新人提督と電の日々   作:七音

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異端の提督と舞鶴での日々 進撃の眞理杏瓊、第二章・お嬢様と日系二世

 

 

 

 梅雨の季節を間近に控えた某日。

 晴れ渡る空の下、桐林は母港を一望できる監視所に立っていた。

 眼下に臨むは、繋留された数多の軍艦たち。

 励起を待つその中でも、緑・白・赤のイタリア国旗をマストに掲げる船を確認し、桐林が後ろを振り向く。

 背後に控えていたのは三人の女性。練巡姉妹の香取・鹿島、工作艦の明石だった。

 

 

「明石。説明を頼む」

 

「了解です。では……」

 

 

 呼び掛けられ、明石が前へ。

 桐林の左隣に立った彼女は、イタリア国旗を掲げる船を指し示しつつ、その名前を列挙する。

 

 

「手前から順に、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦二番艦、リットリオ。同四番艦、ローマ。マエストラーレ級駆逐艦三番艦、リベッチオ。

 そして、ザラ級重巡洋艦一番艦、ザラ。同三番艦、ポーラ。

 更に更にっ、貨客船改装空母であるアクィラ型航空母艦一番艦、アクィラです!」

 

 

 航続距離を犠牲に、攻・走・守を高い水準で併せ持つ戦艦二隻。

 後のイタリア駆逐艦のベースとなった、風の名前を持つ駆逐艦一隻。

 重装甲と長射程砲を持ち合わせ、引き換えに雷装を持たない、一風変わった重巡二隻。

 そして、史実では未成艦ながら、正規空母に匹敵する性能を期待された空母一隻。

 

 計六隻の、かつてイタリア海軍に属した軍艦が、舞鶴の港に鎮座していた。

 その錚々たる威容を前に、鹿島は思わず感嘆の吐息を漏らしてしまう。

 

 

「わぁ……。これ全部、イタリア国籍の軍艦なんですよね?」

 

「その通り! いやぁ、ここまで揃えるの苦労しましたよー」

 

「そうでしょうねぇ。そうでしょうとも。……所で、明石主任」

 

「あ、はい。なんでございましょう、香取第一秘書官様」

 

 

 妹に続き、鷹揚に頷いている香取だったが、明石へと向ける言葉には、重い含みがあった。

 それに心当たりがありまくった明石は、背筋を正し、しおらしく次の言葉を待つ。

 

 

「先ほど提督が求めたのは艦の説明ではなく、どうして“命令にない艦を建造したのか”、という事への説明なのだと思われますが?」

 

「うっ。そ、それは、ですねぇ……」

 

 

 ビクリ、と肩を揺らす明石。助けを求めて桐林の方を見つめてみるが、彼は無言で頷くばかり。

 どうやら、香取は彼の心中を的確に言い表しているらしい。

 明石も流石に観念して、ポツポツと事情を語り始めた。

 

 

「あ、あのですね? フランさんからEメールで送られてきた設計図、あったじゃないですか。

 こっちで造ったのを送るより、そっちで造った方が安全で安上がりだし、取り敢えず主だった船の設計図あげるから役立ててねー、って」

 

「ええ。他国の軍関係者に、自国の軍艦の設計図と仕様書を丸っと投げてよこすとは、豪胆としか言いようがありませんね。流石はMs.ペトルッツィです」

 

「ですよねー。で、ですね。その設計図を眺めている内に、こう、造ってみたいなぁーという欲求が湧き上がってきたんです。

 しかし私は頑張った! 提督の命令には無かったから、建造するのは戦艦と駆逐艦だけだって、自分を抑える事に成功したんです!」

 

「ほう。成功したんですか」

 

「したんです! ……私は。でも、妖精さんたちが、妖精さんたちがぁ……っ」

 

「勝手に工廠の片隅で、資材をチョロまかしながら、重巡と空母を三隻も高速建造していた、と」

 

「ですです! そうなんですよぅ!」

 

「……はあぁぁああぁぁぁ……」

 

 

 今にも泣き出しそうな顔で、明石は言い訳をする。

 聞かされる香取はといえば、五秒近く掛けて、長〜い溜め息をつく。

 今朝方、持ち回りで鎮守府内を巡回警備していた長波から、「なんか、昨日までは無かったはずの船が増えてんだけど?」と報告を受けた時は、耳を疑ったものだ。

 が、現にこうして目の前に船はあり、下手人も自供した。

 ままならない現実は、激しい頭痛のタネとなって香取を襲う。

 

 

「え、ええっと。確か私たちの艦隊って、編成に厳しい制限がされているんでしたよね?

 特に、重巡洋艦と航空母艦に関しては、励起も許されない場合があるとか」

 

「その通りよ。おかげ様で、確実に戦力になるはずの装甲空母──大鳳も、励起できずにいるわ。

 なのに、隠れて重巡二隻と空母を建造していた、なんて事が露見したら、一体どうなるやら……」

 

 

 なんとか場を取り繕おうと、鹿島が話を継いでみるものの、どうやっても重苦しい空気は拭えなかった。

 桐林が予定していたのは、リットリオ、ローマ、リベッチオの計三隻であり、書類の申請上もそうなっている。

 彼の特異な“力”を警戒し、海外艦の建造・励起に対して神経質になっている上層部がこれを聞きつけたなら、十中八九、槍玉に挙げられてしまうだろう。

 その事実を重々承知していたはずの明石は、先程までと打って変わり、意気消沈した様子で頭を下げる。

 

 

「ごめんなさい……。私、一生懸命やってるつもりなんですけど、うちの子たち、昔よりも私の気分とか気持ちに、敏感になってるみたいで……。本当に、ごめんなさい」

 

 

 今は明石と呼ばれるこの少女が、人工統制人格として生まれ変わってから早数ヶ月。

 工作機械を使役する精度も、効率も、速度も。ただの能力者であった頃より、遥かに向上していた。

 けれど、それとは対照的に低下してしまったのが、使役妖精たちの持つ“揺らぎ”である。

 他の統制人格の協力を得て、建造や開発を行う場合には、より方向性が強く定められるという有用性を発揮する。

 逆に明石が単独で行う場合、失敗する確率や、想定しない結果を出す確率が上がってしまう。

 要するに、強大になった“力”を持て余している状態なのだ。

 

