アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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ミヒャールゼン暗殺事件とシュタイエルマルク黒幕説を書こうと思って気づいたら宇宙歴740年から書いていたという罠。


少年期・帝国版『有害図書愛好会』(宇宙歴755年1月3日)

 結論から言ってしまうと、私は幼年学校卒業のタイミングでジークマイスター機関に入ることになる。ただ、それよりも先に書いておきたいエピソードがある。私はジークマイスター機関の話を聞いて、素朴な「憧れ」のような物を持っていたが、それだけで私がジークマイスター機関に入る道を選んだかは怪しい。

 

 父たちを密告するという選択肢は絶対に有り得ないとして、私には「何も見なかった、何も聞かなかった」と自分に言い聞かせながら平凡な貴族軍人として一生を終えるという選択肢もあった。そうしなかったのは……やはりあの事件で帝国の現実を知ったからだろう。

 

 宇宙歴七五五年一月三日。私を含めた二〇人弱の生徒が幼年学校の敷地内にある特別教室棟の校舎に集まった。

 

 幼年学校一年生から三年生が、普通教育の一環で行う化学や音楽の授業の為に用意されたこの校舎は去年の四月から使われていない。新校長、エルンスト・フォン・カルテンボルンの『改革』の一環で、普通教育は大幅に簡素化され、愛国心を強調する『修身』、ひたすら軍事的な訓練に明け暮れる『教練』などに置き換えられた。「軍人に余計な教養は不要」という事らしい。

 

「ライヘンバッハ様、全員集まったようです」

「校長に気づかれていないか?」

「協力者が上手くやってくれている筈です」

 

 クライストは少し不安そうに答える。この場には旧第一八教育班のメンバーを中心に各身分の生徒が集まっている。大半が私と同じ四年生だが、他の学年も数名参加していた。私たちの共通項はただ一つ、校長エルンスト・フォン・カルテンボルンへ強い不満を有していることだった。

 

「ふん、『穴籠り』の派閥作りも多少は役に立ったな」

 

 ラムスドルフは吐き捨てるようにそう言った。そう、ラムスドルフを初めとする数人の上級貴族すらこの場には集まっていた。

 

「カルテンボルンの管理教育は限度を超えている、このままでは大変なことになるぞ……」

 

 ペインと言う名の子爵家令息がそう言うと、一斉に同意の声が上がる。

 

 新校長、カルテンボルンの幼年学校改革は我々の予想を超えた苛烈な物だった。まず従来の貴族・平民混合のクラスを分離・再編し、成績に関わらず平民に兵站輜重研究科や戦史研究科への編入を強制した。同時に貴族階級を全員戦略研究科か、統合作戦研究科のようなエリートコースへと編入した。

 

 それだけなら今までも稀にあった貴族偏重路線だと言える。だがそうではない、カルテンボルンは貴族側の転科希望も一切認めようとしなかった。さらに、貴族階級に対してこれまでの比ではない詰め込み教育を開始する。何せ、戦略研究科に入れておきながら従来の授業内容に加え、兵站輜重研究科や戦術研究科と言った他の科の授業も受けさせてきたのだ。常識外の詰め込み教育といって良い。

 

 対して平民に対しては恐ろしく無関心だった。最低限尉官クラスは務まるだろうが、それ以上の階級に必要となるような知識は一切与えなかった。従来の教育体制でも基本はそうだ。だが成績優秀者に対しては段階的に高度な教育を施す仕組みがあったのだ。カルテンボルンはそれを一切無くした。

 

 私生活に対する管理も強まった。長期休暇は大幅に削られ、最大で一週間に縮められた。建国記念日・大帝誕生日・皇帝誕生日を除く土日祝日は全て授業が詰め込まれた。校則は恐ろしく厳しくなり、「帝国軍人に相応しくない行動を取った生徒は退学処分にする」という条文が新設された。当然、この条文は恣意的極まりない運用をされている。

 

 監視カメラも大幅に増設された。同盟には「帝国でプライバシーが確保されているのは、トイレと風呂だけだ」という言葉があるらしいが、我々にはそれすらなくなった。「政治犯収容所でもまだマシだ」とはクルトの言葉だ。

 

