剣鬼と黒猫   作:工場船

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第四十九話:緋剣乱舞

「『黄昏の牙』……その魔剣が敵ということね」

 

「正確に言えば『御道修太郎の剣』ですが」

 

 尋ねるリアスに笑みを浮かべるアーサー。

 日が沈み、星も見えてきた時間帯の駒王学園旧校舎。崩壊を逃れた部屋にて彼女たちはアーサーの話を聞くこととなった。

 この場にはグレモリー眷族以外にソーナ率いるシトリー眷族も同席している。今現在この学園――いや、リアスたちを襲う脅威『黄昏の牙』の件は、彼女たちも無関係ではないからだ。

 

 妖刀、通称『黄昏の牙』が持つ能力は主に三つ。

 一つ目は触れた人物の精神に干渉し、意のままに操る力。これを応用して霊力の高い人間を呼び寄せることも可能だと言う。

 二つ目は刃に宿る退魔の力。その強度・密度は尋常なものではなく、異形の者にとっては掠り傷でさえ大きなダメージとなるほどだ。

 そして最後に超人的な剣技を授ける力。この妖刀を持った人間は、たとえそれが何の訓練も受けていない一般人であろうと、上級悪魔すら討滅しうる剣の使い手と化す。

 

 『黄昏の牙』はこれらの能力を駆使して人間の身体を借り、目に付いた魔物を駆逐しつつ日本にやってきた。何故魔物を殺すかという理由はおそらく、あの太刀が元々退魔刀であったからだ。暮修太郎が使っていた緋緋色金の太刀――それが妖刀の正体である。

 使い手を選ぶ魔剣は数あれど、使い手を操る魔剣などそうそう無いだろう。これでは剣と言うより「剣の形をした化け物」と言った方が正しいかもしれない。

 

 そして今回、リアスたちがその標的にされている。

 あれはおそらく、こちらがこの地を去るまで絶対に逃がそうとしない。

 アーサーはそう言った。

 あれは殺意を持つ機械なのだ。

 

 青年アーサー・ペンドラゴンはイギリスの所謂対魔物エージェント、であるらしい。

 名門ペンドラゴン家の聖剣使いとして国の要請を受け、日本まで妖刀を追跡してきたとのことだった。

 アーサーは説明を続ける。

 

「あの刃は対象が人から離れた存在であるほど威力を増します。『魔物殺し』ならぬ『異形殺し』と呼ぶべきでしょうね。たとえば……赤龍帝殿は悪魔でドラゴンなのでしょう? 受けるダメージは単純に、まあ倍以上と考えますか。だから未だに意識が戻らない」

 

「…………」

 

 リアスは背後を見る。古びたソファの上に兵藤一誠が寝かせられていた。

 あの後アーシアの治療により皆の傷は癒されたのだが、ディオドラと一誠だけ意識が戻らなかったのだ。

 ディオドラについてはわかる。致命傷に等しい大怪我を負い、血も足りていないからだ。彼についてはシトリー家を通じて冥界の医療施設に緊急搬送することで対応している。今頃アスタロト家にも連絡が行っていることだろう。

 

 その彼と比べて一誠の傷は手の平のみ。人ならば軽傷とは言い難いが、悪魔にとってはそう大した傷ではない。小猫の診断によると気の流れにも生命力にも異常は見られないとのことだったので、ほどなく目を覚ますかと思っていたのだが、未だ目覚める兆候は無い。

 命に別状はないのだ。これは別の要因があると考える方が妥当だろう。

 それが彼の言う『異形殺し』によるものなのかどうかは定かではないが、あの刀がもたらしたものであることは確実だった。

 

「私のところの匙も意識不明の重体です。アザゼル先生が急ぎグリゴリの施設に運びましたが、予断を許さない状態であるとのことです」

 

 ソーナが告げる。

 匙は一誠よりもひどい状態だった。その原因は彼自身ではなく、彼の神器にある。

 彼の神器『黒い龍脈(アブソープション・ライン)』は、ヴァーリと一誠、つまり二天龍のオーラを吸収したことで極めて不安定な状態となっていた。神器の特徴が生身に表れていたほどだ。そこに強力な退魔の力を流されたせいで、宿主の命にまで影響を与える過剰反応を示したらしい。

 今の状況で最も痛い出来事がそれだった。アザゼルは匙の治療を行っているため、ここにはいないのだ。

 一誠に起こった異変も、匙と同様に神器が絡んだものかもしれない。もしも彼がいたならば、何らかの意見を出してくれただろう。普段の素行は褒められたものではないが、何だかんだで頼りになる大人なのだ。

 

「まあそれはさておき、あの刀は間違いなくまたここにやってくるはずです。今後の対応ですが……あなた方はどうするつもりですか?」

 

「迎撃……するしかないでしょうね。あなたの話が本当なら、野放しにはできないわ」

 

 リアスは宣言する。

 だからこそ皆を学園に残している。

 このままでは自宅まで襲撃されかねない。そうとなればこちらも抵抗せざるを得ないし、その過程で周辺にも大きな被害が出るだろう。

 まさかこの地を放棄するわけにもいかない。リアスたちは魔王の指名でこの一帯を任されているのだ。

 可及的速やかに解決しなければ、夜も安心して眠れない日々を送ることになる。

 

「一応上に報告しましたが、おそらく対応は間に合わないでしょう。少なくとも、一両日は私たちだけで対処する必要があります」

 

 ソーナも同じ意見だった。

 聞けば妖刀が与える剣技は暮修太郎のものだと言う。道理で巡が後れを取るはずだ。その恐ろしさと出鱈目っぷりは眷族一同身に染みて理解している。

 厳しい戦いになるだろう。しかしやらねばならない。ここで逃げては何のために研鑽を積んでいるのかわからなくなってしまう。

 二人の返答に、アーサーは笑んだまま口を開く。

 