 御しきれぬ“力”を得た時、人がどんな気持ちになるのか。

 それを理解していた桐林は、明石の肩へ手を置き、頭を上げさせる。

 

 

「気にするな。起きてしまった事は変えられないんだ。なら、どうにかする。上は自分が納得させよう」

 

「……出来るんですか? そんな事が」

 

「やる。いざとなれば、命令書の粗を突くだけだ」

 

 

 力強く頷いてみせる桐林に、明石は声もなく驚く。

 失敗を責めるどころか、それを飲み込んだ上で、上層部への対処にも自信を見せる。かつての彼ではあり得ない反応だ。

 けれど、これも成長の証明。

 終始難しい顔をしていた香取は、桐林の言葉に諦めがついたのだろう。

 嘆息し、それからいつもの笑顔を浮かべた。

 

 

「提督がそう仰るのでしたら、私からは何も。鹿島、貴方はどう?」

 

「へ? ……あ! も、問題ないかとっ。提督さんの思う通りにやって下さい。私たち、全力でサポートしますので!」

 

「……助かる」

 

 

 急に話を振られ、鹿島は一瞬惚けるも、すぐさま気を取り直し、桐林へと微笑んでみせる。

 命令だから、というだけではない。

 たとえ上層部からの覚えが悪くなろうと、彼の支えになる事が二人の至上目的であり、それが皆の幸せに繋がると信じているからである。

 

 信頼の眼差しを向けられる桐林も、微かに微笑んでいる。

 ここ最近、鹿島の前でもよく見せるようになった顔だ。

 ちょっとは信頼度が上がったのかな? と内心でホクホクする鹿島であった。

 

 

「そろそろ良い時間ですね。提督、私は先に戻ります。お出迎えをしなくてはなりませんし」

 

「ああ、そうだな」

 

「あれ? お客さんでも来るんですか?」

 

「そういえば、明石さんにはお話してませんでしたよね。桐谷提督の娘さんが遊びにいらっしゃるんです。……横須賀の、方々を連れて」

 

「あー。そう、なんですか」

 

 

 腕時計を確かめ、先にその場を離れた香取の言葉に、首をかしげる明石。

 代わりに鹿島が説明するのだが、段々と、明るかった表情が落ち込んでいく。

 この明石が、横須賀に居た整備主任の少女であった事は、今以て最重要機密のままである。

 うっかり鉢合わせすれば騒ぎになる事も間違いないため、昔馴染みと再会する事も叶わない。

 居心地の悪そうな明石を、桐林が呼ぶ。

 

 

「……明石」

 

「あ、大丈夫です。分かってますから。私は工廠で色々と準備する事がありますし、また今度って事で」

 

 

 けれど、彼が何か言う前に、明石自身が話を終わらせる。

 どうしようもない事だ。

 いずれ解決しなければならない問題だが、今はきっと、その時ではないから。

 それでも、彼女の中に隠しきれない寂寥感を見つけた鹿島が、更に肩を落としてしまう。

 

 

「寂しい、ですよね……。今すぐにでも、本当の事を話せれば……」

 

「あはは。まぁ、そのうち会えるでしょ。だからそんな顔しない! ね? ほらほら、桐谷提督の娘さんが待ってますよ!」

 

 

 明石は大げさに笑い、桐林と鹿島の背中を押して、庁舎へと送り出す。

 監視所から降りる階段の所で、後ろを振り返る二人。

 小さく手を振って、笑顔を浮かべたままの明石。

 それが強がりであると分かっていても、それこそ、どうしようもない事で。

 

 

「行くぞ、鹿島」

 

「……はい」

 

 

 アロマ・シガレットを咥える桐林に、鹿島は続く。

 吐き出した煙は、明石の元へと届く事なく、消えていった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 執務室のドアを開けると、無人であるはずの室内には、予想外の人影が二つあった。

 白と灰黄色の和装。左腰に差した日本刀。

 航空戦艦、伊勢型姉妹である。

 

 

「あ、提督。戻って来たんだ」

 

「……伊勢か。日向まで、どうした」

 

「私たちも君の統制人格だ。執務室に居て、おかしくはないだろう」

 

「それは、そうだが」

 

「いやね。例の子が来るって聞いたから、一回顔を見ておきたくて。提督のお嫁さんになるかも知れない子なんでしょ?」

 

「そんな予定は──」

 

「なに言ってるんですか伊勢さん! 提督さんに結婚のご予定なんて“まだ”ありませんし! ですよねっ」

 

「……そう、だな」

 

「なぜ鹿島秘書官が答えるんだ……?」

 

 

 いつも通り飄々とした伊勢。

 言葉は少ないながら的確な日向。

 そして、結婚発言に「キシャーッ!」と噛み付く鹿島。

 入り口から執務机までの短い距離の間に、早速一悶着を起こしてしまう辺り、鹿島はある意味で安定している。

 その勢いに気圧されつつ、桐林は自らの席へ。

 伊勢も同じように机へと寄り掛かり、日向が窓辺に。

 落ち着きを取り戻した鹿島は、定位置である自分の机へと向かう。

 

 

「とにかく、この前は工廠の方に居たし、戻って来たら来たで、香取秘書官が接見禁止命令出してるし。興味あるのは本当よ。横須賀の子も来るんでしょう? 挨拶くらいは、ね?」

 

「私としては、扶桑型の二人と会ってみたいのだがな。同じ航空戦艦、通じるものもあるだろう」

 

「……そうか」

 

 

 めいめいに語る、伊勢と日向。

 マリの策略によって始まったこの交流会(?)だが、その影響は思いのほか大きいようだ。

 いつか、扶桑や山城と彼女たちが対面したら、どのような化学反応が起きるのか。

 少しばかり不安に思う桐林だった。

 

 と、そんな時、控えめに執務室のドアがノックされた。

 

 

「提督、香取です。千条寺 眞理──様が、お見えになりました」

 

「ああ。入ってくれ」

 

 

 来賓の到着を告げられ、執務室の空気は引き締まる。

 が、香取の言葉に妙な“引っかかり”を覚えた伊勢は、鹿島へ思念を飛ばした。

 

 

(……ねぇ、鹿島秘書官。なんか、名前と様の間に変な空白がなかった?)