 校長カルテンボルンの常識外の『教育』に反発が無かった訳ではないが、それを声高に主張したエルラッハを初めとする数人の生徒が即座に退学処分にされた。その発表の際にカルテンボルンが極めて高圧的な態度を取ったために、四月から溜まりに溜まっていた平民生徒の不満が爆発し、暴動が発生しかけた。それに対し校長は信じられないことに帝都憲兵隊の介入を要請して対応した。平民出身者七六名が反帝国分子として逮捕され、表向き校長に反発する動きは消えたが、水面下では校長を襲撃する計画すらあったらしい。

 

 ……ルーブレヒト・ハウサーら救国革命第一世代が多く巻き込まれたこの事件は今でも歴史の教科書に『帝国歴四四五年八月の幼年学校平民弾圧事件』として載っている筈だ。

 

 私や何人かの貴族生徒は流石に見過ごせず、それぞれ実家を頼り介入を試みた。校長が幼年学校に率先して憲兵を入れるなど、帝国基準でも常識外の行動である。それも共和思想が蔓延したとか、大きな事故が発生したとかなら分かるが、高圧的な教育方針に反発した生徒を抑え込むために憲兵隊を投入するなど、例えるならば子供の喧嘩にブラウンシュヴァイク公爵が介入するような物だ。……あの家ならやりかねないかもな。

 

 憲兵隊もいくら平民を対象にしているとはいえ、幼年学校生の「騒乱予備罪」での大量摘発には及び腰であった。そこに我々貴族階級から圧力がかかったために、憲兵隊はこれ幸いとすぐに逮捕者の殆どを解放した。ところが、校長は全員を退学処分とした。さらにカルテンボルンはこの時に介入した私たちを敵視し始め、貴族階級に対しても締め付けを強化することになる。

 

「図書室が閉鎖されたのは痛いよね。幼年学校で唯一の楽しみだったのに」

 

 クルトはそうボヤいたが、周囲からは無視された。図書館の閉鎖は「帝国軍人に相応しく無い蔵書が複数発見されたため、全ての蔵書を確認する」という名目で実行された。しかし、実際には憲兵隊に圧力をかけた生徒、特に図書室に入り浸っていた私たちへの報復であることは疑いようもない。……こういう時名門の名は損である。同じことをした生徒は他にも居るのに、気付けば私が一番目立っていた。

 

「あのさ、みんなこの会の目的を忘れてない?僕は単に『有害図書』を読みたいだけなんだけど」

 

 クルトは不機嫌になると皆に問いかけた。帝国では内務省情報出版統制局が毎年発禁本と青少年有害図書を発表する。当然ながら幼年学校において、これに該当する本を読むことは禁じられているが、カルテンボルンはそれに加え、自分が軍人にとって不要・有害だと考える書籍を『校内有害図書』に指定し、読むことを禁じた。これに猛反発したクルトが、ラルフと私を誘い、稀に見る熱意で作り上げた組織がこの『有害図書愛好会』である。

 

「もうそんなこと言っている場合でも無いだろ……。来年度からは校内に憲兵を配置するって話だぞ」

 

 ハルトマンと言う商人の息子が応じる。彼は有害図書愛好会の古参メンバーであり、オーディンの商業に影響を持つ父を通じて、幼年学校の出入り業者を利用して『有害図書』を持ち込む手筈を整えていた。

 

 宇宙歴七五四年六月八日、私を会長、クルトを副会長、ラルフを『非常勤参謀長』とし、ハルトマンを初めとする一〇数人の読書家や利害一致者を加えて『有害図書愛好会』は発足した。当初はその名の通り、『校内有害図書』の回し読みをしているだけだったが、八月の平民生徒弾圧事件を機にその活動内容は変化していく。

 

 強権を振るう校長に危機感を覚えた生徒たちが、精力的に活動する地下組織である『有害図書愛好会』に目をつけ、合流してくるのは自然な流れだった。もっとも、我々の組織が拡大した理由はもう一つあると思う。我々は生徒たちの支持を得るために、性的な方面での『有害図書』も入手していた。思想だの教養だのに興味のない生徒も女性には興味がある。そういう事だ。

 

 今ではラムスドルフやクライストすらこの会に参加している。定期的に会合を持っては『有害図書』の回し読みも程々に、カルテンボルンの強権から身を守る為の策を話し合っていた。

 

「そうだクルト。それに作戦が成功してカルテンボルンが失脚すれば『校内有害図書指定』も解除されるはずだ」

 

 私はクルトをそう言ってなだめると、皆の方へ向き直った。

 