「考えはわかりました。しかし、あなた方だけでは分が悪い。確実に何人か死ぬでしょうし、使い手によっては半数が滅ぼされる可能性もある。ここは共同作業といきましょう」

 

「それは願ってもないことだけれど……具体的にはどうするのかしら?」

 

「簡単です。私があの太刀に勝ちますので、そちらは相手が逃げないよう場を整えていただきたい」

 

 当たり前のようにアーサーは答えた。

 リアスは直接見ていないため実感こそ湧かないが、話を聞く限り相当な難敵であるはずだ。朱乃たちが揃って迎撃しても敵わなかったことから、それは確実だろう。

 目の前の青年はそれに一人で勝つと言っている。

 

「……あなたにそれができるの?」

 

「本人であればともかく、劣化した『彼』ならばまあやれるでしょう。少なくとも、あなた方の被害は少なくなります」

 

 そう言って、傍らの聖剣に手をかける。

 鞘に覆われてもわかる濃密な聖なるオーラは、リアスにすらプレッシャーを与えるほどのものだ。

 ――『支配の聖剣(エクスカリバー・ルーラー)』。

 七つに分かたれたエクスカリバー、その中でも最強の一振りとされる代物。長らく行方不明とされていたはずのそれを、青年は手にしていた。

 

 『黄昏の牙』の退魔力は人間に対して効果を示さないのだと言う。この場において、迎撃に最も適しているのはアーサーだった。

 ペンドラゴン家の勇名はリアスたちとて知っている。妖刀に操られた女生徒を圧倒したという報告も聞いていた。

 彼は強いのだろう。それこそ人間では考えられないほどに。

 ならば――。

 

「私はその提案を受け入れるわ。ただし、危なくなったら割って入るし、操られた人の命もできるだけ助ける事。それでいいかしら?」

 

「私もリアスと同じ結論です。条件を受けてくださるなら、出来る限り敵を逃がさないよう支援しましょう」

 

 アーサーの提案はメリットこそあれど目立ったデメリットは無い。受け入れない理由もまた無かった。

 青年は彼女たちの返答を聞き、わずかに笑みを深くする。

 

「ええ、ご自由にどうぞ。持ち主の命についてもできる限り善処してみましょう。私はただあれと戦い、最終的に回収できればそれでいい」

 

 そう言って席を立つ。

 

「何処に行くの?」

 

「見張りです。いつどこから相手がやって来るかわかりませんからね。警戒は私が担当しますので、あなた方は準備をお願いします」

 

 それでは、と聖剣を持って退室していく。

 時間が限られているので仕方がないことではあるのだが、どうやら彼に協力者と親交を深めるという選択肢は無いらしい。

 ともかく話はまとまったのだ。リアスたちは己が眷族を率い、迎撃の算段を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「――何か御用ですか、デュランダルの使い手さん」

 

「ゼノヴィアだ。アーサー・ペンドラゴン」

 

「これは失礼。ゼノヴィアさん」

 

 夜も更けた旧校舎、修復の終わった屋根の上でゼノヴィアはアーサーに話しかける。

 聖剣を腰に夜闇を眺める青年は、ゼノヴィアを見ようともしない。今宵は曇天、星の光は地上へ一切届かず、故に漆黒の闇が周囲を取り巻いている。

 明かりの点いた建物周辺はともかく、それ以外の部分は人間の目では様子を窺うことなどできないだろう。しかしそれでも、アーサーは視線を外へ向け続けていた。

 

「……見張りを変わった方がいいんじゃないか? あなたの目では見えないだろう」

 

「そうでもありませんよ。第一、見張りと言ってもわざわざ目で見る必要はありません。音でも風でも、感覚を研ぎ澄ませば何かしら掴めます。例えば、今あなたが近づいてきたことを感知できたように」

 

 返答したアーサーの横顔が笑む。

 まるで修太郎と同じようなことを言う。妖刀を持った桐生を圧倒したことから、凄まじい実力を持っていることは知っていたが、もしかすると一定以上の達人は皆このようなものなのだろうか。

 

「あなたは師匠……暮修太郎と知り合いなのか?」

 

 疑問に思ったことを聞いてみる。

 妖刀に関する説明を聞いた時から彼が修太郎のことを知る人物なのは間違いないが、一応だ。

 するとアーサーはようやく振り向く。

 

「師匠……? あなたは彼の弟子なのですか? まさか……」

 

「あ、いや、そうだったらいいな、と思っているだけだ」

 

 問いかける彼は困惑の様相を見せていた。

 急に変わった相手の様子に、そこまでおかしなことを言っただろうかと思いつつ、慌てて訂正するゼノヴィア。

 

「……ふむ、なるほど。ならば悪いことは言わないので、やめておきなさい。彼に教えを乞うたところで何も益などありはしない。他を選んだ方が無難でしょう」

 

「それは、いったいどういう意味だ?」

 

 アーサーのひっかかる物言いに、思わず睨みながら問う。

 彼は目線を夜闇に戻して答えた。

 

「言ったままです。彼は剣士として最高の才能を持っていますが、それは誰かに分け与えられる類のものではない。たとえ弟子になったとして、そのリターンなど彼が持つものと比べてごくごくわずかでしかないでしょう。教えられるどころか逆にこちらが喰らい尽くされてしまうだけです」

 

 心当たりはあるでしょう? と青年は言った。

 その時ゼノヴィアの脳裏に浮かんだのは、修太郎がデュランダルを手足のように操る光景。そして『ゼノヴィアの剣』を完成させた情景だ。

 

「…………」

 

「驚きました、あれを受けてまだ彼の下を離れない者がいるとは。どうやらあなたは私が思うよりずっと強い御仁のようだ」

 