 

(えっ。……き、気のせいじゃありませんか?)

 

(いや、私もそう感じた。香取秘書官は、何か含むところがあるのだろうか)

 

(ええと、あの、後でご説明しますから! とにかくあの子の名前はマリちゃんなので! そういう事でお願いします、お二人共!)

 

(……よく分からんが、承知した)

 

(私もりょうかーい)

 

 

 ビクリ。思わず頬を引きつらせるものの、鹿島はどうにか誤魔化した。

 言えない。言えるはずがない。彼女の本名が眞理杏瓊だなんて。

 途中から参加した日向など、明らかに納得してはいない様子だが、とにかく深い事情があるのは察したらしく、ゆっくり開くドアに居住まいを正す。

 

 香取に連れられて入室する、三人の少女。

 そのうちの一人──以前に来た時と同系統の、純白のワンピースに紺色のケープを合わせるマリが、執務机の数歩前で立ち止まり、丁寧な一礼を。

 

 

「桐林提督。本日は、御多忙にも関わらず歓迎して頂き、大変、嬉しく存じます」

 

「ようこそ、マリさん。どうか気を楽に。我々も、堅苦しい挨拶は好みませんので」

 

「……では、お言葉に甘えて。お久しぶり、です。桐林さん」

 

「お久しぶりです」

 

 

 一通りの挨拶を終え、マリが柔らかく微笑み、桐林は無表情ながら、しかし声に温かみを乗せる。

 彼にしては珍しい反応だ。

 心を許している……のかも知れないと、伊勢と日向は感じた。

 

 次いで、マリの同行者である二人──セーラー服を着る暁、響が進み出る。

 けれど……。

 

 

「し、ししし司令官! ごご、ご機嫌ようなのですわ! 本日は、お、お日柄もよく、晴天に恵まれまして……っ!」

 

「暁、落ち着いて。別の挨拶になっているよ。ほら、深呼吸。ひっひっふー」

 

「ひっひっふー、ひっひっふー。……ってこれラマーズ法じゃない!?」

 

「流石は暁。よく知っているね。Хорошо」

 

「バカにしてる? ねぇ響、バカにしてるでしょ!? 暁はお姉さんなのにぃー!」

 

 

 見事にテンパる長女と、冷静沈着に弄る次女。

 正真正銘のお嬢様であるマリに対抗したかったのだろうが、その様はまさしくコントであった。

 暁は「むきぃーっ!」と地団駄を踏み、対する響は雑な拍手を。

 静と動のコントラストが、伊勢の頬を緩ませる。

 

 

「あっははは、いやいや、本当に見事なノリ突っ込み。掴みはバッチリよ! あ、私は伊勢ね。航空戦艦の。よろしくー」

 

「同じく、日向だ。初めまして、になるな」

 

「私は数日ぶり、ですね。横須賀で会ってますし。元気そうで安心しました」

 

「うん。鹿島秘書官も、元気そうで何よりだよ」

 

 

 サムズアップしながら、響たちへと自己紹介する伊勢。

 日向、鹿島も続き、響が脱帽。マリは優雅に会釈で返す。

 ぜぃぜぃと息を切らしていた暁は一歩遅れ、不満げな顔のまま脱帽し……それが落ち着いた頃、おずおずと桐林を見つめた。

 

 

「司令官……」

 

「……暁。響」

 

 

 小さな呼び声に、桐林も静かな声で名前を呼ぶ。

 変わらない呼び方だった。でも、どこか……。

 ほんの少しだけ、胸を締め付けられるような。そんな感覚を、暁は覚えていた。

 

 

「あの……。あのね、司令官。えっと、えっと……」

 

「………………」

 

 

 必死に話しかけようとする暁だけれど、言葉に出来ない。

 話したい事があった。

 聞きたい事もあった。

 以前だったら気兼ねなんてせず、なんでも話せたはずなのに、しかし、なぜだか上手くいかなくて。

 部屋全体がもどかしさに染まり、暁を俯かせる。

 そんな中、あえて空気を無視したマリが、桐林に問い掛けた。

 

 

「桐林さん。今日は、まだ連れがいるんです。呼んでもいい、ですか?」

 

「ええ。どうぞ」

 

「ありがとうございます。では」

 

 

 桐林としても、この雰囲気は歓迎できなかったのか、一も二もなく頷き、確認したマリが香取へと目配せを。

 一礼し、一旦は執務室を出る彼女だったが、ほどなく、キャリキャリとキャスターの音を響かせながら戻ってくる。

 廊下に置いてあったのだろう。ベージュのカバーを掛けられたそれは、いわゆる鳥籠に見えた。

 ただし、人間が丸ごと入りそうな大きさの。

 桐林の右眼に、若干の焦りが浮かぶ。

 

 

「ま、マリさん。その中に、お連れ様が?」

 

「そうです」

 

「香取姉。私、目がおかしくなったのかな。それ、マリさん以上に大きく見えるんですけど」

 

「安心して、鹿島。本当にその大きさだから。ついでに言うと、けっこう重いわ」

 

 

 目を擦りながらの鹿島の問いに、香取が完璧な笑顔を張り付けて答える。

 あれは、地味に困っている時に浮かべる表情だ。

 一体、マリの言う連れとはなんなのか。

 執務室の雰囲気は、一種異様な物に変じていた。

 

 

「ご紹介します。この子が、マリの家族の一人……」

 

 