「ケッフェル君、教育総監部の動きはどうだい?」

「ハーゼンシュタイン教育総監に批判的な一派が力を持ち始めています。元々、あの方の偏執的な忠誠心には大貴族たちも辟易していましたから」

 

 帝都教育政策審議会事務局参事官の息子であるケッフェルは答える。私の入学時、教育副総監を務めていたハーゼンシュタインは昨年に教育総監に昇格していた。

 

「カルテンボルン校長の登用には反対も少なくなかった。それが強行されたのはハーゼンシュタインの力が大きい。カルテンボルンの方針は徹頭徹尾『古き良き帯剣貴族を取り戻そう』『平民共は分を弁えろ』だからな。帯剣貴族大好きのハーゼンシュタインには魅力的だったんだろう」

 

 ラムスドルフが確認を兼ねて発言する。私は頷くと続ける。

 

「下地は出来たって所だね。カルテンボルン校長の足を引っ張ることが出来れば、後は勝手に反ハーゼンシュタイン派が潰してくれるだろう。とはいえ、エルラッハ君みたいに闇雲に叫んでも逆に潰されるだけだ、そこでクルトと私で一つ作戦を考えてきた」

 

 私はそう言ってクルトの方を見る。クルトは頷くと口を開いた。

 

「オーディン高等法院に校長を訴えよう」

 

 クルトの提案は皆の理解に至るまで数分を要した。

 

「高等法院だと?そんなことが……出来るのか?」

 

 やがて、ラムスドルフが半信半疑で発言する。

 

 銀河帝国では皇帝が立法権を持つ。だが、歴代の皇帝が好き勝手に法律を作ってきた結果、帝国の法体系は恐ろしく複雑であり、公平性どころか整合性すら取れていない法律もある。ところが、皇帝が決めた法律を変えられるのは皇帝だけである。その皇帝にしたって、既にある法律を変えるのは簡単ではない。父親や祖父が決めた法を子が変えるには相当の正当性が必要になるからだ。

 

 これらの事情から帝国において法律改正は滅多に行われず、問題が起こるたびに司法省は解釈変更によって何とか乗り切ってきた。その必然的な帰結として司法権の最高機関であるオーディン高等法院の力は強大化しており、宇宙歴七四七年/帝国歴四三八年には当時のオトフリート皇太子(後のオトフリート三世猜疑帝)が主導した租税法の大規模改正を断念に追いこんでいる。

 

 ちなみに、オトフリート皇太子は元々皇室の血を引くリンダーホーフ侯爵とコルネリアス二世の姉との間に生まれた子供だったが、当時の皇帝コルネリアス二世の体調が子供が居ないままに悪化したために急遽立太子された。立太子された時点で実力によって統帥本部次長を務めており、第二次ティアマト会戦後は統帥本部総長を務める予定だったが、同会戦の大被害を受け一時的に帝国軍三長官を兼任した。

 

「出来るんじゃないかな?オーディン高等法院はかつて帝国大審院と呼ばれ、官僚貴族の聖域だった。だけどマクシミリアン=ヨーゼフ二世陛下の宮廷改革の折に、オーディン高等法院と名を改められ、領地貴族出身の判事が多数登用された。晴眼帝陛下の意図は、官僚貴族と領地貴族が牽制し合って皇帝陛下の権力に逆らえないようにすることだった。だけど、昨今はオトフリート四世陛下の……その……色を好まれる気質もあり、高等法院が政治に果たす役割が極めて大きくなっている。そうだろうクライスト?」

「……よくご存じですな。その通りです。特にクロプシュトック本家のような大帝恩顧の領地貴族は外様を抑える為に高等法院を利用しております」

 

 突然話を振られたクライストは一瞬言葉に詰まりつつ、求められた通り解説する。コルネリアス二世の死後、オトフリート三世が後を継ぎ、そのオトフリート三世が猜疑心によって衰弱死した後はリンダーホーフ侯爵となっていた弟エルウィン=ヨーゼフ一世が緊急の中継ぎとして即位した。そして現在はオトフリート四世が皇帝なのだが……。政治にも芸術にも興味を持たず、ひたすら後宮に籠って子作りに励んでいる有様である。

 

 その間、オトフリート三世によって破綻は回避されたとはいえ、財政の危機的状況は何ら変わっていない。故に行政においてはその対処にあたるアンドレアス公爵やルーゲ伯爵ら官僚貴族の力が、立法においては皇帝の作った法律を自由に解釈出来る高等法院の力がそれぞれ拡大していた。

 