 ゼノヴィアの様子から彼女の経験を感じ取ったのだろう。アーサーの目に驚きの色が宿る。

 そうして話を続ける。

 

「ならばわかるでしょう。御道修太郎はこの世の剣士にとって恐れるべき天敵だと。一度でも剣を合わせれば技を盗まれ、昇華され、自分の歩む道の先……そのさらに先を垣間見ることになる。それは武の探究者にとってこの上ない絶望でしょう。聞けば彼はまた腕を上げたと言うではありませんか。それはあれほど極まっていながら、まだ伸びしろがあるということに他ならない。少しばかり才能がある程度では差は広がる一方ですよ。まともにやってはまず追いつけません」

 

「……ならばあなたはどうなんだ。追いつけないと言うなら、何故あの時桐生を――あの女生徒を見捨ててまで敵の剣を観察したりした? 自分だけは別とでも言うつもりか」

 

 ゼノヴィアは語気を強める。

 諦めの言葉を吐きながらも、アーサー自身は全くそう思っていないように見えた。まるで他人事のような彼の様子に、思わず苛立つ。

 

「ああ、何かと思えば聞きたかったのはそのことですか。確かにあれは興が乗り過ぎました。今となっては反省するしかない。しかし可能性はあるかと思いますよ。例えば……彼が持っていないものを使えば」

 

「持っていないもの……?」

 

 疑問に思ってすぐ、それが何なのかわかった。

 

「聖剣……か?」

 

「そう。人類が望みうる最高の肉体を持つ彼ですが、聖剣使いとしての因子だけは持てなかった。確かに『アーサー・ペンドラゴン』は『御道修太郎』に勝てませんが、そこに彼が持たない要素を足せば勝負にはなる」

 

 そう言って、アーサーは鞘から剣を抜きはらう。

 刃から発せられる聖なるオーラが爽やかな風を起こすと、瞬く間に旋風と化してアーサーの周囲を取り巻く。聖剣の支配力が巻き起こる風を加速させ、増幅しているのだ。

 おそらく、この能力を使ってゼノヴィアが放ったデュランダルの光波を分解したのだろう。恐るべき力だった。

 

支配の聖剣(エクスカリバー・ルーラー)……良い剣です。苦労して手に入れた甲斐はある。まあ、彼にはどこまで通じるかわかりませんがね。ああ、そう言えば最初の質問ですが……」

 

 アーサーがこちらに振り向く。

 笑みを湛えるその瞳はやはり虚ろだ。整った容貌に夜闇が作る影も相まって、まるで人形にすら見える。

 

「彼には過去、妹共々大変世話になりましてね。ふふふ、こっぴどく負かされました」

 

「……妹?」

 

「ええ、妹がいるのですよ、私には。ただし不肖の……と呼んだ方が適当でしょうか。随分家を空けてしまっているので、今回の件は手早く済ませて戻らねばなりません」

 

 そして剣を抜いたまま、ゼノヴィアの横を通り過ぎる。

 凶器を手に持ちながら、しかしあまりに自然なその動き。もしも剣を振るわれたなら、まったく気づかず両断されていただろう。

 どっと冷や汗が噴き出す。

 

「何をしているのですか? ゼノヴィアさん。敵が来たようですよ。さあ、戦いの時間です」

 

 そう告げる彼の笑みは、どこまでも冷たい刃のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の夜に涼しげな風が吹く。

 駒王学園グラウンド。曇天の空では月光も星の光も地上へ届かず、ただただ見通しの悪い闇だけが広がる。夜目のきかない人間ならば、明かりが無ければ歩みもおぼつかないほどだ。しかしこの場――学園に集う者たちはその大半が闇の住人、魔に属する存在である。故に敵の姿をはっきりと視認することができた。

 

 一誠を除くグレモリー眷属と匙を除くシトリー眷族たちが囲む中、緋色の刃を携えて闇から現れたのは暗色の外套を身に纏う人影だった。

 肩幅の小ささからおそらくは女性と思われた。フードを被っているため顔までは窺えないが、雰囲気からして歳は若いように見える。

 

「あれが『黄昏の牙』……」

 

 前衛組の後ろでリアスが呟く。

 初めて見た緋色の刃は宝石のように美しく、しかし奈落のような底知れない恐ろしさを纏っている。純血の上級悪魔として、本能が恐怖を訴えているのだ。握ってもいない手の平に汗がにじむのを感じた。

 

「……あの恰好、確実に一般人じゃありません」

 

 人物を見て、小猫が分析する。

 相手が纏う外套は魔法的な力を発している。確かにこの町は異能を持つ者も多い。おそらくその一人を捕まえたのだ。あの装備がどういった効果を持っているかまではわからないが、警戒する必要があるだろう。

 

 太刀の持ち主は静かに歩みを進め、こちらに近づいてくる。

 それに相対するのはアーサー・ペンドラゴン。濃密な闇の中、緋剣と聖剣が放つオーラの輝きが狭く周囲を照らしている。

 

「ふむ、これは……」

 

 剣を構えつつ、何やら考え込んだアーサーは困った表情を見せる。

 どうしたのか、と一同が思ったその時、太刀の持ち主が剣を握っていない方の腕を前に差し出した。

 籠手に覆われたしなやかな指先が、素早く曲げられる。

 

「皆さん。出来ればでいいので、躱してください」

 

 この場でアーサーの言葉を認識できた者は半分。その意味を理解した者はさらに半分。

 次の瞬間、夜闇を無数の銀糸が斬り裂いた。

 

「……え?」

 

「なっ……!?」

 

「そん、な……」

 