 皆が固唾を飲んで見守っている最中、マリは鳥籠のカバーをゆっくりと捲りあげる。

 重厚な鉄格子の向こうで、ギラリと青い瞳を輝かせていたのは。

 

 

「ハシビロコウの、パトリック・吉良・ヨシナカJr.です」

 

《クァッ》

 

 

 二本の足で直立する、人間大の鳥だった。

 鳥網コウノトリ目コウノトリ亜目コウノトリ下目ペリカン上科ペリカン科ハシビロコウ亜科に類され、大きな嘴が特徴である。

 滅多に鳴かない鳥であるため、貴重な第一声だ。

 が、予想外にも程がある御家族の登場で、皆の思考は一時停止している。

 

 

「は、ハシビロコウ……? っていうかパトリック? Jr.? 二世?」

 

「吉良ヨシヒサ。忠臣蔵の吉良上野介か。渋いな……」

 

「こ、この子、噛み付いたりとかしない? 触っても、大丈夫なの?」

 

「大丈夫ですよ、暁さん。パトリックは、優しい子ですから」

 

「わぁ……。ハシビロコウさん、初めて見ました……。わ、私も撫でていいですかっ?」

 

「もう、鹿島? 余り馴れ馴れしくすると、パトリック……Jr.さんも、驚いてしまうわよ」

 

「……ぷっ」

 

 

 いち早く再起動を果たしたのは、航空戦艦姉妹の二人。

 興味深げにパトリック(以下略)を眺めたり、嘴を高速開閉して音を出すクラッタリングに驚いたりしている。

 ちなみに、このクラッタリングは威嚇行動などではなく、挨拶や仲間への合図に使用される行為である。安心してほしい。

 攻撃的な性格を持っていたことで有名で、かつてはレッドリストにも指定されていたが、今日(こんにち)においては個体数が回復し、飼育方法も確立され、高級ペットとして上流社会の好事家に愛されている。

 

 話を戻そう。

 変わり種に過ぎるパトリック(以下略)の登場で、場の空気は一気に楽しげなものへと変わっていくのだが、ただ一人、響だけは別の点に注目していた。

 それは、香取が迷いつつも、パトリック(以下略)にJr.さんを付けて呼んだ際、思わず吹き出してしまった人物。

 

 

「司令官。今、笑ったかい」

 

「なんのことだ」

 

 

 いつも通り、鉄面皮な桐林。

 だが、響は確かに見た。皆がパトリック(以下略)に注目している隙に、小さく吹き出してしまった所を。

 恐らく、ハシビロコウが和服を着て、烏帽子でも被っている姿を想像し、勝手にツボったのだろう。

 響に凝視されても、桐林は微動だにしない。

 認めたくないのか、名前を笑ってしまった事を恥じているのか。

 表情からその心中を測る事は難しかったため、響は賭けに出る。

 

 

「……吉良Jr.」

 

「ふ──っ!?」

 

「な、何? ねぇ響、司令官、なんで怒ってるの!?」

 

「いや。あれは怒っている訳ではないような気がするのだが……」

 

 

 クワッと見開かれる桐林の右眼。

 眉間に寄る皺。への字に結ばれる唇。

 暁が怯えるのも仕方ない、憤怒の形相にも見えるのだが、しかし。

 左手の甲には万年筆がグリグリと突き立てられていた。あれは相当痛いに違いない。

 暁をなだめつつ、そうまでして誤魔化したいものかと、呆れざるを得ない日向だった。

 そして、桐林の切羽詰まった様子に気付いたマリは、つぶらな瞳を怪しく光らせる。

 

 

「伊勢、さん? ちょっと、お耳を……」

 

「あ、はいはい。なぁに?」

 

 

 何やら伊勢を呼び立て、耳打ちするマリ。

 フンフン頷いていた伊勢は、ニヤリと天邪鬼な微笑みを浮かべ、またサムズアップ。

 執務机から少し離れた場所に立ち、マリが籠から出したパトリック(以下略)と相対する。

 唐突な二人と一羽の行動を、皆はまた固唾を飲んで見守った。

 ややあって、マリはパトリック(以下略)の影に隠れ、桐林から見えない位置へ。

 次の瞬間、伊勢は勢いよく刀を抜き放ち、上段に構え──

 

 

「おのれ、パトリック・吉良・ヨシナカJr.! 覚悟ぉ!」

 

「あいや伊勢殿。殿中でおじゃる、殿中でおじゃる」

 

《クェーッ!!》

 

「っぶはぁ!?」

 

 

 ──鬼気迫る表情で、パトリック(以下略)に迫った。

 赤穂浪士の仇討ちの物語を知っていれば分かる事だろうが、有名な“松の廊下”での一件を再現したのだ。

 加えて、桐林の中で吉良上野介が、もれなくハシビロコウの姿に置き換わってしまったのであろう。

 ついに耐え切れなくなった彼は、盛大に吹き出して机に突っ伏す。肩は大きく揺れていた。

 

 

「……っ、マリ、さん。ふざける、のは、止め──」

 

「おじゃ?」《クァ?》

 

「ぶふぅっ! ホントに……止め……ふくっう……」

 

 

 マリの声に合わせて首を傾げる、ハシビロコウのパトリック・吉良・ヨシナカJr。

 中に人が入っているのでは? と疑いたくなる練度の高さが、桐林のバイタルパートを打ち砕く。

 

 

「提督さんが……。提督さんが、お腹抱えて笑ってる……!?」

 

「千条寺 マリ、末恐ろしい方です……」

 

「意外な弱点が見つかったな……」

 

「ねぇ、なんで司令官今度は笑ってるの!? 暁を仲間外れにしないでよーっ!」

 

「落ち着いて、暁。まずは歴史の勉強をしようか」

 

 

 生まれて初めて見る桐林の大爆笑する姿に、鹿島と香取、日向は戦慄し、元ネタを知らない暁ばかりが置いてけぼりを食らう。

 響が忠臣蔵をどう説明しようかと悩む背後で、苦しそうでいながら、楽しげにも聞こえる笑い声が続いていた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 数時間後。

