年の因縁を知らない者たちはこの裁判を茶番だと考えている。すなわち、軍部から頑固で融通の利かない帯剣貴族たちを追い出す為の儀式である、と。

 

 確かに常識で考えればその通りだろう。カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハは帝国の双璧と謳われた名将であり、宇宙艦隊司令長官を務めた男だ。そんな男が反国家組織の首魁であり、その息子も幹部であるなどというのは流石に荒唐無稽な話に過ぎる。今どき同盟の三文小説でももう少しマシなストーリーを作るはずだ。

 

 だから貴族たちは「常識的に」こう考える。軍部を掌握したいリューデリッツが対立勢力のライヘンバッハ派に仕掛けた陰謀である、と。

 

「小官の父カール・ハインリヒは元・宇宙艦隊司令長官です。機密書類を邸宅に持ち込んだことに関する非難は確かに甘んじて受け入れる必要はあるでしょう。しかしそれを以って、叛逆者の汚名をかぶせようとは、父が我らの祖国に果たした役割を考慮すればあまりに惨い仕打ちではないでしょうか?」

 

 ……ちなみに既に我が父、カール・ハインリヒはこの世にいない。政変の当日、帝都の異変を察知した我が父はアイゼナッハ男爵邸へ向かうのを中止し、自邸へ戻ろうとした。その最中クーデター派の部隊と鉢合わせた父の車は止むを得ず逃亡を余儀なくされた。そしてメルクリウス市東部のトゥーゲント大橋に差し掛かった折、クーデター派の封鎖部隊はついに父の車に発砲を始めた。故意か過失か、その内の一発が父の右後頭部に当たってしまった。

 

 このような詳細な情報も後々知った。私が父の死を知ったのは裁判が終わった直後、陪審員の一人として出席しているリヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルン伯爵の口からである。つまり、この時点では私は父がどうなっているのか一切分かっていない状態でひたすら抗弁を試みている訳である。

 

 私は抗弁を続ける。キールマンゼク伯爵……というより、その後ろにいるリューデリッツが示した証拠はやはりどれも決め手に欠ける。同盟工作員との接触記録に至っては明白な捏造だ。……だがまあ、それも無理はない。そもそも正攻法で私や父の首を取れるなら最初っからそうしているのだ。旧リヒャルト大公派に協力して政変を起こしている時点で、正攻法では攻めきれないと白状しているようなものだ。

 

「……以上、小官の最終陳述を終わります」

 

 私は最後に判事席、そしてその一段上に存在する帝臨席に最敬礼すると、証言台を離れた。普通の裁判ならば、後は判決の言い渡しを待つだけだが、帝臨法廷では一五名の陪審員がその場で自分の意見を述べる。それは制度的には何ら判決に影響を及ぼすものではないが、衆人環視の中で陪審員たちの多数意見を全く無視して皇帝が判決を言い渡すことは難しい。

 

「小官は被告人には国家反逆罪が成立する、と考えます。以下理由を述べます……」

 

 最初に立ちあがったのは軍務尚書フーベルト・フォン・エーレンベルク宇宙軍元帥。リューデリッツと共にジークマイスター機関を追い詰めた男である。彼が有罪を主張するのは当然のことだろう。エーレンベルクに続き、統帥本部総長リューデリッツ元帥、宇宙艦隊司令長官シュタインホフ元帥、近衛兵総監ラムスドルフ元帥、幕僚総監リンドラー元帥が意見を述べる。前者三名はクーデター派である、当然のように私の有罪を主張する。特にリューデリッツは「被告人を擁護することが最早国家反逆罪と言っても過言ではない」とまで断じた。リンドラー元帥はクーデター前の統帥本部総長だがどうやらクーデター派に同調して元帥号を保ったらしく、私の有罪を主張した。

 

 軍人が一段落すると、今度は閣僚である。宰相代理兼枢密院議長クロプシュトック侯爵、国務尚書エーレンベルク侯爵、司法尚書ルーゲ公爵、内務尚書リヒテンラーデ侯爵、宮廷書記官長リューネブルク伯爵、アンドレアス公爵、リンダーホーフ侯爵、グレーテル伯爵、ブラッケ侯爵、リヒター子爵。

 

「私は被告人の行為に国家反逆罪が成立するとは思わないし、被告人が主体となり反国家的組織を運営していたとも考えるのは難しいと思う。しかし、それでも被告人の振る舞いが軍人として相応しいものであったかは……」