 舞い散る鮮血。

 飛来した斬糸は極細、夜目のきく悪魔すら光無しには見切れない。さらに無音、そして疾風の速度で飛来したならば、ただそれだけで回避できる人物は限られた。

 リアスもソーナも朱乃も椿姫も、皆立ったまま動かない。いや、動けないのだ。全身に巻き付き肉に食い込んだ退魔鋼糸が、彼女たちの身体機能を特殊な術法で封じていた。傷を受けつつも凌いだのはゼノヴィア、木場、小猫、巡の四人のみ。

 信じられないことに、相手の動作一つでメンバーの大半は戦闘不能になってしまった。

 

「どうにも来るのが遅いと思っていたら、なるほどこれを仕掛けていたのですね。対鬼神用の封殺鋼糸を用いた糸の結界、陰陽隠密が退魔鋼糸術……ですか」

 

 多くが倒れる中、アーサーだけは無傷で佇んでいる。その剣腕と聖剣の力で迫る銀糸を全て捌いたのだ。

 

「しかし、誤算だ。これでは協力を求めた意味も……まあいいでしょう。どちらにしろ予定に変わりはない」

 

 アーサーは静かに相手へ歩み寄る。太刀の持ち主も己が刃を構えた。

 高まる剣気が臨界点に達したその時、両者の姿はゼノヴィアたちの前から消失した。

 

 ぶつかり合う風と風。地上だけでなく皆を斬り裂いた糸の結界を足場にして、地を空を、激しい火花が流星のように駆け巡る。

 空中を交差する一瞬でいったいどれほど多くの刃を交えているのだろう。巡の目を以ってしてやっと追える速度と技量は、まさしく次元が違う。地が割れ、木々は倒れ、オーラの余波で校舎に深い斬傷が刻まれていく風景は、とてもこの世のものとは思えない。

 

 どうやら妖刀が新たに得た担い手はかなりの実力者であるらしい。桐生が使っていた時とは比べ物にならない力を発揮している。

 援護? 介入? そんなことは不可能だ。これはゼノヴィアたちの手に負える事態ではない。

 

「……ここはいったん彼に任せて、僕たちは仲間の救出をしよう」

 

「そう、ですね。アーシア先輩がいれば、まだ立て直しがききます」

 

「それにしても、まさかこれほどだなんて……」

 

 木場の言葉に小猫と巡が動き出す。皆の表情は苦渋に満ちていた。当たり前だろう、脅威を前に何もできないことほど悔しいことは無い。

 しかしゼノヴィアは戦う二人の様子を見ながら困惑していた。

 

「鋼糸……鋼糸だと? まさか……」

 

 嫌な予感がする。

 鋼糸術は確かに修太郎も使える技だが、それを行うには相応の素養と厳しい訓練が必要だと言っていた。故に使い手は少ないと聞いたこともある。それをまるで手足のように繰り出せるあの人物はいったい何者なのか。そもそも、退魔鋼糸などという特殊な装備をどこで手に入れたと言うのだろう。あの妖刀が技を授けても、肝心の得物を持っていなければ話にならないはずだ。

 ゼノヴィアはその条件を満たす人物を知っていた。『彼女』はちょうど今日この町に戻ってくる予定だったからだ。

 

 剣を交える二人の衣服は、互いの放つ斬撃の余波で傷を作っている。

 桐生とは鍛え方が違うのだろう、剣の力を引き出してなお未だ影響を見せない太刀の使い手だったが、表面積が多い分アーサーのスーツ以上に外套はボロボロになっていった。

 とうとう、外套が全て剥がれる。そうして露わになったその素顔は――。

 

「イリナ……!」

 

 緋色の刃を握るのは、栗毛をツインテールにまとめた少女。晴明桔梗の紋様が入った隠密衣装に身を包む、ゼノヴィアの元相棒だ。

 外套が剥がれると同時、イリナは刀印を結ぶ。

 途端、宙を舞う外套の切れ端が闇色の霧と化す。おそらく外套には幻術が仕込んであったのだろう、イリナの姿は闇にまぎれて見えなくなった。

 しかし。

 

「逃がしませんよ」

 

 アーサーは素早い動きで移動し、何も無い空間に刃を一閃する。

 甲高い金属音と共に、緋剣を構えるイリナが姿を現した。彼はあの一瞬で幻を見抜いたと言うのか。

 

 素早く飛び退ったイリナは、追随するアーサーへと銀糸を放つ。

 退魔鋼糸は元より闇にまぎれやすい加工が施されているのだろう。ゼノヴィアの目では全く捉えることができない。人間であるアーサーからすれば尚更見えにくいはずだ。

 しかし斬撃の糸は青年を避け、周囲の大地を斬り裂くにとどまった。おそらくは支配の力で糸の軌道に干渉したのだ。

 故にイリナを追うアーサーは止まらない。

 

 アーサーの斬撃乱舞によって無数の聖光波が飛び交い、縦横全方向からイリナを包囲する。支配の力の応用技だ。

 隙間の無い包囲網に対し、イリナは超速の斬撃で対応する。脱力、そして瞬発の繰り返しは、まるで鞭のようにしなる刃となって迫る光波を消し飛ばす。

 その隙を突き、がら空きになった胴体にアーサーの剣先が走った。

 接近の速度が乗った鋭利なそれは、しかし相手に触れる直前で止まる。いつの間にか張り巡らされた鋼糸が聖剣の鍔部分を絡め取り、それ以上の接近を封じていた。

 

 しばし膠着する二人の剣士。

 イリナの指先に魔法力――法力が集まる。練り込まれた力が術として起動すれば、青白い炎が鋼糸の上を走った。陰陽法術が陽火――退魔呪法の火だ。

 疾走する火炎が暗闇を青白い輝きで照らす。糸の上を伝い、それは聖剣を絡め取られたアーサーへと迫る。

 それだけではない。炎の疾走はグラウンド全体に張り巡らされた糸の結界にも及んでいた。この糸はリアスたちの肉体に食い込んでいる。つまりイリナは――妖刀は、邪魔者と標的を同時に攻撃するつもりなのだ。