 広々とした湯船に浸かりながら、暁は不貞腐れていた。

 

 

「ぶっすぅ……」

 

「暁。そんなに膨れていたら、子供だと思われるよ」

 

「こ、子供じゃないわっ! 暁はレディー、なんだから……」

 

 

 響に指摘され、反射的に立ち上がって反論するものの、すぐまた湯船に身体を沈め、ブクブクと口から泡を吹く。

 タオルで髪を纏め上げ、一糸纏わぬ姿で二人が寛いでいるのは、桐林艦隊庁舎 地下一階に存在する、大浴場である。

 高級ホテルの一部と紹介されても通用する、高いデザイン性が特徴で、しかし利便性も損なわれておらず、心と身体を休めるのに最適だ。

 夕食前の時間帯であるが、他に人影はなく、貸し切り状態だった。居住フロアの各部屋に内風呂もあるため、そちらを利用している者も多いのだろう。

 

 

「舞鶴の大浴場も、なかなか良いね。温泉を引いているらしいよ」

 

「そうなんだ……。暁、よく分からないわ」

 

 

 湯気で視界は霞み、湯船の奥に据えられたマージャガーから吐き出される、お湯の音だけが続いていた。

 余談だが、マージャガーとは、下半身が魚になったジャガーの像である。

 そのまんま、マーライオンのパクリである。

 

 

「あれ。君たち、見ない顔だね」

 

 

 ボウっと天井を眺め続ける二人に、不意に声が掛けられる。

 湯煙の中に立っていたのは、ハンドタオルで前を隠す、白い肌を持つ二人組。

 ドイツ駆逐艦のレーベ、マックスだった。

 

 

「あわわ、が、外国人……!?」

 

「暁。ワタシも見た目だけなら外国人なんだけれど」

 

「……まぁ、外国人であるのは間違いないわね。レーベ。この子たちはきっと……」

 

「あ、そっか。横須賀の」

 

 

 唐突な未知との遭遇で、暁は響の後ろに隠れてしまう。

 本人の言う通り、響も日本人離れした容姿をしているのだが、姉妹という事もあって勘定に入っていないようだ。

 レーベたちはといえば、この状況と、かつて桐林から聞いた話を加味し、二人が統制人格であると判断。

 しっかり湯掛けをしてから湯船に入り、暁たちへと近づく。

 

 

「僕は、ドイツ海軍1934年型駆逐艦の一番艦、レーベレヒト・マース。よろし──」

 

「なっ、ないすつーみーちゅー! まま、まいねーむいず……っ」

 

「いや、あの。僕、日本語喋ってるんだけど……」

 

「すまない。暁は混乱しているんだ。生温かい目で見てあげて欲しい」

 

「……なんとなくだけれど、貴方たちの関係性が理解できた気がするわ。私はマックス・シュルツ。マックスと呼んで」

 

「ワタシは響。よろしく」

 

 

 またもやテンパる暁を横目に、滞りなく挨拶を済ませる響たち。

 少々ぞんざいな扱いにも思えるが、下手に慰めると更に拗ねることのが暁なので、本当に生暖かく見守るのが正解なのだった。

 事実、先程のダメダメ発音な英語の挨拶を無かった事にし、レーベと暁は握手を交わしている。

 と、そこへまた新たな人影が。

 第二次性徴期に入ったばかりの身体を一切隠そうとしない、千条寺 マリである。

 ワザワザ説明する必要もないだろうが、湯気や謎の光のせいで、見ようとしても見る事は叶わない。悪しからず。

 

 

「レーベさん。お待たせ、しました。暁さん、たちも」

 

「あ、マリさん。遅かったね」

 

「服を畳むのに、手間取って。すぐにシワになるので、ああいう服、本当は好きじゃない、です」

 

「そうなの? レディーっぽくて可愛いのに……」

 

 

 すでに脱衣所で挨拶をしていたのか、マリとレーベは気軽に言葉を交わす。

 彼女も簡単に湯掛けしたのち、湯船に入って「ほふう」と溜め息一つ。

 のんびりとした空気が漂い、しばらく。

 ふと、レーベは思い出したように話し始めた。

 

 

「そういえば、聞いたよ。提督が大惨事だったって」

 

「確かに、その言い方でも間違ってはいない、か……」

 

「驚いたわ。彼のあんな風に疲れた顔、初めてだもの」

 

 

 話の主題は、昼間の桐林の様子についてだった。

 執務室における松の廊下事件の後、マリたちは以前の約束を果たすべく、甘味処 間宮へ場所を移し、オイゲンの用意していたドイツ料理を堪能した。

 あいにく、レーベとマックスは演習が控えていたため参加しなかったが、その時の話をオイゲンから聞いたのだ。

 要約すると、「提督の笑い泣きする所、初めて見ちゃった」である。

 食事の最中にも、マリがちょいちょいパトリック(以下略)の吹き替えをしたせいなのだが、桐林の苦労が偲ばれる。

 そして、たまたま廊下で彼の顔を見かけたマックスは、その疲労困憊した横顔に、オイゲンの話が事実なのだと確信したのだった。

 今ごろ谷風辺りが、「ちっきしょー! なんでその場に呼んでくんなかったのさぁー!」と残念がっている事だろう。

 

 

「……ねぇ、レーベさん。マックスさん。やっぱり司令官は、笑わないの?」

 

「そうだね……。笑っていると目を引くくらいには、表情が硬いかな」

 

「ここ最近、柔らかい表情も見かけるようにはなったけれど、まだ珍しいと思うわ」

 

「そっか……」

 

 

 暁が問い掛けると、二人は湯船のふちに腰掛け、湯気に煙る天井を見上げながら答えた。白い肌が火照っている。

 桐林の表情は、数ヶ月前と比べると格段に豊かになった。

 油断するようになった……。余裕が出てきた、と言えるかも知れない。

 レーベたちからすると良い変化であり、けれど、暁たちにとっては、決して良くない変化でもだった。

 