「そう、高等法院に官僚貴族系の判事が居ない訳でもないが、主流派は領地貴族系だ。仮に官僚貴族系の判事が当たったとしても、僕たちを粗略には扱わないはずだ。僕たち大勢の貴族子弟に恩を売れるし、軍部人事に司法権が介入出来たというのは彼らにとって喜ばしい先例になるだろう」

 

 クルトは得意気な表情でそう言う。

 

「オーディン高等法院は判例主義を標榜してはいるが、その実、貴族絡みの事件では恣意的な法律運用を繰り返している。個人的には気にくわないが、この際利用できるものは利用しよう」

 

 私はクルトにそう付け足した。だが皆の表情は懐疑的なままだ。そんな中で弁護士の息子であるビュンシェが手を挙げて発言する。

 

「どういう論理で訴えるんですか?」

「昨年の平民生徒弾圧事件で退学処分にされた平民生徒七六名を原告として、退学処分は校長の裁量権を著しく逸脱したものであると訴えさせる。証言者に私たちの名を連ね、弁護団は君の父親も含めた『大貴族御用達』で固める。そうすることでこれが単なる平民の訴えではなく、『我々』の総意であることも判事たちに伝える」

「……なるほど。昨年の事件で逮捕された生徒たちはいずれも不起訴処分となり、釈放されています。彼らを公的に退学処分とする理由はありませんね」

 

 ビュンシェは納得したように頷く。実際の所、退学処分が本当に校長の裁量権を逸脱しているかは微妙なラインではあるし、校長側にはいくらでも言い逃れの余地があるだろう。とはいえ、判事たちがここに居る全員、及びその一族とカルテンボルン校長のどちらを取るかは考えるまでも無く分かる。帝国の司法は力ある者が正義なのだ……。

 

「そういう訳だから貴族は実家と、平民は退学処分にされた生徒たちと連絡を取って、協力をお願いしてみてくれ。あとクライスト……」

「分かっています……本家筋の高等法院判事に協力を頼んでみましょう。ただ、ライヘンバッハ様は宜しいのですか?クロプシュトック派の高等法院判事を利用すれば、他の貴族たちは貴方様を本当にクロプシュトック派だと考えるはずです。単に幼年学校の中で済む話ではありませんからね」

「……分かっているさ。でも仕方がない」

 

 私はクライストにそう答えた。正直、派閥に組み込まれるのはあまり嬉しいことではないが、どの道この貴族社会では派閥と無縁でいられるはずもない。私が今まで比較的派閥から自由だったのは、第二次ティアマト会戦の被害で帯剣貴族の派閥バランスが大きく狂ったからだ。とはいえ、それも最近では再編されつつある。 

 

「クライスト様!協力者から連絡です。校長たちに気づかれそうだとのこと」

「分かった、ライヘンバッハ様!」

「ああ、それじゃあ皆、頼んだ。解散!」

 

 私たちは一斉に校舎を出て、いくつかの小集団に分かれる。全ての生徒が見つからないというのは不可能だ。私やラムスドルフのような、カルテンボルン校長でも迂闊に手を出せない大貴族の子弟が集まり、校長たちの注意を引く。クルトやハルトマンたちが我々と繋がっていることはバレているし、追手もかかっているが、それも逆手に取る。彼らはクライストやビュンシェ、ペインのようなノーマークの生徒たちが遠回りで宿舎に戻るまで時間を稼ぐ。我々はそうやって秘密会合を続けてきていた。クライストたちは宿舎に戻るとそこで騒ぎを起こしてクルトやハルトマンが帰還する隙を作る。そして最後に我々が堂々と宿舎へと戻るのだ。

 

 当然、カルテンボルン校長は激しく怒っているが、知ったことではない。どの道身分的に彼には私たちをどうこうすることなど出来ないのだ。結局彼は多少の奉仕活動を私たちに命じて、それで諦めざるを得ない

 

「おい、ライヘンバッハ」

「何?」

 

 宿舎に入り別れる間際、ラムスドルフが私を呼び止めた。

 

「……俺を見くびるなよ?ライヘンバッハ。お前は『伊達と酔狂で有害図書愛好会を作ったら、思ったより過激な組織になったけど、会長として責任は放り出せません』みたいな事を言っていたがな。最初からカルテンボルン校長を失脚させるつもりだったろ?お前が俺たちをその気にさせている間に、ラルフとクライストを使って既に根回しを始めていたのは知っている」

 