 

「この術……御道修太郎のものではありませんね。やはり、宿主の技能も扱えるのですか」

 

 アーサーが呟く。

 火から感じる脅威度はさほどでもない。おそらくは初歩の術なのだろう。弱い悪霊には効果てきめんでも、中級以上の実力を持つ悪魔ならば手の一振りで払える程度だ。

 しかし、食い込んだ糸から肉体内部に流し込まれれば話は別。瞬く間に致命的な猛毒となって身体を蝕むだろう。

 アーサーは聖剣の力を使って拘束から素早く剣を引き抜き回避した。だがリアスたちの方は――。

 

「くっ! 聖魔剣よ!!」

 

 純白の風が吹き荒ぶ。

 凍てつく波動と共に疾風は駆け抜ける。黒白の刃が吹雪を放ち、走る火種を弾き飛ばした。

 窮地を救ったのはグレモリーが最速の『騎士』木場祐斗だ。

 彼が手に持っている剣は吹雪を纏っている。氷と風、二種類の属性を融合させた聖魔剣の応用技だった。

 

「あ、ありがとう、祐斗……」

 

「……危ないところでした。しかしこの糸、聖魔剣でも斬れないなんて、いったい何で出来てるんだ……」

 

 礼を言うリアスに対し、木場の焦りは抜けない。

 依然としてリアスたちの脱出は叶っていなかった。不可思議なオーラを放つ鋼糸は、聖魔剣の鋭さを以ってしても斬り裂けないのだ。

 

「……聞いたことがあります。陰陽師の中には金属の糸などを用いて魔を封じ、そして討滅する使い手が存在すると。元来術師としての才能に恵まれなかった彼らは体術を磨くとともに、弱い魔法力で強敵を滅するための様々な方法を編み出したのだそうです」

 

 リアスの傍らに拘束されたソーナが口を開く。

 

「その技を、イリナさんが……?」

 

「暮さんの技かもしれませんが……どちらにしろ、この状況は間違いなく致命的です。もしもアーサー・ペンドラゴンが負け、木場くんたちが敗れるようなことがあれば、私たちは一人残らず滅ぶでしょう。早く脱出しなければ」

 

 驚くリアスと冷静に判断するソーナ。

 アーサーという抑えがなくなれば、次は木場たちだ。もしもそれすら突破されたなら、もはやイリナを――あの妖刀を止める術は無い。

 リアスたちも魔力を練ろうと抵抗を試みたものの、オーラが霧散してうまくいかなかった。ギャスパーも霧化を封じられているようで、絡め取られた者は誰一人抜け出せていない状況だ。

 アーサーとイリナの激突を窺いつつ、木場は背後に呼びかける。

 

「ゼノヴィア! そっちは?」

 

「ああ、もう少し……だっ!!」

 

 デュランダルの鋭利なオーラが繊維を削りきれば、アーシアを封じていた鋼糸が斬り裂かれた。拘束の糸がバラバラと落ち、闇にまぎれて見えなくなる。

 この場で鋼糸を断ち切れるのは、ゼノヴィアのデュランダルだけだった。流石は最強の切れ味を持つ聖剣と言うべきか、だがしかしながら作業は難航している。この鋼糸はたとえ糸の結界から切り離しても、対象に食い込んでる部分はそのまま残ってしまうのだ。

 聖剣、特にデュランダルクラスのものとなると、オーラだけでも悪魔にとって致命傷となる。常に莫大な聖なるオーラを纏うデュランダルでは、身体に食い込む糸だけを斬ることは至難の業だった。

 

「次は部長を。消滅魔力ならこの糸も何とかなるはずだ」

 

「ああ、わかった。くそっ……私がもう少しデュランダルを制御できていれば……」

 

「ゼノヴィアは良くやっているさ。出会ったころのキミなら、こうはうまくいかなかったと思うよ」

 

「そうならば、いいんだけどね……」

 

 そうしてデュランダルの刃をリアスに食い込む糸へと近づける。しかしオーラは安定せず、糸を削る速度にはむらが生まれていた。

 自分が集中できていないことを自覚する。理由は妖刀に憑りつかれ敵となったイリナ、そしてアーサー・ペンドラゴンにある。

 アーサーがイリナを倒すのか、それともイリナにアーサーが敗れるのか。彼女の目ではどちらに転ぶかわからない。しかしどちらであっても、ゼノヴィアにとって良い結果にはならないだろう。

 

 今は迷う時ではない。目の前のことを確実にこなさなければならない時だ。

 大きく深呼吸するゼノヴィアだったがしかし、胸の鼓動まで落ち着かせることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは良い身体だ。

 太刀はそう思った。

 今現在、太刀が操るこの少女――紫藤イリナはとても良く鍛えられていた。

 瞬発力高く、それでいて柔軟。若干膂力には欠けるものの、太刀がもたらす技さえあれば前者二つで補える。霊力は水準以上、法力だって中々のものだ。鋼糸術のためか、全身の筋肉に力が行き届く。剣術一辺倒ではこううまくはいかない。

 強度自体もこれまでの者と比べて高い。当人の気質によるものか、芯から活力にあふれているのも良かった。これならば内功を練り気を巡らせ、大きな無理せずに剣技を扱える。

 大事にすればかなり長持ちするだろう。使える技自体は半分にも満たないが、これだけの逸材は中々いない。

 

 故に――。

 

「ぼ、僕の目が――視線が、斬られたぁ!?」

 

 半吸血鬼の悪魔が喚く。

 何のことは無い。邪眼から発せられた干渉力を斬り裂いただけだ。形を持たぬから斬れないなどと、いったいどこの誰が決めたと言うのだろう。この程度、驚くに値しない。

 しかしそれが隙となったのか、目の前の相手が放った刃に身体を弾かれてしまう。

 