 

「私ね。いろいろ考えてたの。

 司令官に会うまでは、あれを話そう、これを聞こうって。

 でも……。顔を見た瞬間、分からなくなっちゃった。

 雷や、電の分までって思ってたのに、全部……」

 

 

 湯に映る暁の顔は、物憂気な少女に他ならない。

 舞鶴へ向かう第二陣に選ばれ、あれこれと計画を練っていたのだ。

 横須賀を代表する淑女としてだけでなく、色んな事を我慢してしまう妹の代わりに、桐林に色んな事を言ってやろうと。

 

 ところが、いざ彼と相対した途端、全てが吹き飛んで。

 最初の挨拶に失敗したからでも、鉄面皮に怯えた訳でもない。

 ただ、酷く戸惑ってしまった。

 目の前に居る人物は、本当に自分の知る“彼”と同一人物なのかと、あらぬ疑いを抱いてしまった。

 この事実が、湯に浸かっているはずの暁を、凍えさせるのだ。

 

 

「桐林さんは、笑顔の方が、素敵だと思います」

 

 

 皆、一様に押し黙ってしまった大浴場で、マリの静かな声が反響する。

 

 

「あの方は、お父様に負けず劣らずの、優しい人。

 私は、無理やり笑わせる事しか、出来ませんでした。

 ……でも。お二人なら、違う方法もあると思います」

 

 

 両手で掬われた透明な湯が、指の隙間から少しずつ零れる。

 彫像から吐き出される湯の波紋と、雫が落ちた瞬間にできる波紋とがぶつかり、ほんの一瞬だけ、水面の波を打ち消しあう。

 

 

(司令官……)

 

 

 マリが何を考えていて、どんな想いで先の言葉を語ったのかは、暁には分からない。

 分からないけれど、無性に。

 “彼”と話したくて、仕方なかった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

(今日は、散々な目に遭ったな……)

 

 

 ○○二○。

 執務室での残務処理を終え、常夜灯だけが点く廊下を一人歩きながら、桐林は盛大な溜め息をついた。

 予定外のイタリア艦の建造に始まり、千条寺 マリ一行の来訪、ハシビロコウと伊勢による松の廊下事件、オイゲンの手作りランチ、マリの演習見学などなど。

 イベントが盛り沢山の一日だった。そして、非常に疲れる一日でもあった。

 桐林自身、何故あそこまでパトリック(以下略)の存在にツボってしまったのか分からないのだが、そこを的確に、かつ執念深く責めるマリの猛攻は、本当に辛かったのだ。

 一つ例を挙げるならば、マッシュポテトを頬張りながら「生魚が食べたいでおじゃるよ」とか。

 マリの背後に立つパトリック(以下略)のつぶらな瞳を思い出し、桐林はまた思い出し笑いを。もう何度目か、数えるのも馬鹿らしい。

 

 

(っはぁ……。あんなにエキセントリックな子だとは思わなかった……。

 今度から、彼女の相手は自分以外の誰かに任せよう。完全委任しよう)

 

 

 半日に満たない時間で、通常出撃と同じくらいの体力を消耗した気がする。

 心が休まったのは、間宮たちとの夕食ぐらいだった。

 ついでに、今回の一件を聞きつけた艦隊のお調子者共が、今後どんな悪さをするか。考えただけで頭が痛い。主に谷風とか、江風とか。

 自衛のためにも、次からは退避行動を取ろうと決意し、桐林が本日の寝床である部屋のドアを開ける。

 と、無人でなければならないはずの部屋に、見慣れた──懐かしい後ろ姿があった。

 ベッド脇に腰掛ける、錨模様の白いパジャマを着た、響だ。

 

 

「響? どうしてここに──」

 

「しっ。……静かに」

 

 

 声を掛けると、彼女は振り向きながら、唇に人差し指を立てる。

 桐林は怪訝に右眼を細め、その向こうを覗き込み、納得した。

 壁際のベッドの上で、安らかな寝息を立てている少女が居るのだ。

 

 

「……暁」

 

「くぅ……すぅ……」

 

 

 響と色違いらしい、ピンク色のパジャマを纏い、ナイトキャップを被った暁は、とても心地良さそうに眼を閉じて。

 静かにすべき理由は分かったが、しかし、何故この二人が部屋に居るのか。

 目線で響に問うと、彼女は暁の頭を撫でつつ、微かな声で答える。

 

 

「寝る前に、どうしても司令官と話したかったらしくて、待っていたんだ。でも……」

 

「待てなかった、か」

 

「謝りたかったんだよ。暁は」

 

「謝る? 何を……」

 

「執務室で、以前のように話し掛けられなかった事を、さ」

 

「そんな事を?」

 

 

 思わず、首を傾げてしまう桐林。

 彼自身はなんとも思っていなかった。

 少しだけ寂しい気はしたけれど、最後に会った時は、あんな別れ方をしてしまったのだ。

 わだかまりが残って当然だと、そう受け入れていた。

 

 

「そんな事が、暁には大切な事だったんだ。司令官なら、分かるはずだ」

 

「………………」

 

 

 しかし響は、桐林が簡単に受け流してしまった事をこそ、暁は気に病んでいたと言う。

 瞳に込められた“何か”が、それを真実だと直感させた。

 桐林の手が暁へと伸ばされ、ふと、怯えたように硬直する。

 逡巡。

 鼻で息を吸い込み、口からゆっくりと吐き出した彼は、伏し目がちにベッド脇へ膝をつく。

 

 

「もう遅い。部屋まで送ろう」

 

「……うん」

 

 

 起こしてしまわないよう。繊細なガラス細工にふれるよう、慎重に抱き上げる。

 響は、暁を横抱きにする桐林を遠い眼で見やるが、すぐに腰を上げ、両手の塞がった彼の代わりにドアを開ける。

 二人に割り当てられた客室は、幸い同じフロアにあった。時間も遅かったため、誰とも擦れ違わずに辿り着く。

 部屋に入り、ベッドルームへ。

 響がシーツを捲るのを待って、桐林は暁をダブルベッドに横たえる。どうにか、起こさずに済んだ。

 ホッと一息つき、そのまま立ち去ろうとする彼だったが、何かに引っ張られるような感覚を覚え、足を止める。

 