 

 クロプシュトック侯爵は私を一瞥した後で私の国家反逆罪を否定した。しかしながらその論理はオッペンハイマーのモノと同じく私を軍規保護法違反とする意見だ。……軍規保護法は程度によって罰則に幅がある。最高刑は死刑だがその死刑に関しても連座制が適用されるものとされないものがある。私が叛逆者となった場合、婚約者であるコンスタンツェ――公的には婚約は解消されているが、私が彼女を匿っていたのは周知の事実である――も巻き込まれかねないが、軍規保護法違反であればコンスタンツェに影響を与えない道もある。

 

 エーレンベルク侯爵、ルーゲ公爵は私を国家反逆罪とするべきであるとしながらも、その語調はそれほど強くない。あくまでそういう意見を言えと頼まれたから言っているだけなのだろう。彼らもどうやらジークマイスター機関の実在は信じていないらしい。

 

 リヒテンラーデ侯爵はクロプシュトック侯爵と似たような論理を主張した。違う点としては「被告人は必ずしも更生の余地がないとは私には判断できない」という一言を足している点だ。陪審員の助言は暗黙の了解として量刑には触れないことになっているが、リヒテンラーデ侯爵の付け足した一言は死刑以外の量刑を示唆する表現である。

 

 リューネブルク伯爵は私の方を見て少し罪悪感を滲ませているように見えた。彼は直情径行な所があり、それ故に腹芸が苦手であった。リューネブルク伯爵は最初こそ私を国家反逆罪で裁くべきとの意見を述べていたが少しずつ私に温情をかけるような内容になっていき、最終的にリヒテンラーデ侯爵と同じように死刑以外の量刑を示唆した。……尤も、最初に「国家反逆罪で裁くべき」とハッキリ言っていることもあって、リューネブルク伯爵の意見表明は全体的に何を言いたいのかよく分からない感じだった。……同情するならもっとハッキリとやって欲しいものである。

 

 アンドレアス公爵とリンダーホーフ侯爵は「陛下の御意思のままに。臣はそれこそが正義に適うことと思います」とだけ述べた。帝臨法廷に陪審員として呼ばれたからと言って、意見を述べなければならない訳ではない。「皇帝に任せる」というようなことだけ言って引っ込む陪審員はそう珍しい事では無い。ただし、状況によってがそれで皇帝の不興を被ることもあるが。

 

 グレーテル伯爵は国家反逆罪の適用に肯定的な見解を述べた。彼の息子と私は友人だが、だからこそ、ここで私を守るような素振りを見せる訳にはいかないのだろう。

 

 ブラッケ侯爵は暫く目を閉じて黙っていた後、勢いよく立ちあがり、「私はこの段階で被告人が帝国法を犯していると判断することはできない」と断言した。その表情は苦渋に満ちていた。

 

「私は私の信念に従い、この作られたストーリーを否定する。例え……例えそれで何を失おうともだ。収容所に囚われた私の同志達が私の決断によって危難に遭うことは……絶対に許容できないししたくない……。だが、彼らはきっと私が折れることを絶対に許容しない。何故なら私がここで折れれば目の前にいる豊かな前途を有していたはずの青年は間違いなく刑場の露と消えることになるからだ。捏造された証拠、強要された自白、政治に従う司法、正義と人道に悖るあらゆる要素がここにある」

 

 ブラッケはそう言うと真っすぐフリードリヒを見つめながらこの裁判の構造的な問題点も含めて指摘し始めた。証言者の証言に存在する不審な空白や証拠との矛盾点。有り得ない程に都合が良すぎる、反国家組織の全メンバーを記してあるとされる証拠品。捜査側ならばいくらでも用意できるライヘンバッハ伯爵邸にあったとされる機密書類。

 

「陛下が臣の意見を参考にされるのであれば、もう一度再捜査を行うべきであります。カール・フォン・ブラッケ、伏して懇願申し上げます」

 

 ブラッケはそこまで言って座った。隣でオイゲン・フォン・リヒターが溜息をついて立ちあがる。

 

「言うべきことはブラッケ侯爵が言ってくださった。私もブラッケ侯爵の意見に賛同します」

 

 そこでリヒター子爵は「ただし」と断りを入れる。

 

「もしも法廷に提出された全証拠、全証言が本物であるならば、被告人は極刑を免れ得ないでしょう」

 