「ふむ、これは手強い」

 

 そのまま追撃すれば反撃の刃を放ったものを、相手は聖剣を油断なく構えこちらの様子を窺っている。

 先ほどから厄介なのがこの男だった。本来であれば既にこの場の悪魔全員始末しているはずのところを、この男一人に阻まれている。

 そのおかげで、いつのまにか悪魔たちの半数以上は自由の身になっていた。

 

 しかし太刀は焦るという感情を持たない。あくまでも冷静に対処しようと行動する。

 まずは目前に立ちふさがっている『何かに憑りつかれた男』を倒すとしよう。

 

 刃を鞘に収め、腰を低く構える。

 居合抜刀術だ。

 刹那の間、全身を脱力。そして疾走へ移行。

 月緒流が幻惑の縮地によって、距離感を惑わしつつ接近する。特殊な足捌きは短距離ながら凄まじい緩急を生みだすがしかし、男はそれに惑う様子を見せない。

 やはり見抜かれている。

 だがそんなことはどうでもよかった。要は近づければよいのだ。

 

 柄を握る腕が動くと同時、解き放たれた刃は音速を超える。

 太刀の刃渡りは1メートル足らず。抜刀の開始は間合いと言うのにやや遠い位置だった。しかし放たれた斬風は鋼よりも硬く、太刀の鋭さをそのまま反映させながら男へと飛んだ。

 

 しかし男は見切る。虚ろな瞳をこちらに向けたまま、斬風を打ち消しつつ超音速の剣を己が刃で受け流した。

 疾走の幻惑に惑わず、斬風を見切り、あまつさえ流すとは。凄まじい技量だ。称賛に値する。まさか初見でこれを凌げるとは思わなかった。

 

 だがしかし、鈴鳴る刃は既に届いた。

 

「――ッ」

 

 男は素早く飛び退るも遅い。

 傾げた頭の右側面が大きく裂け、鮮血を撒き散らす。

 この攻撃の本命は抜刀斬撃でも斬風でもない。

 『音』である。

 刃を抜きはらう際発生した音を圧縮、指向性を与え、音速の刃として放ったのだ。

 

 音の刃は指向性を持つが故に前兆をほとんど持たず、届く直前まで並の者には感じ取れない。感じ取れたとして、もはやその距離では回避不可能な状況となっている。つまり刃鳴りを聞いた瞬間、その者は既に斬られている。

 

 この技は月緒流でも、ましてや他の流派でもない。当時15歳の御道修太郎が魔人を打倒するべく考案した、我流剣法の一つである。

 超音速の抜刀と広範囲を薙ぐ斬風という回避至難の二段構えだけでは飽き足らず、遅れてやって来る音の刃が成す三段構えの魔技だった。

 

 完全に凌いだはずなのに何故――男に生まれたわずかな困惑、その隙を突いて銀糸を放つ。手足を封じ、全身を拘束し、札を穿った棒手裏剣で大地に縫い付けた。

 この退魔鋼糸は大鬼神・両面宿儺の頭髪が使われた特一級品だ。現代最強の陰陽師でもある神降ろしの巫女が手ずから込めた封魔の術によって、たとえ上級の魔物だろうと一度絡まれば逃げ出すのは容易ではない。

 もはや動けぬこの男だが、駄目押しに術を放つ。瞬く間に青白い炎が走り、男は火に包まれた。

 

 これでいい。

 こちらの消耗も軽くはなかったが、最大の障害は去ったのだ。

 己が身に込められた念に従い、太刀は疾走を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 最悪の結果だった。

 桁違いの戦闘力を見せる紫藤イリナとアーサー・ペンドラゴンの戦いは、理解できない刹那の応酬で決着がついた。ついてしまった。

 ここから先、リアスたちは己の身を己の力だけで守らなければならない。一見当たり前のそれが、今ではとてつもなく難しいことのように思えた。

 

「……僕が先行します。隙を作るので攻撃を」

 

 木場の剣が形を変える。美しく反った片刃の聖魔剣――『閃空刀(フラッシュ・ウィンド)』だ。

 次の瞬間、一陣の風を残して木場の姿が消失した。

 

 直後、激突する鋼と鋼。

 イリナは木場の神速剣を難なく受け止めていた。

 そして始まる剣戟の舞。

 上下左右四方八方、風と駆ける木場は鎌鼬を生み出しながら果敢に攻め立てる。鋭利な嵐は相手を包囲し、糸を放つ隙を与えない。

 だがそれだけだ。

 

(やはり、防がれるか……ッ!)

 

 巡巴柄の時と同じ、いやそれ以上。

 桁違いの反応速度が閃空刀の斬撃を悉く受け流す。鎌鼬すら掠りさえしないことを考えれば、相手の技量は想像を絶するものだ。

 おそらくこれが妖刀――否、暮修太郎が持っている力なのだ。

 

 そしてその刃を見て思う。

 身の毛もよだつ、というのはこういうことなのだろう。

 使い手ではない。妖刀そのものが自分たちを殺そうとしている。そのことがはっきりわかるのだ。

 研ぎ澄まされた殺気は死を幻視するほど深く濃く重い。オーラの色はこれ以上ないくらいに無垢で純粋、美しいとさえ言えるのに、恐ろしさしか感じなかった。

 火に触れれば火傷するのと同じく、あれに斬られれば死ぬしかないと確信を持って言える。

 

 あれはこちらに何の悪意も持っていない。欠片の興味も無いだろう。

 だが殺す。死ねと告げる。

 それが使命、それが存在意義とでも言うかのように。

 無慈悲にして無感情、しかし極めて強い指向性――これは、機械の殺意だ。

 だからこそ恐ろしい。あれは絶対にこちらを逃がしてくれない。

 故に、ここで止めなければ。

 