 

「しれい、かん……」

 

 

 暁の手が、軍服の袖を摘まんでいた。

 寝ぼけているのか、彼女は薄眼を開けて、潤んだ瞳で呟く。

 

 

「いかないで……。さびしい、よう……」

 

 

 普段の彼女からは絶対に聞けそうにない、素直な言葉。

 舌足らずなそれに、桐林は胸を突き刺されるようだった。

 反射的に膝をついて、小さな手を優しく握る。

 すると、暁は安心したように微笑み、また微睡みの中へ戻って行く。

 

 

「……なぁ、響。こんな事を頼むのは、非常識なんだろうが……」

 

「なんだい」

 

 

 後ろで見守っていた響に、桐林が囁く。

 口籠ってしまう彼を、響がいつもの様に促すと、彼は。

 

 

「朝まで、こうしていても、良いか」

 

 

 随分と頼りない口調で、そう願った。

 背後に立つ響は、彼がどんな表情をしているのか、伺い知ることはできない。

 第一、成人男性が同じ部屋で、眠る少女の手を握って朝まで過ごすなんて、非常識にも程がある。

 ……けれど。

 身の危険も、拒否したいという気持ちも、響の胸にはまるで湧かなかった。

 

 

「変な事をしないのなら、良いんじゃないかな」

 

「しない。誓うよ」

 

「……冗談さ。おやすみ(Спокойной ночи.)

 

 

 クスリと笑い、リモコンで照明を常夜灯にしてから、響もベッドへ潜り込む。

 ベッドの反対側で眠る姉が、少々羨ましいが、きっとこれで良い。良いはずだ。

 久しく感じられなかった気配を背中に感じつつ、瞼を閉じる響。

 睡魔は、意外なほど早く訪れてしまう。

 この時間が過ぎるのを、惜しいと思ってしまうほどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こぼれ話 鹿島さんは挫けない》

 

 

 

 

 

 一日が終わり、もうすぐ明日がやってくる頃合の、舞鶴鎮守府 桐林艦隊庁舎。

 消灯時間を過ぎ、皆も寝静まっているだろう中、鹿島は自室で身嗜みのチェックを行っていた。

 

 

「髪型、よし。服装、よし。お化粧は……しない方が良い、わよね?」

 

 

 姿見に映し出されているのは、髪を一本に纏め、浅葱色の襦袢を着る鹿島自身の姿。

 少しキツめに締めた帯が身体のラインを強調し、うなじが艶やかな銀髪に見え隠れする。

 余計な装飾を一切取り払い、ただありのままが映されているはずだが、それは間違いなく美しかった。

 どうして彼女がこんな事をしているのか。

 当然、桐林にモーションを掛けるため、である。

 

 

「……つ、ついでに、下着もよし、と……。

 ちょっとお話したいだけだけど、見えない所の身嗜みは重要だものっ。

 提督さんに不愉快な思いをさせないため……。他意はないし……。

 ……お口のニオイとか、大丈夫、よね……?」

 

 

 チラリ、襦袢の合わせを指で開き、レースで飾られた純白のブラを確認。鹿島は頬を赤らめる。

 日本の伝統──というより、日本男児の幻想においては、和服を着る時は下着を着けないのが理想とされるのだが、流石にそこまでの勇気はない。

 ちょっとだけ、寝る前に桐林と話をして、あわよくば良い雰囲気になって、そのまま押し倒されたりなんかしちゃったり……。と、妄想してしまう鹿島だった。

 

 余談だが、同室である香取は夜間演習に出ている。

 こういう時は大概、工廠の方にある仮眠施設を利用するため、今夜は戻ってこないのだ。

 そうでなければ、間違いなく鹿島を止めてくれていたであろうに。

 

 

「さてと。いつまでも準備してたら、提督さんもお休みになっちゃう。

 ……行くわよ、鹿島。今日こそは、二人の関係を前進させちゃうんだから!」

 

 

 グッと拳を握りしめ、己に喝を入れた鹿島は、意気揚々と。しかし誰かに気取られぬよう、忍び足で部屋を出る。

 目的地はもちろん、桐林が本日の寝床とする場所。一つ上の階だ。

 万が一の適性勢力侵入に備え、階層毎に構造を変化させている舞鶴庁舎だが、中央エレベーターとその近辺にあるサロンだけは共通していた。

 

 周囲を確認しつつ、そそくさエレベーターに乗り込み、ボタンを押して待つこと数秒。

 ポーン、という音と共に自動ドアが開き、鹿島は桐林が居るはずの階へ到着した……のだが。

 背後でエレベーターのドアが閉まった瞬間、廊下の方から普通のドアの開閉音が聞こえ、慌ててサロンの観葉植物の影に隠れる。

 複数の足音。

 しばらくすると、発生源と思しき人物が視界に入って来た。

 

 

(あれ。提督さん……?)

 

 

 ゆっくりと、静かに歩いているのは、鹿島が恋しくて愛しくて仕方ない男性、桐林だった。

 それだけなら良かったのだが、なんと彼の腕の中には、眠りこける少女──暁の姿が。

 

 

(提督さんが、暁ちゃんをお姫様抱っこ……!? なんて羨ましい……!)

 

 

 クワッと眼を見開き、嫉妬メーターを一気にMAX近くまで上昇させる鹿島だったけれど、幸か不幸か、桐林が気付くことはなかった。

 そのまま桐林と暁、そして響を見送った鹿島は、「ふぅ」と溜め息をついて物陰から出る。

 

 

(お部屋へ送って行っただけ、みたいね。なら、ここで少し待って、提督さんが戻って来たら……!)