 リヒター子爵はさらりと「極刑」という単語を口にした。そして再び座るとまた溜息を一つつき、「やれやれ……」と首を振ってまた溜息を一つついた。

 

 ブラッケ侯爵とリヒター子爵は裁判の正当性を高める為に呼ばれたのだろう。彼らが公明正大な司法を望み、日ごろから口にしていることは知られている。その彼らが私を有罪と言えば、裁判全体の正当性も高まるという物だ。尤も、普通に二人を呼んでもリューデリッツたちに都合の良い事を言うとは限らない。

 

 後に知ったことだが、この時未だ開明派の一部官僚は収容所に囚われており、ブラッケやリヒターは彼らの安全と引き換えにクーデター派に恭順させられていたという。 

 

 ……一五名の陪審員が意見を述べ終わった後、皇帝は一五名の判事と共に別室に向かう。被告人に下す判決を決定する為だ。

 

 三時間の後、フリードリヒは一五名の判事を引きつれて法廷に戻った。帝臨席に座ったフリードリヒは高等法院院長ルンプ子爵から判決文を手渡される。そしてルンプ子爵が自らの席に戻って着席したのを確認して、フリードリヒは口を開いた。

 

「判決を言い渡す。被告人アルベルト・フォン・ライヘンバッハを――」

 

 私には分からない。それが銀河の歴史をまた一ページ進めたのか……




注釈26
 「三・二四政変」において当初からクーデター派に参加した部隊は以下の通りである。
・ゲルマニア防衛軍司令部
・ゲルマニア防衛軍所属第三〇二独立歩兵大隊
・ゲルマニア防衛軍所属第三〇三独立歩兵大隊
・ゲルマニア防衛軍所属第三〇四独立歩兵大隊
・ゲルマニア防衛軍所属第二六機甲師団
・ゲルマニア防衛軍所属第一八二野戦重砲連隊
・中央軍集団所属第二歩兵師団
・第一軍集団所属第一一独立混成旅団
・第一軍集団所属第五二歩兵師団

・黒色槍騎兵艦隊
・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区

 この内ゲルマニア防衛軍隷下の三個大隊を中核とし、兵員約四〇〇〇名が帝都中心部とメルクリウス市内を占拠した。

 襲撃部隊の目標は以下の通りである。上記する程優先度が高かったとされる。

・ブラウンシュヴァイク公爵私邸及び国務省(ブラウンシュヴァイク公爵の拘束)
・帝都防衛軍司令部
・内務省及び社会秩序維持局、保安警察庁
・軍務省
・高等法院及び司法省
・ブラッケ侯爵私邸及びリヒター子爵私邸(開明派盟主の拘束)
・近衛兵総監部
・門閥派閣僚私邸
・憲兵総監部
・ライヘンバッハ伯爵私邸並びにルーゲンドルフ公爵私邸
・開明派・中立派閣僚私邸
・宇宙艦隊総司令部並びに赤色胸甲騎兵艦隊司令部
・財務省並びに幕僚総監部
帝国国営新聞社(カイザーライヒ・ツァイトゥング)帝国一般新聞社(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)等、著名なメディア

 その重要性に比して近衛兵総監部と憲兵総監部の優先順位が低いのは前者が今なお少なくない影響力を持つラムスドルフ予備役上級大将によって容易に掌握できると判断された――「彼らは」そう考えたのだ、実際はともかくとして――からであり、後者は名士会議後、内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵による再捜査が終わるまで職権の制約を受けることが決定しており、脅威になり得ないと判断されたからである。

 この内、宇宙艦隊総司令部並びに赤色胸甲騎兵艦隊司令部は実際には襲撃が実行されなかった。また保安警察庁庁舎といくつかの貴族私邸は激しく抵抗したが、残る施設は殆ど抵抗無くして占拠された。

 一連のクーデターの中で無任所尚書ゾンネベルク伯爵と典礼尚書ヘルクスハイマー伯爵、さらに枢密院議長シュタインハイル侯爵、侍従長ノームブルク子爵がクーデター部隊に抵抗し死亡。その他拘束対象者の護衛など多数が死亡、もしくは重傷を負った。

 特に激しく抵抗した保安警察庁の犠牲者数は凄まじく、当時庁舎に出勤していた職員の二割が死亡、ほぼ全職員が負傷した。この一件は旧体制崩壊後まで残る遺恨となり、以前から友好的とは言えなかった軍と警察の関係を著しく悪化させる結果に繋がる。

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