 リアスたちは援護のタイミングを計りながら戦いの光景を眺めた。

 目の前には果敢に攻め立てる木場の姿。霞む速力は彼の全力、傍目には背後に下がるイリナが圧されているようにも見えた。しかし実態は逆、まさしく大人と子供の戦いだ。

 

 旋風纏う斬撃に、イリナは片手で袈裟薙ぎを繰り出す。木場の刃がそれを迎え撃った。

 

「ダメだ木場ッ! その剣は消える!!」

 

 ゼノヴィアの口から出たのはそんな言葉だった。

 直後、聖魔剣と緋剣が交わる。彼女の予告通り、イリナの剣は消失した。

 

「なッ……!?」

 

 否、交差の瞬間手首を曲げることで剣を引き戻し、木場の斬撃を躱したのだ。

 柄の半ばを緩く握った手の平は、その動作によって鍔方向にスライド。間を置かず行われたスナップで斬撃を加速させるとともに、握りを柄頭へ移動させる。伸びた間合いの分だけ身体を後ろに下げれば、刃の長さを保ったまま相手の剣を躱すことができる。相手からすれば、消失した刃が再出現したように見えただろう。

 柔軟かつ強靭、正確無比な手首の操作がそれを成す。

 月緒流が対人剣技、『霞昇星(かすみしょうじょう)』。

 

 後ろへの動きを交える関係から、この技は受け手に回ったときでなければ使用できない。

 動作のタイミングは極めてシビア。才ある剣士すらこの技一つ習得するのに一生涯を懸けることになる難易度の絶技だ。

 

 ゼノヴィアの忠告が功を奏したのか、それとも彼自身の尽力によるものか、木場は緋剣の一撃を辛うじて凌ぎ、何とか命を拾うことに成功する。

 ただ、無傷では済まない。左肩が大きく斬り裂かれ、鮮血をほとばしらせる。

 

「ぐっ……が……ッ!!」

 

 苦痛に顔を歪める木場。

 傷口から身体全体に冷気が駆け巡り、魔力を霧散させようとしていた。心はまだ戦えるのに、身体が言うことを聞いてくれないのだ。思わず意識が飛びそうになるが、何とかこらえる。

 致命的な隙を作る彼を助けたのは、己が主たちによる支援砲火だった。

 

 消滅魔力の弾丸が、黄金色の雷撃が、氷雪水撃の弾幕が、雨のように降り注ぐ。

 その危険度がわかったのだろう、イリナは木場への追撃よりも自身の防御を優先した。緋色の軌跡が攻撃の雨を駆逐していく。

 

 半ば予想していたとはいえ、その光景はリアスからすれば堪ったものではない。

 母方の血族、大王バアルから受け継いだ消滅の力は、名の通り『滅び』そのものだ。当たれば必ず何かを削る、攻撃としては最強クラスの特性を備えている。

 あの刃はそれを前にして、完全に立場を逆転させていた。

 朱乃の雷光や卓越したソーナの攻撃のみならず、消滅魔力すら逆に消滅させるほどの力、そのような魔剣・妖刀など聞いたことが無かった。

 

「いったい何だと言うの……?」

 

 思わず苦い表情になる。何故自分たちの前にやって来る敵はこうも強い者ばかりなのか。

 妖刀に操られた紫藤イリナはこちらを一蹴するほどの使い手になっている。殺す気でかからねば瞬く間にやられる可能性が極めて高い。

 自分たちの敵は妖刀だ。できることならそれは避けたいが、そうも言ってられない状況がここにある。

 

 鋼糸からの脱出もシトリー眷族はソーナだけしか済んでいない。絶望的な状況であるが、逃げるわけにはいかなかった。つくづく、一誠を冥界のグレモリー領に送っておいて良かったと思う。

 

 イリナを場に釘づけるべく魔力を振り絞るが、長くは続かないだろう。少しでも力を緩めれば、即座に突破される確信があった。

 そう考えた直後、緋色の旋風が爆撃を突き破る。無数の斬風を重ねて放った刃の嵐は、大地を抉りながらリアスたちを飲み込まんと迫る。

 

「くそっ!!」

 

 デュランダルの波動がそれを打ち砕くが、元より敵の本命はそれではない。

 爆撃に空いた穴から紫藤イリナが駆け抜ける。

 

 巡がそれを迎え撃つ。魔力を強め、相手を殺す気で刀を振るう。

 しかし彼女の剣は精彩を欠いていた。昼間穿たれた肩はアーシアの力で完治しているが、霊体の方は未だ傷ついたままだったのだ。

 駆ける緋剣が日本刀を両断すると、鮮血と共に巡は倒れた。

 

 イリナの足は止まらない。

 水と氷の壁を斬り裂き、雷撃網を霧散させ、消滅魔力を塵に変えながらリアスたちに迫る。

 その光景は全く以って出鱈目に過ぎた。何せ傷つき爆散する大地を、刀片手に少女が走ってくるのだ。

 

 イリナの――妖刀の狙いはリアスにあった。彼女が持つ滅びの力を最も大きな脅威と見なしたのだ。

 アーシアが防壁を重ねて城塞が如き壁を作るが、紙のように引き裂かれる。ギャスパーが再度の時間停止を試みるも、切っ先が邪眼の力をかき消した。

 背後に置き去られた木場が、聖魔剣より炎の嵐を放つ。一瞥すらされず、振りぬかれた刃が熱ごと炎を断ち切った。

 これほどの手を尽くしてさえ、止めるどころか相手の進路を変えることすら出来ない。気付くと、緋剣はリアスの目前にまで迫っていた。

 

 それを阻んだのは小猫だ。

 リアスの心臓を目指す刀身に横から蹴りを入れた。そうして初めてイリナの足が止まる。

 だが今度は返す刃が小猫目掛けて走る。最小にして最適、一切の無駄なく駆け抜ける一閃が、少女の正中線を両断するべく下方より襲い掛かった。

 