 

 

 予定外の遭遇をしてしまったが、鹿島は挫けない。

 すぐさま作戦を軌道修正し、サロンのソファで待ちの体勢に入る。

 夜中、一人でサロンに佇む美少女。

 どう考えても怪しさ大爆発なのに、当の本人は気付いていないらしく、瞬く間に十分が経過した。

 

 

(まだかなー)

 

 

 更に十分。

 

 

(……遅いなぁ。ううん、きっと響ちゃんとお話してるのよ。焦る女は見苦しいわよ、私!)

 

 

 更に更に十分が経過し、流石に不安になって来た鹿島が、ソファから立ち上がってサロンをウロウロとし始める。

 

 

(遅過ぎる……。まさか、あの二人と提督さんが……。

 そ、そんなはずないっ! 提督さんは紳士だものっ。絶対、そんな事ない……よね?)

 

 

 ブンブンと首を振り、邪な考えを振り払う。

 案外簡単に挫けそうになりつつも、どうにか踏みとどまって、また十分。

 

 

(ううう、心細い……。諦めようかなぁ……。いっそのこと突撃……。

 ダメダメダメ! そんな事したら、ただでさえ低い信頼度が右肩下がりに直滑降しちゃうっ。

 ……はあぁ。私って、駄目だなぁ。やっぱり、魅力ないのかな……)

 

 

 自分が桐林にどう思われているのか、少なからず自覚はあるようで、だんだん落ち込み始める鹿島。

 鬱々と時間は過ぎ、今度は二十分。累計で一時間が経過した。

 

 

(しりとり、リス、スイカ、カモメ、メダカ、カラス、すき焼き、金目鯛、イカナゴ、ゴリラ、ラッパ、パエリア、鯵、十手、提督さん……あ、終わっちゃった)

 

 

 落ち込むのにも飽きた鹿島は、暇潰しに一人しりとりを始めるのだが、二十秒足らずで終わってしまう。

 ソファの上で膝を抱え、ボケーっと真っ白な天井を眺める事、三十分。

 

 

「ぐぅ~……。す~……。提督さぁん……。もっと、強く……。あ……」

 

 

 いつの間にか、鹿島は睡魔に負けていた。

 一体どんな夢を見ているのか、無駄に色っぽく悶えたり、よだれを垂らしたり。

 香取がこの惨状を目の当たりにしたら、雷を落とす──いや。深く、深く溜め息をつくだけかも知れない。

 ともあれ、そんなこんなで時間が過ぎていき、翌朝。

 

 

「ぬおっ。……な、なんで鹿島が、こんな所に」

 

 

 約束通り、日が昇ってから暁たちの客室を出た桐林が、ソファで眠る鹿島を見つけ、素で驚く。

 自室のないフロアのサロンで寝ているのだから、それも当然だ。

 息を殺して近づいてみると、静かな寝息が聞こえてくる。

 

 

「……このままにするのも、可哀想か」

 

 

 放置して誰かに見つかったりしたら、皆の鹿島への信頼度が、そこはかとなく下がってしまうような気がして、桐林は彼女を部屋に送り届けようと決意する。

 暁にそうしたように、細心の注意を払い、鹿島を抱き上げる桐林。

 

 思いのほか、重かった。

 いや、直前に暁を抱き上げたからだろうし、鹿島の方が明らかに女性としての肉付きが良いし、決して鹿島が太ましい訳ではない。

 そんな事を考えつつエレベーターに乗り込むと、桐林の腕の中で、鹿島は幸せそうな笑みを浮かべて。

 

 

「んふふ。提督さん、大好き……」

 

「っ!? ……いや、自分は何も聞いてない。聞いてない……」

 

「えへへ……。らいしゅき……。ちゅ~」

 

「………………」

 

 

 視覚も味覚もおかしくなってしまった桐林だが、聴覚に関しては至って正常。鹿島からの愛の告白も聞こえていた。

 けれど、こんな形で伝わるのは彼女の本意ではないだろうし、何より寝ぼけている訳だし……と言い訳を重ね、猫のようにスリスリしてくる鹿島を無視する。

 手の平に感じる柔らかさも、襦袢越しに伝わる体温も、髪から匂い立つ微かな香りも、鋼鉄の理性で無視し続ける。

 かくして桐林は、精神的に疲弊したものの、無事に鹿島を送り届ける事に成功した。

 そして。

 

 

「んにゅ……? ………………はっ!? あれ、な、なんで私、部屋に戻ってるのっ!? あれっ!?」

 

 

 眼を覚ました鹿島は、自分がどうやって部屋へ戻ったのかを全く思い出せず、大いに首をひねるのであった。

 鹿島の挑戦と、桐林の受難はまだまだ続く。

 

 

 

 






 鹿島さん、棚ぼたで告白に成功するものの、無かったことにされるの巻。

 悲しい事実はさて置き、ちょっと早いけど戦果報告ー! 我、甲乙乙で冬イベを完全攻略せり!
 いやー。久々に最終海域を丙以外で攻略しましたが、地味にキツかった……。
 艦娘コンプは維持できたし、二隻目以降のレア艦も狙い通り掘れたし、満足のいく結果を出せました。
 個人的潜水艦娘最カワはろーちゃんのままですが、最エロはイクからヒトミちゃんに代替わりでしょうか?
 というか、絶対出ないと思っていたのに、普通に出ましたね双子棲姫。うちのみたく戦艦じゃありませんでしたけど、初見の時は目を疑いましたよ。

 さてさて。今回は進撃の眞理杏瓊、第二回で御座いました。
 ハシビロコウさん流石やでぇ。そしてやっぱりネーミングセンスがおかしい一族なのでした。
 次回は過去の日常回になる予定。今しばらくお待ち下さい。
 それでは、失礼致します。



「うぅん……。寝ぼけて自分で帰った……? それとも誰かが運んで……?」
「もう、さっきから何を一人でブツブツ言っているの。早く書類を処理して頂戴」
「はぁーい。……あれ。この地名って、なんて読むんだろ……?」
「ああ、これはね。神の鳥の谷と書いて──」

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