 ラムスドルフは私を睨みながらそう言った。私は正直、内心の動揺を隠すのに苦労した。まさかこの単細胞に気づかれるとは思っていなかったのだ。

 

「……最初から、というのは流石に違うけどね。『有害図書愛好会』という名称は確かに私の案だけど、組織を作りたいと言ったのはクルトだ。……でもさ、許せないって思ったんだ。去年の八月二四日、カルテンボルンは大勢の平民の前でエルラッハを足蹴にした。君はおかしいと思わなかったか?あのエルラッハがそこまでされても何も反抗しなかった。後に逮捕された七八名にも彼は入っていない」

 

 私はあの時の光景を思い浮かべる。カルテンボルンはエルラッハへ暴行をふるった後、平民たちを激しく罵った。

 

『祖国と皇帝陛下に命を捧げるだと?貴様らの命などゴミに等しい。ゴミを捧げられて喜ぶ奴が居るか!勘違いするなよ……貴様らがこの幼年学校で身の程知らずにも士官を目指していることはなぁ、本来は不敬罪で族滅されて当然の大罪なんだ。何が学ぶ権利だ、何が『軍人を分けるのは階級だけ』だ、図に乗るなよ平民共!』

 

『貴様らはゲルマン民族の血を引いているがな、所詮は下等種に過ぎん。我ら高貴なる帝国貴族と、貴様らが同じ民族だと思うなよ?貴様らはただ貴族の命令に従い、優等人種である我らに尽くすのが使命だ。それが出来ないのならば今すぐに死ね、死ぬことすら出来ないなら俺が殺してやる』

 

「七月一七日に、自殺した生徒が居るのは覚えているか?私とも顔見知りの生徒でね。一等臣民ではあったが、人種的ルーツは実はゲルマン系じゃないそうだ」

 

 私はそこで一度言葉を切る。

 

「私はエルラッハから聞いたよ……。その生徒はカルテンボルンが殺したそうだ。身の程を弁えない平民など生きている価値は無い、とな。そしてこう言われたらしい、お前たちが妙な真似をすればお前たちも殺すし、その友人も殺す、とな」

 

 エルラッハが幼年学校を去る日、私とクルトはエルラッハから全てを聞いた。『自分は平民階級の避雷針となることを心掛けていた。だが甘かった、私にそんな力はなかった』……そう言ってエルラッハは泣きながら、私たちに後を託した。

 

 甘かったのは私の方だ。知識としてそういう理不尽が起こり得ることは分かっていた。だが、どこか私にはそんな社会に自分が生きているという自覚が欠如していたように思える。……気持ち悪かった。信じられなかった。だが、聞かなかったことには出来なかった。

 

 不思議なものだ……。一度「そうである」と気づけば、同じようなことがこの国には有り触れていると気づいた。幼年学校の『平民いじめ』や『正当防衛』など可愛いものだ。

 

「だから、カルテンボルンを失脚させようと思ったのか?クロプシュトック派に身売りしてでもか?」

「……ああ」

「……貴様は馬鹿だな。まあカルテンボルンよりかはマシかもしれんが」

 

 ラムスドルフは呆れたような表情でそう言った。

 

「そう言えば何でラムスドルフ君は協力してくれたんだ?平民は嫌いだろう?」

「貴族らしくない貴族はもっと嫌いだ。……あいつは貴族が高貴たる一番の理由(ノブリス・オブリージュ)を分かっていない」

 

 ラムスドルフは激しい嫌悪を滲ませて吐き捨てる。……彼が良くも悪くも模範的な帯剣貴族であることを私は思い出した。

 

「そうか、君はそういう奴だったね……。有難うラムスドルフ君」

「握手だと……?そんな共和主義者みたいな真似できるか!」

 

 私が差し出した手を見て、ラムスドルフはそう言うと踵を返した。

 

 ……エーリッヒ・フォン・ラムスドルフは誇り高き帯剣貴族であった。他の誰が彼を貶めようと、私は彼の名誉を擁護し続けるだろう。




注釈9
 『帝国歴四四五年八月の幼年学校平民弾圧事件』、及び『幼年学校長弾劾事件』はその後の歴史に大きな影響を与えた。しかし、当時の人々にとってこの事件は大事件ではあったが、すぐに忘れ去られる程度の事に過ぎなかった。
 だが、それでも後世から見ればこの事件が与えた影響は決して小さなものではなかったことを今に生きる我々は知っている。

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