 そこに振り落とされるは青の聖剣デュランダル。

 鋭利なオーラとオーラの激突が、周囲の空気を大きく震わせた。

 

「イリナ……ッ!」

 

 無言のイリナは素早く腕を切り返し、ゼノヴィアに斬りかかる。

 腰を深く据えたゼノヴィアは、体重移動を駆使してそれら全てを捌ききった。余裕は全く無い。全てギリギリの対応だ。冷や汗が頬を伝うのを実感する。

 

「離れてくれ! イリナの相手は私がする!」

 

 言葉を放った直後より、剣戟の応酬が始まる。

 ゼノヴィアの身の丈に匹敵するデュランダルの間合いは、妖刀よりもはるかに大きい。自分の距離を保っていれば、相手の刃が届くことは無いはずである。

 しかし相手は斬撃を飛ばす術を持っている。だがそれはアーサーがやっていたように聖剣のオーラで打ち消すことが可能だった。

 

(間合いを保て、武器の長所を活かせ)

 

 一歩でも踏み込まれれば喰われるのはこちらだ。

 膂力で勝る状況であれば、力押しは決して悪手ではない。大剣の重さで振るわれる剛剣の一撃一撃が、イリナの刃を大きく押し返す。それによって生まれた動きの空白が、相手の攻撃機会を減らしていた。

 

 修太郎の剣は嫌になるほど受けている。その一瞬一瞬を、頭ではなくゼノヴィアの身体は覚えていた。見切れなくとも感覚で予想はできる。

 確かに妖刀は超絶の剣技をもたらしてはいるが、修太郎の才能を全て与えているわけではない。彼の化け物じみた対応力を、今のイリナは持っていないのだ。

 ゼノヴィアに勝機があるとすればそこだった。妖刀が致命的な技を繰り出す前に畳み掛けなければならない。

 毎日の訓練を思い出せ。集中しろ、もっと強く、もっと速くできるはずだ。

 だが及ばない、全て凌がれてしまう。

 

 アーサーの言葉が頭をよぎる。

 修太郎に勝つには修太郎に無いものを使うことだと、彼は言った。

 

(デュランダル……!)

 

 斬撃の権化、デュランダル。

 長い付き合いになるが、未だに使いこなせないゼノヴィアの聖剣だ。

 今こそ力を貸してほしい。そう願う。

 イリナをここで止められなければ、この場の全員は皆殺しだ。そんなこと彼女にはさせられないし、させてはならない。何よりもゼノヴィア自身がそうしてほしくないと思っている。

 

 ならばどうするか。

 斬るのだ。あの妖刀を。

 

「うおおおおおおっ!!!」

 

 渾身の膂力を込めて緋剣を弾く。

 その隙を突いて一歩下がり、大上段に振りかぶった。

 剣を弾かれたイリナも、腰を落として抜刀の構えを取る。

 そして、両者ともに脱力。

 

 合図は無かった。しかし撃発は全くの同時。

 超音速で鞘走るイリナの一刀に対して、ゼノヴィアが放った剣は確かにその時雲耀の領域にあった。極限に達したデュランダルの切れ味が、あらゆる抵抗を斬り裂いたのだ。

 

 交差は刹那、遅れて轟く爆音が余波と共に空気を震わせる。

 オーラの激突が旋風となり、砕ける大地、捲れ上がる地表が視界を塞ぐ。

 互角のぶつかり合い。はたして、勝者はどちらとなったのか。

 

「――あれは……!」

 

 空へ退避したリアスたちは、宙を舞う緋剣を見た。

 イリナの手に、もはや妖刀の姿は無かった。ゼノヴィアは勝ったのだ。

 

「やっ、た……!」

 

 自分の全てを出し切った感覚が脱力感としてゼノヴィアに降りかかる。一つ壁を超えたという、その実感があった。

 目の前には静かに佇むイリナの姿。

 イリナはゼノヴィアへ手を差し出した。

 

「イリナ――」

 

 その手を取ろうとした瞬間、違和感に気付く。

 イリナの指先からは鋼糸が伸びていた。はるか天へと、蜘蛛の糸のように。その先には、空中に制止する緋剣があった。

 

「イリ、ナ……」

 

 呆然と、そう口にするのが精いっぱいだった。

 彼女が指を素早く曲げれば、まるで流星の如く刃が落ちてくる。

 ゼノヴィアは勝ってなどいなかった。これもまた、妖刀の術中であったのだ。

 迫る緋剣を止めるものはない。ゼノヴィアにも躱すだけの力は無かった。

 これで終わりか、と目を閉じようとした。

 その時だった。

 

 

 

 

「目を閉じるな、前を見ろゼノヴィア」

 

 

 

 

 低く平坦な声が耳に届く。

 傍らを風が駆け抜ける。

 緋剣を弾く銀の閃光、鮮やかなその軌跡はゼノヴィアが憧れた力強い刃だ。

 広い背中が、少女の目前にあった。

 

「よくやった、あとは俺が請け負おう」

 

 鍛え抜かれた長身痩躯、纏う空気は刃の鋭さ、その眼差しは猛禽類を想わせる。

 

「――師匠……!」

 

 男の名は、暮修太郎。欧州最強にして日本最強の剣士である。

 

 

 




大変お待たせしました、更新です。

愛刀のやりたい放題。そんな話。

陰陽隠密の人たちは基本的に対妖怪の斥候などを担当する裏方ですが、戦闘においては身体の中に直接術をぶち込んだり滅茶苦茶えげつない戦い方をします。鋼糸は硬い相手に効きづらいので、知恵ですね。
イリナ=サンは京都でそういうのを学びました。

次回、色々と決着。

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